楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第11回2月9日(1日目)その1

2013年03月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
13:00「どうだん」








2/9 13:16

 昨日は奈良のイオンハウスで講習会を開いて、そこに参加した人がさきほど三人見えられてて、本堂で般若心経をあげてきました。沖縄から来られた人たちは鍼灸師の男性と助産婦さんで、もう一人は京都の助産婦の方。

 助産婦のかたは楽健法に以前から関心があってやっと来られたといっていました。
 助産婦の方たちは随分前から楽健法を取り入れて、実際に妊婦さんに指導してる方が東京など各地にいらっしゃるんですね。

 東京の助産婦の方で、宗祥子さんという方が去年「安産力がつくナチュラルなお産の本」を出されまして、そこにも夫にやってもらいましょうという楽健法が紹介されています。妊娠してからの生活指導、妊娠の入門書って言ったらおかしいね(一同笑い)。そういう本を出されたんですけれども、その中に楽健法のことを取り入れています。2ページくらいですけどね。足の付け根だけでも、ご主人にしっかり踏んでもらいましょうと楽健法を勧めている本が去年出ました。
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 昨日は酵素風呂の講習会に12名参加されましたが、そこに沖縄から来られた方と、京都からと助産婦さんが参加されて、聞くと宗祥子さんとは東京で一緒に病院で働いていたそうです。

 その当時の仲間の一人の助産婦の方がこの桜井に結婚して引っ越してきていられて、それで3年か4年くらい前にその方が東光寺の講習会に来られて楽健法を体験して、間もなく妊娠されたんですね。昨夜はそこへ泊られたらしいです。ま、そんなことで可愛い女の子でした、と言うような話でした。

 今日は赤ちゃんに縁が深いのか、横出さんが、ひな形みたいな(一同笑い)、可愛い男の子を連れて来られました。
 この人もまだ赤ちゃんの風貌してるよね(一同爆笑)。
 そんなことない?(笑)こういう顔の赤ちゃんっているよね。さっきおったやん(一同笑い)。
 横出さんはこの間、正月にね、赤ちゃんを連れて来られたんですよ。餅つきの日だったかな。
(横出さん)一日にです。
(宥厳先生)あ、正月か。それで、こどもさんを連れて来られたもんですから、皆に今度連れてきて見せなさいって言って、それで、赤ちゃんを連れてきて頂いたんですけど。可愛い男の子ですね。
 楽健法やったり、ヨーガや食生活をきちんとしてるお母さん、ご夫婦からこどもさんって言うのは非常にナイーブで、育てやすいこどもさんが生まれますね。
 むずからない。ほんとうに素直なこどもが生まれるみたいです。横出さんのお子さんはどうですか?
(横出さん)あんまりむずかったりしないですね。
(宥厳先生)しないでしょ。育てやすいですね。他にも最近赤ちゃん来たかな?
(幸子先生)来た来た。
(宥厳先生)どこの赤ちゃんやったかな。
(幸子先生)第四に来てる子で。
(琴美ちゃん)岡本さん?
(宥厳先生)いやミカン農家の、和歌山の、有田から赤ちゃん連れて来られたね。こないだ。えらい猛烈な勢いで泣いてたね、あの子。(一同笑い)

(幸子先生)泣いてたから、もっと泣けーって。負けんようにまた、うえーんって(笑)

(宥厳先生)まあ、こどものエネルギーってすごいね。尽きることがないね。   
 僕はこどもの時、兄弟が7人で長男ですからもう、ちびばっかり走り回って随分うるさい家で育ったはずなんですけど、その頃はそんなに思わなかったんですけどね。この頃になるとちょっとこどもの面倒よう見切らんなと言う感じがするくらい騒々しいと思います。

 うるさいっていうか、あのエネルギーにはもう負ける。とてもじゃないけどついて行けない。
 見てるだけで疲れるような感じがするんですけどね。まあ、あの元気さがないと大人になって行かんのでしょうねぇ。まあ、そんなことを思いました。
 
 それで、そういうこどもが段々大きくなって、これから今の日本の現状を考えると非常に、今からのこどもたちは大変だろうなと思いますね。大人になって行った時に。みんな、大人の責任なんですけど、こどもたちに、子孫につけを残してね、原発問題から解決が不可能なほど色々大変な問題が出てくると思いますね。ま、そんな中でこんな楽健法の勉強を皆さんと一緒に出来るのはとても幸せなことなんですが、自分だけ幸せであったらいいと言う風に思えないと言う、例えば宮沢賢治みたいにね、世の中に一人でも不幸な人がおったら自分は幸せとは言えないなんていうような感覚でおれば、そういう人は永遠に幸せにはなれないですね。

 だから、個人の幸せと言うのはある意味非常にエゴでもあるんですよね。だから、私は何か、これをやっているから幸せなんだとか、あの人に出会ったから幸せなんだ、とそれはあるでしょうけど、それはやはり、一人一人のその時点での幸せであって、人類全体の幸せなんていうことになると、ありえないのかもしれない。過去にもそんな社会があったことはないし今後もあり得ないでしょう。

 だけど、人間がずっと考えて来たのはやっぱり幸せって言うこと、皆がそういう風にならないといけないと言う風に考えて来たと思うんですね。心ある人たちは。

 まあ、楽健法もそういう意味ではね、これをすることによって皆が幸せの一つを獲得できる道だろうと思うから、こうやって楽健法を普及することに力を入れたり、天然酵母パンを普及させようと努力したり、アーユルヴェーダ学会の事務局長を長年やったりしたのは、そういうことに繋がっていくと思ったから努力してきたわけですね。

 まあ、これからも元気な間はしっかりと頑張らなあかんなと思って。それで、先ほどもここへ三人で来られてた人たちにちょっと話してたんですが、例えば私が芝居をしたりする。
 人間の遊びの中で一番面白いのは芝居ではないかと思ってるんですね。で、まあ、皆さんも芝居やったらわかりますけど、やっぱり芝居の面白さって言うのがどこにあるのかなって言うようなことですね。

 舞台で何かライト浴びてね、ええ格好して演技をするのだけが楽しいのじゃなくて、芝居の面白さって言うのは、僕が劇団に最初入ったころから、気がついてたんですけど、劇団で芝居をする面白さって言うのは例えば裏方で雑用みたいなことやったり、編集をやったりね、舞台監督みたいなことやったって、それは表に目立たないところの、陰の仕事ばっかりだったんです。

 だけど、劇団で一つの、全体で一つの仕事を、舞台を仕上げて行くことには猛烈な、尽きざる面白さがあるわけです。それはね、一体何なんだろうと思ったんですけれども、それはね人間が、それぞれ違った人間が、ある一つの目的のために、協力し努力して、譲り合ったりしながら一つの世界を作り上げる、アンサンブルを作り上げて行く共同作業の美しさ、それが楽しいのだろうと思うんです。

 私が一番最初にそういうことに気がついたのはまだ小学校に入る前のことでしたけども、わが家に蓄音機と言うものがありましてね。箱形の蓄音機、自分では力がなくてネジをよう巻かないんです、重くて。それで、母親にねだって、蓄音機のねじを巻いてもらってレコードをかけるわけです。

 当時はレコードの針も二、三回使ったら擦り減るもんですから、レコード針を取り替えて使い捨てるわけですね。だけど、戦争が始まってて、金属がなくてレコードの針が手に入らなくなって、古いレコードの針を大事にしまっておいて、それを砥石で砥いでまた使うんです。

 それで僕は3歳くらいのときにもう自分で砥石でレコード針を砥いでましたが、ねじを巻くのは母親に巻いてもらって、それで、いつもレコード聞いていたわけです。

 家にはレコードがあって、その次に父親がラジオと言うものを買って来たんです。
 それで、ラジオを聞くようになると、ラジオから音楽が流れてくるんです。その音楽を聴きながら、この音楽と言うものは、レコードをまわして、その音がここから流れてきていると僕は思い込んでいたわけです、ずっと。

