(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十九章 騒がしいお泊まり 前編 八

2008-11-05 20:58:04 | 新転地はお化け屋敷
 それが影響したのかしないのか、それまで足を横に流していた栞さんは姿勢を正し、きっちりとした正座に。時刻を確認してから何気なく布団の上に戻っていた僕は、それに釣られてまた同じく。
「湯当たりはもう大丈夫? もしかしたら、嫌な気分にさせちゃうかもしれないから」
「それはもうすっかり大丈夫ですけど」
 すっかり過ぎてすっかり忘れてたくらいですけど、嫌な気分って?
「……話って言うよりね、孝一くんに見て欲しいものがあるの。孝一くんにだけ」

「……あー……」
「どうした怒橋。黙り込むならまだしも、妙な呻き声なんぞ上げて」
「いやその……オレ、何言ったらいいのかさっぱりで」
「という事は、何か言わなくてはならない場面なのか? たまにお前が黙ったまま抱き締めてくれるあれなんかは、個人的に好きな時間だと言えるのだが」
「そ、そうか。――そうだな。オレ、なんか舞い上がってるだけだな。格好わりい」
「まあ、気持ちはわたしにも分かるがな。分かってしまったから今みたいな部屋割りになるのにも反対したし。……自分の年齢を考えると、何を純情ぶっているのかという話だが」
「年齢か……。オレがもうちょいしっかりしてりゃ、ガキみてえじゃなけりゃ、オマエにそんな事考えさせたりしなくて済むのかもな」
「おいおい。ここで落ち込み始めるくらいならな、それこそ黙ってもらっているほうがいいぞ」
「あ、悪い。そうだよな、雰囲気ぶち壊しだし」
「……なあ怒橋、だから、いつものように抱いてくれないか? 気の利いた言葉なんてわたしは初めから期待してないんだ。お前がそういう事を苦手としているのは知っているし、そんなものがなくてもわたしは――」
「好きだ、成美」
「……ふ、本当に自分勝手だなお前は。思った事を思った時にそのまま、自分の言葉でしか言えなくて」
「悪い」
「悪くない。だから好きなんだこの馬鹿正直者。……少し、胸を借りるぞ」
「ああ」

