菊江佛壇(上)
【主な登場人物】
若旦那 親旦那 番頭 菊江(芸妓) 店の皆さん
【事の成り行き】
日本橋といえば電器屋街、松屋町(まっちゃまち)は人形・オモチャの店が
集まり、船場、丼池は繊維・雑貨の店が寄ってます。そのほか鶴橋国際マー
ケットには韓国物産店が多く集まってますし、瀬戸物町なんかも陶器店が多
いですね。
大阪湾に近い西区には材木商が多く集まり、堀江立花通りには家具店が集
まるのは道理でしょう。また、家具と仏壇というのは親戚みたいなもんです
から、昔は仏壇屋が集まっていたというのもうなずけます。
堀江の仏壇、菊江仏壇。なんか、サブリミナルCMのようです。
(1998/08/09)
* * * * *
お運びありがとぉございます。今日はもぉ滅多にやらんといぅ珍しぃ噺を
聞ぃていただきますが、とにかく難しぃ噺で、誰もやらんにはやらんだけの
理由がございますわ。無茶苦茶に難しぃんでございますなぁ、ほんで「大ネ
タや大ネタや」昔から言われてます。で、あんまりオモロイことないしねぇ、
何でこれがそない大ネタになったんか……?
まぁ古い腕のある噺家がこのケッタイな噺に挑んでみよぉ、といぅよぉな
気を起こさせるよぉなところは、まぁちょいちょいあるんでございますが、
東京の桂小文治といぅ人がやらはったんですが、これがポ~ンと途中が抜け
ましてね、もぉだいぶの年やったさかい「四十五分ぐらいあるで」ちゅうて
出て二十分ぐらいしかなかった。もぉポ~ンと飛んでしもたらあとへ戻らし
まへんねん、この噺は。
夏のお噺でございます。今のよぉに冷房といぅよぉなものがなかった時代
は、寄席なんかでも夏はこの全部、戸・障子を外しまして、襖やなんか全部
簀戸(すど)にいたします。でこぉ、表の方も楽屋口もみな開けっ放しにする
と風が通りますわね。
で、表の道が舗装なんかしてありません、地道で水がざぶざぶ打ってある
ので、割りとこのヒンヤリと風が流れたもんでございましてね。さほど、今
考えるほど、今の鉄筋コンクリートで冷房が止まったといぅよぉな、そんな
状態ではございません、よっぽどしのぎ易い。
下も籐(とぉ)ムシロに変えまして、お客さんが夏は来はらへんさかいよけ
涼しいわけでございます。もぉ、バラバラバラッと座ってはるぐらいで、夏
はそんなんで入りが薄かった。でまぁ、怪談ばなしなんかやったりしたんで
すが。
お芝居の方もそぉでして、おんなじよぉにやっぱり風が通るよぉにしてあっ
た。わたしも子どもの頃のことでよぉ覚えてませんねやが、焼ける前、戦争
前の中座、何回か行ってまんねんけど、夏にぶつかったことがいっぺんぐら
いで、幕間(まくあい)にね、屋根から雨を降らすんですなぁ、タンク置いと
いてザ~ッと休憩時間に。
大して涼しぃことないんですけど、気分が違いますわ「うわぁ~、涼しぃ
なぁ」ちゅうて、あんなものはみな気分で涼しなったわけでございます、あ
れを見てるだけでね。確かに効果はあったんでっしゃろけど、それよりも精
神的な、心理的なと言ぃますかなぁ、そんなもんの方が大きかったよぉに思
います。
風鈴がこぉチリチリ鳴るんでも、別にあれで「涼しぃなぁ」ちゅうほど風
が吹いて来るわけでもないんでっしゃろが、あの音で何かこぉ涼しぃなぁと
いぅ気になるんですなぁ。
大正時代にこれは有名な話、大正初期ですなぁ、東京に橘家円喬といぅ名
人がおりまして、これが夏の暑いときに団扇や扇子もぉ波打ってますわ、そ
こでその「鰍沢(かじかざわ)」といぅ噺をやる、冬の寒いときに雪がこぉ降
りしきる、信州から甲斐の国へかけてのあの辺の山ん中の噺でございます。
ズ~ッとその描写をやってると、お客さんの団扇の波がピタッと止まって
ね、バ~ッと肌脱いでた人が、こぉ寒さを感じて納めたといぅよぉな、まぁ
名人といぅものは大したもんやといぅよぉな話が残ってます。
今のざこばがまだ朝丸と言ぅてた時分、大阪の厚生年金会館ちゅうとこで
真夏に「不動坊」といぅ雪の降る噺やってましてね、サ~ッと雪のとこやっ
てると客席のお客さんが、まくり上げてたこの袖を下ろしたりね、後ろに脱
ぎ捨ててあった上着を着たり「こいつ名人になりよったわい」思てね、で、
客席で聞ぃたら冷房が効き過ぎてたんやて。まぁまぁ、そら当たり前ですわ、
そない早よぉ名人になられたらこっちが困りますけど。
冷房が効き過ぎるのん、困りますんですなぁ。夏やみな薄もの着て出とぉ
ります、ところが冷房が効き過ぎるとかなん。冬なんか暖房が効いてまっさ
かいね、わたしなんか冬暑ぅてかなんことがあって、薄もん着たいなぁちゅ
う気になりまんねん。で、夏こぉ冷房が効き過ぎると袷(あわせ)着て着たら
よかったちゅうよぉな、あべこべになってしまいました、世の中が。
そぉいぅひと時代もふた時代も前の、明治のお噺でございますが……
■せがれ、これッ
●へッ
■どぉして、こなたはお花を見舞いに行てやらんの
じゃ、なんでいっぺんぐらい見舞いに行ってやらんのじゃ?