 ところが、ある日のことね、アナウンサーの話を聴いていたら、生のオーケストラの演奏を今から放送します、という紹介があって、それで、綺麗な音楽が流れて来たわけですね。で、その時に僕はすごい衝撃を受けたわけです。つまり、レコードだからあんなにきれいな音が間違わずにいつも同じように出てくると思ってたんですが、じつは生身の人間が、いろんな楽器を生で演奏して、それで、あの美しい音楽が、アンサンブルとして出てくる。これはすごい人間の能力だと思ったんですね。

 ばらばらのはずの人間がまとまって一つの美しい音楽を作りだす。それを知った時に、僕は人間っていうのはやる気になったら何でもできるんだな、人間の持ってる可能性、能力のすごさに気がついた、目覚めたような感じですね。それから自分が何でもやればできる人間なんだというような気がしたのです。

 私にはそれはできませんという前提はもたないでやってみる。やってみると大抵はできる。それが、未だに続いておって、それで、何でも出来る人間のすることの一つとして、こう言う短歌もずっと作るようになってきたわけですね。

 だから、それは何かやはり色々違った人が一つのものを作り上げようと思って、力を合わせてやって行って出来あがるっていうことですね。それで、芝居なんかの劇団の組織とか芝居の作り方を見てても、一人一人の裏方が、俺はこうしたいという自己主張もそんなにしないで、それぞれ自分の役割をわきまえたうえできちんとこう、仕事をして行って、それで、まあ舞台というものが出来上がるわけですけれども。まあ、そういう共同作業の美しさ、みたいなものですね。

 そういうものを僕は最初こどものとき、その一枚のレコードの音から、ラジオを聞いて発見したことですね。で、それ以来そういうものの見方って言うのがずっと続いて来てるわけです。だから、私にはこれしか出来ないとか言って、あまり自分を限定してしまうようなことをしない。

 それで、そういう限定しているような人がおったら、そうじゃないよって言ってけしかけては、何かやらせると言うような生き方をずっとしてきたんですね。まあ、今からも、みなさんもそうやって、私と何か接している内に、何かしら発見があればうれしいことですし、まあ、そういう意味で、自在にものを見ると言うことですね。

 だから、あまり固定観念を持ってしまわないこと。いつも柔軟であることですね。柔軟でゆとりがあると言うことが健康の証拠なんですね。何でもそうで。体もだから、ゆとりがあるから健康なんで、これはあの、例えば喘息が出てくると言うのは、時には手が硬くなり、背中も硬くなりして、それで、肺がグーッと締めつけられて、十分息が吸えるゆとりがなくなってくるから、息が吸えなくなると言う「ぜんそく」になるわけですよね。

 それで、小児ぜんそくは、晩飯食わさないで試してみろって言うのもそれなんです。晩ご飯を食わないと、肺が下の方に広がるゆとりができるのです。食べたら下から圧迫されて、たちまち喘息が起こるわけですね。そういう意味でいつも、どこの病気であってもそうですけれども、やっぱり、それはゆとりがあると言うことですね。それは体のゆとり。

 それから、精神にも考え方に柔軟さがあって、自分で物差し持って安易に物事を決めてしまわない。だから、どんなことでもちょっと角度を変えてみたら違ったものがいつでも見えてくるはずなんで、基本的にそういう考え方を持っておったら、雑多な知識なんかも必要ないわけなんです。色んな知識を持って、知識の引きだしをいっぱい持っていたって人間にとってはほとんど役に立っていないんですね。

 学者と言うのは大体、引き出しにいっぱい知識を詰め込んでね、それを切り売りしたら仕事になると思ってる人が多いんですけど、そうじゃなくて、絶えず人間と言うのは創造的であって、いつも新しいことが次々と思いついてやっていけるような、それで何か問題がやって来た時にパッとそれに最適の回答が見出せるような、そういうサバイバルな能力ですね。そういうものを身につけないとダメだろうと思うんです。

 で、楽健法をやる時もそうですね。決まりきって、覚えた手順通りしかできないという人もいっぱいおると思うんですけれども、、一人一人に、相手によって違った楽健法ができるという、そういう柔軟さも判断力ですね。そういうものを合わせて持ってほしいなと言う風に思って、いつもいろんな角度から話をさせてもらってるわけです。

 では今日の「どうだん」読んでみます。
 これは、4日…5日くらい…先週作ったのかな。先週の水曜日くらいに、何となくもう送る時期じゃないかな、と思って、「どうだん」の新しい号が届いたもんですから、あ、次の送った方がいいのかなと思って書いたもんですから、あまり推敲していないんですけど、読んでみます。




どうだん

●ほろほろと
(宥厳先生)これは今、東光寺山の上に三保君がどっかで買って来てくれた豆の種を。だいぶたくさんまいたので、今、50本以上出てるね、あそこにね。その苗が、何か寒い~中でね、よく伸びてます。それで、僕、それを今、畑の苗をフェイスブックに写真撮ってアップしてるんですが、その写真の中の苗が延びて行ってますね。
(一同)え~~~~~!?
(宥厳先生)いぇ~~~~(笑)。本当やって。写した時より大きくなってる。
(琴美ちゃん)怖いから。
(宥厳先生)これが、この歌です。



どうだん  三~四月号二〇一三年

             山内宥厳*
 

ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に

日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び

さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く

じんわりと

冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み

何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か

左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり

健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ

大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ

あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり




●ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に

(宥厳先生)このきぬさやって言うのは、え~っと英語で…何やったっけ…それをね、今村悦美さんがフェイスブックで、僕のにコメントを出してる。何とかピーって言うって。

●日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び
(一同)何とかピー(一同爆笑)
(宥厳先生)コールドピーだったかな。ウインドピーやたかな。豆の絵のところにコメントくれています。それで、「こんなに寒いところでも伸びるんですね、だから」え~~~…書いてますよ、うん。ちょっと調べて見て下さい。

●さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く
これは、「ざくざくと」ではなく「さくざくと」と書いてあるんですけど、サクッとしてザクっと行くと言う感じで。

●じんわりと水を含んだ今朝の畑汀に沈む足の感触
地面が湿っててね砂浜を歩く。海岸の砂浜のやわらかいところへシュッと足ふっとしたような感触。それで、こんな風に書いてみたんです。

●冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み
中指のここがずーっと先がしびれたのかと思ったら、みんな霜焼けができとったのね。僕、草履で歩いているもんだから。それで、あか~いいまる~い目玉ができてるんですよね。それが朱色の赤み(笑)そういう風に書いています。

●何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か
これ、「何」「何」って言うの重ねてまあ書いてみたかったんですけど。それが、何月かと言うのも本当はね。今日は、今…何月なんだろうってね。実に頼りないんですね。それで、自分の年も忘れてね年金の手続きに行ったらあなたは来年ですなんて、市役所に行くような人ですから。だから、まあ、こんな感じで。粗忽者なんですね。

●左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり
この、「ありました」っていうようなのを歌の中に使ってみたかったんです。「ご飯を食べました!」なんていういい方の短歌も詠めるんじゃないかと思って。靴で歩くと左足の第4指に激痛があるんです。で、これでファイテンと出会ったんです。

 平松さんがね、これ試したらってファイテンくれたの。
 この指が痛くてね、靴履いて歩けないんですよ。靴履いて歩くと激痛が来る。それで、一体これは何だろうと思って、一番最初それを感じた時は、滅多に靴履かないんですけど、靴をはいて東京へ出かけようと思って、靴履いたときにえらい痛かったもんだから、これはきっと靴が悪いに違いないと思ったんですね。足が悪いなんて思わないで。痛くて歩けないから福山で、健康靴屋っていうところへ連れて行ってもらって、そこで靴を変えてみたんです。

 それでも、痛みが止まらない…って言うのが数年前のことで、ずぅっと足が痛いんです。それで、五本指の靴下をはいて草履で歩けば痛くないんです。それで、何時も草履で歩いてたんです、そうしたら、今度は、足が冷えてくるし、霜焼けもできてくるし、と言うようなことになって。

