(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十七章 事前準備 二

2014-01-25 21:01:27 | 新転地はお化け屋敷
 と、ここまでは別に僕に限った話でもないのでしょう。実の子であれ養子であれ、殆どの場合は誰かと一緒になった後の話なわけで、だったら誰しも大なり小なり似たようなことを考えはするんでしょうし。
 いや、誰に確かめたことがあるってわけでもないんですけどね? それこそ自分の実の親にすら。
 というわけで今度は僕の個人的な事情に関わる話なのですが、僕は一人っ子です。つまり僕が子どもを作らないと、日向家はそこで途絶えてしまうわけです――なんて言ってしまうとまるで凄い家柄であるように聞こえてしまいますが、もちろんそんなことはないんですけどね。
 ともあれそんな事情から、と言ってもそれだけってわけでもないんでしょうけど、僕の両親はもう一人子どもを作ると言っていました。……いや、言ってくれました、のほうが正しいんでしょう。僕個人や日向家のこともそうですが、そこに栞のことも含めての判断だったんでしょうしね。現状、どうやら栞のことは気に入ってくれているみたいですし。
 僕を産んだのが比較的早い時期だったとはいえ、その僕も大学に通う年です。両親はもう若いと言えるような年ではありませんし、ならばやはり、子どもを作ることへのリスクも、高くなっているのでしょう。そして僕ですら思い浮かべられるそんな不安を、僕を産んだ経験がある両親に思い浮かべられないわけもなく。
 僕と栞のため、という一面がある以上、この話については親への感謝を惜しむべきではないでしょう。明日でいろいろと区切りも付くわけですし、親孝行とかを考えてみてもいいのかもしれません。
 ――が、です。この話については一つ、考えなくてはならないことがあります。
 もし養子を迎えるという話が僕一人の考えでなく現実のものとなった場合、「子どもを作ることができない僕と栞のため」という、両親がもう一人子どもを作る動機が無くなってしまうことになるわけです。ならば僕は、それを理由に「子どもを作る必要はない」と親に告げるべきなのでしょうか?
 前述の通り、年齢の問題もあります。金銭面に限らず負担は相当なものになるわけで、ならば取り止めにできる材料がある以上はそうすべきなのでしょうか。
「…………」
 負担のことだけを考えれば悩む必要もなくそうすべきなのでしょうが、しかしそうもいかないのでした。というのも、僕のためや栞のため、あと日向家のためだとか、そんな義務感だけで子どもを作ろうということにはならないだろうと思えてしまうからです。
 両親は悩んでいる最中というわけではありません。既に決断しているのです、もう一人子どもを作ることを。その決断と決断の中身を、こちらの都合だけで取り止めになどしてしまっていいなどという道理は、そりゃあ通らないのでしょう。
 平和の象徴。栞は赤ん坊をそう表現しました。かつての僕を両親がそんなふうに思ってくれたかどうかは定かではありませんが、しかしもしそれと方向性を同じくするようなことをかつての僕に見出してくれ、そしてそれをもう一度得たいと思ってもらえたとしたら、一人息子としては――。
 って、いやいや、今は僕が喜ぶとかそういう話をしてるんじゃなくて。
 まあ要は、僕の養子が欲しいと思った理由と同じことです。そう考えた経緯こそ僕と栞の話であったにせよ、家族を更に増やしたいと、僕の両親もそう思ったからこそ決断したんじゃないかなと。
「ふふ」
 そんなことを考えてみたその時、胸元から小さな笑みが。無論、それは栞のものです。また良い夢でも見てるのかなと見下ろしてみれば、しかしそんな予想に反して栞の目は僕を見上げていて、つまりはそもそも寝てすらいなかったようで。
 寝ていたかどうかはしかしどちらでもよかったとして、では今、栞は何に対して笑みを溢したんでしょうか?
