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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

成年被後見人の選挙権裁判 画期的な違憲判決に国が控訴しないよう、署名をお願いします!

2013年03月23日 | 人権保障と平和

 

主権者が権利を行使する最大の場面である選挙権は、たとえ成年後見を受けていても奪ってはならない。

「べからず選挙法」の打破を1 成年被後見人の選挙権はく奪は違憲 3・28国に控訴させないためにご協力を」

で書いた、画期的な違憲判決の控訴期限が3月28日に迫っています。

弁護団から以下のような控訴断念署名への協力依頼がありました。

5分で出来ますので、皆様、是非是非ご協力くださいませ。

賛同者の署名は法務省へ届けられます。

是非、この夏、日本中の成年被後見人の方々を、選挙に行かせてあげてください!

 
 

 違憲判断の前提として、同裁判所は、社会に暮らす様々な差違を持つ人々の存在について言及し、その人たちがそれぞれ選挙権を行使できることの重要性と民主主義に思いを致して判決し、これを法廷で説明され、最後に、原告に向かって「どうぞ選挙権を行使して社会に参加して下さい。堂々と胸を張っていい人生を生きて下さい。」と声をかけられ、全国の障害当事者および関係者に大きな感動を与えました。 

 現実に選挙する能力を持たない者を、今の成年被後見人が十分補足しておらず、過度の人権制限になっていることは、誰の目に見ても明らかです。

 翻って、生まれながらに、あるいは病気などで障害をもった者などがいて、多くの場合、社会的な偏見や制約の中でたくさんのことをあきらめたり、尊厳をもって生きることが難しかったりする状況にあります。例えば、みなさんのお子さんが一人前の主権者と扱われないとき、その意味がどれほど大きいか、一度そのことを本気で考えなければ見落としてしまうことです。 
このような立場の者を対象にしているこの公選法11条1項1号は、もっとも弱く、抵抗できない人たちの権利を過度に制限し、吟味することなく放置してきたのです。 

 判決は、必要があるなら必要がある者を対象にした法を作るべきで、他の制度をもって充て、不適当で過度な制限をすべきではないと述べています。

 ところで、こういった憲法訴訟では、多くの場合、負けた側が控訴、上告して裁判が長期化します。しかし、原告の希望は「お父さんとお母さんと一緒に選挙に行きたい」ということであり、現在父親が81歳、母親が80歳という現実を考えると、裁判の長期化は原告とその両親の思いを打ち砕くことになります。公選法は人権の侵害だという一審の判断を先送りすれば、さらなる人権侵害、人として悔やんでも悔やみきれない悲しい侵害をもたらします。 

 また、この裁判の長期化は、実は原告だけの問題ではなく、選挙権がなくなることを危惧して成年後見の申立てを控える事例が多く存在することに留意すべきです。成年後見制度は本人を個人として尊重し、本人の能力を生かす意味のある制度です。しかしこの裁判が長引けば、問題ある成年後見制度は塩漬けにされ、満足して活用されない制度になったままの状態が続くことになります。 
 公明党が成年後見制度の改正を現在強く勧めており、判決翌日にも井上義久幹事長が「立法府として重く受け止め、公選法の改正に早急に取り組むべきだ。」と発言されています。

 また、「国連障害者の権利に関する条約」に署名した日本政府が、次の手順である批准に至るには本件公職選挙法11条1項1号の存在が障害となっているといわれています。 
今回は、法務省及び総務省が、成年後見制度のさらなる活用のため、また、権利条約の早期批准のため、控訴を断念され、公職選挙法11条1項1号を削除した上での選挙制度のあり方について早急に検討されるよう強く要望します。

控訴期限は28日です。 
 これまでに国が控訴を断念したことはほとんどなく、その決断は容易ではありません。 
 しかし、判決に対する有力な反論がなされるとは考えられず、たんなる慣習によって、原告の権利回復が制限されるべきではありません。 
できる限り大勢の国民の声を法務省に届けて、何とか、控訴断念という決断につなげてほしいと思います。ご協力お願いします!

 

たまには正義に勝ってほしい!

