13:00「どうだん」
2/9 13:16
昨日は奈良のイオンハウスで講習会を開いて、そこに参加した人がさきほど三人見えられてて、本堂で般若心経をあげてきました。沖縄から来られた人たちは鍼灸師の男性と助産婦さんで、もう一人は京都の助産婦の方。
助産婦のかたは楽健法に以前から関心があってやっと来られたといっていました。
助産婦の方たちは随分前から楽健法を取り入れて、実際に妊婦さんに指導してる方が東京など各地にいらっしゃるんですね。
東京の助産婦の方で、宗祥子さんという方が去年「安産力がつくナチュラルなお産の本」を出されまして、そこにも夫にやってもらいましょうという楽健法が紹介されています。妊娠してからの生活指導、妊娠の入門書って言ったらおかしいね(一同笑い)。そういう本を出されたんですけれども、その中に楽健法のことを取り入れています。2ページくらいですけどね。足の付け根だけでも、ご主人にしっかり踏んでもらいましょうと楽健法を勧めている本が去年出ました。
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昨日は酵素風呂の講習会に12名参加されましたが、そこに沖縄から来られた方と、京都からと助産婦さんが参加されて、聞くと宗祥子さんとは東京で一緒に病院で働いていたそうです。
その当時の仲間の一人の助産婦の方がこの桜井に結婚して引っ越してきていられて、それで3年か4年くらい前にその方が東光寺の講習会に来られて楽健法を体験して、間もなく妊娠されたんですね。昨夜はそこへ泊られたらしいです。ま、そんなことで可愛い女の子でした、と言うような話でした。
今日は赤ちゃんに縁が深いのか、横出さんが、ひな形みたいな(一同笑い)、可愛い男の子を連れて来られました。
この人もまだ赤ちゃんの風貌してるよね(一同爆笑)。
そんなことない?(笑)こういう顔の赤ちゃんっているよね。さっきおったやん(一同笑い)。
横出さんはこの間、正月にね、赤ちゃんを連れて来られたんですよ。餅つきの日だったかな。
(横出さん)一日にです。
(宥厳先生)あ、正月か。それで、こどもさんを連れて来られたもんですから、皆に今度連れてきて見せなさいって言って、それで、赤ちゃんを連れてきて頂いたんですけど。可愛い男の子ですね。
楽健法やったり、ヨーガや食生活をきちんとしてるお母さん、ご夫婦からこどもさんって言うのは非常にナイーブで、育てやすいこどもさんが生まれますね。
むずからない。ほんとうに素直なこどもが生まれるみたいです。横出さんのお子さんはどうですか?
(横出さん)あんまりむずかったりしないですね。
(宥厳先生)しないでしょ。育てやすいですね。他にも最近赤ちゃん来たかな?
(幸子先生)来た来た。
(宥厳先生)どこの赤ちゃんやったかな。
(幸子先生)第四に来てる子で。
(琴美ちゃん)岡本さん?
(宥厳先生)いやミカン農家の、和歌山の、有田から赤ちゃん連れて来られたね。こないだ。えらい猛烈な勢いで泣いてたね、あの子。(一同笑い)
(幸子先生)泣いてたから、もっと泣けーって。負けんようにまた、うえーんって(笑)
(宥厳先生)まあ、こどものエネルギーってすごいね。尽きることがないね。
僕はこどもの時、兄弟が7人で長男ですからもう、ちびばっかり走り回って随分うるさい家で育ったはずなんですけど、その頃はそんなに思わなかったんですけどね。この頃になるとちょっとこどもの面倒よう見切らんなと言う感じがするくらい騒々しいと思います。
うるさいっていうか、あのエネルギーにはもう負ける。とてもじゃないけどついて行けない。
見てるだけで疲れるような感じがするんですけどね。まあ、あの元気さがないと大人になって行かんのでしょうねぇ。まあ、そんなことを思いました。
それで、そういうこどもが段々大きくなって、これから今の日本の現状を考えると非常に、今からのこどもたちは大変だろうなと思いますね。大人になって行った時に。みんな、大人の責任なんですけど、こどもたちに、子孫につけを残してね、原発問題から解決が不可能なほど色々大変な問題が出てくると思いますね。ま、そんな中でこんな楽健法の勉強を皆さんと一緒に出来るのはとても幸せなことなんですが、自分だけ幸せであったらいいと言う風に思えないと言う、例えば宮沢賢治みたいにね、世の中に一人でも不幸な人がおったら自分は幸せとは言えないなんていうような感覚でおれば、そういう人は永遠に幸せにはなれないですね。
だから、個人の幸せと言うのはある意味非常にエゴでもあるんですよね。だから、私は何か、これをやっているから幸せなんだとか、あの人に出会ったから幸せなんだ、とそれはあるでしょうけど、それはやはり、一人一人のその時点での幸せであって、人類全体の幸せなんていうことになると、ありえないのかもしれない。過去にもそんな社会があったことはないし今後もあり得ないでしょう。
だけど、人間がずっと考えて来たのはやっぱり幸せって言うこと、皆がそういう風にならないといけないと言う風に考えて来たと思うんですね。心ある人たちは。
まあ、楽健法もそういう意味ではね、これをすることによって皆が幸せの一つを獲得できる道だろうと思うから、こうやって楽健法を普及することに力を入れたり、天然酵母パンを普及させようと努力したり、アーユルヴェーダ学会の事務局長を長年やったりしたのは、そういうことに繋がっていくと思ったから努力してきたわけですね。
まあ、これからも元気な間はしっかりと頑張らなあかんなと思って。それで、先ほどもここへ三人で来られてた人たちにちょっと話してたんですが、例えば私が芝居をしたりする。
人間の遊びの中で一番面白いのは芝居ではないかと思ってるんですね。で、まあ、皆さんも芝居やったらわかりますけど、やっぱり芝居の面白さって言うのがどこにあるのかなって言うようなことですね。
舞台で何かライト浴びてね、ええ格好して演技をするのだけが楽しいのじゃなくて、芝居の面白さって言うのは、僕が劇団に最初入ったころから、気がついてたんですけど、劇団で芝居をする面白さって言うのは例えば裏方で雑用みたいなことやったり、編集をやったりね、舞台監督みたいなことやったって、それは表に目立たないところの、陰の仕事ばっかりだったんです。
だけど、劇団で一つの、全体で一つの仕事を、舞台を仕上げて行くことには猛烈な、尽きざる面白さがあるわけです。それはね、一体何なんだろうと思ったんですけれども、それはね人間が、それぞれ違った人間が、ある一つの目的のために、協力し努力して、譲り合ったりしながら一つの世界を作り上げる、アンサンブルを作り上げて行く共同作業の美しさ、それが楽しいのだろうと思うんです。
