(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十六章 日向家 三

2012-02-15 20:56:21 | 新転地はお化け屋敷
「下敷きもあるけど、クリアホルダーが幾つかあるからこれで代用できないかな」
「誤魔化しか照れ隠しっぽい気がしないでもないけど、うん、大丈夫だと思うよ」
 自分でもどっちだか分かりませんし、もしかしたらどっちもかもしれませんけど、それはともかくとしておきましょう。どうせこれじゃあばれてるも同然ですしね。
 で、クリアホルダーです。自主的な勉強なんか殆どしないくせになんでこんなものを幾つか持っているのかと言いますと、プリント類の整理だけはマメ――なんてことは当然なく、校門の前でちょくちょく配られているからです。塾とか英会話教室とか、まあそんな感じの方々によって。
 毎度毎度受け取るうえその後処分しない僕も僕なのでしょうが、まあこうして使い道ができたんならいいじゃないですか。中には完全に無色透明な物もあって、置いた時の見栄えもそう悪くなさそうですし。
 というわけで設置してみたところ、思った通り悪くありません。強いて言うなら指を引っ掛けるためにちょっと削られている部分が目につきますが、まあ、棚として使っていて気になるほどではないでしょう。
「なんかベッドに横になってジュース飲みたくなってきた」
「私は夜まで我慢するけどねー」
「いや、僕もそのつもりではあるんだけどね」
 ここで組み立てた後、僕も栞も感触を確かめるためにこのベッドへ横になったりはしました。なのでそんな「お試し」以外に使ったことがないとはいえ、そう有難がるほどの初体験では、もうないのでしょう。
 が、しかし。我慢している栞を尻目に一人だけでベッドを使用するというのは、自分と栞の両方の視点から、なんだか虚しい気がするのでした。
「気を遣ってくれなくてもいいのに。私が我慢してるからって」
「さっき栞が言った通り、大体のことには必死なんだよね僕」
 その返事が質問に対して繋がっているかと言われれば、あまり自信はありません。けれど、なんせその返事の内容は栞が口にしたことだったので、会話としてはともかく意味のうえでは、納得して頂けたようでした。
「そっか」
 栞に対する気遣いだってもちろんあるけど、それだけじゃなく自分に対しても、という。だからこそ、必死だなんて言われてしまうわけです。
「お恥ずかしい話だけどね」
「そんなことないよ。――とは言わないようにしようかな、そろそろ。そんなことばっかりだって知ってて結婚したんだし」
「あはは、いっそそのほうがいろいろと気楽かもね」
 …………。
 ……で。
「さて栞さん、ベッドと棚が済んだところで、次は如何致しましょうか」
「そうだねえ」
 冗談めかした口調とはいえ二日ぶりにさん付けをしてみたところ、しかしそこには無反応。冗談めかした口調である以上はそれ以外で特に何かしら意図があったというわけでもないのですが、それでも少々肩透かしを食らった気分なのでした。
「スペース取るんだし、やっぱり大きいものからじゃない? タンスとか机とか」
「そうかあ。もし動かすとなったらちょっと手間になりそうだなあ、一回中身出さなきゃ重くて無理だろうし」
「頑張れこうくん」
「…………ええと」
「あ、もちろん私も手伝うけどね?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「栞さんって呼ばれたから、なんとなく」
「あー、そうかあ。いや、スルーされたと思ってたよ」
 反応に詰まった原因がそれにあると知っていたならなんで一回とぼけたのさって話は、まあいいとしておきましょう。中身を出して空になった机とタンスぐらいなら僕一人でもどうにかなる気がしますが、というかこのあまくに荘へ引っ越してきた際の経験から間違いなく一人でも問題ないわけですが、ともかく手伝って頂けるようです。
「昔の呼び方で呼び合ってみると、なんだか若い頃に戻った気分」
「栞が若さを失い始めたのはつい最近のことなんだけどね」
 と、一瞬で呼び方を通常のそれに戻し、次いで栞が少し笑ったのを見届けてから、さて今話した作業です。
「机より近い位置にあったから」以外の理由が見付かりませんが、それすら明言はしないままにまずはタンスから。ちなみに僕と栞どちらのタンスかというと、僕のほうです。
「『どこがいいか』の前に『ここでいいかどうか』だよね、まずは」
「まあねえ」
 動かす必要がないのであれば、移動先の場所を考える必要はないわけです。
 当たり前な話ではありますが、動かした後に「やっぱり元の場所のほうが良くない?」なんてことになると、物が物だけに面倒ですしね。
 で。
「今までここにあったわけだから、これ単体で考える分にはここでも問題はないんだよね?」
「そりゃもちろん」
 訊くまでもないようなことを訊いてくる栞。一応念のために、ということではあるのでしょうが、しかしそれは飽くまで「これ単体で考える分には」という話です。
 では、単体で考えない場合はどうなるのでしょうか?
