知床開拓スピリットの第2弾を、遅々とした歩みですが日々進めています。知床開拓地で育った開拓2世の方々の膨大な証言をまとめているんですが、書いている内容の中から、震災の復興への応援になりそうな(なるかな?)エピソードを一つ、ここに紹介しておきます。
現在の岩尾別ユースホステルのある場所が岩尾別小中学校だったんですが、そこで子供時代を育ち、社会に出てからサケマスの養殖をやっていらっしゃる方がいます。業務の主な内容は、マスやサケの受精卵や稚魚を、本州に出荷することです。北海道から出荷された卵や稚魚が、本州のあちこちの養殖場で育てられて大きなマスやサケとなり、そこからさらに出荷されて、お寿司やさんのネタや、マーケットの鮮魚売り場に並んでいる切り身になるわけです。
特に銀ザケは、昔はたくさんの業者が卵を育てていたそうです。北海道の半分くらいでグループをつくって、本州に出荷していた。
ところが、本州に稚魚を送ったのに、お金を払ってもらえないということが2年立て続けに起こった。1400万円づつ、2年間も! 本州の、相手の業者が倒産してしまったのだ。
それで、こんな危なっかしいことはやってられんって、みんな銀ザケを扱うのをやめてしまった。
ところがですね。知床開拓のさなか子供時代を過ごしてきたその人だけは、その程度ではこたえなかったんだか、苦労の閾値が高かったんだか、他の人たちみたいに損害や損失に対して神経質にも敏感にもならないで、2800万円の損失を抱えてしぶとく銀ザケの養殖を続けたの。
そしたら、今や東~北日本でその人の銀ザケのシェアが7割ですよ。私たちがふだん口にしている銀ザケは、ほとんどがその人の卵から育ったものですよ。北海道で銀ザケを養殖してるの、他にいないんだもの。
だからその人は、このしたたかさというか、苦労に対する鈍感さというか、苦労を苦労と思わず切り抜けていく力は、知床で育ったおかげかもねーと言って、はっはっはと笑います。知床開拓地では、苦労とは苦悩するものではなく、ただ「労力(と精神力)を要する課題」なのであり、やれば切り抜けるものでした。
震災とは比べ物にならないだろうし、震災のショックは想像を絶するもので、私が何か言うのもおこがましいのだろうけど、苦労に対して鈍感であることもまた巨大な助けになるということを言いたくて書きました。
今年から羅臼産の鮭節でラーメンを作る予定だったのですが、
どうもホッチャレがあがらなかったみたいで計画が頓挫しました。
まあ、作って供給してくれるようであれば、
また今年か来年話がくるでしょう。