私が一番最初にそういうことに気がついたのはまだ小学校に入る前のことでしたけども、わが家に蓄音機と言うものがありましてね。箱形の蓄音機、自分では力がなくてネジをよう巻かないんです、重くて。それで、母親にねだって、蓄音機のねじを巻いてもらってレコードをかけるわけです。
当時はレコードの針も二、三回使ったら擦り減るもんですから、レコード針を取り替えて使い捨てるわけですね。だけど、戦争が始まってて、金属がなくてレコードの針が手に入らなくなって、古いレコードの針を大事にしまっておいて、それを砥石で砥いでまた使うんです。
それで僕は3歳くらいのときにもう自分で砥石でレコード針を砥いでましたが、ねじを巻くのは母親に巻いてもらって、それで、いつもレコード聞いていたわけです。
家にはレコードがあって、その次に父親がラジオと言うものを買って来たんです。
それで、ラジオを聞くようになると、ラジオから音楽が流れてくるんです。その音楽を聴きながら、この音楽と言うものは、レコードをまわして、その音がここから流れてきていると僕は思い込んでいたわけです、ずっと。
ところが、ある日のことね、アナウンサーの話を聴いていたら、生のオーケストラの演奏を今から放送します、という紹介があって、それで、綺麗な音楽が流れて来たわけですね。で、その時に僕はすごい衝撃を受けたわけです。つまり、レコードだからあんなにきれいな音が間違わずにいつも同じように出てくると思ってたんですが、じつは生身の人間が、いろんな楽器を生で演奏して、それで、あの美しい音楽が、アンサンブルとして出てくる。これはすごい人間の能力だと思ったんですね。
ばらばらのはずの人間がまとまって一つの美しい音楽を作りだす。それを知った時に、僕は人間っていうのはやる気になったら何でもできるんだな、人間の持ってる可能性、能力のすごさに気がついた、目覚めたような感じですね。それから自分が何でもやればできる人間なんだというような気がしたのです。
私にはそれはできませんという前提はもたないでやってみる。やってみると大抵はできる。それが、未だに続いておって、それで、何でも出来る人間のすることの一つとして、こう言う短歌もずっと作るようになってきたわけですね。
だから、それは何かやはり色々違った人が一つのものを作り上げようと思って、力を合わせてやって行って出来あがるっていうことですね。それで、芝居なんかの劇団の組織とか芝居の作り方を見てても、一人一人の裏方が、俺はこうしたいという自己主張もそんなにしないで、それぞれ自分の役割をわきまえたうえできちんとこう、仕事をして行って、それで、まあ舞台というものが出来上がるわけですけれども。まあ、そういう共同作業の美しさ、みたいなものですね。
そういうものを僕は最初こどものとき、その一枚のレコードの音から、ラジオを聞いて発見したことですね。で、それ以来そういうものの見方って言うのがずっと続いて来てるわけです。だから、私にはこれしか出来ないとか言って、あまり自分を限定してしまうようなことをしない。
それで、そういう限定しているような人がおったら、そうじゃないよって言ってけしかけては、何かやらせると言うような生き方をずっとしてきたんですね。まあ、今からも、みなさんもそうやって、私と何か接している内に、何かしら発見があればうれしいことですし、まあ、そういう意味で、自在にものを見ると言うことですね。
だから、あまり固定観念を持ってしまわないこと。いつも柔軟であることですね。柔軟でゆとりがあると言うことが健康の証拠なんですね。何でもそうで。体もだから、ゆとりがあるから健康なんで、これはあの、例えば喘息が出てくると言うのは、時には手が硬くなり、背中も硬くなりして、それで、肺がグーッと締めつけられて、十分息が吸えるゆとりがなくなってくるから、息が吸えなくなると言う「ぜんそく」になるわけですよね。
それで、小児ぜんそくは、晩飯食わさないで試してみろって言うのもそれなんです。晩ご飯を食わないと、肺が下の方に広がるゆとりができるのです。食べたら下から圧迫されて、たちまち喘息が起こるわけですね。そういう意味でいつも、どこの病気であってもそうですけれども、やっぱり、それはゆとりがあると言うことですね。それは体のゆとり。
それから、精神にも考え方に柔軟さがあって、自分で物差し持って安易に物事を決めてしまわない。だから、どんなことでもちょっと角度を変えてみたら違ったものがいつでも見えてくるはずなんで、基本的にそういう考え方を持っておったら、雑多な知識なんかも必要ないわけなんです。色んな知識を持って、知識の引きだしをいっぱい持っていたって人間にとってはほとんど役に立っていないんですね。
学者と言うのは大体、引き出しにいっぱい知識を詰め込んでね、それを切り売りしたら仕事になると思ってる人が多いんですけど、そうじゃなくて、絶えず人間と言うのは創造的であって、いつも新しいことが次々と思いついてやっていけるような、それで何か問題がやって来た時にパッとそれに最適の回答が見出せるような、そういうサバイバルな能力ですね。そういうものを身につけないとダメだろうと思うんです。
で、楽健法をやる時もそうですね。決まりきって、覚えた手順通りしかできないという人もいっぱいおると思うんですけれども、、一人一人に、相手によって違った楽健法ができるという、そういう柔軟さも判断力ですね。そういうものを合わせて持ってほしいなと言う風に思って、いつもいろんな角度から話をさせてもらってるわけです。
では今日の「どうだん」読んでみます。
これは、4日…5日くらい…先週作ったのかな。先週の水曜日くらいに、何となくもう送る時期じゃないかな、と思って、「どうだん」の新しい号が届いたもんですから、あ、次の送った方がいいのかなと思って書いたもんですから、あまり推敲していないんですけど、読んでみます。
どうだん
●ほろほろと
(宥厳先生)これは今、東光寺山の上に三保君がどっかで買って来てくれた豆の種を。だいぶたくさんまいたので、今、50本以上出てるね、あそこにね。その苗が、何か寒い~中でね、よく伸びてます。それで、僕、それを今、畑の苗をフェイスブックに写真撮ってアップしてるんですが、その写真の中の苗が延びて行ってますね。
(一同)え~~~~~!?
