(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十四章 後のお祭り 十

2011-11-17 20:50:03 | 新転地はお化け屋敷
「期待してます。――気分、良くはないでしょう? 寝ちゃっていいですよ、そのまま」
「こうくん、暇じゃない?」
「今日はずっと忙しかったんですし、ちょっとくらい暇を持て余すのも悪くはないですかね」
「あはは、そうかもね。……うーん、お言葉に甘えるつもりがなくてもそうなっちゃいそうだし、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
 回りくどくそう言った栞さん、言った途端に目をうとうとさせ始めます。もしかしたらこれまで、結構頑張って寝ないようにしていたのかもしれません。
 おやすみなさい、栞さん。
「ねえ、こうくん」
「あ、はい?」
 そのまま眠ってしまうと思っていたのですが、うとうとさせていた目を閉じ終えた栞さんはしかし、今度は口をうとうとと開き始めるのでした。
「髪、触って欲しいな」
「……はい」
 結局酔いは回ったままなのか、なんて笑いそうになってしまいましたが、それはなんとか堪えておきました。酔いの影響にせよそうでないにせよ、二人だけならこれくらいの甘えたり甘えられたりは、別に珍しいことでもないんですし。
「また少し伸びましたね」
「ふふっ、おかげさまで」
 眠気の阻害にはならないよう軽めに撫でたせいもあってか、普段より更に良い手触りに感じられる栞さんの髪。その心地よさたるや、ずっと続けていたら僕まで眠ってしまうんじゃないだろうかと無用な心配をしてしまうほどなのでした。
 しかしそうして手の感覚ばかりを気に掛けていると、ついつい口のほうが疎かになってしまいます。常に何か話していないと気まずい、というような間柄でもないんですけどね。
「……私が寝ちゃうまで、こうしててもらっていい?」
「僕のほうが先に寝ちゃうかもしれませんけどね」
「えへへ。ありがとう、じゃあ、お願いね」
 そして口を閉じる栞さん。今度こそしっかり眠ったか、と思って手を離してみたところ、
「本当はね」
 あらま。
「本当はキスして欲しかったんだけど、今、お酒臭いかなって」
 だから庄子ちゃんにあんな話をしたのか、それともあんな話をしたからキスがしたくなったのかはともかく、あれだけ飲んだのならまあそうなっていてもおかしくはないのでしょう。
 けれど僕は返事をしないまま栞さんの望み通りにし、すると栞さん、毛布をもそもそと顔の下半分まで引き上げ、そして今度の今度こそすうすうと寝息を立て始めたのでした。
 ――で、さてどうしよう。栞さんが心配してくれた通りに暇になったわけだけど、どうもしないでこのまま暫く栞さんの寝顔を眺めているのもいいかなあ。
 などとと考えはしつつ、しかし一応他にすることはないだろうかと思考を働かせていたところ、コンコンと物音が。どこからと言われればそれは玄関の方からで、ならばあの音は、ノックの音ということになるのでしょう。
 チャイム、電池切れてるとか?