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4 コメント

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感動して同感 (名古屋のジョー)
2013-03-26 16:40:04
 成年被後見人は現公職選挙法11条1項1号では、永久に選挙権は回復できません。
  次の者には選挙権及び被選挙権を与えない。として、1号に成年被後見人があげられ、以下の号では、犯罪に関係するものばかりです。
 ところが、成年後見人が死亡、事故、病気等でその業務が不可能になったときには、地裁はすぐに後任の後見人を選任します。ですから、選挙に関しては、成年被後見人は終身刑をせんこくされたのに等しいのです。犯罪者も刑期が満了すれば、また選挙できるのに、およそ犯罪に縁遠い人が死ぬまで選挙できないなんて、こんなベラボーな話が罷り通っていること自体がおかしいじゃござんせんか。(段々地が出てきちゃいますね)
返信する
まったくいい加減な裁判です (冷静な人)
2013-04-27 11:24:47
現行公選法に選挙権を与えないとの記述はオカシイ。
それは制限能力者であっても国籍を有する国民だからです。
しかし選挙権の行為つまり投票が制限されたとしても違憲ではない。判決も一律で、と言っています。制限されて当然の者がいるといっているのです。

この裁判官は、地裁レベルの判事が、どうぞ投票して下さいと、いっているがそんな事をいう権利はは裁判所にありません。越権行為です。
この判決は控訴され複数の判事の判断をあおぐべきことでした。

現実問題として、誰が判断できる成年被後見人でだれができない人なのか、判断は困難です。
その制度内に完全に判断できない人も多数いるのですから。
判断できるとされた人も、いつ完全にできない人となるかも知れません。
完全にできない人ができる人になるかもしれません。

そもそも判断できると言う人なら、この制度においてはならないのです。

この地裁判事や弁護士は、問題解決のセンスがない。

返信する
成年後見って (ss)
2015-02-06 15:20:13
2013年の選挙権違憲訴訟に対するメッセージを読ませていただきました。
この時、裁判長の、これからは選挙権を行使して、堂々と胸を張って生きて下さい、といったコメントを見て、なんだかとても違和感をおぼえたのは私だけでしょうか・・・
人を上から見下ろして、諭すような口調は、普段、犯罪者に対して諭したりしているから自然と出てしまったのかもしれませんが、そもそも、基本的人権を能力を理由に剥奪していた法律がまちがっていたのであって、それを長年放置してきた国の責任は重大であり、罪もない人々に不当な人権侵害をして悲しい思いをさせてきたことに、国として謝罪すべきではないのでしょうか。
本来誰にでもあるものを取り上げていたのだから、謝って当然と思いますが、悪かった、という意識が感じられませんでした。
逆に、障害者に対して自分は寛容だ、いいことしました、みたいな善人づら(失礼!)が、とても不快です。

しかし、2014年に入り、障害者の権利条約も批准されて、この成年後見の人権問題が、選挙権に限った話ではなく、もっと根本的な、財産権、自由権、自己決定権、幸福追求権の侵害である、制限行為能力者制度そのものが違憲である可能性が濃厚となりました。
権利条約12条に抵触、とは以前から言われています。

選挙権訴訟では、お父さんがダウン症の娘さんの後見人であったため、財産権や自己決定権については争われていませんが、これは、後見申立などしなくても、お父さんが事実上の後見人の役割をずっとしてきて、お父さんは自分が死んでも自分に代わってこの子の父となってくれる人が続くように、と申立されたと思います。
娘さんが成人はしているものの、ずっと父親役を求めている(本人の意向かはわかりませんが)ケースです。
しかし、成年後見を申し立てられる人は、このような例ばかりではありません。
高齢になったり、病気や事故の後遺症で障害が残ったりした人、これまで社会人として自立し、立派に社会貢献をしてきた成年者が、障害等を理由に周囲から申立をされてしまうことによって、私有財産を突如剥奪され、不名誉な無能者の刻印を押されて、社会から排除され、絶望的な屈辱を味わわされるケースが多発しています。
一個の社会人としてみなされなくなり、自分の人格を他人に代理されてしまうのです。
本人をないがしろにして、皆が後見人とされた人の方に向かって話をし、本人に関する事柄を決定します。
地域社会での共生、個人の尊厳、などと謳いながら、本人の意向を全く無視して、一裁判官がこの審判を下します。
本人が嫌だと言っても、書類上意志がないことにされて強制執行ですから、これは福祉ではなく刑罰ではないか、しかも一度決定したら通常死ぬまで解放してくれない、となると、誤認逮捕、冤罪による終身刑、とでもいうのでしょうか、あまりに酷いケースが出てきました。
(誤認逮捕というのは、事理弁識能力を欠くとはいえない人にまで後見審判が下されているという意味です。)
名古屋さんにしても、知能指数がどうであれ、心神喪失や心神耗弱状態では全くない、どう見ても正気です。)