(宥厳先生)いぇ~~~~(笑)。本当やって。写した時より大きくなってる。
(琴美ちゃん)怖いから。
(宥厳先生)これが、この歌です。
どうだん 三~四月号二〇一三年
山内宥厳*
ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に
日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び
さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く
じんわりと
冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み
何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か
左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり
健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ
大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ
あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり
●ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に
(宥厳先生)このきぬさやって言うのは、え~っと英語で…何やったっけ…それをね、今村悦美さんがフェイスブックで、僕のにコメントを出してる。何とかピーって言うって。
●日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び
(一同)何とかピー(一同爆笑)
(宥厳先生)コールドピーだったかな。ウインドピーやたかな。豆の絵のところにコメントくれています。それで、「こんなに寒いところでも伸びるんですね、だから」え~~~…書いてますよ、うん。ちょっと調べて見て下さい。
●さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く
これは、「ざくざくと」ではなく「さくざくと」と書いてあるんですけど、サクッとしてザクっと行くと言う感じで。
●じんわりと水を含んだ今朝の畑汀に沈む足の感触
地面が湿っててね砂浜を歩く。海岸の砂浜のやわらかいところへシュッと足ふっとしたような感触。それで、こんな風に書いてみたんです。
●冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み
中指のここがずーっと先がしびれたのかと思ったら、みんな霜焼けができとったのね。僕、草履で歩いているもんだから。それで、あか~いいまる~い目玉ができてるんですよね。それが朱色の赤み(笑)そういう風に書いています。
●何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か
これ、「何」「何」って言うの重ねてまあ書いてみたかったんですけど。それが、何月かと言うのも本当はね。今日は、今…何月なんだろうってね。実に頼りないんですね。それで、自分の年も忘れてね年金の手続きに行ったらあなたは来年ですなんて、市役所に行くような人ですから。だから、まあ、こんな感じで。粗忽者なんですね。
●左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり
この、「ありました」っていうようなのを歌の中に使ってみたかったんです。「ご飯を食べました!」なんていういい方の短歌も詠めるんじゃないかと思って。靴で歩くと左足の第4指に激痛があるんです。で、これでファイテンと出会ったんです。
平松さんがね、これ試したらってファイテンくれたの。
この指が痛くてね、靴履いて歩けないんですよ。靴履いて歩くと激痛が来る。それで、一体これは何だろうと思って、一番最初それを感じた時は、滅多に靴履かないんですけど、靴をはいて東京へ出かけようと思って、靴履いたときにえらい痛かったもんだから、これはきっと靴が悪いに違いないと思ったんですね。足が悪いなんて思わないで。痛くて歩けないから福山で、健康靴屋っていうところへ連れて行ってもらって、そこで靴を変えてみたんです。
それでも、痛みが止まらない…って言うのが数年前のことで、ずぅっと足が痛いんです。それで、五本指の靴下をはいて草履で歩けば痛くないんです。それで、何時も草履で歩いてたんです、そうしたら、今度は、足が冷えてくるし、霜焼けもできてくるし、と言うようなことになって。
それでも自分ではこの指の治療をいろいろしてたんですよ。揉んだり、点温膏半分に切って巻きつけたりね。青竹踏み…いつも笛作っている、こんな細っそい竹ですけど、あれを踏んだり色んなことやったんですけど、どうしても痛みが取れない。
楽健法やったりしてる時は本当に痛くもなんともないですね。ここで、普通に歩いている時は。ところが、去年平松さんが、これ貼ってみたらっていって、丸いファイテンのあれをくれてね。それで、指にパッと貼って、それで、この辺にもパッと貼って、3枚貼ったんですよ。貼って、そうね、一分もしないうちに痛みがなくなった。あれ?!これは何だ!?って言うような感じで。
それから、面白いもんだなと思って、それからファイテン党になっちゃったんですね。(一同笑い)。それで、自分でも買ってきてね、それで会員にもなってね、色々買って試してみたりしたんですね。それで、いつも財布に入れて歩いてて、いろんな人に試してみてるんです。ファイテンの丸いやつを。
(琴美ちゃん)スノーピー!!(一同爆笑)すみません。ごめんなさい。
(宥厳先生)サヤエンドウはスノーピー(snow pea)って言うんですね。雪の豆ですね。だから。雪の下でも芽が出てくるんだ。ありがとうございます。
(琴美ちゃん)すみません!
(宥厳先生)それで、まあ、それから、ファイテンをね、財布に入れて持ち歩いているもんですから、東京へ行ってね、それで、東京の教室で首が回らないっていう女の人に貼ってみたりしたんですね。そしたら、こっちは向けるけど、こっちはこれしか向かないって、こんな感じの人にね、パッと貼ってね、はい、右向いてごらんっていったらヒュっと。それが本当に。30秒もしないで。あれ?というような感じで首が回る。それで、うつ伏せ。下にもこう、うつむけない、と言うような人にもポッポッと貼ってみたら、シュッとうつむくんですね。これは面白いぞと、思って。それで、光弘さんにもね(笑)
(琴美ちゃん)腰が痛くて。
(宥厳先生)光弘と言う男がおるんですよ(一同爆笑)。まあ、、辻田さんと似たり寄ったりの癖の強い人です。
(琴美ちゃん)あ、柳田さん知ってるでしょ?中島さん。
(柳田さんん)背の高い方?あの眼鏡かけた人じゃなくて。
(琴美ちゃん)背高くない…
(柳田さん)オートバイに乗って怪我した人?
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。
(柳田さん)覚えてる!覚えてる!
