それは、考えてみれば誰にでもあるであろう話ではあります。が、しかしそれこそ話の流れ的にというか、少なくとも僕の頭には掠りさえしなかった発想でもあるのでした。
ならばその「誰にでもある話」で僕は、
「そんな驚いたような顔する話だった?」
と、向かいの席からそんなふうに言われてしまったりも。ちなみにその向かいの席の女性は、今の家守さんの話に対してなのかそれとも僕の顔に対してなのか、質問を投げ掛けておきながらも頬を緩ませていたりするのでした。
「あ、いや、分からないってことではないからね? 僕だってそうだし」
頬を緩ませている、ということで機嫌を損ねたふうではないのでそんな心配は無用なのかもしれませんが、一応はそんなふうに釈明をしておきます。
自分はそんなふうに思った試しがない、なんてことになるとそれは彼女――栞としては、あまり耳触りの良い話ということにはならないでしょうしね。
……まあ、冷やかな対応に発奮させられて料理にのめり込んだ男が「分かられたいと思ったことがない」だなんて言ったところで、笑い話以上のものにはならないですが。
「やっぱ誰にでもあるもんかね、これくらいは」
そう言って笑ったのは家守さん。しかしこれまた笑ってらっしゃるということで、特にそれを残念がっているとか、そんな様子ではないのでした。
ならばその調子のまま、続けてこんなふうにも。
「でもその気持ちの強さだったら負ける気しないよアタシ。って、胸張って言うようなことでもないんだけどさ」
「張るまでもなく出っ張ってるし?」
「おうおう、お望みなら顔埋めてやるぞかかってこい」
髪の長い女性が唐突にじゃれ付き出しますが、家守さんこれには即座に対応。実に慣れた様子でいらっしゃる――ということは、彼女は普段からそういうこと言ってくる人なんでしょうね。
しかし、どーんと構えるのは結構なのですが、だからといって胸を叩いてみせないでください。目の保養、もとい目のやり場に困ります。それだけで揺れちゃうんですから。
……ということはつまり、僕はともかく他二人の男性の前でそういうことをするのにも、家守さんはすっかり慣れちゃってるんでしょうね。
「とまあ、それは後回しにしといてだね」
後回しにはしつつも冗談では済ませないらしい家守さんは、先程の話の続きを。
「なんで胸張れないかっていうのは、その『分かられたい』の根っこにあるのが、高次さんに寄っ掛かりたいっていう思いだからだね。頼りにするって言ったらそれっぽいけど、甘ったれてるだけって見方もできるわけで」
その話を聞いてまず頭に浮かぶのは、では何が家守さんをその「甘ったれ」にさせてしまっているのか、という点なのですが……しかしそれは、疑問に思ったという話ではありません。むしろその逆で、答えが初めから分かっているが故にそこへ至る途中経過が頭に浮かんだ、ということだったりします。
もしかしたらそんなふうに思ったのは僕だけかもしれませんし、そもそも思い浮かべたその答えが合っているという保証もありはしないわけですが――とはいえ。
今この場にいる友人四人に対する過去の過ち。
まず間違いなく、今の話の根底にあるものはそれなのでしょう。そうでもなければ、
「まあ、そこで遠慮なく甘ったれでいさせてくれる人だからこそ、結婚しようとまで思ったわけだけどさ」
そんな話をする時に浮かべるのが憂い顔、なんてことにはならないんでしょうし。
「あら、いつもだったらデレッデレになりながらするような話なのに」
どうやら最低限そこについてだけは僕だけが思うようなことではなかったらしく、髪が長い女性は、家守さんの代わりのように微笑みながら言うのでした。
「あはは、まあ、やっぱりねえ」
となると家守さんも微笑み返し――と言っても、それは本当に微かなものだったのですが――言葉の裏に何かあると、そしてそれは言うまでもなく伝わっているものだと、暗にそう示唆してもくるのでした。
それ自体については、誰かが「やっぱりって何が?」などと尋ねるようなこともなく、なので家守さんの意図通りになった、ということでいいのでしょう。
が、しかしそれ以外のところで、
「もしもだけど、家守ちゃんがその旦那さんとの今の関係を本来そうあるべき形じゃない、歪められたものだと思ってるなら、そうまで僕達のことを気に掛けてくれなくていいよ。――正直なところ、そんなことされても気分が良くないし」
というような忠告が、目を細めてもいる背の高い男性から。
家守さんのことを許せていない、という立場を取っている背の高い男性。そんな彼の言葉としては、「気に掛けてくれなくていい」というのは、違和感とまでは言わないにしろ、引っ掛かりを覚えるものではあったのですが……しかし、それこそが正確な彼の立ち位置を表してもいるんだろうな、とも。
許せていない相手を、しかし今でも友達だと思っている。
それは決して、半端な気持ちがそうさせている、というようなものではないんでしょうしね。
「アタシ個人の話ならまだしも、高次さんにも関係ある話だし――って、あはは、当たり前なんだけどさそんなの」
そう言って笑った家守さんは、「うん、だから、そこまで後ろ向きに捉えたりはしてないよ」とも。
「高次さんに申し訳ないっていうのもあるし、あとそれ以前に、いちいちそんなふうに思ってたら結婚どころか付き合い始めるところまですら漕ぎ着けられなかっただろうな、とかね。一緒にいたら疲れるって、そんな関係にある人を『好きな人』とは言わないんだろうし」
続けてそんなふうに語りもした家守さんの口調は、それまでより少々駆け足であるように感じられました。それはつまりどういうことなのか、というのは、勝手に想像するだけとなると色々な可能性が挙げられるのでしょう。
が。
