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you are my sunshine

40代でblog始めてあらもう60代。
光陰矢の如し。年が明けたらあっという間に年の暮れ。

泥棒が入った・・・

2017-10-02 | 老いた親のこと
夫宛に義父から手紙が届きました。

勝手に開封するわけにも行かず、夫に連絡したら、
なにが書いてあるのか義父に電話で聞いてほしいと。
自分で聞けよ、っていうかじゃあ開封したほうが早いじゃんって思いましたが、
電話して義父に聞いたら、わたし宛でした。

じゃあrimi様って書いてよ。
わたし宛さえ夫の名前を書くとは・・・。

電話で、
自宅に泥棒に入られ、いろいろひっかきまわされ気持ち悪いということを代わる代わる話す義父と義母。

盗られているのは義母の服やら着物やら通帳らしい。
同じ部屋なのに義父のはまったく手を付けられていないらしい。
しかも、盗られた服がしばらくしたら綺麗にたたまれてまた戻っているのだと。
鍵もつけたけど、壊されているという。

警察に届けたのか聞いたら、
もちろん連絡して見に来てもらったと。

ちゃんと指紋とかとられたんですか?と聞くと、
そんなことはしなかったと。
4月に来たばかりの若い巡査さんだから、そこまで気が利かないのかもしれないという義母。

泥棒が入った話は、先日帰省した夫からすでに聞いていた。

夫も気になり、帰りに駅まで送ってくれた義弟に車の中でそのことで話したら、
「入ってない」と言ったそう。

でも義父も義母もわたしにはとっても困っているというので、
こっそり義実家の近くの派出所に電話してみた。

お巡りさんが言うには
「なんとも言えない」と。
義実家以外その近辺の地域は空き巣の被害届けがまったくないらしい。
義実家がみるからにお金持っていそうな家ならだけど、そういうのは全くない。
ただ気にかけてくださっていて、時々自宅訪問してもらっているよう。
御礼と今後ともよろしくお願いしておきますと伝え、電話を切った。



いよいよ来たな。

どうしたもんか・・・。

これからはもっと定期的に電話しなくては。
スカイプつけたほうがいいのかな。


追記

再度夫に確認したところ、
義弟曰く、今年に入って数軒先の商売しているお宅が、金庫ごと盗まれたらしい。
だから近辺で全く被害がないっていうのは違うと。
ただ義父母が、泥棒が入って荒らされるというのは違うし、
それを散々義弟は聞かされているので、もう聞き流しているらしいとのこと。


帰省2017夏 そして両親のこと

2017-08-07 | 老いた親のこと
福岡に住む年老いた夫とわたしの両親。
4人とも健在ですが、母以外80歳超えてます。

夫実家に娘は2泊しましたが、わたしは義父と義母のそれぞれの本家の仏様参りをした後、
寄って少し話をして、姉のところに泊まりました。

義両親は元気そうではありましたが、義母は痩せたな~と思いました。
ちょうど夜勤明けで義弟がいたので、
「ちょっといいですか」と外でふたりで話しました。
「お父さんたちは実際のところ身体の具合とかどうなんですか?」と。

義母は今のところ心配ないけど、どうも義父が認知症の傾向が出てきているようにも思うと。

離れていてなにもできていないことを詫びたのですが、
義弟は、義父にもし認知症とかでてきたら、義母はみることはできないから、
施設に預けるしかないと思うし、自分もそのつもりで考えて準備もしている。
自分のまわりには、独身で親を見送った友人が何人かいるので、そのひとたちがいろいろ教えてくれる。
だからそっち(わたし達)はあんまり心配しなくていいよって。

夫ともそういう話はするのか聞いたけど、
夫が帰省して帰る時に、最寄駅まで送っていく車の中で少し話すくらいかなと言ってました。

遠方に住んでいるわたしたちが全くアテにならないからだろうけど、
ほんとにできた義弟で感謝しかないです。
叔母からたくさんもらった野菜でいくつかお惣菜を作り、あとは煮た魚を差し入れたくらい、
そんなことしか夫実家にはできませんでした。


一方わたしの両親。
こっちは弟夫婦が同居してくれていますし、姉が近くに住んでいるので、
弟のお嫁さんや姉がやりくりして病院なども連れて行ってくれてます。
ここでもわたしは全くアテにされてないし、何もできてません。