 それでも自分ではこの指の治療をいろいろしてたんですよ。揉んだり、点温膏半分に切って巻きつけたりね。青竹踏み…いつも笛作っている、こんな細っそい竹ですけど、あれを踏んだり色んなことやったんですけど、どうしても痛みが取れない。

 楽健法やったりしてる時は本当に痛くもなんともないですね。ここで、普通に歩いている時は。ところが、去年平松さんが、これ貼ってみたらっていって、丸いファイテンのあれをくれてね。それで、指にパッと貼って、それで、この辺にもパッと貼って、3枚貼ったんですよ。貼って、そうね、一分もしないうちに痛みがなくなった。あれ?!これは何だ!?って言うような感じで。

 それから、面白いもんだなと思って、それからファイテン党になっちゃったんですね。(一同笑い)。それで、自分でも買ってきてね、それで会員にもなってね、色々買って試してみたりしたんですね。それで、いつも財布に入れて歩いてて、いろんな人に試してみてるんです。ファイテンの丸いやつを。

(琴美ちゃん)スノーピー!!(一同爆笑)すみません。ごめんなさい。

(宥厳先生)サヤエンドウはスノーピー(snow pea)って言うんですね。雪の豆ですね。だから。雪の下でも芽が出てくるんだ。ありがとうございます。

(琴美ちゃん)すみません!

(宥厳先生)それで、まあ、それから、ファイテンをね、財布に入れて持ち歩いているもんですから、東京へ行ってね、それで、東京の教室で首が回らないっていう女の人に貼ってみたりしたんですね。そしたら、こっちは向けるけど、こっちはこれしか向かないって、こんな感じの人にね、パッと貼ってね、はい、右向いてごらんっていったらヒュっと。それが本当に。30秒もしないで。あれ?というような感じで首が回る。それで、うつ伏せ。下にもこう、うつむけない、と言うような人にもポッポッと貼ってみたら、シュッとうつむくんですね。これは面白いぞと、思って。それで、光弘さんにもね(笑)

(琴美ちゃん)腰が痛くて。
(宥厳先生)光弘と言う男がおるんですよ(一同爆笑)。まあ、、辻田さんと似たり寄ったりの癖の強い人です。
(琴美ちゃん)あ、柳田さん知ってるでしょ?中島さん。
(柳田さんん)背の高い方?あの眼鏡かけた人じゃなくて。
(琴美ちゃん)背高くない…
(柳田さん)オートバイに乗って怪我した人?
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。
(柳田さん)覚えてる!覚えてる!

(宥厳先生)あの人がね、何か娘と卓球をやってね、まあ卓球場が狭かったんだろうと思う、どっかの卓球場みたいに(笑)。それで頑張りすぎて、腰が痛くなって、それで、東京の教室には出られないけれども、晩飯のときには来ていてね(一同笑い)。宥厳先生に相談したいことがあるって言って、それで椅子につかまりながらサパナへやってきたのよ。それで、何か電車にも乗るのも辛くて、何かこう、背中曲げたようなヘンな格好で入って来て、それで、琴美ちゃんにちょっと背中に貼ってみたらって言って、琴美ちゃんが背中めくってピッピって…何枚貼ったのかしらないけど、4,5枚貼ったのかな?ね。そしたら、痛みなんか知らん顔してね、知らん顔して、平気な顔して、普通に動いてんのよ。

(一同)あれ~
(宥厳先生)うん。そのくせファイテンが効いたんだろうって言ったら認めないの(一同笑い)。
(琴美ちゃん)で、帰りの電車もこうやってね!効いてるでしょって言っても、絶対に、うんって言わない。

(宥厳先生)あの~、楽健法をやってあげてね、継続的に楽健法をやってあげて、どんどん良くなって、目に見えて本当によくなった人がね、一体何の薬が効いたのかしらって言うんですよ。僕もこの耳で言われたの聞きましたからね(一同笑い)。

 楽健法で良くなっても、実に楽健法がよく効く、とは素直に言わないのね。何が効いたんだろうって言うんですよ。人間の心理って不可解ね。頭に来るよね!(一同笑い)。まあ、そんなことで。それでまあ、靴下試したり、靴試したりで、それで靴は結局いろいろ試してみてね、それで、これもダメ、これもダメって言って、それで、3足目はね、桜井駅の近くに遊歩人っていう店で足の裏を機械で測って、足形を作ってもらってね、そこの靴を買ったんですよ。これだと大丈夫だろって。

 だけどそれも痛くて、それで、5本指はくから痛いんで、ちょっと先がきついの。痛くて歩けない。で、しばらく我慢してはいたりしてたんですけど、そしたら、この間ね、キャラバンシューズが出してる靴がね、JAFの雑誌に広告が出てたもんだら、これならひょっとしたら楽に歩けるかもしれないと思ってね。それで、インターネットで靴送ってきたんですよ。確かに、楽なんだけれども、JAFの本、もう一度見るとここにチャックがついててすぐ脱げるって書いてあるのよね。

 ところが僕が買ったやつはチャックがついてないです(一同笑い)。それで、電話を掛けてみたら、それはチャックのついてるのと、ついてないのがあって、僕が注文を間違えたんだって言うんです。しょうがないからもう一度注文したの。そして、それを送って来て、昨日も、今朝もそれをはいて歩いてたんですけど、それをはいてると痛みがない。

 ところでねファイテンを貼って、痛みがなくなった時は、つまり根治してるわけじゃないのね。ファイテンを貼ってないときはやっぱりちょっと痛いんですけど、しかし、楽にはなってきていますね。で、ファイテンはそういう意味で、非常に重宝しています。

 今朝もお幸さんが腰が痛いっていうので、昨日僕がここで楽健法やったとき、ちょっときつくやり過ぎたらしくて、それで、左の腰が痛いって言うもんだから、それで、ファイテンのクリーム…何とか…マッサージオイル。あれでザーッとこうマッサージしてあげて、それで、よくすりこんでからファイテンを5,6枚ピピッと貼っといたら、そしたら、ようなったって言うてたから、あれはしかし、ファイテンが効いたんじゃなくて、僕のマッサージが効いた…んではないでしょうか!(一同笑い)。
(幸子先生)愛です。
(一同)愛ですね~。

(宥厳先生)そ、これが大事なのよね(一同爆笑)。だけどね、愛が大事とか、ありがとうと言う気持ちが大事とか言うこと言い出したらね、だんだん人が信用しなくなるのよね。何で、ありがとう、を言わなあかんのってなるんですよ。まあ、宗教家って言うのはさじ加減が難しいんですね。あんまり、有難い、有難いって言って、それは、「ありがとう」ばかり言って、ありがとうのデザインの鞄持って、ね、作って歩いている人が、東京にいるよね。
(琴美ちゃん)本人は言わないけどね。
(宥厳先生)言わないね(笑)。
(琴美ちゃん)…カットで!
(宥厳先生)東京の人。ありがとうって言う先生、おるやん。何とかって言う。もう、死んだんかな、あの先生。
(琴美ちゃん)いやいやいや、生きてますよ!
(宥厳先生)生きてる!?
(琴美ちゃん)息子さん?村上さん?
(宥厳先生)いやいや、それじゃなくて、その、ありがとうっていう大先生のほう。…小林…小林正観さんって亡くなられたねえ、確か。ありがとう…ありがとうの感謝の気持ちを持たないとダメって昔からどこのおばあちゃんでも言うよね。昔から。何も改めて誰かさんに教えてもらわなくったってね。…もう、ありがとうの話はそれで結構です。ありがとうございました(笑)。

で、その次の、行きます。はい。

●健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ
(宥厳先生)これはまあ、私のことですけれども。ありがとうが足りないかな(一同笑い)。おかみさんに「ありがとう」って言わないからだね。
(柳田さん)それが一番!
(宥厳先生)ありがとうを要求しても、自分は言わなかったりしてね。それはよくないんですよ、うん。

