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you are my sunshine

40代でblog始めてあらもう60代。
光陰矢の如し。年が明けたらあっという間に年の暮れ。

服を買いに行けないのよ。

2020-03-07 | 老いた親のこと
義父の誕生日にベストを送っていたので、
届いたよと義母から電話がありました。

なかなか服の買い物にいけないので、助かったと。
すぐ近くにショッピングセンターがあったのですが、
すこし前に閉店となり、今はコンビニしかありません。
イオンみたいなお店は車で30分くらいかかります。
義弟が買い物に連れていってくれているのですが、
服をゆっくり選ぶのは申し訳なく思うのかな。

今回義母の話を聞くまでは困っていることは知らなかったので、
また慌ててネットで検索して、義父はデイサービスを利用しているので、
着脱しやすいスラックスやシャツなどをいくつか選んで送りました。

ほんとは3月くらいに帰って、
義母の買い物にも付き合おうと思ってました。
姉からも、春に父を花見に連れていこうとも言われていたし。
それがこのコロナ騒動で、飛行機に乗る気になれず、
チケット予約もまだやっていません。
3月の帰省は難しいかな~。

早く終息してほしいものです。

電話で義両親が、夫にも代わってと言っても絶対に出ない変なやつなのですが、
わたしが義父母に優しくすると嬉しいのか、
買ってきた高級な瓶ビールを、珍しく
「これ美味しいよ、飲んでみる⁉️」と少しだけ分けてくれました。

親が認知症になれば、親のお金は使えない!

2020-02-16 | 老いた親のこと
知りませんでした。
認知症になれば、死亡と同じく金融機関の口座は凍結されてしまうのですね。

うちは姉が、父が脳梗塞になってなんとなく物忘れもひどくなってきた時点で、
預金などを父の許可を得て、母や弟と一緒に少しづつ整理してくれていました。

ただ株はわずかだったので放置していたようでした。

父は国民年金で、足りない分は預金を取り崩しています。
学費などと違って、いつまでと期限がないのが介護費用。
現在85歳で認知症の父も、あと15年生きることだってあります。

株もたいした額ではないのですが、現金に変えておけばよかったねと話しています。
もし現時点で取引(売る)するなら、成年後見人を立てないといけないようです。
それがすごく面倒で、手続きに2~3ヶ月はかかるし、書類もたくさん書かないといけないみたいです。
結果、家族ではなく、弁護士とか第三者が選ばれることもあるらしい。
そうなると毎月最低でも2万の謝礼が必要で、途中で断ることも担当を変えることもできないらしい。
なんか恐ろしいです。

わたしもそして夫だって、最悪いきなり認知症になることだってあるわけですよね。
もし夫がそうなって、施設の入所費用を夫の預金からと思っても、凍結で引き出せないなんて怖すぎます。
かといってわたしの通帳に全部入れておいたら、わたしが認知症になったらどうするんだろ?
これだけ世の中認知症増えているんだから、金融制度もっと柔軟にやってほしいわ。
お金がないひとが、ますます出費しないといけない(後見人制度の報酬払いとか)なんて、どうにかしてほしいわ。

うちは高齢夫婦なだけに、まだ若い娘に介護のお金のことで迷惑はかけたくないし、
先の事だと思わずすこしづつ勉強しておこうと思いました。

NHKクローズアップ現代プラス「親のお金が使えない!?」→コチラ

家族信託→コチラ

こういうのもっと知らせてほしいな。
でも当事者にならないとピンとこないですよね。
わたしがそう、興味ないから情報も素通りしてたんだと思います。

お金があるひとは問題ない話かと。
それにしても生きていくには、お金なのですね(涙)

子どもにお金は残せなくても、自分たちの老後の金銭的な迷惑だけはかけないようにしようと、
友人とも最近よく話します。

世知辛い世の中、ほどほどの寿命で逝きたいです。


※ケアマネをやっている姉いわく、
以前は親族より第三者になることが多かったけど、
2019年4月くらいに、逆になるだけ親族にって変わったみたいよって。


この方のブログが参考になるかと思います→コチラ

姉が勉強のために成年後見人の手続きをやってみるそうです。
姉の友人にふたり成年後見人をやっている方がいて、なんでも教えるからやってみてと言われたそうです。

さっそく親族の意見書という書類が姉から送られてきました。
わたしは次女で、本人の後見を開始することに賛成である。候補者(姉)が選任されることに賛成である。
っていうところにレ点を入れて、記名して送り返しました。
さて、姉は父の成年後見人になれるのか!?

サイドボードの父の写真に思う

2020-01-24 | 老いた親のこと
福岡に帰省してました。

仕事を終えて、そのまま空港に向かいました。
夜遅く実家に着いて、翌日は夫実家に。
義父はデイサービスに出かけていて不在。
義母とお昼ご飯を食べながら、久しぶりにゆっくり話しました。
もう来年は会えないかもしれないと義母が別れ際に言いました。
そんなことは初めてでした。

義父89歳、義母85歳、いつそうなってもおかしくない。
わたしの両親も父が85歳、母は81歳。
幸い4人ともまだ健在ですが、皆80を超えてしまいました。

父は、12日間ショートステイ(ロングだけど・・・汗)
3泊自宅のサイクルで過ごしています。
自宅にいるのはひと月のうち6日程度です。
だから家族は助かっていますが、
家にいると朝起こして、トイレに座らせ、おむつを替え、着替えさせます。
伝い歩きですが、台所まで自分で行けます。
食事は自分で食べますが、歯磨きは手伝います。
あとはリビングのソファに1日座ってテレビを見ています。
オムツをしていても必ず布団を濡らすので、朝は、おねしょシーツとタオルケット、
フトンカバーなどを洗います。倉庫に2層式の洗濯機があるので、それが大活躍。

近所の神社に、母と姉と一緒に父を連れてお詣りにでかけました。
車いすも用意しましたが、お天気も良く、自分で歩くというので車いすを押して歩かせました。
久し振りの家族での外出だったようです。
暖かかったので、神社のお庭でお弁当を食べて、4人でのんびり木々などを眺め帰ってきました。