「し、し、栞さん。ちょっと待ってください」
 あまりに突飛な行動に、言葉が一言で繋がってくれない。しかしそんな言葉でもきちんと伝わってくれたようで、栞さんの動作は一旦ストップした。
「何を……しようとしてるんですか?」
「見て欲しいものがあるって言ってこんな事し始めたんなら、多分、孝一くんが思ってる通りの答えしか出てこないと思う」
 止めた僕への苛立ちか、それとも具体的に表現する事へ躊躇いがあるのか、栞さんの説明は幾分遠回りだった。だけどそれは遠回りなだけで、間違ってはいない。
 正座の姿勢のまま栞さんは浴衣の上半分をはだけさせ、その下から現れた下着代わりであろう白のキャミソールにすら手を掛け、今まさにそれを脱ぎさろうとしていた。下着代わりであるそれの下に何かを着ているという事は当然ながらないだろう。という事は。
「……ごめん、駄目だった? ごめんね孝一くん、やっぱりまだ――」
「待ってください!」
 どれだけ待てと言うのだろう、僕は。
 脱ごうとしていた栞さんを止め、諦めて着ようとしていた栞さんも止め、一体どうしろと言うのか。何をそんなに恐れているのだろうか。
「違うんです、駄目だとかそういう話じゃなくて」
 そういう話じゃなくて何だと言うのか。
「いきなり脱ぎ始めて、驚いた?」
 自嘲するような笑みを浮かべつつも優しく問い掛けてくる栞さんに、僕はこくこくと頷くばかりだった。声は出せなかった。
「大丈夫。――って言うのは変なのかもしれないけど、今は見て欲しいだけだから。それ以外の事は、何も考えてないから」
 その時僕は、とんでもなく間の抜けた顔になっていたと思う。好きな女性が目の前で服を脱ぎ始めたら、ほぼ全ての男性が考える事は同じだと思う。止めはしたけど、やっぱり期待がないわけがないから。
「見るだけ、ですか?」
「うん。だからお願い、見て欲しいの。切っ掛けなんてみんなでお泊まりするってだけの些細な事だったけど、でも、それでも切っ掛けがないとこんな事、出来る自信が無いの。しておかないと絶対に後悔するのに、栞は意気地なしだから」
 意気地なしと自分を卑下して可愛らしさをアピールする、なんて次元の話ではなかった。絶対に後悔すると言っておきながら既に後悔しているような、痛々しい言い方だった。そしてだからこそ一層に、僕に見て欲しいという願いが切実であると理解できた。ならば、僕に出来る事は一つしかない。
 ――よし。腹、括ろう。
「分かりました。見ます」
「ありがとう」
 ぱっと晴れる表情。だけど、見ると覚悟してから改めて見てみれば、それが表情だけなんだとよく分かった。キャミソールの端を掴んだままの手は震えている。そこから見て取れるのは羞恥心ではなく、恐れだ。
 一体何がそんなに怖いんだろう。そんな状態にありながら笑顔で「ありがとう」なんて、この人は一体どこまで強いんだろう。こんなに強い人と対等に想い合うためには、足りない強さを一体どれだけ気持ちで埋め合わせなければならないんだろう。
 対等にありたいと思うなら、せめて目の前の問題くらい突破してみせろ。僕。
「それじゃあ」
 手と同じく震えが窺える声で短くそう言い、栞さんはキャミソールを脱ぎさった。薄手のそれが破れてしまうんじゃないかという程に荒っぽく、それ以外の何かも纏めて捨てるかのように勢い良く。
「……………!」
 声は出ず、体も動かず、感情だけが身体の外に漏れるような、そんな感覚。それを絶句だとするならば、僕はこの時、間違い無く絶句していた。恋人である女性の裸体を見て、絶句していた。
「……孝一くんの事は大好きだし、孝一くんが好きでいてくれる事も分かってる。だからそのうち――見せる事には、なるんだろうけど、それが『その時』に初めてっていうのは絶対に嫌だった。どうしたって、それどころじゃなくなっちゃうから」
 傷跡だった。大きな大きな傷跡だった。喉の少し下から両胸の間を通り、臍の少し上まで。身体の中心を縦に真っ直ぐ。これが傷跡でなく傷として開いていた時期があるとしたらとても生きてはいられないような。そういう意味で決定的な傷跡だった。
「幽霊はね、怪我とかしても幽霊だからすぐ治っちゃうんだけど、幽霊になる前の傷跡は残るんだって。傷が治った結果が傷跡で、だから体がもう傷としては認識してないって事なんだって。清さんの視力とかだってそういう事らしいよ? 物凄く大きな……手とか足とかを切断した、とかならまた違うそうだけど」
「いや……いや、でも、ちょっと待ってください」
 栞さんの声を聞いてやっと口が動き始めた僕は、また栞さんを待たせた。
「そんなの、無かったじゃないですか。プールで水着姿だった時、今そのみみず腫れみたいなのがある所、見えてたじゃないですか。あの時からそれがあるなら、気付かない筈がないじゃないですか」
 みみず腫れと表現してみたものの、それが本当に腫れているのかそれとも内へ窪んでいるのか、正面から見ているだけでは分からなかった。でも、そんな些細な事を気にしている場合ではない。それは分かった。
「お風呂で成美ちゃんが言ってたでしょ? 栞と楓さん、揃って着替えが遅いって。あれね、この傷跡を消してもらってたの。今日はお風呂入る時に楓さんが別行動だったから、先に消してもらってたんだけど」
 待たされた栞さんは間髪を置かず、笑顔で答えてくれた。脱いだ下着を掴む手は、未だに震えていた。
 もう、待ってくださいは言わなかった。言わなくても栞さんは待ってくれた。僕が次の質問を――いや、逃げ道を見付けるまで。
「け、消すんならずっと消えるようにしてもらえば、良かったんじゃないですか? できない事はないですよね? だって、成美さんはずっと人の姿だし」
「うん、できるよ。むしろ時間が経ったら元通りになるなんて我侭を通してもらうのは、余計にややこしい事なんだと思う。着替えが遅くなるほど時間を取られてたんだし」
「どうして、そんな」
 不明瞭にも程がある質問に、栞さんは小さく笑った。それは小さ過ぎて、泣いているようにすら見えた。
「栞は意気地なしだから」

