(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十七章 事前準備 四

2014-02-04 20:53:56 | 新転地はお化け屋敷
 という僕達の遣り取りに女性陣は照れ臭そうな笑みを浮かべるばかりでしたが、しかし調子に乗ってこの話を続けてしまうと、それはそれでまた不興を買ってしまったりもするのでしょう。そりゃあ、「支えてくれる人もいるしね」なんて言った直後にその当人達が自身を貶め始めたりしたら、ねえ?
 大吾も似たようなことを考えはしたのでしょう、示し合わせることもなくこの話題は打ち切られ、すると照れ臭そうな笑みを浮かべ終えた成美さんが控えめに口を開き始めました。
「えー、結局は相談したふうになってしまったが……」
「気にしない気にしない。こっちも話せてよかったと思うし、じゃあ今回はお互い様ってことで」
「そういうことにさせてくれるか? ふふ、ならばそれに甘えさせてもらっておこう。ありがとう、日向」
「こちらこそ」
 その「日向」が指すのは果たして栞だけなのでしょうか。それとも、僕も含めさせてもらっていんでしょうか?――などというせせこましい考えは捨て置くこととしまして、ということはつまり、僕と栞はそろそろお暇させて頂く頃合いのようです。長居するような雰囲気でもありませんでしたしね、初めから。
 とはいえやはり、その契機は僕でなく栞であるべきなんでしょうけど。
「じゃあ成美ちゃん、私達はそろそろ」
「うむ。わたしが時間を取らせてしまった分も、旦那としっかりよろしくするといい」
「あはは、うん、そうさせてもらっちゃおうかな」
 …………。
 いやいや。うん。
「それじゃあね、大吾」
「おう。ありがとな、来てくれて」
「遠くからわざわざ来たとか、そういう場合じゃないかなそれ言うのって」
「はは、まあな」
 というわけで、考えてみれば珍しいことだったりもするかもしれませんが、今日はこれでもう二人とはお別れです。一度部屋に上がったり上がってもらったりしたら大体は暗くなり始めるくらいまでは一緒にいるんですけどね、普段なら。

『ただいまー』
 二人揃ってそれを言うのもなんだかお間抜けな感じではあるのですが、しかしまああまり気にしないことにしましょう。これまでにもちょくちょくあったことではありますし、それに何より、明日に結婚式控えた新婚夫婦なんですもんね僕達。これくらいしてみてもバチは当たらないでしょう。
「おかえりなさい」
 ……ああ栞、それはさすがに恥ずかしいかもしれない。
 いや、言い返させてもらいましたけどねそりゃあ。
 で、それはともかく、帰宅したならば早速ここを出る前にしていた姿勢を再構築。しかし泣きっ面に蜂というやつなので詳しい説明は省略させてもらいまして、ならばここからどういう話題を持ってくるか。
「敢えて成美さんの前では言わなかったんだけどさ」
 僕が選択したのは、さっきまで202号室でしていた話の続きなのでした。
「ん?」
 胸の辺りから見上げてくる栞に対し、僕は声を落としてこう言いました。
「子ども、人間じゃなくて猫っていうのは駄目なのかな」
 以前家守さんが紹介してくれたというのもあるにはあってのことなのでしょうが、今回の話は徹頭徹尾「人間の」養子を迎えるという話でした。だからこそ成美さんの悩みも出てきたわけですが、しかし今僕が言ったことというのも、初めから切って捨てるほど無理のある話でもないと思うのです。
 そりゃあ今の成美さんは人間の姿をしてはいますが、しかし逆に言ってそれだけといえばそれだけではあるのです。中身まで完全に人間というわけではないですし――どころか、そうならないよう大吾と一緒に気を遣ってすら――それに子どもの方にしたって、幽霊であるなら家守さんに頼んで人間の言葉が分かるようにしてはもらえるわけですし。
「孝さん」
 栞の顔が、真剣な時のそれに。
「なんとなくってことじゃなくてちゃんと理由があってそうしたんだろうと思うけど、正解だったと思うよそれ。成美ちゃんの前で言わなかったの」
「ならよかった、かな」
 理解を得られはしましたが、しかしだからといって素直に喜べる話でもないのでした。
「成美ちゃんは、それに大吾くんだってああいう話になった以上は、孝さんに言われなくたってそれくらいのことは考えるだろうしね」
「うん」
 そう、それなのです。僕が言うまでもなく二人とも頭に浮かべたであろうその発想を、そのどちらもがあの場では口にしてこなかったという事実。逆に言って「人間の子どもに拘り続けた」ということにもなるそれが、ここまで僕の口を開かせなかった理由なのです。
