(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第三十七章 先人 四

2010-10-04 20:48:43 | 新転地はお化け屋敷
「まあ美味えからいいけどよ、別に」
 特に拘るふうでもなく、クッキーを食す作業に戻る大吾。美味しいとも言ってもらえているわけですし、ならば食べてもらう側としてはそちらのほうがありがたいです。褒められそうになって硬くなってしまっている栞さんとしても、それは同じでしょう。
 では、それはそれとしておきまして。
 褒められたからとぽやんぽやんしているばかりでは、せっかく作ったクッキーを大吾と成美さん(特に大吾)に食べ尽くされてしまいます。そりゃあ僕だって食べたいわけですから、だったら遠慮なく。
 ひょいと摘んでさくりと齧る。ふむ、焼きたてだからかいい歯ごたえ。時間が経っちゃうとこれが「さくり」から「もさり」になっちゃうんだろうなあ。――と考えたところで、実は家守さんと高次さん、そして清さんの分として分けて置いてあるクッキーがどうなるのか気掛かりになったりも。しかしそれは仕方のないことですし、今より状態が悪くなると言っても不味くなるというほどではないはずなので、まああまり気にしないでおきましょう。
 さて、食感の次にやってくるのは香ばしさ。食べる前からも感じ取れる要素ではあるわけですが、それが口の中に広がるとなると、やはり同じものでも感じ方は変わってくるわけです。口の中におけるクッキーが占有する面積は広くはありませんが、しかしそこから広がった香りは口いっぱいに広がります。焼きたてであることからくる温かさと程良い苦み、そしてほんのり程度の甘さ。味としてだけでなく感じ取れるそれらは、しかしその味と折り重なって、なるほど成美さんと大吾から褒められるに相応しい美味しさなのでした。
 味わい終えたそれらを喉の奥へと押し込めたところで、視線を栞さんへ。ついさっきまではおたおたしていましたが、今は一枚目のクッキーを味わっているところでした。
 食べ終えるまで少しだけ待ちまして。
「どうですか? 自分で食べてみて」
「うん、美味しかった。今食べたのが私が作ったやつか孝一くんが作ったやつかは、分からないけどね」
「さすがにたったあれだけの作業の中で味が違ってくることはないと思いますけどね」
「ふふ、まあそうだろうけど」
 僕が作ったものかもしれないとは言いつつ、しかし実際に食べてみたところで自信が付いたのでしょう。成美さんや僕と同じ表情なのでした。大吾はそこまでにこにこしてるわけじゃないですけど、まあ内情は似たようなものなのでしょう。美味しいとは言ってたんですし。
 ところで。
「でも栞さん、なんでまたあんなに照れてたんですか? 料理で褒められることって、割と増えてると思いますけど。いや、一番褒めてる僕が言うのも変な話なんですけど」
「うーん、なんていうか……勝手な思い込みなんだろうけど、お菓子作りって、いつものお料理よりこう、女の子っぽいっていうかさ」
 分からないでもないイメージですが、しかし栞さん、あなた実際に女の子なんですから。そりゃお酒が飲める年だったりはしますけども。
 なんて思ったところで、動いたのは成美さん。隣の大吾へ向かって、「そうなのか?」と一言。
 なぜそれを尋ねる相手が栞さんでなく大吾なのかと言いますと、栞さんに「女の子っぽい」と思わせたのが大吾だからなのでしょう。つまり、「お前もそういうつもりで言ったのか?」と。
 それには、大吾を差し置いて栞さんが先に反応。
「いやいや、もちろん大吾くんがそんなつもりで言ったってわけじゃなくてね? ああ、そういうつもりだったら悪いってわけでもないんだけど……どう言えばいいのか、とにかくちょっと、恥ずかしくなっちゃって」
 恥ずかしくなった理由の結論が「恥ずかしくなったから」ということになってしまいましたが、しかしまあ引き続いて分からないでもないということで。思い返してみれば、「生地捏ねるの面白い」なんて言いながら作業してましたしね。もちろん大吾や成美さんがそれを知っている筈はないのですが、思い返すと僕もちょっと恥ずかしいような。
「楽しそうなことだな」
 ここで成美さん、そんなふうに言いながら軽く笑います。外から見ればそういうことになるんでしょう、やっぱり。
「これが毎日続くとなれば、そりゃあ年を取るようにもなるわけだ」
 むむ、そう絡めてきましたか。
「もちろん、それだけというわけでもないのだろうがな」
「うん、まあね」
 さらりと返しはしつつも、しかしくすぐったそうな笑みを浮かべている栞さん。ちょくちょく見られる表情とはいえこちらもこそばゆい感じにはなるのですが、さてその一方で。
「…………」
 大吾、何やら成美さんへ向けて複雑そうな視線。もちろん何がどう複雑なのかは分からないわけですが、少なくともそれが良い感情の表れだということはなさそうでした。
 しかし、今の話でどうして?