 ともかく家主はすっかり寝静まっているので、代わりに玄関へ。そうして開け放ったドアの向こうに立っていたのは、大吾でした。
「おお、成美が言ってた通りか」
「何が?」
「オマエの部屋じゃなくてこっちにいるって」
「……ちなみに成美さん、それをどうやって?」
「ん? ドアの音を聞き分けたみてえだけど、それがどうかしたか?」
「いやいや、気にしないでいいよ」
 忘れているのかこの件と関連付けられないのかはともかく、今朝、同じようなことがあったわけです。僕はともかく、それで栞さんは少なからず――というか、大変恥ずかしい思いをしたわけでして。
「あ、もしかしてなんかタイミング悪かったか?」
「大丈夫。栞さん、疲れて寝ちゃってるから今は何も」
「やっぱりか、あの調子だったしなあ。――いや、朝のこと思い出してちょっと焦った」
 どうやら覚えてはいたらしい大吾ですがしかし、思い出されたら思い出されたで「忘れてくれ」と言いたくなってしまいます。
 が、それはともかく。
「もしかして、だからチャイム鳴らさずにノックだったの?」
「そりゃオマエ、寝てるとしたら起こすってのも悪いだろ。オマエまで寝てるってことはないだろうし……いや、今思えばあり得るのか?」
「余計なことまで想像しないように」
 で、それもともかく。
「何それ?」
 大吾が抱えている段ボール箱を指さしながら尋ねます。普通なら真っ先にすべきはこの質問だったでしょうに、大吾ったら卑猥な方向へ進みかねない話をするもんだから。
「言ってたろ、余った食いもんはやるって。要らねえってんなら無理に押し付けまではしねえけど」
「あ、ごめんごめん。もちろん有難く頂かせてもらいます」
「ん。で、酒はどうする? そっちも要るってんならまた持ってくるけど」
「あ、じゃあお願い。飲む人がダウンしちゃってるからあれだけど、頂けるものは有難く頂くよ」
 ここは要不要を問うような場面ではないのでしょうし、頂けるものは頂くというのももちろん、勿体無いからという話ではありません。
「ありがとう、大吾」
「オレ一人で買いに行ったわけじゃねーけどな」
「うん、みんなにも伝えといて」
「おう。清サン達もまだこっちにいるし」
 というわけで大吾は一旦自分の部屋に戻り、その後もう一度、今度は酒類が入ったビニール袋を両手に持って現れたわけですが、何を気遣ってか話もそこそこに戻ろうする素振りを。
 で、その別れ際。
「成美の耳、オレが塞いどこうか? 言っちゃアレだけどなんもねえってこたねえだろ? 今晩」
「うーん……いや、それは余計なお世話ってことにしといたほうが今後のためかも」
「はは、そうだな。毎晩そうするってわけにもいかねえし」
「その毎晩って前提については間違いなく余計なお世話だけどね」
 男二人でかつ前述の事情があれば、そりゃまあこんな話にもなりましょう。もし栞さんの耳に届いてたりしたらえらいことですが、その心配はないわけですし。
「あ、まさか今のが成美さんに聞こえてたりとかは?」
「問題ねえだろ。もし塞ぐってことになってたら、同じような話することになってたわけだし。冗談じゃなくて真面目な話だしな、アイツにとっては」
「気苦労をお掛けします……」
「そっちが気にすることじゃねえよ。変に気にされる方がよっぽどしんどいしな」
 ――肝心の別れ際だけ話が長くなってしまいましたが、ともかく大吾はそう言い終えたところで、「じゃあな」と去っていきました。
 少なくとも、大学在学中の四年間。
 飽くまで「少なくとも」ではありますが、ともかくその期間付き合い続ける隣人がああいう人達で良かった、と改めて思う僕なのでした。

 栞さんが目を覚ましたのは、外がすっかり暗くなった後のことでした。むくりと雹半身を起した栞さんはしかし、すぐ傍に僕の姿を認めると、再びぼふんと布団に倒れ込みます。
「あ、起きました?」
「うー……今、何時?」
 倒れ込んだ姿勢のままじろりとこちらを向く栞さんは、言っちゃなんですがとても可愛らしい寝起きと言えるような状態ではありませんでした。アルコールが尾を引いていたりするのでしょう、疲労感が前面に押し出されているというか。