「孝さん今、良い気分になった」
 疑問ではなく、断定した言い方でした。急に何を言い出すのかとも思いましたが、まずはその断定が正しいものであるかどうかを探ってみたところ、どうやらその通りではあるようで。
「なんで分かったの?」
「頭」
 そう言われた僕は自分の頭がどうかしたのかとそちらへ意識を向けてみたりもするわけですが、しかし栞が言っているのが僕の頭でなく栞の頭であるということに気付いたのは、恐らく一秒以内の出来事だったのでしょう。コンマ数秒とはいえ勘違いしたことは間違いないわけですが。
 気付けば僕は、傷跡の跡に触れていない方の手で、栞の頭に触れていました。まあ僕のことですから、と僕が言うのもなんですが、頭というよりは髪なんでしょうけどね。
 栞はにっこりと頬を緩めながらこう言います。
「ふわってしたからね、手が」
 ……意識しないまま栞の髪に手を触れていて、しかもその手がそうまで心情を表現しているなんて、僕はなんて単純な人間なんでしょうか。まあ、栞は喜んでくれているようですけど。
「何考えてたの?」
「うん、普通はそっちの方が先だと思うんだけどね。良い気分になったとかより」
 ちょっとした照れ臭さを紛らわせるためにそんなことを言ってみますが、その割には髪に触れている手を引っ込めたりはしない辺り、余計に恥ずかしいことになっているような気がします。
 で、それはともかく栞の返事ですが。
「んー、訊いてはみたけど大体想像は付くからねえ、正直。孝さんが何も考えないわけないもん、あんな話しちゃったら」
 ……照れ隠しなんかしていたこと自体が恥ずかしくなってきました。手の感触どうのこうのがなくたって、栞は僕の気持ちくらい簡単に読み取っていたのではないでしょうか。
「正解」
「だよね」
 僕は今度こそ髪から手を下ろし、けれどもう一方の手はそのままに、栞を軽く抱き留めるようにしました。
「訊いてもらっていいかな、今考えてたこと」
「うん、大丈夫だよ」
 だよね。

「ありがとう」
 話を終えたところ、栞が最初に口にしたのは感謝の言葉でした。
「僕の話でもあるからね」
「あはは、そうなんだけどね」
 軽く笑った栞は、僕の手に自分の手を重ねてきました。
「でも孝さん、やっぱり孝さんみたいだし」
 その感触があって初めて、僕は自分の手がいつの間にか栞のお腹に添えられていることに気が付きました。どうしてそうなったかというのはしかし、考えるまでもなく答えが出ているようなものではあるのでしょう。今していた話がまさにそれなんですから。
 でも、それにしたってこれは――。
「好きだよ、孝さんのこういうところ」
 ここまで僕の気持ちを言い当ててきた栞ではありますが、ここで僕も栞の気持ちを読み取ることができました。
 謝ってくれるな。重ねた手と今の言葉は、そういう意図を持たせたものだったのでしょう。
「……ありがとう」
 結果、こちらからも感謝の言葉を述べることになったのでした。考えてみれば変な話ではあるんですけどね、一人で考えてたことを伝えただけでお互いに礼を言い合うなんて。
 その変なことに口元を緩めてみせた栞は、けれど直後に口を開く頃には既に、話題を修正していたのでした。
「どうだって言われたら私も欲しいかな、子ども。もちろん、今すぐにって話じゃないのは孝さんと一緒だけど」
「そっか」
 以前家守さんから養子の話をしてもらった時にも特別難色を示していたわけでもない栞ではあったので、僕もそう来るだろうと予め予測はしていました。していましたが、しかしそれでも、家族を増やしたいという気持ちを栞も持ってくれているということは素直に嬉しいのでした。
「んー、どうしよっかな」
 嬉しさのあまりキスでもしようかと考え始めたその瞬間だったので、何か考え始めただけの栞に少々驚かされてしまいました。が、それはどうでもよくて。
「どうするって、何を?」
「庭掃除、早めに済ませちゃおうかなって。これで終わりってことはないでしょ? この話。だったらやること済ませちゃってからゆっくりお話ししたいなってね」
