楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第11回2月13日(1日目)その1

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座
前泊組の昼食

おいしそう(#>U<#)

個人写真撮影
講義が始まる前に卒業アルバム用の個人写真を撮影しました。これは、美江さんの特別版。ゆっこ先生のお衣装をお借りして、千手観音様とツーショット


マニスとの思い出
どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。


このひと月の間にいろいろ動きがあって、皆さんご存じだろうと思いますけど、マニスが死んで…。26日の火曜日だったね。だいぶやせて来ていましたからね、最近。だから、まあ危ないな、とは思ってたんだけど。それで、23日のここの講習会の時にも、「マニスが死ぬかもしれない」とか言ってたんですけど。

それで、何か、まあ猫の話をしてもしょうがないと思うんだけど、20年もね…一緒に暮らしてきたので、いまもいろいろ思い出したりして。元気だったので医者に連れていったってことは…一度だけだったね。目がおかしくなった時。まだ若い時、10何年か前に連れて行ったことありました、目に膜ができて。それは、僕がマタタビを人からもらってマタタビを食わしてみたんです。猫にマタタビって言うじゃないですか、きっと喜ぶにちがいないと思って。それを食べさせたら目に膜が下りてきたことがあって、ビックリして、医者に連れて行ったことがあって、それ一回でしたね、医者に行ったのは。

後はあんまりストレスながかったせいだろうと思うんですけど、まあ元気でずっと。しかし、ここ数年前からちょっと耳が遠くなってきたりしてて。だんだんこう痩せてきたもんですから、考えてみましたら人間の年齢に換算すると1年が5年間分くらいに当たるみたいですからね。そしたらまあ、かれこれ100歳ですから。まああんなもんだろうと思いましたけどね。

よく僕は留守にするでしょう。その間に死んだら可哀そうだなと思ったりしてたんですけど。それで、この間、26日が火曜日でしたけど、その前の前の日曜日。日曜日の日にここで講習会があって台所の三和土(たたき)に水たまりができとったんですよ。たたきとは土間のことです。ちょうど下駄箱のあたり、トイレへ行くところの。それで、なんでこんなところに水がたまってんのやろって家内とも話してて。まあ、マニスの小便しか考えられないんだけど、こんなところにおしっこしたことないしな、と思っとったんですね。外へ出て行く元気がなくなって、かろうじてあそこまで下りてしたんですね。

それで、その晩、日曜日の晩。夜中にね、僕がおしっこしたくなって、パンの仕事に出かける日ですけどね。朝出かけて行かないかんのですけど、夜中にトイレに行こうと思って、上がりがまちのところへ来たら、ベチャッと踏んだんです。やっぱりおしっこ。水がたまってて、アッと思って。そいで、夜中にきれいに掃除して寝ました。マニスはいつもの定位置の場所に朝まで寝ていたようです。

さいきんは僕の横に、寝床に入ってきたがっても、入れてやって、ちょっと頭撫でてやったりして、しばらくゴロゴロいうててすぐ出て行くんです。何かこう布団にはまってるのが苦しかったのかも知れんですね。それで、向こうの自分の寝床へいって寝てたり、ぼくの布団の上に上がって重いのが足の間に寝ていることが多かったです。25日の夜に、パンが終わって帰ってきたとき、危ないかもしれんと思ってまず電気をつけてこう睨んだら冷蔵庫の前に水たまりができてたんで、ああ、やっぱりやってる、と思って。

そしたらマニスはちょうど水を飲む器を台所の座敷との境に置いてありますが、そこのとこにうずくまって元気なさそうにペタっとへたばって僕を迎えてくれました。それで、そのおしっこを掃除して、マニスは自分で動くことだろうとそのままほったらかしてあったんです。マニスは障子を自分でくぐり抜けてきますからね、障子を閉めてほっといたら、まあ何とか自分の場所に来て座っていましたね。僕の枕元を通っていつもアンカを置いてましたから、そこの上に座ってたんですけど、しばらくしたらよろついてもたもたしながら僕の横に来たもんだから布団に入れてやったんです。

そうしたら、喜んで喉を鳴らしてゴロゴロいうて、朝までその時は動かなかった。出て行かなかった。多分、もう出て行くだけの元気がなかったんでしょうね。力がなくなって。でも、まあ最後の晩、一晩僕の横に寝てましたからね。ソの字になって(笑)。よく川の字って言うんだけどリの字かソの字か(笑)。まあ、ソでもリでもいいんだけど。ま、そんな感じで朝まで寝てました。

それで、僕が火曜日の朝ですから7時くらいに起きて、あんまり早いのもまだ体の疲れが取れてないので。しかし、マニスがオシッコしたら、布団の上でされたらかなわんなと思って、それでさっと起きて隣の部屋のストーブの前に座布団を置いて、その上に寝かしてやったんですよ。そしたら、前足を伸ばしたりして座布団から顔をはみ出すような動きはするんだけど立って歩こうとはしないのね。そんな感じで、それで気がついたら8時ごろに何かこうにじり寄るもんだから、ひょっと見たら座布団の上におしっこしてた。それが三回目の失敗やね。4回目か。1回、2回、3回、4回…4回目ですね。4回まあ、おしっこを。

それで、座布団を汚されたらかなわんしと思って、座布団を取り替えて、それでタオルを敷いてやって、頭のところとお尻の所に。それでも、まだ危ない気がしたんで、それで妹が手伝いに来たもんだから、妹が9時半くらいに来たのかな?それで、座布団にビニールのごみの袋をかぶせて、その上に新聞を敷いてそこに寝かそう、てなことで、用意したんです。その頃に、2,3枚写真を撮ってみたんですね。まだ生きてる時の写真です。それから、一人僕に楽健法をしてほしいという人が来ておって、その人に楽健法やってあげて、それで、ちょうど終わったのが11時半近い時間で、それで終わったので、終わってからすぐにマニスの所に行って顔を持ちあげてみたんですよ。そしたら、右を下にして寝てましたから、右の頬のところがぺコーンとへっこんでいてね、何か顔が三角になった感じ。ああ、えらいことになるもんだな、と見とったんです。その時、マニスはちゃんと僕の顔を見て認識してるってわかったんです。

それから、楽健法をしてあげた人が帰るっていうから、廊下のところまで送って行って挨拶して送り出して帰ってきたら、そしたらもう様子が変わっていて。息を引き取った直後だった。だから、息が止まる瞬間を僕は見なかったんです。でも数分前とまるで様子がちがっていて、とても残酷なことが起きた気がしました。思わず抱き上げて黄濁した目を見ながら「マニスが死んだよ」と大きな声で叫びました。

まあ、そんなことがあって。それで、僕のいつも着てるTシャツにくるんでやって、その上を和紙で包んでやって、それで、庭に穴を掘って墓地をこしらえて、ちょうど庫裏から見える場所に、マニス・ノアールってちっちゃな護摩札に名前を書いて立てて、花を生けてありますから、また後で見てください。そこに、葬ってやったんです。

20年間も一緒におったから、死なれるとさすがに辛くて、ちょうど短歌の原稿の締め切りでもあったので、その翌日にこの歌を作ったんです。これはまあ誰に送ろうとか知らそうとか言うことではなかったんですけど、まあ、こういう葉書仕立てで作ってみました、こうやって。



拝啓 お元気にてお過ごしのことと拝察いたします。昨日二月十一日に幡井勉先生がお亡くなりになり、一九七六年来のお付き合いでしたが、日本アーユルヴェーダ学会の牙城が崩壊した思いです。東光寺では二十年に亘る年月を共に過ごしてきましたマニスが老衰で死にました。庭に埋葬して花をそなえ、毎日線香をあげています。死んでから、得難い分身であったように思われます。二十六日に死んで、翌日に歌を詠みました。●印は一月三十日に楽健法の講習会で泊まった岡山の宿に数匹いた猫の戯れるのをみて詠んだものです。先週から東光寺の畳を入れ替えたりして、気分転換を図っています。合掌





ま、こんなことを書いています。そいで、「どうだん」ってとこに送った歌ですね。若い元気なころの姿なんかを思い出しながらちょっと書いてみたんです。


狭い庫裡開け放った空間を駆け抜け駆け抜けみせる黒猫
何か座敷開けとったら勢いよくあっち走ってこっち走ってってすごい勢いで走ってましたので、ま、こんなことを思い出して書いてみたんです。

「黒い毛の長い尻尾の先までをこすりつけてはもの伝えたり」
ま、猫ってこう足にシャーっと全身をこう撫でつけて。接触が大事なんですね。猫って言うのはだからタッチトリートメント…タッチするのが非常に好きなんで、尻尾の先ちょっと触ってるだけでも納得するんですよ。だから、猫と一緒に寝てて、一緒に並んで寝てるとするでしょ?それで、くるっと反対に背中向けたらパッと出て行きます、猫は。あ、私を無視したって思うんでしょうね。まあ、そんな感じで、こすりつけてはもの伝えたり。

「留守の間に孤独死させてはどうしよう思い思いてパンを焼くなり」
「痩せ落ちてまだ艶消えぬ毛を撫でてやるマニスの喉はごろごろと鳴る」
ちょっと僕まだ風邪気味なんで変な声ですけどね。

