(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十三章 一晩越えて 八

2013-05-16 21:00:56 | 新転地はお化け屋敷
「お帰りなさい」
 ここにいるということはもう庭掃除は済ませちゃったんだろうな、なんてことを真っ先に。そりゃまあご一緒できるならご一緒したいですしね。手伝わせては貰えないので眺めているだけになりはすれ。
 というわけで深道さん達とお喋りをしていた分だけ普段よりちょっとだけ遅れて帰宅したところ、そんなお出迎えにはいい匂いが付いてくるのでした。どうやら時間を見計らって昼食を用意し終えていたようです。
「ただいま。――あれ? 靴」
 となればその昼食についてを話題にしたいところではあったのですが、しかし実際にはそうならないのでした。というのも玄関に僕とも栞とも、それどころかあまくに荘の誰のものでもないであろう靴が二足ほど並んでいたのです。
 と言っても、大吾と成美さんのものであるらしい履物も一緒に並んではいたのですが。
「お客さん?」
「うん。あ、ご飯ももうできてるよ」
「香りだけ先に頂いてます」
 はてさて、そのお客さんというのは。
「おっす、久しぶり」
「またしょーもないことを……あたしが恥ずかしくなってくるわ」
 履物だけで判明していた大吾と成美さんを除くと、そこにいたのは口宮さんと異原さんなのでした。お久しぶりです。
 ちなみに、履物など初めから必要としていないお三方も来てらっしゃいました。庭掃除が済んだらしいってことは散歩ももう済ませてあるのかな? なんて。
「哲郎と音無にも連絡したから、もうすぐ来ると思うぞ」
「ごめんなさいね、やっと一息ついたってところでお邪魔しちゃってて」
「いえいえ」
 初めからこうなると思っていたわけではもちろんないのですが、しかしこうなってみれば「ああ、そうなるよな」と。
 異原さんはともかく口宮さん達が幽霊を見られるのは、そうさせてくれた義春くんが言うにお昼頃まで。校門前で別れた時点で見えなくなっていたのならそうでもないのでしょうが、時間が残っているとなったら、やっぱりできるだけ顔を合わせていたいと思いはするのでしょう。
「それよりも、口宮さんも異原さんもお昼ご飯は? あっちで用意できてるって話でしたけど」
 そう言って視線で指し示す「あっち」というのはもちろん我が家の台所なわけですが、しかし異原さんはふるふると首を横に振ってみせます。
「お構いなく。もうそこらへんで適当に食べてきたから」
「わざわざ一旦出てってまでってのは逆にやり過ぎな気もすんだけどなあ」
「いーの。あんたは黙ってなさい、面倒くさいから」
「へいへい」
 深道さん達とのお喋りでやや時間を使ったにせよ、既に昼食を食べ終えているうえ、しかも「一旦出てってまで」とのこと。そこまでの時間があったということはつまり、
「口宮さん達は一限だけだったんですか?」
「おう。で、幽霊が見えなくなるまでまだ時間が残ってるのにこのまま家に帰るってのもなあ、っつうことでちょっと寄らせてもらったんだけど」
「ごめんなさいね、連絡もなしにいきなり」
 大体想像通りの理由からここへ来たお二人なのでした。が、そうして異原さんが謝ってみせたところ、すると栞がくすりと笑ってからこんなふうに。
「まあ、孝さんに連絡なしっていうのは私からお願いしてそうしてもらったんだけどね」
「びっくりさせようってことなら靴隠すとかまでしないと」
「あはは、やっぱり?」
 あと味噌汁の香りを漂わせるのも他の全てが薄れるから駄目だよ。とは、言わないでおきましたけど。
「ふふ、大変だな日向。旅行帰りにそのまま大学へ行って、帰ってきたと思ったら嫁からそんなことを企まれて」
「しかも午後からまた大学だったよな、木曜は」
「昼ご飯が用意されてるってだけで万々歳だよ。好きだって言っても手間は手間だしね、料理って」
 良からぬことを企まれてなお感謝の意を示すことで良い夫っぷりをアピールしてみることにしました。と、まあそれは半分冗談なのですが、やっぱり嬉しいものですね。帰宅した時点で食事が既に用意されているというのは。
「うーん、嫌味の一つも言われないっていうのは逆に居心地が……」
 すると栞、そんなふうに溢しつつ苦笑いを浮かべるのですが、そんな彼女に対してはこんな一言が。
「あ、珍しく栞さんの負けみたいですね」
 勝ち負けなんですかねナタリーさん? しかも珍しいんですかね?