「孝さん、さっき私にも同じこと訊いてたけど、どうする? やっぱり着替えはベッドの傍でできる方がいい?」
 ああなるほど、その話で。
 ……初めに言い出したのが自分である以上、それについてはやはり「出来ればその方がいい」という返事を思い浮かべざるを得ないわけですが、しかし。
「できるかなあ、それ。スペース的に」
 単体では考えない、ということで周囲の家具類も合わせて考えてみますが、僕の机、栞の棚、そして僕と栞で二つあるタンス。これらはまず部屋の外周に沿って配置するであろうものの、その「部屋の外周」というスペース自体、今の時点でギッチギチなのです。窓、居間へ続くふすま、そして押入れについては、どうしてもその前を空けておかなければならないわけですし。ならば、そのギッチギチのスペース内で果たして自由な配置ができるのかというと……。
 ――などという考えもあって積極的な返事は躊躇われたわけですが、しかし。
「要するにベッドの傍でできるほうがいいんだね?」
 むしろ栞のほうが積極的、かつ楽しげなのでした。ならば僕は、いっそ困惑すらしながら「ま、まあ」なんて。
 すると栞、そんな僕にくすくすと笑みを浮かべてから、軽い調子で言いました。
「スペースのほうは問題ないと思うよ」
「そうなの?」
 前向きな言葉に一瞬ふわっと浮かんだような気分にさせられた僕はしかし、ギッチギチな周囲を見渡しながらこんなふうにも。
「いや、でも今でもうこんなんだけど」
「今ここにあるものは絶対に全部ここになきゃならない、なんてわけじゃないでしょ?」
「ここに……っていうのは、居間のほうに持っていくってこと? でも、どれを?」
 机とタンスと棚。居間に机があるのは変ですし、居間で着替えというのも変なのでタンスも駄目でしょう。棚はまだどうにかなりそうですがしかし、その上に陶器の置物を配置するであろうことを考えると、これまた居間よりは私室にあったほうがいいような。
 それでもまあどれか一つってことなら棚だろうな、なんて最終的にはそう思った僕なのですが、しかし栞の回答は違っていたのでした。
「私のタンス」
「え? でもそれだと」
 お客さんが来ている時に着替えるというのは、あまり起こりそうにない事態ではあるでしょう。でも絶対に起こらないと言い切れるほどでもなく、ならば実際にそうなった場合、栞は居間で着替えを出して私室で着替えなければならないわけです。そりゃちょっと、なんて夫としては――いや、夫だというのは関係ないかもしれませんが、ともかく僕はそう思うのでした。
 しかし栞、またしてもくすくすと。
「普段着はこっちに移し替えるからね。その上から着るようなものだけタンスに入れておけば、居間で上から着ることはあっても脱ぐことはないでしょ?」
「……ああ」
 こっちというのはもちろん、さっき設置したばかりのベッド脇の収納ケース。なるほど、最低限の着替えは既に私室で済ませられるようになってたんだっけ。
「沢山服持ってる人とかだと、こうはいかないのかもしれないけどね。衣替えの必要がないとなると、やっぱり横着して着回しちゃうっていうか」
「あー、暑いも寒いもあんまり気にならないんだもんね」
 春に出会って、未だ春。幽霊の存在を知ってから季節を巡ったことがなく、夏にも冬にも到達したことがない僕には、まだあまり実感のない事実ではありました。
「楽ちんではあるけど、女としてどうなのかなーって思わないでもないんだよねえ。服に頓着しないって」
「いや、僕はそんなふうには」
