(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十五章 兄と義姉より愛を込めて 三

2013-09-16 21:01:06 | 新転地はお化け屋敷
「今日はどうしようかなあ」
 成美の背中の向こう側にいる旦那サンの考えを気にしてみたところで、成美が空を見上げながらそんなふうに。いや前見てくれ前。
「天気もいいし、日の当たる広い所でゴロゴロするのもいいかもな」
「また寝んのかよオマエ」
 昼寝としてはアリな話なのかもしれないけど、今はまだ午前中、どころか孝一達の部屋にお邪魔してたにしたってまだ起きてからそう時間が経ったわけじゃない。文句があるってほどじゃないけどそれはどうなんだ、なんて思ってみたところ、
「本格的に眠ってしまうかどうかはお前次第だぞ?」
 想定外の返事が返ってきた。
「なんか期待されてんのか、オレ」
「ゴロゴロしながらゴロゴロされるというのはどうだろうかと思ってな」
 駄洒落……ではないんだよな、多分。なんかちょっと違うもんな、そういうのとは。
「更に言えば、ゴロゴロしながらゴロゴロされながらゴロゴロさせつつゴロゴロしてやることも出来るわけだ」
 ええと?
 ……ああ、旦那サンをってことか。普段よくやってる、「オレの膝の上に成美が座ってその成美の膝の上に旦那サンが座って」と同じような感じで。
「じゃあオマエ寝たら駄目だろそれ。寝ながらゴロゴロできるってんならともかく」
「ええと?――むっ、しまった」
 自分でも分からなくなってるんじゃねえよ。

「んーっ」
 広い所となったらいつものあの三角公園かな、なんて思っていたら成美はオレが知らない道を走り続けて知らない場所に到着し、その知らない場所でごろんと横になり、そのうえ気持ち良さそうに伸びまでし始めた。
 とは言っても別にそんな特別な場所ということでもなく、成美が自転車を止めたのは近所の河原だった。……近所、だと思う。そう長い道のりではなかった筈だし。その割にオレが全く知らないところからして、近所とは言っても歩いて来るような距離ではなさそうだったけど。
「適当に走り回ってたってよりは真っ直ぐここに向かってた気がするけど、知ってる場所か? ここ」
「うむ、まあな。猫だった頃は主にこの辺りで暮らしていた」
 隣に座り込み、でも横にまではならないまま尋ねてみたところ、成美はそう答えてきた。
 今も猫だろ、なんて野暮ったい突っ込みはいつものようにしない。
「へえ」
「場所が同じでも身体が違うと見える景色が随分違うもので、だからちゃんと着けるかどうかちょっと不安だったんだがな」
 そう言って、照れ臭そうに笑う成美。その少し下では旦那サンが平たい胸に抱き留められていて、それを見た、というかそれを意識したオレは、だからこんなふうに考える。
「じゃあ、旦那サンともこの辺で?」
「そうだな」
 そんな返事を貰って初めて、オレは周囲を見渡してみる。そうしたところでこの場所それ自体と同じく特別な何かが見えるわけではなかったけど、でも、それでもなんとなく胸に落ちてくるような感覚があった。
 そっか、この辺か。
「まあこいつはわたしに比べれば色んな所を歩き回っていた――というか、はは、どちらかと言えばわたしが動かなさ過ぎただけだがな」
「だろうな、オマエは」
「分かるか?」
「今住んでるとこだってそうだろ」
「はは、それもそうか」
 元から室内に慣れた飼い猫だったならともかく、生涯まるごと野良として生き抜いておきながら、あまくに荘での生活にすんなり馴染んでみせた成美。言葉が通じるから、というだけで済ませられる話ではないんだろうし、だったら成美がそもそもそういう奴だったと、そういうことになるわけだ。
「なあ大吾」
 と、ここで成美は声のトーンを落とす。
「ん」
「お前はどう思う? わたしがここで暮らし、ここでこいつと出会い、ここでこいつと愛し合い、ここでこいつとの子を産み、ここでこいつとの子を育て、そしてここで死んだ、という話を聞かされたら」
 …………。
「一言でどうとは言えねえかな」
 というのは、嬉しい話も悲しい話も含まれているから、という意味ももちろんあるんだけど、でもそれだけってことでもなくて、
「そんな軽いもんじゃねえだろ、多分」
 大人になる前に死んじまった身としては、残念ながら多分としか言いようがなかったけど。
 成美は十一年、オレは十七年生きた。単純な長さで言うならオレのほうが長くはあるけど、でもそういう比べ方をするもんじゃないというのは、誰に言われるまでもないことだ。そこについては「多分」じゃなく、そうだと断言できる。