「人間の親、なんだしね。成美さんがなろうとしてるのは」
「しかも大吾くんのためにっていうのが一番にあってね」
 それを、その想いを僕の軽率な一言で突き崩してしまうだなんてことは、絶対に避けるべきだったのです。
 ……一呼吸置いてみたところ、栞が寄り掛かっているせいでしょうか、自分の胸の上下動がはっきり感じられました。そしてその大きさから、置いたばかりの呼吸が存外大きなものだったということも。
 栞がふっと鼻を鳴らしたところで、僕は再度口を開きます。こちらも栞と同じような気分に切り替えたりもしつつ。
「成美さんはもちろんだけど、大吾も凄いってことになるよね? この話」
「もちろん」
 というわけで、二人揃って「もちろん」なんだそうでした。
 ――そう、どちらのほうがということはなく、一緒なのです。成美さんが大変そうなことをしようとしているのなら、大吾もそれと同じだけ大変ということになるのです。傍で支え続けるわけですしね、その成美さんを。
 そして成美さん自身がそれに気付いていないわけもなく、ならば大吾は成美さんからそれほど信頼されているということになるわけです。わざわざ断りを入れるまでもなく、大吾なら支えてくれると。
「ただし」
 とここで、これまで僕の胸に頭を預けてきていた栞が身体を起こし、僕と視線の高さを合わせながらこんなことを。
「他人を褒めてばっかりいられる状況でもないんだけどね、私達」
「あはは、それもそうだね」
 そりゃあ成美さんとは置かれている状況に差がありこそすれ、けれど僕達だって、同じことをしようとしてはいるわけです。いつの話になるかはまだ分かりませんが、それでも将来、子どもが欲しいと。
「というわけで孝さん」
「ん?」
「私は孝さんも凄いと思ってるよ」
 ああ、そういえば今日はそんなふうに過ごす予定だったんだっけ。
 そんなことを思い返した頃にはもう口は塞がれていて、なので、言われたことをそのまま言い返したのは、塞がれた口が自由になった後のことなのでした。
 ――といったところで、電話が鳴りました。珍しいことに、というのも妙な話ですが、携帯ではなく据え置きタイプの方が、です。いや携帯が鳴ることだって正直そんなに多くはないんですけど、とそれはともかく。
「ドラマか何かみたいなタイミング……」
 電話に向かいながら愚痴っぽく言ってみたところ、背後から「ドラマだったら直後じゃなくて直前じゃない?」なんて突っ込みを入れられてしまいましたが、それもそうかとは思いつつも特に返事はしないまま電話口へ。
「日向です」
『こっちも日向です』
 …………。
「お母さん?」
『おはよう孝一。いま暇?』
 お母さん、という僕の一言に背後の栞の気配がもぞもぞし始めますが、それはともかくとしておきましょう。
 なんなのさお母さん、その妙に気さくな物言いは。まるで恋人か何か――あ、ごめん。実の親じゃあちょっと無理がある例えだった。で、それもともかくとしておいて。
 暇かと言われれば暇です。なんせ今日一日は暇をして過ごそうと、栞とそう決めたりすらしているわけですしね。で、ならば「うん暇だよ」と返せばいいのかと言われると、しかしそうでもなかったりするわけで。
「なんで?」
 どうして素直に暇だと言い返さなかったのかというと、あちらの要件次第ではその暇が崩れてしまうことになるからです。繰り返しますが、今日は暇をして過ごす予定なのです。栞と二人だけで。
「明日のことで何か、とか?」
 続けてそんなことも言ってみますが、それについては他意なく言葉通りの意味での質問でした。そりゃあこのタイミングです、何か用事があるとするならこれなのでしょう、やっぱり。
『ああ、そういうのは当日に置いておくわよ。……置いておきたいんだけどね』
「え?」
『お父さんが起きてからずっとそわそわしっ放しで居心地が悪いったらありゃしなくてね。で、だからそっちに避難させてもらっていい? って話』
 なんと冷たい伴侶でしょうか。こっちの場合はそりゃもうほっかほかなのに。
 ――とそんな話はもちろん冗談半分であるとして(残り半分が何なのかは敢えて推察しますまい)、予想が、というか不安が的中してしまいました。暇でなくなる……かどうかはともかく、このままでは少なくとも栞と二人きりではいられなくなってしまいます。
「栞」
「ん?」
「お母さんがこっち来たいって言ってるけど。今から」
「えっ! 是非!」
 仕方なくって感じじゃないんだもんなあ。本気で嬉しそうなんだもんなあ。それについては僕からも喜ぶべきではあるんだろうけど。
『聞こえたわよ孝一。うふふ、いいお嫁さん見付けたわねえ』
