(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第二十八章 無計画な戯れ日和 四

2009-08-08 21:01:56 | 新転地はお化け屋敷
 ……まあ、忘れてたと言ってもペットショップの後に来る予定だったので、忘れようが忘れまいが結局は同じことなんですけどね。
「今度も私が待ちましょうか?」
「いや、今度はオレが残りますよ」
 というわけで、サタデーの目的地であるいつものデパート。またもジョンが中に入れないので、店内へ進み入る前にそんな相談が成されます。
「俺様もこれ以上待たされるだけってのはゴメンだゼ!」
「んっふっふ、そうですか。この格好で中に入るのは中々勇気が要りますが、そこまで言うのなら。ありがとうございます、怒橋君」
「こういう機嫌取りもオレの仕事ですから」
 ジョンのリードを受け取りながら、嫌味っぽく返す大吾。しかしそれが照れ隠しなのであろうことは今更言われるまでもなく全員が承知しているので、
「たまにゃあ素直に俺様に喜んで欲しいからって言ってみたらどうだ? むしろそっちのほうがDAMAGEあると思うゼ?」
「アホか。ナタリーとかだったらまだ分かんねえでもねえけど、誰がオマエになんか」
「ケケケ、本心丸出しじゃねえかそれ」
「あ、ありがとうございます怒橋さん」
 つまりそれは、ナタリーさんには言えるけど、サタデーには言えない「だけ」であるということ。指摘されてしまったうえにナタリーさんからお礼まで言われてしまった大吾は発言を取り消すことすらできず、苦い表情になって黙ってしまうのでした。
 まあしかし、サタデーは猫じゃらしという大吾の弱みを文字通りに握っているわけで、けれどもそれを遣り込めるのに使ったりしないというのは、これが単なる戯れであるということの証になるんでしょう。……サタデーが猫じゃらしのことを忘れているという可能性は、この際考慮しないことにします。
「二人でいる間、大吾くんのこと慰めてあげてね、ジョン」
「ワフッ」
「おい喜坂」
「わたしからも頼むぞ、ジョン」
「ワウゥ」
「オマエ等な……」
 栞さんと成美さんに頭を撫でられて上機嫌なジョンと、栞さんと成美さんのせいで不機嫌さを増してしまった大吾を残して、いざ店内へ。と言っても買う物はサタデーの注文の品だけなので、すぐ済みそうですけど――あ、そうだ。

「買った! さあ買った! 急いで帰って飲もうゼ早く! HURRY HURRY HURRY!」
「んっふっふ、耳が痛いですよサタデー」
 待たされ過ぎたせいか、サタデーのテンションが異常です。そんなところへ言い出すのも心苦しい面がありますが、
「清さん、家電売り場に行ってみませんか?」
「ん? 家電売り場――ああ、なるほど。それはいい考えですねえ」
「WHAT!? まだなんか用事あったのか!? あったっけ!? そんな、殺生だゼ~!」
 思っていた通りの反応をされてしまい、尚のこと心苦しいのですが、
「MY WIFEですよサタデー。んっふっふ」
「WIFE? ああ、明美か。……いやまあ、そういうことなら我侭も言えねえな」
 事情を理解したサタデーは、するりと納得してくれたのでした。
 ちょっと今、ジョンにそうするように頭を撫でてあげたい気分です。馬鹿にしてるとかじゃなく。
 静かになったサタデーに入れ替わるようにして、今度はナタリーさん。
「えっと、明美さんがここにいる、という話なんでしょうか?」
「その通り、彼女はこのお店で働いているのです。もっとも、客である私達が会える場所にいるかどうかは分かりませんけどね。関係者以外お断りな場所にいるかもしれませんから」
「会えるといいですね、明美さん」
「そうですねえ」

「うっ! わっ!」
 家電売り場です。結論から言って、明美さんには会えました。
