(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十九章 騒がしいお泊まり 前編 一

2008-10-01 21:04:46 | 新転地はお化け屋敷
「店で食べられないのが、少し名残惜しいな」
「気にすんな。どーせ、こういうとこのはあんま美味くねえ」
「そういうものなのか?」
「ワウ?」
 いろいろと考えた割にはそれが有意義だったのかそうでないのか自分では判断の付け辛い一日を過ぎて、おはようございます。204号室住人、日向孝一です。いや、今日は何号室とか関係無いですけど。
「なんならなっちゃん、中で食べてくる? 耳出せばいいんだし、お金は出すよ?」
「それを良しとするなら、お前と日向がここで食べてないだろう」
 現在時刻は十二時半頃。高速道路のパーキングエリアでパンやら弁当やらを買い、その場で昼食の真っ最中です。店舗の中には売店以外にレストランもあり、成美さんはどうやらそこが気になっているようですが……。
「そりゃ、料理の先生がこーちゃんだし。味はもちろんだけど、それよりも団欒を楽しむのが重要なんだよね。先生?」
「その通り。――と言いたいところですけど、何も食べる人全員に強制するわけじゃないですよ? だから成美さん、あっちが気になるんだったら」
 その言葉を遮るように、成美さんが軽く手を振る。反対側の手にはシャケのおにぎりが。
「いい、いい。わたしだって人数は多いほうが、気分がいいしな」
 本日は、あまくに荘住人全員でお出掛けです。しかもなんと、泊まりです。
 行き先は四方院さん宅。家守さんの婚約者さんの家で、しかも相当に大きな家なんだそうです。つまりはお金持ちというやつですね。その婚約者さんは現在、仕事で海外だそうですけど。ううむ、できれば会ってみたかった。
「人数が多いってのはOFF COURSEとして、外だゼやっぱ。部屋ん中で食うのなんかよりよっぽどMOODが出るってもんだよな」
 そう言いながら牙の生えた大きな口で植物用活力剤をグビグビとやっているのは、陽気なお花ことサタデー。英単語のムードと表すと何やら違うニュアンスが混じってしまうような気もするけど、「雰囲気」と変換すれば実に納得のいく話だ。
 そう、ここは屋外。店の中にも休憩スペースとして座れる場所があるにはあるけど、人が多く、そのうえこちらは大所帯。という事で、建物の隣に設置された小さい子向けのアスレチック、その傍らの丸太の椅子に、僕達は腰掛けています。
「んっふっふ、サタデーの場合は外に出る事自体が『食事』でもありますからねえ」
「あ、そうか。植物ですもんねサタデーさん」
 サタデー本人と対面するのは今日が初めてだった蛇のナタリーさん、清さんの言葉に今更な確認。しかし、その気持ちも分からないではない。植物なのに口あるし、喋るし、自分で歩き回るし。
「サタデー、今日はご馳走だね。飲み物もあるし、天気もいいし」
 僕の隣でクリームパンを頬張りながら、栞さんが声を掛ける。するとサタデーは、無い胸をぴんと張る。……いや、頭から下がすぐに腕兼足なつるだというだけであって、女性的などうこうの意味じゃないんですけどね。なんたって、お花だし。
「おうよ。山ん中だからか、すぐそこで車が走りまくってんのに空気も中々GOODだしな」
 そしてサタデー、「頑張ってんな、お前等」と何もない空中を見上げる。――いや、その何もない空間よりもう少し向こうか。背の高い木が、こちらを見下ろしていた。
「あの、もしかして、木とお話ができるんですか?」
 尋ねたのはナタリーさん。振り向いたサタデーは、大きな口をにやっと湾曲させた。
「いんや。俺様が特別なだけで、植物には耳も口もねえからな。……いや、俺様も形としての耳はねえけど。でも、分かってても声ぐらいは掛けたくなるもんだゼ? CLEARな空気が吸える礼くらいは」
 二酸化炭素を吸って酸素を吐くという、動物とは逆の呼吸。植物である以上、そして日が照っている以上は、サタデーだってそうしているんだろうけど――今この場の空気が綺麗なのは彼らもしくは彼女らのおかげ、という事なんだろう。
 しかし、ナタリーさんが反応を見せない。いつも通り微動だにしないとは言え、返事すらないというのは?