「小水を床に漏らして蹲るかろうじて歩む黒きかたまり」
もう何か猫というより塊に見えたんですね。どてっと蹲る黒いかたまりね。

「昨晩は朝までソの字に並んで寝たり背骨の突起撫でて哀しむ」
「二昔落葉の頃にやってきた黒きいのちが初春に散る」
「二分前顔持ち上げたぼくの目を見つめた瞳が光失う」
「見上げては花がつおをくれという甘えた声も耳朶のなかのみ」
「麩のごとく軽く固まる黒猫の亡骸抱いて庭を見せたり」
固まった太い麩のような感じ、感触はふわっと軽く。目方なんか感じないんです。ふわっとした感じで、まあこんなに軽くなるんかな。息が止まった瞬間にふわっと小さくなりますね。三分の一くらい減るような感じがします。目分量で。そんな感じです。それでこんな風に読んでみたんです。それから、30日に岡山で講習会を頼まれて、20人ばかりの人に講習会をやったんですけど、そこに猫が5匹くらいいて、その内の若い2匹が目の前で、キジ猫、三本こう黄色いトラみたいな模様のキジ猫が2匹戯れてたんですよ。それを見ながら書いたんです。これは「どうだん」には送ってませんけど。
●猫二匹たわむれ遊ぶ宿に来てマニスにまさる猫あらめやも



まあ、こんな歌を書きました。
…たかが猫というような感覚では、本当は猫が死ぬということは、命がなくなるということは、例えばジョン・ダンっていう人の詩の話を私はよくしますけれども、ジョン・ダンっていうイギリスの昔の哲学的な詩を書く詩人がいるんですけど、この人の書いた詩がアメリカの有名な作家の小説のタイトルになってて、それが「誰がために鐘は鳴る」っていう、そういう小説知ってるでしょ。「誰(た)がために…」、誰(た)がためにってわかる?だれがために…誰がために鐘は鳴る、これはヘミング・ウェイの長編小説ですね。これの、「誰がために鐘は鳴る」というタイトルとなった言葉は、イギリスのジョン・ダンっていう詩人の詩なんですね。で、この詩はどういう詩かと言うと村で教会の鐘が時ならぬ時に鳴るわけですね。それで、キンコンカーンっと鐘が鳴ったら、村の誰かが死んだよ、という知らせなんです。そうすると、村に長年暮らしてきたおじいちゃんなんかが孫の顔を見てね、誰が死んだのか聞いておいでと言って聞きに行かすじゃないですか。だけど、そういう聞きに行くことはしなくていいっていう詩なんです。「問うことはやめよ」って言う風に言うんですね。「誰がために鐘は鳴るかと」。誰が死んだから鐘が鳴っているのか聞きに行かなくてもいいよ。誰かが死ぬということはお前が死ぬということなんだ。なぜなら人はみんな助け合って生きているんだから、というようなそういう意味の詩ですね。



(宥厳先生)ジョン・ダンなんか読んだことありますか?
(ちあき)ないです…。
(宥厳先生)読んだことない?一度読んでみてください。僕、原書持ってると思いますけどね。まあ、僕は英詩を読んだってあんまりようわからないけど、ときどき英語の詩を読んでわけのわからない感動がガーっと来るときがあります。
ジョン・ダンもそういう詩人の一人ですね。


まあ、そういう意味で命というのは真言密教の考え方がまずそうなんですね。そこに描かれている曼陀羅もそうなんですけど、真ん中に描かれてるのが、右側のど真ん中に描かれてるのが大日如来で、象徴として考えたら大日如来というのは、名前が大日如来ですから、大日というのはつまり太陽のことなんですね。世の中に太陽がもし消えたらね、もうこの惑星の命なんて一瞬にしてみんななくなるわけですから、つまり命の一番根源になっているのは大日如来、太陽だ、という風に解釈していいわけですね。それで、そういう大日如来が、太陽がそういう命の根源みたいなもの、光を送ってくれてそれで命が存在しうるわけですから、だから密教の考え方としては命というものは全部大日如来が化身した、大日如来が化身してここにおる、という風に考えられるわけです。


だから、人間も一人一人がみんな大日如来そのものなんですね。そういう考え方なんです。だから、ここは千手観音さんでこういう形をしていますけど、これも大日如来のお姿を千手如来、たくさん千手千眼で手を千本も持ってそれでみんなの役にどんどん立ちたいから、ま、千本の手を持ってこうやって働こうとする姿を表してるんだけども、それはやはり大日如来がこういう形に、姿を変えて現れている。だから。お不動さんもその他のあらゆる仏さんも全部大日如来の命の表れなんだという考えなんですよ。だから、一木一草、草も木もそれから、猫もゴキブリもね、人間も全部大日如来の命を生きてるわけですね。ま、そういう考え方なんですね。そういう意味から言うとね、こうやってよその猫は猫じゃないよ。マニスに限るよ、というような詩を書くのは平等ではないかもしれませんけどね、まあ、しかし、そら子猫の可愛いの見てたら、可愛いなと思うけど、やっぱりマニスにまさる猫あらめやも、と言いたくなるというのが、やっぱり人情、一種の親近感でしょうね。

だから、そういう人情を人間が持ってるということが、時には何かの妨げになることがあるかもしれない、人情というのは身びいきというのもありますしね。だから、身内をかばうとか言うのは、必要以上に身内をかばって悪いことしても身内のことだったらこうかばう。だから、身内が悪いことをしたら、そんなものはたとえ身内であっても容赦しないでちゃんとこう摘発するというね、そういう正義感の人もいるかもしれないけれども、なかなかそういう人はいないもんですね。今日の新聞見てましたら、鳩山一郎さんの弟の鳩山…なんちゅうんやった?自民党の…

(受講生)邦夫。
(宥厳先生)そうそう、邦夫!鳩山邦夫は鳩山一郎がお金を親からもらったの全然知らなかったなんてことはないっていうことを証言したということ。国会で!言うてますよ、今。叩かれてます。何とか言う人が今、鳩山一郎さんに邦夫さんはこう言うてるじゃないですか。自分の民主党の人たちにお金をやらなあかんのでお金がなくて困ってるからお母さんよこせって何度も言ってるって、言うとるわけですよ。そしたら、そんなことこれっぽっちも知らなかったと、ね。もしそんなこと知っててやったんだったらバッチをつける資格はないって本人は国会で内閣総理大臣になって言ってるわけですから。まあ、兄弟げんかはそうやって、兄弟だからかばうか、兄弟でも許せないものは許せないとするかですか、まあそういうことがあります。

人間というのは非常に得手勝手なものですけどね。まあ、しかし、僕はマニスが死ぬ直前の姿と死んだ直後の変わりようをみて、すごい感じを受けましたね。あるということとないということとの落差です。僕らが死ぬ時もそうなるんですけどね。直接誰か身近に身内の人が死ぬの見とった人いますか?この中で。

死ぬっていうのはすごいことですよね。息が止まっちゃうって言うのは。まあ、そういう意味でちょっと正月早々マニスが死んだので打撃ですが、心の中ではどこかマニスがおるということが負担でもあったんです、僕には大変な。それはね。旅行にもいかなあかんし、それでほっとくのは可哀そうだ。かというて連れて歩くわけにもいかないし、というのもあって、まあそれで元気な間は東京へ行って帰ってくるとストレスで畳がカーッと傷だらけになって、ふすまもカーッと破って(笑)。
つきまとわるのでうるさいからと思って、ふすまを閉めて向こう側においといたら廊下から回ってきて障子をぼーんと突き破って入ってきて(笑)というようなことで、まあしかし、マニスがああやってやってくれておったおかげでね、今畳変えたり、リフレッシュしてまあ少し気分一新することもできたわけです。

「在りし日のマニス」

それで、先週の火曜日にペテロ神父さんが東京からわざわざマニスが死んだって言うので僕の激励に来てくれました。宥厳さんがひしゃげてるんじゃないかと思って来てくれたんですけど、それで、水曜日に高峰さんっていって毎週来られてるご婦人と三人でマニスの墓の前で般若心経をあげたんです。そしたら、般若心経あげて家に入った途端に、僕がいつも座ってる部屋の隣に2畳ほどの狭い書庫があるんですけど、普段そんな開けもしないようなところを開けたら中からウグイスがバーっと飛んで出たんです。それで、なんでこんなところにウグイスがおるんだろうと思ったら、座敷に出てきて端から端まで、奥のパソコン部屋まで行ってまた出口がないもんだから、またこう三回くらい家の中を飛び回って、ここに書いている「駆け抜け駆け抜けみせる黒猫」ですね、そういうのをウグイスがやってくれて、それでまあウグイスも慌てながら、ときどき止まるでしょ?止まった時どう見てもメジロじゃなくてウグイスなんですよ。家にスズメが入ってくるということはたまにあるんですけど、ウグイスが家に入ってきて飛び回るというのはまあ普通考えられないようなことで、これはマニスの霊がウグイスに乗って、喜んでるよっ!って、こう見せてるんだなって言う気がしましたね。ま、そんなことがありました。

まあ、何でもかんでもマニスにくっつけて拡大解釈しとったらいけませんけど、まあ、そんなことです。どうも本当にいろいろありがとうございました。マニスも可愛がっていただいたので、ここで藤山さんに背中を撫でられてる写真がホームページ載ってたでしょ。


第11回2月13日(1日目)その2

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座
(藤山さん)うちも猫を飼いだしたんですよ。
(宥厳先生)ああ、そうなんですか!
(藤山さん)かわいいですよね。最初嫌いだったんですけどね。
(琴美ちゃん)自分とこの猫は可愛いよね(笑)
(藤山さん)可愛くなったらよその猫も全部可愛くなって。嫌いじゃなかったけど忙しいからつい。忙しいと置いてきぼりにしたり、ちゃんと手入れがしてあげられないからね。
(宥厳先生)あんまり飼ってて異常な愛情を持つとね、それこそペットが死んだらペットロスシンドロームなんて言ってね、変になる人も結構おるらしいですね。飼ってるのが死んだりすると。まあ。僕はペットロスシンドロームではないですけれども。