「孝一達、どうしてんだろうな」
「優しいな。せっかく二人きりだと言うのに隣の心配か」
「あー、いや……」
「こら、謝るなよ? これでも褒めたつもりなんだからな。……その程度のガス抜きがないと、わたしはもう許容量の限界だ。いつもと同じ事をしているだけなのに、舞い上がっているのはわたしも同じようだな」
「あいつらもこんな感じなんだろか」
「さてな。案外、こんな感じ以上になってしまってるんじゃないのか?」
「こ、これ以上っつったらオマエ」
「気にするな。舞い上がった上での妄言だ。……しかし、うーむ」
「何だよ」
「いや、妄言ついでにな。たまには一方的に抱かれる側でなく、同じ立場で抱き合ってみようかと。耳を出して、お前に似合いの身長になって」
「ああ、そうだなたまには――いや待て待て待て! 今んな事したらオマエ、浴衣の丈が合わなくなっちまうだろ!」
「そうだな。借り物の服を粗末に扱うわけにもいかんし、そうなるなら脱ぐだろうな。で、怒橋。不満か?」
「え」
「生憎だが、わたしはもう吹っ切れた。お前がそれを望むと言ってくれるなら躊躇わんぞ」
「……………」
「どうだ?」
「ごめん。オレ、そこまでの覚悟、まだできてねえ。ガキっぽい意地なんだろうけど、覚悟もねえのに流されただけみたいなのは嫌なんだ」
「ふふ、そう来るだろうと思った」
「思ったって……でも本当、ごめんな」
「謝るなと言っているだろう? どれだけわたしを魅了すれば気が済むんだ、お前は」
「じゃあオレ、何て言えばいいんだよ」
「凝った言葉は期待していないと言っただろう。だが、そうだな……もう一度好きだと言って欲しい気もするな。もしくは、キスでもいい」
「……好きだ、成美」
「ああ、わたしも――んっ」

「これね、手術の跡なの。栞が最後に受けた手術の。時間稼ぎでしかなかったんだけどね」
 笑っているんだか泣いているんだか判断の付かない表情で、栞さんは言う。傷跡を指で上から下になぞりながら。
 時間稼ぎ。稼いだ時間が何の時間なのかは言ってないけど、それは言うまでもないという事なんだろう。
「こんな跡を残さないようにする処置もあるんだけど、断わったの。栞が、自分の意思で」
「どうしてですか?」
「だって、怖かった。傷跡一つもないのに死んじゃうしかないなんて、認めたくなかった。目に見える形で欠陥を残して、それのせいで死んじゃうんだって責任転嫁でもしないと、生きてる実感なんてしないんだよ。まだ死んでないってだけで」
 そこでようやく、ゆっくりと傷跡をなぞる指が下端まで到達してようやく、栞さんが笑っているか泣いているかを判断付ける材料が現れた。
 涙が溢れていた。
 何かが壊れたように。