これまで帰省しても、
もちろん実家にも顔を出しますが、家族みんなでご飯を食べても、
わたしも友人と会ったり、親戚をまわったり、
弟のお嫁さんが専業主婦でずっと家にいたせいもあり、
ゆっくり両親と話すことはありませんでした。
お嫁さんも2年くらい前から仕事に出たのですが、これまたなんとなく、
お嫁さんがいないのに、あがりこむのも悪いかなとできずにいました。

でももういいやと思い、お嫁さんが仕事の日に、
姉が作ってくれていたおかずを持って、実家に。
たまたま叔母が電話してきたので、叔母にも遊びにおいでと誘って、
3人でお茶飲んだり、お昼ご飯を食べたりしながら、お喋りしました。
父はその日デイサービスの日でいませんでした。

母はお嫁さんの愚痴を時々言います。
これまでは叱ってましたが、誰も愚痴る人がいないのも可哀想だし、
年に1~2回しか会わない娘にくらい愚痴ってもいいじゃないかと、
聞いてあげました。
でも結局母に注意しちゃうんですけどね。

脳梗塞を2回やった父はいっとき入院していましたが、今は退院して自宅に戻ってます。
入院中はトイレも行けなかったのに、今はオムツはしてますが、自分で行けるようになりました。
中学生の甥っ子がほんとによく父を相手をしてくれます。優しい甥っ子です。

弟が、母の負担が大きいから、そう遠くない先に父には施設に入ってもらうかもとも言ってました。

父は、わたしと娘がこの夏に顔を出したら、
覚えてませんでした。
あんまりショックではなかった。その前も時々忘れたようなことを言うことがあったから。
でもまだらボケのような感じで、まったくボケてないようなところもあるんですよね。
ひと付き合いもあまり好きではなく、
家で本を読んだりテレビを見たり、一番好きなのは寝ていることだった父なので、
デイサービスなんて絶対に行きたがらないとみんな思っていたのに、
意外に嫌がらずに行ってるようです。時々は行きたくないという日もあるようですが。

「お父さん、えらいね、ちゃんと行ってるんだ」とわたしが言うと
「仕事やもんな」(仕事だからな)と。

実家に遊びに行った日の午後からは、
友人のお母さんと、元上司の奥さんが亡くなられたので、そのお参りに行って、
また夕方顔を出したら、父親がデイサービスから戻ってました。

買ってきたどら焼きを食べながら、母と3人でお喋り。

デイサービスに行く朝、父が起きれなくて母が叱ったり、
父もイライラして母を怒鳴ったりと、
お互い口を開けばケンカしているようなふたり。

父と母に「ケンカばっかりせんで仲ようせんといかんよ」というと、
父が「助けあっとる」と真面目な顔で言った後、ニッと笑いました。

認知症で、離れている娘や孫娘の顔も時々忘れ、普段からあんまり喋らず、
一日をソファに座ってぼおっっとテレビをみてるか寝てるかの父が、
そんな労わりあった言葉を言うとは・・・。

グッときてしまい、思わず涙が込み上げました。

気丈な母も、目が潤んでました。


姉が言ってました。

「傍から見ると大変にしかみえないかもしれないけど、そのなかにもちゃんと幸せはあるんだよ」と。









長男教という呪縛

2017-06-10 | 老いた親のこと
金曜の夜9時過ぎ、夫から電話がありました。
娘がでてしばらく喋っていましたが、わたしに替わってほしいというのででてみると。

「さっきおふくろに電話して話してたんだけどさ」

夫はわたしと結婚して以来、義母が電話をかけてきてもほとんど出ようとしません。
自分から電話することも全くと言っていいほどありませんでした。

それが単身になった途端、自分から時々電話しているみたいなのです。
多分うちにかけてくるより多いのではないかと思われます。
きっと夫は、わたしに対して変な見栄と遠慮があったんだと思います。

で、夫の電話に戻ります。

「途中でおふくろが親父に替わるっていうからさ、俺そのまま切ったんだけどさ・・・」

夫曰く、
どうにも父親にイラつくらしく、それは小学生くらいの時からだったと。

普段ならわたしも「えーなんでよ、そんな(切ったら)お父さんが可哀想じゃん」と言い、
夫はもうそこで不愉快になり、「もうお前には話さん!」といい電話を切るパターンですが、
珍しく夫が飲まずに(笑)話してきたので、よく聞いてみようと、
こっちの考えや気持ちを言わず、ひたすら聴くことに。

