ご無沙汰してしまいました。
時が経つのは早いものですね。
おばあちゃんの葬儀からもうあっというまに時間が過ぎてしまいました。
一つ昔を思い出させてください。
おばあちゃんは96歳で亡くなりました。
孫の中でまあ姉ちゃんは大学に入学してからおばあちゃんと暮らし、
その後結婚。
私と妹の友ちゃんはおとんが小学校低学年の頃から入院していて
おかんが付き添っていたので、おばあちゃんの家で暮らしていました。
おばあちゃんの家は昔、昼は定食屋、夜は常連さん相手の居酒屋を新潟市内のシモ地域で開いていたのですが、おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんだけになったので、夜だけ営業してました。
毎日毎日本町市場に買い物に行き、途中の薬屋でオロナミンCを飲んでました 笑
毎日毎日色んな酒の肴を作っていました。
なので学校からおばあちゃんの家に帰ると夜の仕込をしているおばあちゃんがいました。
当時シモのほうには駄菓子屋があって、100円をもらってうまい棒とか、五円チョコとか買いに行ったもんです。
今になって思うと、当時おばあちゃんは70を超えていたのに
常連ばかりとはいえよっぱらい相手によくやってたなあと思います。
お店も今みたいなガスコンロではなくて、元栓をひねってマッチで火をつけるようなコンロで料理をして、私たちもそこで店のつまみを食べたり、勝手にフライドポテトを
作ったりして生活してました。
1階がお店で2階が部屋になってたので、私と友ちゃんが寝てもおばあちゃんは
後片付けをしたり。それでも朝になると朝ごはんを食べさせて学校に送り出して
くれました。
80近くまでお店を一人でやって、さすがに体がもたなくなってお店をやめたのですが
お店は生きがいだったので、のんびり余生が暮らせるようになったのに
少しづつボケてしまいました。
それでもおかんが毎日のように病院に行き、入院していた病院がなくなって
移動しなくてはいけなくなっても、バスを乗り継いで病院にいって
面倒を見ていました。
口が利けなくても、意識がなくても、それでも一生懸命病院に行ってました。
病院に入院していた患者さんの中で、そこまでしてもらってる人は
おばあちゃんだけで、いつも看護師さんに「お母さんは幸せですね。」と
声をかけてもらってました。
おばあちゃんもそれを知っていたから、
おかんにだけ看取ってもらいたかったんだと思うのです。
最期の時は、おかんが手を握っていて、おばあちゃんは旅立ちました。
いくら覚悟をしていてもやはりその時が来るのは辛いものです。
でも少しづつ、時がたって時間が癒していってくれるはずです。
時が経つのは早いものですね。
おばあちゃんの葬儀からもうあっというまに時間が過ぎてしまいました。
一つ昔を思い出させてください。
おばあちゃんは96歳で亡くなりました。
孫の中でまあ姉ちゃんは大学に入学してからおばあちゃんと暮らし、
その後結婚。
私と妹の友ちゃんはおとんが小学校低学年の頃から入院していて
おかんが付き添っていたので、おばあちゃんの家で暮らしていました。
おばあちゃんの家は昔、昼は定食屋、夜は常連さん相手の居酒屋を新潟市内のシモ地域で開いていたのですが、おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんだけになったので、夜だけ営業してました。
毎日毎日本町市場に買い物に行き、途中の薬屋でオロナミンCを飲んでました 笑
毎日毎日色んな酒の肴を作っていました。
なので学校からおばあちゃんの家に帰ると夜の仕込をしているおばあちゃんがいました。
当時シモのほうには駄菓子屋があって、100円をもらってうまい棒とか、五円チョコとか買いに行ったもんです。
今になって思うと、当時おばあちゃんは70を超えていたのに
常連ばかりとはいえよっぱらい相手によくやってたなあと思います。
お店も今みたいなガスコンロではなくて、元栓をひねってマッチで火をつけるようなコンロで料理をして、私たちもそこで店のつまみを食べたり、勝手にフライドポテトを
作ったりして生活してました。
1階がお店で2階が部屋になってたので、私と友ちゃんが寝てもおばあちゃんは
後片付けをしたり。それでも朝になると朝ごはんを食べさせて学校に送り出して
くれました。
80近くまでお店を一人でやって、さすがに体がもたなくなってお店をやめたのですが
お店は生きがいだったので、のんびり余生が暮らせるようになったのに
少しづつボケてしまいました。
それでもおかんが毎日のように病院に行き、入院していた病院がなくなって
移動しなくてはいけなくなっても、バスを乗り継いで病院にいって
面倒を見ていました。
口が利けなくても、意識がなくても、それでも一生懸命病院に行ってました。
病院に入院していた患者さんの中で、そこまでしてもらってる人は
おばあちゃんだけで、いつも看護師さんに「お母さんは幸せですね。」と
声をかけてもらってました。
おばあちゃんもそれを知っていたから、
おかんにだけ看取ってもらいたかったんだと思うのです。
最期の時は、おかんが手を握っていて、おばあちゃんは旅立ちました。
いくら覚悟をしていてもやはりその時が来るのは辛いものです。
でも少しづつ、時がたって時間が癒していってくれるはずです。
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