自分だけでも高次さんとでも、家守さんにとってそれは今までに何度も考えてきたことなんだろうな――と、しかし僕は頭に浮かんだ色々な可能性の中から、そんな一つを取り上げもするのでした。
「そう。ならいいんだけどね」
取り上げたものが何であれ、彼にしたって、いや彼だからこそ軽く捉えられるような話ではないんでしょうに、背が高い男性の返事はあっさりとしたものなのでした。
今度はただ直前の発想に引きずられただけなんでしょうし、ならば僕自身ですら疑いを持ってしまうような案ではあるのですが――。
もしかしたら彼もこの話を、家守さんが今のような返事をしてくるところまで含めて、これまで何度も考えていたのでしょうか。
……というふうには思いつつ、しかし前述の通り、まあ違う可能性の方が大きいんだろうけど、とも。
などとふわふわしっ放しの僕はともかく、ならいいんだけどね、と言われた家守さんは、しかしそこでこの話題を打ち切ろうとはせず、「ただまあ」と。
「今みたいな捉え方されるのも仕方ない言い方ではあったかな。ごめんね、配慮が足りなかった」
高次さんとの関係を本来そうあるべき形じゃない、歪められたものだと思っているなら。
家守さん自身が全くそんなふうに思っていない、というのはここまでの遣り取りから明らかではあるのですが、しかしその全く思っていない――つまりは全く見当外れな意見が捉え方一つで、しかも結果は外れだったにせよそう思い至る過程それ自体に無理があったわけでもないのに出てきてしまうというのは、まるであの言葉が再現されたかのようなのでした。
分かったつもりで適当なこと言ってるだけ、という。
もちろんそれが「ある意味当たり前でありまた悪い面ばかりというわけでもなく、なので無闇矢鱈に不安がるようなことではない」というようなことだというのは、ここまでに話してきたわけですが。
「いや、こっちのだって余計な勘繰りではあったんだし。仕方ないって言うなら、それはどっちがどうって話じゃなくて――ね」
「まあね」
どっちがどうという話ではなく、ならば何なのか。
という一番肝心な部分を省略する背の高い男性でしたが、しかし家守さんもそれだけで察しが付いたようでした。
……もういっそ、「察しを付けるまでもない」といったところでしょうか? なんせ今している話というのは、初めからそれを基礎としているのですから――という確認すら必要ない程、それは意識的にも無意識的にももう何度も繰り返している程の、大前提なのですから。
家守さんがかつて犯した過ち。それが前提となっている限りは、言い回しが多少後ろ向きなものになりがちだったり、相手を疑って掛かるような物言いになったりするのは仕方がない。と、いま背の高い男性が言ったのはそういうことなのでしょうが、しかし。
これもまた確認するまでもないことではあるのですが、その前提となっているものを作り出したのは家守さんなわけです。ならば、そうしようと思えば、「仕方ない」で済ませることなく家守さんの責任を追及することもできはするのでしょう。
が、この場の誰も、家守さんを許せていないという背の高い男性ですら、そうしようという動きは見せなかったのでした。
「分かられたい、か」
そうしようとしなかった背の高い男性は、その代わりというわけではないのでしょうが、ぽつりとそんなふうに呟きました。
分かられたい。家守さんがその言葉を口にしてからはもう少々の時間が経過していて、ならばそれは逸れそうになっている話題を元の鞘に戻そうとしている、というふうにも見えなくはなかったのですが――。
「それなのかな、僕に足りなかったのは」
どうも、そういうわけではないようなのでした。
「ん? 今その話?」
話題を戻そうとしている、ということならそういう反応にはなりませんよね。ということで、どうやら家守さんも僕と似たような判断をしたらしいのでした。
「ああ、うん。ちょっとね」
すると背が高い男性、少し困ったような笑みを浮かべつつ、頭を掻いてもみせます。彼のそんな様子は珍しい、などと今日初めて会ったばかりの人に対してそんなふうにも思ってしまうわけですが、しかしそれは今の発言があってのものではあるのでしょう。
僕に足りなかったのは。
もちろん詳しい説明が欲しいところではありますが、しかしそこだけ聞く分には自分を省みているような――いや、そこはもう間違いないと見てもいいんでしょうけど、これまで何かにつけて刺のある言い方をしてきた彼がここにきてそれとなると、やはり必要以上に気に掛かってしまうわけで。
「ずっと考えてたんだよね」
必要以上に気に掛かってしまうその話は、しかしこちらから求めるまでもなく本人の口から。
「僕とみんなで何が違うのかって。四人とも立たされた状況は同じだったのに、なんで僕だけがこうなのか――というか、なんでみんなは家守ちゃんをあっさり許せたんだろうかってね」
それは、個人差、と言ってしまえばそれまでな話ではありましょう。しかし過去の出来事を思えば彼のスタンスが間違っていると言えるわけではなく、ならばそれが、四人の中で一人だけという「少数派」に収まっているのは何故なのかと、言われて初めてではありますが気になると言えば気になるところではありました。
話の流れからすればその理由、原因が、さっき彼が呟くように言った「分かられたい」という気持ちであると、そういうことになるのでしょうが……なんてふうに思ってみたところ、するとここで、髪の短い女性が動きました。
「あっさりってわけじゃない。私達だってそれなりに時間は掛けたし」
その表情からは、僅かながらも憤りが感じられます。友人として再び懇意にするという着地点に辿り着きはしても、だからといってその過程を、たとえその着地点に反するようなものであっても軽視するわけにはいかないと、そういうことなのでしょう。