 待ちかねたか、サタデーが遠慮がちに口を開く。
「……ナタリー、光合成って分かるか?」
「い、いえ。ごめんなさい」
 それから暫らく、サタデーはわざと大袈裟に深呼吸をして見せたりなんだりしながら、ナタリーさんに「植物がいかにして空気を綺麗にしているのか」をレクチャーする事に。ナタリーさんもそれを真剣に聞いていて、横から眺める僕達はその様子に和みつつ、昼食を進めるのでした。
「ま、俺様自身、清一郎と大吾から教えてもらったんだけどな」
「自分だけじゃ分かりっこないですもんね……」


 昼食を終えて車を出してから暫らく。
 煙の出ないタバコを咥える家守さんへ、後部座席から声が掛かった。
「姐さん、あとどれくらいでGOALなんだ?」
「もう一時間も掛からないと思うよー。渋滞もないみたいだし、順調順調」
 ナタリーさんへの講義の影響か、パーキングエリアを出てからというものサタデーの機嫌が良い。いやまあ、普段から機嫌は良いんだけど、いつにも増してと言うか。
 車の席はこれまで通りに僕が助手席で、それ以外のみんなが後部座席に詰め込まれていた。そんな見た目に圧迫感溢れる中、サタデーは鼻歌を口ずさんだりし始める。大吾なんかは嫌そうな顔をするかなと思ったらさっさと寝てるし、他のみんなは特になんとも思ってないみたいで、何ら問題は無かったけど。
「HEY、孝一」
 HEYときますか。しかもそのうえ、席の後ろから助手席ごと巻き付いてきますか。何なんですか。
「何?」
「昨日庄子とLOVEについて語り合ってたんだろ? どうだったんだよ、その後は」
「……その後って?」
 それ以前に何故今その話が、と脈絡の無い展開に愚痴を垂れそうにもなったけど、多分話題は何でもよかったんだろう。なんせご機嫌だし。
 僕に巻きついていたつるの内から一本が、後部座席のある人物を指す。
「え、栞?」
 その人物がさも意外な事であるかのように目を丸くすると、指した本人は「NATURALLY!」と返答。えーと、「当然だ」ってところかな?
「晩飯食って姐さんが部屋に戻った後、いつも暫らく二人でいるんだろ? 実際にCOUPLEなんだし、そこで庄子との話が尾を引いてもおかしくはねえじゃん?」
「ま、まあ、確かにその話はしたけど……」
 ちらちらと周囲の様子を窺いながら、困った表情の栞さん。なにせ狭い空間に全員が押し込められてるわけで、気まずさからくる圧迫感は相当なものなのです。僕も感じてますから。
「だってお前等毎日学校行くし、二人でDATE行ったりもするじゃん? もっと知りたいのよ、俺様。お前等二人がどんなカンジなのかって。――こっちの二人はいつも散歩で一緒だから、飽きるぐらい見てるんだけどなあ?」
「飽きるとは何だ失礼な。おい、怒橋も何か……って、そうか寝てるのか」
 むっとした表情になる「こっちの二人」の一方だったものの、隣ですやすやと寝息を立てているもう一方に気勢を削がれたらしい。五秒と経たないうちに気の抜けた顔になってしまう。
「車に乗るといつもこうですねえ、怒橋君は」
「そうなんですか? そう言えばお昼ご飯を食べるまでにも――それに、お爺さんお婆さんの屋敷から帰る時も寝てましたね」
「しかも姿勢が悪いといびきが酷いしな。……今回は、そうでもないようだが」
 清さんがいつも通り楽しそうに言い、ナタリーさんが続き、それに更に続いた成美さんは、やや頬が緩んだような表情に。すると清さん、そんな成美さんへと視線を移す。
「優しい顔になってますよ、哀沢さん。んっふっふ」