【マニスのヌァ~
(谷川さん)私もマニスの思い出で、朝、護摩焚きますでしょ。その時にふすまが閉まってて幸子先生が鏡に向かってこうやってお化粧してたんですよ。で、マニスがここに後ろ側に、幸子先生の後ろ向きにいてこっちのふすまを私、「先生、時間ですよ」ってこうやったらマニスが怒って、「ぬゃー」って(笑)。それを見てね、あー、ちゃんとマニスはね、幸子先生がお化粧して二人でこう時間を過ごしてたんだなーって。ああ、ちゃあんと分ってるんだな~って。何もしないですけどね。ずーっと静かにこうやってなってるけど、その開けた瞬間、あの「にゃー」だけは忘れられない(笑)。大事なマニスと先生の時間を私が邪魔しちゃったのがちゃんとわかってたのね~。だから、利口なマニスだな~っていつも思いましたねぇ。

(宥厳先生)去年か、12回目の修了の時に、一晩中マニスがこの道場の外へ来て、中向いて鳴いてたとか言ってましたね、分ってるのかなって。別れを惜しんでるみたいな感じがしましたとかみなさんが言ってましたね。めったにここへ下りてこないのにね。

マニスと暮らしはじめたときに、朝、勤行すると必ず大日如来の膝の上に座ってこっちを見てるんですよ、ずっと。それで、なんか猫にお経をあげている感じ(一同笑い)。がありました。長いことそうやって座ってました。だから、不思議な猫やなって思って。それで、最後の二年間くらいはいつも本堂の僕の護摩壇に置いている丸い黒い座布団の上にね、寒くなってきてからは中に入りましたけど、もうずーっとあの上で瞑想してましたね。だから、あの本堂で一番長く瞑想した人ですね、あれは。

ペテロ神父さんはいつも奥の磐余堂に入って瞑想されるんですが、ペテロさんがあそこ入って瞑想するといつもマニスが入ってきて膝の上に乗ってきて、二人でずっと瞑想してたそうです。先日そんなこと言うてました。僕はそういうこと…ペテロはあんまりそういうことを言わないので、知らなかったんですけど。

最初のころは誰かお客さんが来ると先導して裏山をずーっと案内するんですね。それで、先に立ってずっと後ろを振り返っては先に立って行ってそれで森の中に来たら、クヌギの木にてっぺんまでパーっと登って行って見せたり、そんなことよくしてましたね。

二年くらい前に僕は猫のくせに歩くの下手やなっと思ってたんですよ。爪の音がね、かちゃかちゃとしとって、それで、ひょっと気がつくと家内もおったときですけど、気がついたら親指の爪がぎゅーっと曲がって肉球に食いこんでた。肉球に。そんなこと知らずにうるさい猫やなと、歩くの下手やなとか(笑)。自分で研がなくなってたから。まあ、可哀そうなことをしたと思って、ペンチでパチンとラジオペンチかなんかで、ラジオペンチじゃないわニッパーや。爪切ってやったんですけど。ぎゃーと言うてましたけど。後、酵素をぬっといたら間もなく元気になって、まあ、そんなことがありました。あの猫の話ばっかりしとってもしょうがないから、これくらいで。どうもありがとうございました。

じゃあ、今から護身法やって楽健法やりましょう。
(一同)はい!

楽健法15



背中はね、こうやって踏むの。

夕食



どれが欲しいの?


★おでん(大根、こんにゃく、ちくわ、じゃがいも、ゴボ天、小芋)★春菊のピーナッツテイスト和え★白菜★宥厳先生が種まきした大根の漬物


おいしいわぁ。

楽健法16



仕上げ~ん

第11回2月14日(2日目)その3

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座
2日目スタート

夜明けが早くなりました!明るい

朝のお勤め

の前に、先生が整理された本を頂くことに…


お札~御利益ありますように~ありますね、きっと。


琴美ちゃん、お手伝い。次回からは衣を着けて…


お札をどうぞ


まだまだ探しちゃう~


心の整理とともに、お部屋の整理を…


スッキリしちゃいました。

マニスのお墓参り



しっかりと、マニスノアールと。

朝日シリーズ

エネルギーを感じます。


きれい


赤い輪っかがかかっています。


山にかかるエネルギーを

朝の作務

さぁ、やるぞ!


きれ~になりました!ありがとうございます。

はたけ







《撮影 西本さん》

朝食



チャイ入れます




★フルーツ野菜サラダ(リンゴ、キュウリ、トマト、ブロッコリー、玉ねぎ)★かぼちゃスープ★天然酵母パン(かつ子パン)


かつ子パン、実は楽健寺パン


チャイチャイチャイ



楽健法17

究極のペア、再び


いちゃい~


やっぱり、交代したのも写さなきゃ
3回目終了かな?

昼食

すいとん汁~


★すいとん汁みそ仕立て(ネギ、三つ葉、アボカド、ニンジン、白菜、じゃがいも、小芋、しいたけ、トマト、ほうれん草★おでん★茶がゆ★ぜんざい★みいさんからのコーヒー★辻田農園からの伊予柑


辻田さんありがとぉ~


わけわけ~

講義
琴美ちゃんが取り出した小型のカメラ三脚。

(宥厳先生)何か、あれ変なのよね。構造が変なのよ。
(琴美ちゃん)こうやれって言ったんだっけ?
(幸子先生)こうやんなっ。
(中島さん)違うでしょ。ここ長いんだから。
(琴美ちゃん)なんで!ここについてんだべ。
(中島さん)あっ、そっか。じゃ反対だ。
(琴美ちゃん)これでいいんだよね。
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。安定のいいようにおかなあかん。長いのに長いほうを持っていったらひっくり返るやん。

(幸子先生)看板いるんやったら頼んどいてあげやなあかんやんな。
(ちあき)あ、看板!そうですね。
(幸子先生)今から言えへんかったら間に合えへん。
(宥厳先生)一枚二枚はあるけどね。何枚か残してるけどね。あんまりよい木じゃないからね。まあ、文字はあんまり関係ないけど。じゃあ、まぁ、はじめに確認しとこ。みんな揃いました?いない人手を挙げてください。
(幸子先生)はーい!(一同笑い)

あのーもう後、来月で一年締めくくりになるので、それで、来月の午後の時間はあまりゆっくり時間をとれないと思います。それで、卒業式やらなあかんし、卒業式の演奏会もやらなあかんのでね。本堂でやらなあかんね!それで、「仰げば尊し」を歌うとか何かそんなことこの間言うてたからね!西澤さんがピアノを弾いてくれますから。「仰げば尊し」と、それと、卒業してから、皆さんが後、嵐のような人生を歩んでいかなあかんのでテンペストというのも演奏してもらうことに。ベートーベンの。うん。そうそう。それは西澤さんからの同級生に対する贈り物です(笑)。それも、今決めたんですから(笑)。まあ、楽しく、だいぶまあ楽しくやってきたと思うんですけどね。この一年間も。ずっと続いている人もおりますけどね。ま、しかし、一年ごとやっぱりメンバーも一部入れ替わったりはしたり、一部入れ替わるって変だね(笑)。だんだん、入れ替わる人が減ってきたね(笑)。

(幸子先生)増えてきたね。
(受講生)一部新入。(一同笑い)

ん~、まあ、それとここで何かあんまり私が話をする時間をたっぷり取ってないんですけど、やはり実技をできるだけ回数多くして楽健法を体でマスターしてもらいたいというか、いつも言ってるように体解(たいげ)してもらいたいので、実技を中心にして講義の時間をあまり取りませんでした。それと、東光寺の教室の利点というか、欠点というか、教室としてのフォーマットに従って進めるというやり方ではないということですね。一月は何をするとかさ。そういうフォーマットに従って進めるって言うんじゃなくて、ここでの暮らしを共にすることで、いろんなものを伝えたいなということです。

一緒にパンをつくることを体験することで、皆さんパンができるようになってきたと思うんですね。天然酵母パン、今もやってない人もいるのかな?去年か一昨年は、「私絶対だめ」という人もおったけどね。


(内田さん)こっそり手を挙げた。
(宥厳先生)あ、やってないの?
(片山さん)はい~。でも、ちょっとやりたいな、とやっぱり思って(笑)
(琴美ちゃん)また赤くなっちゃった。赤いのが伝染しちゃった。
(宥厳先生)あなたは、パンは焼いてないの?全然。
(片山さん)はい。
(宥厳先生)そうか。まあ、そんな強制的にやらそうと思ってはおりませんのでね。あの、ここへ注文きとるわけじゃ。…でも、なかったか?(笑)
(幸子先生)ここで食べてるやんな。
(宥厳先生)そうそう。それでよろしい。まあ、しかし、楽健法が一通り皆さんできるようになってきたと思うんですね。やっぱり、ここへ来て8ヶ月くらいになってくると、かなりしっかりと踏めるように変わってきてるんじゃないかなと思うんですね。後、来月で一応終わりますけれども、楽健法はできるだけ継続して家族なり、にやっていっていただいたら、これから長い人生で大いに役に立っていくんじゃないかなと思います。何か、ちょっと今までで疑問点とかありますか。これは聞いておこうとか言うのはないですか?
はぃ、どうぞ。


(田中さん)はじめのころ伺ったのかもしれないんですけど、楽健をするにあたって注意することってどういうことだったのかなって今頃になって思ってるんですけど。
(宥厳先生)ああ、そうかそうか。そうやねー、何か、あのーいつでも割とやれるって感覚で僕はおるんですね。だから、注意と言うたら例えばこの本にも若干書いてますけど、風呂上がりには、直後にはしない方がいいとか、だけど、したからってどっちゅうことはないんだけれども、リスクを想定して、言うわけですよね。そういう風に。だから、例えば風呂からあがってるときは血圧が若干高くもなってるし、だからちょっと落ち着いてからってことでしょうねぇ。そういう注意点もありますけれども、人に楽健法をやってあげて、注意しなくてはいけないというのは、いきなり痛い目に合わさないということが一番注意点じゃない?