●「なんで?」
ちゅわれても、わたいだいたい、病人の見舞いてな嫌いでんねん
■「嫌い」
よぉそんなことが言えるなぁ……。あのお花といぅ女は、あらおまはんのな
んじゃ? 現在連れ添う女房やないかい、偕老同穴(かいろぉどぉけつ)の契
りを結んだ嫁じゃろ。いっぺんも見舞いに行てやらんといぅよぉな、薄情な
ことがあるもんかいな。
■だいたいおまはんはなぁ、移り気すぎるといぅのか飽き性じゃ。小(ち)さ
い時分に母親に死なれた不憫な子ぉじゃと思うさかい、ついつい甘やかして
しもた。わしも商売の忙しぃ最中やったさかい、目が行き届かなんだことも
あるが、甘やかして育てたもんやさかい我が侭になりくさって、物心つくか
つかんかから我が侭の言ぃ放題。ちょっと色気がついてきたら、年端もいか
んのに茶屋酒の味覚えくさって入り浸りじゃ。
■夜泊まり日泊まりしくさる、これではろくな人間になろまいと思ぉて何ぼ
意見しても馬の耳に風じゃ、お前だけわ。まぁまぁ気に入った嫁でももろて、
身ぃ固めたら変わるかも知れん思て、それが親の欲目じゃ「嫁をもらう気は
ないか」と言ぅたらお前が「実は嫁にもろぉて欲しぃ女がある」と言ぅたの
があのお花じゃ。
■「あの女を嫁にもろぉてくれたら、もぉ遊びにも出歩きません。家業にも
精ぇを出す」と、あの時立派なことぬかしたなぁ……。そんなこともあろぉ
かと思ぉて調べてもろたら、まぁ本人はもとよりご両親から、お人柄といぃ
商売仲間の評判といぃ、産毛で突いたほどの申し分もないわ。あぁ結構なご
縁じゃと思ぉて、さっそく人頼んで掛け合ぉてもろたら、先さんはお目が高
いなぁ。
■「承りますれば、お宅の若旦さんはえろぉお遊びなされた粋(すい)なお方
やそぉでございます。酸いも甘いも噛み分けたよぉな、そんなお方にうちら
の娘がもぉお側に置いていただけよぉはずはございません。世間知らずと言ぃ
たいが、まだ子どもでございます。これから仕込まんならんこともあるし、
もぉ少々手塩にかけましてご猶予をいただいたら、また先になってご縁がご
ざいましたら何分よろしゅ~……」といぅ、まぁ態(てぇ)のえぇお断りじゃ。
■縁のないもんならしゃ~ないわい、世間にはえぇ娘さんもぎょ~さん居て
はんねんやしと思て、お前に言ぅたら、あの時何じゃお前「お花が嫁にもら
えんねんやったら、わしゃもぉ誰とも所帯持つよぉな気はない。一生嫁はも
らわん」死ぬの生きるのと駄々け散らして、果てはワァワァワァワァ泣きく
さる。
■こんなやつ、と思たがまぁそこが親ばかじゃい。ヒョッとおかしな気でも
出しよらへんかと思て、恥を忍んでもぉいっぺんお願いに上がったら「それ
ほどまでに言ぅていただきますのを、これ以上強情張ってお断り申したら、
女冥利が尽きまする。行儀作法はもとより、ものの言ぃ方も分からん女でご
ざいますので、実の娘じゃと思ぉて、どぉぞお仕込みの程を願います」
■行き届いたご挨拶で嫁に迎えたんじゃ……。なんの行儀作法知らんどころ
か、言葉の端々にまで行き届いた、あんな利発な嫁女はまぁないわい。縫い
針から走り元の仕事から、華、茶、琴三味線に至るまで、女一通りの道でけ
んものはないわ。読み書き算盤かて男以上じゃ。まぁ、何といぅえぇ嫁さん
をもろたんじゃろと思て、あの時はわしゃ嬉しかったぞ。
■連れ合いを早よぉに亡くした親じゃと思ぉて、何をするにも「お父っつぁ
ん、お父っつぁん」ちゅうて立ててくれる嬉しさ。あの当座な、わしゃお仏