「え? ――あっ」
 普段むっつりとした顔の大吾がただただ気持ち良さそうに寝ているというのは、あまり見れるものではないのかもしれない。と言って僕なんかだとそれに大した価値を見出したりはしないわけだけど、成美さんにとってはそうでもない、という事だろうか。
「ほ、放っておけ。そもそも今は、日向と喜坂の話だったろうが」
「――な? こんなふうに、『こっちの二人』はいつでも見れるんだゼ」
「ワウ」
「放っておけと言ってるだろうが!」
 サタデーとジョンに冷やかされて成美さんが声を張り上げると、大量にあるつるの内から二本を持ち上げ、肩を竦めるような動きを見せるサタデー。「ような」というのは、竦める肩がないからだ。
「そんで、どうよ孝一。話してみてくれねえかなあ」
 問われたのは僕だけど、サタデーの向こう側では栞さんも眉をひそめている。はて、ここはやっぱり丁重にお断りするべきだろうか、なんて思ったところへ、
「あの、できれば私からもお願いしたいです」
 そう言ってサタデーを後押ししたのはナタリーさん。
「人間の恋愛感情はなんだか遠回しと言うか、難しいです。だから一度、詳しく聞いてみたいんですけど……」
 些か、サタデーとは方向性の違う興味の示し方だった。……ともあれ、女性に頼まれると断り辛いと言うかなんと言うか。例えそれが蛇であれ。


「一つだけいいかな、こーちゃん」
 苦し紛れに少しだけ口を開くと、結局そこからズルズル話を引き出されてしまう。そんな後悔ばかりが残るような展開で昨晩の語らいを一通り話し終えると、車備え付けの灰皿にタバコもどきを押し込みながら、家守さんが声を掛けてきた。
「なんですか?」
 一瞬「また悪質な冗談が来るか?」と身構えたものの、口調が真面目な話をする時のそれだったので、警戒を解いて受け答え。それを受けた家守さんは、「こんな所でする話じゃないかもだけど、せっかくだしね」と笑っていた。
「条件を分かりやすく説明するために『愛』って言葉を使ってるだけで、幽霊が年を取るための条件である『愛』と個人個人が捉える『愛』は別だからね? 髪が伸びないからって愛してないってわけじゃないから、そこは分かっててあげてね。もちろん、しぃちゃんも」
 言われて思わず、栞さんのほうを振り向く。栞さんも、こちらを向く。そのまま一秒かそこら、呆気に取られたような顔を向け合って――栞さんは、にこりと首を傾けた。
「なっちゃんもね。だいちゃんは寝ちゃってるみたいだけど、精一杯愛してあげちゃってくださいな」
「……よくもまあ、そんな恥ずかしい台詞をぺらぺらと。それにな家守、わたしが子持ちですらある事を忘れていないか? 今更他人からそんな助言をもらうような年ではないぞ、わたしは」
「キシシ、そーいやそーでした。じゃあだいちゃんをリードしてあげてください、かな?」
「うむ。まあ、そんなところだな」
 狭いスペースでみんながすり抜け合い、重なり合って座っている中でその小さな身体が埋もれがちである成美さんながら、威張るように胸を張ったのはなんとか目視できた。その自己表現が正当であるかどうかは別にして。
 別、か。と緩く息を吐くのは、もちろん成美さんのポーズではなく愛について。
 言われてみれば、と言うか言われるまでもなく別なんだろう、そりゃあ。愛と一言で言ってもその形が様々である事ぐらいは、僕にだって分かる。でも、じゃあ、僕が栞さんに向けるかもしれないそれは、一体どんな形になるんだろう? その輪郭すら想像できないものに、どうやって辿り着けばいいんだろう?