「―――――。……これで、許してもらえるのか?」
「ゆ、許すも何も……。と言うかな、『もしくは』というのはどちらか一方という意味だぞ? どちらもじゃないんだぞ?」
「そんくらい知ってるっつの。しゃーねえだろ、オレなんかオマエ以上に舞い上がってんだから」
「……邪魔されて言いそびれたから言っておくぞ。わたしもお前が好きだ、怒橋」
「ああ」

「でも、じゃあ、今はもう消しちゃってもいいんじゃないですか? その……」
 言いにくい。と言うか、言えない。「もう死んでしまったんだから」なんて、口が裂けても言えない。口を縫い付けてでも仕舞っておくべき言葉だ。
 ……でも本当はそんな道徳的な意味じゃなくて、薄ら寒かった。栞さんの雰囲気が。壊れたのは涙をせき止める装置だけではないと語りかけられているような、何かが。そんなところに「死」なんて言葉を投げ掛けるのは、とてもじゃないけど考えられなかった。
 しかし、本人はあっさりとそれを使用する。
「死んじゃってからは、意味が変わったの。かなり自分勝手で卑屈な意味に」
「そんな事」
 傷跡の存在だけなら、その場の驚きだけで済む。だけどそれを、自分の意思で、意味まで持たせて残しているのなら。いるという事は。
「当て付けだよ、自分が死んじゃった後も全然変わらない世界に向けての」
「――栞さんっ!」
 抱き締めた。裸がどうとか気にする余裕すら無く、ガチガチ震える手と腕で、栞さんをその場に固定した。それ以上変わってしまわないように。
 止めてください止めてください止めてください。僕は、僕は、僕は僕は僕は、絶対に栞さんを受け止めようとするに決まってるんです。今更引き返せないほどに好きなんです、あなたの事が。いつも嫌な顔一つせず庭掃除をしている女の子の事が。最近料理が上達してきた生徒の事が。いつもにこにこしているお隣さんの事が。それら何もかもをひっくるめた、喜坂栞さんの事が。
 あの時の痕跡を、病院暮らしだった時の痕跡を、自分の意思で残していたなんて。加えて今でもそれに意味を持たせているなんて、それじゃあ――
「分かりました。分かりましたから、お願いですから、それ以上自分を壊さないでください。好きです。大好きです。だからもう、これ以上」
「うん。栞も大好きだよ。自分で残した傷跡のせいで昔の事を思い出して泣いちゃって、それでも毎回傍にいてくれる孝一くんが、叱ったり抱き締めたりして元気付けてくれる孝一くんの事が、大好き。いっぱい助けてもらっちゃったね」
 すう、とやや大きく息を吸った音が、耳元で。
 そして。
「全部自分でしでかした事なのにね」
 ――それじゃあ、今まで昔を思い出して泣いていたのは、あなた自身が引き起こしたようなものじゃないですか。
「やめてくれぇっ!」
 突き飛ばした。否、押し倒した。単なる微笑みとも自嘲とも、もしくはこちらへの嘲笑とも取れる薄笑いを浮かべ、上半身裸なうえにまるで抵抗しない大好きな人を、乱暴に押し倒した。
「……切っ掛けなんて、些細な事でよかった。でも、できるだけ早いほうがよかった」
 大好きな人の大好きな顔に、水滴が落ちた。僕は今、泣いているのだろうか。
「こんな私でも、好きでいられますか?」
 大好きな人の大好きな声は、腕立て伏せのような体勢で覆い被さる僕を易々と貫いた。多分、涙もそこで止まった。
「……嫌いになれって言うんですか。今更」
 涙が止まったからだろう。自分でも背筋が凍るような、落ち着いた声だった。
「だって、大好きだから」
 こちらも、落ち着いた声だった。落ち着いた声同士なので、そこからの会話はまるで水が流れるように穏やかだった。気味が悪いくらいに。
「僕も大好きです。愛してます。だからはっきり言います。手遅れです」
「さっき、やめてくれって言ったよ?」
「大好きな人が自分で自分を傷付けてるのを見て、止めない奴なんかいません」
「あれはどっちかって言うと、自分が嫌だったからって感じに見えたよ?」
「ええ、嫌でした。正直言って、栞さんに恐怖しました。あんな考え方してるだなんて、今まで思ってもみませんでしたから」
「だよね。ずっとずっと被ってた化けの皮が、ここでようやく剥がれたって事だよ。私自身が嘘だったんだから、嘘な私が好きだった人も嘘って事になっちゃうのかな?」
「僕は嘘じゃないです。栞さんだって嘘じゃない。栞さんはそんな演技ができるほど器用な人じゃありません」
「やめてよ今更。嘘だった私で今の私を語らないでよ。孝一くんは私の何を知ってたのって、こう訊かれて孝一くんが答える事全部、嘘なんだよ? ……ああ、好き合って付き合ってた事だけは本当なのかな。だって、好きな人以外の前でこんな格好、できる筈ないもんね」
 上半身裸の大好きな人は、そこでふいと横を向いた。何かを、いや何もかもを、その動作一つで投げてしまったような。そんな冷ややかな動きだった。
 息を、吸う。そして吐きながら、言う。
「――嘘をつくな、喜坂栞」
 形容し難いくらいに色々なものが混ざり合ったどうしようもなく絶望的な目が、こちらを向いた。そんな目ですら愛しく思えてしまう僕は、狂っていると言われても仕方が無いかもしれない。でも今、そんな事を言う人は誰もいない。僕以外の口は一つあるけど、そこから僕が狂っているなどという言葉が出る筈が無い。
 何故ならその口の持ち主が、喜坂栞さんだからだ。