(宥厳先生)あの人がね、何か娘と卓球をやってね、まあ卓球場が狭かったんだろうと思う、どっかの卓球場みたいに(笑)。それで頑張りすぎて、腰が痛くなって、それで、東京の教室には出られないけれども、晩飯のときには来ていてね(一同笑い)。宥厳先生に相談したいことがあるって言って、それで椅子につかまりながらサパナへやってきたのよ。それで、何か電車にも乗るのも辛くて、何かこう、背中曲げたようなヘンな格好で入って来て、それで、琴美ちゃんにちょっと背中に貼ってみたらって言って、琴美ちゃんが背中めくってピッピって…何枚貼ったのかしらないけど、4,5枚貼ったのかな?ね。そしたら、痛みなんか知らん顔してね、知らん顔して、平気な顔して、普通に動いてんのよ。
(一同)あれ~
(宥厳先生)うん。そのくせファイテンが効いたんだろうって言ったら認めないの(一同笑い)。
(琴美ちゃん)で、帰りの電車もこうやってね!効いてるでしょって言っても、絶対に、うんって言わない。
(宥厳先生)あの~、楽健法をやってあげてね、継続的に楽健法をやってあげて、どんどん良くなって、目に見えて本当によくなった人がね、一体何の薬が効いたのかしらって言うんですよ。僕もこの耳で言われたの聞きましたからね(一同笑い)。
楽健法で良くなっても、実に楽健法がよく効く、とは素直に言わないのね。何が効いたんだろうって言うんですよ。人間の心理って不可解ね。頭に来るよね!(一同笑い)。まあ、そんなことで。それでまあ、靴下試したり、靴試したりで、それで靴は結局いろいろ試してみてね、それで、これもダメ、これもダメって言って、それで、3足目はね、桜井駅の近くに遊歩人っていう店で足の裏を機械で測って、足形を作ってもらってね、そこの靴を買ったんですよ。これだと大丈夫だろって。
だけどそれも痛くて、それで、5本指はくから痛いんで、ちょっと先がきついの。痛くて歩けない。で、しばらく我慢してはいたりしてたんですけど、そしたら、この間ね、キャラバンシューズが出してる靴がね、JAFの雑誌に広告が出てたもんだら、これならひょっとしたら楽に歩けるかもしれないと思ってね。それで、インターネットで靴送ってきたんですよ。確かに、楽なんだけれども、JAFの本、もう一度見るとここにチャックがついててすぐ脱げるって書いてあるのよね。
ところが僕が買ったやつはチャックがついてないです(一同笑い)。それで、電話を掛けてみたら、それはチャックのついてるのと、ついてないのがあって、僕が注文を間違えたんだって言うんです。しょうがないからもう一度注文したの。そして、それを送って来て、昨日も、今朝もそれをはいて歩いてたんですけど、それをはいてると痛みがない。
ところでねファイテンを貼って、痛みがなくなった時は、つまり根治してるわけじゃないのね。ファイテンを貼ってないときはやっぱりちょっと痛いんですけど、しかし、楽にはなってきていますね。で、ファイテンはそういう意味で、非常に重宝しています。
今朝もお幸さんが腰が痛いっていうので、昨日僕がここで楽健法やったとき、ちょっときつくやり過ぎたらしくて、それで、左の腰が痛いって言うもんだから、それで、ファイテンのクリーム…何とか…マッサージオイル。あれでザーッとこうマッサージしてあげて、それで、よくすりこんでからファイテンを5,6枚ピピッと貼っといたら、そしたら、ようなったって言うてたから、あれはしかし、ファイテンが効いたんじゃなくて、僕のマッサージが効いた…んではないでしょうか!(一同笑い)。
(幸子先生)愛です。
(一同)愛ですね~。
(宥厳先生)そ、これが大事なのよね(一同爆笑)。だけどね、愛が大事とか、ありがとうと言う気持ちが大事とか言うこと言い出したらね、だんだん人が信用しなくなるのよね。何で、ありがとう、を言わなあかんのってなるんですよ。まあ、宗教家って言うのはさじ加減が難しいんですね。あんまり、有難い、有難いって言って、それは、「ありがとう」ばかり言って、ありがとうのデザインの鞄持って、ね、作って歩いている人が、東京にいるよね。
(琴美ちゃん)本人は言わないけどね。
(宥厳先生)言わないね(笑)。
(琴美ちゃん)…カットで!
(宥厳先生)東京の人。ありがとうって言う先生、おるやん。何とかって言う。もう、死んだんかな、あの先生。
(琴美ちゃん)いやいやいや、生きてますよ!
(宥厳先生)生きてる!?
(琴美ちゃん)息子さん?村上さん?
(宥厳先生)いやいや、それじゃなくて、その、ありがとうっていう大先生のほう。…小林…小林正観さんって亡くなられたねえ、確か。ありがとう…ありがとうの感謝の気持ちを持たないとダメって昔からどこのおばあちゃんでも言うよね。昔から。何も改めて誰かさんに教えてもらわなくったってね。…もう、ありがとうの話はそれで結構です。ありがとうございました(笑)。
で、その次の、行きます。はい。
●健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ
(宥厳先生)これはまあ、私のことですけれども。ありがとうが足りないかな(一同笑い)。おかみさんに「ありがとう」って言わないからだね。
(柳田さん)それが一番!
(宥厳先生)ありがとうを要求しても、自分は言わなかったりしてね。それはよくないんですよ、うん。
●大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ
これはまあ、東光寺山の上でね、夕陽を見ていたら。こんな感じですね。ちょうど夕陽の頃に、すごく、日没が美しい風景をちょっと書いてみたんです。
●あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり
(宥厳先生)これはこの歌の結論です。まあこんなところですね。このね、このフォントはね、これお幸さんの字なんですよ。おゆきさんの字をフォントにしたのね。
(一同)え~、そうなんですか!?
(宥厳先生)それで、ところがね、この手作り、手造りじゃなくてお金出して作ってもらったフォントですけどね、6,000円くらいだったか。ところがね、第一と第二しか入ってないのね。全部入ってなくて、たとえばここで、「朱色の痒み」の「痒み」って言う字が違うでしょ。これはねえ、字がないから、ほかのフォントの字を入れたんです。まあ、そういうことがあります。この「汀」って言う字もそうですね。これは他の活字をほりこんだりして。まあ、そんなところで終わります。
(宥厳先生)さっきのは、何やったかな。豆の…。
(琴美ちゃん)スノー?
(宥厳先生)スノーピーか。スノーピーって言う言葉、単語で引いたら出てきますか?
(琴美ちゃん)雪エンドウって呼ぶって書いてますよ。かっこ・ゆきえんどう、って書いてる。寒さに強いから、きぬさやを英語でスノーピー(ゆきえんどう)と呼ぶのですねって書いてあります。
(柳田さん)きぬさやは冬越した方がいいのね。でも、うちの方(長野県)は凍りますので(一同笑い)。芽が出ても冬の間に凍ってダメになっちゃうんですよ。だから、春になって蒔くことにしてるんですけど、あったかいところは冬越した方がいいみたい。
(宥厳先生)もう、今年はね、畝を5本か6本作ってますから。4月くらいになったら食べられるね。
(柳田さん)ただ、やぼ作ってあげないと。やぼと言うか…何ですか?