「ただまあ、話してくれたことそれ自体についてだけ言うなら、オレとしては嬉しいけどな」
「そうか」
 成美は、返事というよりは呟くような口調でそう言ってから、声のトーンをいつもの調子に戻してこう続ける。
「やはり信じて正解だったな」
「信じる?」
 そりゃあ軽い話ではないにしても、話を聞くというだけのことで今更信じるも何も――と、首を傾げてしまいそうになったところで、
「それほどの話だからな。この場所で、しかもこいつがいる前で、今の話をしっかり聞き入れてもらうというのは」
 と。しかし残念というか何と言うか、
「ふふ、よく分からないという顔だな」
 ということなのだった。そんなことを言われるからには顔にバッチリ出ているんだろうし、だからといって隠す気もさらさらないので、上体を起こした成美が顔を覗き込んできても特に誤魔化したりはしなかったけど。
「だからお前は凄いんだ。一口で言い切ってしまったにしたって、今の話はわたしの全てだぞ? まさかそれを軽んじるお前ではないだろう、さっきお前自身もそう言っていたが」
「そりゃまあ誰かの生き死にの話なんて軽いわけがねえし、それに――」
「他の誰でもない、わたしの話だしな」
「自分で言うかよ」
「お前にこれ以上ないくらい強く想われていることについて、わたしとしてはそこに何ら恥じるところはないからな」
 そりゃまあそうだ、恥じられても困る。
「軽くない、どころか過剰なくらい重く重く受け止めて、そのうえで今のような淀みない受け答えが出来るんだ、お前は。話だけでなく実際にこの場所で、こいつを前にして、それでも尚わたしの全てをさらりと受け止めてみせてくれたんだ。猫として生きて死んだことを、全て」
 そこまで言われてもまだ、オレは「当たり前じゃないか?」としか思えなかったんだけど、そう思えることを褒められているということくらいは分かる。となると、実際にそう言い返すというのは中々難しいものだった。
「特にはこいつのことだ」
 旦那サンを軽く掲げるようにしながら、成美は言う。
「わたし自身ですら驚くようなことだったんだぞ? 生涯こいつただ一人を、と思っていた自分が、二人目を作ってしまうなんて。でもお前はそれすら――わたしのような個人の考え方の話ではなく、世の仕組みとして皆がそうしている人間の中にありながら、お前はこうしてこいつの隣に居てくれるだろう?」
 一夫一婦制。それを当て嵌めるならオレは成美に多少なりとも不快感を覚えてしかるべきなのかもしれないけど、でも感じないんだから仕方がないとしか言いようがない。それどころか生前の成美を幸せにしてくれた大恩人として――まあ、そういう意味では確かに重く受け止めてるってことになるんだろうけど。
「というわけで、これ以上はもうどうしようもない」
「へ?」
 それまでオレの顔を覗き込んでいた成美。今度は何を言い出したんだと呆けているところへ、唇を重ねられた。
 そうして更に呆けさせられてしまうオレに、でも成美は遠慮なく話を続けてくる。
「話の内容も状況も最高の――ある意味では『最悪の』と言えるのかもしれんが、とにかく、わたしのありったけを用意しても駄目だったからな。わたしはわたしが猫であることについて、もう何をどう頑張ってもお前を困らせることはできないというわけだ」
「困らせるって」
「だからあとは安心して委ねるだけだ。もっと言えば、委ねる必要すらない。そんなことをするまでもなくお前は全て受け入れてくれているし、それで傷付けてしまうこともないのだからな」
「…………」
 オレからすれば当たり前な話。でも成美からすれば、と考えると、やはりそれは大変なことなんだろう。
 今も変わらず自分を猫であるとしつつ、でもオレとの人間然とした生活にきっちりとその身を落ち付かせている。オレは成美のそんなところを尊敬し、そしてそんなところが好きなわけだけど、でもやっぱりそれは自然とそうなっているというわけではなくて、成美側の努力あってのものだったんだろう。そしてその努力をする必要が無くなったと、成美が今言ったのはそういうことなんだろう。
 オレが成美を受け入れているという、オレからすれば当たり前な話。それがこんなにも有難がられているということは、じゃあ、オレはそれに対してどうしてやればいいんだろうか。当たり前だと思っていたことをその当たり前の通り、これまでと同じように続けているだけでいいんだろうか?