よく分かります。その気持ちは。
「ああ、ごめん。基準が僕だとどうしてもね」
これについては素直に謝罪する背の高い男性なのでした。ただ、彼の場合は立場が立場なので、見ているのは「着地点」からの視点ではなく、「着地点に反するような過程」の真っ只中から、ということにはなるのかもしれませんが。
それにそもそも、現状ではそここそが彼の着地点なのでしょうが。
「……それで、足りないっていうのは?」
謝罪を受けた髪の長い女性は、含むものはありそうなものの形の上ではあっさりと引き下がり、話の続きをするよう促します。本来ならそれは家守さんの役割ということになるのでしょうが――しかし会話の流れというのはもちろん、やはりそれが気になるのは家守さんだけではない、ということなのでしょう。
なんせ僕ですら、なんて、もう何度そう思ったかすら分からなくなってきましたが。
それはともかく、自分から話し始めたということもあるわけですし、そうまで言われれば背が高い男性がそれを拒む理由はないわけです。
「分かられたいっていう気持ち――僕の場合は、不満だよね。それを『分かられたい』と思ってたら、多分みんなと同じようになってたんだろうなって」
「私達だって不満がなかったわけじゃないよ?」
「それはもちろん。僕だってそんなふうには思ってないし、なんて、もう何度も話してきたことだけどねそれは」
そう言って笑う彼ですが、しかしそれというのはつまり、
「家守ちゃん抜きで、だけど」
ということになるわけです。
そうなってくるとその家守さんが困ったような笑みを浮かべ始めもするのですが、しかし彼はそのまま話を続けます。
「家守ちゃんに会わないことにするっていうのはつまり、分かってもらうのを放棄するってことでしょ? そりゃあみんなとはそういう話もしてきたわけだけど、だからってみんなの口から家守ちゃんに伝わって、じゃあそれでいいや、なんてことには出来やしないしね」
その話に対して、周囲から特に反論はなく。それと同様に納得したというような声も上がりはしなかったわけですが、しかし納得したとして素直に「そうですね」なんて言える状況かと言われれば――ということで、恐らくは周囲の方々も納得はしているのでしょう。
「あ、でも一応言っとくけど、『僕は間違ってた』なんて言いたいわけじゃないからね? これは飽くまで、みんなと僕で何が違ったんだろうかって話で」
「でも」
――――。
その一瞬、場の時間が止まりました。僕も例外ではなかったのですがしかし、ここではむしろ例外であるべきだったのでしょう。
なんせ何を原因にこうなっているかというのが、声を上げたのが僕だったから、なんですから。
「どうぞ」
場の空気が止まったのは一瞬、ということで、ならばそれを再び動かし始めた彼の判断は素早かった、ということにもなりましょう。背が高い男性は、そりゃあ周囲の誰より強固に止まってしまっている僕へ、そう声を掛けてくるのでした。
ほっとしつつ、けれど恐縮もしながら、僕はつい口にし掛けてしまった言葉を改めて。
「『自分に足りなかったのは』って、そう言ってましたよね? その言い方だと――そういうことになるんじゃないかな、と」
自分は間違っていた、という思いがあったからそんな言い方になったんじゃないかと、そういう話。ただ本人ならともかく僕が「間違っていた」なんて言葉を口にするのは躊躇われ、なのでこんなぼかすような言い方になってしまったりもしたわけですが。
とはいえそれで伝わらないなんてこともやはりなく、
「なるほどね」
しかも機嫌を損ねるどころかむしろ口の端に笑みを浮かべさえしながら、背が高い男性は一度大きく頷いてみせるのでした。
「そんな顔することないよ日向さん。第三者の視点っていうのは貴重だからね、この話については。毎度毎度この五人――いや、僕は家守ちゃんと会ってなかったから四人なんだけど、ここにいるメンバーでしか話をしてこなかったしね」
「は、はあ」
そんな顔、というのがどんな顔なのかは気にしないでおくことにしますが、でもまあ、そうなるんでしょうねやっぱり。そうそう他人に聞かせられる話でもないでしょうし、この五人の中だとどうやったって気遣いやら何やらで雁字搦めになっちゃったりもするんでしょうし。
いま僕が言ったことだって、気付いたけど言えない、というような人がもしかしたらいたのかもしれませんし。
……まあだからといって、じゃあここからは積極的に発言しよう、なんてことにはならないわけですが。
「足りない、ねえ。確かにそれは間違いなく後ろ向きな言い方だけど……うーん、無理矢理にでも『間違ってる』とは別の解釈を求めるとするなら」
無理矢理、と自分でそう言ってしまう彼。しかし今度のそれは流石に指摘されて初めて気が付くものではなさそうですし、ならば意識して持ち出した表現なのでしょう。
「初めからそこだけは否定してなかったつもりだけど、家守ちゃんとはまだ友達だと思ってるから、とかね。長い間自分から距離を空けておいて何だけど、気軽に会って話ができるっていうなら、やっぱりそっちのほうがいいんだろうし」
それが間違ってる間違ってないの話ではなく、ただ友達と会えるか会えないかという話。どちらが良いかと言われたら、そりゃあ誰だって友達と会う方を選ぶものなのでしょう。なんせ友達なんですから。
――というようなことを言った彼がここで視線を動かし始めるわけですが、しかしその先にいたのは家守さんではなくその周囲、自分と同じ境遇でありながら正反対の対応を取っていた、他三人の友人達なのでした。
「もしかしたら僕は、みんなが羨ましかったのかもね。自分でみんなと違う道を選んだのに何言ってんだって話だけどさ、これも」
