(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十章 息抜き 七

2011-03-29 20:52:43 | 新転地はお化け屋敷
「大吾、どう? 自分の背中は成美さんから格好良いって言ってもらえたけど」
「どういう振りだよ」
 そんなに無理のある振りでもなかったと思うけど? ということで、話の流れよりも意地悪をしてやろうという気持ちが前に立った質問ではあったわけですが。
「悪いけど、オレも成美と同意見だな。格好良いはねえって、そりゃ」
「そうなのか……」
 僕より早く反応したのは成美さんでした。自分では疑問に思っていたのに、大吾にそう言われるのは残念だったようで、どこかしょんぼりと。
 しかしそうなると、話はそれで終わり、というわけにもいかなくなります。大吾はもちろん、勝手な話ながら僕も困ってしまうのでした。
「い、いや成美さん、『格好良い』ではないにしても、他の感想があるでしょうし」
 大吾に話を振ってしまっている以上、僕がどう取り繕っても、最後は大吾に任せるしかありません。そんな状況と、あとお詫びの意味も込めた視線を大吾に贈ると、少しだけ間を開けてから、大吾はこう言いました。
「そうだな。美術品見て格好良いなんて言わねえし」
 これはまた。
 なんてことを思った僕に飛んできたのは、文句は言わさねえぞ、とでも言いたげな大吾の威圧的な視線でした。もちろん文句なんか言える状況でなければ立場でもないので、その無言の意思には従っておきます。
「美術品? ええと」
「すっごく綺麗だってことだと思うよ。でしょ? 大吾くん」
「……ああ」
 僕を黙らせまでして言い切った大吾の台詞は、しかし成美さんにはいまいち理解できないものだったようで、栞さんのフォローが入ってしまいました。大吾、苦笑。
「綺麗、か。ふふ、そうか。それなら分かるし、嬉しいぞ。大吾は特別としても、喜坂だってよく言ってくれるしな。背中でなく髪を指してだが」
 栞さんだったら容姿全体を指してもちょくちょく言っているような気がしますが、まあこれ以上下手なことは言いますまい。と思ったら、
「髪に限った話じゃないけどねー」
 僕と同じことをあっさりと言い放ちながら栞さん、ここへ来る最中にもそうしていたように、成美さんへ抱き付くのでした。
「格好良いというのは分からんが、綺麗という話なら――ふふ、お前だってそうだと思うぞ、わたしは」
 綺麗と言われて機嫌を良くした成美さんはそれで更に機嫌を良くし、栞さんとじゃれ合い始めるのでした。
 栞さんが見えない周囲の方々からすれば、そこには奇妙な光景が広がっているのでしょう。しかし幸いにも確認できる範囲に人目はそう多くなく、そうでなくても今の二人に水を差すようなことはしたくないので、それについては言わずに済ませておきました。
 女性二人が一緒になって遊んでいるということで、大吾がこちらへやってきます。
「ごめんね、さっきの」
「別にいいよあれくれえ。むしろおかげで言いたかったこと言えたし」
「言いたかったこと?」
「美術品どうたらっての。まあ、外したっぽかったけどな。喜坂に助けてもらっちまったし」
 言いつつ、大吾はさっきと同じ苦笑を浮かべていました。
「……言いたかったってことは、さっき思い付いたんじゃなくて前々から?」
 謝ってみせた手前なので若干及び腰ですが、尋ねてみました。
 大吾は頷きました。
「皆までは言わねえけど、エロい気分すら吹っ飛ばされて暫く見惚れてた」
 皆まで言わないにしては身も蓋もない仰りようでしたが、つまり、それほどまでに綺麗だったと。それだったら、美術品に例えるのも大袈裟ではないでしょうし、的外れでもないのでしょう。