自宅のリビングのサイドボードの上に、
父がお世話になってる施設でいただいた色紙が3枚ほど飾られていました。
誕生会や行事で撮ってもらった写真が貼ってありました。

その写真は、父が鬼の角のついたアフロヘアのかつらをかぶったものや、
髪の毛がない父の頭の上にキラキラのポンポンを載せられて撮ったものでした。
父は目をつぶって寝ているようでもありました。

それをみて思いました。
「うちのお父さんをおもちゃのようにしないで」

そんな写真を見て屈託なく笑える人もいると思います。
でもわたしは笑えない。
まるで赤ちゃんか幼児に、
ハロウィンとか、あるいは写真館で七五三の写真撮影で仮装させているような感じ。
認知症とはいえ、80代の大人。
職員さんたちはウケるかもしれないけど、わたしは不愉快でした。

姉に言うと、
私もそう思うよ。
でもお願いしている以上、仕方ないやん。
それに、父には(そういうこと)しないでくださいって言って、
お父さんだけ行事に混ぜてもらえないのも可哀想だしね。

たしかにそう。
たった2日だって父のお世話は大変なのに、
毎朝起こして寝かせるまで全部やっていただいていて、どれだけ有難いかわからない。
それを考えると、そんなことしてほしくないなんて言えない。

朝、父を迎えに来てくれた若い女性の職員さん。
笑顔で父にしっかり身体をくっつけて車に乗せてくださった。
仕事とはいえ、自分の身内でもない老人を気持ち悪いというそぶりさえみせない。
そういう方たちに支え助けられて、父や母、そしてわたしたち家族は生活を送れているのだ。
有難いと心から思う。

でも・・・それでも「でも」がでてしまいます。

少し前にNスぺで認知症の第一人者の医者が認知症になったドキュメンタリーを観ました。
その先生は、家族が少しでも楽になるようにとデイサービスを考えたのに、
実際に自分が通うことになって、もう行きたくないとおっしゃった。
自分が体験して初めて、利用する本人の気持ちがわかったのではないでしょうか。

彼はこう言いました。
「本人がなにをやりたいのか、なにをやりたくないのかきいてほしい」

父は、施設でどう思いながら過ごしているのだろうか。

この先、症状がもっと進んでくれば、
施設に行く行かない以前に、布団から起き上がってくれない時が来るのでしょうかね。

母も年々弱ってますし、
父をずっと施設にお願いする日もそう遠くはないのかもしれないなと思いながら、帰ってきました。


令和だから

2019-05-03 | 老いた親のこと
平成から令和へ。

GWではなくPW(プラチナ)らしい休日の前半は、福岡へひとり帰省しておりました。
肘を骨折した母が退院するので、様子伺いへ。

母の部屋を片付け、カーテンを洗い、準備を整えて、
姉と、病院へ母を迎えに。

同室のおばちゃんたちにご挨拶したら、
隣のベットの方が姉に『お母さんに優しくしてあげてね』って。
病院を出た後に姉が『いつもお母さんを怒ってたからね~』ってニガ笑い。

母は朝夕、仏壇や神棚にお参りするのですが、
退院した翌朝、ヨロヨロしながらロウソクに火をつける母を後ろから見て、
これは危険だと思い、姉に相談したら、即行動の姉。

退院祝いに3人でランチして(父は施設にショートステイ中)
その帰りに、
『お母さん、もうロウソクは危ないから、電気のに替えようね』
『お花や榊も花瓶を持ち上げて替えるのは大変だから、それも造花にしようね』
『時代は平成から令和に代わるし、
仏様のお守りも令和に(年よりに)あったやり方に替えても、ご先祖様は怒らないよ』と言い聞かせ、
仏具店へ。

ロウソクは、押せば明かりが灯り、放っておいても10分後には自然に消えるものに。
仏花や榊も、本物か!って思うくらいの造花を購入。
以前はいかにもプラスチックってものだったけど、技術が進歩したんだって。
お盆や新年、法事の時は生花にして、普段はこれでいいねってことにしました。
仏花と榊は、月に2回配達してもらっていたけど、これを機にお断りすることに。

平日のお昼は、お弁当を配達してもらうようにも決めました。

母も「そうね、そうね」と言いながら、娘たちのいうことを聞きます。
逆らうと怖いので(笑)

夫実家にも顔を出しました、少しの時間ですが。
叔母がグリンピースをたくさん持たせてくれたので、
義母と一緒にピースご飯を炊いて、コロッケをたくさん作って持っていったので、
義両親と3人で夕食を食べて帰ってきました。

そうそう、父とは、姉と甥っことわたしの4人でカラオケに行ったのでした。
父は歌わなかったけど、手拍子をしながら笑っていたので、連れて行ってよかったです。

6日間いたのですが、2日間は飛行機での移動でつぶれるので正味4日間。
これからは夫がずっと横浜にいるので、帰省も増やせそうです。



30日と1日は、母と姉と一緒に、
退位やら美智子さまのドラマやら、即位の様子をずっとテレビでみてました。




雅子さまの晴れやかな笑顔。
長い長いトンネルを抜けられたのかな。



羽田でみつけ買って帰りました。




『令和』
新しい時代が始まりました!

夫からの連絡

2019-04-17 | 老いた親のこと

福岡の実家に帰省中の夫から電話が。

わたしの実家に顔を出した夫。
父は、夫のことがわからなかったらしい。
当然だと思う。
もう何年も、夫はわたしの実家に行ってなかったから。

弟が『○○(わたし)の旦那さんの××さん(夫)やんか(だろうが)』って説明したら

『○○(わたし)・・・・・・・・・・・・・わからん!』

って言ったらしい。

でもニコニコしてたぞって。


お父さん、ボケたふり!?