「お前も親父がイラつくだろ、なんか言いよったよな(言ってたよな)」

「わたしはお父さんの言葉に腹立ったことはあったけど、いつもイラつくってことはないよ。
 この前ハルカの誕生日にお金を送ってくれたんだけどちゃんとお父さんが手紙も書いてくれて優しいなと思ったよ」
っていうと、

「そういうところも俺は嫌なんだよな、相手のことを思ってやってるんじゃなくて自己満足なんだよ」
(それ違うでしょって言いたいけど我慢)

だいたい考えが古いんだ。
子どもは親の所有物としか思ってない。
長男が親の面倒をみるのは当然って、俺が小学校の時から言ってたし、今もそう思っている。
俺が小学校の時に船乗りになりたいって言ったら、よそんちで親父は(息子が跡を継がないのを)泣いたらしい(義父は職人)。

大学卒業して最初の就職を1ヶ月半で辞めて実家に戻った時、
俺は跡を継いでもいいかなと思って親に話したら、
親父が「お前は短気だから客相手はできないから無理だ」って言ったんだ。

俺が結婚しないことにはすごく心配していろいろ世話しようとしたくせに、
弟(今も独身で実家に同居)のことはなんの世話もしない。
叔父さんもそれはおかしいと言ってる。
そういうところも俺は親父に腹が立つ。

そういう義父に対する不満をずっと言うわけです。

聴いていて思いましたね。
夫の本心は、
長男なのに実家から遠く離れていて、年老いた親の面倒を全部弟に押し付けてしまっている自分に対して腹が立ってるし、
申し訳ないと思わないといけないことにも腹が立ってる。
申し訳ない気持ちが根底にあって
素直に義父と電話で話すことができないんだと思うし、冷たい態度しか取れないんだと思う。



長男教は、田舎の農家は先祖代々の土地があるから、跡を取るように小さい頃から親は長男に言い聞かせて育てます。
親だけでなくまわりの親戚、近所などあらゆる方向から刷り込まれていくんですよね。

ただ夫の実家は、農家でもないし、義父は次男で、代々継ぐべき土地や財産があるわけでもないし、
夫は転勤族のサラリーマンになったので、年に1~2回実家に帰るくらいしかできないわけです。
それでも義両親は当然夫が退職したら、実家に帰ってきてくれるものと思っていて、
以前義母が「あなたたちが帰ってきたら、(同居している)○○(義弟)はどこかアパートでも借りてもらうから」
つまり義弟は追い出すようなことを言ったんです。
それくらい長男が家を取る意識が強かったんです。

義両親は夫に対して、これは結婚してからずっと感じていたのですが、
絶対に頼みごとをしないし、夫に対して嫌なことを言いません。
というか夫が一番のように扱います。
不思議に思って義母に聞いたことがあるのですが、
こう言ってました。

「怒らせて、こっちに帰ってこなくなったら大変だから」


そんな義両親もだんだん年老いて、病院の送り迎えや買い物など、義弟が休みの時に車で連れて行ってくれるし、
義弟は手先が器用で電気の配線も水道の修理もなんでもできるひとなので、
帰省してもなーんにもしてくれない夫より断然義弟を頼りにしているようにわたしは感じます。



わたしが帰省していつも集まる友人たち5人全員が、義両親と同居の長男に嫁ぎました。
ひとりだけ次男ですが、そこは長男が最初同居していたけど折り合いが悪くなり出て行って、
そのあと友人と結婚し同居してます。

ある時親の話になって、
友人たちから、うちの姉もそうですが
「(夫の方)お父さんたちのことはわたしたちがちゃんと見るから安心して」って義両親に言わないとダメよって言われました。
でもわたし言えないんですよね~。

どう考えてもまだこっちにあと最低5年はいないといけない状況で、
飛行機で行ったり来たりする距離にいて、ちゃんと見るから安心してって言えないんですよね。
逃げているんです。

わたしの実家の親もふた親とも健在ですが、
弟夫婦が同居してくれていて、近くに姉も住んでいるので、ほぼ姉と弟のお嫁さんに丸投げ状態だし、
うちの親も弟夫婦も姉もわたしには全く期待していません。
どちらかといえば夫の両親をあんたはしっかりやりなさいよってスタンスだと思います。

弟のお嫁さんがしっかりしたひとで、うちの親は気の強いとんでもない人間ですが、
よく我慢して同居してくれているなと、有難く思います。
うちの弟も間違いなく、長男教の呪縛にハマったひとりです。

