「秘する花を知る事。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。
この分け目を知る事、肝要の花なり」
「秘すれば花」なんとも美しい響きを持つ言葉に感じます。
☟この言葉をはじめて知ったのは「友よ」執行草舟著、でした。
2010年12.12初版
<Web記事から>
日頃から興味のある記事のスクリーンショットをワードに貼り付けて保存して時々、読かえす習慣にしています。
その中から世阿弥の「花伝」をビジネス面から捉えた解説記事の抜粋をアップします。
ほとんどの人が知らない「秘すれば花」の本当の意味、世阿弥に学ぶビジネスの極意、大江英樹 (2023.7.27 14:00のスクリーンショット)
世阿弥が生きていたのは600年以上前の室町時代。芸術家の立場で、なぜここまで経営の神髄に触れることができたのか Photo:PIXTA© ダイヤモンド・オンライン
能を大成させた世阿弥のことはほとんどの人が知っているかと思いますが、世阿弥の著書『風姿花伝』となると意外と知っている方は少ないのではないでしょうか。
著者で経済コラムニストの大江英樹さんは世阿弥の著書にはビジネスパーソンこそ読むべきエッセンスがあるといいます。そこで今回は新刊『ビジネスの極意は世阿弥が教えてくれた』(青春出版社刊)からなぜ世阿弥の書がビジネス的に優れているかについて抜粋して紹介します。
ドラッカーの顧客志向を先取り!?『風姿花伝』に見る現代の経営理論
これまでのビジネスの経験から、世阿弥の言葉に「まさに我が意を得たり」と感じることがたくさんありました。
また、ドラッカーやポーターといった世界的に著名な経営学者の書物も読んできましたが、世阿弥の書を読んでみると、そうした本とまったく同じ意味のことが書かれていて驚きを禁じ得ませんでした。
なにしろ世阿弥が生きていたのは600年以上前の室町時代です。芸術家の立場で、なぜここまで経営の神髄に触れることができたのでしょうか。
たとえば、“経営の神様”と呼ばれているP・F・ドラッカー。名著と言われる『マネジメント』には、「企業の目的は顧客の創造である。したがって企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションであり、それだけが成果をもたらす』とあります。
世阿弥の根本にある理念がマーケティングの重視と絶え間ないイノベーションなのです。
また、ドラッカーは、「価値からスタートする、『私たちは何を売りたいのか』ではなく『顧客は何を買いたいか』を問う。『私たちの製品やサービスにできることはこれ』ではなく、『顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足』がこれである」と述べています。
これはまさに世阿弥のマーケット志向そのものであり、彼の著作『風姿花伝』でも次のように表現されています。
「時によりて、用足るものをば善きものとし、用足らぬを悪しきものとす」
(その時、その場のニーズに応えられるものがよいもので、応えられないものはよくないものである)
『風姿花伝』第七・別紙口伝
マイケル・ポーターにも劣らない競争戦略
また、競争戦略の第一人者と言われるハーバード大学のマイケル・ポーター教授が語る内容も、世阿弥の言葉にしばしば見つけることができます。
「他人と違っていることがその人間の武器になる」とポーター教授は言いますが、世阿弥は『風姿花伝』の「問答条々(もんどうじょうじょう)」で次のように言っています。
「能数(のうかず)を持ちて、敵人の能に変りたる風体を、違へてすべし」
(自分が演じることのできる能のレパートリーをたくさん持ち、相手が演じる能とは違った曲調のものを選んで、趣向を変えて演じるべきである)
『風姿花伝』第三・問答条々
同じくポーター教授の「人を喜ばせるという思いは資本主義の神髄である」
という言葉は、『風姿花伝』の物学(ものまね)条々で、どうすれば観客を喜ばせることができるかについて語る箇所で見つけられます。他流派と競って負けないために、世阿弥は常に競争戦略を考えることが求められていたのです。
ほとんどの人が知らない「秘すれば花」の真意
もし『風姿花伝』という書物の名前は知らなくても、「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」という言葉は知っている、あるいは聞いたことがある人は多いでしょう。
残念ながら、いずれの言葉も世阿弥が言いたかったことと一般的な解釈に大きなずれが生じています。
まず、この「秘すれば花」という言葉は、『風姿花伝』の最終章「別紙口伝」の中盤に出てきます。この「別紙口伝」はこの書の最後のパートなのですが、私はこの部分が最も重要ではないかと考えています。
世阿弥の言葉はいずれもビジネスの示唆に富むものですが、この別紙口伝にはそのエッセンスが特に多く出てきます。
別紙口伝では、次のような形で記されています。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