壇(ぶったん)の前で毎日、死んだ女房に言ぅてたわい「お前は早よ死んで可
哀相な、わしゃ長生きをしたお陰でこんな孝行な嫁をもらうことがでけまし
た。今日はあんなこと言ぅてくれた、こんなことしてくれた」ちゅうて嫁の
ノロケを言ぅてたんじゃ。
■お前もあの時は夜が明けたらお花、日が暮れたらお花、お花、お花……、
ちゅうてたが、ふた月と持たなんだなぁ……、ひと月ちょっと経つ時分に、
またぞろちょいちょいと家を空けだした。茶屋通いが始まった。夜泊まり日
泊まり、飽き性と言ぅたんが無理かい? 移り気すぎると言ぅたんが間違ごぉ
てるか?
●いや、ごもっともでおます。なるほど、おっしゃる通り、わたしゃもぉ移
り気で飽き性。えぇ、それに違いおまへんやろなぁ。まぁ、カエルの子ぉは
カエルと言ぃまっさかいなぁ
■何じゃい? その「カエルの子ぉはカエル」
ちゅうのわ? わしゃなぁ、仲間内のお付き合いのほか、御茶屋の梯子段上
がったこともない。お前らの極道と……
●いぃえ、極道が似てると言ぅてんのやおまへんねん。極道どころか、あん
さんはまぁ信心家すぎますわいな。信心は結構なこってございますけど、も
のには程っちゅうもんがおまっしゃろ。今日はどこそこの何かがあるたら、
ご座が勤まるたら、報恩講じゃとか、御開山(ごかいっさん)の、ご聖人の何
年忌じゃ、年会じゃ、あんなことばっかり言ぅて、もぉ一日おきぐらいに外
へ出歩きなはるがな。
●子どもとしたらあんた、あないして外へばっかり出て、ひょっと怪我でも
しはらへんやろか。なんかこぉ騒ぎにでも巻き込まれたりしたらかなんなぁ
と、お顔見るまでやっぱり気が休まりまへん「家に居ったかて信心はでけまっ
しゃろ、朝晩のお勤め以外にかて、あんさん信心しょ~と思たら立派なお仏
間がございまっしゃないか」ちゅうたら「いやいや、うちの小さいお仏壇よ
り、やっぱり立派なお寺さんやら、お飾りの見事なお堂へ行て信心する方が
ありがたさが違う」と、こない言ぃなはった。
●「ほんなやったら、うちにも立派なお仏壇こしらえたらどぉでんねん?」
ちゅうたら「実は立花通りのお仏壇屋に、気に入ったお仏壇があんねやけど
なぁ」とおっしゃる「それやったら買ぉてきはったら」ちゅうて、さっそく
人をもってだっせ、向こ行たところが、仏壇屋も目が高いなぁ……
●「承りますれば、お宅の親旦さんは方々の結構なところへぎょ~さんお参
りしてはります。とてもうちのお仏壇なんかお目だるぅて、お側に置いても
らえまへんやろ」と、こない言ぃはる「いや、そこを」っちゅうたら「それ
に、もぉ少々手入れしたいところもございまっさかい、ちょっとご猶予を」
とまぁ、態のえぇお断りでござましたわいな。
●ほたら、あの時あんさんどんなもんだした「あぁ、あのお仏壇にご縁がな
かったか」ゲソォ~ッとこぉなってポロポロポロポロ涙ばっかしこぼしてな
はる。ひょっと体に障って病気でも出たらいかんと思うさかい、恥を忍んで
だっせ、もぉいっぺん仏壇屋へ頼みに行たところが「それほどまでに言ぅて
いただくのなら、買ぉていただきまひょ。ろくに艶拭きもでけてまへんけど」
ちゅうので買ぉてきましたがな。
●今までのよぉなあの仏壇入れでは足らんさかい、大工やら左官(しゃかん)
やら、経師(きょ~じ)屋まで呼んで、あそこつぶしてだっせ、造作し直して
大ぉ~きな仏壇入れをこしらえましたがな。あの大きなお仏壇ごそっと納め
て、まだ人間が一人や二人入れるよぉな仏壇入れ作ってそこへ納めた。