「喜坂には言うなよ、オレがこんなこと言ってたなんて」
「言わないよそりゃ。というか、言えないって」
 エロい気分とか言われちゃってるんだしさあ。想像出来ちゃうじゃんか、その場面が。吹っ飛ばされてたにしても。
「どーだか。喜坂にゃ弱そうだからなオマエ、いろいろと」
「それは否定しないけどさ、いろいろと」
 今から買いに行く物だって、栞さんへの弱さが買う理由の一つになってるんだし。
 いや、ストレートに弱さって言っちゃうと、違和感がなくもないんだけどね。
「そういう大吾は、成美さんに強いの?」
「んなわけねえだろ。今してた話一つだけ見ても」
「だよねえ」
 栞さんに弱い僕。成美さんに弱い大吾。ならば目の前で絡まり合っている栞さんと成美さんの塊は、僕と大吾の天敵ということになるのでしょうか。
 何か違うような気がしました。

「着いたぞ、ここだ」
 知ってますけどね、とは言いませんけどね。
「わたしが持っているやつは、まだ売っているだろうか?」
 こちらを振り返ったのは一瞬だけで、ずいずいと店の奥へ進み入る成美さん。ついさっきまで栞さんとじゃれ合ってはいましたが、どうやらそちらへの張り切りようも、依然として健在なようです。
「売ってたからって、だからどうなるってわけでもねえんだけどな」
「ん? なんだったらもう一つ買ってもいいのだぞ? そうすれば二人でお揃いだしな」
「なんでそういう話になったんだ今」
 あからさまに呆れたような顔を作る大吾でしたが、それでも成美さんの笑みは全くと言っていいほど陰りを見せませんでした。どうやら成美さん、僕が思っている以上にあの座椅子がお気に入りなようです。
 で、座椅子が並べられている場所に到着したのですが。
「おお、あるじゃないか」
 成美さんの期待通り、部屋にあるものと同じ座椅子はまだ売られていました。しかし大吾が言っていたように、だからといってどうなるんだという話なのですが。
「どうする大吾、買うか?――ああ、金ならわたしが出すぞ。こんな高価そうなものを買ってもらったわけだし」
 そう言いつつ手で触れて示すのは、結婚指輪代わりのネックレス。値段はまだ伝えていない筈ですが、高価そうだということは察してもらえているようです。いや、僕が「察してもらえている」なんて言い方をするのは変かもしれませんが、一応は大吾と一緒にそれを選んだ人間だということで。
 まあしかし、ネックレスの件は、それはそれでということで。
「いや、止めとく。オマエが欲しいんなら止めねえけど、オレからは」
「そうか?」
 そこまでキッパリ言い切るからには何か理由があってのことなんでしょうけど、成美さんはそれを聞き出そうとはせず、「なら止めておこう」とあっさり納得するのでした。
 買う理由がない、というよりは、買わない理由がある、というようなキッパリさだった大吾。はて、どんな理由なんでしょうか。
 正直、なんとなく分かるような気もするんですけどね。座椅子が一つならそれを二人で使うわけで、ということで。……まあ、だからって言いはしませんけどね、似たような話でさっきちょっと失敗してますし。
「それで、日向はどうする? いくつか種類はあるみたいだが」
「そうですねえ」
 成美さんが仰る通り、いくつかの種類がある座椅子。しかしいくつかと言っても、店に並べられるスペースとの関連からかそう多くはなく、数字で言ってしまえば三種類です。わざわざこことは別の場所にも座椅子が並べられたりしていない限りは。
 座椅子の相場は存じませんが、三種類の値札だけで比較するなら、高い、普通、安いといった品揃えでした。僕の目からすれば商品自体はどれも似たようなものにしか見えないのですが、こうもはっきりと値段が分かれているならば、やっぱり何かが違うのでしょう。