他三人の友人達へ向けてそう言った彼ではあったものの、しかし先程の僕と同様――なんて言い方をするのも変な感じですが――反応したのは三人のうちの誰かではなく、家守さんなのでした。
「そんなことないよ。……選んだんじゃなくて、選ばされたんだもんさ。アタシに」
その時の家守さんの表情に比べれば、僕が指摘された「そんな顔」なんて、大したことはないのでしょう。
彼が今言ったのと同じく、家守さんだって彼のことを今でも友人だと――いや、それどころか認識を改め、人格をほぼ入れ替えてまで「友人だと思い直した」家守さんが、その友人に対してそんなことを言わなくてはならないのが、辛くないなんてことがあるわけがないのです。
となれば僕としては――そこじゃないだろうとお叱りを受けるかもしれませんが、ここで気になるのは栞の様子なのでした。家守さんを大事に思っている度合いで言えば、ここにいる友人四人にも負けない、個人的な見解を言わせてもらえばいっそ勝っているくらいですらある栞が、その家守さんのこんな様子を見てしまったら……。
と、そう思ったのですが。
「ん?」
「いや」
睨みに転化する一歩手前とでも言うべきか、そこにあったのは力強い眼差しでした。どうやら僕は、まだ栞に対して侮りがあったようで。
僕と栞の短い遣り取りにいくつかの視線が向けられもしますが、しかし気に掛けるようなものではなさそうだと判断されたのか、それらはすぐに家守さんの方へと。
ならば視線だけでなく話題もそちらへ戻ることになるわけですが、
「アタシが言っていいことじゃない、っていうのは承知のうえで言わせてもらうけどさ」
と、家守さん。その時点で既に不穏な物言いではあるのですが、しかしそれを受ける背の高い男性は、「うん」とだけ。
あまりの動じなさから、まるでこうなると初めから分かっていたんじゃないかとすら――いや、もう分かるという話ではなく、分かろうが分かるまいがいつそうなってもいいように覚悟していた、ということなんでしょうか? 不穏と言うならこの話自体、最初から不穏なものではあるわけですし。
「許せないっていうなら、会って怒って欲しかった」
わがまま、ということになるのでしょうか。一音を発する度に家守さんは下を向いていき、声をか細くさせていきました。
「会ってもらえないってことだと、本当にもう、それ以上どうしようもなくなっちゃって……」
そして言い終える頃となるともう完全に下を向いてしまっていて、表情を窺うことすらできない状態に。
言っていいことじゃない、という前置きのこともあり、だったらそんなふうになってまで言わなくてもよかったんじゃあ、なんてついつい思ってもしまうわけですが――でも、この場合それは逆ということになるのでしょう。言わなきゃならないからそんなふうになってまで言っている、ということなのでしょう。
「うん」
対して背の高い男性は調子を崩すことなく、これまで通りのあっさりとした返事。もちろん後ろに立つものがあるからそんな調子でいられる、ということではあるのでしょうが、しかしこの場面でとなると周囲から――特には髪が短い女性から、厳しい視線が送られたりもするのでした。
が、
「ごめん」
やはり調子はそのままながら、しかし背の高い男性は、ここで家守さんに謝罪の言葉を向けるのでした。
捻くれた見方をするなら、それでもまだ自分の行動を省みるつもりはない、という意味での「ごめん」だと、そんなふうに捉えられなくもないのでしょうが――しかしどうやらこの場においてそんなふうに考える人は一人もいなかったようで、厳しい視線は驚いたようなものになり、そして家守さんも、弾かれたような勢いで顔を上げるのでした。
「――えっ」
顔を上げてからそうして反応ができるまでには、数瞬の時間を要したりもしたのですが。
「うん……まあ、何回も言いたくはないんだけど……」
緊張しているようでもあり緩んでいるようでもあり、というなんとも形容しがたい笑みを浮かべながら、背が高い男性はそんなふうに。となると家守さん、驚きに満ちていた表情をそれこそ緊張させて、慌てたように「あっ、いや、ごめんごめん」と。
「聞こえてたよちゃんと。ありがとう――では、ないんだろうけどさ」
「受け取り方は家守ちゃんに任せるよ、僕じゃあどうも捻くれたふうにしか考えられないから。……自分の口から出た言葉でもね」
「…………」
そんなふうに言いながら悲しそうな――いや、疲れたような顔になりもする背が高い男性に、家守さんは押し黙ってしまいました。
だから、ということなのかどうかは分かりませんが、彼はそのまま話を続けます。
「『相手のことを分かったつもりで適当なこと言ってるだけ』――なんて言いながら、そもそも自分のことからして分かってなかったんだよね、僕は。今更、ここまで来てからみんなのことが羨ましかったとか――」
そう言ってその「みんな」、つまり自分を除いた家守さんの友人三人を一人ずつ視界に納めていった彼は、しかしその後はまた、その視線を家守さんへと。
「あと、会わないでいたくせに、会って怒って欲しかったっていう今の話にすんなり納得させられちゃったりね。普通に考えたらそんなの分かり切ってることなのに……」
そこだけは、という言い方になるのは仕方ない、というかそれが正しいということになるのでしょうが――。
「だから家守ちゃん、そこだけは本当にごめん」
ともあれそうして彼は、ずっと家守さんを許せないでいた彼は、その家守さんに対して頭を下げてみせるのでした。そして、
「って、何回も言いたくないって言ったばっかりなくせにさっそく二回め言ってたりな」
笑いながらそんな指摘をした背の低い男性に、「あはは、本当にね」と一緒になって笑ってみせもするのでした。
