数日前に「ちふれ化粧品炎上」とネットニュースで見た。
― ちふれ化粧品がPR用ツイッターで呟いた内容に、一部から批判が上がり炎上する事態となった。
ツイートは5月22日に投稿された、
「仕事、家事、育児……。いつの間にか『女磨き』をおろそかにしていませんか?
時短美容を活用すれば、忙しい日常と女磨きはちゃんと両立できるんです」
というものだ。
今の自分に誇りを持っているかどうかが、「女磨き」の指標?
これに対してツイッターでは
「女性のせめての味方であってほしい化粧品の企業にまでこんなプレッシャーかけられるなんて、味方に背後から撃たれた気分だよね」
「お洒落は自分のために楽しむものであって、『女磨き』なんて安っぽい言葉や男受けのためにしてるんじゃない」
などの声が相次いでいる。
呟きが持つ「仕事や家事などは自分を磨くものではない、美容こそが女性を磨くものだ」
という無言のメッセージは、それらに精を出す女性を否定するようも聞こえる。
また、女磨きという言葉は、男性の目線を意識した、見た目に関する自助努力といったニュアンスで使われることもある。
そのため呟きを見た人は、「おろそかにしていませんか」と、やるのがさも当然だという態度に不快感を持ったようだ ―
(@niftyニュースより)
昨晩、Mちゃんから電話があった。
Mちゃんは、独身の頃時々数人で遊んでいた中のひとりH君に、
20年ぶりに会ったらしい。
その彼に「老けたね~、Eちゃん(Mちゃんの友達で、H君の幼馴染と結婚し近所に住んでいる)のほうが若いわ」
「苦労が顔に出てる」とまで言われ、悔しくて涙が出たと。
それを聞いたわたしも頭に来た、なんちゅうデリカシーのない男かと。
黒木瞳の方が若いならまだしも、Eちゃんの名前を挙げてくるなんて許せん!
わたし達友人の中ではMちゃんはいつまでも若いよねって言われてます。
最近Mちゃんちに泊まりに行った別の友人も、
「やっぱMちゃんは若いわ!」と電話で言っていた。
でもH君の発言を聞いて思ったんだよね~。
Mちゃんは普段から化粧バリバリのオンナ全開タイプじゃない。
というかわたしの友達はあまりそういうタイプはいない。
そしてわたし。
出産後から自分に構うことが減り(専業主婦だから外に出ないってことで余計拍車がかかったかも)
結婚後すぐに行った中学の同窓会は、気合入れて行ったが、
それから8年後!?だかは、もうどうでもいいって感じででかけた。
どうせみんなオッサンオバサンだし、とにかく喋るのが楽しみって気持ち。
実際、同級生のオッサンから「おまえ太ったな~」って言われたけど、
相変わらず性格悪いヤツだなと思うだけで、落ちこみさえしなかった。
50を過ぎた今、家では朝と晩は体洗う石鹸で洗顔。
仕事がない時は顔にはなーーーんにもしない。
仕事があろうがなかろうが夜も化粧水ひとつつけず、なーーーーーんにもしない。
そんな生活を多分3年は続けている。
だってなんかで読んだんだもの、お肌にはなにもしないほうがいいと。
でもね~、今の自分の顔をみてガッカリする。
わたし、結構昔は肌は誉められていたのですよ。
それが今じゃ、シミだらけだし、目の下はクマがひどいし、顔全体がどす黒くくすんでいる。
首もシワシワだし、手もシミだらけ。手入れをまったくしないから。
服だってとにかく動きやすいもの。
スカートなんてほぼ出番なし。いつもカットソーかシャツにパンツ。
それでいい、それがいいと、ここ数年やってきた。
女磨きなんてするヒマ・・・あったのだろうけど、どうでもよかった、面倒くさかった。
でも、昨日Mちゃんの話を聞いて思った。
よその男の鋭い眼は侮れないかもと。
今のわたし、ちょっとダメかもと。
夫からはしょっちゅう「お前な~もうちょっとどうにかならんのか」と言われてきたが、
あんたから言われたくないわと聞く耳持たずだったけど、
わたしもこれからはすこし「女磨き」しようかな~って気持ちに。
別に男のためとかじゃなく、
いつまでも綺麗でいたいって気持ちは大事なのではなかろうか。
きっと家事子育て仕事と怒涛の日々を送っている女性には、
なに言ってんだ!って気持ちになると思う。
だから女磨きは、50代以上のおばちゃん達へのメッセージにしてみたらよかったのに。
街を歩いていて、ショウウィンドウに映った自分の姿にギョッとし、
美容室の鏡に映った自分のシミだらけの顔にまたギョッとする。
ふとみたシミだらけの手を、
わたしはしっかり家事をやってきたんだと自信も持つけど、
手入れを怠りなくしてくればよかったなと後悔もする。
ちふれさん、
メッセージを送るなら、
子ども達が巣立った世代へ、
「また女磨きはじめませんか!」
これどうでしょう。
東京に住んでいた時にちょっとだけ通った朝日カルチャーの清川妙先生のエッセイ講座。
70代の先生の爪は、いつも薄ピンクのマニキュアが綺麗に塗られているのがとても印象的でした。
先生はもうこの世にいらっしゃいません(享年93歳)が、
講演会を聴きに行った時にいいことをおっしゃっていたなと思いだしました。 → コチラ
― ちふれ化粧品がPR用ツイッターで呟いた内容に、一部から批判が上がり炎上する事態となった。
ツイートは5月22日に投稿された、
「仕事、家事、育児……。いつの間にか『女磨き』をおろそかにしていませんか?