「嘘だなんて嘘ですよ。栞さん、僕を、僕達を馬鹿にしてるんですか? 僕だけならまだしも、僕以外のみんな纏めて騙し続けてたって言うんですか? 大吾も成美さんも清さんも、ジョンもサタデー達もナタリーさんも、家守さんまで騙し続けてきたなんて、本気で言ってるんですか? 栞さんがあまくに荘に住むようになってから四年間、誰にも見破られなかったって言うんですか? そもそも、自分がそんな事できる人間だと思ってるんですか?」
「できるって言ったら……」
「できる人間ならあまくに荘に住んでなんかない!」
 大吾は幽霊の声が聞こえてしまう妹の事を想って家を出た。成美さんは自分を助けた人間にお礼がしたいと家守さんを訪ねた。清さんは自分が近付くだけで頭痛に襲われる息子を見守るためにあまくに荘に来た。サタデー達とナタリーさんは人間の言葉を欲するほどに人間に慣れ親しんでいた。あまくに荘の幽霊はみんな、理由があってあそこに住んでいる。自分だけそれが嘘だったなんて、通るはずもない。
 あなたは、病院から出られなかったんでしょう?
「それとも、そこも嘘にしますか!? 明日帰ったら203号室から出て行くんですか! 全部嘘だったって手の平返して! 僕にくれた熊の置物も嘘ですか!? 家守さんと三人で作って食べた夕食も全部嘘ですか! 嘘の一言で捨てられるんですか、それもあれもこれもどれも、あそこで起こった全部!」
「うそ、じゃ……」
「僕は栞さんが大好きです! でも僕だけじゃない、みんな栞さんの事が大好きです! 栞さんだってみんなの事が大好きだった筈です! 全部嘘だったでこの四年間を丸投げするつもりですか!? できるんですかあなたに! 病院暮らしが長かったって泣いてたあなたが! これ以上時間を無駄に捨てる事を良しとするんですか!」
「だって、だって……」
 だって。だって何だ。だってと言うからには続きがあるんだろう、だったら聞いてやろうじゃないですか。これ以上まだ申し開きがあるのなら、全部受け止めてあげましょう。それで僕が傷付こうがぶっ壊れようが、知った事か。今まさに流れ始めたその涙も含めた栞さんの全部、僕が引き受けさせてもらう。
「誰にも傷付いて欲しくないよ……嘘だって事にして、自分勝手に孝一くんを傷付けた栞がいなくなってそれで済むなら、そうしたいよぉ……でももう、栞、離れられないよ。こんな傷跡残してまで呪った世界に、大好きになれる人達がいっぱいいるんだもん。今更、どうしたらいいのか分からないよ……」
 それ見た事か。やっぱり栞さんは、喜坂栞さんでしか有り得ないんですよ。
「全部嘘だって事にするから無理が出るんですよ。嘘をつく時は一番効果的なのを一つだけ、が常道です」
 今思い付いた常道ですが。
「……………」
「『誰も傷付けたくない』を『日向孝一だけは傷付けてもいい』に書き換えてください。それだけで全部済む話じゃないですか。――って言うか、前にも何度か言いましたよね。僕を頼ってくれって」
 意外と強情なんですね。その場では頷いた振りして聞いてないなんて。
「そんな栞でも、好きでいてくれるの?」
「そんな栞さんだから好きなんです」
 でも、強情さで僕と勝負なんて十年早いです。料理法の伝授が終わった頃にでもまた頑張ってください。それこそ本当の栞さんじゃあ、十年で終わるかどうか疑問ですけど。
「大体ですね、まずこの話の始まりは何でしたか? 僕が傷跡を知るのが『その時』初めてだと嫌だった? どうしてですか?」
「だって、絶対ショックだよ。いきなりこんなの見せ付けられたら」
 ええショックでしょうよ。前振りありで見せてもらった今でさえ、こんなに話がこじれたんですから。
「……それがどれだけ僕の事を心配した言い分か、分かってますか?」
  嫌いになってくれと言いながら、話の根本としてこのままの関係が続いた先にある「その時」を憂慮している。それはどうにもちぐはぐで、だからこそ僕は栞さんの話を嘘だと思った。
「始まりがそんななのに自分は実はみんなを騙し続けた酷い奴なんですって言われたって、どうやって信じろって言うんですか」
 嫌いになってくれというのが嘘で、ならば真実として残るのは「その時」の僕への配慮。……結局、栞さんは強いという結論に達してしまうのだ。世界を呪うなどという途方も無く大きなものを背負いながら、それに巻き込まれかねない僕一人を気に掛けるなんて。
 どうやって信じろと言うんだ、という問いへの返答は無かった。栞さんは、覆い被さっている僕を困ったように見上げるばかりだった。困った顔ではあるものの、分かってくれたんだと思う。勝手かもしれないけど、僕はこの沈黙をそう解釈した。
 ややあって僕は腕立ての体勢から肘を床につき、そのまま顔を降ろし――栞さんと唇を重ねた。
 その際、目尻から流れ出ていた涙を拭ってみたけれど、顔を離して横へ並ぶように寝転んだ頃には流れ出ていた以上の量が溢れていた。思い切り涙を流しておきながら、しかしそれだけで他には何もしない。そんなただただ静かに流れるだけだった栞さんの涙が枯れるまで、僕はずっと栞さんを見詰めていた。栞さんも脱いでから傍らに置いていたキャミソールをたぐり寄せて胸を隠した以外は身動き一つせず、こちらを見詰めていた。
 でも、それだけだったとも言える。相手が裸だからと言ってそれ以上の行為に及んだわけでもなければ、泣いているからと言って優しい言葉を掛けたわけでもない。僕はただこうしている事が最善だと判断したし、栞さんから意見が出る事もなかったからだ。
 僕はこれ以上もこれ以下も望めなかった。こんな状況で、自分だけに向けられた微笑みを前にしてしまうと。