「どうかした?」
「え? あ、いや」
 分からないなら本人に訊いてみよう。ということでその通り実行してみたわけですが、帰ってきたのは曖昧な返事のみ。言い難そうだということは、訊かないほうが良かったでしょうか。いや、僕はこれ以上訊き出そうとは思いませんけど、
「ん? 大吾、どうかしたのか?」
 こうなりますし。
「いや、別に」
 大吾の返事は変わらず。しかし成美さんと僕とじゃいろいろと違いがあるわけで、しかも大吾が複雑そうな顔で見ていたのは成美さん。ともなれば、別にと言われて放っておくわけにもいかないのでしょう。
「どうもしないというわけではないのだろう? 言ってみればいいではないか」
「うーん……」
「些細なことでへそを曲げたりはせんさ、少し前までのようにはな」
 現状では成美さんの機嫌を損ねるような話であるかどうかすら分からないわけですが、しかしどうやら成美さんはこの状況をそんなふうに受け取ったようでした。そして大吾も特に異を唱えはしないわけで、ならば成美さんの考えは間違っているというわけではないのでしょう。
 少し前までの自分からは変わった、と言い放つ小さな身体の成美さん。格好良さと体躯のギャップからかその格好良さが引き立って見えるのですが、さてそんな成美さんに対して大吾はどう出るでしょうか。
「ならまあ、言っちまうけど」
「うむ」
 どうやら、成美さんの言葉に従うようです。
「オマエもやっぱ、年は取りてえのかなって」
「なるほど、そういうことか」
 話を聞いた成美さんは、しかし大吾の躊躇いとは裏腹に平然としています。機嫌を損ねるようなことはもちろん、それが考え過ぎだったということを笑うようなこともありません。
「しかし大吾、その話は前にもしただろう? 今に不満があるわけではないよ、わたしは」
「まあ、そうなんだけど」
 質問をした後でさえやや消極的な大吾でしたが、すると成美さんはそこで初めて小さく笑いました。
「確かに身近な者が年を取り始めたんだ、気にはなるのだろうがな。そもそもその話を初めにしたのはわたしだし」
 言いつつ、その視線は栞さんへ。そりゃまあ他に候補はいないわけですしね。
「え、ええと、ごめんなさい?」
「いや栞さん、それはさすがに変です」
「あれ」
 いきなり謝った栞さんでしたが、それはそれとして。
「怒橋さんはどうなんですか? 年を取りたいっていうのは」
 尋ねたのはナタリーさんでした。成美さんは年を取るということに特に拘りがあるというわけではない、ということで話題は大吾へと移ります。
「いや、オレもコイツも幽霊だから、どう思っても仕方ねえっつっか」
「それだったら、わたしがどう思うかだってそうだろう?」
 幽霊が年を取る条件の一つは、愛し合う相手が「幽霊を見ることができる幽霊でない人」であること。つまり、どちらも幽霊である大吾と成美さんでは初めから無理だと分かっているのです。ただまあ、それでも成美さんの言い分はもっともなのですが。
「いいじゃないか、それも言ってしまえば。それともあれか? まだわたしに気を遣っているのか?」
 それは優しい口調ではありましたが、言外に「気を遣うな」という意味を含めているのは、大吾でなくとも分かります。ともなれば、大吾としてはその言葉に従うほかないのでしょう。既に一度従っているわけですから、今になって従わないというのも妙といえば妙になってしまいますし。
 ところで成美さん、「『それも』言ってしまえば」という言い方は、大吾が年を取ることについてどう思っているのかを既に知っているように聞こえますが。
「基本的には、オレは年は取りたくねえと思ってる。っていうのは、オレがなんでここに住むことになったかって話にも繋がるんだけど……仲良くしてくれてるオマエに言うのはアレかもしれねえけど、庄子によ。あんまりこっちに深入りして欲しくはねえっつうか」
「庄子ちゃんですか? こっちっていうのは……」
「幽霊のことだよ。ほら、人間的には幽霊ってあり得ねえ存在なわけで」
「ああ、そうでしたね。人間の中だと変なことになっちゃうんですよね、幽霊と仲良くしてるっていうのは」
「オレと成美が――まあその、生きてる誰かと愛し合って年取ることになるっつったら、それは庄子とってことになるんだよ。まず間違いなく。でもオレは、そこまで庄子にこっち側に来て欲しいと思ってねえっつうか」
 初めからそう思っていたということは、さっきの「どう思っても仕方がない」発言はやはり気遣いから来るものだったのでしょう。仕方がなくはないんですから。