●さぁ、納めてみるっちゅうと立派……。艶拭きができてないどころか木口
(きぐち)といぃ、飾りといぃ、金具一つとっても「いや、日本にこんなお仏
壇もぉひとつと無いやろなぁ」あの当座、あんさん夜が明けたらチャ~ンな
んまいだ、日が暮れたらチャ~ンなんまいだ。ありがたい、ありがたいちゅ
うて一日で仏間に居てる時間が一番長いといぅぐらいだしたが、ひと月と持
ちまへなんだなぁ。
●ひと月ちょっと少し過ぎた時分にな、もぁあんた「今日は何なにさんの、
今日は何たら講じゃ、御開山の何とかじゃ」言ぅて出歩きなはる……。飽き
性と言ぅたんが間違ごぉてますか?
■じゃかましぃわい! お前の極道とわしの信心とが一つになるかい……。
わしはなぁ、お前が三日帰って来(こ)よまいが、五日居続けしょ~が、そん
なもの何とも「またあのガキ……」と思てるが、来立ての花嫁の気持ちになっ
てみぃな「若旦さん今日もまたお帰りやございません。わたしが至らぬゆえ
にでございます」と、わしの前で申し訳なさそぉな顔をするやないか。
■「何を言ぅのやお花、わしが手ぇついて謝らんならん。あんな極道といぅ
ものがあるもんか」と言ぅと「いえ、わたしが気が利かんせいでございまっ
しゃろ。鈍に生まれたこの身が恨めしゅ~ございます」と、お前を恨まんと
自分の身を責めるやないかい。あんな仏さんみたいな女ごが、またとひとり
あるか……
■あぁ、こない気ぃばっかり遣こてて、身体に障らにゃえぇがなぁと思てた
ら、だんだん顔色が悪なって痩せてくるやないかいな「こりゃいかん、ただ
事っちゃない、とにかく横になっとぉくれ。いっぺんお医者はんに見てもら
わないかん」と言ぅと「いえいえ、ご飯もおいしゅございますし、夜もよぉ
寝られます」と言ぅ「年寄り助けると思て、いっぺん休んどぉくれ」ちゅう
て横にしたら……、頭が上がらんやないかいな。
■わしが見舞いに部屋へ入って行くと、布団の上へ起き直ってちゃんと座っ
て「もぉ二、三日したら、床離れができると思います。あの~、勝手ばっか
りさしてもろて済んまへん」と気ぃ遣う。これでは養生にならん。遠いとこ
ろでもないさかい、わしゃ先方のご両親に会ぉて、実家の方が体が休まるじゃ
ろぉと里へ帰ってもろた……
■どんなことがあっても、わしゃ日にいっぺんは見舞いに行きますが、お前
はちょっとも行ってやらん。向こぉにしてみたら、わしが十(とぉ)来るより、
お前がいっぺん顔見せる方がどれぐらい嬉しぃか……、何でお前は……
●そらまぁ、行かないきまへんねんけどな……。だいたい病間っちゅうのん
はな、襖開けただけでプ~ンと煎じ薬の臭いがしまっしゃろ、あれがわてか
なんのだ。何となしに陰気でなぁ……。で、向こぉもお化粧せぇへんさかい
白粉(おしろい)気もないし、顔もやつれてますし、風呂へ入らへんさかい垢
じみてまんがな、そんな顔、まぁこっちに見せんのも嫌やろと思うしな……。
まぁなんですわ、そぉ急に死ぬてなこともないやろさかい、まぁそのうちに
折を見て……
■「そのうちに……」人事みたいに言ぅてる、お前のよぉなやつは……
●それよりお父っつぁん、あんさん毎日お花んところへ見舞いに行くのがお楽し
みなよぉなご様子で。まぁまぁ、お慰みがてらにせぇぜぇ行ったっとくなはれ
■「お慰みがてら……」お前のよぉな人(ひとでなし)、こんなやつを
世の中へ出したと思たら、わしゃ世間様へ申し訳が立たんわい。勘当じゃい!