母が入院

2019-02-19 | 老いた親のこと

81歳の誕生日を迎えた昨日、
高い所に干していた洗濯物を取り込もうとして、踏み台から落ちて、
肘を骨折して母が入院したと、
今朝姉から連絡が。
手術をするらしい。

年寄りあるあるだわ。
骨がもろくなってるんだろうな~。

ボケるといかんから、なるだけ早く退院させないとと姉。
仕事休んで付き添ってる模様。

今のわたしが一番ヒマなのに、なんの役にも立たない不甲斐なさ。

夫実家も気になって電話してみたら、
義父は要介護1で最近週3回デイケアに行き始めたらしい。

『お義母さんはどうですか?』って聞いたら、
『あたしは元気よ、走り回っとる』って。

今週末、85歳になる義母。
義父は3月で89歳。
元気でいてくれてありがたいけど、こっちも超高齢だけに・・・。

夫が3月いっぱいで退職したら、しばらく実家に帰るらしいから、
しっかり親孝行してきてほしいけど、
なんとなく義母の仕事が増えるだけのような気がする。

母と叔母がやってきた その1

2018-10-06 | 老いた親のこと
福岡に住む母と叔母(母とは12歳違いの妹)がやってきました。

80歳の母なんで、もう横浜に来ることは無理だと思っていました。
父は認知症で要介護3なので、もっと無理。

夏の帰省の時に、横浜に家を買ったことを叔母に伝えました。
叔母が「rimiんとこに、お祝いもって家をみに行かないといけないね」と母に言ったのを、
わたしの姉が聞き逃さなかったらしく(笑)
即効わたしの予定を聞いてきて、
叔母もOKだというので、すぐさまチケットを取ったそう。

姉も時々、わたしのところに遊びに来てくれていたのですが、
老親と老猫介護が始まり、マシュウ(猫の名前)をひとりにしておけないからと、
ここ数年旅行にも行かなくなりました。
そんな時、叔母が一緒に行ってくれるというのを聞いた姉は、
思い立ったらさっさとしないともう先はないからと、
計画をどんどん進めてくれました。

ちょうどいいタイミングで、母の保険が満期になったらしく、
姉が母に
「お母さん、オレオレ詐欺にひっかかってお金無くしたり、買い物していらんものを増やす必要ないよ。
お金はね、これからは楽しい思い出作りに使わないとね」と話して聞かせ、
「心置きなくどんどんタクシー使っていいからね、
おいしいものもいっぱい食べさせて」と、
わたしの口座にまとまったお金を振り込んできました。
もちろん母のお金(汗)

よっしゃーーーー!

4日間滞在の初日は、予定していた飛行機が欠航。
早朝ANAのHPを確認したら、台風ではなく機材の都合で欠航となっていたので、
すぐさま姉に連絡。
姉がHP上で変更手続きをしたものの、心配だというので、
だったら佐賀空港に行ってみてほしいとわたしがいうと姉はすぐ動いてくれました。
車で30分ほど。

早割で買っていたので、変更するとなるとノーマル運賃になるのかとビビりましたが、
料金はそのままで、しかもお待たせしたのでと3000円ももらったそう!

そういうわけで、無事に変更した夕方の便で、母と叔母が羽田に降り立ちました。

到着口で待っていたのですが、到着便の乗客がどんどん出てきて、
しばらくしてゲートで荷物を受け取ったひとたちも出てきました。
なのに母と叔母がいっこうにでてこない。
荷物は宅配便ですでにうちに届いていて、すぐに出てこれると思っていたのですが、
羽田は広いので母に車椅子を姉が手配していたみたいで、
かなり遅れてでてきました。

でもニコニコの母と叔母の顔を見てホッとしました。

それから電車で移動、横浜の自宅に着いたのは、19時くらいでした。

続く。



母と叔母がやってきた その2

2018-10-06 | 老いた親のこと
2日目、娘は学校の研修旅行でカナダに出発。

横浜駅で娘とわかれて、わたしたちは叔母の希望で築地へ。

東銀座で降りて地上の出口に向かっている途中、歌舞伎座のお土産物売り場があったので、
ちょっと見てみようかと寄り道。
母もトイレというので、連れて行く途中に、一幕だけみられる一幕席のことが書いてある看板に目が留まりました。

1300円で、ちょうど30分後に中村勘九郎「大江山酒呑童子」の演目が観られるということで、
チケット売り場へ。
幸いまだ席も残っており、思いがけず新歌舞伎座での歌舞伎をみることができました。



修学旅行以来だと、嬉しそうな母は5回くらい言ってました(笑)


そして築地へ。
会社のパート仲間の娘さんが築地でお仕事をされていたので、
おすすめのお寿司屋さんを教えてもらいました。
まずそこへ。

場外市場を歩きながら、目的の寿司屋を目指します。
母は、立ち並ぶお店のひとつひとつが興味津々で覗き込んだり立ち止まったり。
なかなか先に進まず(笑)

「つきじ鈴富 すし富」というお店です。
江戸前のおいしいお寿司をいただきました。



シャリが小さいので、年寄りにはちょうどいい量で、全部満足して食べてました。


波除神社でお参りを済ませた後は、
もうすぐ閉鎖される場内市場を散策。
吉野家第一号店の前で記念撮影。

場内外市場は午後3時くらいになると閉まるお店も増えてくるので、ひとも減ってきます。
叔母はもう少し見て回りたいようなのですが、母は歩くのがちょっときつそう。
場外休憩所で、母だけ椅子に座って待ってもらうことにしました。
トイレの場所も教えました。
叔母とわたしは15分ほど場外をみてまわり、母の所へ。

隣にある築地本願寺にも立ち寄ってみました。
お寺なのに石造りの建物の中で、どこか荘厳な雰囲気とお線香の香りに包まれながら、
しばし椅子に座って、疲れを癒します。
同じようにサラリーマンとかキャリアウーマンらしきひとたちが、目を閉じて休んでました。
都会で働く人たちの穴場的オアシスなのかもしれませんね。


