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母の昔語り・・・
お食事前の方、ごめんなさい。
むかし、むかし、弟の生まれる前、
わたしが3つか4つの幼女だった頃。
母は私を連れ、市電を乗り継ぐと、
磯子の赤十字病院へ見舞いに出かけた。
祖母の姉である伯母(わたしにとっては大伯母)が
入院していたからだ。
病室へ入るなり、
幼い私は「ここ、くさい・・・」と顔をしかめる。
優しい伯母は「じゃ、廊下に出ていて良いわよ」と
言ってくれ、ひとり廊下に出る。
もちろん、幼女ひとりでは退屈きわまりなく、
「もう帰ろうよ・・・」とせがみ、母を困らせたという。
大伯母の病名は、当時は不治の病である。
患部から膿があふれ、ガーゼなどで抑えても、すぐにあふれだし
それが匂っていたのだろう。
大伯母は、私を可愛がってくれていたから
見舞いに連れて行ったのだけれど・・・と母は言うが、
結果として、大伯母を傷つけてしまったのかも知れない。
遠い日の後悔。
あの病気は匂うそうで、
飼い犬がそばへ寄ってこなくなって病気に気づいたとか、
この病気の発見のために犬を訓練しようとか
ウソかマコトか聞いたことがある。
母の知人も似たような話をしていたそうだ。
戦後のモノのない時代、
お身内が大伯母と同じ病気に冒され自宅療養。
膿がひどく、とにかくあり合わせの布で抑え、まぎらわせるしかない。
ぼろきれながら、大事な大事な布、
洗っては干しを繰り返しながら、使う。
すると、通りがかりの女性の話し声が聞えた。
「ここ、いつも臭いわよね」
「そうなのよね、何の匂いかしら・・・」と。
都内でも有数の高級住宅地のこと、
通りがかりのマダムたちの声に、
知人は身の縮む想いをしたそうだ。
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小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)でも
女の子たち(女学生)は、月経の処理に悩んでいる。
今のような生理用品はないうえに、モノ不足で、
ぼろきれや脱脂綿を洗って繰り返し使ったという。
不衛生極まりない・・・
匂うどころか、病気にだってつながりず、だ。
コロナ禍で、失業した女性が生理用品を買えない窮状を訴えたのも
記憶に新しい。
病人や弱い立場の人に、社会情勢の悪化は、すぐにはねかえってしまう。
ちょうど今、朝ドラ「虎に翼」は戦後が舞台。
1947(昭和22)年、寅子(トモコ)も民法改正に尽力している。
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「1947」といえば、
長浦京『1947』(光文社)が、まさに1947年を描く。
圧倒的な筆致と取材力に、白黒だった戦後のイメージが
ドス黒い血の色に塗り替えられるような小説だった。
思いだしても鉄の匂いがただよってくるようだ。
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吉田裕『兵士達の戦後史 戦後日本社会を支えた人びと』
(岩波現代文庫)は、
その時代のイメージを歴史的な流れの中で補完してくれる。
想像以上に、すさまじい時代。
歴史の中では伝えきれない、匂いから知る歴史か。
そんな時代があったことを
母親世代は知っている。
今、しっかり聞いておかなければ、
あの生々しさは伝わらなくなってしまう。
余談ながら・・・
大伯母の病室から臭いと逃げ出した幼女は、
数十年後、まさに同じ病気に冒される。
幸い、十分なケアを受け、匂いに悩まされることはなかった。
平和な時代なればこそだ。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
書影は各版元からお借りしました。
素人の勝手な記事と、モロモロ、お許し下さいませ。