「そもそもにして、家守さんに耳打ちしてたんだから家守さんに嘘付いてる筈がないんですよねえ」
「う……そこを突かれると、かなり痛いかも」
 口喧嘩が終わり、栞さんの涙が止まってふと気がつくと廊下が賑やかだったので、栞さんが着衣を直すのを待ってから外に出てみました。するとそこには、離れのみんなが全員集合。まああれだけ大声で騒いだら何事かって話ですからね。
 本宅の人が誰も来ていないのには、一安心。どうやら離れの外にまで響く声ではなかったようで。
「いやあ、みんなが入らないように入口ガードしてるの、大変だったんだよ?」
「ごめんなさい、楓さん」
 しずしずと頭を下げる栞さんに、家守さんは偽者のタバコを加えた笑顔のまま、その下がった頭をバシバシ叩いていた。叩かれながら栞さんは、「あは、は、はは」と不規則に途切れた声で笑っていた。
「前のもあたし達が会いに行った時だったし、疫病神なのかな? あたしと孝治って」
「そんな事ないと思いたいけど……うーん、僕と日向くんがそっくりなのに何か関係があったりして?」
「んっふっふ、オカルトじみた話ですねえ。でもまあ、疫病神どころか福の神なのかもしれませんよ? 雨降って地固まる、でしょうしねえ」
「哀沢と大吾が特別そうなだけかと思ってたけどよ、喜坂と孝一も付き合ってんのに喧嘩すんだな。ますますもってMYSTERIOUSだゼ人間ってのは」
「ですよねえ。『好きです』『こっちもです』だけで済むと思うんですけど……?」
「ワフゥ……」