 ただし、思い切り驚かれましたが。
 ギャグ漫画か何かのように見事な身の引きっぷりを発揮したまま、制服姿の明美さんは口をぱくぱく。
「あ、あな……えっと、あなたよね? たた、多分」
「いやあ、こんな格好で悪いね」
 そう、現在の清さんは、グリーンモンスター楽清一郎なのです。こういう展開を意図しなかったと言えば嘘になりはしますが、しかしここまで想像通り、と言うより想像以上に驚かれてしまうとは。明美さん、取り敢えず姿勢だけでも元に戻してもらって。
「昨日の夜からずっとこうなんだゼ!」
「ご、ごめんなさい明美さん。驚かせてしまって」
「いやあ、手元に消火器があったらぶっ放してたところだったわねえ……おほん。えー、今日は、皆さん。全然驚いてないから気にすることじゃないわよ、ナタリーちゃん」
 話の前半が後半を否定してますよ明美さん。
「あら? えーと、でも、哀沢さんがいる割には怒橋君がいないようですけど」
「外でジョンの傍についてもらってるよ。買い物は哀沢さんの担当だから、丁度良い役割分担――ん? そう言えば、前に来た時話してたっけかな?」
「何をかしら?」
「哀沢さんと怒橋君は……哀沢さん、話してもいいでしょうか?」
「そりゃあもう全く構わんが、しかしまあここは自分の口で言うべきか」
 話を振られた成美さん、明言されていないその内容は理解できているようです。
「明美。わたしと大吾はな、夫婦になったのだ。同じ部屋に住んでもいるぞ」
 そう言えば、まだ話していませんでしたっけ? 前に明美さんが来た時と言えば三日前、風邪でダウンした清明くんを迎えに来た時で、しかも庄子ちゃんまで来ていたとあって、あまり話をする時間が取れなかったですもんねえ。
「本当に? あら、これは大変だわ。こんなところでポロッと切り出されてしかるべき話じゃないわねえ」
 今日初めて知ったというのなら、しかし疑問が浮かばないでもないのでしょう。なんせ成美さんと大吾は付き合い始めたのすら最近のことで、同棲を始めたというだけならまだしも、それがいきなり夫婦になったという話。驚くのは当然として、信じられないというのも、全くないということはないはずなのです。
 しかしそれでも明美さんは、そんな感情などまるで窺わせません。年の功――という表現は、失礼にあたるのかもしれませんけど。
「おめでとうございます、哀沢さん」
「うむ。ありがとう、大吾ともども、これからも宜しく頼む」
 明美さんからの賛辞に、成美さんは頭を下げました。
 しかし何やら急いだ様子で下げた頭を持ち上げると、
「確かこういう場合、帽子は被らないのが作法だったな。済まない、やり直す」
 そう言って被っていたニット帽を脱ぎ、もう一度、頭を下げ直すのでした。
「――こんなふうに至らぬ点もまだまだあるだろうが、重ねて宜しく頼む」
「至らないなんてことはないですよ。こちらこそ、夫婦ともども、今後も宜しくお願いします」
 明美さんが頭を下げ返し、夫婦ともどもということで清さんもそれに続く。その時、その清さんの両肩では。
「作法ねえ。まあ、人間とそういう関係になったってんなら考えねえわけにはいかねえよな」
「そういうものなんですか? でも、人間の殆どは幽霊と縁のない生活をしているわけですし」
「ケケケ。ナタリー、BIGな体して細かいことに拘るモンなんだゼ? 人間ってのは。だから一緒にいて面白いんだよ」
「そ、そんな理由があったなんて考えもしませんでした。なるほど……」
 ……何か違うような気もしますが、しかしそれはまあ人間的な見方からの意見なのでしょう。ナタリーさんも納得しちゃったことですし。
「体のBIGさに似合った大雑把な性格だったら、俺様が植物もどきを背負わされるようなこともねえってもんだゼ」
「確かに。って、サタデーさん、それは言っちゃいけないような気が」