でも田舎では長男が家を継いでるところばかりではなく、
義弟みたいに次男が独身で残り、親の面倒をみてるってところも多いようです。
小さい頃は長男大事で、次男は差をつけられて育ち、
結局親の面倒をみてるのは次男なのに、いつまでも親は長男一番の意識が抜けない、
つくづく損な人生だと、同じ田舎の次男独身仲間と飲んで話すんだそうです。

朝ドラ「ひよっこ」では、三男が村を出て行かなければいけない寂しさを語った時に、
兄の太郎が「生まれた時から村を出て行くことが出来ない運命の人間のことを考えたことがあるか」と返しました。

村を出て行った夫は、
娘には俺らのことは気にせず自由にさせたい、
親の面倒みろなんて絶対に言わないと言います。
わたしなんて、親のことはあまり考えず、自由に生きてきました。
わたしはそういう呪縛はまったくなかったわけだし、元々薄情で冷たい人間なんだと思います。

三姉妹で、長女、次女が嫁に行き、三女がしかたなくお婿さんと同居って話も聞きます。
それでも家を出てしまった長女はずっと後ろめたい思いを抱えているってことも長女のかたから聞いたことがあります。
もしかしたら、同じように家を出た次女よりも後ろめたさ感は強い気がします。

跡を継ぎ親の面倒を見たものは、親の財産も全部受け継ぐわけだから、
いい面もあるような気もします。
でもわたしの友人らの話を聞くと、今は平等に分けないといけないから、全部というわけにもいかないそうです。
兄弟のほうから要らないと言わない限り。

ますます家を継ぐひとはいなくなるし、今の時代はそうなっていくのが自然なのかも。

でも夫の親と同居していた友人が以前は「絶対に息子と同居なんてしない」と言ってましたが、
息子が20歳過ぎたあたりから「もし旦那が先に亡くなったらわたし二世帯同居したい」と言い出しました。
わたし達若い世代でもそう。
ひとの気持ちは変わるものなのですね。

老いた親をほったらかしにはできないわけだけど、
今の我が家の状況だと、
義弟にただただ感謝するしかないし、義両親も元気でいてくれてこれまた有難いと思うしかなく。

自分たちの生活しか考えてない今のわたしは、
将来当然子どもに自分の老後を見てなんて言えないわけだし、
そこはしっかり考えておかねばとは思います。

とはいえ思い通りにならないのが人生なんでね~。

たまには帰らなきゃという思いはあるものの、全然帰ってません。
まわりのひとのおかげでそういう生活ができているわけで、
そこは感謝するしかないのだけど、
長男教の夫とは違い、
後ろめたさは若干抱えつつも割り切って生きてるわたしです。



義母からの電話

2017-05-04 | 老いた親のこと
今朝、義母から電話があった。

『荷物送りたいんだけど、rimiさん、仕事行ってないやろもん(行ってないわよね)』

『いえ、行ってますよ』


なんで行っちゃいけないわけ?
っていうか今のところ2年以上パート行ってるし、その前も働いていたし。
夫が単身になったので、辞めて当然だって思ってる?
わたしは家にいて、娘のフォローちゃんとやれって思ってる?

娘になにかあったら、rimiさんが娘のことほったらかしにして仕事とか行ってるからだって言うに違いない。

まぁ言ってもいいんだけどね。


あー、朝は早起きして神社にお参りに行ったのに、
戻ったら、この電話。

よかったーーー、一緒に暮らしてなくて。
もしいたらずっと家に閉じ込められそう・・・。

今の生活に感謝しなくては!だわ。





あと何回会えるだろう

2015-01-10 | 老いた親のこと
今朝の「マッサン」泣けました。


今回の帰省、
母は脳梗塞で入院中でした。
ごくごく初期で病院にいるほうが顔色もよく元気でホッとしました。

出来る限りお見舞いに行ったものの、
結局横浜に戻るので、今度会えるのは夏の帰省、つまり半年後。

年が明け、実家に行き、
わたしと姉と父の3人で食事をしている時に、
父がボソッと言ったんです。
「お母さんはもっといいところからの話もあった。
なのにうちに嫁いできてくれたけど、苦労ばかりで幸せだったんだろうかと思う」と。
普段母に対してそんなことを口にする父ではなかったので、意外でした。

いつも前向きで愚痴も言わず仕事をバリバリしていた母でしたが、
70前に突然鬱っぽくなり、笑顔が消え別人のようになった時期もありました。
老いていく自分とうまく折り合えないところがあったように思います。
わたしも母と似ているところがあるので、母をみていていろいろ教えられます。