(宥厳先生)まわり網で張ったある。
(柳田さん)あっ、もう張ってますか。あれがないと伸びてかないから。
(宥厳先生)では楽健法やりましょう。護身法やりましょう。
楽健法(15)
竹取物語
新しい仏様
Dinner
楽健法(16)
2/9 13:16
昨日は奈良のイオンハウスで講習会を開いて、そこに参加した人がさきほど三人見えられてて、本堂で般若心経をあげてきました。沖縄から来られた人たちは鍼灸師の男性と助産婦さんで、もう一人は京都の助産婦の方。
助産婦のかたは楽健法に以前から関心があってやっと来られたといっていました。
助産婦の方たちは随分前から楽健法を取り入れて、実際に妊婦さんに指導してる方が東京など各地にいらっしゃるんですね。
東京の助産婦の方で、宗祥子さんという方が去年「安産力がつくナチュラルなお産の本」を出されまして、そこにも夫にやってもらいましょうという楽健法が紹介されています。妊娠してからの生活指導、妊娠の入門書って言ったらおかしいね(一同笑い)。そういう本を出されたんですけれども、その中に楽健法のことを取り入れています。2ページくらいですけどね。足の付け根だけでも、ご主人にしっかり踏んでもらいましょうと楽健法を勧めている本が去年出ました。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%8F%40%8F%CB%8Eq アマゾン
昨日は酵素風呂の講習会に12名参加されましたが、そこに沖縄から来られた方と、京都からと助産婦さんが参加されて、聞くと宗祥子さんとは東京で一緒に病院で働いていたそうです。
その当時の仲間の一人の助産婦の方がこの桜井に結婚して引っ越してきていられて、それで3年か4年くらい前にその方が東光寺の講習会に来られて楽健法を体験して、間もなく妊娠されたんですね。昨夜はそこへ泊られたらしいです。ま、そんなことで可愛い女の子でした、と言うような話でした。
今日は赤ちゃんに縁が深いのか、横出さんが、ひな形みたいな(一同笑い)、可愛い男の子を連れて来られました。
この人もまだ赤ちゃんの風貌してるよね(一同爆笑)。
そんなことない?(笑)こういう顔の赤ちゃんっているよね。さっきおったやん(一同笑い)。
横出さんはこの間、正月にね、赤ちゃんを連れて来られたんですよ。餅つきの日だったかな。
(横出さん)一日にです。
(宥厳先生)あ、正月か。それで、こどもさんを連れて来られたもんですから、皆に今度連れてきて見せなさいって言って、それで、赤ちゃんを連れてきて頂いたんですけど。可愛い男の子ですね。
楽健法やったり、ヨーガや食生活をきちんとしてるお母さん、ご夫婦からこどもさんって言うのは非常にナイーブで、育てやすいこどもさんが生まれますね。
むずからない。ほんとうに素直なこどもが生まれるみたいです。横出さんのお子さんはどうですか?
(横出さん)あんまりむずかったりしないですね。
(宥厳先生)しないでしょ。育てやすいですね。他にも最近赤ちゃん来たかな?
(幸子先生)来た来た。
(宥厳先生)どこの赤ちゃんやったかな。
(幸子先生)第四に来てる子で。
(琴美ちゃん)岡本さん?
(宥厳先生)いやミカン農家の、和歌山の、有田から赤ちゃん連れて来られたね。こないだ。えらい猛烈な勢いで泣いてたね、あの子。(一同笑い)
(幸子先生)泣いてたから、もっと泣けーって。負けんようにまた、うえーんって(笑)
(宥厳先生)まあ、こどものエネルギーってすごいね。尽きることがないね。
僕はこどもの時、兄弟が7人で長男ですからもう、ちびばっかり走り回って随分うるさい家で育ったはずなんですけど、その頃はそんなに思わなかったんですけどね。この頃になるとちょっとこどもの面倒よう見切らんなと言う感じがするくらい騒々しいと思います。
うるさいっていうか、あのエネルギーにはもう負ける。とてもじゃないけどついて行けない。
見てるだけで疲れるような感じがするんですけどね。まあ、あの元気さがないと大人になって行かんのでしょうねぇ。まあ、そんなことを思いました。
それで、そういうこどもが段々大きくなって、これから今の日本の現状を考えると非常に、今からのこどもたちは大変だろうなと思いますね。大人になって行った時に。みんな、大人の責任なんですけど、こどもたちに、子孫につけを残してね、原発問題から解決が不可能なほど色々大変な問題が出てくると思いますね。ま、そんな中でこんな楽健法の勉強を皆さんと一緒に出来るのはとても幸せなことなんですが、自分だけ幸せであったらいいと言う風に思えないと言う、例えば宮沢賢治みたいにね、世の中に一人でも不幸な人がおったら自分は幸せとは言えないなんていうような感覚でおれば、そういう人は永遠に幸せにはなれないですね。
だから、個人の幸せと言うのはある意味非常にエゴでもあるんですよね。だから、私は何か、これをやっているから幸せなんだとか、あの人に出会ったから幸せなんだ、とそれはあるでしょうけど、それはやはり、一人一人のその時点での幸せであって、人類全体の幸せなんていうことになると、ありえないのかもしれない。過去にもそんな社会があったことはないし今後もあり得ないでしょう。
だけど、人間がずっと考えて来たのはやっぱり幸せって言うこと、皆がそういう風にならないといけないと言う風に考えて来たと思うんですね。心ある人たちは。
まあ、楽健法もそういう意味ではね、これをすることによって皆が幸せの一つを獲得できる道だろうと思うから、こうやって楽健法を普及することに力を入れたり、天然酵母パンを普及させようと努力したり、アーユルヴェーダ学会の事務局長を長年やったりしたのは、そういうことに繋がっていくと思ったから努力してきたわけですね。
まあ、これからも元気な間はしっかりと頑張らなあかんなと思って。それで、先ほどもここへ三人で来られてた人たちにちょっと話してたんですが、例えば私が芝居をしたりする。
人間の遊びの中で一番面白いのは芝居ではないかと思ってるんですね。で、まあ、皆さんも芝居やったらわかりますけど、やっぱり芝居の面白さって言うのがどこにあるのかなって言うようなことですね。
舞台で何かライト浴びてね、ええ格好して演技をするのだけが楽しいのじゃなくて、芝居の面白さって言うのは、僕が劇団に最初入ったころから、気がついてたんですけど、劇団で芝居をする面白さって言うのは例えば裏方で雑用みたいなことやったり、編集をやったりね、舞台監督みたいなことやったって、それは表に目立たないところの、陰の仕事ばっかりだったんです。