「成美」
「ん?」
「じゃあ、今度はオレが頑張る」
「お前が?」
 今度はオレが、というのはもちろん成美のこれまでの努力に対しての言い方なわけだけど、でも成美が努力していたというのはオレが勝手にそう思っただけの話で、だったらいきなりそれだけ言われても成美からすれば何を言っているのか分からないんだろう。
 普通ならそうなる。
 ならなかったけど。
「これ以上何を? わたしからはもう望むものがないくらい、お前は良くしてくれているぞ?」
「普通にしてるだけで望むものがなくなるんだったら、頑張って望まれる以上のことをしてやりたいしな。意識の差って言うのか? オマエだけ頑張っててオレはボーっとしてて、それで結果がよかったからそれでよしってのは落ち付かねえんだ、なんか」
 もちろん、オレだって本当にただボーっとしてただけってわけじゃない。成美のことを大切に想ってる以上、それ相応の気遣いやらはそりゃあしてきたわけだけど、成美の今の話を聞く限りではそれが足りていたとは思えない。不足していた、というわけではないにしても、もっとしてやれることはあるんだと思う。
「……とか言ったところで、具体的なとこは何も思い付いてねえんだけど」
 成美は笑った。でもそれは格好の付かないオレをという意味のものではなく、
「ありがとう」

 もっとしてやれることの第一歩、ではないけど成美と旦那サンと三人でちょっと横になり、でもまさか本格的に寝入ってしまうわけにもいかないので――鍵掛けてあるとは言ってもそこに停めてある自転車は借り物だっていうこともあるし――時計がないから適当だけど三十分ほどだろうか、それくらい経ったところで切り上げることにした。
 ちなみに成美が言っていたゴロゴロしながらゴロゴロ以下略については、旦那サンは声を上げなかったという結果になるのだった。ゴロゴロ言わなくてもゴロゴロと呼称していいものなんだろうか、なんてどうでもいい話はともかく、何も言わなかったにせよ目を細めて気持ち良さそうにはしていたので、まあ成美としても満足のいく結果ではあったんだろう。
 まあその成美自身にしたってゴロゴロ、もとい「くおぉおぉおぉ」とかいう声は上げないようにしてたわけだけど。そりゃまあ家の中ならともかく外だし。
 ……となったら残念ながら、今朝もそうだったように喘ぎ声じみたものが漏れてきてしまったりもするわけだけど。もし通行人に見られでもしてたらどう思われたんだろうかアレ。オレら三人の中で成美だけが見えることになるわけだけど。
「さて、これからどうしようか」
 と、どうでもよくはないにせよ気にしても仕方がない不安を抱えていたところ、その不安の原因はその場から立ち上がりつつ上機嫌そうにそう尋ねてくる。
「わたしの用事は済んでしまったわけだが、まだ適当にぶらぶらするか? それとももう帰るか?」
「うーん」
 成美がこの辺りで暮らしていたというのなら、もう少し近くを見て回りたいという気持ちもある。まさか本当に今居るここだけで暮らしていたというわけじゃないだろうし。
 そう思うんだったらそうすればいいんだろうけど、でも、
「家でゆっくりしてえかな、できれば旦那サンも一緒に三人で」
 という気持ちもあり、そしてオレは今回、そっちを優先させることにした。
 急ぐ必要はない――焦る必要はない、と言ったほうが正確だろうか――なんせ成美とは生活を共にしているわけで、だったら成美のことを更に知るための時間は、後からいくらでも取れることになる。家でゆっくりするというのも同様ではあるけど、でも今のこの気持で、しかも旦那サンと三人でとなると、これは中々特別な状況ではある。
 今回そちらを優先させた理由というのは、まあわざわざ言葉にするならそんなところだった。
