Pinterestから
彼は怖そうに見えた。両腕の上から下、そして首に刺青があり、ダンボールに書いた表示を掲げながら、彼の犬(実際にはこの犬は愛らしい)と芝生に座っていた。彼の「看板」には、「(生活に)行き詰まり、空腹ですので、どうぞお助けください」と明示してあった。
私は助けを必要とするならば無我夢中で助けたい、と思う人間である。私の夫も私も、この私の性癖を好みもするし、また厭(いと)いもする。その性癖は、しばしば夫を神経質にさせる。もし彼が、今、私を見たら、きっととてもびくびくするだろうと思えた。しかし、夫は、たった今、私と一緒ではなかった。
私は(運転していた)バンを歩道際に寄せて、リアビューミラー(バックミラー)で、この男、その刺青などをじっくり見た。彼は若く、おそらく四十歳ほどだろうか。バイカーや海賊スタイルのバンダナを頭に縛っていた。誰の目にも、彼は汚れていて、ひどくもじゃもじゃの髭をしていた。けれど、よく見てみると、彼は黒いTシャツをしっかりズボンにたくしいれているし、持ち物を小さく小ぎれいにまとめているのがわかった。誰も彼のために止まりはしていなかった。私は(通りがかる車を運転している)人々が彼に一瞥はくれても、すぐに何か他のものに焦点を当てているかのように、視線をそらすのが見て取れた。
それはとても暑い日だった。私はその男のとても青い瞳に、彼がいかに落ち込んで、疲れて果てているかを感じることができた。汗が彼の顔に滴っていた。私がエアコンディショナーのよく効いた車内に座っていると、突然、聖書の一節が私の頭の中に浮かんだ。 「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」[マタイ伝25章40節]
私はハンドバッグに手を伸ばし、その中から十ドル札を取り出した。私は、我が子達を連れていたが、そのうちの12歳の息子、ニックは、すぐに私が何をしようとしているのかわかった。 「ママ、僕があの人に渡してもいい?」
「気をつけてよ」と、私は息子に注意し、その十ドル札を渡した。私はバックミラーで息子が、男の方へ急いで行き、はにかんだ笑顔でお札を渡したのを見た。私は、驚いた男が起立して、お金を受け取り、バックポケットに入れているのを見た。 「良いわ、」私は自分自身に心の中でつぶやいた、「彼は少なくとも今夜は温かい食事ができるわ。」私は自分自身を誇りに思い、自分に満足していた。そしてちょっとした犠牲を払ったし、今から用事を済ませに行こう、と。
ニックが車に戻ったとき、息子は悲し気な、嘆願している目で私を見た。 「お母さん、犬はとても暑さにまいっているみたいだよ、そして、あの男の人は、本当にいい人だよ。」 もっとやらなければならないことを私はわかっていた。
「彼のところへ戻って行って、そこにいてもらって。私たちは15分後に戻ってくるからって。」と私はニックに言った。ニックは車外に出て、刺青のある見知らぬ男に話すためにもう一度走って行った。私は、その男が驚いていたが、同意するべくうなずいたのを見た。車の中で、私の心は少し興奮してドキドキとしていた。
私たちは、最寄りの店へ車で向かい、贈るものを慎重に選んだ。 「あまり重いのはダメよ、」と子供達に説明した。 「彼が持ち歩けなければならないのよ。」 最終的に私たちの購入すべきものは、決まった。一袋の「Ol 'Roy」[アメリカのドッグフードの一つ] (それがいいと願ったのは、 私が食べるのに十分に見えたくらいだから、犬ならば絶対大好きだろうと思ったからである! どうやって製造会社はドッグフードを魅惑的に見せるのだろうか?)、骨のように形作られ、味付けされた、犬の噛むおもちゃ。水用の皿、犬用のベーコン風味のスナック、水2瓶(犬用に、そしてミスター刺青用に)、そして人間用のいくつかのスナック。
私たちは彼に待ってもらっている場所に急いで戻った。彼はそこでまだ待っていた。それでも、誰も彼のために止まりはしていなかった。手を振って、私はいくつかの買った物の入ったバッグをつかんで車から出て、その後にそれぞれ贈り物を抱えた子供達が続いた。彼の方へ歩いていくうちに、私は、ふと恐怖を覚え、彼が、連続殺人犯ではないように、と願った。