(田中さん)そういうことがよく、嫌いになっちゃうし、気をつけなくちゃいけないなと思うんですけど、最近思うのが、どういう病気とか、どこが悪いとか何が悪いとかありますよね、そういうようなことは何か注意することっていうの、宥厳先生に聞いたらどうなのかなって思うんですけど。ああ、それも関係なくただ踏んでいいのかなとか思ったりしてるんです。なんか最近、どこが悪い、ここが悪いって人が多いですので、注意しなくちゃならないことってあったかなっと思って。
(宥厳先生)僕はあんまりそういうことを考えていないですね。聞かれたら楽健法はほとんどの人に大丈夫ですという風にお答えしています。

慣れてくるとつい力が入れられるようになってくるので、それでいつもやってる常連の相手と、初めての人との区別というのを、こっちのほうがつい忘れがちになるのが一番注意しないといけないんじゃないでしょうか。私もそういう意味では少し、ああ、あれは失敗だったなと思うようなこともあります。

少し親切にしてあげようと思って、ちょっと痛い目に合わせすぎたら、あと来なくなっちゃったとかの経験があります。その辺が難しいところですね。はじめての相手にはちょっと頼りないくらいの楽健法に止めとくというところが難しいんです。いつもそれが自分の一番の課題だと思っています。

いつもこの教室で踏んでる調子で初めての人にやってあげたりしたら、いかんですね。
いろんな話もしたりしながら、相手にも納得させながらやるってことですね。

それと、対症療法的に考える必要は全くないという風に思ってほしいですね。対症療法でここが悪いから、ここを一生懸命やるという考え方はしないて、楽健法で踏んでいる間に硬いところを見つけたらそこを多い目に踏んでいくっていうような形でいいんです。

一人ひとり体って言うの本当に違いますからね、状況も違いますし。それと、良く心配されるのが骨粗鬆症だから、踏まれたら怖いとかおっしゃる方がいるんですけど、相手が踏んでほしいという相手に、楽健法をやってあげるという関係では、楽健法で骨折することはありません。

骨粗鬆症で骨折したりするのは思いがけないところで、風呂場で転んだとか、咳き込んだとか、躓いたとか、そういった瞬間に骨折する人が多いようですね。
楽健法をやってて骨粗鬆症でボキンと大腿骨が折れるなんてありえないことです。相手も踏まれるという意識で対応している場合には、絶対に大丈夫ですね。意識している人間は怪我はしません。初心者には兎に角柔らかくやってあげるということが大事だと思いますね。

私はここで皆さんと毎回楽健法をするときに、いきなり強くは絶対に踏まないですよ。必ず最初何回かはそーっと触れるところからやってます。それを癖にしておく。そういう自覚を習慣にしておかないと、不用意に痛い目に合わしたりすることがありますからね。


第11回2月14日(2日目)その4

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座

(宥厳先生)光弘さんは、その後、お母さんどうですか?続けてまだやってあげてる?
(光弘さん)やってます。
(宥厳先生)経過報告!
(光弘さん)あの~薬も飲んでないし、検査にもいかないで、体も柔らかくなって、えらく調子いいって、どこも異常なしで。
(宥厳先生)あ、そう。
(光弘さん)すごくいいですね。話もしながら一時間くらいやるんです。
(宥厳先生)今まであんまり話をしなかったの?
(光弘さん)しなかったですね。
(宥厳先生)ああ、うちの婿さん話もするんだって思ったのかな?
(光弘さん)でも、今は行ったときには薬の話とか、ここの話とか。
(宥厳先生)それまでは薬を飲んでられたの?いろいろ。
(光弘さん)めまいの薬を使っていましたね。前にめまいになったことがあるから、不安を持っていたみたいです。三回目くらいのめまいだったのです。だから、もう危ないと思ったんじゃないかな。しかし楽健法でその不安がなくなって、楽健法も痛くないんですね。痛いところがあったんですけど、今は痛くなくなって、結構普通に七分か八分くらいの力で楽健法をしています。
(宥厳先生)もう、2ヶ月くらいになる?この前来て、先々月。1か月?
(光弘さん)1カ月以上です。2か月目くらいになります。
(宥厳先生)それは素晴らしいねぇ。
(光弘さん)痛くなくなってるから、まあ七、八分で強くやらない。えらい健康体だなって。で、薬も飲まないし、すごく健康になってますね。顔色もいいし。やった後はいいし。そして、これは100まで十分生きちゃう、とか言いながら(笑)、やってるんですけど。

(宥厳先生)困ったなと思ってるんじゃない?(一同笑い)
(光弘さん)それで、まあたまたまなんですけど、兄貴の方が、女房の兄貴で息子になりますね。自分の兄貴になりますけど。薬飲んでたんですね、血圧の。血圧が高いって言って。兄貴も最初は踏ませなかったんだけど、たぶんお袋が言ったんですよね、楽健法がいいようなことを。そしたら、踏ませるようになって、体調はすごく悪いんだけど。肩とか、付け根は一分か二分の踏み方でもう痛いんですね。そして、そこらじゅう痛がりますね。薬も飲んでるし。だから、兄貴を重点的にすることに今度なっちゃって。イメージとしては。どっちかというとお母さんより、時間のない時は兄貴の方っていう。
(宥厳先生)お年いくつですか?
(光弘さん)兄貴は薬飲んでて、いやあもう年だからって言うんですよ。年だからって、55なんですよ。
(受講生)あ!?(`皿’)
(光弘さん)そういう言葉を使うんですよね。だから、もう年だからなってもしょうがないって。自分で健康法とか治すということは積極的には、だから、考え方としてない。あっても健康法って言うこういうものには出会ってないのかもしれないですね。でも、飲んでるんですよ、何か。あの~薬のほかに何か栄養みたいなの。
(ちあき)皇潤とか?
(琴美ちゃん)セサミン!
(光弘さん)そういう健康法なんです。そうそう、セサミンとかそんな、なんかいろんなものがあるんですね。
(宥厳先生)サプリメント。
(光弘さん)考え方も、なかなか伝わらないし、それでまあ踏んであげて、それで血圧が高いからこの辺もすごくはってるし。
(宥厳先生)まあ、こうやって楽健法を自分で取り入れて踏みあいをしたりしながら、生活してると自分の疲労度とかいうのはあんまり自覚しなくなっています。病院にたくさん並んでるような人たちの自覚、健康状態、しんどさなんてのは分らないわけですよ。見てて。だけど、本当は楽健法をしらない人たちは、かなりしんどい状態で生きてる、もう歩くのもやっとという気分で生きてる人って結構たくさんいると思うんですね。そういう人に楽健法をすると嘘のようにガラッと体が軽くなって、あれ、これ何?っていうくらいに軽くなるんですよ。だけど、本当にしんどいひと、それこそ病院で働いてる看護師の人なんかでも、もう本当にしんどいと思いながらでも、晩まで、時間までは頑張らなくっちゃというようなことの繰り返しで生きてる人が多いんじゃないかな。そういうようなところに楽健法が入って行った時にすごくこうサッとこんな気分ってあったんだっていうくらい、再発見するくらい元気になると思うんですね。

楽健法やら、疲労回復の方法を知らなければしょうがないんだけど、よくこれでがまんしてられるんだなっというような体調で生きている人は圧倒的に多いんじゃないかな?世の中にはねぇ。

(光弘さん)まあ、兄貴を見てたら、これから必ず悪くなる手前っていう感じで、だからそういうサプリを飲んだりしてるんでしょうけど、だから硬いところから病気になっちゃうのかな。
(宥厳先生)そうそうそうそう。それでこう何かダメージ受けてガンとなったときには救急車で運ばれたらもう点滴して入院してというような羽目になっちゃうのですね。体をほぐして快適っていうようなことを知らずに生きてる人の方が本当に多いんですよね。
ヨーガをやってる人だって全体からいえばほんのわずかだからね。

みんな食べ物のことはちょっと考えたりするようにはなってきたにしろねぇ。自然食やったからと言って必ずしも元気になるとは限らないし。何か、あのこの間そういえば、先月、西澤さんのところ一人電話がかかってきた女の人ね、紹介して、西澤さんに楽健法をやってもらって、僕はたまたま上京する日だったんで、行ったんですよ。Oさんだっけ?
それで、楽健法やってあげたんですけど、その人は60前後くらいかな?何か、手がしびれて、右の手やったから。


(西澤さん)ガンの手術をして…
(宥厳先生)ガンの手術をしたの。
(西澤さん)それでエスカレーター、去年の三月ごろ転げ落ちて、その後自転車で転んで、ダブルで事故にあって、そしたら、手もしびれてるんです。
(宥厳先生)手が回らなくなってた。
(西澤さん)背骨もこう曲がっちゃって。こんな風にぐっとこう。
(宥厳先生)電話をいただいて、楽健法で治すのが早いんじゃないですか?って言って東京で教室へ来てもいいけど、まあ、西澤さんって言う人の所へ相談に行きなさいって言って来ていただいたんです。その日僕が来るんだったら待ってます、とだいぶ長いこと待っていてくれて、東京で僕が楽健法をするときに、東京まで行ってわざわざやるんだから、三万円にしようかって冗談に言ってたものですから(笑)。西澤さんが三万円くらいいるんじゃない、と言ったので、今日はお金を持ってきてないとか言って心配してたみたいでしたが、話してるうちに、楽健法の効果を経験してもらおうという思って、今日はお金はいらないからやってあげましょう、とはじめました。