「もちろん構わんぞ」
「オマエが許可出すのかよ」
「そりゃあこいつは今返事なんかできんし、なのにお前がわざわざ尋ねてきたからな」
 そりゃまあそうだけど、と言わざるを得ない返答だったけど、それを口にするよりも成美の話の続きのほうが先に出てくる。
「言っておくが今、質問する必要はなかったんだぞ? お前がそうすると決めたのなら、もうこいつだって文句は言わんさ」
「そうなのか?」
「今三人で横になっている間、こいつがどれだけ気を緩ませていたことか。緩ませ過ぎて身体までふにゃふにゃだったくらいだぞ。なあ?」
 言って、再び旦那サンにゴロゴロを仕掛ける成美。相変わらずそれで声を上げはしない旦那サンだったけど、その気持ち良さそうに細められた目線は、オレの方へ向けられていた。まあ、成美が身体をこちらに向けていたから、というのももちろんありはするんだろうけど。
 にしても成美、立って抱えたままそれやると首締めてるみたいで怖いぞちょっと。
「人間からすりゃ猫は初めから柔らかいけどな、身体」
「ははは、ここで照れ隠しなんかしてどうする。そういう意味じゃないことくらい分かるだろう、人間の身体だって柔らかくしたりされたりはできるのだし」
「…………」
 黙り込むしかなかったわけだけど、もちろんそれは心当たりがあるという意味でだ。ただ、例に出すのがオレとオマエじゃあどうしたってエロい方向に想像が行きがちだけど。はっきり名前を出したわけじゃないにしても、成美が人間の身体を語るんならそういうことになるんだろうし。

 と、いうわけで。
「ただいまー」
「お帰りなさい。割と早かったですね」
 オレと成美の202号室。ではなくて、孝一と栞サンの204号室。どうして真っ先に戻ったのがここだったのかというと、自転車の鍵を返すためだ。とは言っても、それが理由で早く帰ってきたってわけでもないんだけど。
 鍵を返すためだけに来た割にはさらっと部屋の中へ迎え入れられつつ、まずはその早く帰って来た理由から話すことにする。
「今回は珍しく行き先決まってたみてえでな」
「あ、猫さんも一緒なんですね」
 聞けよ。
「で、どこ行ってたの?」
 成美と旦那サンに構っている孝一と入れ替わるようにして、栞サンが尋ねてきた。放っとかれなくてよかった、とまあそれはともかく、オレはその問いに答える前に成美に目配せをする。
 それに気付いた成美はふっと口の端を持ち上げ、そしてオレに話す許可を出し――はせず、自分の口で説明を始めた。
「わたしがここに来る前に住んでいた所だ。大吾に紹介しようと思ってな」
 すると一瞬、一瞬過ぎて正確には捉えられないほど一瞬だったけど、栞サンの表情が硬くなったように見えた。それを確認し終える前にもう元に戻ってはいたけど。
 なんせ栞サンだって同じ幽霊だ、皆まで言わずともってやつなんだろう。
「大吾くん、どうだった? その場所って」
「そこ自体は特別どうってわけでもなかったですけどね。言ってみりゃそこら辺の道端ですし」
 河原、ぐらいは言ってしまっても良かった気はするけど、取り敢えず具体的な情報は極力出さないようにしておいた。成美にそうしろと言われたわけじゃないけど、そりゃあそれくらいは。
 栞サンもそこら辺は理解してくれてるようで――なんて褒めに掛かるのは逆に失礼な気もするけど――オレが隠そうとしたところを聞き出そうとはしてこなかった。
「ただまあ、やっぱり思うところの一つや二つは」
「そっか、そりゃそうだよね」
 この話において重要なのはそこだろう。場所がどうとか、なんてことよりよっぽど。
「よかったね、成美ちゃん」
「ふふん。日向、きっとお前が思っている十倍はよかったぞ」