彼の目を見て、私は、自分の先ほどの懸念を恥ずかしく思わせるものが、そこにあるのに驚いた。私は涙を見たのだ。彼は小さな男の子のように、あふれる涙を必死に堪えようとしていた。最後に誰かが彼に親切を見せたのは、一体いつだったのだろうか。私は、贈り物が、彼が歩くのに重すぎはしなければよいが、と言いながら、買って来た物を見せた。彼はまるでクリスマスの時の子供のように、そこに立っていた。私は、自分の小さな貢献が、とても不十分であるように感じた。犬の水用の皿を取り出して見せると、彼はすぐさま、それを手にして、まるでそれが純金製かのように扱った。今までどうやって犬に水を与えるか、方法がなかった、と言った。彼は極めて慎重にその皿を地面に置き、私たちが持ってきたボトルの水で満たし、立ち上がって私の目をまっすぐに見た。彼の瞳は、とても青くて、とても眼光爛々としていたので、私自身の目は、みるみる涙であふれた。「奥様、私は何を言わなければならないのか分からないんです。」彼は両手をバンダナにまかれている頭の上に置き、泣き始めた。この男は、この 「恐ろしい」男は、とても穏やかで、とても優しくて、そしてとても謙虚だった。
私は涙にくれながら、微笑んで、「何も言わなくて構わないのよ。」と言った。そして、私は彼の首の刺青に気づいた。それは ”Mama tried."*(ママは試みた―下記*参照)とあった。
私たちは、皆バンに乗り込み、そして運転して去ろうとしていると、彼は地面に膝まずいて、犬をその腕に抱き、鼻にキスをして笑っていた。 明るく手を振って、そして私は、完全にそこで泣き崩れた。
私にはたくさんの物がある。 私の心配は、とても取るに足らないほど些細だ。 私には家、愛する夫、四人のかわいい子供がいる。 私にはベッドがある。 私は彼が今夜どこで寝るのだろうかと考えた。
私の娘のブランディーは私に向かって、優しい小さな女の子らしい声で、「とてもいい気分よ」と言った。
私たちが彼を助けたかのように見えたが、刺青のある人は、私に決して忘れない贈り物をくれた。 彼は、外見がどんなものであっても、一人一人の内には、優しさ、思いやり、受け入れに値する人間性がある、いうことを教えてくれた。 彼は私の心を開いたのだった。
ー合衆国・ユタ州のスーザン・ファーンキさんの本当にあった話から。
この人は、いつ温かい食事を最後にしたのだろうか。
* ”Mama Tried"の意味
マール・ハガード(Merle Haggard 1937-2016) は、カリフォルニア州のサン・クエンティン州立刑務所で2年9ヶ月服役した。釈放後、更生し、再び犯罪に転じたことはなかった。その代わりに彼はカントリー・ミュージック界で最大のスターの一人となった。
ハガードは、そのキャリア初期に、数々の刑務所についての歌を創作して披露したが、その中で一番大きな作品は「ママ・トライド」(Mama Tried)だった。
彼の母親が、息子がトラブルを起こさないように、どれだけ苦労してきたか、その真実を伝えるために、マールはこの歌を書いた。マールの父親が脳卒中で亡くなったのは、マールがたった九歳の時だった。それ以来彼の母親は、家族の唯一の稼ぎ手として、仕事に行かなければならなかった。
マールは、自分の母親が、野生的と言うには余りある少年を息子に持っていたことを語った。彼の母が、そんな息子を変えたいと、どれだけ苦労し、試してきたか、それでも、何もうまくいかなかった、と彼は言った。マールは、刑務所で服役したことは、彼の人生を通して、自分を変えるために必要だった、と認めていた。
"Mama Tried"という曲は、ハガードによって書かれ、録音され、1968年の7月にリリースされた。歌は四週続けて、トップとなり、それが彼の長い歌手としてのキャリアの基礎となった。
いつも心温まるお話を紹介して下さり、
感謝しております。
今回の話は、とても感動的で涙なしでは読めませんでした。
私はクリスチャンですが、ご紹介して下さった
聖書のみ言葉を生きているかどうか考えさせられました。
本当にありがとうございました。