●大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ
これはまあ、東光寺山の上でね、夕陽を見ていたら。こんな感じですね。ちょうど夕陽の頃に、すごく、日没が美しい風景をちょっと書いてみたんです。

●あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり
(宥厳先生)これはこの歌の結論です。まあこんなところですね。このね、このフォントはね、これお幸さんの字なんですよ。おゆきさんの字をフォントにしたのね。
(一同)え~、そうなんですか!?
(宥厳先生)それで、ところがね、この手作り、手造りじゃなくてお金出して作ってもらったフォントですけどね、6,000円くらいだったか。ところがね、第一と第二しか入ってないのね。全部入ってなくて、たとえばここで、「朱色の痒み」の「痒み」って言う字が違うでしょ。これはねえ、字がないから、ほかのフォントの字を入れたんです。まあ、そういうことがあります。この「汀」って言う字もそうですね。これは他の活字をほりこんだりして。まあ、そんなところで終わります。

(宥厳先生)さっきのは、何やったかな。豆の…。
(琴美ちゃん)スノー?
(宥厳先生)スノーピーか。スノーピーって言う言葉、単語で引いたら出てきますか?
(琴美ちゃん)雪エンドウって呼ぶって書いてますよ。かっこ・ゆきえんどう、って書いてる。寒さに強いから、きぬさやを英語でスノーピー(ゆきえんどう)と呼ぶのですねって書いてあります。

(柳田さん)きぬさやは冬越した方がいいのね。でも、うちの方(長野県)は凍りますので(一同笑い)。芽が出ても冬の間に凍ってダメになっちゃうんですよ。だから、春になって蒔くことにしてるんですけど、あったかいところは冬越した方がいいみたい。
(宥厳先生)もう、今年はね、畝を5本か6本作ってますから。4月くらいになったら食べられるね。
(柳田さん)ただ、やぼ作ってあげないと。やぼと言うか…何ですか?
(宥厳先生)まわり網で張ったある。
(柳田さん)あっ、もう張ってますか。あれがないと伸びてかないから。
(宥厳先生)では楽健法やりましょう。護身法やりましょう。



楽健法(15)




竹取物語











新しい仏様







Dinner






楽健法(16)






第11回2月10日(2日目)その2

2013年03月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~




朝のお勤め










Breakfast

●天然酵母パン●かぼちゃスープ●野菜サラダ



楽健法前のお話
2/10 9:17
(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)残りがだんだん少なくなってきましたからね。それで来月は夜はもう楽健法しないで、ここで遊ぼうと思います。それで、コラの、アフリカの演奏家を呼んで来て、ここへピアノおろしてきて、ここで。上でやろうかなと思ったけど、寒いでしょう?で、もう暖房するのも、本堂片づけるのもめんどくさいから、めんどくさいっていったらいかんのですけど、それで、ここで遊ぼうかなと思ってね。で、皆さんに阿波踊りを伝授しようとおもいます。コラの伴奏で(一同笑い)。

 まあ、思い出になると思うので、楽しいパーティーにできたらいいですけどね。そんなつもりで。演奏は演奏で、ちゃんと、楽しく聞かせてもらえると思うし、西澤さんは来年は来られないので、来年は忙しいので、それで、西澤さんのピアノを聴く機会も、しばらくなくなるかもしれません。それでまあピアノもさみしがってますので、ちょっと・・・ね、ここへ下ろして来るのはちょっとたいへんかなぁと言うのもあるので、運送屋頼んで下ろすというのもね…電気ピアノを下ろしてきましょう…と思います。

(宥厳先生)昨日、竹まくら何人か使ったって。皆さんは使わなかったん?男の人使った?
(受講生)使いました!
(宥厳先生)どうでしたか?
(受講生)気がついて、朝はどっか転がってました(一同爆笑)
(宥厳先生)枕なしになってた?何か首がひやっとして気持ちいいでしょ?あれで、あのタオルまいてやりましたか?
(小山さん)ええ、巻いて…。寝るまでは気持ち良かった(一同笑い)。
(琴美ちゃん)ダーリン、丸い奴?
(小山さん)丸い奴…。

(宥厳先生)他には誰かやって、体験した人?あ、
(ちあき)腰痛いのがよくなりました。
(宥厳先生)よくなった!?すごいねぇ。
(ちあき)もう2ヶ月くらいずーっと腰痛かったんですけど。
(宥厳先生)竹様様やな。
(ちあき)はい!だからちょっと持ってきました!(一同笑い)
(宥厳先生)青い奴やった?ちょっと色のついた方?
(ちあき)はい、それで半分にした方です。
(宥厳先生)これくらいの高さでいいかもしれないね。高すぎる人はあれだったら割ってあげます、後で。昼休みに。持ってきたら。だけど、節のついてるの割るのはちょっとめんどくさいですね。割るのは一気に割れるんですけどね、節の底のところが欠けちゃうからね、そこまたちょっとえぐったりしとかないと危ないでしょう?まあ、気をつけて使えば。で、割ったらカンナでちょっと割った所をトゲ刺さると大変だから、三保君がカンナで削ってくれますので。三保君は使ってみた?どうでした?
(三保君)数分は気持ちいいんですけど、それから痛くなるのですぐ外します。

(宥厳先生)ああ、そうか。これは、何日もやってるとね、一晩中やってても平気になってくるのですね。それで、西式の健康法ではね、平床っていってね、板に寝るんです。板の上に。夜、もずっとそれでね。それで、板の上に毛布1枚くらい敷いてね、1cmくらいの厚みの大きなべニア板に毛布引いてそのうえで寝るんですね。それで、赤ちゃんも生まれたら枕なしで寝かすんですね。で、枕なしで板の上で寝かしてると、頭がへこまないもんだから均一な綺麗な頭になる。扁平な頭にならないそうです。そんなこと言われてます。

 それで、僕もだいぶ長い期間べニア板の上に板一枚引いて、三尺六尺の大きさのべニア板でね。普通のべニアですが、その上に毛布一枚引いて寝て、きっと寒いだろうと思うのは、思うだけで、本当はね寒くない。けっこう疲れも取れてね、それがいいって言うんですね。それで、クッションのいい布団はよろしくないって言われてます。しかし、ちょっと変わったことはなかなか取り入れ難いもんですよね。この中で平床で寝たことのある人っている?床の上で寝てる人。あ、あなたやってる?ずっと?
(諸戸さん)最近。
(宥厳先生)どうですか?
(諸戸さん)ちょっとここが浮くとよくないじゃないですか。それがよくわかるし、柔らかいと結局ヘンにバランスが崩れて。
(宥厳先生)そうやね。だから、まっすぐな所へ寝ることによって、矯正するんですね。あれ、昨日、平松さん何か竹切ってって言うた、あれはどうやって・・・どうやんの?
(平松さん)あれ、背筋の所へ…
(宥厳先生)はい!持ってきて見せて、1回。実験…今から実験しますから(笑)。