ならばその「誰にでもある話」で僕は、
「そんな驚いたような顔する話だった?」
と、向かいの席からそんなふうに言われてしまったりも。ちなみにその向かいの席の女性は、今の家守さんの話に対してなのかそれとも僕の顔に対してなのか、質問を投げ掛けておきながらも頬を緩ませていたりするのでした。
「あ、いや、分からないってことではないからね? 僕だってそうだし」
頬を緩ませている、ということで機嫌を損ねたふうではないのでそんな心配は無用なのかもしれませんが、一応はそんなふうに釈明をしておきます。
自分はそんなふうに思った試しがない、なんてことになるとそれは彼女――栞としては、あまり耳触りの良い話ということにはならないでしょうしね。
……まあ、冷やかな対応に発奮させられて料理にのめり込んだ男が「分かられたいと思ったことがない」だなんて言ったところで、笑い話以上のものにはならないですが。
「やっぱ誰にでもあるもんかね、これくらいは」
そう言って笑ったのは家守さん。しかしこれまた笑ってらっしゃるということで、特にそれを残念がっているとか、そんな様子ではないのでした。
ならばその調子のまま、続けてこんなふうにも。
「でもその気持ちの強さだったら負ける気しないよアタシ。って、胸張って言うようなことでもないんだけどさ」
「張るまでもなく出っ張ってるし?」
「おうおう、お望みなら顔埋めてやるぞかかってこい」
髪の長い女性が唐突にじゃれ付き出しますが、家守さんこれには即座に対応。実に慣れた様子でいらっしゃる――ということは、彼女は普段からそういうこと言ってくる人なんでしょうね。
しかし、どーんと構えるのは結構なのですが、だからといって胸を叩いてみせないでください。目の保養、もとい目のやり場に困ります。それだけで揺れちゃうんですから。
……ということはつまり、僕はともかく他二人の男性の前でそういうことをするのにも、家守さんはすっかり慣れちゃってるんでしょうね。
「とまあ、それは後回しにしといてだね」
後回しにはしつつも冗談では済ませないらしい家守さんは、先程の話の続きを。
「なんで胸張れないかっていうのは、その『分かられたい』の根っこにあるのが、高次さんに寄っ掛かりたいっていう思いだからだね。頼りにするって言ったらそれっぽいけど、甘ったれてるだけって見方もできるわけで」
その話を聞いてまず頭に浮かぶのは、では何が家守さんをその「甘ったれ」にさせてしまっているのか、という点なのですが……しかしそれは、疑問に思ったという話ではありません。むしろその逆で、答えが初めから分かっているが故にそこへ至る途中経過が頭に浮かんだ、ということだったりします。
もしかしたらそんなふうに思ったのは僕だけかもしれませんし、そもそも思い浮かべたその答えが合っているという保証もありはしないわけですが――とはいえ。
今この場にいる友人四人に対する過去の過ち。
まず間違いなく、今の話の根底にあるものはそれなのでしょう。そうでもなければ、
「まあ、そこで遠慮なく甘ったれでいさせてくれる人だからこそ、結婚しようとまで思ったわけだけどさ」
そんな話をする時に浮かべるのが憂い顔、なんてことにはならないんでしょうし。
「あら、いつもだったらデレッデレになりながらするような話なのに」
どうやら最低限そこについてだけは僕だけが思うようなことではなかったらしく、髪が長い女性は、家守さんの代わりのように微笑みながら言うのでした。
「あはは、まあ、やっぱりねえ」
となると家守さんも微笑み返し――と言っても、それは本当に微かなものだったのですが――言葉の裏に何かあると、そしてそれは言うまでもなく伝わっているものだと、暗にそう示唆してもくるのでした。
それ自体については、誰かが「やっぱりって何が?」などと尋ねるようなこともなく、なので家守さんの意図通りになった、ということでいいのでしょう。
が、しかしそれ以外のところで、
「もしもだけど、家守ちゃんがその旦那さんとの今の関係を本来そうあるべき形じゃない、歪められたものだと思ってるなら、そうまで僕達のことを気に掛けてくれなくていいよ。――正直なところ、そんなことされても気分が良くないし」
というような忠告が、目を細めてもいる背の高い男性から。
家守さんのことを許せていない、という立場を取っている背の高い男性。そんな彼の言葉としては、「気に掛けてくれなくていい」というのは、違和感とまでは言わないにしろ、引っ掛かりを覚えるものではあったのですが……しかし、それこそが正確な彼の立ち位置を表してもいるんだろうな、とも。
許せていない相手を、しかし今でも友達だと思っている。
それは決して、半端な気持ちがそうさせている、というようなものではないんでしょうしね。
「アタシ個人の話ならまだしも、高次さんにも関係ある話だし――って、あはは、当たり前なんだけどさそんなの」
そう言って笑った家守さんは、「うん、だから、そこまで後ろ向きに捉えたりはしてないよ」とも。
「高次さんに申し訳ないっていうのもあるし、あとそれ以前に、いちいちそんなふうに思ってたら結婚どころか付き合い始めるところまですら漕ぎ着けられなかっただろうな、とかね。一緒にいたら疲れるって、そんな関係にある人を『好きな人』とは言わないんだろうし」
続けてそんなふうに語りもした家守さんの口調は、それまでより少々駆け足であるように感じられました。それはつまりどういうことなのか、というのは、勝手に想像するだけとなると色々な可能性が挙げられるのでしょう。
が。
自分だけでも高次さんとでも、家守さんにとってそれは今までに何度も考えてきたことなんだろうな――と、しかし僕は頭に浮かんだ色々な可能性の中から、そんな一つを取り上げもするのでした。