 特に時間が定められているというわけでもないのですが、普段はお昼時に始めている栞の仕事。朝食を済ませて少々経った程度の今の時間だとそれよりは随分早いことになりますが、とはいえしかし、その言い分が分からないわけでもありません。
 ただし、
「その言い方だと庭掃除が面倒事みたいな感じに聞こえちゃうけどね」
「あはは、もちろんそんなことはないんだけどね」
 ですよね。

 面倒事ではないので今回も手伝いはさせてもらえず――と、実際はそんな理由からではないのですが――ならばやはり今回もただ掃除をしている栞を横から眺めるためだけに、一緒に204号室を出る僕なのでした。
 が。
『あっ』
 202号室の前を通りかかったところで、僕と栞は困ったものを目に留めてしまいました。
 いや、困ったものというか、成美さんなんですけど。
「二人してその顔、どうやら不安は的中していたようだな」
 ああ、もう少しタイミングが違えば顔を合わせることもなかっただろうに。というわけで別に202号室の呼び鈴を鳴らしたりしたわけでもない僕と栞は、開いていた台所の前からたまたまその向こう側、つまりは202号室の廊下を歩いていた成美さんと、ばったり顔を合わせてしまったのでした。
 もちろん忘れませんとも、食事中とその直後にしたあの話は。忘れられませんとも。
「まあ、とはいえ、まずはおはよう二人とも。済まんな、昨夜は騒がしくしてしまったようで」
「あはは……おはよう、成美ちゃん」
「おはようございます」
 こちらに落ち度があるわけではないのに謝りたくなってしまいますが、しかしそれこそ「謝ってくれるな」というやつでしょう。成美さんはもちろん栞にまで、というかいっそ成美さん以上に栞に激怒されてしまいそうだということもあって、努めて妙な素振りを見せないようにします。
 で、成美さんの様子なのですが、台所の窓越しの会話ということもあって今は大人の身体なのでした。これがもし小さい方の身体だったならシンクに隠れて気付かずやり過ごせただろうに――というのは、無意味な悪足掻きでしかないわけですけど。
 それはともかくとして、「不安は的中していた」との言葉通りに前から、もしかしたら昨日の夜から既にこうなる不安は抱えていたのでしょう。多少気落ちしている様子ではありますが一方でそれ以上のものは見受けられず、なので少なくとも、こちらがはらはらする必要はないようなのでした。
「で、お前達はどこへ行くところなんだ?」
「ああ、早めに庭掃除しちゃおうってだけだよ。今日はずっと部屋でゆっくりしてるつもり」
「はは、ということは夫のほうはまた見ているだけか」
「うん」
 ……そりゃまあほぼ毎日のことですから栞以外の皆さんの目に留まることもあるのでしょうが、しかしやはり、当人以外に言われてしまうと結構恥ずかしいのでした。ううむ、今ではもう堂々と眺めさせてもらってるつもりだったんですけどねえ。
 と、上手い具合に話題が僕へ移っていたところ、すると廊下の奥側からのっそりと人影が。
「あ、孝一達か」
 なんで来たの大吾!
「お、おはよう、大吾くん」
「おはようございます栞サン。孝一も」
「おはよう……」
 くそう、成美さんは顔を合わせた当初から気にしていたというのにさっぱりした顔してくれちゃってまあ。
 とまあそんな感じなので気にしていないか、はたまたこの問題の存在それ自体を認識していないのか、なんて気になりだしたりする僕だったのですが、
「やっぱりか、これ」
「うむ、そうらしい」
 さすがに認識はしていたようでした。いやまあ、してなかったからって責めるつもりはないんですけどね? 別に大吾が悪いってわけじゃないんですし、それにまあ、認識する余裕がなかったとしても――いや、止めておきましょう。
「オレが謝るってのもなんか違う気がしますけど」
「あ、いいよいいよ、気にしてないから……って言える有様じゃないけど、その、そういうふうには思ってないから」
 というわけで、謝ろうとする大吾をそうする前に止めに掛かる栞なのでした。大吾自身が言っていたように謝られたら謝られたでこっちとしても困るので、これはグッジョブというやつでしょう。
「それを言うんだったら私達なんてしょっちゅうなんだし」
 そこまでは言わなくて良かったんじゃないかなあ?