休憩した後は、日本橋千疋屋総本店のフルーツパーラーでお茶。
思い思いに食べたいものを選びます。


母は国産和栗の渋皮煮パルフェ



叔母は秋のマロンプレート



そしてわたしはフルーツアフタヌーンティセット



普段はデパートに入ってる新宿高野の1,500円のパフェさえもったいないと食べることもないのに、
今回は母のおごりなんで、もう来ることもないだろうからと贅沢に一番高いものを注文しちゃいました(笑)

1階のフルーツ売り場で、考えられないような高値がつけられた果物を見てまわり目の保養。
とある女優さんもお買い物してました。
ただ千疋屋のフルーツは、わたしの口には高級すぎたのかピンと来なかったです。
一度行けば十分かな。

叔母が日本橋三越をみたいというので、移動。
ぢょうど木彫りの作品展をやっていて、
森川萌木さんというまだ21歳という男性作家の作品に魅かれました。
叔母からいただいた新築祝いで、
猫を抱いたかわいい男の子の作品を購入することにしました。
見るたびに、今回の楽しい旅行のことも思い出せる気がして。




2日目は、母の幼馴染が藤沢に住んでいて、ぜひ遊びにきてと誘っていただいたので、
そちらへ。
立派な会席を用意してくださっていて、
お土産にとわたしにまでクルミッ子の菓子折りをいただき、
これから鎌倉に行くと伝えると、ご主人が車で長谷まで送ってくださいました。
海岸沿いを走ってくださって、おかげで江ノ島も母に見せることができました。

長谷の大仏をみて、鎌倉駅まで江ノ電で移動。

小町通を歩きながら、これ可愛いね~なんて、
途中いろんなお店に入ってみたり、栗のソフトクリームを食べたり。
鶴岡八幡についた頃には母に疲れがみえたので、なかには入らず鳥居の前でお参り。
鎌倉彫やクルミッ子のお店で、家族や御近所へのお土産を購入。

北鎌倉へも連れていきたいと思っていたのですが、足が悪い母なので、歩くのにもとても時間がかかり、
観光タクシーをお願いしても、鎌倉のお寺は石段が多いので、中に入るのは難しい。
どうしようかと思いながら若宮大路を歩いていたら、人力車が目に留まりました。

年寄りで歩くのがつらいので、降ろさなくていいから、
八幡様以外の名所を1時間だけまわってほしいと伝えました。

これがよかった。

平日の4時過ぎなんで、歩いている人も少なくなっていたし、
だんだんと夕暮れに向かっていく鎌倉の裏通りを、人力車はスイスイ走り、
頬を心地よい風が撫でていきます。

乗る前は、人力車だなんて(目立って)恥ずかしいと言っていた母も叔母もとても喜んでくれました。
乗り心地もよくて、
人力車のお兄さんたちは優しいイケメン。
引きながらずっと観光案内もやってくれて、
ガイドブックでは見落としそうな穴場の名所に連れて行ってくれ、
要所要所で写真も撮ってくれ、100%大満足でした。





日も落ちた頃、横浜に移動。
大さん橋からみなとみらいの夜景をみせて、中華街で食事をしてと、
めいっぱいその日も遊びまくりました。

母と叔母がやってきた その3

2018-10-06 | 老いた親のこと
4日目は、家でゆっくりして、お昼前に空港へ向かいました。
途中カメラで撮ったものをプリントして、アルバムを作って二人に渡すこともできました。

空港につき、母の車椅子をお願いしようとカウンターに向かっていたら、
「お手伝いが必要な方へ」と書かれたブースを叔母がみつけ、そこに行ってみました。

なんとそこで搭乗手続きができるんですね。
長い行列に並ばなくていいとは。
赤ちゃん連れや年寄り、障害を持った方に配慮がされてることを知りました。

出発の40分前くらいの指定された時間に、
車椅子のマークがあるカウンターに来てくださいと言われました。
飛行機の離発着が見えるカフェで、遅い昼食をゆっくり済ませ、お土産をみて、
向かったら、車椅子を押したスタッフの方が現れて、
母と叔母はそのまま手荷物検査になるみたいで、そこでお別れとなりました。

母も叔母もわたしも大きく手を振り、三人とも泣きそうになりながらも笑顔でお別れ。

楽しい楽しい4日間でした。

夫も娘もいないので、おもいっきり3人で自由でした。
叔母は、私たちちゃんと一応部屋着も持ってきたんだからねっていいながら、
パジャマでゴロゴロ。
夫や娘がいたら、ふたりは部屋着に着替えてから朝食を食べたと思います。
朝はパジャマ姿で3人リビングでラジオ体操。
夜も遅くまでお菓子食べながらおしゃべり。

母、叔母の三人で旅行なんて初めてだったし、
ついこないだまでずっと鬱っぽくて、笑顔も少なく、外に出るのも気の進まなかった母が、
横浜ではずっと笑ってました。
昔から母はよく笑う人だったので、あーいつもの母に戻ったな~と嬉しかったです。

藤沢の幼馴染の方も、母とは短い間ですが、姉妹のように母の実家で一緒に生活した仲で、
その方は幼い頃から、住む家もないくらいとても苦労されたそうです。
でも今は藤沢の静かな住宅地に、庭や広い縁側もある居心地のよさそうな住まいを構え、
穏やかにご主人と暮らしていらっしゃる様子に、
本当にここで会えて良かったという母と叔母とおばさんと3人、抱き合って涙ぐんでました。

そのおばさんが「ひろ子ちゃん(母)だけがずっと優しかったんだよね」って言ってくださって、
バリバリ気の強い母が、若い頃はひとにも優しかったんだと見直したり(笑)
「お母さん、よかったね~。会いたいって言ってくれる人がいて。
ひろこちゃんとは二度と会いたくないなんて言われなくて」と叔母と笑いました。

鎌倉の街を、
ますます小さくなった母と大人になってこうして手をしっかりつないで歩くなんて、
こんなことは初めてだな~としみじみとしたなんともいえない気持ちになりました。