 そうですよね。
 と、それはともかく。「よし、じゃあご飯出すね」と逃げるようにして台所へ立った栞の背中を見送ってから、僕は初めに確認しておくべきであったのだろう質問を。
「口宮さん」
「ん?」
「様子見てるだけでも大体分かりますけど、今はまだ見えてるんですよね?」
「だな。昼頃ってことだし、じゃあもういつ見えなくなってもおかしくはねえんだけど」
 幽霊と接すること自体にはもうすっかり慣れてしまったであろう口宮さんですが、それでもやはり見えるのと見えないのとでは細かい仕草が違ってくるのです。例えば話をしている人に目を向けるにしたって、見えていない場合は目線がうろうろしがちになりますしね。
「じゃあ何かするなら今のうちってことですね」
 そう言って動き始めたのはナタリーさん。もちろんのこと言われて初めて気付いたということではないんでしょうけど、ならばこれは言われて初めて気になったということなのでしょう。
 で、それはともかく動き始めて何をどうしたかというと、口宮さんによじ登り始めたのでした。地形でなく人に対して「よじ登る」なんて単語を使うのは妙な気分ですが、しかし蛇と人間の体格差、そして蛇の移動方法から、やはりそう表現するのが最も相応しいというか何と言うか。
「――まあ、ふふ、何かするってわけでもないんですけど」
 肩まで登り終えたナタリーさんは、そこに腰を、というか身体全体を落ち付けさせます。これが人間同士だったら「まだ何もしていない」なんてとても言えない状況ではあるんでしょうけどね。肩にもたれかかるとか、そういうことになるんでしょうし。
「ナタリーさん、本当にそいつのこと気に入ってくれてますよね」
「はい」
「いーだろー」
 何かするなら今のうち、ということで肩に登ったナタリーさんなわけですが、それが口宮さんの肩だったというのは、やはりたまたまそうなっただけということではないのでしょう。というわけで異原さんが仰った通り、そして本人も認めてみせた通りに、口宮さんがお気に入りなナタリーさんなのでした。
 そうなった発端を考えれば、口宮さんが気に入ったというよりは口宮さんと異原さんの関係が気に入ったと言えなくもないんですけどね。元々そういう話を好むナタリーさんだったりもすることですし。
「せっかく気に入ってもらったのにすいません、こんなガキっぽいやつで」
「ふふ、いえいえ。むしろ、どこを気に入ったのかと言われたらそういうところなのかもしれませんし」
「…………」
 否定しない、どころかむしろ積極的に肯定するナタリーさんに、さすがの口宮さんも閉口。まさかナタリーさんに、というか異原さん以外の誰かに、そのガキっぽい返し――と、僕がそういう表現をしていいものかどうかは別として――をするわけにもいかないんでしょうしね。
 口宮さんのガキっぽさはほぼ異原さんに対してのみ出てくるもの。となればナタリーさんとしては、これまた本人が仰る通り、それこそが大好物ということになるわけです。
 で、ならばそちらはそちらでめでたしということにしておきまして。
「音無達は間に合うだろうか?」
「間に合うって?」
「もうすぐ来るという話だったが、わたし達を見られる間にここに来るだろうか、と」
 今度は成美さんが何やら気にし始めました。が、しかしそれについては、
「オマエは別に問題ねえだろ耳出してりゃ。今だってそうなんだし」
 ということになるわけです。なんで成美さんが買い物担当なのかっていう話ですよね、とわざわざそんな遠回しな言い方をする必要がないくらい、それは僕達にとっては常識もいいところなわけですが。
「出さないままで会いたいのだ」
「なんで」
「音無の膝抱っこは気持ちいいからな」
「…………」
 口宮さんに引き続き、今度は大吾が閉口してしまうのでした。そりゃそうでしょう、何がどうなって気持ちいいのか、という話になるわけですし。
「頼んで断られるということはないだろうが、見えないままで膝抱っこをせがむというのはやはり気が引けるし」
「ま、まあやり辛えかもないろいろと。――ともかく、じゃあどうする? ここでこのまま待ってるより、先に部屋に戻って耳引っ込めてきた方がいいと思うけど」
「うむ、そうしようか」
 玄関までの道のりでその横を通ることになる台所の栞と一言二言遣り取りをし、ドアが開く音がし、そして閉じる音がして、成美さん一人だけの離脱が完了。するとそれと入れ替わるようにして、
「お待ちどう様」
 栞がお盆に献立を乗せてやってきました。
「そんなに気持ち良いんだねえ、音無さんの膝」
「らしいね」