「そう。ならいいんだけどね」
取り上げたものが何であれ、彼にしたって、いや彼だからこそ軽く捉えられるような話ではないんでしょうに、背が高い男性の返事はあっさりとしたものなのでした。
今度はただ直前の発想に引きずられただけなんでしょうし、ならば僕自身ですら疑いを持ってしまうような案ではあるのですが――。
もしかしたら彼もこの話を、家守さんが今のような返事をしてくるところまで含めて、これまで何度も考えていたのでしょうか。
……というふうには思いつつ、しかし前述の通り、まあ違う可能性の方が大きいんだろうけど、とも。
などとふわふわしっ放しの僕はともかく、ならいいんだけどね、と言われた家守さんは、しかしそこでこの話題を打ち切ろうとはせず、「ただまあ」と。
「今みたいな捉え方されるのも仕方ない言い方ではあったかな。ごめんね、配慮が足りなかった」
高次さんとの関係を本来そうあるべき形じゃない、歪められたものだと思っているなら。
家守さん自身が全くそんなふうに思っていない、というのはここまでの遣り取りから明らかではあるのですが、しかしその全く思っていない――つまりは全く見当外れな意見が捉え方一つで、しかも結果は外れだったにせよそう思い至る過程それ自体に無理があったわけでもないのに出てきてしまうというのは、まるであの言葉が再現されたかのようなのでした。
分かったつもりで適当なこと言ってるだけ、という。
もちろんそれが「ある意味当たり前でありまた悪い面ばかりというわけでもなく、なので無闇矢鱈に不安がるようなことではない」というようなことだというのは、ここまでに話してきたわけですが。
「いや、こっちのだって余計な勘繰りではあったんだし。仕方ないって言うなら、それはどっちがどうって話じゃなくて――ね」
「まあね」
どっちがどうという話ではなく、ならば何なのか。
という一番肝心な部分を省略する背の高い男性でしたが、しかし家守さんもそれだけで察しが付いたようでした。
……もういっそ、「察しを付けるまでもない」といったところでしょうか? なんせ今している話というのは、初めからそれを基礎としているのですから――という確認すら必要ない程、それは意識的にも無意識的にももう何度も繰り返している程の、大前提なのですから。
家守さんがかつて犯した過ち。それが前提となっている限りは、言い回しが多少後ろ向きなものになりがちだったり、相手を疑って掛かるような物言いになったりするのは仕方がない。と、いま背の高い男性が言ったのはそういうことなのでしょうが、しかし。
これもまた確認するまでもないことではあるのですが、その前提となっているものを作り出したのは家守さんなわけです。ならば、そうしようと思えば、「仕方ない」で済ませることなく家守さんの責任を追及することもできはするのでしょう。
が、この場の誰も、家守さんを許せていないという背の高い男性ですら、そうしようという動きは見せなかったのでした。
「分かられたい、か」
そうしようとしなかった背の高い男性は、その代わりというわけではないのでしょうが、ぽつりとそんなふうに呟きました。
分かられたい。家守さんがその言葉を口にしてからはもう少々の時間が経過していて、ならばそれは逸れそうになっている話題を元の鞘に戻そうとしている、というふうにも見えなくはなかったのですが――。
「それなのかな、僕に足りなかったのは」
どうも、そういうわけではないようなのでした。
「ん? 今その話?」
話題を戻そうとしている、ということならそういう反応にはなりませんよね。ということで、どうやら家守さんも僕と似たような判断をしたらしいのでした。
「ああ、うん。ちょっとね」
すると背が高い男性、少し困ったような笑みを浮かべつつ、頭を掻いてもみせます。彼のそんな様子は珍しい、などと今日初めて会ったばかりの人に対してそんなふうにも思ってしまうわけですが、しかしそれは今の発言があってのものではあるのでしょう。
僕に足りなかったのは。
もちろん詳しい説明が欲しいところではありますが、しかしそこだけ聞く分には自分を省みているような――いや、そこはもう間違いないと見てもいいんでしょうけど、これまで何かにつけて刺のある言い方をしてきた彼がここにきてそれとなると、やはり必要以上に気に掛かってしまうわけで。
「ずっと考えてたんだよね」
必要以上に気に掛かってしまうその話は、しかしこちらから求めるまでもなく本人の口から。
「僕とみんなで何が違うのかって。四人とも立たされた状況は同じだったのに、なんで僕だけがこうなのか――というか、なんでみんなは家守ちゃんをあっさり許せたんだろうかってね」
それは、個人差、と言ってしまえばそれまでな話ではありましょう。しかし過去の出来事を思えば彼のスタンスが間違っていると言えるわけではなく、ならばそれが、四人の中で一人だけという「少数派」に収まっているのは何故なのかと、言われて初めてではありますが気になると言えば気になるところではありました。
話の流れからすればその理由、原因が、さっき彼が呟くように言った「分かられたい」という気持ちであると、そういうことになるのでしょうが……なんてふうに思ってみたところ、するとここで、髪の短い女性が動きました。
「あっさりってわけじゃない。私達だってそれなりに時間は掛けたし」
その表情からは、僅かながらも憤りが感じられます。友人として再び懇意にするという着地点に辿り着きはしても、だからといってその過程を、たとえその着地点に反するようなものであっても軽視するわけにはいかないと、そういうことなのでしょう。
よく分かります。その気持ちは。
「ああ、ごめん。基準が僕だとどうしてもね」