出て行きさらせッ!
▲ま、まぁまぁまぁまぁ……■番頭どん、止めんといとぉくれ。こんな人非
人みたいなやつを、わしゃお天道さまに申し訳がないさかい、お前ら家に置
いとくわけにはいかん▲ま、まぁまぁ……、親旦さん、お腹立ちはごもっと
もでございますが、そこが親子の間柄やさかい若旦さんも心にないこと言ぅ
て逆らいなさんので。いずれ後ほどわたくしが篤(とく)とご意見を申し上げ
ますで、今日のところはひとつわたくしに免じまして、どぉぞまぁご了見な
さっとくれやす。
▲いやそれよりなぁ、御寮人(ごりょん)さんのお里から、最前お使いがみえ
ましてな
■何ぞ言ぅて来ましたか?
▲え~「すぐにお越しをいただきたい」と……
■何か、急に変が来たと?
▲いや、そのよぉなこともないとは存じま
すがなぁ……、ちょっとお悪いんやないかと思います
■じ、直に行く、これ
からすぐに行く。ちょっと羽織を出しとぉくれ。番頭どん、この男、このせ
がれ、今日はどんなことがあっても家(うち)から外へ出してもらわんよぉに
な。もしも、ちゅうことがあるでな。
▲あの、定吉をお連れくださいまして。定ッ、お履きもん揃えよ、お杖もこ
れに揃えて出しとくよぉにな
★へぇ~い、ちゃんともぉ揃とります。お杖もこれにございます
■おぉ、よぉ気が利ぃた。商人(あきんど)といぅものはな、
気を走らすといぅのが大事じゃで。わしが出て行きそぉじゃなと思たら、サッ
と履きもんを揃えて杖を横に置く、その息を忘れまいぞな。番頭どんを見習ぉ
て立派な商人になりますのじゃ。
★へぇ~い■必ずともに、うちの極道を見習うでないぞ
★親旦さんも、若旦さん極道で心配なこってんなぁ
■何を言ぃくさる、子どもだてらに……。
でわ番頭どん、かたがた今日はどんなことがあってもせがれを外へ出していた
だいては困ります。もしものことがあったとき家には居らん、行く先が知れ
んてなことがあったら、わしゃ先方さんの親御に腹でも切らな申し訳が立た
んことになりますでな。
▲心得ておりますので、お気を付けられまして、どぉぞお早よお帰りやす。
* * * * *
●親っさん行てまいよったなぁ
▲若旦那、あんた何ちゅうことおっしゃんね
ん。あんなこと言ぅたら、そら親旦さん怒らはんのん当り前でっせ
●ついな、
こっちも大人気ないとは思たけど、あんなこと言ぅさかいつい逆ろぉたろと
思て
▲逆ろぉたらいきまへんがな。もぉカッカカッカ来てなはんのにホンマ
に、よぉあんなこと言ぃなはったなぁ。けどまたあんさんも、何で御寮人さ
んとこにちょっとお見舞いに行かはらしまへんねや?
●えぇ?
▲お見舞いに行きはったらよろしぃねや
●行けるか行けんか考えて
みお前。病の元はこれ(小指)やで、わしやがな。行たら向こぉの両親に会わ
んならん、どない言ぅて挨拶すんねやいな、かなんがなもぉそんなん。まぁ
まだはじめにでも行っときゃまた行けるちゅなもんやけど、行きにくいもん
やさかいな、そのうちにそのうちに思てるうちに、段々だんだん敷居が高こ
なってしもたがな。いまさら行って、どんな挨拶すんねん。
▲なぁ、はじめのあいだにちょっと行っときはったらよろしおましたのに、
ほんまにあんさんはもぉ……
●ところでな、あない言ぅて行きよったやろ、
今日はな夜通し看病することになるやろ、帰って来ぇへん思うね。ちょっと
頼むわ
▲何でおます?
●二時間
▲えッ?
●二時間だけ
▲「二時間」何でおまんねん?
▲二時間だけ、ちょっと出して
▲あ、あきまへん、あきまへん。なんちゅうことおっしゃる。
●じきに帰って来る、ホンマ二時間だけでシュッと帰って来る
▲いや、なりまへん。今日はあきまへん
●ほな、一時間
▲あきまへん
●ちょっと
▲なりま、へんッ!