 ――なんとなく、後部座席の栞さんを振り向きたくなった。だけどなんとなく気が引けて、それは止めておいた。


「もうそろそろ着くよー」
 高速道路を降りて十分ほど経っただろうか、家守さんは唐突にそう声を上げた。もちろん本人からすれば、唐突だなんて意識は欠片もなかったんだろう。家守さんはただ、そろそろ着くから「そろそろ着く」と言っただけだ。
 では何故、僕は唐突だと思ったのか。
 それは、周囲の景色があまりにもただの住宅地でしかなかったから。
「そういう雰囲気じゃなさそうですけど……」
 正面やら右やら左やらをきょろきょろと眺めながら、返事と言うよりは呟きに近い形で言葉を溢してみる。すると家守さんの側から、ふっと小さく息が漏れる音。
「これから所謂『高級住宅街』ってやつに踏み込むからね。――何も、山の上にばっかり家建ててるわけじゃないんだよ? お金持ちだって」
 頭の中にあった「お金持ちの家」のイメージを、見事に言い当てられた。
 仕方ないじゃないですか。この間、山の上に立てられたお金持ちの家に行ったばっかりなんですから。
「飼われていた身としては、山のほうがのびのびできて良かったと思いますけど……」
「みたいだな。他の奴等も同意見だとさ」
 そう仰るのは、実際にあの家に済んでいたナタリーさんとサタデー。そしてどうやらサタデーの中の六名も、ナタリーさんの意見に同調しているらしい。しかしその直後、「あ、で、でも、今の家も気に入ってて……あの、ごめんなさい」と再びナタリーさん。
 対して管理人さんはそれを「キシシ」と笑い飛ばした後、
「うちのウリは立地条件と別の所にあるからね」
 とのこと。僕は初め、大学に近いという立地条件であまくに荘を選んだわけだけど――
 今なら家守さんの言い分も、しっかり理解できる。

「はい到着ー」
 そろそろ着く、とは聞いてたけど、そろそろどころかすぐでした。
 立ち並ぶ家々が急に豪華になってきたかな、と思った途端、あるお宅の前で車が停止。そして後部座席からは、その門構えを見た栞さんの「お寺?」という呆けたような声が。まあ、声を失うばかりだった僕よりはマシな反応なんですけどね。
 というわけで、和風建築です。門が大き過ぎるうえに閉じられていて、中は窺えませんが。
「これは、なんだ? 巨人の家なのか?」
「いえいえ。人だけが通るのには、あの隅にある小さな戸を使うんですよ」
「む? ――ああ、確かに小さなドアがあるな。扉に扉が付いているとは、妙な話だ」
「んっふっふ。……それにしても、確かに立派ですねえ。許可がもらえたら写真に撮っておきましょうかね?」
 未だ寝ている大吾はともかく成美さんと、その構造の説明に入った清さんも、やっぱり驚いているようだ。
 ナタリーさんやサタデー達が住んでいた、山村夫妻の豪邸。あちらも門は大きかったけど、洋風な造りに合わせて屋根がなかったせいか、これほどまでのインパクトはなかったように思う。しかも今はそれが閉じられているので、門と言うよりは殆ど「壁」という装いなのでした。
「ちょっと待っててね、開けてもらってくるから」
 そう言って車内のざわついた雰囲気とは対照的に、軽やかな足取りで車を降りる家守さん。そのまま、そこだけは普通の家と代わりのないインターホンへと向かう。それからややあって、巨大な門はその図体に似合わず、静かに開いていった。という事は。
「電動なんだ、あれで」
「まあ、あの大きさのものを毎回人力で開けてたら大変ですからねえ」
 和風というものは、どうしてこう見るからに「機械の力」と釣り合わないんだろう。この門だって、白ふんどしの大人数人が力一杯……いや、さすがにそれは言い過ぎか。
「お待たせー。そんじゃ、車ごとお邪魔しちゃいましょうか」

 さて。門をくぐってみればその内部はさも当然のように広く、しかもその広いスペースには一面、「ここを車で通って、本当にいいんだろうか?」と思ってしまうくらいに見事な和風庭園が。どのくらい広いかは……えーと、木やら何やらで端が見えません。測定不能です。
 どれくらい広いのか分からないくらいに広いとは言え、ここは家の敷地内。というわけで車もゆったりゆったりと最徐行であり、松っぽい木やら鯉がいるっぽい池など、眺める時間はたんまりと。
「綺麗だけど、お手入れ大変なんだろうなあ」
 みんなが声を殺して窓の外を見入る中、我等が庭師さんは、ぽつりとそんな事を言っていました。結果、車の中がくすくす笑いで満たされたり。
「な、なんでみんな笑ってるの?」

 という一幕もありつつ、屋根付きかつこれまた広い、軽く五台は停められるんじゃなかろうかという車庫。客用なのか、密かに期待していた高級車なんかは見られませんでしたが、テレビのCMなんかで見掛けるようなワゴン車が一台停めてありました。僕達以外にも誰か来ているのか、はたまたここの関係者さんの車だろうか?