 けれどそれは、一般的な視点に立ってみた場合の話。僕個人としましては、心をくすぐられるような気分になったりもするわけです。そうやって無防備なところを晒され、しかも弱っているともなると余計に。自分だからこそ見せてもらえる場面、とでも言いましょうか。
「七時半くらいですかね。なんだったらまだ寝ててもらっても――」
「七時半!? ごめん、私、起きないと」
 寝ててもらってもいいですよ、と言おうと思ったところでその逆の反応をされてしまいました。飛び上がるようにして身体を起こした栞さん、外の暗さを見て二度驚いたりも。
 思っていることと反対の反応ではありましたがしかし、栞さんがそんなふうに思うのは想定内のことではありました。
「晩ご飯の準備、栞さんが寝てる間に――」
「えっ」
 またしてもこちらの話に割り込み、しかもかなりがっかりしたような顔をする栞さん。
 可愛いなあ、慌てちゃって。
「しようと思ったんですけど、準備するものをこっちの部屋に持ってくるだけにしておきました。寝る直前に話してたこともありましたしね、自分でも料理はするつもりだって」
 今更言うまでもなく、今日は特別な日です。ならば料理についても「特別な日だから僕に任せる」か「特別な日だから二人でする」のどちらかになるでしょうし、そして栞さんだったら後者なんだろうなと、僕は半ば確信に近い形でそう思ったのでした。
「よ、よかったあ。びっくりしたよもう。……でも、だったら寝ちゃう前に言っとかなきゃだよね、『ご飯一緒に作りたいから起こして』って」
「そのくらいの読みは利かせられますって。夫――よりも前に、料理の先生なんですから」
 夫なんですから、などと言ってみようとは思ったのですが、料理に関して持ち出すならやはりそっちなのでしょう。
 軽く笑いつつ「そっか」と納得してくれた栞さん、すると何か思い付いたようで、「あ、そうだ」と。
「お料理教室、今日はどうするの?」
「訊きに行ったらむしろ断られました。『そんなお邪魔虫みたいなことしないよ』って。でもまあこっちからそれを訊きに行ってる時点で、家守さんとしては断るしかなかったでしょうけどね」
「あはは、まあそうだろうね。でもこうくん、それだけで済んだの? 楓さん」
「……まあその、意味ありげな笑みを浮かべられたくらいで済みました」
「そっかあ。我慢してくれたねえ、楓さんにしては」
「そう取りますか」
 さすが栞さん、家守さんに対しては寛容です。
 などと思ってみたところ、しかしそういえば僕と大吾なんて我慢どころかほぼストレートな内容の会話をしていたわけで、だったら今回は寛容とかどうとかいう話ではないのかもしれません。
 しかしまあそう思ったからといって、今後は家守さんからそんな話をされても平気でいられる、というわけではありませんけどね。
「でもまあ、今その話は横に置いといて」
 ジェスチャーまで入れる置いときっぷりで、栞さんは話題を変えようとします。そりゃまあそうでしょう、暗くなったとはいえ時間帯的にまだちょっと早いですし。
 ……ええとその、まあ、大吾や家守さんならともかく、僕と栞さんでそんな話をしていると話だけで済まなくなってしまう恐れがあったりもするわけです。栞さんがそんなふうに考えたかどうかは不明ながら、少なくとも僕としては。
「置いときまして?」
「一緒にご飯を作りましょう」
「そうしましょう」
 いやはや、打って変わって和む和む。

 というわけで、二人一緒に台所。先に伝えてある通り準備物は既に僕の部屋からこちらへ運び込んであるので、あとはいつもの料理教室と同じ要領です。一人足りないとか、台所の構造が左右逆だとか、細かい違いはありますけど。
 ――というようなことを考えた、まさにその時でした。
「今日は『料理教室』じゃないよね」
 僕が考えたことを見透かしたようなタイミングで、栞さんがそんなことを言ってきます。
「というのは?」