わたしも母も年取りました。
これが最後かもしれない。

でも姉も誘って、また4人でどこかいけたらいいな、
そんな気持ちでいます。






夫実家のエアコン問題

2018-07-30 | 老いた親のこと
この殺人的な暑さの中、
夫実家には茶の間しかエアコンがありません。

義両親の部屋も義弟の部屋もエアコンなし。
さすがにこの夏は尋常じゃないのでつけたかもって思って電話したら、
相変わらずつけてないんだって。

義母曰く大丈夫だって。

なんでー。死んじゃうよー。
よかったらこっちで負担するからつけてほしいと言っても、
大丈夫を繰り返すばかり。

別に始末しているわけじゃないように思います。
義弟は以前大手電機メーカーに勤めていたので、
電気関係も詳しく、
夫実家には最新の大型テレビ、茶の間のエアコンも立派なものがついてます。

なのにそれぞれの部屋にはつけない。
なぜ?

山間部なので、昔は涼しく夏は朝晩は寒いくらいでした。
でもここ数年どこも同じように暑いわけで。

夫にも言いました。「あなたからも言ってよ」と。

なのに夫は「ひとのいうことを聞かずにそうしているんだからそれで死んでも仕方ないだろ」って。

なに!その投げやりな発言。

頼りの義弟自身が、
義両親が過去に何度も(義弟に対して)エアコンつけたら、つけてあげていいからって言ってるのに、
かたくなにつけようとしないって愚痴っていたのを聞いてるので、義両親に言ってくれるはずもない。

っていうか、だいたい夫も義弟もなんでお互いに連絡しないんだろ。
ほんと不思議な兄弟だわ。


よっぽどわたしが夫実家の近所の電気屋さんに手配して勝手につけようかとも思うけど、
一緒に住んでる義弟が不愉快に思うかもとそこまで強行突破はできない。

また今日も様子伺いに電話してみたら、ラッキーなことに夜勤明けの義弟が出た。

義弟も気にはなっていた模様。
ただ義実家は自宅と作業場のふたつ電気をとっているらしく、
自宅のほうは30アンペアと低いので、そこらへんがどうとかこうとか。
単純に40とかにあげればいいのではと言ってみたけど、う~んと。

それよりも兄貴たちが帰省した時の2階(夫の部屋のエアコンが去年から壊れている)が心配と。
どこまで兄思い・・・。
(少し前に夫の部屋のテレビが壊れた時も、義弟が新しいテレビを設置してくれていた、年にたった10日もいないのに)


1年にたった2回しか帰省しない部屋になんてつける必要ないからお父さんたちの部屋につけてほしいとお願いした。
今年もわたしと娘は夫実家に行くけど、泊まるのはやめます。(夜、2階で死にたくないので)
夫は夏は実家には帰省しないそう。秋に帰る予定なんだとか。

義弟に「エアコンつけずに亡くなったなんてことになったらずっと後悔しそうだから、お願いします、
いつもなんにもしてないから、エアコン代は出しますから」と言ったけど、
「いやいや~それは(お金は)大丈夫だから~」って。

とりあえず義弟と話せてよかったのだけど、
そんなに難しいことなのかエアコンひとつつけるのがって思うわたし。

一緒に住んでないんだから、いろいろ口出ししてはいけないんだけど、
死人も出てるし、ひとつ何百万もするもんじゃないし、
今日にでも手配したいんだけど。

そういう風に自分の思い通りにならないことにイライラするわたし。
子どもっぽいのか?


さて、8月に帰省した時、義両親の部屋にエアコンがついているやら!?


終活とエンディングノート

2018-03-07 | 老いた親のこと
1月の帰省で、母の部屋を、
2月の帰省で、父の部屋を姉と断捨離してきました。

父は本が好きなのですが、もう読まないというので全部処分。
姉が図書館に電話して、引き取ってもらえないか相談したところ、
みせてもらって判断しますとのことでした。
だったらもう資源ごみにだしたほうがお互い手を取らずにいいねとなりました。

整理しながら、へぇ~こんなのを読んでいたんだな~と父の意外な嗜好を発見。
(なぜか手品の本が出てきた、一度も披露してもらったことない)

認知症になる前は川柳教室に通っていて、
詠んだものがたくさんノートに書きつけてあり、
それはなんか見てはいけないような気がしてそっと閉じました。

日記もずっとつけていたので何冊もあるのですが、
どうするか父に聞いたら、
そのままにしておいて、死んだらわたしたちが好きにしていいと。

わたしは絶対嫌だ。
今回の引っ越しで、手紙やら本やらいっぱい処分しました。
日記はつけてないけど、もしつけているものを家族に見られたら嫌だわ~。

あらっ、このブログ・・・家族どころか全世界に向けて公開していたわね・・・。
でもまぁ見られる前提のブログと絶対に誰にも見せない日記は違うしね。


市が作成したエンディングノートを、姉が親に見せていました。
薄いので書きやすいのです。
でも父はそんなもの書きたくないと言ってました。

姉も、いろんな思いの方がいるから、エンディングノートを勧める場合は慎重にしないといけないと言ってました。
自分の親には違うくせに(汗)

遺影の写真も決めました。
金婚式にふたりで写っているものにしてほしいと母がいい、父もそれでいいね(強引)と。

父は「なんでんよか、死んだ後はもうどうされてもわからん」と言ってました。

男はどうでもよくて、女は思い入れがあるのでしょうかね~。
これまたひとそれぞれか。

55歳、わたしだっていつなにがあるかわからないわけで。

エンディングノートかぁ~。
まだしばらくはいいかな~。

もし急に何かあったとしても、
恥ずかしいものが残ったとしても、
父が言うようにもう死んでいるんだからどうでもいいね!