 程度の差こそあれ、誰でもそんなふうにはなってしまうんじゃないでしょうか。幽霊になった――なってしまったのならば。暑さ寒さがあまり気にならなくなるというのはもちろん、恐らくはそれに加えて、服を変えたところで幽霊になってしまう前に比べて見てくれる人が激減した、というようなこともあって。
「孝さんはそうだろうけどねー、服とかあんまり興味なさそうだしー」
「な、なんかごめんなさい」
「……ふふ、でも、ありがとう」
 ううむ、謝っちゃう前に行って欲しかった。
「どうせまた幽霊がどうのこうのっていろいろ考えてくれてそうだしね。そんな顔してる」
「見事に当たっちゃってるけど、それにしたって『どうせ』なんて言っちゃう?」
「それくらい親しみを持ってるってことだよ」
 僅か程度の反感なんて、あっさり吹き飛ばされてしまう僕なのでした。
「ともかく栞、今の話で決定でいい? 普段着を収納ケースに入れ替えて、タンスを居間に持っていくっていう」
「また照れ隠しっぽいけど、うん、それでいいよ」
 なんで家具の配置だけでこうも辱められてしまうのか。……なんてことは、今更考えないようにしておきましょう。
「あっ。……あぁー」
 なんて思っていたら栞、何か都合が悪いことに気付いたらしく、それがありありと伝わってくるような呻き声を。
「ん? 何か問題でもあった?」
「いや、うん、大丈夫。やっちゃおうやっちゃおう」
 はて。
 ――ともあれ、作業開始です。普段着を収納ケースに入れ替えるわけですが、どうせタンスを移動させる際に引き出しを全部下ろしてしまうので、それも並行して。
「あ、もしかして」
「ん?」
 この作業において、栞に都合の悪いこと。初めに一番上の引き出しに手を掛けたところで、思い付くことがありました。
「下着の段を見られるのが嫌だったとか?」
 とはいえ一番上が下着入れってこともないだろう、と思って引き出しをそのまま引き抜いたところ、その通り。ハンカチなんかが数枚入っているだけで、ほぼ空と言ってもいい状態なのでした。
 確信して引き抜いたとはいえこれが本当に下着入れだったりしたらいろいろ間が悪かったな、と確信して引き抜いた割にはほっとしていたところ、すると栞、「あっはははは!」と結構豪快に笑い出しました。
 数秒待ってそれが治まったところ、ひぃひぃと息を切らせたままこんなことを。
「さすがに、今更それは無いよ孝さん。ちょっとくらいは恥ずかしかったりするかもだけど、嫌ってそんな」
 ですよね。
 ですけども。
「そ、そこまで笑われるようなことだったかなあ?」
 突然言い出したならともかく、こっちは「何か都合の悪いことがある」という前提があって考えているわけで、だったらそんなに可笑しな発想でもないと思うんだけどなあ、なんて。
「いやね、あはは、ちょっと正解とのギャップが酷くて。……くくく、下着って」
「えーと」
 多少の恥じらいが残ってるらしいのは男としては嬉しいです。
 では、もちろんなく。
「じゃあその、正解って教えてもらってもいいのかな」
 なんせ栞にとって不都合なことなので、それこそ嫌がられるのかもしれません。しかし笑いながら「正解」という言葉を使ったところからして、あまりそんなふうには見えないのでした。
 すると、笑いに乱されていた栞の呼吸がすっと元に戻ります。
「うん。いつか見せようと思ってはいたんだけど――あはは、結婚後になってからって、ちょっと遅かったかな」
 見せる。ということは、タンスの中に服以外で何か隠していたようなものが?