「初めての共同作業――って言ったら、普通はケーキ入刀の時に言うんだろうけど」
 少し照れたような調子で言う栞さん。なる先生と生徒ではなく夫婦として、ということなのでしょう。なるほど、それはごもっとも。
「そうですねえ。実家から帰ってきてからは、大吾達の部屋でのんびり祝われてただけでしたし」
 そしてその後は栞さんが寝っ放しだったわけで、なら確かに初めての共同作業ということになるのか、なんて思ったところで、そういえばと。
「あ、そうだ栞さん忘れてました。これ」
「ん? 何これ?」
 僕が指差し栞さんが見下ろした先には、段ボール箱。
「大吾達が用意してたお菓子の余りです」
 ついでに冷蔵庫にも手を掛けて、
「あとこっちは同じく余ったお酒」
「おお!」
 感激のあまり冷蔵庫から一歩のけ反りすらしてみせる栞さんでしたが、
「……明らかにお酒のほうに反応したタイミングでしたよね今」
「え? いやいや、そんなことないよ? さすがにちょっとは懲りてるよ?」
 どっちに反応したかという話に対して、懲りた懲りないの話を返されてしまいました。しかも「ちょっと」と来たもんだ。じゃああとの大部分はどうなんですか――なんてことはしかし、考えるまでもないのでしょう。
「大変ですねえ、弱いのに好きっていうのも」
「ぐっ! うう、怒られるかと思ったら同情された……」
「そっちのほうがいいんだったらそれでもいいですよ? そんなつもり、全然ありませんでしたけど」
「あわわっ、さすがに今日だけはごめんなさい! 勘弁してください!」
 笑顔で言った以上はもちろん冗談のつもりだったのですが、栞さんは大慌て。うむむ、僕が怒るというのはそんなにシャレになりませんか。
 いやそりゃ、「今日」ですもんねえやっぱり。
「冗談ですって。飲みたいんだったら飲んでもらっても全然構いませんし」
「そ、そう? うーん、でも……」
「それに、ちょっと酔ってるくらいのほうが色っぽいってのもありますし」
「ふぇっ!?」
「まあ栞さんの場合、『ちょっとだけ』酔うっていうのがものすっごい難しいんですけどね」
「ふぇええ……」
 栞さん、上がったり下がったり。見ていて非常に面白くかつ可愛らしいのですがしかし、これくらいにしておきましょう。
「というのも冗談ですけど、でも本当、飲みたかったら飲んでくれて構いませんからね?――というわけで栞さん、そろそろ料理に取り掛かりましょうか」
「うん。えへへ、ありがとう」
 飲酒を容認しただけで礼を言われてしまいました。それほどまでに酒好きだと取るべきか、それとも一旦困らせてから持ち上げるという厭らしい言い回しが効いたと取るべきか、さてどちらなのでしょうか。
「でもそうして優しくされちゃうと、逆に飲めなくなっちゃうんだけどね」
 ああそうか、そうなっちゃいますよね栞さんなら。自分に厳しいところありますし。
 ……うん、前言撤回。栞さんは酔ってないほうが魅力的です。

「にしてもまあ、お祝いっぽくない食卓になりましたねえ」
「そうだねえ」
 作り終えた料理を並べたテーブルは、普段の夕食と変わりない装い。けれど僕も栞さんも、そんなことを言いながら箸をつけるのが楽しみでならない顔をしています。そりゃまあこれを作ったのは僕達なわけですから、何もこうして食卓を前にせずとも調理中から「お祝いっぽくない」というのは分かっていたわけですしね。
 というわけで今回は、「食べたいものを食べよう」というテーマの晩ご飯です。豆腐の肉乗せはもちろん、栞さんの味噌汁、鶏の唐揚げにポテトフライ、生野菜のサラダ。肉料理が二つあったりはするものの、それでもやはり特別な装いはまるでしないメニューです。
「お祝いのほうは成美ちゃん達にしてもらったんだし、逆に丁度いいんじゃない?」
「気合い入れて作っても食べ切れないでしょうしねえ。お菓子――やらケーキやら、結構な量食べてますし」
 お菓子とケーキを別カウントにすべきかどうかちょっと悩みましたが、そんなどうでもいいことは答えを出す前に考えるのを止めておきまして。