「すいませ……えー、ありがとうございます」
 笑みに苦い物を混じらせる大吾ではありましたが、そこは見事持ちこたえてくれたのでした。まあこっちの場合については成美さんの耳が良過ぎるのが原因であって、大吾の耳にまで届いているわけではないんですしね――ないんだよね? え、大丈夫?
「あー、えっと、ところで、昨日の晩ご飯の時に家守さんから聞いたよ。良かったね、庄子ちゃんとのこと」
 話題を変えるためという動機を一部に含んでしまうことを申し訳なく思うばかりではありますが、しかし大吾と成美さんが揃ったとなればやはり、この話をしないわけにはいかないでしょう。この話を知ってから本人を前にするのは、これが初めてになるわけですしね。
「おう。照れ臭いけど、ありがとな」
「ここから更に伸びることになった髪をどうしたものか、なんて悩んでいるところだよ」
 大吾と成美さんは、昨日から年を取り始めました。
 そうなるために必要なものは、愛し合っていて、かつ幽霊でない相手。栞の場合は僕ということになりますが、お互いに幽霊である大吾と成美さんがどうしてそうなったかというと、そこは大吾の妹さんである庄子ちゃんの活躍のおかげなのです。
 当初は庄子ちゃんをあまりこのあまくに荘に深入りさせようとしたがらなかった大吾ではありますがしかし、年を取り始めたということは、大吾自身がそれを望んだということでもあります。であるならば、ここは素直に「良かったね」でいいのでしょう。
 大したものです、なんて言い方は些か上から目線の度合いが強いですが、しかしそれでも大したものだと言わざるを得ないでしょう。実の兄、そしてそのお嫁さんを家族として本気で愛するなんて言葉のうえほど簡単な話ではないでしょうし、しかもそれを成し遂げたのが中学生だなんて、ねえ?
 兄妹っていいなあ、なんて、羨んでばかりもいられない立場ながらそんなふうに思わされていたところ、すると何やら成美さんが申し訳なさそうな顔に。
「それでだな、ずっと部屋でゆっくりしてるつもり、なんて言わせておいて何なのだが」
「ん? なに?」
 言葉の上では特に指定はしていませんが、しかしその視線の方向からして、僕ではなく栞に向けた話であるようでした。まあ僕も栞も「日向」と呼ぶ成美さんなので、どのみち指定はされてなかったんでしょうけど。
「庭掃除が終わってからでいいのだが、少し上がっていってくれないか? 相談したいことがあるのだが」
「そういうことならお邪魔させてもらうよ、もちろん。私で良ければ」
 相談があると言われればそりゃあそうもなるのですが、そういうことじゃなかったとしてもお邪魔させてもらっていたことでしょう。ええ、いつものことです。
 ……で、ええと、ですね……。
「あーはいはい、オマエも一緒に来りゃいいよ」
 ありがとう大吾察してくれて! じゃなくて、お招き頂いちゃいまして!