時短美容を活用すれば、忙しい日常と女磨きはちゃんと両立できるんです」
というものだ。
今の自分に誇りを持っているかどうかが、「女磨き」の指標?
これに対してツイッターでは
「女性のせめての味方であってほしい化粧品の企業にまでこんなプレッシャーかけられるなんて、味方に背後から撃たれた気分だよね」
「お洒落は自分のために楽しむものであって、『女磨き』なんて安っぽい言葉や男受けのためにしてるんじゃない」
などの声が相次いでいる。
呟きが持つ「仕事や家事などは自分を磨くものではない、美容こそが女性を磨くものだ」
という無言のメッセージは、それらに精を出す女性を否定するようも聞こえる。
また、女磨きという言葉は、男性の目線を意識した、見た目に関する自助努力といったニュアンスで使われることもある。
そのため呟きを見た人は、「おろそかにしていませんか」と、やるのがさも当然だという態度に不快感を持ったようだ ―
(@niftyニュースより)
昨晩、Mちゃんから電話があった。
Mちゃんは、独身の頃時々数人で遊んでいた中のひとりH君に、
20年ぶりに会ったらしい。
その彼に「老けたね~、Eちゃん(Mちゃんの友達で、H君の幼馴染と結婚し近所に住んでいる)のほうが若いわ」
「苦労が顔に出てる」とまで言われ、悔しくて涙が出たと。
それを聞いたわたしも頭に来た、なんちゅうデリカシーのない男かと。
黒木瞳の方が若いならまだしも、Eちゃんの名前を挙げてくるなんて許せん!
わたし達友人の中ではMちゃんはいつまでも若いよねって言われてます。
最近Mちゃんちに泊まりに行った別の友人も、
「やっぱMちゃんは若いわ!」と電話で言っていた。
でもH君の発言を聞いて思ったんだよね~。
Mちゃんは普段から化粧バリバリのオンナ全開タイプじゃない。
というかわたしの友達はあまりそういうタイプはいない。
そしてわたし。
出産後から自分に構うことが減り(専業主婦だから外に出ないってことで余計拍車がかかったかも)
結婚後すぐに行った中学の同窓会は、気合入れて行ったが、
それから8年後!?だかは、もうどうでもいいって感じででかけた。
どうせみんなオッサンオバサンだし、とにかく喋るのが楽しみって気持ち。
実際、同級生のオッサンから「おまえ太ったな~」って言われたけど、
相変わらず性格悪いヤツだなと思うだけで、落ちこみさえしなかった。
50を過ぎた今、家では朝と晩は体洗う石鹸で洗顔。
仕事がない時は顔にはなーーーんにもしない。
仕事があろうがなかろうが夜も化粧水ひとつつけず、なーーーーーんにもしない。
そんな生活を多分3年は続けている。
だってなんかで読んだんだもの、お肌にはなにもしないほうがいいと。
でもね~、今の自分の顔をみてガッカリする。
わたし、結構昔は肌は誉められていたのですよ。
それが今じゃ、シミだらけだし、目の下はクマがひどいし、顔全体がどす黒くくすんでいる。
首もシワシワだし、手もシミだらけ。手入れをまったくしないから。
服だってとにかく動きやすいもの。
スカートなんてほぼ出番なし。いつもカットソーかシャツにパンツ。
それでいい、それがいいと、ここ数年やってきた。
女磨きなんてするヒマ・・・あったのだろうけど、どうでもよかった、面倒くさかった。
でも、昨日Mちゃんの話を聞いて思った。
よその男の鋭い眼は侮れないかもと。
今のわたし、ちょっとダメかもと。
夫からはしょっちゅう「お前な~もうちょっとどうにかならんのか」と言われてきたが、
あんたから言われたくないわと聞く耳持たずだったけど、
わたしもこれからはすこし「女磨き」しようかな~って気持ちに。
別に男のためとかじゃなく、
いつまでも綺麗でいたいって気持ちは大事なのではなかろうか。