 ちなみに、成美さんが持っているのは安いものでした。成美さんがそれを選んだ理由が値段なのかどうかは分かりませんが、そうだったとしても、特に間違った選択基準ではないのでしょう。というか、普段なら僕だって多分そうしてるでしょうし。
 でも、今回は。
「……これにしましょうかねえ」
 僕が指差したのは、一番高いものでした。色以外でぱっと見て分かる他との差異を挙げるならば、肘掛けが付いていることでしょうか。とはいえ、それが理由でこれを選んだわけではありませんが。
「おお、一番高いの選ぶんだ」
 そんな声を上げたのは栞さんでした。家守さんと高次さんに仕事の依頼をしたことで経済状況がちょっと危うくなっていることを知っているわけですし、だったらそんな反応も当然でしょう。
「高いほうが丈夫かなって」
 その理屈が果たして実際に通るかどうかは分かりませんが、それが一番高いものを選んだ理由でした。折り畳めるせいか、なんとなく壊れ易そうに見えるんですよね座椅子って。成美さんが使ってるのはしっかりしているわけですから、杞憂に過ぎないんでしょうけど。
「そりゃまあそうかもな」
 大吾が納得してくれました。それでこの「値段と丈夫さが比例する」という理屈が通る可能性が上がるわけではありませんが、しかしそれでも心強い一言なのでした。
「なるほど。座れればそれでいいと思っていたが、そういう考え方もあるか」
 成美さんが感心してくれました。これもまた、大吾の場合と同じく。
「そ、そっか。大事だよね、そういうこと」
 どういうわけか少し動揺を見せる栞さんでしたが、それはともかくこちらも大吾と成美さん同様でした。だったらもう、決定でいいでしょう。

 しまった、と思ったのはお金を支払った後のことでした。
「よくよく考えるまでもなく、食材よりよっぽど大荷物ですよねえ。こっちのほうが」
 荷物になるから最後でいい、と食材の買い出しを後回しにした僕は現在、座椅子を梱包した箱を抱えています。
「まあ、どっちを先にしたところでカートが必要になるんだがな。そのまま歩き回るのは不便だろう?」
 箱には取っ手が付いており、なので結構な大きさではあるものの、ただ持つだけならそう不便はありません。これより小さいとはいえ、成美さんの抱き枕と同じようなものでしょう。
 しかし、それとは別の問題が一つ。割と重さがあるのです。もちろん持てないほど重いわけではありませんが、そのまま歩き回るのが億劫になる程度には。
「ここで待っていてくれ。カートはわたしが取ってきてやろう」
「あ、それくらいなら僕が」
「いいからいいから」
 引き留めようとする僕を振り返りつつ、しかし足は止めないままそう言って、成美さんは小走りで行ってしまいました。見た感じ、まだまだご機嫌なようです。
 というわけで僕と栞さん、あと抱き枕入りの紙袋を手渡された大吾の三人は、その場で待つことに。
「楽しそうだね、成美ちゃん」
「みてえだな」
 角を曲がって見えなくなる直前の成美さんの背中を眺めつつ、二人はそんな短い遣り取り。――言葉を用いた遣り取り自体は短かったのですが、栞さんは大吾のほうを向くと、それこそ楽しそうにニコニコしているのでした。
「なんだよ」
「何だと思う?」
「分かってるから訊かねえ」
 ぷいと視線を逸らす大吾なのでした。
 思い返せば今に限らずずっと楽しそうな成美さんでしたが、だったら彼女をそうさせている一番の理由は何なんだ、とそういう話なのでしょう。栞さんが言おうとしているのも、大吾が察したのも。もちろん、ネックレスでしょうけどね。