「でも別に、オマエが庄子と仲良くしてることにどうこう言うつもりはねえからな? むしろこれからもそうしてやって欲しいっつーか」
「はい。これからも宜しくお願いします」
 庄子ちゃん本人の目の前ではとても言いそうにないことを、大いに照れ臭そうにしながらも言い切った大吾。言うしかないですもんね、この話の流れだと。
 そしてそんな大吾に対し、改まった挨拶をしたナタリーさん。しかしそれだけでは済まさないつもりのようで、するすると大吾の足元へ。
「ちょっとお邪魔してもいいですか?」
「お邪魔?――ああ。そりゃ、別にいいけど」
 どうやらお邪魔というのは身体を登るということだったようで、即座にそれを理解した大吾はナタリーさんへ手を差し出します。ならばナタリーさんはそこから腕を伝って大吾の肩へと進むのですが、
「っ!?」
 大吾が、声にならない声を上げました。声にならない、というからには実際のところ声など上がっていなかったのかもしれませんが、まあともかく言葉に詰まったというか何と言うか。
 で、何があったのかですが。
「庄子ちゃんに、すっごく嬉しい時だけにした方がいいって言われてたんですけど……ええと、大丈夫だったでしょうか?」
 ナタリーさん、大吾の頬にキスをしたのでした。
「いや、そりゃその、よくなかったとは言わねえけど」
 もちろんそれは照れるような方向性でのキスではないのでしょうが、しかしそこは我ら日本人というべきか、そういう風習には慣れてはいません。いやそもそも、日本人でなければこういう場面でキスをするのかと言われれば、そうだと断言はできませんけど。
 というわけで大吾、キスされた頬を手で押さえすらしながら、結構な動揺を見せるのでした。
「あら大吾さん、面白い反応ですわねえ?」
 男の僕からすると大吾の反応は仕方がないとも思えたのですが、しかし女性からするとそうでもないのかもしれません。マンデーさん、少々意地悪な物言いをするのでした。
「うむ、そうだな。面白い」
 成美さんも乗っかります。というか、成美さんだからこそ乗っかります。声が笑っていませんが、許してあげて欲しいところです。
「いやいや怒っているわけではないのだぞ? まさかこれしきのことで腹を立てるなど、そんな子どもじみた嫉妬なぞこの年でできようはずもないな。うむできん。だからいまわたしの声がちょっと平坦になっているのはそうだな、お前と同じく驚いたというか何と言うかまあそんな感じなのだろうさ」
 どう見ても怒っていました。
 が、それを抑えようと努力しているのもひしひしと伝わってきます。腹を立てるべきでないというのは本音なのでしょう。
「ご、ご、ごめんなさい哀沢さん。あのその、嬉しくなっちゃって、つい」
 大吾以上にナタリーさんが竦み上がってしまっています。成美さん自身が怒ってないと言っていても、こればっかりはそりゃそうなるでしょう。
「いやナタリー、別にわたしはそういうつもりではなくて――いやいやそもそも怒ってなどいないのだから何を謝られているのかさっぱりだな」
 これまた同じ調子で話す成美さんでしたが、しかしさすがにひやりとしたところがあったのでしょう。大きく息を吸い、大きく息を吐いて、気分を落ち着けたのでした。
「大吾を良く思ってくれたのだろう? いいことじゃないか、歓迎するぞ。嬉しいからキスをするというなら、わたしがお前にしてやりたいくらいだ」
「ほ、本当ですか?」
「ははは、そう怖がってくれるな。本当だから、よければこっちに来ないか?」
 というわけで成美さん、大吾の肩の上に位置しているナタリーさんへ、さっき大吾がそうしたように手を差し出します。ならばナタリーさんもその時と同じように。若干恐る恐るのように見えなくもないですが、見間違いだったかもしれません。
 そして。
 ちゅっ。
 ……と。
「信じてもらえたか?」
「はい。ありがとうございます」
 キスをしてもらって「ありがとうございます」というのは何だかそれはそれで妙に聞こえたりしないでもないですが、しかしまあナタリーさんがそう思ったのならそれが正解なのでしょう。僕がキスをされたわけでなし。
「あの、哀沢さん」
「なんだ?」
「さっき喜坂さんと日向さんのこと、これだったら年を取り始めても不思議じゃないって言ってましたけど――大吾さんを良く思っただけでキスをされるほど喜ばれるんだったら、成美さんと大吾さんだって充分だと思います」
「そうか?」
「そうです」
「ふふ、そうか」