 と思ったのですがしかし、下着の時と同様、これもまた外れなのでした。
 一番下の段の奥、深いところへ手を指し込む栞を見る限り、隠してはいたのかもしれません。が、出てきたものは服だったのです。
「これ。何か分かる?」
「ええと――」
 質素で簡素なデザインのそれは、一見パジャマのようにも。けれどそれが間違いだと気付くまで、一秒と掛かりはしませんでした。
『患者服』
 僕の回答と栞の正解発表が重なり、すると栞はそれが可笑しかったのか、くすりと小さく笑んでみせました。
 しかし、僕はそうもいかず。
「……また、いろいろ考えてくれてる顔してる」
「そりゃ考えるよ、いきなりこれが出てきたら」
「うん。あはは、やっぱりもっと早く見て貰えばよかった」
 軽い笑いとともにそんなことを言う栞ですが、でももちろん、それは本心なのでしょう。真剣で、切実な。
 僕は栞の部屋に何度か足を運んだことがあるわけで、見せようと思えば栞はいつでも見せることができました。それに今日、栞の部屋の家具をこの部屋に運び込んだ時だって、今と同じようにタンスの引き出しを全部下ろしたわけで、他のみんなも一緒だったとはいえ、僕にだけこっそり見せることは出来た筈なのです。
 それらを見過ごし、今の今まで引っ張った栞。だからこそそれは本心で、真剣で、切実なのでしょう。
 そして栞のことですから、それは願望だけに止まらず、こうして笑っていても――。
「栞、取り敢えずだけど」
「ん?」
「自分を責めるところじゃないよ、ここは」
「……さすが、お見通しだね」
「見通せない相手と結婚なんてできないしね」
 何から何まで、とは言いません。そりゃあどれだけ仲睦まじくとも元は赤の他人です、見通せないことだってわんさとあることでしょう。
 でもせめて、その人のおおよそ程度の在り方ぐらいは。
「栞だって、こうなったら僕がこんな顔することぐらい見通してたんでしょ?」
「うん。孝さんだったら怒るなって、怒ってくれるなって、分かってた」
 今になって患者服が出てきたことに、ではありません。それで自分を責めることに対して、僕は怒った顔をしているのです。栞だってそれは分かっているでしょうし、分かっていて自分を責めたのでしょう。
 もちろんそれは、僕に怒られるためではありません。栞が、そういう思考で動く人だからです。――それは栞自身にもおいそれと変えられない部分なのでしょう。だから、怒られると分かっていてもそうしてしまうのでしょう。
 それは栞のいいところであり、僕は栞のそんなところを愛しているわけですが、場合によってはこうもなります。自分を責めるべき場面で責めたならば僕は栞を人間として尊敬し、異性として魅了されるわけですが、そうでない場面でそうしたならば、それは間違いでしかないわけです。
「自分を責めるなって言われてるんじゃあ、ここで『ごめん』って言っちゃうのも変かな?」
「うん。言わなくていいよ」
 言って、僕は栞に歩み寄ります。
 そして、栞を抱き締めました。
 歩み寄るのも抱き締めるのも、ゆっくりした動作でした。そうして僕は栞の対応を確認し、拒否する素振りがないことを、こんなことで怒る僕という人間をいっそ歓迎してくれているということを、確認していたのでした。
「ありがとう、見せてくれて」
「うん」
 見て、しかしだからといって病院時代の話をするわけではありませんでした。それどころか、現在における話すら。つまりは患者服について何一つ語ることはないまま、この話題はここで終了したのでした。
 何故かというと、栞も言っていたように、遅かったからです。
 もう、栞の生前の話も、栞が幽霊であるという話も、僕達は語り終えているからです。