 僕もそんなふうに思ってみたところで、大吾はいま逸らしたばかりの視線を元に戻します。
「オマエはどうなんだよ、さっきの」
「さっき?」
「孝一が『高いほうが丈夫』っつう話した時、なんか焦ってただろ」
 大吾の逆襲が始まったかと思ったら、僕も普通に気になる内容でした。栞さんの困り顔が見たいとかそういうのではなく。
「そ、そうだった? いや、うん、あれは……あはは」
 笑って誤魔化そうとしたらしい栞さんでしたが、大吾の視線は外れません。だからといってそれ以上の言葉を掛けるというわけでもなかったのですが、栞さんが追い詰められているのは、引きつりつつある笑顔を見れば分かります。
「もしかしたら私も使わせてもらうかもしれないし、だから、丈夫かどうかは私も気にするべきだったなって」
「ふーん」
 嘘くせえなあ、とでも付け足しそうな態度の大吾でしたが、そこまではしませんでした。
 ちなみに僕ですが、それが嘘だということに加えて、栞さんが本当に思ったことも、分かってしまいました。
 ただいまの栞さんの台詞、正確には「私も使わせてもらうかもしれない」ではなく、「私『と』使わせてもらうかもしれない」なのです。僕が座椅子を買うことにした理由の一つに、昨晩の背中貧弱事件が含まれている以上は。一人ずつでなく二人分の体重を同時に支えてもらわなきゃならないんですしね、そうなったら。
「まあ、そういうことだったら心配しなくてもいいと思うぞ。うちのですらまだガタが来たりはしてねえんだし」
 嫌味なのか普通の意見なのか判定が難しいところですが、しかし初めから気にしないでおくことにしました。責められているにしても、それは僕でなく栞さんなんですしね。酷い話かもしれませんけど。
「そ、そうだよね。一番重そうな大吾くんでも問題ないなら、私と孝一くんでも大丈夫だよね」
 それはちょっと危険な表現じゃないでしょうか栞さん。受け取りようによっては本音そのものですよそれ。あとさすがに、いくら一番大きい大吾でも、僕と栞さんの体重を足したらそれ以上になると思いますけど。
「オマエはいいとして、孝一も軽そうだもんななんか」
「あんまり嬉しくないなあ、そう言われても」
「そりゃあ褒めてるわけじゃねえしな、別に。貶してるわけでもねえけど」
 太ってる太ってないって話以前に、筋肉からして不足気味だもんなあ。だから昨晩、背中に不安を持っちゃったわけで。……うう。
「軽いって言ったら、成美ちゃんってどうなんだろうね?」
「ん? あの身長だったら軽いに決まってんだろそりゃ。オマエだって時々は膝に座らせたりしてるだろ?」
「ああいやいや、今。大人の身体の時。身長は私より上だけど、すらっとしてるし」
 身長は私より上だけど、という情報を含ませたということは恐らく、それと同時に「だけど自分より軽いんじゃなかろうか」という疑問もあったんでしょう。どうしてその疑問は口にしなかったのかと考えたら、僕からだって言えはしませんでしたけど。
「オマエの体重は知らねえけど」
 僕が言えなかったことをさらりと断ってから、大吾は答え始めました。
「あの身体になれるようになってすぐの頃だったか、試しにいつもみてえに背負ったことはあんだよ。そん時の感じじゃあ、まあ重くはなかったな。身長の割に軽いかって言われたら、そうだったとも思うし」
「ふーん、やっぱりそうかあ」
 納得したらしい栞さんは、そう言いながら自分の体を見下ろしています。もちろん成美さんとの体重の比較については一切の情報が出ていないわけですが、それでもどこか、ちょっぴり悔しがっているように見えるのでした。
 しかし、それについてはさっきと同じく口にはしないでおきまして。