だけど、劇団で一つの、全体で一つの仕事を、舞台を仕上げて行くことには猛烈な、尽きざる面白さがあるわけです。それはね、一体何なんだろうと思ったんですけれども、それはね人間が、それぞれ違った人間が、ある一つの目的のために、協力し努力して、譲り合ったりしながら一つの世界を作り上げる、アンサンブルを作り上げて行く共同作業の美しさ、それが楽しいのだろうと思うんです。
私が一番最初にそういうことに気がついたのはまだ小学校に入る前のことでしたけども、わが家に蓄音機と言うものがありましてね。箱形の蓄音機、自分では力がなくてネジをよう巻かないんです、重くて。それで、母親にねだって、蓄音機のねじを巻いてもらってレコードをかけるわけです。
当時はレコードの針も二、三回使ったら擦り減るもんですから、レコード針を取り替えて使い捨てるわけですね。だけど、戦争が始まってて、金属がなくてレコードの針が手に入らなくなって、古いレコードの針を大事にしまっておいて、それを砥石で砥いでまた使うんです。
それで僕は3歳くらいのときにもう自分で砥石でレコード針を砥いでましたが、ねじを巻くのは母親に巻いてもらって、それで、いつもレコード聞いていたわけです。
家にはレコードがあって、その次に父親がラジオと言うものを買って来たんです。
それで、ラジオを聞くようになると、ラジオから音楽が流れてくるんです。その音楽を聴きながら、この音楽と言うものは、レコードをまわして、その音がここから流れてきていると僕は思い込んでいたわけです、ずっと。
ところが、ある日のことね、アナウンサーの話を聴いていたら、生のオーケストラの演奏を今から放送します、という紹介があって、それで、綺麗な音楽が流れて来たわけですね。で、その時に僕はすごい衝撃を受けたわけです。つまり、レコードだからあんなにきれいな音が間違わずにいつも同じように出てくると思ってたんですが、じつは生身の人間が、いろんな楽器を生で演奏して、それで、あの美しい音楽が、アンサンブルとして出てくる。これはすごい人間の能力だと思ったんですね。
ばらばらのはずの人間がまとまって一つの美しい音楽を作りだす。それを知った時に、僕は人間っていうのはやる気になったら何でもできるんだな、人間の持ってる可能性、能力のすごさに気がついた、目覚めたような感じですね。それから自分が何でもやればできる人間なんだというような気がしたのです。
私にはそれはできませんという前提はもたないでやってみる。やってみると大抵はできる。それが、未だに続いておって、それで、何でも出来る人間のすることの一つとして、こう言う短歌もずっと作るようになってきたわけですね。
だから、それは何かやはり色々違った人が一つのものを作り上げようと思って、力を合わせてやって行って出来あがるっていうことですね。それで、芝居なんかの劇団の組織とか芝居の作り方を見てても、一人一人の裏方が、俺はこうしたいという自己主張もそんなにしないで、それぞれ自分の役割をわきまえたうえできちんとこう、仕事をして行って、それで、まあ舞台というものが出来上がるわけですけれども。まあ、そういう共同作業の美しさ、みたいなものですね。
そういうものを僕は最初こどものとき、その一枚のレコードの音から、ラジオを聞いて発見したことですね。で、それ以来そういうものの見方って言うのがずっと続いて来てるわけです。だから、私にはこれしか出来ないとか言って、あまり自分を限定してしまうようなことをしない。
それで、そういう限定しているような人がおったら、そうじゃないよって言ってけしかけては、何かやらせると言うような生き方をずっとしてきたんですね。まあ、今からも、みなさんもそうやって、私と何か接している内に、何かしら発見があればうれしいことですし、まあ、そういう意味で、自在にものを見ると言うことですね。
だから、あまり固定観念を持ってしまわないこと。いつも柔軟であることですね。柔軟でゆとりがあると言うことが健康の証拠なんですね。何でもそうで。体もだから、ゆとりがあるから健康なんで、これはあの、例えば喘息が出てくると言うのは、時には手が硬くなり、背中も硬くなりして、それで、肺がグーッと締めつけられて、十分息が吸えるゆとりがなくなってくるから、息が吸えなくなると言う「ぜんそく」になるわけですよね。
それで、小児ぜんそくは、晩飯食わさないで試してみろって言うのもそれなんです。晩ご飯を食わないと、肺が下の方に広がるゆとりができるのです。食べたら下から圧迫されて、たちまち喘息が起こるわけですね。そういう意味でいつも、どこの病気であってもそうですけれども、やっぱり、それはゆとりがあると言うことですね。それは体のゆとり。
それから、精神にも考え方に柔軟さがあって、自分で物差し持って安易に物事を決めてしまわない。だから、どんなことでもちょっと角度を変えてみたら違ったものがいつでも見えてくるはずなんで、基本的にそういう考え方を持っておったら、雑多な知識なんかも必要ないわけなんです。色んな知識を持って、知識の引きだしをいっぱい持っていたって人間にとってはほとんど役に立っていないんですね。
学者と言うのは大体、引き出しにいっぱい知識を詰め込んでね、それを切り売りしたら仕事になると思ってる人が多いんですけど、そうじゃなくて、絶えず人間と言うのは創造的であって、いつも新しいことが次々と思いついてやっていけるような、それで何か問題がやって来た時にパッとそれに最適の回答が見出せるような、そういうサバイバルな能力ですね。そういうものを身につけないとダメだろうと思うんです。
で、楽健法をやる時もそうですね。決まりきって、覚えた手順通りしかできないという人もいっぱいおると思うんですけれども、、一人一人に、相手によって違った楽健法ができるという、そういう柔軟さも判断力ですね。そういうものを合わせて持ってほしいなと言う風に思って、いつもいろんな角度から話をさせてもらってるわけです。
では今日の「どうだん」読んでみます。
これは、4日…5日くらい…先週作ったのかな。先週の水曜日くらいに、何となくもう送る時期じゃないかな、と思って、「どうだん」の新しい号が届いたもんですから、あ、次の送った方がいいのかなと思って書いたもんですから、あまり推敲していないんですけど、読んでみます。
どうだん
●ほろほろと
(宥厳先生)これは今、東光寺山の上に三保君がどっかで買って来てくれた豆の種を。だいぶたくさんまいたので、今、50本以上出てるね、あそこにね。その苗が、何か寒い~中でね、よく伸びてます。それで、僕、それを今、畑の苗をフェイスブックに写真撮ってアップしてるんですが、その写真の中の苗が延びて行ってますね。
(一同)え~~~~~!?