手が動かないので、若いマッサージの治療師の所へいつも行ってますが、その人は何とか治してあげようという気持ちが伝わってくる、熱心なマッサージをやってくれるというので、どんんふうにマッサージをしてくれるの?と聞くと、指ばかりのマッサージをやってくれるそうです。それでは10年もかかりますね、といいながら僕が触ってみたら、腕の関節や筋肉に何カ所か固まりがあるんです。ああこことここだっていうので、こんなのじきに治りますよと話しながらやってると、帰るまでにかなり軽くなっちゃったんですね。

ほぼ、しびれも取れて、手も動かせるようになって、それで、足もおかしかったので、足のひざの裏も緩めたりして、軽くなったと言って喜んでくれました。
東京の教室にも来られることになりました。

楽健法は、管が通ったら治るということを頭の中にしっかり入っておれば、どうやってあげるかは触ればわかるようになるものです。
(西澤さん)Oさんは先生に利他の心を持ちなさいって言われたことが…こうずしっとこころにひびいて。最初は人のをやってあげるのはいや。自分だけがやってもらいたいって。私は別に楽健法を習いに来てるんじゃないんだからっていう感じだったんですけど、先生にお会いしてお話をしているうちにすごいこう変わってきて、それで水道橋教室の方にも…。
(宥厳先生)まあ、あの、病人が僕の所にね、楽健法で何とか治してほしい、とかってもし訪問して来られても、仮にその人がガンの末期だったとしてもね、僕が楽健法で踏んで治してあげるんじゃなくて、あなたは死ぬまでに人を一人や二人救ってから死のうという気持ちになって楽健法やってあげなさい、という風に言うんですという話をしたんです。
そういう話をしたら、そしたら、ああ、利他の心ですね、という風に彼女はそう言ったんです。

Oさんはなかなかしっかりした女の人でキャリアウーマンだったみたいですね。楽健法をこれから彼女が覚えてやるようになるかどうかわかりませんけど、たぶん、楽健法と出会ったことでだんだん変っていくんじゃないでしょうかね。


(田中さん)ちょっともう一つ。楽健法っていうのは踏んで治すということももちろんあるけれども、それ以上に人の生き方みたいなものを感じ取ってくれることによって、また違う治り方って言うか、次に生きて行くっていうかそういう作用もあるのかなって。その踏むことの技術ももちろん重要だけれど、自分が変わっていかなければいけないなって最近思うんです。そこらへんどうなんでしょうか。なかなか自分には…

(宥厳先生)いやあ、まあ、人にやってあげようという気持ちがあなたは旺盛なんだから。そういう気持ちを持ってる人が必要ですね、世の中には。だから、何か自分が自己実現する世界でね、例えばこの中でまあ今まで生きてきて、自分がやりたいと思ってきたことを現実に生活の中で実現して私は幸せだわっと思ってる人と、ね、あれもしたいこれもしたいと思ったけど何にも出来ずに、現在の自分を不満に思っている人はね、幸せでないかもしれない。

いま整理中の本のなかに600ページくらいの卒業論文があって、ペテロ神父さんの友達なんですけどね。専業主婦の生活実態みたいなことの研究調査した、ま、女性学ですね、女性問題を扱ってる、それを拾い読みしていたましたら、幸福感についてのグラフがありました。自分の願望をどこまで自分が実現したかということで、幸福だと思うひと、不幸な感覚をもっているひと、などのデータを分析して、何パーセントの主婦がこうだ、とか何か難しい数字もでていましたが、分析してるのがありました。


楽健法もそうかもしれないけど、田中さんが楽健法をやっていこうと思った時に、どういう自分でありたいか、というイメージが明確にあるかどうかですね。
道を求める、求道ということばがありますが、なにかを志す人間って言うのはそういうイメージを持って生きてきたと思うんですよ。「そういうもので私はありたい」って宮沢賢治じゃないけど「木偶の坊と呼ばれ、苦にもされず、そういうものでわたしはありたい」という、そういう自己実現の目標みたいなものもあるかもしれない。あれは非常に反語的ですよね、本当は。一種の仏教的な考え方でやっぱり一人ひとりは割と具体的に、こういうことをしたいんだ、というイメージを持ってると思うんですね。こういうところに住みたいんだ、とか言うようなイメージとかね。田中さんなんかこういうとこに住みたいと思ったらそこに住む人でしょう?どっちか言うと。そうやってやろうと思ってやれるから。だから、結構幸せな人よねぇ。

人はなぜそこに暮らすのか、っていうことは僕の長年の謎なんです。わからない。何故人はそこに暮らしているのか。そこの土地にへばりつくようにしてね、そこから離れもせずに。ちあきちゃんは何故和歌山にしかいないのか。彼女は長野県とかね、素晴らしい景色のとこ通ったら、ああこんなとこに住んでみたいわと思って引っ越すというようなことはしないでしょ?絶対。そういうことはできないのね。人はなぜそこに住むのかなって大きな謎。

僕も長年50年も大阪に、満足感のない暮らしをしてきて、こんなもんじゃないなどと思いながら、大阪にはもう出口はないと絶望してたんですよ。大阪には出口はないんだと思って。このまま埋没すべき運命なのかというような、感じだったんですけど、まあ、しかし、ひょんなことから東光寺に縁ができて暮らすようになったんです。なにがそうさせたのかということですね。

だけど、本当に人はこういう場所でこういう風に暮らしたいというても、なかなか実現できるもんではないんだけれども、しかし、そういう願いを何一つ持たない人が、もともとイメージを持たない人が、どこかに近付くということはないね、現実にも。
だから、何か自分で自己実現のイメージを持ち続ければ現実に叶うものになっていく可能性があると思うんです。そういうことを思います。

20年前にこの東光寺に縁ができていつもそこの石段を上がりながら、ここの門からここの家を見てね、ここが東光寺のものだったら使いやすくて便利がいいのになあ、っと10年思いながら、ここを通るたびにそんなことを思いながらこの石段を上がっとったんですよ。そしたら、10年目にここが引越しの準備してたから、それで、聞いてみたら、それまでろくに物も言うたことなかったのよ。挨拶くらいで。それで、あれ、引っ越しされるんですかって聞いたら、家内がペースメーカーをつけて、この石段を上がってくるのがしんどいのでそれで引越しすることにしたんです、というような話だったんです。

それだったらここの家はどなたが持ってるんですかって、東光寺がお借りすることができませんかね、っていう話をちょろっとしたら、さっそく会長に話しますと言うようなことからここの建物を貸してくれることになったんです。

持ち主はこの近所に住んでる、Nさんっておっしゃる人で、息子さんが歯医者してて、僕はそこの歯医者へときどき行ってたんですけど、まあ、ここの持ち主だってなことも知らなかったんです。だけど、ここの持ち主のNさんって言う人はゲームセンターでゲーム機、あの何とか言う横に歩いていく…

(琴美ちゃん)インベーダー!!
(宥厳先生)インベーダーゲーム!!あのゲームの機械。喫茶店によう机置いたあった、あの机を製造する会社を作って、それで、ここに住みだして事業を始めて、そこで木工所作ってインベーダーの機械の机を作って、多い時は従業員が500人もいたそうです!大成功したんですね。

そこの職人の一人がこの家に住んでたんです。家族で。もとはここ社長宅だったんです。で、社長は金も儲けて向こうの方に土地買って大きな家建てて、ここを社員に貸してたんですね、社宅として。その社員はこの家で親子4人で暮らしてたのかな。それをたまたま話したら貸してくれることになったんです。

その社長はこの建物の二代目なんだそうです。二代目というのはこの家を最初に建てた初代の人もどこかで会社を作って大成功したそうです。

だから、ここの家は縁起がいい家でこの家に住んでる人はみんな成功するんだっておっしゃるんですね、その社長さん。それで、僕は三代目なのよ。うん。

(田中さん)成功して(笑)。
(宥厳先生)(笑)。たいして成功しそうでもないけどね。そいでまあ、も一人ね、僕がここに来た直後ぐらいにテレビの取材があったんですね。僕が東光寺に来たというので。それで、楽健法をね、本堂で生放送で朝のニュースの時間に民法で読売テレビか何かだったと思うんですけど、5分くらいの放送、生放送なんです。その放送を見てそれで、生駒の方から楽健法をやってほしいと来るようになった女の人がいて、その人は一期生に入った人で萬成さんって言う人。
(谷川さん)は~!


(宥厳先生)それで、萬成さんもここ通るたびに、この家が東光寺のものだったらいいのになってずっと思ってたんだって(笑)。そんなこと言うてましたね。それで、まあ、ここの家も相当ボロボロだったんですけど、そこに壁があって、そこの段があるとこね。そちら側が6畳の応接間で、こちら側が一段高くなってて、それで壁があってそこに。その壁を取り外してこういう風に広間に改造したんです。

まあ、そんなようなことからね、ここの家が始まったんですけどね。まあ、ここは家賃は3万円だったんです。それで、10年家賃払ったらあなたにあげますって言う話だったんです。そいで、去年10年たったからくれたんです。それで、今はここは土地は別なんですよ。上だけなんですけど自分の家になったのね。

ま、そんなようなことで、これもしかし、私は出家してからお寺に入るんだったら、檀家がいなくて、お坊さんって言うのはだいたい檀家がいないというと、それだけでもう見向きしないんですね、ふつうは。まず、檀家さんに食わしてもらうと言うのがお坊さんたちの考え方で、だから、檀家がいなくて、それで環境が良い田舎のような環境で都会に近くてそういうところがあれば入ってもいいと思ってたんですよ僕は。

そしたら、そういうまさに環境ですね。駅にも近いし、近所の連中は下界におるから(笑)。上から…ねぇ、殿様みたく見下ろしてる環境です。隔絶されてて、とやかく言われないし、檀家はないし、だからまあ割と好きなこと、好きなことったってでたらめしてるわけじゃないんだけど。まあ、あんまり人に気を遣わなくて、こうやれるじゃないですか。仕事がね。