「試しに背負ったって、何を試したの?」
 まさか体重を量るためにおんぶしたってわけではないでしょうし。
 ついでに、「わざわざそんなことしなくても成美さんの体重を感じる機会なんていくらでもあるよね」なんてことも思ってはみましたが、もちろん口にはしません。さっきからそればっかりですけど。
「そん時は庄子が一緒で、しかもまだ幽霊が見られなかった頃でな。成美、小さい時は実体化しててもオレが背負ったら見えなくなるけど、大きかったらどうだろうって。結局、庄子に言わせりゃ『変な格好で浮かんでる』ってことだったんだけどな」
 幽霊が触れているものは幽霊と同じく見えなくなるけど、大き過ぎると駄目。そんな話を意識したのは、随分と久しぶりのような気がしました。単純に見える見えないってだけのことなら、大学でほぼ毎日意識してるんですけどね。
「もし小さい時と同じでちゃんと見えなくなってたら、大人の身体の時でもおんぶしてた?」
 そんなことを尋ねた栞さん、意地悪さが見え隠れする笑顔を浮かべていました。
 が、大吾は呆れ顔。
「大きい小さい関係なしに、あれをするかしないかはオレじゃなくて成美の判断だよいっつも。訊くんならオレじゃなくて成美にしろ」
 まあ確かにその通りで、成美さんが背中を貸すよう大吾に頼むことはあっても、大吾のほうから「おんぶさせてくれ」なんて言いはしないでしょう。直接見たことがないのはもちろん、見てないところでそんなことが起こるとすら、思えませんでした。そりゃそうでしょう。
 とそこへ、三人の輪の外から声が。
「なんだ、わたしの話か?」
 あら成美さん、お帰りなさい。ってまあ、カートの音で気付いてはいたんですけどね。

 僕の代わりにカートを取りに行ってくれた成美さんは、その後もカートを押し続けるのでした。無論、「僕が持ちます」とは言ったんですけどね? 一応は。
「どうだろうなあ。こうして猫耳を隠すことになっているのと同じで、この身体でおぶってもらうのは恥ずかしいような気もするし」
 ニット帽をぽんぽんと叩きながら、成美さんはそう言いました。
 今は行き先を決めずに適当に歩き回り始めたところなのですが、話題のほうは引き続き成美さんのおんぶの話です。大人の身体でも、ちゃんと消えるんだったら大吾におんぶしてもらってたと思いますか、という。
 体重の話も本人に訊いてみたいところでしたが、まさか女性の体重についての話を僕から切り出すわけにもいきますまい。
「それ以前に、いくら身長の割には軽いっつっても、そのまま今みてえに歩き回るってのは多分しんどいぞオレ」
「ははは、それもあるか」
 からからと笑う成美さんでしたが、「身長の割には軽い」という話には全く触れる気配がありませんでした。聞き逃したのか、はたまた自明のこととして聞き流したのか、どっちなんでしょうね。
「恥ずかしさと大吾の体力が無視できるのであれば、もちろんしてもらいたいのだがな。ただまあそういう状況となると、周りに他に誰もいないというのはもちろん、歩き回る必要もないということだからな。おぶってもらうというより、ただわたしが後ろから抱き付いただけ、ということになるか」
 返事というよりは、思ったことをそのまま口にしてみた、というようなトーンでした。
 で、そのせいか、こんな一言が付け加えられます。
「――ああ、すまん大吾。こういう話は駄目だったか」
「いや、そんくらいだったらまだなんとか。それに相手がコイツ等だしな」
 ちょいちょい、と指ではなく顎でふた指し。指されたのはもちろん僕と栞さんです。顎で指されたせいか随分とどうでもよさそうな感じを受けてしまいましたが、どう捉えておくべきなんでしょうね?