「あはは、そっか」
 褒めてもらえるのは嬉しいけど、もうちょっと控えめにして欲しいところでもあるぞ成美。多分そんなつもりはないんだろうけど褒め殺しってやつだぞそれ。十倍って。
「猫さんが一緒なのもそれと同じ話で?」
 今度は孝一がそう尋ねてきた。いや、尋ねてきたとは言っても相手はオレじゃなくて成美だったんだけど。
「うむ、そうだ。ただまあ、探しはしたにせよ本当に会えるかどうかは分からなかったがな。何処に居るかなんて全く分からんわけだし」
 そう言いつつ、成美は旦那サンの頭を優しく撫でていた。その手には多分感謝の意図が込められていたんだろう。「見付かってくれてありがとう」なんて、言葉にしてみるとなんだか変な感じだけど。
「よかったですね、大事な時に会えて」
「うむ。その結果どうなったかを考えるともう、運が良かったの一言で済ませるのがもったいないくらいだ」
 あの場所で、旦那サンを前にして。オレは全くと言っていいほどそれに頓着しなかったわけで、考え方によっては喜ぶどころか肩透かしに思われても仕方がなかったんだろうけど、それでも今、そのことを話す成美はとても嬉しそうにしていた。
 好きとか嫌いとかの話はもう今更なので省くとして、オレはそんな成美を綺麗だなと思った。笑顔それ自体も、その笑顔を作っているものも。
 そしてそう思った時、それと一緒に頭に浮かんだのは、明後日の結婚式のことだった。
 こんなに綺麗な奴が本当にオレの嫁さんになってくれるなんて。
 ――と、別に明後日を待つまでもなく既に嫁さんではあるというのに、そんな恥ずかしいことをつい。
「おっと」
 とここで、成美が驚いたようなそうでないような、半端な勢いで声を上げた。
「済まん済まん。鍵を返すだけのつもりだったのに、これではずるずる話し込んでしまうな。昼食まで世話になることになってしまう前に退散するとしよう」
「そう言われてしまうと、僕としてはお世話したくなっちゃいますけど」
「はは、流石だな」
 本当にな。
「だが、今日明日くらいは嫁だけに取っておいてやってもばちは当たらんと思うぞ? ただでさえ夕食は二人きりとは行かないのだからな、お前達の場合」
「むむう」
 見事孝一を黙らせると成美はそのまますっと、丁寧かつ素早く立ち上がる。今の遣り取りを抜きにしてその動作一つを取ってみても、どうやら部屋に戻る決心が固いらしいことは見て取れた。――というのがオレが普段から成美を見ていられる立場にあるからだと考えると、というか考えてしまうと、これまた勝手に照れ臭がったりしてしまうんだけど。
「ではお邪魔したな。めいっぱい甘えるといいぞ、日向」
 どっちに言ってんだか分からねえよそれじゃ。どっちも日向なんだから。
「うん」
 なんで自分のことだと思ったんですか栞サン。

『ただいまー』
 今度こそ本当の意味でのただいまを口にしながら、202号室の玄関をくぐるオレと成美と旦那サン。さっきまでいた204号室と全く同じ作りの部屋ではあるけど、それでもやっぱりこう、感じる空気が違うというか何と言うか。
 愛の巣、なんて言い方はちょっと大袈裟な気もするけど。
「しかし大吾よ」
「ん?」
 まだ靴も脱いでないのに、いきなりしかしと来たもんだ。そうなるような話はしていなかったと思う――というか204号室を出てからここに着くまでの道のりは短いにも程があるわけで、そうなるような話、どころか話自体をしていなかった筈だけど。
 なんてことを考えている間に靴は脱ぎ終わるわけだけど、それとは関係なく成美はこう告げてきた。
「わたしから言うのもなんだが、人前であの表情はちょっと」
 …………。
「ええと?」