ま、そういう意味で、やはりこうイメージしてたことがね、具現化していくって言う風になってきたんじゃないかなと思うんですね。ま、とっても、だから、一つのこういう具体的に何か楽健法とか天然酵母パンとかっていうようなことを持ってるということは僕は大変強みだと思うんですね。まあ、皆さんもぜひね、そういうものをしっかりと身につけてそれで人にも教えられるようになっていただいたら、大変…。

一度覚えたことは減るもんじゃありませんからね。それこそ、身についてしまったこと、まさに体解したこと、昨日もちょっとそういう話してましたけど、インドなんかではそういう身に付いた、もう染みついてしまって、寝言ででも勝手に出てくるような、なってるようなことをサンスカーラって言う風に言うんですね。そういうサンスカーラになるような世界って言うのは、だいたい師資相承、親から子へ、師匠から弟子へって言う風に伝えて行く世界で、そういうサンスカーラみたいな、要するにもう無意識のうちにでも手が動く、足が動くって言う風にできるようになっていくことですね。


第11回2月14日(2日目)その5

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座
「知ることと体解すること」

現代では、医師になるために、だれでも大学へ行って初めて医学の文献に触れるのですが、昔の師資相承の時代の勉強の仕方とはちがうんです。インドの人たちも現代は昔とは勉強の方法が違うんですね。現代ではアーユルヴェーダの大学生は大学に入って初めて古典を学び、サンスクリットのいわゆるアーユルヴェーダの文献を読むわけで、多分長文の暗唱まではしないようですね。本で読んで勉強するって言う形なんですけど、たとえばイナムラヒロエさんのご主人のアーユルヴェーダの先生であるシャルマさんなんかは、6歳の時からアーユルヴェーダの本を暗唱させられてきたんだそうですよ。

だから、チャラカ本集とかスシュスルタ本集とかのシュローカ(偈)を暗唱していてどこでも瞬時に出てくる。だから、何か質問すると、たとえば喘息について質問したら、喘息の詩(偈)がすらすらと出てくるんですよ。正確に出てくる。

こどもの頃から、何度も何百ぺんも読まされて暗唱して体に染みこんでいるんです。
昔、日本人もそうやって漢文の素読をしたんですね。そんな勉強をしたっていう風に聞いたことがあると思いますけど、そういう勉強の仕方するんですね。そうするとそれが要するに体解する、サンスカーラになってきて、必要なときにいつでも思い出せる。

だから、何か質問するともうサンスクリットのシュローカ、シュローカって言うのは詩ですけどね。質問すると、「ニタヤームヒタハーラビシャーラセービーイサミクシャ云々」、という感じでもう瞬時に出てくる。それを唱えて説明するんです。まあ、そういう暗唱、デクラメーションですね。暗唱をするって言うようなことは今ほとんど日本人はしなくなりましたけれども、だけど、何か好きな詩とか好きな言葉とか必要なことって言うのはね、あの楽健法のお経の本の最後の方に短く、偈として書きだしてあるでしょう?ああいう部分を全部暗誦するわけです。

だから、それが何かの時にパーっと出てくる。楽健法もあのあれはあんまりリズミカルには書かれてないかもわからないけれども、ああいうのが覚えやすい詩の形で書かれてるとね、頭に入っちゃうわけですね。だから、まあ何か気に入った詩とか、お経でも構わないけども、お経を覚えたってあんまり役に立ってないんですよ。般若心経知ってるよ、と言うことは、暗唱していて、唱えられても般若心経の意味わからないでしょ?皆さん。

だけど、まあ気に言った言葉とか詩とか言うものがもしあればね、僕もさっきちょっと言うてましたけど、例えばアルチュール・ランボーの詩なんてのもそうですが、僕はかなり色んな人の詩が頭の中に入ってます。まあ、そんなに覚えようと思って一生懸命読まなくても、好きな詩っていうのはスッと頭に入って、覚えちゃうんですね。



束縛されて手も足も出ない虚ろな青春
こまかい気遣い故に
僕は自分の青春をふいにした
ああ、身も心もただ一筋に打ち込める
そんな時代がふたたび来ないものか  (アルチュール・ランボー)



なんて詩が、いつの間にか頭に入っているんですね。だから、楽健法や人生相談の時などでも、例えば中原中也さんの詩、中原中也って知ってますか?中也の、中原中也さんって言って山口県生まれの若い時に死んだ詩人ですね。この詩人の詩なんかでも僕いくつも頭の中に入っています。だから例えば誰かが悩んで相談に来る。それで、どうしたらいいか、こうしたらいいかと思い悩んでいるような人に中也の詩を聞かせてあげたりして、いろいろ思い悩んでいつひとに…
そんな詩を、人生の困難に直面している人に聞かせてあげるんです。



私はおまへを愛しているよ、精いっぱいだよ。
いろんな事が考へられもするが、考へられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽くすさうと思ふよ。 (中原中也・山羊の歌の一部分)



そういう引きも進みもならないような人生の困難に向かう、ひたむきな一つの姿勢ですね。まあ、中也自身がそういう純粋さで生きたかどうか、それはわからないけれども、だけれども、そういう詩の心、世界に触れる、詩を読むことによって、僕らは心も洗われるし、なるほどそうありたいものだって言う風に、思うわけで、納得すれば人間はどこかが変わるのですね。

僕が一番最初にショックを受けた中原中也の詩って言うのがあって、それは17,8歳の時でしたけどね、僕の父親がアルコール中毒になって仕事もしなくなって、僕が家具の職人をしながら一家七人の生活を支えて行った中で、稼いでも稼いでも親父は酒飲んで、それでゴンタ言うし、というような何かすさんだ気持ちになった父親を見てて、そういう時に私の唯一の慰めっていうのはあまり本を買う金がないもんだから、近所の本屋に行って立ち読みすることだったわけですね。すぐ近くに本屋さんがあって。だから、そこの本屋にはどんな本がどんな順序に並んでるかも知っていて、隅から隅まで図書館みたいにして立ち読みするんですね。で、その中で文庫本の中に中原中也の詩集があって、その中に「老いたるものをして」っていう詩があったんですね。それは、



老いたる者をして
   ― 「空しき秋」第十二 ―

老いたる者をして静謐《せいひつ》の裡《うち》にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり

吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるは洵《まこと》に魂を休むればなり

あゝ はてしもなく涕《な》かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟《はらから》も友も、はた見知らざる人々をも忘れて

東明《しののめ》の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或《ある》はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上《へ》の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……

   反歌

あゝ 吾等|怯懦《けふだ》のために長き間、いとも長き間
徒《あだ》なることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに忘れゐたりしよ……

     中原中也 在りし日の歌 より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/219_33152.html



その詩を読んだ時にその場で涙があふれてとまりませんでした。
「老いたる者をして静謐《せいひつ》の裡《うち》にあらしめよ」
うちのおやじは老いていくのにだんだん荒んで行くのは一体どういうわけだ!と「老いたる者をして静謐《せいひつ》の裡《うち》にあらしめよ」
そういう何か静かな心境になってくれたら僕はどんなに幸せだろう、と。何故彼は一人あんなに荒れ狂うのだろうか、って言う思いがあって、そのことは、楽健法の本の後半のエッセイに書いています。

だから、そういう何か現実はとっても辛くても、その辛い現実の中で自分がねじくれていくひともいるし、だけど、そうあってはいけない、こう言う風にあるべきだと言う何か純粋な願望みたいなものがですね、人生に対する願いみたいなもの、何かそういうものが僕にはいつもあって、そういうものを求め探し続けることで、生きてきたように思うんですね。そんな中で自分もまた詩を書くようになって、ま、それでああやって本が次第にいっぱい増えてきたわけですけれどもね。

人間と言うのは自分をコントロールすることが一番難しいんですね。だから、ガンジーの健康論もいつかお見せして話したことあると思うんですけど、やはりガンジーは本の中で「健康とはコントロールできる精神のことだ」と言う風に書いてるんですね。だから、一人ひとりが自分をコントロールできる人ばっかり集まってたらね、世の中ってのはそんな複雑怪奇な衝突はしないと思うんだけれども、なかなかコントロールはしないで、我ばっかり前に出していくような人と人とが多くて、そのなかでうまくやっていかなくてはいけないので、それはとても難しいんですね。

だから、衝突、戦争も起こるわけですけれど、コントロールできる精神って言うのは、魂が成長して行かないと自分のコントロールってのはできないんですよね。だから、この前もちょっと話したかもしれないけど、メタ認識って言う言葉があるって話しましたね、この間。先月だったかな。覚えてますか?メタ認識。自分が認識しているということを認識するもう一人の自分。

つまり、僕は喘息で夜中に発作起こして寝られなくて布団を畳んでもたれて座ってたようなことも経験しましたけれどもね。そういう時でも僕は喘息で苦しい~助けて~何とかして~とは決して思わないんですよ。ああ、俺は今こう言う状態でじーっと座ってるなってこの辺から見ている自分がいるんです。いつも。だから、そういう自分を見てるな~という自分をまた意識してるもう一人の自分もいる。

そういう認識の仕方が人間できることによってね、何か困難が起きた時に慌てないんですよ。困難に直面した時にもね、自分が冷静に自分を見ているって言う風な気持ちのゆとりができるんですね。

で、そうでない人は何かが起こったらパニックになってひっくり返ったり、人に迷惑をかけたり、それはもうすぐ病院に飛び込んで行って怒鳴りまくるとか、色んな事をするわけだけれども、人間と言うものはゆとりができてくるほど、客観的に自分を見る、自分を相対化すると言うような言い方もしますけれども、自分を相対化できれば割りとこうゆとりが持てる。