「まあなんだ、正面から抱き合ったりもしたわけだし。それ渡した時」
 そう言って、成美さんの胸に下げられているペンダントを指差す大吾。当たり前ですが、今度は顎で指したりはしませんでした。
「そうだったな。ふふっ」
 取り直す必要もあまり感じられませんが、ともかく気を取り直します。
 現在、移動してはいるのですが、しかし目的地は特に定まっておらず、なので取り直さずにぽわぽわし続けていると、いつまでも歩き続けることになりそうだからです。それも悪くないのかもしれませんけど。
「家電売り場、行ってみませんか?」
「というと、買い物目的ではないな?」
 今の今までこれ以上ないくらいほんわかしていた成美さんですが、反応も理解も素早いのでした。
「はい」
 家電売り場。店自体に用はないのですが、しかしあそこは、知り合いの方と会えるかもしれない場所なのです。

 近寄りつつある僕達に気付いたその人は「あら」と声を上げてから、「いらっしゃいませ」と業務用の歓迎をしてくださいました。
「何も買わんがな」
 そんなご無体な、成美さん。その通りなんですけど。
 というわけで、用事もないのにレジに集まった僕達の前にいるのは、楽明美さんです。送られた言葉は営業用でしたが、笑顔は私生活のそれでした。
「あら手厳しい。うふふ、それじゃあお客様扱いは必要ありませんかねえ?」
「うむ、ないぞ。むしろされたら何か買わなくてはならんような気分になりかねん。既に結構な荷物があるというのに」
 成美さんがそう言うと、明美さんは少しだけカウンターから身を乗り出しました。明美さんからは少々見辛い角度のカートの下段、そこには大きな荷物が二つほど、重ねられています。
「うちの商品じゃないことは確かですけど、何ですかこれ?」
「日向の座椅子とわたしの抱き枕だ」
 それだけを答えるのに何故かえへんと胸を反らせる成美さんでしたが、まあいいとして。
「あら、いい買い物しましたねえ」
「だろう」
「でも哀沢さん、抱き枕はもう持ってるんじゃないですか?」
「ん? いや、持ってないが?」
「だそうですけど、どうなのかしら。怒橋君」
 あらやだ明美さん。
「いやその、布団はちゃんと別ですから……」
「あらそうなの」
 成美さんはそれでも明美さんが何を言っているか分からないらしく、頭上にクエスチョンマークを浮かべながら、二人の間で視線を行ったり来たりさせているのでした。
「ところで、ちょっと気になってるんですけど」
「ん? あ、ああ、なんだ?」
 別の質問にすら動揺を見せてしまう成美さんでしたが、今度の明美さんの質問は単純明快で、かつ成美さんの動揺を消し去ってしまうものでした。
「そのネックレス、どうしたんですか? 前まではしてなかったと思うんですけど」
「これか」
 成美さん、またもふふんと胸を反らします。疲れないだろうかと心配になるほどテンションが上がったり下がったりですが、疲れたんならそもそもテンションは上がらないでしょうし、ならば無用な心配なのでしょう。
「ついさっき怒橋が買ってくれたのだ。しかもわたしが買ってくれとねだったわけでなく、自主的な贈り物として、だぞ」
「あらあ」
「結婚指輪のつもり、と言っていたっけな。それがどういうものなのか詳しくは知らんが、結婚という言葉が入っているんだ。指輪でなくネックレスだったとしても、喜ぶべきものには違いないだろうさ」
「あらあらあ」
 一応補足しておくと、明美さんは大吾と成美さんが既に夫婦であることを知っています。なので結婚指輪という言葉に驚いたりはせず、混じりっ気なしに嬉しそうな顔をするのでした。
 明美さんが少し視線をずらし、大吾のほうを向きました。それを追って僕も大吾のほうを見てみたところ、やや照れてはいるようでしたが、いつものように顔を逸らしたりなんてことはありませんでした。むしろ意識して姿勢を正しているんじゃないかというくらいに、ピシッと背筋を伸ばしています。
 それを見た明美さんですが、ただにこにことしているばかりで、大吾に声を掛けるようなことはありませんでした。
 そんな明美さんの様子に、成美さんが気付かなかったということはないでしょう。ならばこちらも意識してそうしたということなのか、同じく大吾には触れないまま、別の話を始めるのでした。
「お前はどうなんだ? 楽と結婚しているわけだし、やはりしているのか? 結婚指輪というやつは」
「ええ。ほら、これです」
 カウンターの上に出された明美さんの左手。その薬指には、銀色の指輪が嵌められているのでした。


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