郵便局で

2018-03-07 | 老いた親のこと
手続きが終わるのを待っていると、
「今日のご用件はなんでしょうか?」と局員さんの大きな声が聞こえてきました。
思わずそちらをみると、
80代くらいの上品なおばあちゃんが窓口にいました。

すこし耳が遠いようで、局員の若い女性が普段より声を大きくして接客されてました。

おばあちゃんはすぐに答えないで「う~ん、わたしちょっと体調がよくないのよ」と言いながら困ったような顔。
引き出し用紙と通帳をみせて、どうもお金をおろしたいようでした。

いくらおろすのか聞かれると、手を使って、片手を広げた後、○をふたつ書きました。

局員さんが「失礼ですが、このお金は何に使われますか」と尋ねると、
おばあちゃんはなにか答えていたようです。

すこしして局員さんが「昨日いらしていただいてたのですね、ご用意できてます」と言って、
「お持ちになるのですよね、おひとりで大丈夫ですか」と心配そうに聞いてました。

おばあちゃんは「近所だし、大丈夫よ」と答え、
局員さんがこちらへどうぞと、厚い札束を紙でくるんだものを片手に、
おばあちゃんを、個別ブースに案内。

厚さが500万以上のような気がした(汗)

おばあちゃんも移動。
そしたらすぐにおばあちゃんがブースからでてきて、
座っていた椅子のほうへ。
バッグを置きっぱなしでした。

大丈夫か、おばあちゃん。
わたしがこっそり後をついて行って、無事におばあちゃんが家に入るまで見届けたい、そんな気持ちになりました。
でもわたしのほうの手続きはまだ時間がかかりそう。
おばあちゃんが無事に家に帰りつくことを祈るしかありませんでした。

おばあちゃんと実家の母がだぶってしまいます。
実家の母も、ひとりで郵便局に行ってるようです。

親は高齢だし、いつどうなるかわからないので、
そろそろ通帳の管理のことなども、親に話したほうがいいのではないかと、
弟にも夫にも話したのですが、ふたりは全く同じことを言いました。

「親のお金だから、こっちからはなにも言えない」
「もしなにかあっても(オレオレ詐欺とか死亡後通帳がどこにいくつあるかもわからなくても)親のお金だから、それはそれで仕方ない」と。

なんなのでしょうね。
死んだ後とかはいいけど、オレオレ詐欺とかにだまされて無一文になったら、こどもにかかってくるわけだし。
そういうことは男は考えないのか不思議です。
わたしが現実的なのか。

日本は超高齢化社会なんだってどこに行っても実感するようになりました。
銀行とか郵便局とか役所とか病院とかいろんな窓口で対応する人は、高齢者を相手に苦労も多いと思います。

レジで前がおばあちゃんだと必ずといっていいほど時間がかかります。
お財布から小銭を出すのもひと苦労。
バリバリのせっかち人間のわたしはイライラするけど、すぐに思い直します。
55歳のわたしもそう違わないじゃないかと。

人生100年時代だとか。
元気でも、ほどほどの寿命がいいのかもな~。


「わからん、知らん、忘れた」で生きていくことにした父

2018-02-28 | 老いた親のこと
週末から4日間、福岡の実家に帰省していました。

同じ福岡の義母が2月24日誕生日、3月4日は義父の誕生日、
しかも義父は米寿なので、ふたりにお祝いを届け、
それ以降はずっと実家で、父と母と過ごしました。

弟が結婚して15年くらいなんですが、
その15年間は弟夫婦が同居していてくれたので、あまり父母の世話をすることも、
ゆっくり話すこともなかったです。

いいお嫁さんですが、やはり小姑として、それなりに気を遣うわけですよ。
あまりいろいろすると、お嫁さんにあてつけているようなことにもなりますしね。

それが昨年末にいろいろあって、しばらく別々に暮らすことになりました。
それはそれで問題なのですが、
今までは実家に泊まることもなくなり(姉のところにお世話になっていた)
帰省中もいつのまにかなにも手出しはしなくなりました。
だから父や母に存分にはできなかったことをやってあげたくて、
1月、2月と続けて帰省し、久しぶりに実家に泊まり一緒に過ごしました。

嫁姑問題で度々もめていたのですが、年末にお嫁さんが、
「お義母さんが変わってくれるまで、でていきます、反省したら迎えに来てください」とでていったのです。
もう80の年寄りが変わるわけないんです。
お嫁さんは自分が正しいという思いが強く、
相手を変えようなんて無理な話なんですが、
お嫁さんはそこにこだわる。
まぁお嫁さんのそんなところも変わらなくていいと思うけど、
お互いいがみあって生きていくのはきついですよね。

弟が、嫁と姑のあいだをうまくとり持てないという甲斐性がないのが一番問題なのですが・・・。

ゴタゴタしながら15年。
その間に父は脳梗塞になり、すこしづつ認知症がでてきて、現在要介護2。
どうにかまだ自分で歩けるし、食事もできます。ただオムツです。
週に4日くらいデイサービスにでかけ、
1週おきにショートステイ。
家にいるときは、母がすべて父の世話をしています。(お嫁さんと同居しているときから)
オムツをしていても、朝方おしっこを布団に漏らすことが多く、洗濯物の量がすごいです。
それを老いた母がひとりでやってます。
ふたりでトイレであ~だこうだ言いながら、父の排せつや服の着脱の介助をする母。

父はいつもほぼ目を閉じていて、話好きだったのに、ずっと黙ったまま、ソファに座って1日過ごしています。
なにか聞いても『わからん、忘れた』が口癖になってしまいました。