7 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-11-05 21:47:45
シリアスな展開になりそうな
返信する
Unknown (代表取り締まられ役)
2008-11-06 21:12:33
なりそうですねえ。隣の部屋では正反対の展開ですけど。
いや、なりそうも何も、ここの話はもう書き終わってるんですけどね。
書いててあまりにも面白かったもんで、ついつい徹夜のぶっ通しで一気に書き上げてしまいました。気が付いたら朝だったってやつですよ。

さてこれから二人の話がどうなるのか、どうぞお楽しみに。
返信する
Unknown (Unknown)
2008-11-07 21:36:38
それはWKTKせざるを得ない
返信する
Unknown (代表取り締まられ役)
2008-11-08 21:20:09
この章はもうちょっと続きますが、二人の言い合いについては決着です。
私自身は命に関わる病気どころか病院にお世話になる事すら殆どなく(小学生ぐらいの時に突然起こった痔くらいでしょうか?)、栞さんの言い分なんて素人の妄想でしかないわけなのですが……はて、どうなんでしょう色々と。

ところで痔の時に病院で入れられた浣腸座薬、無茶苦茶痛かったです。
返信する
Unknown (Unknown)
2008-11-08 21:31:09
手術で腹切ったことあるけど、術後しばらくの間の最大の恐怖は…






くしゃみでした

くしゃみすると腹筋に力が入って傷が開くような激痛が…
返信する
Unknown (Unknown)
2008-11-09 10:42:51
泣かせる場面相変わらず上手いですね~
返信する
Unknown (代表取り締まられ役)
2008-11-09 21:22:43
くしゃみで激痛! 考えたらそりゃそうなんですが、毎年春に花粉症が酷い私には恐ろしい話です。なんせ一回症状が出だしたら部屋の中でもくしゃみしっぱなしですし。
多分鼻が過敏になって埃とかに反応してるんでしょうけど。
春には事故とかに気をつけるようにします。いや、春以外だって事故になんか遭いたくないですけどね。


さて一方、お褒めの言葉を頂いているわけですが。
勿体無いと言いますか、恐れ多いと言いますか。もちろん非常にありがたいわけですけど、ついでに言うならそれなりに自信があるから自分の文章をブログなんぞで晒してるわけなんですけど、でもどこかにやっぱり自信がない部分もあったりなんだりして。
しかし、ありがたいお言葉であるのには変わりがありません。
ありがとうございます。
これからもどうぞよろしく。
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