(宥厳先生)ここでやってごらん。真ん中で。
(諸戸さん)ストレッチポールだ!それやるといいですよ。
(平松さん)これで、こうやると胸が開くので、後はバランスとるのでこれで。そうすると自分のバランスが取れるんですね。
(宥厳先生)あんなことしたことないわ。気持ちよさそうやね。
(平松さん)気持ちいですよ。
(諸戸さん)でも、それ起きる時にそのまま脱力したまま、横にスライドして~
(宥厳先生)ちょっと、やってみ!
(諸戸さん)結局、これでこうやって寝ることによって、ここの肩甲骨とかのここが脱力できるんですよ、普段緊張してるのが。それで、寝てこのままだらんとやって、このままずっと寝てないといけない。そうするとベターっとここがひっつくから、これで5分か10分くらい、そのままにしてると、筋肉が…筋肉を弛緩させるって言う。でも、多分筋肉を弛緩させたくない人はすぐ起き上がったりとかする。この体勢がすごく苦痛になる。
(宥厳先生)琴美ちゃん、やってみ!(一同爆笑)
(琴美ちゃん)私ですか!?
(宥厳先生)マジっすか。
(琴美ちゃん)私、ケツが出てってから辛いん…
(宥厳先生)いやいや、大丈夫、大丈夫。なんでも実験してみないと。誰にでもできると言うことが分からな。
(琴美ちゃん)それ、出来なかったら恥ずかしいじゃないですか(一同笑い)。恐いし!
(平松さん)でも、結構スーッとしますから。
(宥厳先生)頭から外すの?
(受講生)頭は外した方がいいよ。
(宥厳先生)もっと上に来て。で、足伸ばして。ちょっと指導してあげてください、はい。
(平松さん)もうちょっと上に来て。
(琴美ちゃん)え?
(平松さん)それで、左手で大の字になって。
(琴美ちゃん)尾てい骨が痛い!尾てい骨が痛い!(一同爆笑)
(平松さん)こんな感じで。長さは長めにしてあるから。それで、揺らしてもらって。
(琴美ちゃん)○×※▲~痛い!痛い!(一同爆笑)違うよ~節に当たってるわけじゃないもん~
(受講生)もともと尻尾が出てる!
(琴美ちゃん)尻尾がじゃないの!お尻が出てるの!尻尾が出てるわけじゃないもん、私。
(宥厳先生)けっけっけっけっけ(爆)
(西澤さん)宥厳先生笑ってる~(一同笑い)
(琴美ちゃん)…そうこれだったらいいけど、私、完全にこれででっちりだからぁ!浮くやん!
(受講生)ほんとだ!
(琴美ちゃん)だから、ここに全部力が入っちゃうから、痛い!
(宥厳先生)これで、もうずーっと一晩中寝る!?
(琴美ちゃん)これで!?
(小菅さん)日干しみたいになっちゃう。
(琴美ちゃん)コラ!こんな危険なことしてたら…ヤバイ!殺人事件が、また。竹の棒殺人事件(笑)
(宥厳先生)好きなところへ持って行って。
(受講生)腰のちょっと上。
(琴美ちゃん)腰?
(宥厳先生)これだと、中山式みたいな感じで。
(幸子先生)快癒器。
(宥厳先生)これ気持ちいいと思います。疲れても。
(受講生)骨盤枕。
(受講生)それでこう手を上にあげたら。
(宥厳先生)そうそうね。それで、その木を上にしたり下にやったり、竹をね移動させて。これでも行けると思うよ。
(琴美ちゃん)え~でも、小菅に縛り付けられて燃やされちゃうんでしょ、私。

(宥厳先生)ちょっとこれ高すぎるけど、これでもできるわ。あの、体の慣れた人だったら出来るね。こうやって、ほら。ね。気持ちいですよ。これやると。あれだと頼りないでしょ、ちょっとそっちのでやってみて。
(琴美ちゃん)これだとたぶんダメだと思う。
(宥厳先生)ちょっとやってみて、それで。
(琴美ちゃん)バランスボール。
(宥厳先生)それ、刺激来ない?
(受講生)あ、一応あれですけど…
(宥厳先生)もっと上にあげてごらん。グーッと上に。はい、そこは?
(受講生)あ、ここだったら。
(宥厳先生)そこだったらいいでしょ。
(受講生)はい。
(宥厳先生)これはあんまり、硬い人には背が高すぎると思うね。
(受講生)あ、これいいですね。

(宥厳先生)だから、それくらいで寝るとね、楽健法で背中を押すのが一番難しいんです、実は。硬くてなかなかほぐれないし。それでね、ずっと昔に楽健法を教えてくれっていって、枚方市の歯科医師が11名集まって、歯医者ばっかりですけどね、対象に楽健法教えに行ったことがあるんですよ。その内の一人の男の人…皆、男の人ですけど、一人の先生がむちゃくちゃ背中が柔らかくて、えらい柔らかいんですよ。そして、どうしてあなたはこんなに柔らかいのって言ったら、中山式快癒器っていうのがあって、11年間毎日欠かしたことはないって。
 私もいつも布団の横に置いてやってますけど。

(琴美ちゃん)バネになってるやつですよね。
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。だから、自分で背中をね、まず緩めるというのはとっても難しいのと、この頃僕、ここよく踏んでるでしょ。それで、後ろも時間かけて踏んでるのは、楽健法でも、足の付け根踏んで、それもドンドン体変わっていくんだけども、ここの腰が、ここが緩むことと、胸が緩むこと、背中が緩むってことがなかなか難しいんですね。で、重病人になるほど、この辺が緊張してる。これとこれが。それで、腰が柔らかくなって、この辺が柔らかくなってくると大体病気治って来るんですよ。

 そうしたら、ま、背中もちょっと柔らかくなってくる。しかし、背中の硬さが最後まで残るようなところがあって。だから、こういうものを利用して背中に毎日、しばらくでいいですから、二、三分でもいので、当てて寝るっていうことね。で、中山式快癒器は、4つツボ、丸い金属の球が出て、それがバネが入ってるんだけどもね、この頃それが調整できる言うたね。高さが。
(琴美ちゃん)あと、2つのとあるもんね。
(宥厳先生)あの、だけど、2つのほう首に当てるの辛い。これに首を当てる方が楽ね。寝るのは。だからまあ今度はもっと長~い竹切ってきますから(一同笑い)。まずは、みんなが同じ竹で寝て、それで、朝起こす時は竹をカンカン(一同爆笑)

(小菅さん)めざしになっちゃう。
(宥厳先生)これ、まあ色々利用の仕方があると思うのでね、まあ、そうやって背中をまず、こんなものでも利用してね、しっかり自分で緩めてほしいと思いますね。で、まあ毎日ヨーガをやってるような人はね、それはそれでいいけれども普通の人はなかなかヨーガ1日に30分も1時間もするっていうことようしないので、だから、そういうものを寝る前にちょっと利用するっていうことをね、工夫されたらいいと思いますね。
(柳田さん)坐骨神経痛なんかあったりとか、腰痛があったりする人達でも使って平気ですか。
(宥厳先生)もちろんです。あのね、どっか体の部分が、どこかが固くてもね、それを例えば足の裏だけでも、踏んでてもね、全身にそれが波及して流れが変わって来て、全身に影響を与えて行くんですね。だから、部分は必ず全体を表してるし、全体をみると部分の悪いところも分るしっていう風になって、分離できないような関係にあるんです。だから、足の裏だけを踏んでも、指だけをもんで、体がよくなるという健康法も成立するわけですよね。

 だから、指だけ揉んでても、これも根気の問題なんですよ。靴下だけを履き続けても変わってくると言う人がおるのは、同じことでしょうね。だから、それが全身に波及して行くので、それは結局、体って言うのはスロータスっていう管で成り立ってるわけですから。どっかの所を刺激していくと、それが全体に波及していくということですね。だから、心臓もそうなんですけど、心臓は皆さん、ポンプで動いてると思ってるけれども、ポンプが止まったら死ぬだけだと思ってるわけだけれども、心臓は自分の力で、この隅から隅まで血液を送り出すだけのパワーなんか絶対持ってないんですね。

 で、私たちがこう動くし、こうやって動くことがつまり心臓の鼓動そのものなんですよ、これも。動く、踏む、歩く。全部ね。だから、全身是心臓と言ってもいい。で、そういう意味で、その心臓の一部をこうやって刺激してあげることによって、全体がこう流れて行くって言う風に考えた方がいいんですね。

 だから、対症療法でここが悪いからここだけ治してって普通の人は思うんだけれども、それは大抵の場合、上手くいかないケースが多いですね。つまり、他の所が詰まってて、そこが痛くなってるのに、だから、スイッチと痛んでるところとは別の場所にあることが多いんですね。だから、たいてい腰痛なんかでもそうなんですけれども、ここが、この辺がガーンと魔女の一撃でやられたら、ここが悪いと思うんですね、みんな。だけど、ここは少しも悪くなくて、悪いのはこんなとこだとか、こんなとこだとか、もっと上の方。そういうところが硬くなることによって、ここに痛みがガーンとくる。