「問題は量より献立ですかね。『僕の料理だったら何でも好き』って、まあ、嬉しいと言えば嬉しいんですけど」
「あはは、申し訳ないです。何食べても満足できるから普段はいいけど、こういう時に駄目だねそういうのって」
 食べたいものを食べようというテーマに則り、「何か食べたい料理ありますか?」と僕が尋ねた時、栞さんは僕が今言ったような返事をしてきたのでした。
 栞さんの好物、それはケーキ。……正直、一品でもいいので食卓に出せるものを見付けたいところです。料理好きとしては。
 何を食べても美味しいと言うらしい高次さんに家守さんがどんな感情を抱いているか、今回のことでちょっとだけ分かったような気がしました。
「栞さんは味噌汁に続く得意料理を探してる途中ですけど、こうなったら僕も探してみましょうかね。栞さんの好きな料理」
「そういうことなら、毎食ちゃんと味わって食べないとだね。……ふふ、いつもだってそうなんだけど」
「じゃあ今回もお願いします。見慣れた料理しかならんでないですけど、一応は」
「うん」
 探す段階から嬉しそうにしている栞さんが更に笑顔になったところで、いつものように「いただきます」――ではなく、今回は。
『乾杯』
 頂き物の酒の中にちょっとだけ残っていたジュースで、ほんのちょっとばかりお祝いっぽさを演出してみたのでした。
 洋食ならまだしも味噌汁とか豆腐の肉乗せとかにジュースは合わないだろう、なんてのは当然言いっこなしです。細かいこと考えずに食べたい物食べて飲みたいもの飲んで幸せを分かち合う。いいじゃないですか、そういうのも。

「んーっ、やっぱり美味しい。贅沢だなあ、料理上手な人が旦那様だなんて」
「ちょっと前に自分でも料理はするつもりだって言ってたのに、なんか全部僕に任せるみたいな言い方ですね」
「『しようと思ったらそういうこともできちゃう状況』っていうのがね。なのに敢えてそうしないっていうのも、それはそれでまた贅沢っていうかさ」
「ああ、それは確かに贅沢な。って、自分の話でこんなこと言うってのも変な話ですけど」
「そうかなあ? こうくんの場合、むしろもっと自慢してくれてもいいと思うんだけどなあ。他の人ならともかく、『すごいだろ』って言われたら『すごいねー』って言えちゃうよ? 私」
「うーん、いや、でもやっぱりそれは。敢えてそうしないってことにしときます、いま栞さんが言ったのと同じような感じで」
「そう? ふふ、そうだよね。こうくん、そういう人だし。――あ、そうだ」
「なんですか?」
「えっと……いや、ごめん。今はいいや。食べることにだけ集中したいし」
「大食らいな人みたいなこと言いますね急に」
「あはは。ごめんね、後でちゃんと話すから――いや、ちゃんと話すってほど重大なことでもないんだけどね? だから、あんまり期待とかされると困っちゃうんだけど」
「大丈夫です。それだけ美味しそうに食べてくれてたら、二、三分もすれば忘れてますから」
「二、三分かあ。それはちょっと早過ぎるかなあ、いくら料理好きだっていっても」
「料理好きなうえ、それを美味しそうに食べてくれるのが栞さんですからね」
「あはは、……もう」

『ごちそうさまでした』
 変更された「いただきます」に対して、こちらは普段通り。
「乾杯」と対になる締めの言葉とかってあったりするのかなあ、なんていくら考えたところで分かりようもない疑問はともかく、
「ああ、お腹いっぱい」
 幸せそうに、けれどちょっと苦しそうにもしながら、とろけたような声を漏れ出させる栞さん。やはり大吾達が用意してくれた菓子類とケーキは、そこそこにお腹の中を占領していたようです。あとお酒も。
「無理して全部食べなくてもよかったのに」
 単に幸せそうにしているだけならいいのですが、苦しそうでもあるということでそんなふうに。けれどそこはまあ、想定通りの返事が返ってくるわけです。
「無理はしてないよ。それに、こんなに美味しいもの残すなんて勿体無いし」
「そうですか」
 想定通りであってもやっぱり嬉しい言葉です。想定していて尋ねたということはつまり、僕は分かっていて栞さんにそれを言わせた、ということにもなるのでしょうが。