父と母、姉と、弟と、わたしの5人で、お昼ご飯を食べながら、いろいろ話しても、
父はずっと黙ったまま。
なにか聞くとやっぱり『忘れた』か『わからん』

でもふたりの時に「お父さん、(でていってしまったけど)どう思うね?」って聞いたら

「それでよか、なるごとしかならん」と言いました。

日曜は朝ごはんを11時くらいに食べて、それからずっとキッチンの椅子に座っていた父。
叔母(母の妹)も来てくれて、姉もいて、みんなでまたキッチンでおしゃべりして、
夜ご飯もそこで食べて、一日中キッチンの椅子に座っていた父。
叔母も姉も帰り、母もお風呂の準備をしだしたので、
父に「お父さん、そろそろ部屋に行こうか、ちょっと横になりたいでしょ?」と聞くと
「ここでよか」というのです。
「朝からずっとここにいるやんね、きつくないの?」って聞くと
「徒然(とぜん)なかやっか(淋しいじゃないかという意味)」(わたしの田舎の筑後あたりの方言)

ウッときました。
お父さん、淋しいんやね。皆で話せてうれしいんだね。

お嫁さんと孫がでていったこと(弟は夜だけ帰ってくる)も、もめていることもわかっているけど、
体も思うように動かず、ひとからお世話をしてもらう身になった父。
余計なことは言わず、自分なりに迷惑をかけないようにしていこうと思ってるんだろうな。

父に「いろいろあるけど、みんなそれぞれちゃんと生活しよるし、元気でいるからね」というと、
「わからん」が口癖の父が「そっか、それはよかった、ありがたかね」と。

友人たちとも集まりました。
皆、夫の両親と同居や敷地内同居していて、その親たちも何人か見送ったり、
現在も、老いた舅や姑、自分の親を抱えています。
でも会えばいつも大笑い。わたしの愚痴話も聞いてくれます。
ほんとにありがたい。
新築祝いも用意してくれてました。
福岡と横浜、離れているので披露もできないのにごめんねというと、
「皆で遊びに来るけんね!」と言ってくれました。
夫のこと、子供のこと、実家のこと、なーんでも話せる友達で、
会えば元気になれます。

おもしろいことに、わたしが帰省した日、母(80歳)も高校時代の友人たちと集まる日だったので、
近くの簡易温泉に姉と送っていきました。

母も高校時代の友達と60年以上ずっと仲良くしていて、
1月も7~8人くらいで集まったのですが、
そのなかでわりと近くにいる数人が、母がいつもと違って元気がなかったようだったからと心配して、
また2月におしゃべり会を設けてくれたよう。
ありがたいことです。
母もそういう優しい友達がいてよかったな~と思いました。
そしてわたしも、80になっても同じように友達と集まれたらいいなと思います。

友達が「笑いと掃除と感謝だよ」って教えてくれました。
心に留めておこうと思います。


夫の親のことも考えます。
今回、夫実家のほうに行くことも往復2時間だしちょっと面倒くさいなって思っていて、
実際に夫実家には、2時間もいなかった。
でもまた実家に戻って、親の世話をしていると、
自分の親のことばかりで、義両親のことはほったらかしでも、
それを許してくれている義両親や夫や義弟に感謝しないとな~と思いました。







実家の庭の梅が、綺麗でした。
母に「梅って最近植えた?前なかったよね」って言ったら、
「ずっとあるよ」って笑われました。
たまには庭も掃いていたはずなのに、なにをみてたんだろう、わたし。


気丈で弱音を吐かない母ですが、
友達の前ではまた違う姿をみせているのかな?

父の顔を温かいタオルで拭いてあげながら、
毎日してあげたいなと思ったり、
毎日だとあ~面倒くさいと不満も出てくるんだろうなと思ったり。



笑わなくなった母。
どうにかならないもんかね~。





「ケンタ、お父さんやお母さんのこと頼んどくよ」



ラジオ文芸館 「みぞれ」

2018-01-28 | 老いた親のこと
1月27日ラジオ文芸館は重松清・作「みぞれ」でした。


小さい頃は怖かった父が、今は脳梗塞で体も思うように動かせず、しゃべることもできず、ただ椅子に座って一日を過ごしている。
そんな父の面倒をみる年老いた母。
久々に、両親が二人で住む家に顔を出した息子は、これまで、二人きりの生活は危ないから止めて欲しいと何度も言ってきた。
両親は、かつては妹夫婦のところで同居していたが、半年で戻ってしまったのだ。
父親と母親を心配しながらも、なにも出来ずにいる自分へのいら立ちと情けなさ。
そして、強いと思っていた父の、自分が大人になってわかる、本当の姿。

「父ちゃん、生きていることは楽しい?」
晩年を迎えた父に、複雑な思いを抱く43歳の息子に、母親が持ち出したカセットテープに残されたものとは…。(HPより)



身につまされる内容で、聴き入りました。
語られる方言も自分の出身地に近いもので、そのせいなのかよりリアルに感じられました。

息子は両親を前に「迷惑なんだよ」という言葉を使ってしまう。
使ってはダメだとわかっているのに、なぜかスルリと口をついて出てしまうのだ。

わかる、同じだ。
結局わたしは冷たい人間なのだ。
自分の生活が、つまり自分が一番大事なのだ。
そういうことなんだと思う。

聴いていて、自分の親や夫の親を重ねてしまう。

小説では「生きていることは楽しい?」なんて絶対に聞けないと主人公に言わせている。
でもわたしはなにも考えず父に聞いたことがある。

「お父さん、今生きていて楽しいね?」と。


「もう生きとるのもきつか、あんまり楽しいとも思えん、
 でもなるごとしかならん(なるようにしかならない)」

父はそう答えた。

父も母もずっと朝から晩まで懸命に働いてきたので、老後は好きなことをしてゆっくり過ごしてほしいと願っていた。
その老後、父は脳梗塞になり、小説の父親と同じように、家ではほとんどソファに座って過ごしている。
母もまた、小説の母親と同じように、父の世話をしている。


「お父さん、お母さん、今幸せね」



聞いたら、どんな答えが返ってくるだろう。



実家の親のこと

2018-01-21 | 老いた親のこと
お正月、今年は帰省して(去年いろいろあったもんな~)
夫の家に3日、実家に3日泊まりました。
何事もなく無事に・・・とはならず、
両実家で、わたしはほとんど休む間もなく働いた!