 気が、どころの話じゃないですね。こらサタデー。
「ん? 二人とも、何の話だそれは? 植物もどき?」
「気にすんな気にすんな。俺様も気にしてねえから」
「はあ……?」
 これにはさすがに不審顔な成美さん。しかしこの時点では、不審な何かが自分に関係していることだと知りようもないので、
「まあ、何でもいいが」
 と早々に引き上げてくれたのでした。
「あら、私は気になるけど」
「んっふっふ、気にしない気にしない」
「けちねえ」
 もう一方の事情を知らないかたも、その旦那さんが抑えてくれました。抑え切れたとは言い切れないような感触ですが、まあ大丈夫でしょう。ほらその、語らずとも察するというか、懐の広さというか――年の功というか。ごめんなさいというか。
「ところで、その後清明はどうだい? 庄子さんと仲良くなったみたいだけど」
「あら、何の話が聞きたいのか隠そうともしないのねえ」
「隠したってその話になると思うけど、一応ね」
 まあ、確かにそれは否定できないでしょう。しかしそうなると、大吾がここにいないのがちょっと残念でもあります。
「――と言っても、庄子ちゃんとお出掛けしたらしいのがたった二日前だもの。さすがにこの短期間で動きはないわ」
「ああ、知ってたのか二人でジョンの散歩したことは」
「ええ、辛うじて聞き出せたわよ。どこ行ってたかって聞いたら『ジョンくんの散歩』って言ったから、だったら一人じゃあないんだろうなあ、そう言えば庄子ちゃんがそんなこと言ってたなあって」
「推理できたんなら聞き出さなくても良かっただろうに……」
「そうねえ、確かにちょっと困ってたわ。うふふ」
 絶対にちょっとどころじゃなかったんだろうなあ、というのは容易に推理できてしまうんですよね。
 ところで、デパートで会うのは今回が初めてな明美さん。いつもならその縮れ気味な髪を後ろで束ねて団子状にしているのですが、職場ではそうもいかないのか頭の後ろにいつもの団子はありません。と言って髪を下ろしているというわけではないようで、どうやら団子ほどは目立たないにしてもある程度結い上げているようです。
 さて、そういうわけでここは職場です。
「あら、お客さん。――怒橋君に宜しく言っておいてね、哀沢さんとのことも含めて」
「分かった、伝えておくよ。それじゃあまた今度」
 僕達以外のお客さんがやって来たということで、解散の流れと相成ります。
 そのお客さんが明美さんに話し掛けたというわけでもないのですが、店員が客と世間話をしているというのは外聞が宜しくない、ということなんでしょう。
 他の人から見れば明美さんは僕と成美さんを相手に話をしているように見え、しかし実際は夫と話をしているという差異もありはしますが、この場合それはあまり関係はないのでしょう。
「皆さんも。また今度、私か清明かが寄らせてもらいますね」
 各々それに返事をしてから、家電売り場を後にしました。
 その時、背後から明美さんの「あら」という声が聞こえたので振り返ってみると――明らかに、サタデーが後ろ手に持っているものに気付いた顔をしていました。
 だからといって声を掛けてきたりしない辺り、さすがです。

「走れ清一郎! DASHだ清一郎! 早く俺様に至福の一時を~!」
「まあまあ。こういうのは、焦らせば焦らすほど美味しく感じられるものですよ」
 そこまで騒ぐなら今ここで飲めばいいのに、なかなかお行儀のいいサタデーなのでした。清さんが言っているような感覚をサタデーも持ち合わせている、ということなのかもしれませんが。
「私も一緒ですから一緒に待ちましょう、サタデーさん」
「そうそう、ナタリーも同じなんですよサタデー」
「ぐぬうぅ! すぐそこに! 届く位置にあるってのによう!」
 まあ、何故か今は清さんが持ってますからね活力剤が入ったビニール袋。あれは嫌がらせなのでしょうか?