 栞は未だにこの服を所持していた。この話で得た情報はそれだけでしたが、それだけで充分でもあるのでした。
「そりゃ笑うか、下着見られるのが嫌なの? とか言われたら」
「うん、笑っちゃった」
 患者服を大事そうに抱き抱える栞と、彼女をその外側から抱き締める僕。軽く笑い合い、最後に「こっちこそありがとう」と言われて、それで終わりなのでした。
 ――というわけで、作業再開。
 元の段へ、しかし奥に仕舞い込んでいたさっきと違ってそのまま上から重ねるようにして患者服を戻す。そんな栞はそれが一番下の段ということで屈んでいて、ならば頭が低い位置に。
「わっ」
 撫でたくなったので、その思い通りに撫でておきました。
「もう、危ないよ孝さん。今は引き出し抱えてるんだから」
「ごめんごめん、つい」
 引き抜いている最中なのでまだ抱えてはいないのですが、まあ細かいことを言い出しても仕方ありません。ここは素直に謝っておきました。
 が、話はこれで終わりではなく。
「そういえばさ、栞」
「なに?」
 返事をした栞は作業を続行していましたが、構わずこんな質問を。
「どこに仕舞うかっていうのは決まってるの? カチューシャ」
「あー、まだなんだよねえそれ」
 そう答えつつタンスから少し離れた位置に引き抜いた引き出しをドスンと下ろした栞は、くるりをこちらを振り返って逆にこう尋ねてきます。
「孝さんに決めてもらいたいかな」
「へ? 僕? なんで?」
「着けないことに決めたのは私だけど、また着けることがあるとしたらそれは孝さんの意思だからね」
 僕の意思。それはつまり、今朝僕が言った「似合うと思ってることだけは覚えてて欲しいかな」という言葉を指しているのでしょう。
 ええ、着けて欲しいです。毎日とは言いませんけどね、そりゃあ。
「なるほど、お前のせいで手の届くところに置いとかなきゃいけないんだからその場所くらいはお前が自分で考えろと」
「そういうことだね」
 わざときつい言い方をしてみましたが、そのまま流されてしまいました。うむむ。
「それこそさっきの患者服みたいにどこか奥の方に仕舞い込んじゃってもいいんだけど、孝さんの機嫌一つで出し入れするとなったらちょっと面倒でしょ? それだと」
「まあねえ」
 そうして納得させられてしまった以上、ならば僕は考え始めるわけです。タンスの引き出しのこともあって少々散らかり始めているこの部屋を見渡して、どこがいいだろうかと。
 そしてそれは、すぐに決まってしまいました。
「何の捻りもなくてあれなんだけどさ」
「ん? 決まった?」
「収納ケースの上でいいんじゃないかなあ。せっかく起きてすぐ着替えられるように普段着をタンスから移動させるのに、カチューシャだけ離れた場所にあるっていうのはなんかちぐはぐな気がするし」
 今朝までの話ではありますが、栞にとってはカチューシャも普段着のうちだったんですしね。
「なるほどなるほど。うん、初めから異論を挟むつもりはないし、私はそれでいいよ」
 適当に決めたわけではないことを示すために理由まで添えて答えてみましたが、栞の返事は淡白なものなのでした。自分は関係ないと。
 もちろん、わざとそうした言い方をしているのは分かってるんですけどね。なんせこの話、その大元が「お前のせいで」なんですし。
「分かってもらえてると思うけど」
「ん?」
「私がそのカチューシャを誰かに自由にさせるって、よっぽどのことなんだからね?」
「……ん、分かってたけど肝に銘じとく」
 ベッド横の棚代わりの収納ケースの上。というとややこしいのですが、要は枕元です。取り敢えず棚の上に置かれていたそれを見て「そういう扱いをする品ではないよなあ」なんて考えていた僕ですが、さて、ではこの枕元というのはどうなんでしょうね?