●あそぉか……、ほなしゃ~ない。もぉ出て行くのん諦めるわ。ん~ん、出
て行かれへんとなると退屈ななぁ。なぁ、番頭どん、この店で座ってたら邪
魔んなるかえ?
▲何をおっしゃいますやら、若旦那がお店に座ってござると、
ご近所から見ていただいても体裁がよろしゅ~ございます。どぉぞ、どぉぞ。
へッ、わたしもまたお話し相手にならしてもらいますで。
●あ、そらあかん、あんたの仕事の邪魔したらいかんがな、仕事はやってて。
わしゃまぁここへ座って勝手なこと言ぅてるよってな、まぁ気が向いたら返
事したらえぇし、忙しかったら放っといてもぉたら、わしゃ勝手にしゃべっ
てるさかい
▲あぁ、さいでございますか、そんならまぁ、帳合いをしながら
お話を承らしていただきます。
●あぁ、もぉ気楽にやってて、もぉしたいよぉにやっててもろたらえぇさか
い、こっちは勝手にしゃべってる▲ほな、ちょっとご免をこぉむりましてな、
帳合いを……
●しかし何やなぁ、おまはん毎日ご苦労はんや。あんたがそぉやって一生懸
命やっててくれてるお陰で、まぁわしが酒呑んでやな、極道してられるてな
もんや、あんたのお陰やで
▲何をおっしゃいますやら、そんなことはございませんがな
●得意先も、場所によってはうちの親父より、おまはんの方が信
用があるそぉやないかいな?
▲そんなことはございませんがなぁ、十四の歳からご奉公さしていただきま
してな、何ちゅうてもどちらさんのお得意さんもみな古馴染み、昔馴染みで
ございますよってなぁ
●さぁ、さぁさぁ「のぉてはならん白鼠」ちゅうやっ
ちゃなぁ。せやけどなぁ、番頭さんと言ぅても、世間には色々あるで……、
なかにはなぁ、忠実そぉに見せかけて、陰で何してるや分からん「油断のな
らんドブ鼠」っちゅなやつも居るねや。
▲そらまぁ、なかにはそぉいぅお方が居てはるかも分かりまへんなぁ
●居とぉんねや。わしもそんなん一人だけ知ってんねやけどな、そぉいぅやつに限っ
て要領がえぇといぅのかなぁ、なかなかシッポは掴まれん、うまいことやっ
てる。まぁ、向こぉは抜け目のないよぉにしてるだけに、そばで見ててもム
カムカしてくるなぁ
▲さいでおますかなぁ……
●得意先回りするよぉな顔してな、新町や堀江に昼遊び、ケチな遊びでまぁ
チョコチョコと行っとぉったうちに、気に入った妓(こ)ができてやで、それ
を囲こぉとんねん。引かして淀屋小路(しょ~じ)あたりに家一軒借りて、そ
こへ囲ぉとぉねん。でまぁ、ちょいちょい仕事に暇でそこへ行ては楽しんで
るてなもんやなぁ。
▲はぁはぁ、なるほどなぁ、へぇへぇ……
●と、やっぱり、奉公人としては
分(ぶん)に過ぎたこっちゃさかい、どぉしてもこれが続かんよぉになる。と
自然、まぁ帳面にも無理が出て来るわなぁ……
▲はぁはぁ、そらまぁ、順序
として、そぉいぅことにもなりまっしゃろなぁ。
●そこの親父は信用しきってるさかい、当分ばれる心配はないわなぁ
▲へぇへぇ……
●ところが、その家にえらい極道な息子が一人居とんねや
▲……
●帳面付けしててや
▲へぇへぇ……
●こいつはおのれが極道するだけに、蛇の道はヘビっちゅうやっちゃ、
この番頭のやってることがちゃ~んと筋が読めたぁんねや。
▲へぇ……
●帳面付けしててや……。まぁ、この息子にしてもやで、いずれ
自分の財産になる金を、ちょいちょい・ちょいちょい削られてんねやさかい、
まぁ面白いことはないわなぁ
▲へぇ……
●けど、何にも言わんと知らぁ~ん
顔してるといぅのは、やっぱり自分にも弱みがある、融通きかしてもらわん
なん時もある、無理聞ぃてもらわんならん時もあるさかい、知らぁ~ん顔し
とんねやなぁ。
▲へぇ……
●これ、誰やと思う?▲どなただっしゃろなぁ?