きっと家事子育て仕事と怒涛の日々を送っている女性には、
なに言ってんだ!って気持ちになると思う。
だから女磨きは、50代以上のおばちゃん達へのメッセージにしてみたらよかったのに。
街を歩いていて、ショウウィンドウに映った自分の姿にギョッとし、
美容室の鏡に映った自分のシミだらけの顔にまたギョッとする。
ふとみたシミだらけの手を、
わたしはしっかり家事をやってきたんだと自信も持つけど、
手入れを怠りなくしてくればよかったなと後悔もする。
ちふれさん、
メッセージを送るなら、
子ども達が巣立った世代へ、
「また女磨きはじめませんか!」
これどうでしょう。
東京に住んでいた時にちょっとだけ通った朝日カルチャーの清川妙先生のエッセイ講座。
70代の先生の爪は、いつも薄ピンクのマニキュアが綺麗に塗られているのがとても印象的でした。
先生はもうこの世にいらっしゃいません(享年93歳)が、
講演会を聴きに行った時にいいことをおっしゃっていたなと思いだしました。 → コチラ
誰と話してる時だったか忘れたのですが、朝鏡見たらあとは夜に化粧落としの時しかほぼ自分の顔や髪、見ないんですよね。。
何度も見るほどうぬぼれられないもの。
電車で自分の顔を見てる若い子を見ると羨ましい。
自分の顔は鏡がないと見えないけど、友達とごはん食べてるときなどに思ったのですが、しゃべりながら相手の顔はずっと見てる。
(自分より年長の友人の肌のきれいさを見ると、遺伝と環境がエステを上回ると思ってます。)
おしゃれも化粧も身だしなみ、自分は見えないけど見えてる人を不快にさせない程度のマナーかなと思うこの頃です。
わたしは目が悪いので、自分の顔がよくみえてない気がします。化粧する時もほとんど鏡見ないでしてます(汗)
月に1回行く美容室の大鏡で、かなりショックを受けます。
たしかに友達との食事はそうですよね~。
鼻毛がでてるとか鼻毛が白髪とか(汗)やばい!
おっしゃる通り、相手を不快にさせている場合もあるかもしれないわけで。気をつけなくては。
ネットは顔が見えないからな~。
チビデブブスで、顔はくすんでシミだらけ、白髪もいっぱい、老けたおばちゃんです。
更年期でくたびれてますが、ちょっと今回、これじゃいけないなって反省しました。
清川妙先生、
突然ご主人と息子さんを立て続けに亡くされ、
その時先生自身もガンで闘病されていたのではなかったかな。
それでもしっかり前を見て生きてこられた。
そんな先生だからこそおっしゃる言葉も説得力があるんですよね~。
たくさん御本がでているので、よかったら読んでみてください。
清川妙先生と吉沢久子先生の往復書簡をまとめた
「八十歳をすぎてわかってきた人生の大切なこと」でした。(読み終わり、ソファの横にポイッと)
お二人のお人柄と才知が偲ばれる、本当に細やかな神経の行き届いたお手紙の数々なのです。
読んでいて、とてもこんな細やかな心遣いのできる人間には八十になってもなれそうもないわー
と思わされた一冊でした。
それにしても、もうお二人ともお亡くなりになられていらっしゃるのですね。
生前の清川先生にお会いになったrimiさん、羨ましいです。
その本は読んだことがありませんが、清川先生は手紙の教室も持ってらっしゃったくらい手紙のプロです。
で、ハナニラさーーーん、
吉沢久子さんは、100歳近いとは思うけど、
まだお元気だと思います。
この前クロワッサンでみたような。
わたし清川先生が亡くなられたのも、たしか吉沢久子さんが清川先生の訃報に際して、なにか文章を書いてらっしゃるのを見て、つい最近知ったんです。
驚きました。
でもきっと穏やかなお顔で、あちらへいらしたんだろうなと想像しています。