夫実家には29日に帰ったのですが、
30日はもちつき。
なんとねずみが出たので、台所と冷蔵庫の掃除をすることに。

これまでは「これ捨てていいですか?」でしたが、
これ捨て「ましょ」って言い切りましたから。
だって掃除するのって義母しかいないんだもん。
80過ぎてもういろいろやりたくないよね。
娘がいないし、嫁の分際で口出したら、手も動かすしかないもんね。
徹底的にやらせてもらいました。
あー気持ちよかった!

1日の夕方、実家に移動。

今年は弟夫婦がお正月はいなかったので、
こんなチャンスはなかなかないと、
わたしと姉で、父と母のそれぞれの寝室を徹底的に断捨離しようと決めました。

母はわりと綺麗好きなひとだと思っていましたが、
79歳の今、
服に埋もれて寝ているような有様に愕然。

着ない服、靴下、下着、バッグ、ハンカチ、それも新品が大量にありました。
(誕生日や母の日にあげたものもほとんど使ってない)

服なんかはもうあと何年も生きられるわけじゃないから、
どんどん着ればいいのに、いつも着ているのはボロいもの。
ケアマネしている姉が、
「同業者が来た時に恥ずかしいから、
お母さん、わたしのためにも小綺麗にしといてよ」と諭してました。

母にいちいち聞きながら、捨てていいものと残すものに分け、
捨てるものはごみ袋15袋くらいになりました。
5袋くらいは姉がリサイクルショップに持っていきました。
タダですが、だれかほしいひとが使ってくれればいいからと。
あとはゴミ処理場へ。

昭和35年の新聞がタンスの下に敷いてありました。
農家で4人の子どもを育てた母、忙しくてゆっくり座っているところをみたことがなかったです。
タンスの中の新聞を替える暇もなかったんだろうな~。

やっとゆっくりできるようになってよかったと思っていたのに、
父親の介護が待っていたとは。

要介護2の父。
認知症が進んでいるように思ってましたが、
父は認知症のフリをしているだけなのでは!?って思うような場面も。

ふたりの時に深刻な相談事をしたら、以前の父のように、
ちゃんとしっかりした答えを返してきましたもん。

年取ってからはますます外に出るのが嫌になった父でしたが、、
ちゃんと週4回のデイサービスに出かけ、隔週で2泊3日の泊りも行ってます。
母に協力せねばと思っているみたいです。

脳梗塞で入院していた時はずっと車椅子でしたが、
退院して家に戻り、歩いてます。
自分でもどうにかトイレに行けるのですが、
普段からオムツをしています。
オムツを常時着けていると、尿意も鈍くなるよう。
トイレはと声をかけてあげないといけません。

夜も、寝返りのせいかオムツがずれて、ほぼ毎日漏らすみたいで、
毎朝母はシーツとタオルケットを4枚くらい洗っています。
それが大変。

脳梗塞を2回やってるのですが、幸い手だけの麻痺でそれも軽くて、
食べることが大好きなので、自分で食べられる、それはありがたかったです。
父も母も歯は丈夫で入れ歯もなく、食欲も旺盛。
というか、今は食べることだけが楽しみな感じ。
食べることがリハビリであり生き甲斐かも。

朝ごはん作って食べさせ、その間に父のおねしょシーツやタオルケットを洗い、
ソファのクッションやら座椅子に漏らしたのでそれも洗い、
その間に掃除して、お昼ご飯を作り食べさせ、また夕食の準備。

外食に簡単に行けない。
でも家で久々昔みたいに家族でいろいろ話しながら食べる時間もよかったです。

なかなか起きてこない父を起こしに行ったら、
「お前はだれかね?」というので名前を言ったら、
「なんでお前が帰ってきてるんか」(ちゃんとよそにいる人間だとわかってる)というので、
「お母さんが死んだから」って言ったら、
父親は「えっ!」と大声をあげ起き上がりました。

「嘘だよ~、でもお母さん、お父さんが言うこときかんから病気になった」って脅したら、
「えー!お母さんがか」とまた驚きの声をあげてました。

その後、部屋着がはだけた父の脇腹をわたしが冷たい手で触ったら、
「ヒャーーーーなんばするとかー!」と絶叫し、
大笑いしながらやっと布団から立ち上がりました。

ほんと起きるまでに時間かかるわ~。
介護している母の苦労を思う。
「介護で殺す人の気持ちがわかる」って母は言ってたらしい。


父はボケてるふりをしてるのでは?と姉に言ったら、
普段顔を見せない人間が来ると刺激になるからと、
「あんたもあと何回会えるかわからんよ、
兄弟貯金(姉とわたしと弟で親のために使おうと毎月している)使っていいから時々帰ってきてよ」って言われちゃいました。
だからってわけじゃないけど、2月にまた帰る予定です。(安い時期だからです)
今度は父の部屋を断捨離です。


夫のほうの両親はもっと高齢。
ふたりともとりあえず体は元気みたいです。

ちなみに義父は、今年米寿です。
お祝いしましょうってお正月にみんなの前で言ってみたけど、
夫も義弟もそういうの全く盛り上がらない人たち。

新居にも来てくださいって言ってみたんです。
(小倉での新婚当時、義母と叔母(義母の妹)が遊びに来たんですが、
夫は全く相手せず、わたしが車を運転して二人をいろんなところに連れて行った、
それ以来、義母も義父も一度も来たことがない)

義母も、体調がこのところ随分いいから来たいな~みたいに言ったんです。
でも夫がおいでよって言わないの。
なんなのでしょうね。
恥ずかしいのでしょうか。
その後義母は「いいよいいよ、やっぱり飛行機にはもう乗れないと思う」と。
夫に遠慮しての発言。
はぁーなんてやつ。

夫は、そういうのはしなくていいんだそうです。

よくわかりません。
長男なのに横浜に家を買ったので、どこか申し訳ない気持ちがあるのかもしれません。
でもね~。

後でもっと優しくしておけばよかったって後悔しても知らないからね。
しないか・・・。