「あはは……」
 もっと別のところについて頂きたかった評価ではありますが、だからといって否定なんてことはそりゃあできないわけで、ならば曖昧な笑みを返す以外にどうしようもない僕なのでした。いいお嫁さんって言ったって、それ僕にとってじゃなくて親にとってってことですもんねこの場合。
『というわけで、お生憎さま。お邪魔させてもらうわね』
「はい」
 突っ込みはしないでおきました。
 で、それはそれとして別の話なのですが、
「でもお母さん、こっち来るって言ってもどうやって? 自転車で来れないこともないけど結構掛かるよ?」
『車で行くけど? まだ免許証持ってるし』
 とのことでしたし、それは僕だって承知しているのですが、しかしここで注目すべきは「まだ」という一言です。それは逆に言えば持っていなくてもおかしくはないということでありまして、
「最後に車運転したのっていつ?」
『ちょっと遠くのデパートの開店セールに駆け付けた時だったかしらねえ?』
 その「ちょっと」が実は相当遠くだったりでもしない限り、少なくともここ一、二年以内に新しいデパートが建った記憶なんてないんだけどなあ。
『大丈夫よ、暫く乗ってないってことなら自転車も同じなんだし』
「大丈夫そうなポイントが一つもないんだけど」
『そっちって確か駐車場あったわよね?』
 聞いてないし。
「ああ、うん。ちょっとだけ離れてるけど、分からなかったら誘導するよ」
 ちなみにこの「ちょっと」は、本当にちょっとです。家数件程度の。
 まさかあっちの「ちょっと」もそれくらいってことは……いやいやないない。
『お願いね。あ、先に言っとくけどそっちの場所はちゃんと把握してるからね』
「……あー、うん」
 どうしてそんなことを先に言ってきたかというのは、僕がどういう人間か知っている人なら大体察しが付くんじゃないでしょうか。
 それにしたって失礼な話です。こっちから栞を連れて出向いたこともあるっていうのに、「そんな心配が必要なのはあんたくらいのもんだ」なんて――いや、これはちょっと被害妄想が入っているでしょうか?
 ともあれ、心配無用というのであれば心配はしますまい。なにぶん人より劣った方向感覚を普通としている僕なので、ならばそれについて僕以外の人達が必要とする心配の度合いを測ることができないのです。……いや、笑い話なんですけどね?
 ともあれ、そういうことなら電話で語るべきは以上ということで。
「じゃあ後でまた」
『ええ。書くもの、用意しておいて頂戴ね』
 相槌を打つ前に、僕は背後の栞を振り返りました。
 義理の母親からの電話です。本来ならば、特に要件がなくたってお嫁さんに変わっておくべき場面なのでしょう。が、栞の場合は、そうしたところで軽い挨拶どころか会話自体ができないわけで。
「分かってるよ」
 そう言い、あちらがその言葉を受け取ったと確認できる程度の間を空けてから、僕は電話を切りました。
「お義母さん、最後なんて?」
 僕が座椅子に戻るのを待つことなく、栞は尋ねてきました。
「書くもの用意しておいてって。学生に向かって紙とペンを用意しろなんて、するまでもなく手元にあるもんだって分かってるだろうに――」
「楓さん達、今日は部屋にいるよ?」
 …………。
 あれ。
「そうだったっけ?」
「うん。お掃除の時に窓開いてたし、なんだったら声もちょっと聞こえてたけど。そりゃあ結婚式前日だもん、普段から暇な私達ですらこうして部屋でのんびりしようとしてるくらいなんだしさ」
 それはたった今崩れたばっかりなんだけどね、という話はともかくとしておきましょう。
 ……したところで何が言えるというわけでもないのですが、ならばと栞は更に話を展開させてきます。
「うーん、そういうところが方向音痴に繋がってるのかなあ。他のものが見えなくなっちゃうっていうか」
「これが料理の話だったらまだなんとか格好も付いたんだろうけどねえ」
「私だもんねえ、見てたのって」
 そんなことを言いつつ満更でもなさそうだったりする栞ではあるのですが、しかし少なくとも、格好が付かないことを否定してくれたりはしないのでした。
 ともあれ、家守さん高次さんがご在宅ということであるのなら、紙もペンも必要ないということになります。話ができるようにしてもらえばいいんですしね、栞とお母さんが。

「もちろん引き受けさせてもらうよ。お母さんがそれを望むのなら、だけどね」
 電話を済ませたその足で――電話に対して足というのも変な話ですが――101号室へ相談に訪れてみたところ、家守さんからはそんな返事が返ってくるのでした。補足の一言まで含めて実に想定内です。