 僕のための昼食を運んできたにはしても、だからといってその質問を僕に向けるというのは、何か他の意図の存在を勘繰ってみたくなってしまいますがどうなんでしょうか。
「あ、そういや孝一」
 他にもまだ何か運ぶものがあるのか、再度台所へ引っ込む栞を見送っていたところ、すると今度は大吾から何やらお話があるようで。
「音無さんのこと好きだったんだってな、オマエ」
 ……お、おう。
「まあそりゃそうか、そういう話になるよねやっぱり」
「なったなあ。栞サンとかすげー楽しそうに喋ってたし」
「ともあれ、いただきます」
「おう、ごゆっくり」
 作ったのは栞だしここ僕達の部屋だしで、大吾にそれを言われるのは何か間違っているような。まあ、余計な話はしないってことなんでしょうけど。
 というわけで、ゆっくりさせてもらうことに。ああ今日も栞の味噌汁を味わえるぞ。
 そうして僕が会話から外れたところで、ならばと口宮さんは僕でなく大吾に質問を。
「実際見てみるといいもんだな」
「何がだよ?」
「彼女が飯作ってくれるって。いや、ここの場合彼女どころか奥さんだけど」
 それこそ僕に振るべき話なんじゃないでしょうか、とは、まあ言わないでおきましょう。外から様子を窺いながらゆっくり味噌汁を啜るというのも、それはそれでいいものではないですか。
 ――といったところで、台所に引っ込んでいた栞が戻ってきます。今回も両手に抱えていたお盆には、僕の手元にある献立と全く同じものがもう一セット。
「栞もまだだったんだ? 昼ご飯」
「誰かさんの教えを忠実に守ってるからね。いただきます」
 なるほど出来た教え子、というか教え妻で。
 ……なんか微妙にいやらしいな、教え妻。
「どうもごめんなさいね。まだちゃんとしたもの作れなくて」
「まーそりゃそうなんだけどそうじゃなくて」
 変なことを考えている間にあちらの話も進むわけですが、どうやら異原さんがご機嫌斜めなようです。そういえば料理の練習中ってことでしたっけ。
「上手い下手じゃなくて、今って練習とその付き合いだろ俺ら。普通に昼飯として出せるってのとは、なんつうかもう最初から違うっていうか」
「まあ分かるけどさ。あたしだって『あんなふうにできたらなー』って思ったし、さっき」
 という話は、それだけではないにせよ栞を褒める話でもあるわけで、ならば栞は口に運んだ米をもぐもぐしながらほっこりした顔になっていくのでした。
 うむうむ、味に関してのものでないにしても食事中の笑顔はやはりいいものです。丸くなりがちなほっぺとか。
 とそんな話はともかく、話は更に広がりを見せ、腕を組みながらうーんと唸ってみせるのは大吾です。
「そういう話を聞いてるとあれだな、やっぱオレらも手ぇ出したほうがいいのかな料理。前々から出そう出そうとは思ってんだけど」
「オレらってことは、成美さんもしないんですか? 料理」
「魚まるごと一匹買ってきて刺身にするから包丁捌きだけは結構なもんなんですけど、他はもう一切。飯食う必要ないですからね、オレら」
「あー。いや、でもお刺身出せるってだけでもかなりのことだと思いますけど。しかも切り身からじゃなくて丸ごと一匹って、頭も付いてるってことですよね?」
「ですね」
 です。そこまでの腕がありながらどうして他のことをしないんですか勿体無い、と思ってしまうくらいには凄いことなのです、尾頭付きの魚を見事に捌き切るというのは。
「それがどれくらい凄いことかってのも、実際にやったらもっとはっきり分かるかなーとか」
「ああ、それはあるかもしれませんねえ。あたしも、これくらいは簡単だろうとか思ってたことで案外躓いたりしてますし」
「やっぱそういうもんですよね」
 そういうものなのです。今ここでお褒めの言葉に気分を良くしている栞だって、最初は卵焼きとスクランブルエッグの区別が付いていなかったり、それこそ魚の話であれば、怖くて触れないとか言ってたんですしね。
 といったところで、玄関のドアが開く音。チャイムが鳴らされなかったということは同森さん達ではなく、ということで、
「戻ったぞー」
 成美さんがご帰還です。ここで話していた通り、猫耳を引っ込め小さい方の身体になって、ですね。
「まだ見えているか?」
「あ、はい。ナタリーさんもしっかり見えてますし」
「ふふふ、それは良かった」
 異原さんは常に見えているので、その確認は口宮さんに対して。そしてその口宮さん、確認の基準にするのは肩に乗っているナタリーさんなのでした。近過ぎて逆に見え辛い位置だとは思いますが、そこらへんは突っ込むだけ野暮ってものですよね。
「よし、音無が到着するまではお前をその代わりにしておこう」
「へいへい」