●この町内の人や
▲へぇ……
●商売は糸の問屋や
▲同業でおますなぁ……
●番頭……
▲へぇ
●これ、お前と違うか?
▲さぁ~……
●こらッ! 馬鹿にすなッ!
▲大きな声、大きな声を……
●人が何にも分からんと思てるのんか? お前のやって
ること、筋道全部読めたぁる
▲ま、まッ、まぁ……
●お前のこれの家言ぅたろかッ! 女の名前言ぅたろかッ!
▲も、も~ッ、あんさんには頭上がり……、もぉ謝ります、この通り、謝り
ます、この通りこのとおり……
●おいッ! あんまり人馬鹿にしたらあかん
ぞホンマに。これからわしの言ぅことに逆らわんな?
▲もぉ、あんさんのおっしゃることに、な~んにも逆らえしまへん
●何でも聞くな?
▲言ぅこと承りますでございます
●二時間
▲いや、そ、それはあきまへん。
▲今日だけはもぉ、あんさんも事情よぉご存知やおまへんかいな、今日だけ
は……、ほなまぁまぁまぁ、なるよぉな話にしてもらいまひょか
●何じゃ、そのなるよぉな話ちゅうのわ?
▲あのなぁ、どちらのお方や? キタ? 北の新地……、
そぉだんなぁ、キタとこことは近いよぉなけども、さぁといぅ
時にはちょっと遠いさかいねぇ……。どぉだっしゃろ、こっちお呼びしたら?
●何やて?
▲来てもろたら?
●おい、何を言ぅねやいなお前。船場の堅気の
商家へやで、昼日中から芸者が呼べるかいな
▲さぁさぁ、駕籠に乗せまして
裏の木戸からその駕籠なりで奥庭へ入ってもらいましたら、ご近所の目には
触れしまへんがな。
▲で、奥の離れ、今日はお照らしが雲ってますし風がおますよってしのぎ易
いと、ちょっとあそこ障子も閉めてもらいましてな、店のもんあっちへは滅
多に行けしまへん。ちょっと小料理屋から何か取り寄せてだんな、まぁそこ
でゆっくりと呑みながらお話してもろたら。わたしもまた合間見て、お相伴
に預からしてもらいにまいりまっしゃないかいな。
●えぇ? あの部屋を締め切るのか、このくそ暑いのに? 話聞ぃただけで
汗が出て来るやないかい……。ん~ん、しかし、うちぃ呼ぶちゅうんはオモ
ロイなぁ。よしッ! ほんならなぁ、今日は早じまいしょ~
▲何を?
●店早じまいしてな、店のもんみんなにごっつぉしたるわ
▲そんな……
●親父は帰って来ぇへん、親父は今日は帰って来ぇへん、だいぶん容態が重いらしぃ、今
夜は夜通し看病ちゅうことになるさかい大丈夫や。
●何も夜通し騒ぐねやあらへんがな。みんな好きなものをこぉ言わしてな、
でそれで、店のもん一緒にワ~ッと騒ごか
▲そんな無茶なことしてもろたら困ります
●大丈夫や、わしに任しわしに任し……。
* * * * *
「菊江佛壇(下)」につづく
【プロパティ】
ケッタイ=妙な・変な・へんてこな・おかしな・奇態な・嫌な・不思議な
など、実にいろいろな意味を含んだケッタイな言葉。エゲツナイと並
んで上方言葉の両横綱。怪体とも奇態とも希代とも卦体とも当てる。
桂小文治=初代(正しくは二代):もと大阪の噺家桂米丸。ひと月の契約で
橘家円歌(橘ノ円都)とともに東京興行に出かけたまま懇願されて東京
にとどまり、橘家円蔵の身内となって桂小文治を襲名し真打となる。
本名、稲田祐次郎。昭和42年12月28日没、享年74才。
簀戸(すど)=葭(よし)の細いものを使って障子のようにしたもの。簀はス
ノコ。細い格子戸をもいう。簾戸。
籐(とう)=ヤシ科のつる性常緑木本。東南アジア・中国南部・台湾などに
分布。茎は長く伸び強靱な繊維がある。茎で籐椅子や籐細工を作る。
タイワントウ・ロタントウなどがある。
籐(とう)ムシロ=籐で編んだ敷物。よく銭湯の床などに敷いてある。
橘家円喬=四代目:本名、柴田清五郎「名人圓喬」。大正元年11月22日没、
享年48才。
鰍沢(かじかざわ)=三遊亭円朝作。客から出された「鉄砲」「卵酒」「毒
消しの護符」の題を元に作り上げた「三題噺」
ざこば=桂ざこば:米朝門下。本名、関口弘。昭和22年9月21日生まれ。
偕老(かいろう)=ともに年をとること。夫婦が老年になるまでむつまじく
連れ添うこと。相老い。
同穴(どうけつ)=夫婦が同じ墓穴に葬られること。
偕老同穴の契り=死ぬまで仲むつまじく暮らそうという、夫婦のかわす約
束。
くさる=するという意の下品な悪態口に用いる補助動詞。腐るであろう。
ヤガル・サラス・ケツカルなども同じ意。
夜泊まり日泊まり=風俗店に入り浸って家に帰らない。
馬の耳に風=馬耳東風。馬の耳に念仏。
ぬかす=言う・ほざく。
しゃ~ない=仕様が無い→しょうがない→しょ~ない→しゃ~ない。
ぎょ~さん=たくさん・はなはだ・たいへん。大言海には「希有さに」の
転とある。「仰々しい」のギョウか?「よぉけ→よぉ~さん」たくさ
ん、の訛りかも?