 その一方。
「なんか、照れるよな。照れてる場合じゃねえのかもしれねえけど」
「わたしは今更そうはならないがなあ」
「成美ちゃん、堂々と伝えてたもんね、明美さんに」
 明美さんの宜しくを伝えられた大吾は、言葉の通りに照れていました。栞さんの指摘通りに堂々としたものな成美さんとは、まるで逆です。
「うむ。――まあしかし、照れるというなら照れておけ。初々しさというのは良いものだからな、それが何についてのであるかにしても」
「照れておけとか言われてもなあ……」
「初々しさって言うと、付き合い始めるまでの成美ちゃんと大吾くんみたいな?」
 栞さんがそんなふうに言うと、二人の表情は更に差を広げます。
「そうだな。言ってしまえばうじうじしていただけだが、今思えばあれもあれで」
「…………いや、喜坂、オマエ面白そうにそういうこと言うなよ。そこまでされたら照れるどころか落ち込むぞ、オレ」
「そう? えへへ、ごめん」
 栞さんにしては意地悪く絡むなあ、などと思わないわけでもないですが、成美さんも大吾もそれについては特にコメントしませんでした。大吾はまあ、心情的にそれどころじゃあないんでしょうけど。
 というわけで後ろのサタデーが喚き続けている中、やや間を置いてから。心を静めた大吾が反撃を試みます。
「そう言う喜坂はどうだったんだよ、そのへん」
「うーん、付き合い始めるまでの期間っていうのが、無いに等しいくらい短かったからなあ」
「なんだそりゃ。んなもん、反則だろ」
「は、反則って……」
 付き合い始めるまで、とは言いますがではどこから付き合い始めるまでなのかと言えば、それはまあ相手を好きになってから、ということになるんでしょう。
 むう。明確に好きになったタイミングというのは自分でもはっきりさせられないし、そもそも僕と栞さんじゃあ誤差があるものなんだろうけど、確かに短くはあるんだと思う
 多分、長くても数日そこら。女性経験が豊富だったりするならまだしも、僕という人間を振り返ってのその期間というのは、奇跡が起きたか狐に化かされたかしたくらいの短さだろうなと。
「まあまあ大吾、長かったからといって、それが悪いというわけでもないのだから」
「そりゃまあ、そうだけどよ」
「つまるところ、わたしはずっと幸せだったということだ」
「……ちょっとは照れて言えよな、そういうこと。急にどっしりしすぎだろ」
 苦し紛れに言う大吾ですが、しかしそれはあながち間違った意見でもないような。
「ふふ。ならばまあ、考えておこう。考えてどうにかなることでもないだろうがな」
 成美さん、変わったよなあ。
 ――いや、もちろんそれは良い方向にという意味なんですけど。

 暫く経っても時折大声をあげることを止めないサタデーが「もうちょいもうちょいあと少し!」なんて言い出した辺り、つまりはもうちょっと――もうあと二分ほどで我が家ならぬ我等が家に到着しようかというくらいにまで進んだ頃。
「むおっ!? ななななWHAT!?」
 またも大声をあげるサタデー。しかしそれはこれまでのもとのは違うようで、日本語と英語が混ざってるんだか混ざってないんだか分からないのはともかく、何かに驚いたような声色なのでした。
 となれば声を聞いた者としてはそちらを向かないわけには参らないのですが、するとサタデー、何やらとっても焦っている様子で、
「あ、ああいやいやお前等NEVER MIND,気にすんなよ。別に何もねえからへへへ……」
 なんて明らかに不審なこと不審な笑みを浮かべつつ言いながらしかし、その言葉を発する口がある花部分は後ろへ若干仰け反っていて、それはどうも後方へ引っ張られているような体勢なのでした。
 サタデーが何かに引っ張られているということは当然、そのサタデーがしがみ付いている清さんも引っ張られているわけですが、こちらは単に足を止めているだけの様子。ただし不審な様子のサタデーとは対照的に、とはいえこちらもまた不審なくらい、無言なのでした。ナタリーさんも同様。