 というわけで、101号室です。善は急げというわけではありませんが、母親が来た後になってからというのも急な話に過ぎると思ったので、その前に立ち寄らせて頂くことにしたのでした。もちろん、栞も一緒に。
 その要件もたった今済んでしまったわけですが、とはいえ「じゃあそういうことで」とあっさり帰ってしまうようなこともそりゃあないわけです。というわけで家守さん、「で、それとは無関係かもしれないけど」と続けざまに別の話を。
「お母さんは何でまた急に? やっぱり明日のことについて相談とか?」
「うーん、電話ではうちの父がその明日の件でそわそわしっぱなしでウザったいから避難させて欲しい、とか言ってましたけど」
 ……なんだか言い方が違っているような気がしますが、しかしまあ大意に食い違いはないと思うので、ならばまあよしとしておきましょう。
 そのよしとした部分について家守さんが「キシシ」といつもの笑みを浮かべている一方で、その隣の高次さんはぼそっと「俺も気を付けよう」なんて呟いていたりも。そういえばそういうことになるんですよね――などと、しかし笑ってばかりもいられないのでしょう。僕だっていずれそうなる可能性はあるのです。栞からウザいとか言われうわああぁ。
 なまじよく注意される癖があったりするので、残念ながら杞憂とも言い切れなかったりするんですよね……。
 と、それはともかく。
「さすがにそれだけってことはないかなあ、とは思いますけどね、やっぱり」
「まあねえ。って、どのみちそこまでは関与しないんだけどさ、アタシ達」
「ってことだから楓、こっちに来てもらうんじゃなくて俺達が204号室にお邪魔させてもらうか? 済むこと済ませてさっさと退散、みたいな」
「そうだね、そのほうがいいかな」
 そんな意図はなかった、というか自分の発言から話がこんな展開になるなんて意図がないどころか想定すらしていなかったわけですが、しかしこれもまたこの人達らしいなあと。
 今回だけでなく以前にもお世話になっているのもあって、こちらとしては少しくらい同席して欲しかったりしないでもないのですが、とはいえそれはこのお気遣いを無下にするほどのものではありません。
「ありがとうございます」
「キシシ、こっちはさっさと引っ込んでいちゃいちゃしとくからあとは頑張ってね、こーちゃん」
 どこまで「らしい」んでしょうかこの人はもう。
 そしてその隣で苦笑いを浮かべている高次さんもそれと同様、ということになるのですが、しかしその苦笑いをぱっと晴らしたかと思うと、「ああ、それで思い出したけど」と。
「今日の料理教室は欠席させてもらうよ、俺も楓も。皆までは言わないけど、そりゃまあ結婚式前夜だしね、お互いに」
「そもそも食べるだけで参加してないじゃん高次さん。最初から仲間外れじゃん」
「今俺にダメージ与える必要ってあった?」
「それをアタシが癒してあげるって算段よ」
「…………」
 まるで名案であるかのように胸を張り、元から大きなものを更に強調させる家守さんでした。しかしそれに対して高次さんはというと、単に呆れているのかそれとも僕のように要らんことを想像してしまったのか、むっつりと押し黙ってしまいます。
 ちなみに僕が想像した要らんことというのは、こう、アメとムチ的な? それをまたこう、家守さんが好みそうな表現に置き換えてみたっていうか? ねえ? だってダメージを与えたのもそれを癒すのも家守さんなんですもん。
 ――あああと、家守さんが好みそうなって言ってもそれは飽くまで表現だけの話であって、そういう趣味がおありであるという話ではありませんよ? くれぐれも。
「まあともかくこーちゃん、そういうことだからお母さんの同意が貰えたらまたここにアタシら呼びに来てよ。二度手間みたいで申し訳ないけど」
「いえいえそれくらい、すぐ近くどころか同じ建物の中なんですし」
 近過ぎるからこそ「電話で呼ぶ」という手段が取り難かったりする面もあるといえばあるのですが、しかしそれを指して不便だとは言わないでしょう。そう思うんだったら気にせず使えばいいんですしね、電話。
 というような理屈っぽい話はともかく、場の雰囲気がなにやら温かくなり始めます。すると家守さんが癒すまでもなくそれで癒されたのか、立ち直った高次さんがこんなことを。
「それにしても驚くだろうね、日向くんのお母さん」
「え? なんでですか?」
「独り暮らしを始めたばっかりの息子が彼女どころかお嫁さん貰っちゃって、」
 ああそれはそうかもしれませんね。でもその報告も先日、それこそ高次さん達のご助力もあって無事に済ませてるわけですし――
「しかもいきなりダブルベッドだもんねえ。狭い部屋にでかでかと」