(秘密にして見せないから花となる[価値がある]のだ。秘密にしておかないと花[価値]はなくなる)
『風姿花伝』第七・別紙口伝
多くの人はこの言葉を「何でもさらけ出して表に出すより、控えめに、慎ましくしている方が美しい」と解釈しています。
つまり、そこには日本人の奥ゆかしさが出ていると考えるわけです。
さらにはこんな解釈もあります。
「全部見せるのではなく『チラ見せ』をした方が“見たい”という意欲を刺激することができる」。
隠すことで欲望を刺激できる、というような意味合いです。
しかしながら、これらはいずれも間違った解釈です。
「秘すれば花」というのは、日本人の奥ゆかしさや、欲望を刺激する方法を表しているのではなく、勝負を制するための明確な戦略、方法論なのです。
秘密にしていること自体に価値がある
世阿弥が言いたいのは、“隠しているものの価値が重要だ”ということではなく、“隠すこと自体が重要だ”ということです。
したがって、大事なのは「隠していることすら、相手に気づかれてはいけない」というのです。
これは、戦いくさや武道における勝負でも同じです。
名将の知略によって、手強い敵に勝つことがあります。
この場合、負けた方は相手の意外なやり方に虚を突かれて負けてしまったわけですが、これこそがあらゆる戦いにおいて勝利を得る方程式だというのです。
計略というものは、後になってその実情がわかれば何ということもないのですが、知らないうちは相手にとっての脅威となるのです。だからこそ秘事が何であるかを知られてはいけないし、秘事があることも知られてはいけない。
さらに世阿弥は、自分が何か秘密を知っている人物だということすら知られてはいけないと言います。
まさに秘密にしていること自体に価値があるわけです。
誰も予想しないからこそ“サプライズ”になる
私は長年、証券界で株式市場にかかわる仕事をやってきたので、この「秘すれば花」という感覚はとてもよくわかります。
マーケットというものは、それに参加する多くの人の心理で動きます。
したがってマーケットにとって想定外のこと、誰もが考えていなかったことに対して大きく反応するのです。
古くは2016年に英国で国民投票が行われEU離脱が決まったとき、多くの人にこの結果は予想外だったため、株式市場は短期的に大きく下落しました。
最近では2022年12月、日銀が唐突にイールドカーブコントロール(YCC)の上限を引き上げたため、想定外だったドル円相場は一挙に10円以上も円高方向に振れました。
マーケットというものは、どんなに悪い材料でもよい材料でも、事前に多くの人が予想していることにはそれほど大きく反応しません。
俗に言う「織り込みずみ」というやつです。ところが誰も想定していなかったことが起きたときは、人々の想像を大きく超えた激しい動きをすることがあるのです。
したがって、何か効果的に物事を動かしたいと思うことがあるときこそ、「秘すれば花」という考え方を思い出してください。
これは株式市場に限らず、すべての経済活動に共通することです。
「最高のビジネス書」だと言える三つの理由
このように、世阿弥の思想とその教訓は現代の経営学者に勝るとも劣らぬ輝きを持っています。
世阿弥が残した数々の書が最高のビジネス書となり得ている理由として、以下の三つが挙げられます。
1、徹底したマーケット志向が貫かれている
2、イノベーションのヒントが随所に散りばめられている
3、体験に基づく教訓が普遍化されている
このうち、一のマーケット志向は世阿弥の一貫した考え方です。
土屋恵一郎氏は法学者であると同時に演劇評論家でもあり、能楽についても造詣の深い方ですが、土屋氏はその著書で「世阿弥の姿勢は常に“関係的”である」と述べています。
つまり観客との関係、組織との関係、そして自分との関係など、すべての面において自分の内に入り込まず、常にまわりとの関係を考えながら生きていこうとしているのです。
ビジネスを進めていくうえでこの「マーケット志向」、すなわち市場と関係的であることは何より重要なことだと推測されます。
この思想が一貫していることが、世阿弥の書がビジネス書としても優れている第一の点です。
2、のイノベーションのヒントですが、オーストリアの経済学者でイノベーションの父と呼ばれるヨーゼフ・シュンペーターは、
「イノベーションとは技術革新のことではなく新結合、つまりこれまで組み合わせたことがない要素を組み合わせることによって、新たな価値を創造することである」と言います。
世阿弥が起こした作劇のイノベーションの多くは、まさにこの「新結合」によるものです。常に新しい基軸を打ち出し、マンネリに陥らないようにするために考えられた素晴らしい知恵がそこにあります。
そして最後の理由3が、他の人にはない世阿弥の大きな特徴です。
学者や研究者として理論を考えたのではなく、自身が日々闘い続けたことで得られた知恵と、そこから生み出された数々の理論を持っている。
しかも単に自分の体験を語るのではなく、誰でも理解できるように理論化され、普遍化されて伝えられている点が最も素晴らしいと思っています。
同じ世阿弥の花伝も読み方(解釈)で大きく変わることを知らされました。
半導体以外でも、また一つ馬齢を重ねる意味を見つけた感じがします。