(宥厳先生)いぇ~~~~(笑)。本当やって。写した時より大きくなってる。
(琴美ちゃん)怖いから。
(宥厳先生)これが、この歌です。
どうだん 三~四月号二〇一三年
山内宥厳*
ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に
日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び
さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く
じんわりと
冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み
何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か
左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり
健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ
大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ
あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり
●ほろほろと淡き緑のきぬさやの苗伸び始めたり枯れ葉の畑に
(宥厳先生)このきぬさやって言うのは、え~っと英語で…何やったっけ…それをね、今村悦美さんがフェイスブックで、僕のにコメントを出してる。何とかピーって言うって。
●日当たりの少なき山に沁みるごと朝日をあびてきぬさやが伸び
(一同)何とかピー(一同爆笑)
(宥厳先生)コールドピーだったかな。ウインドピーやたかな。豆の絵のところにコメントくれています。それで、「こんなに寒いところでも伸びるんですね、だから」え~~~…書いてますよ、うん。ちょっと調べて見て下さい。
●さくざくと落ち葉踏みしめ冬枯れの東光寺山の畑を歩く
これは、「ざくざくと」ではなく「さくざくと」と書いてあるんですけど、サクッとしてザクっと行くと言う感じで。
●じんわりと水を含んだ今朝の畑汀に沈む足の感触
地面が湿っててね砂浜を歩く。海岸の砂浜のやわらかいところへシュッと足ふっとしたような感触。それで、こんな風に書いてみたんです。
●冷え込んで霜焼け出来た右足の指の先には朱色の痒み
中指のここがずーっと先がしびれたのかと思ったら、みんな霜焼けができとったのね。僕、草履で歩いているもんだから。それで、あか~いいまる~い目玉ができてるんですよね。それが朱色の赤み(笑)そういう風に書いています。
●何日か何曜日かも消し飛んで何事かするわれ何者か
これ、「何」「何」って言うの重ねてまあ書いてみたかったんですけど。それが、何月かと言うのも本当はね。今日は、今…何月なんだろうってね。実に頼りないんですね。それで、自分の年も忘れてね年金の手続きに行ったらあなたは来年ですなんて、市役所に行くような人ですから。だから、まあ、こんな感じで。粗忽者なんですね。
●左足指に痛みがありました靴下替えたり靴試したり
この、「ありました」っていうようなのを歌の中に使ってみたかったんです。「ご飯を食べました!」なんていういい方の短歌も詠めるんじゃないかと思って。靴で歩くと左足の第4指に激痛があるんです。で、これでファイテンと出会ったんです。
平松さんがね、これ試したらってファイテンくれたの。
この指が痛くてね、靴履いて歩けないんですよ。靴履いて歩くと激痛が来る。それで、一体これは何だろうと思って、一番最初それを感じた時は、滅多に靴履かないんですけど、靴をはいて東京へ出かけようと思って、靴履いたときにえらい痛かったもんだから、これはきっと靴が悪いに違いないと思ったんですね。足が悪いなんて思わないで。痛くて歩けないから福山で、健康靴屋っていうところへ連れて行ってもらって、そこで靴を変えてみたんです。
それでも、痛みが止まらない…って言うのが数年前のことで、ずぅっと足が痛いんです。それで、五本指の靴下をはいて草履で歩けば痛くないんです。それで、何時も草履で歩いてたんです、そうしたら、今度は、足が冷えてくるし、霜焼けもできてくるし、と言うようなことになって。
それでも自分ではこの指の治療をいろいろしてたんですよ。揉んだり、点温膏半分に切って巻きつけたりね。青竹踏み…いつも笛作っている、こんな細っそい竹ですけど、あれを踏んだり色んなことやったんですけど、どうしても痛みが取れない。
楽健法やったりしてる時は本当に痛くもなんともないですね。ここで、普通に歩いている時は。ところが、去年平松さんが、これ貼ってみたらっていって、丸いファイテンのあれをくれてね。それで、指にパッと貼って、それで、この辺にもパッと貼って、3枚貼ったんですよ。貼って、そうね、一分もしないうちに痛みがなくなった。あれ?!これは何だ!?って言うような感じで。
それから、面白いもんだなと思って、それからファイテン党になっちゃったんですね。(一同笑い)。それで、自分でも買ってきてね、それで会員にもなってね、色々買って試してみたりしたんですね。それで、いつも財布に入れて歩いてて、いろんな人に試してみてるんです。ファイテンの丸いやつを。
(琴美ちゃん)スノーピー!!(一同爆笑)すみません。ごめんなさい。
(宥厳先生)サヤエンドウはスノーピー(snow pea)って言うんですね。雪の豆ですね。だから。雪の下でも芽が出てくるんだ。ありがとうございます。
(琴美ちゃん)すみません!
(宥厳先生)それで、まあ、それから、ファイテンをね、財布に入れて持ち歩いているもんですから、東京へ行ってね、それで、東京の教室で首が回らないっていう女の人に貼ってみたりしたんですね。そしたら、こっちは向けるけど、こっちはこれしか向かないって、こんな感じの人にね、パッと貼ってね、はい、右向いてごらんっていったらヒュっと。それが本当に。30秒もしないで。あれ?というような感じで首が回る。それで、うつ伏せ。下にもこう、うつむけない、と言うような人にもポッポッと貼ってみたら、シュッとうつむくんですね。これは面白いぞと、思って。それで、光弘さんにもね(笑)
(琴美ちゃん)腰が痛くて。
(宥厳先生)光弘と言う男がおるんですよ(一同爆笑)。まあ、、辻田さんと似たり寄ったりの癖の強い人です。
(琴美ちゃん)あ、柳田さん知ってるでしょ?中島さん。
(柳田さんん)背の高い方?あの眼鏡かけた人じゃなくて。
(琴美ちゃん)背高くない…
(柳田さん)オートバイに乗って怪我した人?
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。
(柳田さん)覚えてる!覚えてる!