 ちょっとだけ考えてみても分からなかったので尋ね返してみたところ、成美は困ったような笑みを浮かべてみせた。
「その、こう……いかにも惚れ込んでいるというか、そういう表情だ。覚えはないか? 204号室を出る直前のことなのだが。というか、それがあったから出たのだが」
 …………。
「あ、ああ」
 もうちょっとだけ考えてみたら分かったので、成美の困ったような笑みはオレにも移ってしまうことになった。ついでに居間へ向かっていた足も止まる――とまあ、それはともかく。
 こんなに綺麗な奴が本当にオレの嫁さんになってくれるなんて。
 部屋を出る直前となればアレのことなんだろう。いや、時間を限定しなくてもアレ以外にはないとも思うけど。言われて初めてそう思うってのもどうなんだって話だけど、これ以上ないくらい、ではあったんだし。
「そこまで顔に出てたか、オレ」
「むしろこっちから抱き付きたくなる程度にはな」
 そりゃまあなんとも、聞くからにえらい顔をしてたことで。
「見られたろうかな、孝一と栞サンに」
「分からん。周りを確認する余裕はなかったからな」
「……これから気を付ける」
「うむ。わたしもちょっと恥ずかしいし、あとはまあ、お前のそういう表情は独り占めしたいとも思うからな」
 独り占めっつうんだったらこっちに逃げてきたところでまだ旦那サンが、と一瞬そう思いはしたけど、まあでもそりゃあ旦那サンは特別扱いってことになるんだろう。成美がそうするのは無理もないし、オレもそれならそれで全然構わない。
 というわけで、
「気を付けるっつってるとこに追い打ち掛けてどうすんだよ」
 独り占めしたいとかオマエ、ニヤけるどころか溶けるぞオレ。
「今なら構わんじゃないか。ここはわたし達の部屋で、わたし達しかいないんだぞ?」
「いくら状況が許すからって、最初からこれじゃあ後が心配っつうかだな。気を付けさせろよ、一回くらいは」
「大丈夫だ、わたしはお前について心配など何一つしていない」
 そういう問題かよ。そういう問題なんだろうけど。
 これ以上は何を言っても無駄、どころか言えば言うだけオレが追い詰められるだけのような気がしたので、下手なことは言わずに大人しくニヤけることしておいた。いやいや、だからってもちろんニヤけることを自覚して放置してるってわけじゃなくて、もしそうなってるとしたらもうそれでいいや、みたいな感じではあるんだけど。
 ニヤけついでに止まっていた足も動かし始め、となったらその直後には居間に到着するわけだけど、
「ところで大吾、一つ提案なのだが」
 成美が何やら言い出した。
「まだ何かあんのかよ」
 その直後、ということでさっきの話から時間はそれほど、というか全く経っておらず、なのでその話の続きだろうかと思ったりもしたんだけど、
「こいつを風呂に入れてやろうと思うのだ」
 と、旦那サンをオレに向けて抱え上げながら。
「嫌がられねえか?」
「ふふん、水如きに恐れを成すこいつではないぞ」
 オマエはちょっと恐れを成してるけどな。さすがに風呂はどうってことないにしても、プール行ったら浮き輪必須だし。
「まあそれならいいけど。で、オマエも入るってんなら湯も湧かすか?」
 通常猫を風呂に入れてやると言った場合、それはシャワーで身体を洗うとか洗面器にぬるま湯を張るとかその程度のことになるんだろうけど、成美と旦那サンの場合はそうもいかないだろう。身体を洗う、ではなくて、一から十まできっちりとした「入浴」になるんだと思う。
「そうだな、そうしてもらえると有難い。が、大吾」
「ん?」
「お前は入らないのか?」
 …………。


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