だから、何か人とこう喋ってても、ああこの人は全くゆとりのない人だなぁっていうようなことに皆さんも、であった途端にだれでも見抜くと思うんですよ。そういうのが見抜ける人と、見抜く人はそれだけ自分にゆとりがあるから見抜けるんですけれども、だから、ま、そういう意味でやっぱりゆとりを持つために何が必要かと言うことですね。そういうゆとりと言うものは何が自分にもたらしてくれるかということですね。そういうことも考えてみてください。

こうしたらこうできるっていう簡単なものじゃなくて、その為には経験や、たくさんの本も読まないといけないだろうし、この間、東京で喋ったのかな、ここでも言ったかな。

「士太夫、三日書を読まざれば、理義胸中にまじわらず、面貌にくむべく、その言葉には味がない」って言って話したでしょう。黄山谷って言う人のねぇ、言葉。ここでも話したかもしれない。だから、まあ毎日、本も読んで、文も考えてまあそれがね、僕はお坊さんなんだけれども、みなさんにじゃあ毎日ご本尊さんにお経あげましょうと言う風に僕が何故言わないかと言うと、つまり宗教を何かあてがってそれでゆとりができる人と、それは自分で見つけてそうなって行ったらいいんだけれども、そうでなければ宗教と言うのはカルトになりやすいんですね。カルト宗教になるんですよ。押しつけて、それで、他のものが見えなくなってくる。

いつも話してる、私が言うものさし、尺度だから自由自在の物差しを持ってると、それが自分のゆとりで色んな事が見えるようになってくると思うんですね。プロクルステスのベッドみたいな尺度を持たせてしまうと、もう融通も利かない、ゆとりもない、頑固で受け付けないっていうそういう世界に人をはめてしまうのが、しばしば宗教なんです。

だから、僕は世界の宗教って言うのは、たいてい間違って活用されてると僕は思うんですね。だから、宗教で本当に教えないといけないものは、あなたは自由自在なんですよって言うことを教えなてあげないといけないと思うんです。

自由自在なんだから信じても信じなくてもいいよ、と言うことも言わないといけない。これを信じなさいって言ったら、「信ぜよ、さらば救われん」って言うようなことを教えたら自分で考えないひとになって、僕は人を不幸にすると思うんですね。

だから、まあこの中でもそういう色んな世界に所属して勉強してる人がいるかもしれないけど、しかし、やはり、基本的には人間って言うのは自由でないといけない、それから自立してないといけないということですね。で、自由で自立しててそれで平和であることがやはり健康なんですね、一番大事な。で、そういう所まで立ち戻って、立ち返ってものを考えて行かないとね。

だから、ものと言うものは、小さくまとまらないことが肝要です、何でも。人間っていうのは小さくまとまってしまったらだめです。だから、楽健法だけやったらもうそれでいいんだって言うことに凝り固まった楽健法の先生がいたら、これは大変ですよね。
もう踏む以外の健康法はそれはもう邪道だなんてことを言いだしたらね。

手に油を塗るだけで解消するような健康状態の人もいるわけですから、そういう人は手に油をぬっとったら楽健法なんてしなくてもいいですね。しんどいはなしだし。だけど、人の手に油を塗ってあげるだけでは物足りなくなってきてやっぱり踏む、と言うようなことになってくるかもしれないので、まあ、そういう広い意味で色んなことも楽健法を知ったり、西式の健康法でもね、僕はだから西式の健康法を教えてあげることもよくあります。

毛管運動とか、半ば馬鹿にしながら言ってるようなふりもしたりすることもあるんです。それは、どういうことかと言うと西式の健康法を教わった奥さんがいたとして、体調が悪い、それで、何とか元気になりたい、玄米菜食はし出したけど青い顔してて元気はなくて、手は冷たくて、足も冷たいと言う冷え症の奥さんがいて、それで、子供やら旦那を送り出したあとね、自分の体調を良くするために、四畳半の座敷か六畳かしりませんけど、ま、そこに寝そべってね、天井に手と足を向けてこや~~~って手を振ってね(笑)。やってる姿を想像するとね、なんかたまらないでしょ?

そうい何か、暗いなぁと思うんですよ(笑)悪いことじゃないのよ、それは。悪いことじゃないけれども、やっぱり健康法は、ね。旦那が帰ってきたら、おい踏んだるぞって、奥さんも、じゃあ、私もってね、踏み合いする関係であった方がずっといいの決まっとるんですよ。

だから、まあ自分で自力でできる健康法はそりゃあ大事です、とくに一人暮らしなら。だけどね、家族もいるのに、病気を治したいために、本当に一人っきりの部屋でね、ヨーガで伸ばしたり縮んだり、毛管運動で手を振ったりするのは僕は暗いと思うんです。

ヨーガは自分が瞑想が好きでね、そういう境地を楽しむためにやるものであってね、病気治すためにやるもんじゃないね。だから、病気を治したければ、やっぱり、楽健法をやるとか、どっか小林健さんのようなところに行って見てもらって、なるべく早く治した方がいいですね。まあ、病院に行って点滴やってもらうようなことは考えない方がいいかもしれない、と思うんですけど(笑)。

話が変な所に行ってるように思うかもしれませんけど、まあ、何か僕は人間と言うものはどういうバックボーンをですね、コンセプトって言う風にいますが、どういう考えを持っているかって言うことが一番問題なんです。だから、楽健法をやってあげる場合にもその人がどういうコンセプトを持っているのかと言うことです。

だから、光弘さんがさっき言ったお義兄さんがどういうものの考え方を持って生きているひとかということを見抜いたうえで、それで、そこに働き、それを無理に変えさす必要はないんだけど、体の方は、楽健法をやってもらってパッと変わってきたら、コンセプトが変わっちゃうわけだ、その人の。

今まで持ってたものがひっくり返っちゃう。だから、その奥さんのお母さんもそうだろうと思うんですね。そうやって、こっちの方がいいよってことが分かってくるわね、体で。だから、体で何か体験して知るっていうことはとっても大事なことですね。
だから、あんまり頭でものを考えない方がいいかもしれない。頭だけでものを考えないでね。

だから今の楽健法の色んな踏み方は大体マスターしたとして、後それをどうやって深めていくのかっていうのは、さっき僕は田中さんが誰と組んでたんかな。ああ、谷川さんか。谷川さんの背中をこう押してるのを見てね、ああ、まだこの人はまだ一生懸命力で押そうとしてるなっていうのをこう、押し方見てたら感じましたね。

もちろんあれでいいんだけれども、例えばもっとね、力を入れてると言う感じじゃなくて何かこう体重が自然に乗ってて、ここから楽に気を送り込んでいるようなね。何か気でやってあげると言うような感じで触って行った方がもっと本物になってくるという風に見て思ったのね。力でするものじゃないってことですね。

力でやろうとしなくても、楽健法をいままでがんばってこられたので、あなたにもう気がすでに働いとるんだからね、だから、その気を送り込んであげるような気持でもっとリラックスしてやったほうがいいと思います。力では駄目ですね。力でやると力が本当は伝わらないの。

こっちがリラックスしてサーっとやってあげたときに気と力とがうまくミックスして相手に伝わって…って、まあそれが癒しになるんですね。だから、…

(田中さん)力を入れないといけないと思うから、今、一生懸命、筋肉鍛えてる(?)

(宥厳先生)だから、昨日、僕、上で鍬振るときにも言ったけど、あれも力なんかいらないでしょ。スナップだけでパーンと行った時に、最大の力がそこに加わって自然にできます。

小手先でやろうとするからしんどいばっかりでさっぱり掘れないと言うことになってくるんですね。それは、楽健法も一緒だし、それこそ料理する時も包丁でもの切ってもそうだと思うんですね。やっぱり力でこう切ってる間は駄目なんで。パパパっと動くようになってきたら、勝手に切れて行くでしょ?



西澤さんも言ってたでしょ、ピアノのキーを叩くとき地球の中心を叩くという気合い。
楽健法で踏む時も地球の中心を踏むようにしなさいって言ったら、ピアノもやっぱり地球の中心を叩くんだって言う風に言ってました。同じことだと思うんです。

楽健法はやっぱり力を入れたんではできないのね。力が抜けてるからポーンと入るんですね。そういうまあ気持ちで、その為には楽健法ももっともっと習熟して行けば、自然とそういう風になってくる。それはもう一番無駄がなくて楽にできる方法になってくると思うんです。それでしかも良く効くっていうようになってきますからね。だから、力でやってる間はまだまだ未熟ということです。

だから、楽健法をやっているひとの立ち姿を見たときに、ああ、この人はもうできるなって風な姿勢におのずとなってくると美しい姿勢に見えます。やってる人がね。尊い人に見えます。ああ、この人は随分やってる人だなって言うことがパッと一目で見抜けるように。見抜く人は見抜きますからそういう人に実際に僕言われたこともあるし。だから、まあそのつもりで修練を怠らずに。

まあ、あんまり、心の修行だとか何だとか言わなくてもいいんじゃないですかね。フランクに、自由自在に、楽に、いつも楽にということをまず意識してやって行ったらいいんじゃない?それは生活そのものもそうだし、仕事をしててもそうですね。一つ一つのことに拘泥して何かこう反応してる間は仕事なんて上手くできないんですよね。

乗って来た時は仕事なんか自分が忘れてるもんですよ。それはパソコンやっててもそうだと思うし、乗ってる時は気楽に行けるんですよ。そんなに疲れもせずにね。だから、もう疲れてしんどい!って言うような時も、堤防があって本当は力で仕事してる。そういう人はしんどいですね。

(田中さん)力入れ過ぎだわ。力入れて生きている(笑)
(宥厳先生)だから、うちのパンでもそうだけど、あれ、たくさん一日朝から晩までようけ、あれ力でやってたら本当に体もたんですよ。とてもじゃないけど、このちっちゃな体でねえ。あのおっきなやつをドーンと軽々と仕事してますからね。そらやっぱり、身についたサンスカーラで仕事をしてるからですね。体解してるからできるんですよ。