 痛んでいるところはただ電気がついただけのことなんです。痛みって言うのは点灯したところです。だから電気消そうと思って電球外すひとはいないです。スイッチを切るでしょ。痛みのスイッチっていうのはたいてい別のところにあります。

 それで、僕は東洋医学の経絡とか何とかいうことに関しては全くの素人だけれども、素人なりに、そういう何か大きな原則みたいなことを踏まえて考えて行くと、あまり、経絡とかツボとか言うことにこだわらない方が病気が治しやすいんですね。

 だから、生半可に勉強して来て、例えば胃がどっか悪いんだって言うたら胃のつぼがここだって言うたらそこを触りたがる。でもこれではなかなか治らない。

 そういう意味で楽健法と言うのはもう無数のツボを一気にこう踏んでいくので、そんなこと、ツボのことなんか知らなくても、体全体が一つのつぼだと思ってね、それで触って行く。その内に足の面積で、触れて行ったところで硬いところをよりよく多く踏んであげるというようなことで緩めて行ったら、全体が治って来るんですね。

 だから、根気良くやればお尻だけ踏んでても、ローリングだけやってても、足の裏に乗って、こうやってゆすってるだけでも、病気と言うのは治って行くと思うんですね。だから、それはやり方だし、やる人の発想、どれくらいイメージできるかって言うことですね。相手の体に関して。

 だから、そういう意味でね、僕はあまりツボの勉強なんかしないようにってよく言うんですね。それは何か、あの手相見たら、人生が全部わかるように思ってる人もおるしね、それで、手相がよくないと、何かナイフで線を入れて運勢を良くするなんて言うような人もおるんだけれども、そういうことは実際は人生を決して支配しているもんでもないし、生まれ月が支配しているわけでもないしね。星が支配しているわけでもない。そういう統計的にはそういうことがあり得るということを、まあ私たちは長い歴史の間で、そういうことをやってますけれども、余りそういうことにはこだわらないで、やっぱりこう自分の目でパッと見て、楽健法で身体にふれながら実益を取って行った方がよいですね。

 だから、そういう意味では、やっぱりこうイマジネーションが働かないと、ヘンなほうの意識が自分を支配してしまって、イマジネーションも働かないような人間になれば、大変扱いにくくて、病気もなかなかよう治らないというような人間になってきますね。それと、まあ大体こう、病気になったら何か原因が他の所にあって他人のせいだったり、自分の中の頑固さみたいなもの、自分の中の無明無知、そういうものが病気を作ってるのにも関わらず、それを全部人のせいにするようなそういう感覚の人って病気が治らないですね。

 いつまでも、こう引きずって行きます。だから、人生と言うのはどっかでパンっと吹っ切れないといけないんですけど、なかなかそういうきっかけがないんですね。で、まあそういう人生をどっかでふっきって、自分を切り替えるいいチャンスをくれるのが病気なんで、病気になったらうれしいな、と思って、病気を楽しまないといけないですね。そうするといろんな発見をすると思うんですね。

 それが、こういう竹の竹の上に寝ると言うことにもつながっていくので(笑)まあ、ささやかなことですけれども、私も今背中に鷹の爪が入れてるんです。それとここにも今貼ってます、一つ。それで、僕は肋間神経痛みたいにこっちに痛みが来たり、こっちに痛みが来たりというのがよく起こるんです。それで、一番辛くて、冷えて辛いな~っと思うのが夜、寝てて、首のちょうど下のところですね。

 ここを冷やすと風邪を引きやすい場所ですね。ここが冷える。だからずーっとこのもう3週間くらい唐辛子吊るしてるんですけど、そしたら、夜、布団の中で寝るときもそのままにしていますと全然冷えないです。冷えを感じない。だから、これも一つの生活の智恵の使い方だと思うんですけど、鷹の爪療法というのも、是非やってみてください。

 調子が悪い人は、だから、痛いな、冷えるなっていう自覚のある場所に吊るしてみる。本当に不思議なくらいよくつらさを忘れさせてくれます。

ま、そんなことで、今年は冷えが強いので、それこそ昨日の歌にも書いたように霜焼けもできたしね。霜焼けは今から25年ほど前の1987年に私が高野山に入った時に高野山の修行の道場ですね。そこで5月に、5月でも朝はマイナス1度くらいなんですね。桜の花が咲くのが五月過ぎてからなんですけどね。特にその道場は山一つ越えた寒いところにあって、真別所っていう道場ですけど、そこがものすごい寒くて、しもやけけだらけになりました。手もしもやけだらけになるし、そのしもやけの手で数珠をね、念球こうやってするのね、そしたら、数珠の球をまあ毎日毎日くってるとここが裂けて血が出てくるし、それに五体投地って言って、こうやって五体投地して、これを108回やって、それからペタっとこう座るわけですね。

 正座の行が最初始まる。そうすると、ここの座る、禮盤っていうんですけど、薄いべニア板が三本の板に張り付けてあるだけで、真ん中がこう持ち上がってるんですね。持ち上がったとこがちょうど足のくるぶしに当たる。そうすると、ここが穴があいてじくじくとそっから体液が出てくるし、それで、もう一つ先の方からも、ちょうどこの薬指の付け根くらいのところですね、そこも穴があいて、両足ともね。だけど、もうそれで座らないわけにはいかないから、諦めて座るんですけどね。それで、しびれてくるんですよ。ものすごく足がね。で、しびれてもいっぺんでも動いたら落ちつけなくなってしまってそれで失敗ですね。一度、痒い~とか痛い~とか、しびれた~とか思って動き出すともう集中が全然できない。いくらマントラ唱えとってもね。できなくなってくるので、もう諦めてじーっと座ってるんです。

 僕がこどものときに母親が時々金光さんに朝の6時くらいにね、お参りに行くのに連れて行ってもらって僕が横で正座させられて、もぞもぞ動いてよう落ちつかんと座っとったら、「諦めて、動かないで座ってなさい!」とか言って叱られたことがあります。それで、高野山の行のときにそれを思い出してね、諦めて動かないように座ってました。

 母親のそういう叱責も、いつの間にかどっか頭に入ってて、それが行をするときの支えになったりもするのです。

 竹枕も活用してみてください。まだ竹のほしい人はまた…ようけ転がってましたから。三保君が切って来てくれますから(一同笑い)。彼にオーダーして下さい(笑)。じゃあ、これくらいで楽健法やりましょうかね。
 どうも、ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。






























楽健法(17)






Lunch




楽健法(18)




終わりのあいさつ

第10回1月12日(1日目)その1

2013年03月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
13:00 講義
(宥厳先生)お正月は皆さん、いいお正月を迎えられましたか?みな大体自宅で正月送られたんですか。故郷へ帰られる方もいらっしゃる?こん中に。
(受講生)特に…。
(宥厳先生)東光寺では三十日に餅つきをして、それで、大みそかの晩に初護摩を焚いたりして、あんまりたくさんお参りの方もいらっしゃらないんですけど、まあ、いつも少人数ですが、護摩の祈祷は色んな人から毎年のように申し込みが来てるので、人が来ても来なくても護摩は焚くことにしてるわけです。

(宥厳先生)今年は餅つきも三臼ついたんですけど…
(幸子先生)四臼!
(宥厳先生)四臼?あ、そう(一同爆笑)。四臼言うたら二升ずつ…
(幸子先生)八升です。
(宥厳先生)八升、餅ついたんですね。それで、いつも私半分以上はつくんですけれども、今回は私はノータッチで、みなさんに…大工の源ちゃんも来てくれたりして、それから、奈良で、今東京の方に行ってますけど、吉田由佳さんと言う方がご夫婦で来てくれて、吉田さんが杵取りがお好きなんで、それで、まあ私は横で見てるだけだったんですね。まあ、そんなんで。怠けたせいか風邪を引きまして(笑)。少し、いまだに鼻声です。