 そんな疑問はともかく、車で来た道の中ほどまでを引き返し、いよいよ玄関前。
「おいヤモリ、ジョン達はこのままここから入っていいのか?」
「ワウ?」
「連れて来る事は言ってあるから、どうしたらいいか訊くよ」
 門に比べて普通な玄関口、そのインターホンを押してから反応が返って来るまでの間に、大吾と家守さんの短い遣り取り。まあ、仕方のない話ではある。
 するとそこへ、「どうぞお入りくださいませ」とやや渋い感じの男声。しかし玄関は閉じたままで、近くに誰かがいるわけでもない。さすがはお金持ち、セキュリティもバッチリ――と思ったけど、よくよく考えたらこれくらい一般家庭でも付けてる所は付けてますね。うちは付いてませんけど。
 それにしても今の男の人の声、どこかで聞いた事があるような?
「ようこそおいで下さいました、楓様」
 引き戸を開けると、着物姿の女の人がうやうやしく頭を下げていました。
 思えばみんなで行ったプール以来の「様」付け。この場合、返答は「お邪魔します」でいいんだろうか? それとも「失礼します」? はたまた「お邪魔させていただきます」?  そもそもこの女の人は、どういう立場の人なんだろう? なんて悩んでみたところ、
「お邪魔します」
 家守さんははっきりと、そう言って退けてしまいました。そして、
「えーと、犬と蛇と植物は、ここから上がらせてもらっても……?」
 ほのかに苦笑を浮かべながら、そう付け加えるでした。

 結局のところ、ジョン、サタデー、ナタリーさんの三名は、用意してあったタオルで足(もしくはそれに相当する部位)を軽く拭いただけで、僕達と一緒に玄関から中へ。応対に現れた女の人の後についていったところ、なんと言うか、離れとも言うべき建物に到着。初めに入った建物とは壁のない渡り廊下で繋がっていて、これまた溜息が出るばかりの庭が眺められたりするのですが、こういう廊下って雨降った時とかどうするんだろう?
 なんてのはまあいいとして、はて、ここは?
「楓様はもうご存知でしょうが――」
 ある部屋の前で不意に立ち止まった女の人は、薄く笑みを浮かべてそう言いながら振り向く。
「こちらの部屋をご自由にお使いください。本日は他に、お客様もおりませんので」
 バスガイドのようにひらりと差し出された手はすぐ横にある部屋を向いているものの、これは状況的に離れ全体を差しているという事なんだろうか?