 年を取るという結果が付いてこないだけであって、成美さんと大吾の仲の深さは僕と栞さんのそれに並ぶと。もちろんそれはそうなのでしょう。そうじゃないと思う理由が一つもありませんし。
 成美さんとナタリーさんのそんな会話中、大吾はもそもそとクッキーを食べ続けていました。目線はしっかり成美さんのほうを向いたままでしたが。
 で、ナタリーさんとの会話が一区切りしたところで大吾の目線に気付いた成美さんは、
「しかし、考えてみればそういう話をする場ではなかったかもな。大吾を見習ってもっとクッキーを頂くとしよう」
 というわけで、再度クッキーへ手を伸ばし始めました。まだ口の中までは運んでいない以上、そのほっこりした表情はクッキーによるものではないのでしょうが、しかしそうした状態で自分が作ったものを食べてもらえるというだけで僕としては満足です。そりゃまあ、ちょっとくらいそのほっこり顔の足しになればいいなとは思いますけど。
 僕も食べようかとこれまで話のほうに捕らわれていた意識をクッキーに向け、しかしそちらへ手を伸ばす直前に栞さんのほうを見てみたところ、にこりと微笑み返してくれました。それもやっぱりクッキーではなく成美さんの話によるものなのでしょうが、しかしやっぱりにやっぱりを重ねて、僕は満足です。

 それから暫くは、とりとめもない話をしながらさくさくもぐもぐと。しかしクッキーが食べ尽くされて更に暫くが経過したある時、すっかり忘れてしまっていた出来事が。
 突如として室内に響き始めた音というか音楽というか。まあともかくそれは、僕の携帯の着信音なのでした。正直言ってあまり使われていないその携帯電話に誰が御用なのかと言われたならば、そりゃあ明くんでしょう。こっちから用事を頼んだんですし。
 届いていたメールにはこうありました。「四限が終わってから正門の辺りでってことで」。伝えることだけ伝えたぞってな感じの内容でしたが、また眠気でぐわんぐわんしてたりしないでしょうか明くん。……いや、何もこのメールの内容がおかしいというわけではないのですが、その送信者が明くんだから気になるというか。
 ちなみに現在の時刻は、二時を少し回ったくらい。三限が終わるまでもう一息、といったところでしょう。ならば明くんは講義の真っ最中にメールを打ったということになりますが、眠気覚ましと考えればむしろプラスなのかもしれません。もしかしたら三限に講義を取っていないという可能性もないわけではないですが。
「大学の人か?」
「あ、うん」
 携帯を畳んだところで大吾から質問。そして大学という単語が出たところで、
「そういえば孝一さん、次にまた大学へ行かれるのはいつぐらいになるのですか?」
「うーん、もうそろそろです。あと二十分ちょっとで講義が始まる時間ですね」
「そうですか。じゃあそろそろ戻らせて頂いたほうが良さそうですわね、わたくしたち」
 別にギリギリまで居てもらっても構わないんですけど、とは思いましたが、まあしかし引き留めまですることもないんじゃないだろうかということで。
 そういうことならばと次々に立ち上がるお客さん達を玄関までお見送りし、大吾と成美さんからクッキーの礼を言われたり、ナタリーさんから栞さんとの仲について激励の言葉を頂いたり、ジョンとマンデーさんをもふもふしたり。雨が止んでいれば今からでもデートに行けたんでしょうけどねえ、ジョンとマンデーさん。――というのはまあ言っても仕方のないことなんですけど。
 それらが済んでしまったところで、ならばさて大学へ向かうまでの少々の時間、ちょっとした暇ができました。お客さんが帰ってしまったとは言っても、もちろん栞さんだけは残ったままですが。
「上手く出来てよかったね、クッキー」
「そうですね。喜んでもらえてたみたいですし」
 というような感想は大袈裟なのかもしれませんが、しかし毎日料理をしているとは言ってもやっぱりお菓子作りは今回が初めてだったわけで、ならばこんなふうになるのも致し方無しなのではないでしょうか。自分で言うのもなんですけど。
「それで、えーと」
「ん?」
 栞さん、なにやら急に口が重たくなったような感じに。
「さっきのメール、日永さんからだったんだよね? 時間、決まったって?」
「ああ、はい。四限が終わったら正門で待ち合わせだそうです」
「……緊張するなあ。緊張するようなことじゃあ、ないんだろうけど」
「あはは、話題が話題ですしねえ。と言ってそれを持ち掛けたのは僕なんですけど」