 それで、今日は4時ごろにペテロ・バーケルマンス神父さんがここへ来られます。ペテロさんの妹さんベーラさんっておっしゃる妹さんです。…と、それと、それを車で多分、小谷良子さんっておっしゃる、あの人は今どっか、奈良か…女子大の教授されている女の方ですけど、まあ、あの古い、お互いに知り合いで、小谷さんが車でここへ連れてきてくれると思います。

 ペテロさんにまあ、今夜2時間前後お話ししていただいて、どんな話してくれるかわかりませんけれども、この間ここで先月紹介したのかな、「イエスと空海」という、大部な本を日本語で出版されたんです。で、この本についてお話して頂こうというようなことです。内容が非常に奥が深いのですが、カトリックと真言密教との共通点をさぐる、そういう比較宗教学の立場でずっと勉強されて来た神父さんです。

 日本に来られた時はまだ神父さんではなくて、布教師として日本に来られたんですね。それが1991年のことだったと思いますね。で、私と出会ったのもちょうど1991年の1月ごろだったと思うんですが、大阪のお寺で彼が日当たりのいいところで日向ぼっこしながら本を読んでたんですね。

 そのお寺のおばあちゃんに私が週に2回くらい楽健法しに行ってあげてたんですけど、そこのお寺の本堂の前で私がお寺に行ったときに目があって話をしたのがきっかけなんですね。日本に来られたばかりで、まだ日本語がほとんどできなくて、あいさつくらいしかできなかったんですけど、まあ、それで色々お話聞いてる内に、仲良しになって、それでちょうど私はこの東光寺に入ると言う話が決まったばっかりのときだったんです。

 東光寺へ入ってからたびたびペテロさんが来て下さっていろいろ助けてくれました。
東光寺に私が引越ししたのが1991年4月19日、桜が満開のときに引っ越ししてきました。それから彼は絶えずここへやって来ては、そのお寺の整備を手伝ってくれたりしました。それ以来随分お互いに便宜を図りあって来たような関係です。10年くらい前ですかね、真言密教についてのガイダンスを彼が英語で書いて、高野山出版と言うところから本を出したんですけれども、それの翻訳を出すということだったんですね。ところが、やってる内にだんだん意欲が出てきて、こんな大部な内容になってきたんです。

 真言密教についての部分は僕もリライトしてほしいと言うような依頼があって、去年、一昨年くらい、私もかなり集中して彼の論文に目を通しました。
小谷良子さんが、全体に目を通されて非常に読みやすい、いい本になっております。

ペテロ神父さんは素晴らしい方です。ペテロさんは双子で、双子の兄妹でベーラさんとおっしゃるんですけど。ふたりを見てると双子と言うのは実に仲のいいもんだな、と言う感じがする、
2回くらいベーラさんも日本へ来られて東光寺へもその都度来られたんです。

今日の予定ですけれども、今から楽健法を、早い目にやって、それで彼が来てから一緒に食事、関東炊きか何か知りませんけど、おでんやってんのかな。それを皆さんで食べて講演していただきます。
外部にもフェイスブックやブログで呼びかけたんですけれども、いらっしゃるかどうかわからないのですが、2、3人来られたらいいとこだと思います。今夜は楽健法はなしですね。

 それで、今、お渡ししたのは例によって下手な短歌ですけれども、これはちょうどこちらの先月の講習会が終わって翌週に福山へ行って、福山の教室で始まる前に慌てて書いた短歌です。どうだんの締め切り日を、どうだんの後書きに書いといて下さいって編集長に僕が言ったら、じゃ書いときますって言って、12月12日に雑誌が届いたんですけど、それに〆切りが12月10日ですって書いてあったもんだから、間に合わせようがない。これは慌てて書かないといかんと思って、福山で書いたわけです。いつも詰まらない短歌ばかり書いてるんですが、ちょうど最初のは…

●もみじ葉の真っ赤に染まるやわらかき陽差し眺めつ夕餉の支度
先月は座敷からちょうど前のモミジが真っ赤に映えてた時期だったので、その印象をこう言う風に書いてみたんです。

●集いたる楽健法の受講者に過ぎ来し俗世の歩みを法話す
 先天的にお坊さんと言うわけではありませんので、まあ誰もそんな人いないんですけれどもね、ま、先天的には俗物であるというのが相応しいようなわたくしですので、まあ俗世の、いままでの歩みを法話すということです。

 今日フェイスブックにアップしましたけれども、アーユルヴェーダ研究会の代表だった丸山博先生の奥さんで丸山光代さんっておっしゃる方が今97歳になって、それで、この間、何やったかな、フェイスブックにアップしたんですけど、内閣府からエイジレス・ライフ賞、年はいっても元気で介護なんか受けていない人に出す賞なのかな。エイジレス・ライフ賞って言うのを受賞したみたいですね。97歳です。年は取っていてもかくしゃくとした元気な人ですね。97歳だから多分彼女はセンテナリアン、一世紀を生きると言う、センテナリアンを達成できるんじゃないかなと思います。彼女がセンテナリアン達成するの見届けようと思ったら、こっちがそれまでもたなかったりして(一同笑い)。その可能性も無きにしも非ずですけどね。まあ、もうあの世に行ってることも多い世代になってきて、ちょうどこの14日が僕の生誕記念日(一同笑い)、生誕にあたるんですけども、それで七十七回目と言うことでね、だから、喜寿っていうことになるらしいんですね。まあ、そんなこと言うてまだ若いですけどね。まだまだ続けられますって人には顔を見て言われてるんですが、、、。

●即興の一人芝居を演じては空爆されし経験語る
 「がらんどうは歌う」と言うのはいつも毎年やって来てるんですが、今年はどうしようかななんて毎年思いながら、またその時が来たらやってしまったりもしてるんですが、もうちょっとおもしろくもないのかな、と思ったりもしながら、しかし、戦後60何年も経つと戦争についての体験を語れる人がほとんどいなくなって来ていると言うような時代に入って来ましたので、語り部としてもうちょっとやれたらやってもいいのかなと思ったり、まあ今度やるんだったらそれこそ本当の即興で、「がらんどうは歌う」というような台本は関係なしにね、一発こうチャレンジしてみるというのも、面白いかなー。
(琴美ちゃん)言っちゃた!言っちゃった!
(宥厳先生)ん?面白いかなーなんて考えているわけです(一同笑い)。やるとは言ってないんです。まあ、あの芝居皆さん見て頂いたと思うんですけれども、話は…芝居見てて即興であくまでも即興でやっていると言う風に書いてあるものなんですね。私は、まあ俳優と言うのは即興で1時間くらいね、人を楽しませられなければ俳優とは言えまいなんて生意気なことを思ってるところがあって、それで、観客に錯覚を起こさせる、本当なのか嘘なのか、現実なのか、わけがわからないようなそういう世界に引っ張り込んでいくというようなそういうカラクリで、かなり計算したんじゃないんだけれども、書くときに本能的に計算ができてるんですね。後から考えたら、だから非常に不思議な虚実のからくりを持った芝居だと思うんですね。

 それで、ある評論家なんかは、ぼくの芝居を観た後で、虚実の境目がわからないような世界を目指す人は多いんだが、なかなかそういうことが書けないんだと言う話をされたことがあります。いかにも台本書いてやってら、絵空事みたいな感じがするんですね。「がらんどうは歌う」本当かうそかわからないという揺さぶりをかけるというところを狙ったんです。それで、寺山修二なんかもね、そういう世界を狙ってやろうとしたんだけれども、結局一度も成功しなかったんだと言ってその人は私に言ってたですね。だから、まあそういう意味では、ユニークな独白劇だとういうのは確かだと思うんですね。