「でも栞さん、さすがに忘れてはいないでしょうけど、僕が一人で作ったわけじゃないですからね?」
「そうなんだよねえ。ちょっと不思議、自分も一緒に作ったお料理でこんなに満足できるなんて」
 それは正直僕にはよく分からない感覚でしたが、しかしだからと言って、間違っているということでもないのでしょう。むしろ僕とは違う感覚だからこそそれを大事にして欲しいものですね――なんて、目上ぶってみるならそんなふうにも。先生ですしね、一応。
「成長した腕前に舌がついて行ってないってことですかねえ」
「なのかなあ。でもだとしたら、舌はこのままついて行かないほうがいいのかもしれないけどね」
「そうかもしれませんけど、そうはさせませんよ? これからは毎日美味しいもの食べてもらうんですから。って、これまでだってそうでしたけどね」
「あはは、まあね」
 それっぽいことを言おうとして片手落ちに終わった僕に、栞さんは軽く笑います。
 けれどその直後、穏やかでありつつ、けれど何か深いものを感じさせもするような表情に。
「でもやっぱり嬉しいよ。たまたま一緒に食べることになった恋人じゃなくて、先生と生徒でもなくて、一緒に食べるのが当たり前な家族として、ご飯を用意したりされたりっていうのは」
「そうですね。でもそれって、食事以外のことについても同じことが言えませんか? 例えば今、僕がここにいることをだけ取り上げても」
「おお、言われてみればそうなるね。何をするにしても『恋人として』が全部『夫婦として』に置き変わっちゃうんだね。……あはは、まあ、やること自体はそんなに変わらないんだろうけど」
「短い期間とは言っても、半分一緒に住んでたようなものでしたしねえ」
 というふうに考えると、それは結婚するまで取っておいた方が良かったのかなあ、などと今更ながら。
 けれどその時間は確かに幸せだったわけですし、それがあったからこそこんな短期間で結婚まで漕ぎ付けられたということもあるにはあるわけで、だったら何も後悔するほどのことでもないでしょう。
 うむ、これは伝えておきましょう。
「でもこれまでだって幸せでしたよ、僕は。栞さんと一緒にいられて」
「……うん。それは私も同じ」
 わざわざ口にするまでもないことではあったのですが、しかし僕も栞さんも、それをわざわざ口にしました。
 すると栞さん、何やらもぞりと動き始めようとして、しかし直後にぴたりと停止。何だろうかと思っていたら、ちょっぴり苦い笑みを浮かべてこう言いました。
「そっちに行こうかと思ったんだけど、その前にお皿、片付けないとだよね」
 出しっ放しの食器を重ね、それらを持ち上げ台所へ向かう栞さん。僕の分も一緒に持っていこうとはしてくれましたがしかし、なんとはなしにそれは遠慮しておきました。
 これと言って理由もなく、飽くまでも「なんとはなしに」なのですが、できるだけ同じことをしていたかったのです。もちろん、それで何がどうなるというわけでもないんですけどね。

「そういえば」
「ん?」
 食器を片付け終わった後、栞さんは宣言通りに僕の傍へ座りました。なんだったら傍に座るどころか膝抱っことかそういうのでもいいんだけどなあ、なんてことも考えましたが、まあそれはともかくです。
「食べてる最中、後回しにしてましたよね? 何かの話」
「ああ」
 後で話す、の「後」が今なのかどうかは分かりませんが、気になったので一応尋ねてみました。
 するとどうやら今でも問題はなかったらしく、栞さん、特にもったいぶるようなこともなく話し始めます。
「別にどうしても変えて欲しいってわけじゃないんだけど、この際だから訊いてみようかなって。――ねえ、こうくん?」
「なんでしょうか」
 改まって名前を呼ばれたので、こちらもそれなりに改まってみます。何かを変えるという話のようですが、さてそれは一体何を?


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