「おや、そりゃラッキー……おほん。えー、本日はみんな纏めて、お世話になります」
 家守さんがぺこりと頭を下げ、纏められたみんなもそれに続く。すると着物の女の人も、お辞儀を返してくる。
「はい。誠心誠意、お世話させていただきます」
 どことなく、畏まっていると言うよりは親しみのある口調だった。友達相手にふざけて「そういう言葉遣い」を持ち出しているような。……いや、ふざけてるとか言ったら失礼なんだろうけど。
「使うお部屋が決まりましたら、近くの者にお伝えください。それと、お風呂はこの廊下沿いに進んだ突き当たり、お手洗いはそのすぐ手前にございます。他に何かお気に掛かる点がおありでしたら、なんなりとお申し付けください。それでは、ごゆるりと」
 てきぱきと簡単な説明を終え、もう一度柔らかな動作でお辞儀をすると、女の人は来た廊下を引き返していった。
「おい、家守」
 女の人の背中、帯の大きな結び目を見送ったあと、成美さんが家守さんを見上げる。
「何かな? なっちゃん」
「金持ちの家とは言え、客間が多過ぎないか?」
 言って、廊下に沿うようにその数を確認。僕も同じように。
 もちろんここから全てが見えるわけじゃないけど、それでもずらりと部屋への入口が並ぶ。しかも建物の造りが和風なのに、その入口はふすまでなくドアだ。これじゃあまるで宿泊施設みたい……
「ああ、ここ、旅館も兼ねてるから」
 その瞬間、わざわざ全員の顔を確認したわけじゃないけど、辺りの空気が驚きを孕んだような気がした。そしてそれはもちろん、僕にも当て嵌まる。
 ――なんと。という事はさっきの女の人、仲居さんって事になるんだろうか。
「しかし家守さん、その割には受付のようなものがなかったようですが?」
 山登りでもするんですかという大荷物を背負った清さんが続く。いや、この人の場合、本当に山登ったってなんらおかしくないわけですが。その山だって、家の裏手に見えてるし。
「うん、お金は取ってないからね。幽霊さん専門なんだよ、普段は」
「ほう、それはそれは……。なるほど、なるほど」
「だから世間的に見れば、ここってただの大きな家なんだよね。――しぃちゃんとなっちゃんには行く前に言ってあったんだけど、他のみんなには、ね。驚くかなと思って」
 確かに驚きましたが、しかし何故また栞さんと成美さんにだけは教えたんだろうか? という事で、「どうして栞さんと成美さんだけ?」と尋ねてみる。家守さんでなく、隣の栞さんに。すると栞さん、「えっ?」と驚いたような声を上げ、しかもあたふたし始める。
「ほら、その、こういう所だと浴衣が備え付けでしょ? となると下着がこう、いろいろと……」
 ああ、そう言えば聞きかじった事があるようなないような。
「ふん。結局わたしには関係のない話だったがな」
「おい、オレ、話が全くさっぱりなんだけど」
「まあ今では気にせず普段通りな女性も多いそうですし、知らなくてもそうそう問題はありませんよ、怒橋君。んっふっふ」
「はあ……」
 まあぶっちゃけちゃうと、浴衣には浴衣に合わせた下着というものがあるんだそうだ。付け加えとして昔からの慣わしを持ち出すならば、そもそも浴衣の下は下着を着用しないらしい。以上、聞きかじり知識ここまで。
 そんな事はいいとして、そして釈然としない様子の大吾もいいとして、頭に浮かんだ疑問が一つ。
「あの、家守さん。昨日の帰り際に言ってた『後もう一つ』って、ここが旅館だったって事でいいんですか?」
 後もう一つ。家守さんが僕と栞さんに伝えようとして、しかし言わずに帰ってしまった何か。それがこちらを驚かせるようなものだとするなら、こういう事だったとしても妙な話ではない。
 しかし家守さん、「いんや違うよ」とニヤニヤ。
 それに続いて「でももうすぐ判明すると思うから――」と言った、その時だった。
「おー、やっぱ来てた。賑やかだと思ったら、思った通りだったねえ」
「先日はどうも、お世話になりました」
 ずらりと並んだドアの一つが突如開き、そこから一組の男女が現れる。
 ウェーブ掛かったセミロング、その頭頂部から飛び出す触角のような髪と、それに家守さんに負けるとも劣らないサイズの……おほん。が特徴的な女性。かたや男性のほうはと言うと、僕そっくり。
 そう。家守さんの妹である椛さんとパン職人の孝治さん、月見夫婦の登場です。こんな所で。
「ほら判明した」と家守さん。そうですか、これが。


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