 代わり程度のものというわけでもないでしょうに、大吾に対してそんな物言いをする成美さんなのでした。対する大吾はああだこうだと言い返したりはしないわけですが、するとそれを遮ったのは異原さん。
「あ、あのー」
「ん? なんだ?」
「静音にとても敵わないのは重々承知の上なんですけど、その、もし良かったら」
「おお」
 やってみたかったということなのでしょう、成美さんを自分の膝の上へ呼び込もうとするのでした。そしてもちろん、成美さんがそれを嫌がるわけもなく。
 というわけで成美さん、誘われるまま異原さんの膝の上に座り込むわけですが、
「ふふっ。やはりいいものだな、相手側から誘ってもらえるというのは」
「そういうところで埋めていかないと、やっぱりこう、ボリュームの差というものが」
 という話をされるとやはり胸のサイズに意識が向いてしまうわけですが、しかし膝抱っこについて語る場合は、何もそこだけに限った話でもないのでしょう。なんせ底に求められるのは座り心地であるわけで、音無さん、別に胸に限らず全体的にふっくらした感じではあるわけですしね。
「そう卑下したものでもないと思うがな。人それぞれ良さはあるものさ、義春くんなどあのいかにも硬そうな同森を気に入っていたのだから」
「そうですかねえ」
「そうでないと、一番困るのは何を隠そうこの私だからな」
「…………」
 異原さん、沈黙。そりゃもう反論のしようもないでしょうしね。
 と言ってもまあ、成美さんが切羽詰まったような様子でないというのは、見た目からも経験からも分かり切っていることではあるんですけど。
「ふふ、まあ、胸を張っていればいいさ。今更それで文句もないだろうしな。なあ口宮?」
「正直言っちまうと、文句どころかっつう話ですしね」
「ほ、褒められても困るんだけど」
 なまじ昨夜――いや、異原さん達に限れば今朝もでしたよね。混浴に入ったりもして実物を、それこそ何の妨げもなく目にしている以上、その評価は実に生々しいものになってくるわけです。
 というわけで口宮さんの口からは悪しからぬ評価が出てきたわけですが、しかしまあそれにしたってよく平然とそれを口にできたものです。急な質問だったでしょうに。
「あの」
 と、伏せがちになった異原さんの顔が成美さんの頭に押し付けられたところで、そう言って誰にともなく語りかけたのはナタリーさん。
「じゃあ音無さん達が来た後はどうするんですか? 成美さんは音無さんの膝の上に移るんでしょうけど、となったら異原さんは口宮さんの? それとも逆に、口宮さんが異原さんの、ですか?」
 その発想はありませんでしたし、これから先もきっとないままで居続けることでしょうが、けれど発案されてしまった今この場においてのみは、その可能性を模索せざるを得なくなってしまったのでした。
「そ、そ、それはちょっとナタリーさん? だってほら、昨日もそういうことしましたけどそれって罰ゲームでしたし? 罰ゲームでやるようなことを今ここで平然とやっちゃうっていうのはその」
「俺は別に構わねえけど」
「どうしてそういうこと言っちゃうのよあんたは」
「いや、嫌ならいいけど」
「……卑怯よねえ」
 といったところで部屋のチャイムが鳴らされ、異原さんはびくんと背筋を震わせることになったのでした。おお揺れた揺れた、じゃないですよ成美さん。

 というわけで。
「おお、まだ食事中じゃったのか」
「もうすぐ食べ終わりますけどね」
「二限もあってこの時間にもう食べてるってことは……もしかしてこれ、栞さんが……?」
「はい。いつもそうってわけじゃないんですけどね」
 同森さんと音無さんの到着で元から結構なものだった人口密度が更に結構なことになる我等が204号室ですが、しかしその辺については慣れっこなので不問としておきまして。
「静音達はまだ食べてないのよね?」
「はい……。今からそれを、ですね……」
「学食にもあればいいんじゃがな、お持ち帰り。やっぱり外の店は高くつくわい」
 そう言って同森さんがテーブルの上に置いたのは、大きめな紙袋。
 印刷されたロゴマークから中身が何なのかは初めから判明しているようなものなのですが、ともあれそこから取り出されたのは二人前のハンバーガーセットなのでした。そういえば前にもありましたっけね、こんなこと。
「あ、そういえば」
 テーブルに着き、今まさにハンバーガーセットに手を付けようとしたところで、何やら思い付くことがあったらしいのは同森さん。
「どうなるかと思っとったが、まだ見えとるの。大吾達」
「そうだね……ふふ、良かった……間に合って……」