(宥厳先生)あの人がね、何か娘と卓球をやってね、まあ卓球場が狭かったんだろうと思う、どっかの卓球場みたいに(笑)。それで頑張りすぎて、腰が痛くなって、それで、東京の教室には出られないけれども、晩飯のときには来ていてね(一同笑い)。宥厳先生に相談したいことがあるって言って、それで椅子につかまりながらサパナへやってきたのよ。それで、何か電車にも乗るのも辛くて、何かこう、背中曲げたようなヘンな格好で入って来て、それで、琴美ちゃんにちょっと背中に貼ってみたらって言って、琴美ちゃんが背中めくってピッピって…何枚貼ったのかしらないけど、4,5枚貼ったのかな?ね。そしたら、痛みなんか知らん顔してね、知らん顔して、平気な顔して、普通に動いてんのよ。
(一同)あれ~
(宥厳先生)うん。そのくせファイテンが効いたんだろうって言ったら認めないの(一同笑い)。
(琴美ちゃん)で、帰りの電車もこうやってね!効いてるでしょって言っても、絶対に、うんって言わない。
(宥厳先生)あの~、楽健法をやってあげてね、継続的に楽健法をやってあげて、どんどん良くなって、目に見えて本当によくなった人がね、一体何の薬が効いたのかしらって言うんですよ。僕もこの耳で言われたの聞きましたからね(一同笑い)。
楽健法で良くなっても、実に楽健法がよく効く、とは素直に言わないのね。何が効いたんだろうって言うんですよ。人間の心理って不可解ね。頭に来るよね!(一同笑い)。まあ、そんなことで。それでまあ、靴下試したり、靴試したりで、それで靴は結局いろいろ試してみてね、それで、これもダメ、これもダメって言って、それで、3足目はね、桜井駅の近くに遊歩人っていう店で足の裏を機械で測って、足形を作ってもらってね、そこの靴を買ったんですよ。これだと大丈夫だろって。
だけどそれも痛くて、それで、5本指はくから痛いんで、ちょっと先がきついの。痛くて歩けない。で、しばらく我慢してはいたりしてたんですけど、そしたら、この間ね、キャラバンシューズが出してる靴がね、JAFの雑誌に広告が出てたもんだら、これならひょっとしたら楽に歩けるかもしれないと思ってね。それで、インターネットで靴送ってきたんですよ。確かに、楽なんだけれども、JAFの本、もう一度見るとここにチャックがついててすぐ脱げるって書いてあるのよね。
ところが僕が買ったやつはチャックがついてないです(一同笑い)。それで、電話を掛けてみたら、それはチャックのついてるのと、ついてないのがあって、僕が注文を間違えたんだって言うんです。しょうがないからもう一度注文したの。そして、それを送って来て、昨日も、今朝もそれをはいて歩いてたんですけど、それをはいてると痛みがない。
ところでねファイテンを貼って、痛みがなくなった時は、つまり根治してるわけじゃないのね。ファイテンを貼ってないときはやっぱりちょっと痛いんですけど、しかし、楽にはなってきていますね。で、ファイテンはそういう意味で、非常に重宝しています。
今朝もお幸さんが腰が痛いっていうので、昨日僕がここで楽健法やったとき、ちょっときつくやり過ぎたらしくて、それで、左の腰が痛いって言うもんだから、それで、ファイテンのクリーム…何とか…マッサージオイル。あれでザーッとこうマッサージしてあげて、それで、よくすりこんでからファイテンを5,6枚ピピッと貼っといたら、そしたら、ようなったって言うてたから、あれはしかし、ファイテンが効いたんじゃなくて、僕のマッサージが効いた…んではないでしょうか!(一同笑い)。
(幸子先生)愛です。
(一同)愛ですね~。
(宥厳先生)そ、これが大事なのよね(一同爆笑)。だけどね、愛が大事とか、ありがとうと言う気持ちが大事とか言うこと言い出したらね、だんだん人が信用しなくなるのよね。何で、ありがとう、を言わなあかんのってなるんですよ。まあ、宗教家って言うのはさじ加減が難しいんですね。あんまり、有難い、有難いって言って、それは、「ありがとう」ばかり言って、ありがとうのデザインの鞄持って、ね、作って歩いている人が、東京にいるよね。
(琴美ちゃん)本人は言わないけどね。
(宥厳先生)言わないね(笑)。
(琴美ちゃん)…カットで!
(宥厳先生)東京の人。ありがとうって言う先生、おるやん。何とかって言う。もう、死んだんかな、あの先生。
(琴美ちゃん)いやいやいや、生きてますよ!
(宥厳先生)生きてる!?
(琴美ちゃん)息子さん?村上さん?
(宥厳先生)いやいや、それじゃなくて、その、ありがとうっていう大先生のほう。…小林…小林正観さんって亡くなられたねえ、確か。ありがとう…ありがとうの感謝の気持ちを持たないとダメって昔からどこのおばあちゃんでも言うよね。昔から。何も改めて誰かさんに教えてもらわなくったってね。…もう、ありがとうの話はそれで結構です。ありがとうございました(笑)。
で、その次の、行きます。はい。
●健康の先生なればいずこにも不具合なしとうまくはいかじ
(宥厳先生)これはまあ、私のことですけれども。ありがとうが足りないかな(一同笑い)。おかみさんに「ありがとう」って言わないからだね。
(柳田さん)それが一番!
(宥厳先生)ありがとうを要求しても、自分は言わなかったりしてね。それはよくないんですよ、うん。
●大和路の没日の下に佇みて光の海に溶けてゆくわれ
これはまあ、東光寺山の上でね、夕陽を見ていたら。こんな感じですね。ちょうど夕陽の頃に、すごく、日没が美しい風景をちょっと書いてみたんです。
●あらあらと思う間もなく締めきりが迫って叩くキーボードなり
(宥厳先生)これはこの歌の結論です。まあこんなところですね。このね、このフォントはね、これお幸さんの字なんですよ。おゆきさんの字をフォントにしたのね。
(一同)え~、そうなんですか!?
(宥厳先生)それで、ところがね、この手作り、手造りじゃなくてお金出して作ってもらったフォントですけどね、6,000円くらいだったか。ところがね、第一と第二しか入ってないのね。全部入ってなくて、たとえばここで、「朱色の痒み」の「痒み」って言う字が違うでしょ。これはねえ、字がないから、ほかのフォントの字を入れたんです。まあ、そういうことがあります。この「汀」って言う字もそうですね。これは他の活字をほりこんだりして。まあ、そんなところで終わります。
(宥厳先生)さっきのは、何やったかな。豆の…。
(琴美ちゃん)スノー?
(宥厳先生)スノーピーか。スノーピーって言う言葉、単語で引いたら出てきますか?
(琴美ちゃん)雪エンドウって呼ぶって書いてますよ。かっこ・ゆきえんどう、って書いてる。寒さに強いから、きぬさやを英語でスノーピー(ゆきえんどう)と呼ぶのですねって書いてあります。
(柳田さん)きぬさやは冬越した方がいいのね。でも、うちの方(長野県)は凍りますので(一同笑い)。芽が出ても冬の間に凍ってダメになっちゃうんですよ。だから、春になって蒔くことにしてるんですけど、あったかいところは冬越した方がいいみたい。
(宥厳先生)もう、今年はね、畝を5本か6本作ってますから。4月くらいになったら食べられるね。
(柳田さん)ただ、やぼ作ってあげないと。やぼと言うか…何ですか?
(宥厳先生)まわり網で張ったある。
(柳田さん)あっ、もう張ってますか。あれがないと伸びてかないから。
(宥厳先生)では楽健法やりましょう。護身法やりましょう。
楽健法(15)
竹取物語
新しい仏様
Dinner
楽健法(16)