「なんだろうね? 相談って」
「年を取り始めたってことについてじゃないの? タイミング的に」
「かなあ、やっぱり」
 その場で成美さんに尋ねても良かったのでしょうが、しかし成美さんに自分から説明を始める雰囲気がなかったので、僕も栞も「まあ後で上がらせてもらった時でいいか」とそのまま庭掃除に降りてきたのでした。
 というわけで今日も初めからゴミなんかありはしない庭を掃除し始める栞と、それを横から眺め始める僕なのでした。うーん、我ながらなんでこんなに落ち付くのか。
「僕が一緒で不都合がない内容ってことではあるんだろうけどね、少なくとも」
「あはは、それはまあね」
 大吾がいなかったら自動的に仲間外れになっていたところでした、というのはさすがに大袈裟だとしても、しかしこうしてちょっと引っ張ってみる程度には安堵させられていたのでした。ええ、そりゃもう。
「でももし年のことだったとして、ちゃんと返事できるかなあ、私」
「そこはまあ実際に訊いてみてからじゃないとねえ」
 年のこと、と一言で纏めてみたところで、相談の内容が一つに絞られるわけではないでしょう。なんせ自分の身体の何から何までもが変化――つまりは老化ですが――を始めるわけですから、じゃあそれについての相談というのも、「身体の何から何まで」の全てがその候補に挙がるわけですしね。
「自信ない?」
「あはは。正直、あんまり」
 芳しくない返事をしてくる栞でしたが、しかしその笑みに陰りはみられないのでした。
「今のところ私がそれで感じてることって、ぼんやりしたでっかい幸せだけだしねえ」
「でっかいのにぼんやりしてるの?」
「そもそも幸せって具体的なものじゃないしさ」
 それは確かにそうか、と納得させられたところ、すると栞からはもう一言。
「というか順番が逆かな? そうなったらもっと幸せになれるって信じられたから、年を取り始めたわけだし」
 …………。
「栞」
「ん?」
「あんまりそういうこと言い過ぎると、掃除の邪魔になるようなことしたくなっちゃいかねないけど」
「あはは、じゃあ部屋に戻ってからに取っておこうかな。今日は慌てる必要なんてなんにもないんだし」
 少なくとも成美さんにこの「掃除をしている栞を眺めている僕の様子」を見られていたと判明したばかりなので、そうしてもらえるとこちらとしても助かります。仕事の邪魔をしてまでいちゃつき始めるっていうのは、自分でもあんまり想像したくないくらいみっともないですしね。
 いやまあ、栞の状況以前に場所を問題視しろって話でもあるんですけどね? ここ外ですよ外。野外でだなんてそんな。
 僕がどこまでのことを想像したのかは秘密にしておきますが、すると栞、箒をざすっと地面に突き立てながら鼻をふんと鳴らしつつ、「よし、折角だから今日は空き部屋の掃除もやっちゃおう」と。
 うーん、テンションが上がったのは分かるけど栞、折角だからっていうのはちょっと違うんじゃないかなあ。今の僕達って一応、成美さんを待たせてるってことにはなるわけだし。

 と、いうわけで。
「ごめん、ちょっと張り切って長くなっちゃった」
「いやいや構わんよ」
 たっぷり働いてから202号室にお邪魔する栞なのでした。いや僕だって一緒ではあるんですけど、たっぷり働きはしてないわけですしね。たっぷり見てましたけど。
 ……なんか変態チックなんだよなあ、我ながら。
 などと反省するわけでもないのにそんなことを考えていたところ、すると成美さんが「茶を汲んでこよう」と台所へ。となれば僕と栞は軽くながらも礼の言葉を口にしたりするのですが、一方で成美さんの行動をさも当然のように見送っている大吾を見ると、ああ、役割分担ができてきてるんだなあ、なんて。
 とはいえ見るのがここだけだと、分担ではなく成美さんにだけ役割があるってことになっちゃうわけですけど。
「あ、そういえば大吾」
「ん?」
 それで思い出したというわけでは全くないのですが、少々の沈黙が訪れたところで、そういえば訊いておきたいことがあったんだった、と。
「成美さんの相談事が何かって、大吾は知ってるの?」
「いや、知らねえけど」
 あれ。
「そうなの? さらっと僕も来ていいって言ったから、知ってるものだと」