 ――…………。

 狭い部屋という言葉にぷんすかし始めた家守さんとそれに困り始めた高次さんを置いて204号室に戻ってきた僕達は、私室にて件のダブルベッドを見下ろしていました。
 本当に大したフォローもせず出てきてしまいましたが、しかし101号室は大丈夫でしょう。なんせ自分でダメージを負わせた相手を自分で癒せる人達です。高次さんはそんなこと言ってませんでしたけどきっと大丈夫です。
 で。
「片付けたほうがいいとかある? 栞は」
 ベッドを見下ろしていた視線を隣の栞へ向けつつ、そう尋ねてみました。一見すると片付ける場所なんかなさそうではありますが――それこそ高次さんが言うように広くはない部屋なわけですし――しかしこのダブルベッド、組み立て式なのです。そうでなければまず部屋に運び込めませんしね、こんなもの。
「ってことは、孝さんとしてはその必要はない感じ?」
 自分の意見を口にするより先に、栞はそう尋ね返してきました。
「まあ、ね。そりゃあ一言くらい何か言われたりはするかもしれないけど、別にお説教食らうとかそういうものでもないし」
 そもそもの話、これ単体だけを見たのであれば、そこにあるのはただの二人用のベッドなわけです。それ以上の何かを見たというのであればそれはその見た人の問題になるわけですし、それに見たからどうだという話でもあるといえばあるわけですし。夫婦ですもの。ええ、夫婦ですもの僕と栞は。
「でも、僕はそうやって開き直れるけど栞はそうもいかないんじゃないかなって」
「あはは」
 笑うだけに留めた栞ではありましたが、しかしそれは肯定と捉えても問題のない笑いではあったのでしょう。
 栞と僕のお母さん。どちらともがどちらともを気に入ってくれている現状ではありますが、しかしそうは言ってもやはり、知り合ったばかりということに変わりはないわけです。となれば、ちょっとしたことが評価に大きな影響を及ぼしてしまうというのは、容易に想像できてしまうわけで。
 少しだけ間があってから、栞はこう続けます。
「でもいいや、私もこのままで」
 考えることを放棄して僕の意見に便乗するだけだったらこんな間は置かなかっただろうな、というのは、少々贔屓目が入っているような気もしますが、それはともかく。
「そう?」
「うん。これで何か思われるんだったら早いうちに思ってもらっておいた方が、取り返しも利くだろうしね。望んでこうしてるんだから勘違いってわけでもないんだし、じゃあここで誤魔化しても他の何かでどうせ、みたいなことでもあるんだろうし」
「逞しいねえ」
 こんな下世話な話で好いている部分を発揮されてしまうと、どうにも気持ちの行き場がなくて困ってしまうところではありますが。
 と思ったら栞、苦笑を浮かべながら「ってわけでもないんだよね」と。
「ん?」
「ずるい話なんだよこれ。初めからアテがあって、だからね。取り返しが利くっていうの」
「……結婚式?」
「当たり」
 評価の上がり下がりを気にするというのなら明日には確実にうなぎ上りになるわけで、ならば下がりかねない要因があるのなら今のうちに放出しておこうと。なるほど、そりゃあずるい。
 で、そのずるさに対して僕はどういう感想を持つかと言われれば、
「まあいいんじゃない? 結婚式で取り返せるっていうのも、今現在良く思われてるのがあってのことなんだし」
 栞のことについては「自分で選んだ人なんだから責任は全部あんたにある」みたいなことを言われてはいますが、しかしそれでもやはり、良く思われていないのであれば、結婚式についてもそれ相応の感情しかもたれなくはあるのでしょう。
 結婚式で評価がうなぎ上りになるというのなら、それは栞が自力で勝ち取ったものになるわけです。
 と、そうは言ってもやはり、
「有難い話だよね」
 栞の立場からはそういうことになるわけですけどね。
 …………。
「前にここから実家まで家守さん達に送ってもらった時、時間ってどれくらい掛かったっけ?」
「ん? なんで?」
「余裕があるならちょっとゆっくりしたいなって」
 それがどういう意味かというのは、そりゃあ少し前まで一緒に「ゆっくり」していた栞なので、説明するまでもなく察してくれたようです。照れ臭そうな笑みを浮かべてくるのでした。
 が、
「あ、でも駄目かも」
「あれ」
「お茶受けになるようなもの全然ないよ? 今。余裕があるうちに買ってこないと」
 ぐうしまった、そっちのほうに全く気を回してなかった。ごめんお母さん。


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