取り調べ可視化は捜査に支障 森法相
6月5日12時5分配信 産経新聞
足利事件で菅家利和さん(62)の再審無罪がほぼ確実になったことについて、森英介法相は5日の閣議後会見で、「検察としては極めて重く受け止めており、いずれ適切に対処すると思っている」と話した。
また、最高検に設置された検証チームに対し「十分な成果を上げ、今後の司法手続きに反映するようにしてほしい」とし、過去の事件の洗い直しについても、「個人的には、必要に応じて求められればできる限り対応しなければいけないと思う。やり方はチームで検討すること」と述べた。
さらに、虚偽の自白を引き出した取り調べをめぐる可視化(全面録音録画)問題では、「取り調べの効果を十分にあげるためには全面的な録音録画は支障になる。いろいろなご意見があって、総合的な検討は必要だが、現時点では(可視化を)容認する方向の検討はしにくい」と話した。
今回の足利事件も、他の多くのえん罪事件と同じように、犯人でもなんでもない関係のない市民が逮捕され、犯人でもないのに、取調室の中で、「私がやりました」と自白調書にサインして拇印を押しているわけです。
普通、「自分でやったといってるんだから、そりゃ犯人だろう。犯人でなければ、犯人ですと認めるわけないもの」と、考えるほうが素直ですよね。
でも、実際にはほとんどのえん罪事件で、やってもいない人がやったという自白調書を作っている。
いったい、取調室で何が行なわれているのか。
裁判になると、取調室で脅された、「本当のことを言えば」早く帰れるといわれた、自白すれば罪が軽くなるといわれた、暴力を振るわれた、嘘の情報を言われたなどなど被告人は主張するのですが、検察側証人の仏頂面の警察官は、「適正に」に取り調べをし、任意に自白を採取したものであります、というだけ。
芥川龍之介の『藪の中』になってしまっているのです。
だから、取調べを全部DVDなどに収録すればいいんです。それが取り調べの可視化。取調べに問題があったのか、法廷で延々と空中戦をして、えん罪かそうでないか、最高裁まで争い、さらに再審請求を何度もする事件の多さを思えば、ずっと安上がりな解決です。
現に、スコットランド・ヤード(英国警察)で取り入れたところ、それまでは、警察が振るってもいない暴行を振るったといって裁判になったりして困っていたが、今では全部録画しているのでそういったことがなくなり助かっているそうです。
日本の警察・検察は、何を怖がっているのか。
録音・録画されていると自然な取調べができず、被疑者から事実を聞きだすのに支障をきたす、っていうんですが、日本の警察官はシャイというわけか。全面録画してもらってると安心されると、いままでのように脅しを効かせられないのでやりにくいと思うのか。
テレビ局の何メートルもあるテレビカメラを設置するわけじゃないんですよ。むしろ、ドッキリカメラのCCDカメラに近いものも検討したらいい。
毎回、カメラが回るのが当たり前になれば、警察官も検察官もすぐに慣れますよ。
それとも、他人に見せられないような違法行為がくせになっていて、それをしないと、自白を取る自信がないということですか。
6月5日12時5分配信 産経新聞
足利事件で菅家利和さん(62)の再審無罪がほぼ確実になったことについて、森英介法相は5日の閣議後会見で、「検察としては極めて重く受け止めており、いずれ適切に対処すると思っている」と話した。
また、最高検に設置された検証チームに対し「十分な成果を上げ、今後の司法手続きに反映するようにしてほしい」とし、過去の事件の洗い直しについても、「個人的には、必要に応じて求められればできる限り対応しなければいけないと思う。やり方はチームで検討すること」と述べた。
さらに、虚偽の自白を引き出した取り調べをめぐる可視化(全面録音録画)問題では、「取り調べの効果を十分にあげるためには全面的な録音録画は支障になる。いろいろなご意見があって、総合的な検討は必要だが、現時点では(可視化を)容認する方向の検討はしにくい」と話した。
今回の足利事件も、他の多くのえん罪事件と同じように、犯人でもなんでもない関係のない市民が逮捕され、犯人でもないのに、取調室の中で、「私がやりました」と自白調書にサインして拇印を押しているわけです。
普通、「自分でやったといってるんだから、そりゃ犯人だろう。犯人でなければ、犯人ですと認めるわけないもの」と、考えるほうが素直ですよね。
でも、実際にはほとんどのえん罪事件で、やってもいない人がやったという自白調書を作っている。
いったい、取調室で何が行なわれているのか。
裁判になると、取調室で脅された、「本当のことを言えば」早く帰れるといわれた、自白すれば罪が軽くなるといわれた、暴力を振るわれた、嘘の情報を言われたなどなど被告人は主張するのですが、検察側証人の仏頂面の警察官は、「適正に」に取り調べをし、任意に自白を採取したものであります、というだけ。