「なんだサタデー、背中がどうかしたのか?」
 成美さんが詰め寄ります。
 何があったかは分かりません。ですがしかし、その何かがあったのがサタデーの背中側となると、僕達もどうしようもありません。
 何があったかは分かりませんが、サタデーが焦っている原因は、その何かでなく隠し持っている猫じゃらしなのです。どう考えても。
「いや、いや、哀沢、本当に何ともねえから――そ、そうだ。そんなことより早く帰ろうゼ? ほら、俺様、ずっと待ってんだよ至福の一時をよ。歩こう、歩こうゼ」
「仰け反ってぷるぷる震えながらそんなことを言われてもな……。何か後ろに重い物でもぶら下がっているのか?」
 言い終わる頃には、成美さんはサタデーの背後を確認しようと清さんの横へ回り込み始めていました。
「待て、WAITだ哀――」
 悲痛ともとれるような声でサタデーがそう言おうとも、もちろんその足が止まるわけもなく。
「……おい」
「…………!」
 ついに、見付かってしまいました。あまくに荘まであと少しだったというのに、目的達成ならずです。
 しかし、何があったかは分からないにしても、それが不慮の事態だというのは明白。まさかこの結果をサタデーの責任だと断じることはできないでしょう。例え成美さんをどんなに怒らせ、そのとばっちりを受けるようなことになってしまったとしても。
「どうしてこいつがこんな所に?」
「……へ?」
 こいつ?
 間の抜けた声をあげたのはサタデーでしたが、こちらとしても同じような心境です。と言うか、成美さん以外の全員が同じなのではないでしょうか。
 こいつ、というのは人物を指す言葉であって、それがサタデーやサーズデイさんのような植物同士でならともかくとして、成美さんが猫じゃらしを「こいつ」と呼ぶのは妙なのです。
「いや、へ? でなくだな。ほら、こいつだよ」
 サタデーの背後へ手を伸ばした成美さんがその手を引き戻すと、そこには。
「ニャア」
 どこかで見たことのあるような猫が、首元を掴まれてぶら下がっていました。
「少し前に会ったばかりだろう? わたしの元夫だよ」
 白を基調に灰色のぶちが入った毛並みに、鋭い目付き。数日ぶりです、猫さん。
 ……そうですか、じゃれちゃいましたか。言葉が通じていたあの日はクールで口数が少なく、いかにも大人だといった印象だったんですけど。
「『これ以降は会わない』とあの日に決めはしたが、まあ、道端で偶然顔を会わせるということまで拒否することはないだろう。……ということでいいか? 大吾」
 急に現れた猫さんについて誰かが何かを言うよりも前に、成美さんは大吾にそう問い掛けるのでした。猫さんがあまくに荘にやって来たあの日あの夜、202号室でどんな話が成されたのか、とにかくそういうことになったんだそうです。僕達が知っているのはその結果だけですが。
 しかし今それはともかくとして、問い掛けられた大吾です。
「当たり前だろ、そんなもん。オレだって会えるんならまた会いたいと思ってたしな、旦那サンには」
 どうやら成美さんは猫じゃらしに気付かなかった、という安堵もあるにはあるでしょうが、落ち着いた調子でそう答える大吾。
 成美さんは「ありがとう」と、嬉しそうに猫さんを抱き締めました。
「……しかしお前、どうしてサタデーに飛び付いていたんだ?」
 問い掛けられても、既に人間の言葉が通じない猫さんは言葉を返しませんでした。それと同じく言葉を発さず、ただただ成美さんの腕に抱かれているだけなのでした。

「いやあ、まさか気付かれないで済むとは思わなかったゼ」
 ついさっきまでのテンションは何処へやら、サタデーがぼそりと呟きます。しかしそれはもちろん前方を歩く成美さんに聞かれないようにするためで、ついでにその成美さんは猫さんを抱きかかえたまま幸せそうにしているので、サタデーの声はまるで届いていないようでした。