「もう一ついいかな、栞」
「ん?」
「寝る時、栞がこっち側でいい?」
 言いつつ僕がぽふぽふと叩いたのは、ベッドの収納ケース側。
 場所だけを指して考えればそれまでの「棚の上」とさして変わりないこの収納ケースの上。なのでそれは、せめてもの悪足掻きなのでした。せめて栞の傍に、と。
「うん、いいよ」
 あっさり頷く栞。こちらの意図を察しているのかどうか、あまりにあっさり過ぎてよく分かりませんでしたが――しかし、恐らくは気付いているのでしょう。でなければ、逆にあっさりとは済まないはずなのです。普通は理由を尋ねたくなるでしょうしね、いきなりこんなことを言われたら。
「でももし他にも物を置くんだったら、お酒に酔ってる時だけは代わってね?」
「コップぐらいかなあ、僕の場合は」
「孝さんが寝る前に何か飲んでたら、私も一緒にお酒飲むだろうし」
「一緒って言うのかなあそれ。――まあ、分かった。そういうことで」
 それでも一応の用心のために、できるだけ落としても割れないプラスチック製のコップを使うことにしよう。そんなことも思い付いたところで、作業再開です。
「どうせ全部下ろすんだけど、どの段が普段着入れ?」
「あ、下三段だよ」
 三段で済んじゃうんだなあ。という感想が正当なものなのかどうか、栞以外で「女性の生態」というものを知り得ていない僕にはあまり自信がないわけですが。
 ともあれ普段着の入れ替え作業があるので、指定された段を先に下ろしに掛かります。
 一番下の段はさっき栞が出しているので、まずは下から二段目を。
「下着だって普段着だからね、そりゃあ」
 何を言うでもなく、目に入ったそれを指し示すでもないのに、引き抜いた途端まるで先手必勝と言わんばかりにそう告げてくる栞。下着専用の段というわけではなかったのですがそれはともかく、なるほど、恥ずかしがってるなあと。ちなみに、僕も若干恥ずかしいです。
 三段目は特に問題なし。まあタンスにいちいち問題がある方が変なんですけど。
 ――で、それが済んだら続けて他の段を引き抜きにかかるわけですが。
 すかっ。
 という効果音が聞こえてきそうなくらい、手応えがありません。見るまでもないにせよ一応見てみましたが、中は空っぽだったのでした。
「……ねえ栞」
「ん?」
「収納ケースに季節物の服入れてたけど、そんなもの使わなくてもこっちに全部入ったんじゃないの?」
 季節物の服を入れるのが収納ケースであるなら、タンスは普段着入れ。そのタンスの「普段着を入れてある場所」が下三段だったらば、そりゃあ他の段は空っぽで当然なのでした。
「あはは、まあそうなんだけどね。予想より服が増えなかったっていうか」
「そっか」
「なんだったら孝さんのタンスと中身を纏めて、どっちか一個のタンスは捨てちゃうとかでもいいんじゃない?」
 なるほど、この空きっぷりならそれも可能かもしれません。僕のタンスにしたってその容量を使い切ってるわけじゃなく、つまりは僕も栞と同じくそんなに沢山服を持ってはいないわけですし。
 同じく、ではないのかもしれませんけどね。厳密には。
「んー、でも、タンスだって部屋の賑やかしにはなるだろうし。このまま分けて使うほうがいいかなあ、僕としては」
「さっきまで部屋の空きスペースがないって困ってたのにね」
 うぐ。
「ふふ、私もそれでいいよ。孝さんの立ち振る舞い次第じゃあ、これから服が増えるかもしれないしね」
「それはつまり服に興味を持てと」
「正確には『私の服に』だね。まあ命令じゃなくて希望だよ、もちろん」
 ううむ……いやしかし、連れ合いとしてそれくらいはすべきなのかもしれません。栞もさほど強く興味を持っているわけではないのでこの程度で済んでいますが、これが一般的な女性だったら激怒されているかもしれませんし。


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