駄々ける=駄々をこねる。無理をいう。子どもが甘えて他人の言に従わな
いことを駄々というが、それを動詞化したもの。
駄々け=わがままでよく駄々ける子などを指していう。駄々けもん。
冥利=ある立場・状態にあることによって受ける恩恵・しあわせ。
走り元=走り:台所の水まわり。ものを洗った水を流し走らせるところか
ら出たもの。
座が勤まる=法座:説法の行われる集会。法席。法筵(ほうえん)。
報恩講=仏教諸宗派で、一宗の祖師の恩に報ずるため、その忌日に営む法
会。浄土真宗の西本願寺派では一月九日から一六日まで、東本願寺派
では一一月二一日から二八日まで、宗祖親鸞をまつって法事を行う。
御講(おこう)。御正忌(ごしょうき)。お七夜。
御開山(ごかいっさん)=浄土真宗の開祖、親鸞上人を指して門徒衆がいう
語。開山上人の略。
年忌・年回=人の死後、毎年めぐってくる命日。また、その日に行う法要。
かなん=困惑する。適わない→適わん→かなん。
立花通り=大阪市西区南堀江1~3丁目。北堀江の材木問屋街、南堀江の
家具屋街と、堀江は木の香りが漂う。
お目だるい=しんきくさいの丁寧語。
辛気=心がくさくさして苛立たしいこと。心がはればれしないこと。もど
かしい・じれったいこと。また、そのさま。辛気臭い。
経師屋(きょうじや)=書画や屏風(びょうぶ)・襖(ふすま)などの表装をす
ることを業とする人。表具屋。
木口(きぐち)=材木の種類・品質。
鈍=のろいこと・へまなこと。また、愚鈍。
さらす=するの罵語。やがる・くさる・けっかるなどの補助。さらしてけっ
かる。
篤(とく)と=念を入れて。じっくりと。とっくり。
了見・料簡・了簡=許すこと。がまんすること。勘弁。
御寮人(ごりょん)さん=商家など中流家庭の若奥様の称。
お早よお帰りやす=行ってらっしゃいませ、の意。人を送り出すときの挨
拶言葉。
帳合い=金銭の勘定と帳面とを照合して、計算の正否を調べる。
白鼠=白鼠のすむ家は繁盛するという俗信からとも「ちゅう」と鳴くから
とも、主人に忠実に仕え、その家の繁栄に功労の多い番頭や雇い人。
⇔黒鼠。
ドブ鼠=主人の目をかすめて金銭をごまかすなど悪い事をする使用人。
さいで=相手に同意して相づちを打つ言葉。サヨウデ→サヨデ→サイデ。
淀屋小路(しょうじ)=中央区北浜4。淀屋橋の南浜通りのひと筋南、洋服
の「淀屋」と「東京三菱銀行」の間を西に入る小路。心斎橋筋から西
肥後橋の間にあった旧淀屋屋敷内の私道がそのまま残った道。
えらい=偉い:たいへん。おおいに。ひどく。同じ意味で「いかい」とい
う言葉があるが、これは京言葉。「でっかい」は「どいかい」「どえ
らい」などからの派生らしい。
北の新地=曽根崎新地:宝永年間(1704~1710)に蜆川北岸開発。1708年に
町割りが行われ、蜆川北岸の曽根崎新地が北の新地の中心となった。
音源:桂米朝 1992/06/11 米朝落語全集(MBS)