「いきなり出てきたのがあの猫さんなんだもん、他に目がいかなくなっても無理ないと思うけどね」
「まあ、そういうことでしょうね」
 いくら猫じゃらし(作り物ではありますが)がサタデーと同系色で目立たないとは言え、あそこまで接近されればさすがに、気付かないほうが変だと言えます。しかしそれでも成美さんは気付かなかったわけで、だから栞さんのその意見には賛成です。
「それにしても、あの方でも猫じゃらしには勝てないんですね。前に会った時はちょっと怖いくらいの印象だったんで、意外です」
 続いてそう話すのはナタリーさん。僕も猫さんが現れた時に似たようなことを考えたので、それについても同意。しかしそこへ、清さんが。
「でもナタリー、前に合ったのは哀沢さんについての込み入った話をしていた時ですから、怖い印象というのはそのせいもあると思いますよ」
「そのせい……と、言うのは?」
「元とは言っても哀沢さんは彼の妻ですし、しかもその隣に見知らぬ人間がいたわけですから。もちろんそれは怒橋君なんですけど、だから言葉や口調に気持ちが篭ってしまっても、それは当然なのでしょう」
「気持ちが篭っているのを見て怖い方だと勘違いした、ということですか。確かに、そうかもしれません」
「んっふっふ、もちろんそれが全てというわけでもないでしょうけどね。もしかしたら本当に怖い方かもしれませんよ?」
 せっかくナタリーさんが納得したというのに、自分で反対のことを言い始める清さん。しかしナタリーさんはもう、「それはないと思います」と、済ませた納得を取り消すつもりはないようでした。
「だって今、あんなですし」
 首をひょいと動かし、前方を見遣るナタリーさん。そこには成美さんと大吾の背中が並んでいて、その背中に隠れても見えないけど、向こう側には成美さんの腕に抱かれた猫さんも。確かにあれじゃあ、誰も猫さんを怖いとなんて思えないでしょう。
 それに成美さんはもちろんのこと、大吾も初めからそうは思っていないようですし。ならばまあ、その二人よりは猫さんの理解度が落ちる僕達が不必要に怖がる必要はないわけです。
 ……まあそれらの理屈を抜きにしても、脇を抱えられて下半身をぶらんと垂らしている猫というのは、見た目からして怖いどころか非常に可愛らしいんですけどね。許されるならお腹を撫でてみたいくらいですし。

「さて、お昼ご飯ですね」
 102号室の清さんとサタデーとナタリーさんとジョン、202号室の大吾と成美さんと猫さん、そして204号室の僕と栞さん。あまくに荘に着いたところで一旦それぞれの部屋に分かれ、一時休息なり食事なりをしようということになりました。
 というわけで、僕達は食事です。あれだけ騒々しかったサタデーは今頃、夢中で活力剤にしゃぶりついていることでしょう。
「ちょっと待っててくださいね、すぐに作りますから」
「うん。今日もご馳走になります」
 料理教室を開く夕食とは違い、昼食は僕が一人で作るので、栞さんには居間でくつろいでもらおうかと――思ったのですが、しっかりと返事をした栞さんはしかし、台所から動こうとしません。
 何だろう?
「えーっと、ね」
 何かと思えばどうやら話があるようで、その割にはそんなふうに躊躇いが窺える切り出しの栞さん。はて。
「あー、あの…………いや、ごめん。やっぱりあとにするよ。ここだと狭くて邪魔になるだろうし」
 邪魔だとまでは言いませんが、狭いのはその通り。どのみちあとで話してもらえるそうなので、「そうですか?」と手短な返事をしておきました。
 居間へと入る栞さんの背中を見送り、それでは、と焼き飯を作る準備に取り掛かります。
 ――そうだ、話といえば。
 大吾から猫じゃらしのおもちゃ購入の計画を聞かされていた時、栞さんと成美さんは何の話をしていたんだろう。こっちと同じく内密な話だったみたいだけど。
 あとで僕からもそのことを訊いてみよう。もちろん内密な話だから聞かせてはもらえないだろうけど、一応。


コメントを投稿