楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第3回6月13日(1日目)その2

2009年06月18日 | 第9期楽健法セラピスト講座
「功成れば他人は口をつぐむ」


 直感的な人間はやろうと思ったことは、迷わずにぱっと実行に移すものです。
 私が天然酵母パン工房を作ったときも、迷いに迷ってなんてことはありません。決めたらすぐに実行に移しました。家内も親類も反対していましたが、行けるという直感があって実行したんです。
 なかなか営業的には行ける!ということにはすぐならなかったです。未経験で前途が見えているわけではないが、行ける!という直感はある。この直感を信じているから、他人には無謀だと思えるようなことに恐れることもなく突き進んでいきます。
 直感というのは、洞察力があって全体の大きな流れが見える人間に授かるものかも知れないです。今日明日の損得勘定しかしない人には直感で思い切った行動なんかとれないものですね。

借金をして事業を起こすことは、なまやさしいことではありませんから、だれでもというわけにはいかないかもしれませんが、借金は借財といって財産なんだから、という気持ちで、追いつめられた気分になんかならないで、ゆうゆうとゆとりをもってとりくんでいく。そういう資質、気分を持った人間が直感的で、ねばりがあるんですね。
遠くの方が見えて、それをこころざしが支えているから、ものごとがはじまるんです。

丸木位里さんという画家がご夫婦で原爆美術館を作るときに、身内からの反対なんかもあったそうですが、反対の声に動じないで、直感、信念で押し切ってそれで作り上げてしまうと、みんなが口をつぐんでしまうということを、港野喜代子さんから聞いたことがあります。

建設費を作るために、港野さんと、丸木位里さんの絵、数点をあずかって私が額装して絵を売ってあげようとがんばったことがあります。司馬遼太郎さんのお宅へうかがって絵をお見せしたら、司馬さんは、「いい絵だということはわかりますが、いまの私には役に立つものではありませんから」とやんわり断られましたが、その絵の一枚は、人に売ることができなくて、自分が買っちゃうことになりました。

何か新しいことをしようと思ったら、反対する人は確たる根拠もなしに反対する。たいていの人がそうですね。私もそういう経験をいろいろしてきました。

だけど、丸裸になることも恐れないで、やるとなったらとにかく突き進んでいくという無鉄砲なところがあって、それがまあ何十年か経ってきたときに、ちゃんと一つのことに全う出来て実をむすんだら、それが一つの立派な成果として評価され、とやかくいわれることがなくなるんですね。


宥厳先生のブログにも記事が…↓
http://d.hatena.ne.jp/ytokoji/
私のやってきた天然酵母パンや楽健法なんかは中途半端でまだまだ駄目ですが。
この新聞記事の佐々井秀嶺さんの半生記が書かれた、この「破天」という本は、数カ月くらい前に、新大阪駅の書店で、福山へ行く途中で目についてパッと買ったんです。
読んでみて衝撃を受けましたね、インドでの佐々井秀嶺さんの活動は知っていましたが、詳しく知らなかったもんですから。

この新聞記事には「破天」の佐々井秀嶺さんが40年ぶりに帰国した紹介されています。後で本も見て、興味のある人は、これを持って行って回し読みしてください。


(中島さん)もう、この方はインドに移住してるんですよね?

(宥厳先生)そうでしょうね、もう長いことね。
インドへ行く機会があったらコンタクトして逢って、インドの人たちに楽健法を広げるようなことしたら面白いなーって思ってるんですが…。

今まで何回かシャルマさんなんかと一緒にインドへ行って、僕は楽健法をやっているという話はしますが、是非教えに来てくれ、という人はいてもね、実際にやってみて、取り組んで行こうというふうにはなかなか運びませんね。

ネパールでは何度か楽健法の講習会を開いたことがありましたが、授業料を取るわけでもないし、向こうの人たちはボランティアに来てもらって当たり前というような感覚があってね、だから私のような財力のない人間は、経済的にそう続けられない、かといって金を とって教えるとなったらだれもやってこないでしょうね。だから、やっぱりこういう影響力のある人が無償で教えるというようなことで、動けばインド中で楽健法が流行り出すかもしれないと思ったりするんです。

韓国人の学者の崔東先生という人ですけど、数年前に福島県でアーユルヴェーダ総会があったときに、私の所にやってきて「山内さんのやっている楽健法はすごい仕事ですね。人々に役立つことを広めようとしている、そういうお坊さんはかつていなかったですね。あなたの仕事は日本の仏教史に残さなければならないような仕事だと思います」というようなことを言われたんです。ああ、そういう風に見てくださる人もおるんだな、と思いました。

だから、まあそういう意味では、非常に具体的なことを、いままでだれもやらなかった人に役立つことを開発して、多くの人の生活が変わっていくようなことを、きちっと伝えていくというようなことをする志を抱いた人はあまりいないのですね。

そういう意味では、私も一種の「破天」を目指して生きているようなところもあるんだけど、なかなか思うようには展開していかない。本当に強く思ってないからかもしれないですね。

佐々井秀嶺さんも、欲張って何かしたいからやっているというんじゃなくて、そこに身を投じたら、それ以外の選択の仕方がないというような形で動かざるを得ない。他人から見れば、非常に変わった人生が続いて行くんですね。

まあ高い志(こころざし)を持った人って言うのは、神様から選ばれて、不思議な人生を歩まされるんだともいえるでしょう。
人間とは面白いなあと思います。非常にユニークな人ですね。

お金儲けにすぐ走ってしまうような人は、やっぱりすぐ人に見抜かれる。ああこういう人もいるんだなと思って、非常に赤裸々にそれも生きている人ですね。ええかっこしない。ま、大事なことだと思いますね。

ま、今日はもう早い目に寝て、明日また護摩を焚きましょう。

あ、それから写真集にサインするのは明日するか。別の紙にこう書いてサインしといて貼り付けるか。その方が早いかな。本を開くの大変でしょう?出して、入れて、と言ったら。朱印帳みたいな、そんな紙にさーっと書いてハンコも押して。それをのりで付けてっていうのんでもええやろ?一冊一冊広げて書く?大変やと思うで。出して入れて出して入れて。

(ちあき)でも、結局全部一応出さないと…。

(宥厳先生)そりゃまあ、そうですけど。ほな明日出すか?

(ちあき)出すだけ出しといて。

(宥厳先生)出して持って上がってくれる?ほなら。ね。ほな片っぱしから署名するってことにしようか。

今言ってるのは、写真集ができたんですよ。去年来た人のね。きれいな本ができています、とても。写真もうまいし、とか言って(笑)。

佐々井秀嶺さんは、東京で何回か講演するんじゃないかなぁ。講演の日程なんかメーリングで入ってたと思います。ご希望の方にはメール転送してあげます。

高野山の一番偉いお坊さんだとか、そういうような人たちって、本当は高野山の中で安穏と過ごしている、それは地位の高い人たちかもしれませんけど、大したこともしないで何となく組織のなかで、地位だけ上がって行っても、振り返って何をしたかさっぱりわからないような人生を送っちゃうのよね、たいていの人がね。

世の中に細い線でもいいから、しっかりと残して生きていかなければいかんですね。

じゃあ、まあそれくらいにしておきましょう。どうもありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

新しい形の楽健法

いや~極楽極楽~


何気に面白い~

さぁ、明日に備えて休みます。

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