世界の潮流からみても、こうした法律とその運用実態は、時代錯誤です。
世界各国では、1990年代に成年後見改革が吹き荒れ、今では、能力に関係なく全ての人間が権利の主体であり、法の下に平等であることが確認されています。
法定後見というものが、最後の手段として残されているにすぎず、それをしなくても様々な支援の可能性がある限り、そちらを優先するよう、個人への支援はインフォーマルな形でされるのが本来であって、国の介入は最後、そして最小限にとどめる、という考えです。
日本では、身近な家族さえも横領の危険などと犯罪者予備軍扱いし、親族同士のもめ事を理由に第3者後見人を積極的につけるなど、積極介入になっているところが問題です。
制度運用に関して、相続などを持ち出している時点で、本来の目的である本人の利益からは離れてしまっているではないか、相続とは、本人が亡くなったときに初めて発生するものであって、本人が生きているのに相続はない、将来起こりうる(起こらないかもしれない)相続争いを未然に防ぐために、家裁が財産を持っている人の財産を凍結して管理するとしたら、これは無理なことでは、、、?
本人には、生きている間に自分の財産を好きなように支配して、全部使い果たして何も残さず死ぬ権利があります。


選挙権だけでなく、全ての自己統治権は本人にある、
個別の事情に即した、ニーズにあった支援が提供される用意をするのが国の責任で、その支援を受けるかどうかは原則個人の自由ではないでしょうか。(介護保険の利用のように)
もし、制限行為能力者制度を肯定するならば、成人した国民全員に統一国家試験を課して、合格点に達しなかった者は、得点に応じて3類型に分けて、行為能力を制限しなければ、平等ではありません。
同じ能力でも、申立をされた人だけが人権を失うことは、憲法で保障された平等にも反します。
権利制限を肯定すれば、の話ですが。

この問題は、実際に人権侵害を受けている当事者が弱い立場の人であることに加えて、無能、という不名誉な烙印を押されているがために、それを世間に公表して裁判に訴えることができない、高齢者が多いため、1日1日の命のともしびがわずかであるのに、何年もかかる争い事をする気力も時間もない、ただ尊厳を踏みにじられ、ある者は屈辱を受けているとさえ感じず、無能者にされていることに気づかず、周囲から支配されている、、、こんな深刻な状況が年々増えていると感じます。
これは、周囲がなんとかしなければ、それも緊急の課題です。
なんの罪もない高齢者を、無能者とレッテルを張られたまま、死なせる気でしょうか?!
良心の呵責はないのか?
制限行為能力者制度の廃止を強く求めたいと思います。
基本的人権は人種も性別も出自も能力も無関係、人間が生まれながらに持っている権利なのだから、これを制限されうるのは公共の福祉に反する(他害)以外にありえません!
詐欺にあう危険云々、定期預金の解約や諸契約手続き云々が財産権剥奪に結びつくのは、あまりに飛躍しすぎて、非論理的です。
専門家の間ではすでに多くの議論がありますが、これを早く社会問題として皆が認識しなければ、と思います。

返信する
素晴らしい! (raymiyatake)
2015-02-06 16:15:02
ssさん、大変勉強になりました。
もはやコメントの域を完全に越えています。
二度読み返しました。

これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
返信する

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