これについては素直に謝罪する背の高い男性なのでした。ただ、彼の場合は立場が立場なので、見ているのは「着地点」からの視点ではなく、「着地点に反するような過程」の真っ只中から、ということにはなるのかもしれませんが。
それにそもそも、現状ではそここそが彼の着地点なのでしょうが。
「……それで、足りないっていうのは?」
謝罪を受けた髪の長い女性は、含むものはありそうなものの形の上ではあっさりと引き下がり、話の続きをするよう促します。本来ならそれは家守さんの役割ということになるのでしょうが――しかし会話の流れというのはもちろん、やはりそれが気になるのは家守さんだけではない、ということなのでしょう。
なんせ僕ですら、なんて、もう何度そう思ったかすら分からなくなってきましたが。
それはともかく、自分から話し始めたということもあるわけですし、そうまで言われれば背が高い男性がそれを拒む理由はないわけです。
「分かられたいっていう気持ち――僕の場合は、不満だよね。それを『分かられたい』と思ってたら、多分みんなと同じようになってたんだろうなって」
「私達だって不満がなかったわけじゃないよ?」
「それはもちろん。僕だってそんなふうには思ってないし、なんて、もう何度も話してきたことだけどねそれは」
そう言って笑う彼ですが、しかしそれというのはつまり、
「家守ちゃん抜きで、だけど」
ということになるわけです。
そうなってくるとその家守さんが困ったような笑みを浮かべ始めもするのですが、しかし彼はそのまま話を続けます。
「家守ちゃんに会わないことにするっていうのはつまり、分かってもらうのを放棄するってことでしょ? そりゃあみんなとはそういう話もしてきたわけだけど、だからってみんなの口から家守ちゃんに伝わって、じゃあそれでいいや、なんてことには出来やしないしね」
その話に対して、周囲から特に反論はなく。それと同様に納得したというような声も上がりはしなかったわけですが、しかし納得したとして素直に「そうですね」なんて言える状況かと言われれば――ということで、恐らくは周囲の方々も納得はしているのでしょう。
「あ、でも一応言っとくけど、『僕は間違ってた』なんて言いたいわけじゃないからね? これは飽くまで、みんなと僕で何が違ったんだろうかって話で」
「でも」
――――。
その一瞬、場の時間が止まりました。僕も例外ではなかったのですがしかし、ここではむしろ例外であるべきだったのでしょう。
なんせ何を原因にこうなっているかというのが、声を上げたのが僕だったから、なんですから。
「どうぞ」
場の空気が止まったのは一瞬、ということで、ならばそれを再び動かし始めた彼の判断は素早かった、ということにもなりましょう。背が高い男性は、そりゃあ周囲の誰より強固に止まってしまっている僕へ、そう声を掛けてくるのでした。
ほっとしつつ、けれど恐縮もしながら、僕はつい口にし掛けてしまった言葉を改めて。
「『自分に足りなかったのは』って、そう言ってましたよね? その言い方だと――そういうことになるんじゃないかな、と」
自分は間違っていた、という思いがあったからそんな言い方になったんじゃないかと、そういう話。ただ本人ならともかく僕が「間違っていた」なんて言葉を口にするのは躊躇われ、なのでこんなぼかすような言い方になってしまったりもしたわけですが。
とはいえそれで伝わらないなんてこともやはりなく、
「なるほどね」
しかも機嫌を損ねるどころかむしろ口の端に笑みを浮かべさえしながら、背が高い男性は一度大きく頷いてみせるのでした。
「そんな顔することないよ日向さん。第三者の視点っていうのは貴重だからね、この話については。毎度毎度この五人――いや、僕は家守ちゃんと会ってなかったから四人なんだけど、ここにいるメンバーでしか話をしてこなかったしね」
「は、はあ」
そんな顔、というのがどんな顔なのかは気にしないでおくことにしますが、でもまあ、そうなるんでしょうねやっぱり。そうそう他人に聞かせられる話でもないでしょうし、この五人の中だとどうやったって気遣いやら何やらで雁字搦めになっちゃったりもするんでしょうし。
いま僕が言ったことだって、気付いたけど言えない、というような人がもしかしたらいたのかもしれませんし。
……まあだからといって、じゃあここからは積極的に発言しよう、なんてことにはならないわけですが。
「足りない、ねえ。確かにそれは間違いなく後ろ向きな言い方だけど……うーん、無理矢理にでも『間違ってる』とは別の解釈を求めるとするなら」
無理矢理、と自分でそう言ってしまう彼。しかし今度のそれは流石に指摘されて初めて気が付くものではなさそうですし、ならば意識して持ち出した表現なのでしょう。
「初めからそこだけは否定してなかったつもりだけど、家守ちゃんとはまだ友達だと思ってるから、とかね。長い間自分から距離を空けておいて何だけど、気軽に会って話ができるっていうなら、やっぱりそっちのほうがいいんだろうし」
それが間違ってる間違ってないの話ではなく、ただ友達と会えるか会えないかという話。どちらが良いかと言われたら、そりゃあ誰だって友達と会う方を選ぶものなのでしょう。なんせ友達なんですから。
――というようなことを言った彼がここで視線を動かし始めるわけですが、しかしその先にいたのは家守さんではなくその周囲、自分と同じ境遇でありながら正反対の対応を取っていた、他三人の友人達なのでした。
「もしかしたら僕は、みんなが羨ましかったのかもね。自分でみんなと違う道を選んだのに何言ってんだって話だけどさ、これも」
他三人の友人達へ向けてそう言った彼ではあったものの、しかし先程の僕と同様――なんて言い方をするのも変な感じですが――反応したのは三人のうちの誰かではなく、家守さんなのでした。