芥川龍之介の『藪の中』になってしまっているのです。
だから、取調べを全部DVDなどに収録すればいいんです。それが取り調べの可視化。取調べに問題があったのか、法廷で延々と空中戦をして、えん罪かそうでないか、最高裁まで争い、さらに再審請求を何度もする事件の多さを思えば、ずっと安上がりな解決です。
現に、スコットランド・ヤード(英国警察)で取り入れたところ、それまでは、警察が振るってもいない暴行を振るったといって裁判になったりして困っていたが、今では全部録画しているのでそういったことがなくなり助かっているそうです。
日本の警察・検察は、何を怖がっているのか。
録音・録画されていると自然な取調べができず、被疑者から事実を聞きだすのに支障をきたす、っていうんですが、日本の警察官はシャイというわけか。全面録画してもらってると安心されると、いままでのように脅しを効かせられないのでやりにくいと思うのか。
テレビ局の何メートルもあるテレビカメラを設置するわけじゃないんですよ。むしろ、ドッキリカメラのCCDカメラに近いものも検討したらいい。
毎回、カメラが回るのが当たり前になれば、警察官も検察官もすぐに慣れますよ。
それとも、他人に見せられないような違法行為がくせになっていて、それをしないと、自白を取る自信がないということですか。
これは元検察官の大学教授の方がおっしゃっていたのですが、全て可視化すると被告人との信頼関係が築けなくなってしまうそうです。
被告人の恥部とも言える部分を聞き出さなければならない場合でも、録画されていることを意識して話してもらえなくなってしまう恐れがあるそうです。
これは検察官を経験していないと理解してもらえないと教授はおっしゃっていました。経験すれば全面可視化には賛成できないはずだ、とも・・・。
難しい問題だと思います。
ちなみに、その教授は一部可視化には賛成されていました。
たかしさん。
いい検察教官にあたっているようですね。
検察官は必ずそういう説明です。実は警察官もそうです。
全部録画してたら信頼関係が作れないって。僕はそれは嘘だと思っているんですが、もしおっしゃるとおり、録画がなければ90%の信頼関係を作れたのに、全面録画制度のせいで70%になってしまうとしても、えん罪事件で自白調書が取られていることがほとんどである以上、適正な捜査を担保するためには、全面録画はやむを得ない代償です。
密室の中で誰も見ていないところで100%すべての警察官と検察官がまともでいるはずだ、というのは、弁護士や国民どころか、当の検察官や警察官も心からは信じていないのでは?
で、そこでのキーワードは、たかしさんのいうように、信頼関係。
もとさんからすれば、いびつかもしれない。確かに取り調べるものと取り調べられるもの。
しかし、検事が被疑者・被告人に人間として真摯に向き合い続ける中で、信頼関係が徐々に生まれ、そして、被疑者は「落ちる」んだと。
物語としても面白いし僕はそういうことが検事と被疑者でありうるだろうと思います。
ただ、最近、検察庁の不祥事があまりにも目に付くので、モラルが低下しているだけではなく、「一個の人間として真摯に被疑者に向き合う力」まで落ちているのだろうなあと危惧しています。
僕らが弁護士になった20年前の弁護士会はもっと輝いていたし、筋を通しながら駆け引きをするのが、つまり普通の弁護士が法廷でやってることが巧みでしたわ。
小泉、安倍、麻生と主将を見てると、国民は内閣総理大臣になにか面白いことを言って笑わせてほしいんでしょ?福田はそれでは説明つかないけど。
国民が政党・政策を選ぶ動機は、郵政選挙の小泉への幾万の写メールのフラッシュから、変ったままだと思います。
日弁連は法曹人口などの問題も何が国民のためになるかではなくて、何を言ったら国民に受けるかもしくは総すかんを食うか、そればかり考えているように見えます。
弁護士はたった一人でも全世界を相手に「この被告人は無罪です!」とやらなきゃいけない宿命を持った仕事なのに、人の顔色見すぎです。日弁連総政治家化というべきかな。
被疑者・被告人も検察官、警察官も一人の人間である以上、そこに人間同士の信頼関係が生じうるのですね。そこから被疑者・被告人が心を開くということもあるのですね。。。
取り調べの可視化を認めない現状では、今回のような冤罪が発生しないようにするためには、検察官の法律家としての良心、警察官の職業人としての良心に期待するしかないのでしょうか。。。
でも、彼らは個人が集まったサークルではなくて、権力機関。
人間偉くなればなるほど自分の過ちを認めないし隠したがる。
だから見えるようにしましょうねというのが可視化の主張です。
人間だからほとんどいい人ばかりだと思います。でも絶対腐敗するので手を打っておこうと。
自由と人権を守る場合、国家権力に対しては懐疑的なくらいでちょうどいいのでしょう。