 年を取り始めたことについての話。いくら前々から知っていたことであるとは言っても、それが実際に栞さんの身に起こったのは、きっかりこの時からと言い切れはしないもののここ最近の話。だったらそれを誰かと話すということについて、そりゃあ緊張もしようというものです。僕はともかく――いや、僕に限らずここのみんなが除外されるんでしょうけど。
「……でもよく考えたら、それはあっちも同じなんですよねえ」
「それって?」
「ああ、年を取り始めたのは最近だってことです。だったら、霧原さんも栞さんみたいに緊張してるのかなって」
「あー、そっかあ。最近の話だもんね、霧原さんと深道さんがここに来て楓さんに相談したのって」
 あの日から、ちょうど一月ほどになるでしょうか。幽霊が年を取るという現象自体を全く知らなかった霧原さんと深道さんですから、実際にそうなっても即座に気付けたわけではなかったでしょうし、だったら少なくとも年を取るようになってから一月半から二月が経過していたと見るべきでしょう。
 しかしそう考えてもなお、短い期間だとは思うのです。自分がそうなったわけではないので想像でしかありませんが、なんせ言ってみれば身体の仕組みが変わってしまったのですから。幽霊である期間が短ければ「幽霊になる前の状態に戻った」で済ませられるんでしょうけど。
「それを考えたら、先に年を取り始めた人と話がしたいって言ってもそう変わらないんですよね。僕達と深道さん達って。……なんだか、相談を持ち掛けた理由自体が破綻しちゃってますねこれ。良かったんでしょうか今回の話」
「まあまあ、霧原さん達は引き受けてくれたんだから。だったら悪く思われてるわけじゃないんだろうし、それにそこで申し訳なさそうな顔をしてるっていうのは、それこそ嫌な気分にさせちゃうんじゃないかな」
 という話になると、つまりはいつものアレでしょうか。
「すいません、またいつもの悪い癖で」
「うん」
 怒られるではなく、しかし逆に慰められるでもなく、うんとだけ。けれどもその変わらない表情と声色は、「分かればよし」と暗に言ってくれているようでした。そういう気がした、というだけの話ではありますが。
 なんとかならんものかと自分でも思うわけですが、しかしそれについてここで話をするというのは違うのでしょう。
「でも、こんなふうに言っててもやっぱり、緊張よりも楽しみって方が大きくはあるんだけどね」
「ですね。僕もそうです」
「……こうくんも緊張してたの?」
「まあ、少しだけ」
 もちろん栞さんの緊張よりははるかに小さいでしょうし、緊張の中身だって違ってるんでしょうけどね。
「ありがとう。って、言っておいた方がいいのかな。それだったら」
「え? あれ、なんでそうなりますか?」
「他の人とそういう話ができる場を作ってくれたことに対してね。自分が緊張しながら、だし」
「いやあ、栞さんを呼んだのはそれが決まった後のことですし」
 栞さんもどうですかと声を掛けたのは、深道さん達と会うことが決まった後のこと。だったらそれは「栞さんのため」ではなく、「僕のため、でも良ければついでに栞さんも」という程度のことなのです。
「私がしてもらったことに変わりはないよ、それでも」
 栞さんはそう言ってくれました。もちろんそれはそうなんですけどねえ。

「じゃあ栞さん、四限が終わったらまたここで」
「うん。残り一つ、頑張ってね」
 頑張るほどのことではないような気もしますが、今から向かうは本日最後の講義が行われる教室。狭い教室なので栞さんと一緒にはいられず、なのでここ、大学の正門からは別行動になります。
 四限が終わったらまたここで。次に来る時には栞さんだけでなく、当然深道さんと霧原さんも一緒なわけですが、それを考えると家で言っていた緊張が再燃してくるような。
 しかしまあ、今考えるべきは次の講義です。頑張るほどのことではないと言いはしましたが、しかし学業は学生の本分。頑張ることが何も間違いだというわけではないので、だったら頑張ってやろうじゃありませんか。栞さんからそう言われたことはもちろん、緊張を紛らわせるという意味でも。
 ちなみにこの、大学の正門という場所。朝から降っている雨は今も変わらずしとしとと降り続けているのですが、すぐ傍の校舎の二階部分がせり出して屋外ながらも屋根があるようになっているので、話をしていて雨に打たれるということはありません。弱い雨だとは言っても、凌げるなら凌いだ方がそりゃいいですしね。
 雨に打たれながらのほうが緊張が紛れたり――なんていうのは、弱気な心が生み出した妄想なんでしょうね。


コメントを投稿