「そんなことないよ。……選んだんじゃなくて、選ばされたんだもんさ。アタシに」
その時の家守さんの表情に比べれば、僕が指摘された「そんな顔」なんて、大したことはないのでしょう。
彼が今言ったのと同じく、家守さんだって彼のことを今でも友人だと――いや、それどころか認識を改め、人格をほぼ入れ替えてまで「友人だと思い直した」家守さんが、その友人に対してそんなことを言わなくてはならないのが、辛くないなんてことがあるわけがないのです。
となれば僕としては――そこじゃないだろうとお叱りを受けるかもしれませんが、ここで気になるのは栞の様子なのでした。家守さんを大事に思っている度合いで言えば、ここにいる友人四人にも負けない、個人的な見解を言わせてもらえばいっそ勝っているくらいですらある栞が、その家守さんのこんな様子を見てしまったら……。
と、そう思ったのですが。
「ん?」
「いや」
睨みに転化する一歩手前とでも言うべきか、そこにあったのは力強い眼差しでした。どうやら僕は、まだ栞に対して侮りがあったようで。
僕と栞の短い遣り取りにいくつかの視線が向けられもしますが、しかし気に掛けるようなものではなさそうだと判断されたのか、それらはすぐに家守さんの方へと。
ならば視線だけでなく話題もそちらへ戻ることになるわけですが、
「アタシが言っていいことじゃない、っていうのは承知のうえで言わせてもらうけどさ」
と、家守さん。その時点で既に不穏な物言いではあるのですが、しかしそれを受ける背の高い男性は、「うん」とだけ。
あまりの動じなさから、まるでこうなると初めから分かっていたんじゃないかとすら――いや、もう分かるという話ではなく、分かろうが分かるまいがいつそうなってもいいように覚悟していた、ということなんでしょうか? 不穏と言うならこの話自体、最初から不穏なものではあるわけですし。
「許せないっていうなら、会って怒って欲しかった」
わがまま、ということになるのでしょうか。一音を発する度に家守さんは下を向いていき、声をか細くさせていきました。
「会ってもらえないってことだと、本当にもう、それ以上どうしようもなくなっちゃって……」
そして言い終える頃となるともう完全に下を向いてしまっていて、表情を窺うことすらできない状態に。
言っていいことじゃない、という前置きのこともあり、だったらそんなふうになってまで言わなくてもよかったんじゃあ、なんてついつい思ってもしまうわけですが――でも、この場合それは逆ということになるのでしょう。言わなきゃならないからそんなふうになってまで言っている、ということなのでしょう。
「うん」
対して背の高い男性は調子を崩すことなく、これまで通りのあっさりとした返事。もちろん後ろに立つものがあるからそんな調子でいられる、ということではあるのでしょうが、しかしこの場面でとなると周囲から――特には髪が短い女性から、厳しい視線が送られたりもするのでした。
が、
「ごめん」
やはり調子はそのままながら、しかし背の高い男性は、ここで家守さんに謝罪の言葉を向けるのでした。
捻くれた見方をするなら、それでもまだ自分の行動を省みるつもりはない、という意味での「ごめん」だと、そんなふうに捉えられなくもないのでしょうが――しかしどうやらこの場においてそんなふうに考える人は一人もいなかったようで、厳しい視線は驚いたようなものになり、そして家守さんも、弾かれたような勢いで顔を上げるのでした。
「――えっ」
顔を上げてからそうして反応ができるまでには、数瞬の時間を要したりもしたのですが。
「うん……まあ、何回も言いたくはないんだけど……」
緊張しているようでもあり緩んでいるようでもあり、というなんとも形容しがたい笑みを浮かべながら、背が高い男性はそんなふうに。となると家守さん、驚きに満ちていた表情をそれこそ緊張させて、慌てたように「あっ、いや、ごめんごめん」と。
「聞こえてたよちゃんと。ありがとう――では、ないんだろうけどさ」
「受け取り方は家守ちゃんに任せるよ、僕じゃあどうも捻くれたふうにしか考えられないから。……自分の口から出た言葉でもね」
「…………」
そんなふうに言いながら悲しそうな――いや、疲れたような顔になりもする背が高い男性に、家守さんは押し黙ってしまいました。
だから、ということなのかどうかは分かりませんが、彼はそのまま話を続けます。
「『相手のことを分かったつもりで適当なこと言ってるだけ』――なんて言いながら、そもそも自分のことからして分かってなかったんだよね、僕は。今更、ここまで来てからみんなのことが羨ましかったとか――」
そう言ってその「みんな」、つまり自分を除いた家守さんの友人三人を一人ずつ視界に納めていった彼は、しかしその後はまた、その視線を家守さんへと。
「あと、会わないでいたくせに、会って怒って欲しかったっていう今の話にすんなり納得させられちゃったりね。普通に考えたらそんなの分かり切ってることなのに……」
そこだけは、という言い方になるのは仕方ない、というかそれが正しいということになるのでしょうが――。
「だから家守ちゃん、そこだけは本当にごめん」
ともあれそうして彼は、ずっと家守さんを許せないでいた彼は、その家守さんに対して頭を下げてみせるのでした。そして、
「って、何回も言いたくないって言ったばっかりなくせにさっそく二回め言ってたりな」
笑いながらそんな指摘をした背の低い男性に、「あはは、本当にね」と一緒になって笑ってみせもするのでした。
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