 そう言っているこの瞬間に見えなくなってもおかしくない時間帯ではあるのですが、それでも一目見られるかそうでないかというのは大きいですよね、やっぱり。
「食べ終わるのも間に合ってくれると嬉しいな。急かすわけではないが」
「充分急かしてるだろそれ」
「むむ、済まん」
 待ち望んでいるものへの期待と、あともしかしたら現状の心地よさから気をよくして、というのもあるのかもしれません。成美さんにしては珍しく、それは軽率な物言いなのでした。
 だからといって、目くじらを立てるほどのものではないのですが――。
「ええと……?」
 音無さんは、あと同森さんもやはり、首を傾げてみせるのでした。
 急かしてしまったのが成美さんなら、ということで、それに対する説明は大吾の口から。とはいえそれは、すぐに済んでしまうものなんですけどね。膝抱っこして欲しいというだけのことですし、そのうえ目の前で異原さんによる実演もなされているわけですし。
「ああ……ふふ、分かりました……。ちょっと待っててくださいね……」
 時間制限さえなければ急かしたり急かされたりなんてこともなかったのでしょうが、と思いながらその遣り取りを見ていた僕は、でもよく考えたらそれがなくたって「昼休みの間だけ」っていう制限もあるんだよなあ、とも。
 いや、もしかしたら三限の講義を取っているのは僕だけ、なんて可能性も無きにしも非ずなわけですけどね。実際、異原さんと口宮さんは二限がなかったって話でしたし。
「いただきます……」
「ちゃんとした食事の横に並ぶと一層ひもじく見えるのう」
「ちゃんとした食事だってさ、栞」
「へっへっへー」
 同森さんの自虐を自虐と捉えない方向で話を進めてみたところ、こちらの狙い通りに嬉しそうにしてみせる栞なのでした。
 ちゃんとした食事。僕が付いていなくてもそう評されるような食事を提供することが出来るほどになった栞ですが、しかしどうやらまだそれが「当たり前」ということにはなっていないようでした。無論、それはそれでいいものではあるんですけどね。
 ――というわけで、意図して最後に残しておいた味噌汁の一啜りをずいっと飲み干し、
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
 一足お先に食卓の輪から外れる僕なのでした。
 最後に口に含んだものというのはその風味が暫く口の中に残るわけで、ならばそれは食事においてなかなか重要なものだと思うのです。などと、重ねた空の食器を流しに預けながらそんなことを考えてみる僕なのでした。ああ、この味噌汁をいつでも味わえるというだけでも栞と結婚した甲斐があったというもの。
「なんでそんなほっこりした顔で戻ってくるんだよ。台所で何があったんだよ」
 居間に戻ると大吾に気味悪がられてしまいました。ううむ、食べてる最中より良い顔になっちゃってたか僕。
「食事とはね大吾くん、食べている正にその最中だけを指す言葉ではないということなのだよ」
「何があったんだよ」
 説明をしてみても同じ台詞を繰り返されてしまうのでした。まあいいでしょう、自覚の有無をともかくとすれば大吾だって同じ感覚を持っている筈なのですから。遡れば人類が狩りで得た肉を初めて火に掛けたところをその起源とする――のかどうかは知りませんけど、料理というのは、それを獲得した人類全体に等しく至福の一時を与えてくれるものなのですから。
「タイミング的に料理のこと考えちゃってるんだと思うよ、孝さん。こうなったらもう何言っても無駄だから暫く放っておいてあげて」
 さすが奥さん、言い過ぎじゃないですかねそれは。
「ということにしておいて、本当は自分の料理で気をよくしている様をこのままもう暫く眺めていたい、というようなことだったりはしないか?」
「おお。すごいね成美ちゃん、その通り」
 …………。
 いや、なんで僕が照れるんですかねここで。
「あっ」
 といったところで何やら声を上げたのは異原さん。はて、今の話にそんな反応をするような箇所はあったでしょうか、などと思いつつ、一方で異原さんに対するその位置関係から真上を見上げることになった成美さんの無防備な喉元に一瞬目を奪われたりもしつつ。
 まー綺麗に真っ白なんですよこれが。とはいえそれは喉に限った話でもないわけで、だったらそりゃそうなんですけど。
「どしたよ」
「あいや、あいやや、今思い付いたけど今するような話じゃないっていうか」
「当ててみろってことか?」
「なんでそうなんのよ! 違うから違うから!」
 はて、なんなんでしょうね一体。


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