わたしは夫からも言われるのですが、冷たいところがあり、
母にしょっちゅう電話するでもないし、電話してもほとんど用件だけで切ります。
母も似たようなところがあるのでそれが普通でした。
たまにお嫁さんとのことを相談してきても、お嫁さんの味方をすることが多かったです。
母に対してほんとうに優しくしてこなかった。


マッサンは間に合いましたが、エリーなんてもしかしたら一生お母さんに会えないかもしれませんね。

遠く離れていて、親になにごともなければ、日々の生活のことばかりで親のことなんて思いもしないわたし。
ちゃんと育ててもらったのに、なんの親孝行もしてこなかったな。
近くにいる姉や弟、弟のお嫁さんは大変だろうけど、もしかしたら悔いも残らないかもしれないなと思います。
できることはしっかりやったと。
わたしはどうだろう。
離れていてもやりくりしてしょっちゅう帰っている人もいるし、気持ちがあればできないことはないんですよね。

横浜に戻る日、見送ってくれた弟夫婦に
「いつもほんとにありがとう、なんにもできなくてごめんね」と言ったら
弟が「そんなのは気にせんでよか、ただ今親がどんな状態かはちゃんとわかっといてほしい」と言いました。


帰省してからずっと
「あと何回会えるんだろう」そればかり考えてしまいます。
でもその気持ちも、日々の生活に追われて忘れてしまうんだろうな。

自分もこの先老いて、娘と離ればなれで生活することもあるかもしれません。
なかなか会えなくても、病気の時来てくれなくても、
自分もそうしてきたし・・・そう思えるかな。
自信がありません。


夏の帰省2014 ~夫実家にて~

2014-08-15 | 老いた親のこと
今年は休みがとれるかどうかわからない夫は残り、
娘が先にひとりでわたし実家の方へ行き、その後を追いかけるようにわたしも、
そしてお盆前には横浜に戻りました。

わたしは先に夫の実家の方へ4日間の滞在。

この夏も、朝8時前、NHK朝ドラ「花子とアン」がはじまりそうになると、
デジャブかと思えるくらい、例年と同じ会話が(汗)→コチラ
義母はなぜに毎度、義父が観たいから(自分も観ている)・・・みたいな言い方をするのか、不思議。
時間近くになるとソワソワするのは義母なのに。

しかも今回の内容、

はなのお店の開店祝いから戻った蓮子さまに、
義母が「楽しすぎてわたしの夕食も忘れたの」と怒りをぶつけます。
夫、宮本が「お腹が空いたのなら自分で作ればよかったのに」と返すと、
これまた義母が「家事は嫁の仕事」と言い放つシーン。

これを義母と一緒にみていることに、思わず笑ってしまったわたしなのでした。


義父母のそれぞれの実家の仏様参りに、義弟運転の車で義母と娘も一緒にでかけ、
帰りは近くのスーパーで夕食の買い物をすることに。

レジに並んで、わたしの番が来た時に、
後ろにいた義母が「rimiさん、これちょっと」というので、
お母さんそんな(支払いはわたしがしますから)いいで・・と言いつつ振り返ると、
渡されたのは、ポイントカード・・・。

まぁ払うつもりだったからいいんだけどね。

お中元は義弟の好きな揖保の糸を送りました。
だいたい毎回5000円から8000円までの予算で、義父や義弟が好きな日本酒などを送っていたのですが、
今年はネットで注文。
4500円くらいでした。
例年に比べたしかに予算は下げた。

いつもはすぐにお礼の電話が来るのですが、今回はなし。
帰省してもなにもなし。
義母、予算を下げたことを察知したのか!?

お昼は何食べようかという話になり、
義母が、そういえば・・・と親戚から届いた木箱に入った揖保の糸を持ってきました。
開封し「あら~、2段入ってるわ~」なんて言いながら。

わたし思い切って「うちも今年はそうめん送ったけど、届きました?」って聞いたら
「あ~届いてたよ、ありがとう」と一言。

うちのはきっとしょぼかったんだろうね。
ちきしょーーーー!来年は5段を送りつけようかしら。

なーんて言いつつも、義両親が元気でいてくれてほんとに有難や~です。

行く前は長ーーーーーく感じられた夫実家での4日間でしたが、過ぎてしまえばあっという間。
申し訳ない気持ちになりつつ、今度は自分の実家の方へ移動です。