 後は、楽健法のことばかり書いてます。

●足で踏む足裏太もも脹ら脛腕の付け根も手足の先も
 この歌を覚えてたら楽健法ができる、そういうつもりで書いてみたんです。それから、

●踏まれては眠ってしまう楽健法眠っちゃ駄目だね教えられない
これはときどき、「私の楽健法はどうでしたか?」って踏んでくれたひとに終わったあとで聞かれるんですよ(一同笑い)。それが全然記憶してないんですよ。ホントにやってくれたの?ってことになっちゃうのでまあそんな感じですね。

●踏むことをム楽健法といい踏まれるをディ楽健法というインドネシア愛好家
インドネシアの領事の人たち、神戸…関西に住んでるインドネシア人の中でここへも勉強に来たリした人がいるんですけど、楽健法に夢中になってるグループがあってね、毎週2回くらい楽健法やってるそうです。その人たちは踏む方は「ム楽健法」って言うんですね。Melakkenhoってスペルで書きますけど、楽健を「L」で書いてますね。それで、MEっていう前の言葉がついて、それを「ム」と読むらしいです。で、「ディ」はDIと言うのが楽健法の前について、踏まれる方と踏む方と言うのを分けて言ってるんですね。僕らはそういう便利のいい言葉はなくて、楽健法をどっちが踏む?とか言ってますけど、ディ楽健法やる?とかム楽健法やる?とか言うようなことばをつくってやってるらしいですね。すごいな、とそういう言葉を作りだしてやってるって。ぼくにも是非教えに来てほしいって言って領事館の方から言われています。

●楽健法をはじめたところあれほどの不仲消えたとケニアの夫妻
この「あれほどの」って言うのがね、「あれほどの不仲」って言うのは琴美ちゃんがいろいろ事情は知ってるらしいですが、その方が1月に来られて、さいきん楽健法を奥さんと踏みあうようになってから、対話ができるようになり、理解ができるようになって、仲良くなりました。そのことを宥厳先生に報告しなくちゃと思ってやって来ましたっておっしゃってたので。楽健法というのはそういうありえないような奇跡を起こすね、そういうタッチトリートメントなんですね。良くない人間関係を修復すると言うことは、色んな人やグループからも言われてます。

 昨日、一昨日か、友永ヨーガで長年ずっと先生してた、橋・トーマス・流美さんて言う人が奈良に最近引っ越して来られて、それで年賀状、写真入りの丁寧な冊子も送って頂いたりもしたもんですから、

Trrr.....

ちょっと待って…ちょっと待ってね、運送屋さんや!

《電話終了》
せっかく配達にきたのに持って帰ってしまうという運送屋さんがおって(一同笑い)。置いて帰るのと持ち帰るのとどっちが正しいのか(笑)。

 まあ、まあそんなことで、その友永ヨーガの橋先生のおっしゃるのには、人間関係の修復、それとか精神的な困難を抱えている人に対しても楽健法をすると、ヨーガに入りやすくなるといってられました。友永ヨーガで、そのような困難が見えて来た人に対しては、まず湯沢先生なんかは先に楽健法をやってあげて、それでほぐれてきたらヨーガの道にスッと入れるようになるので、そう言う活用の仕方させてもらってます、と言ってられました。ケニアの夫妻は、今頃ケニアに帰ってられると思うんですけど、仲良く今日も踏みあってるでありましょう、と言うことで(笑)

それから、
●手のひらに

手のひらに足の裏にもあかあかと血が通うのかほかほか手足
まあ、楽健法の功徳ですね、これも。楽健法の効能。

●クロガシの樹霊見守る杜に棲む野良猫蛙長虫浄土
 東光寺山のことをこう言う風に言うてみたんですけど。大きな木がたくさん階段の両側にあるますが、あれクロガシの木なんですね。それから、屋根の向こう、本堂の裏の屋根越しに見えているのが落葉樹、葉が落ちてるのがいわゆるクヌギとか、そういうシイタケ取るようなね、木ですね。野良猫、蛙、長虫…長虫って蛇のつもりで書いてるんです。長虫浄土。まあ、そういう何もかもが一緒に住んでるぞ!っていうことですね。

 これは、この額に書いてる「共生浄土(ぐしょうじょうど)」っていうね、これもそうなんですけど、これは、あらゆる生き物が仲良く住むと言うことももちろん含まれるんだけれども、「共生(ぐしょう)」というのは霊的な意味で、この世には餓鬼と言うのがいましてね、私たちには普通見えないんで、高野山で修行してきたら見えるようになるんですけどね。

 餓鬼と言う普通のひとには見えないのがおるんですね。餓鬼はその辺を走り回ってるんですよ。だけど、人間が面と向き合うとシャイでパーっと逃げていったりするんですね。だけど、隙だらけの人間にとりついて悪いことをしたり、まあいたずらをするのがそういう餓鬼ですね。それで、そういう餓鬼が悪いことをしないように施餓鬼供養と言うのをお寺では年に一回やるわけですね。

 その、餓鬼って言うのは背丈がだいたい50センチくらいだと言われてるんですね。5~60センチ。それで、あの、大きなお寺の本堂なんかに行きますと、本堂のだいたい前から見て右の方に柱を一本、縁側の近く立ててあります。ちょうど縁側よりちょっと低いくらいのところね。縁側結構背が高いと思うんですけど、それが柱を立てて、その柱の上にちっちゃな台作って、棚板を乗せてあるんですね。それがいわゆるサバダイって言う柱で、それで施餓鬼供養するときにお坊さんはご飯を食べるときに必ずちいちゃなシュッサバって言う風に言うんですけど、ちっちゃなお皿を横に置いておいて、それでまずご飯をね、六ヶ所に三粒か四粒ずつご飯をその皿の上に取りよけとくんですね。で、それを、まあ行者が20人なら20人いると、そのご飯を夕方集めて、それでそれを一つのお皿に入れて、その柱の上にポーンと置いて、餓鬼に施す、そういう施餓鬼供養をするんですね。

 高野山で四度加行のとき、施餓鬼供養するときは数珠は懐に入れてしまって使わない。
 施餓鬼というのは目が合ってもパッと逃げるし、それから数珠の音を聞いてもパッと逃げるので数珠なんかも隠してしまって、それで施餓鬼供養のお経をあげて、それからこの「共生浄土~」と言う言葉の入ってるお経も上げて、それでそのお皿を柱にそっと置いて、置いたらもう絶対後ろを見ないようにして、引き上げてしまうんです。
 そしたらそれを餓鬼が食べに来る。そうやって餓鬼に供養することによっていわば人間に悪さをしてる、いたずらをしてるような餓鬼をね、人間の背後霊みたいにして役に立つことに力を貸してくれる。そういうものに変えて行こうと言うのが施餓鬼ですね、だから、この共生浄土と言うのはそういう霊界の魑魅魍魎も含まれたものであって、長虫とか蛙とか野良猫だけではないと言うことです。

●あとひとつ

あとひとつ詠めばさばさば着こなして旅に発てるか師走の朝
これは、まあ、短歌を九首まで書いてきて、最後の一つを読むときに、ああもうこれで終わりだと思ってこんな歌を書いたわけなんです。

 お粗末でございました。じゃあ、今から楽健法やりましょう。で、一時間ずつくらいやる時間はあるだろうと思うので、まあ、そのつもりで、ね。



「イエスと空海」


「どうだん 1~2月号」




しめなわ



楽健法(12)



Dinner「おんぎり&おでんset」

●おでん(れんこん、だいこん、ちくわ、こんにゃく、じゃがいも)









講義「イエスと空海」














質疑応答


本にサイン



第10回1月13日(2日目)その2

2013年03月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~




朝のお勤め




太陽が昇りました!






Breakfast

●天然酵母パン●かぼちゃスープ●野菜サラダ






「山崎光代先生の肝臓ガン」






楽健法(13)



Lunch







●れんこんまんじゅう(れんこん、ごはん、シソの葉)●ふきの煮物●ほうれん草のおひたし(ごまゆず風味)●おでん(だいこん、おあげ、じゃがいも、ちくわ、こんにゃく)



楽健法(14)




終わりのあいさつ