「知らなくても成美の顔見りゃ分かるだろ、それくらいは」
 あら、これまたさらっと言ってくれちゃって。
 ――とはいえ大吾です、信用に足る目利きではあるのでしょう。逆に大吾で信用できなかったら誰が信用できるんだって話になっちゃいますし、それに。
「わたしが居ない所で恥ずかしいことを言わないでくれ」
 台所程度の距離であれば、本人の耳に届いてしまうからです。そうですか、間違ってはいませんでしたかやっぱり。
「全部聞こえるのに居ない所でもないだろ」
「ふふ、まあそれはそうなのだが」
 言いつつ、汲んできた麦茶を僕と栞の前にこつんこつんと。それに対して僕と栞が再度口にした礼の言葉に小さく会釈をした成美さんは、そのまま大吾の隣に座りました。
 僕と栞、そして大吾と成美さんの二人ずつが、テーブルを挟んで向かい合う形。これだとまるで相談事がその「二人ずつ」に関するものであるかのように思えてしまいますが、しかし飽くまで相談を受けたのは栞だけで、相談を持ち掛けたのは成美さんだけです。つまるところ、男二人は蚊帳の外なわけです。
「では日向、早速さっき言っていた相談なのだが」
「うん」
 これまでにこにこしていた栞ですが、そう切り出されたところでその微笑みに真面目なものを僅かながら紛れ込ませるのでした。……これも僕だから分かるってことなんでしょうか? というのはそりゃあ、さっきの大吾の目利きがあっての話なんですけどね。
 で、それはどうでもいいとして。
「わたしは昨日から年を取り始めて、だから昨日から髪が伸び始めたことになるわけだ。もちろんまだ実感できるほどではないが」
 庭掃除の時に予想していた通り、年を取り始めたことについてでした。そしてその中でも伸び始めた髪に関連する相談事だそうですが――でも何でしょうね、髪について相談って。
 と、髪から離れられなかった僕は甘かったのでしょう。
「髪以外はどうなるんだ?」
『えっ』
 栞だけでなく僕も、あともしかしたら大吾まで、同時に声を挙げるのでした。
「いやほら、髪以外の毛だって当然伸び始めるんだろう? となればどこがどうなるか、どうにかなったとしてどうすればいいのか、とな。大吾に訊こうとも思ったのだが、どうも男と女でも違うようだし」
「成美ちゃん」
「ん?」
「ストップ」

 というわけで。
「そういえば全然気にしてなかったんだっけね、成美さん……。いや、いつどこで何をどうとは言わないけど」
「そうだな、いつどこで何をどうとは言わねえけど」
 三日前の四方院さん宅にある混浴の露天風呂で――いや、やっぱりこれ以上は伏せておきますけど、とにかく成美さんは全く気にしなかったのです。今の話に纏わることを。なるほど、そりゃあ大吾どころか僕の前ですら気軽に話せてしまいますよね。
 相談に対する答えなのでしょう。ぴったり閉じられた私室へのふすまの向こうからは、ぼそぼそとながら栞の声が聞こえてきます。何を言っているかまではさすがに聞き取れませんけど。
「仕方ねえことだと思ってやってくれ、出来たら」
「ああうん、それはもちろん」
 よっぽど極端な人を連れてこない限り、男と女でも違わないんですよ成美さん。手間を掛けて違うように見せ掛けてるだけで。
 というような理解を、元々は全身毛だらけであるところの猫だった成美さんに求めるというのも中々に無茶な話なのでしょう。大吾ほどではないにせよ、それくらいはさすがに僕だって。
「大吾としてはどうなの? やっぱり嬉しい?」
「何がだよ」
 ふすま一枚を挟んだ程度じゃあこちらの会話なんか余裕で丸聞こえであろう成美さんのこともあって、無理矢理でない範囲で話題を真面目なものにしようと試みてみます。といっても別に、そのためだけに無理矢理持ってきたってわけでもないんですけど。
「人間に対する理解が進む、というか」
「あー、それはあるなやっぱ。こんなしょーもねえ話でそれってのもどうなんだってことにはなるんだろうけど」
「あはは」
 さすがは大吾。うん、僕が心配するようなことは一切なさそうです。


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