もう、頭で仕事はしてませんもんね。パン焼く仕事でもね。何かこうささささっと勝手に手が動くって言うような感じで。あれも頭で仕事しとったんじゃとてもじゃないけど、しんどくてやっていけないでしょうね、多分ね。そういうもんだと思います。うん。

第11回2月14日(2日目)その6

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座
谷川さん、何か(笑)。感想、ご意見。今、病院の中ではどうなんですか?ちょっと。

(谷川さん)病院の中ではやっぱりこの間も、2年ほど?さっきも話しましたけど、小脳から出血してて4カ月くらいこうやって寝てて、それで、もうだいぶ良くなって今度リハビリってなった時に、この手が、今度下になってた手が今度上がんなくなってしまったっていう感じで、で、私がちょっと楽健法をやってあげたらば、ああ、この手も自分でもこうしか上がらなかったのが、こうやって上がるようになって、それですごく喜んでくれて、それで、リハビリ始まった後も多分私が踏んだことによってリハビリの先生よりも効果があるから、リハビリの先生がびっくりするから、内緒にしてくださいって言って、それで3回か4回踏んであげたら、もうこう言うものがなしに歩ける、後ろ姿もきれいになってそしたら退院がものすごく早くなって。

もう一件は乳がんで、その後背中に腫瘍が移っちゃって背中をすごく切ったらしいんですよ。その人もやっぱり寝たきりで、もう辛くてその人はもう自分の気持ちを看護師さんにぶつける人なんですよね。こう言う辛いまんまでほっといてって。そいで、「谷川さんちょっと肩マッサージしてほしいんですけど」ってナースが言うもんですから、ま、背中手術してるから、じゃあ、押すだけねって言う感じで肩を押してあげたんですけど。手でね、だけど、何か腕も首もやってあげたくなって、このへんもずーっとこうやって、手やったら今度、足もやりたくなって(笑)。

こうやって足を手で押してあげて、そしたら体がだんだん整ってきたので、実は私ね、足でこうちょっとやるマッサージをもう10年来やってますからとか言って(笑)。ちょっと信用を付けといて、そいで、ベッドに上がらせてもらっていいですかって、この鼠径部にこの足をこう言う風に置いたときに、その人がね、「何この感じ」って言って、これってなあにってすごい感動してくれたんですよ。もう、涙が出るほど、そのあったかさと、この感覚は何なんだろうって言ってくれて、「ああ、これは楽健法って言うんですよ」って言ったら、今までね、手であなたにこうやってもらってたことが、もうおざなりにやってたみたいだって。足でこうやって置かれたことがすごく体に入ってきて気持ちがいいって。

それで、もうその人は私の虜になっちゃって(笑)。もう、レントゲンにも行ってくれるし、やだっていってたのが、痛いのに起きてレントゲンにも行ってくれるし、私を見つけるとこうやって手を振ってくれるし、翌日のリハビリではちゃんと起き上がるのがね、ベッドから起き上がるのが今までより絶対に楽だからねって言ったんですよ、こうやって。そしたら、本当に楽でスーッと起きられましたって。すっごい良くて。だから、私も、あ、みんなに手でこうやってもらって、それで足を置いてもらった感覚?それとおんなじ感覚を味わってみたいなーって思いましたね。

私たちはいつも踏ませてもらってるから、あ、足がこれだけ気持ちいいってのはわかってるけど、手と足の感覚の差って言うものを自分の体で感じたら、もっと楽健法のすごさをみんなが感じられてまた伝えられて行くんじゃないかなって思いました。すごく私、楽健法でよかったなって、自分で身に付けといてよかったなって思いますね。

(宥厳先生)あの、リハビリはもう楽健法一本にした方がよっぽど回復早いね(笑)。やめてしまったらいいんだ、いまのやり方は本当はねぇ。あんな、変なことしてるよね。棒持って歩けとかさ。
(谷川さん)だから、リハビリ2週間とか1ヶ月とかやったら、楽健法を一日やったらそれだけの効果ありますよね。
(宥厳先生)そうそうそうねぇ。楽健法もっと取り入れていければね。
(谷川さん)もう一人全然立てなかった人が、リハビリの先生に足腫れたので訓練をどうにかしてくれ、こんな訓練できませんから、楽健法を先生に相談してくださいって言われて、私が先生に許可貰って踏んだら、翌朝歩いたんです。それで、本人がびっくりしてリハビリの先生に任せらんないって。だから、内緒ね、もう大丈夫よって(笑)。
(西澤さん)楽健法リハビリルームとかできたらいいですね。
(谷川さん)ナースなんかも谷川さんの方が効く~っとか言ってくれて。後ね、もうひとつ、ブライダルエステがあるのね(笑)。寮の人がこの間、七日の日に結婚したんですよ。その二週間前から私スタッフルームで踏んであげて、お正月のむくみとかあれをきれいにしてウエディングドレスを着れるようにしたんですよ。それで、私もブライダルエステに絶対楽健法よって言ったら、その人もそうだって。だから、ブライダルエステに楽健法って言って結婚式場にみんな乗りこみましょうか(笑)。姿勢も良くなるし、美しい姿、こう言う風に。美しかったですよ。すごい感謝されました。

だから、ま、招待もされたんですけど、お料理のところに「楽健法のブライダルエステありがとうございました。最高のエステです」って書いてくれて。だから、ね、西澤さんなんかもブライダルエステで楽健法を扱って下さいって思いますよね。若い子にそういう風にして。好きなとこ磨いてこんなんやってるよりは、踏んで素敵にした方がウエディングドレスもきれいに着れるし。

(宥厳先生)まあ、生理痛のひどい女の子が結婚したって本当は苦しいんだから、生理痛もしっかり楽健法で治していかないかんね。
(西澤さん)でも、私この帰りいつも京都に行って娘にやってあげるんですけど、本当に娘は下半身こうパーンッと張っちゃってるんですよ。太ももとか、で、やってあげた翌日はすっきりとGパンとかはいてても、なんか痩せた?ていうと、「お母さん、昨日の楽健法だよ」って、娘言ってました。すっきりしますよね、本当に。
(谷川さん)親子のふれあい楽健法、とか(笑)。なんでも楽健法つける(笑)。


(宥厳先生)藤山さんは?意見ないですか。
(藤山さん)谷川さんに聞いてから、我が家ではエステサロンやってます(笑)。取り入れて。確かに。
(宥厳先生)ブライダルで?
(藤山さん)するんです。確かにブライダルでもオイルマッサージとかするんできれいになるんですよ。お背中なんかも、全部皮膚も、毛穴の掃除とかもしてあげたら本当にツルツルになるんですけど、確かにね、楽健法取り入れてやったらいいなっと思って。両方で大体1週間くらい通われるんですよ。毎日じゃないけどね。で、全部顔そりから全部。
(宥厳先生)結婚する前に?
(藤山さん)そうです。デコルテ…
(宥厳先生)そんなに、ごまかしてから結婚すんのか。(一同大笑い)

(藤山さん)ダンスのワルツとか踊られる方でしょう。ワルツでもラテンでもなんだけど、背中がすごくきれいになるんですよ。オイルマッサージして毛穴のお掃除してあげたら。だから、まあ楽健法でした方が、一生懸命娘がこうーやってオイル(笑)。
(宥厳先生)まだ、楽健法は取り入れてないの?
(藤山さん)あ、あのね、うちの下のお客様とか二階の痩身のそういう、疲れて足のフットケアする時には娘もやってます。私は他のお客さんに時々。はい、今日は、奈良へ行きますって貼ってあるんですよ。三月までの休みますって。それで、今は修行中だから500円って(笑)。それで、それからね、私がもしもこの美容院で食べられなくなったらお金ちょうだいとかいって(笑)冗談言いながら水曜日の午前中を当ててるんですけどね。

で、お行儀ができなかった人とか、まだ私もどうしてあげようっていうのはわかんないけど、とにかくまあ気持ちよくしてあげたくて、まあ一番あったのは、お行儀ができなくて、ちょっと奥の方なんですよ。集会所とか行った時にやはり足が悪いからこう座るっていってもやっぱりみんな座らないとお行儀が悪いってね。だから、その子も座りたいって言うからね。それを2ヶ月間1週間に2回やったらちゃんと正座ができるようになって、すごい喜んで、その時まだここへ来始めだったんで、いいよいいよ、やってあげる、どんなになるか面白いしって言ったら2万円の商品券をくれたんです(笑)。
(田中さん)あららら!
(藤山さん)それで、イヤーこんな駄目だよって言ったんだけど、いやあ、もらっちゃって。商品券も嬉しかったですけど、何かダブルで(笑)。よかったなーって。まあ、何よりも、何しに来てるの?って。いやあ、未病のための色んな生き方をあれしようと(笑)。酵素ジュースを作って最近、お店に出してあげるんですよ。「これ何?」って、「酵素がね、酵母菌がいっぱいこの中に入ってるよ」とか言って。これ発酵して作ったお焼酎いただいたんで、ゆずとかいっぱいあったので、3回作ったんですよ。3キロずつ。そしたら、結構できて。冷蔵庫に入ってて、みんなすごい、これで新陳代謝も良くなるし、きれいになるよっとか言ったら、エステの客さん大喜びで、「教えて~」とか言って(笑)。

エステのお客さんって健康になりたい人が3分の2くらい。あとはちょっと磨いてきれいになりたいとかね。でも、もう今みんな健康志向じゃないですか。お腹すいた時は楽健のパンを焼いて、きゅうりとかトマトとか上に乗せてオープンサンドにして、それから、その酵素の残りを絞ったみかんとかをちょっとちっちゃいのに入れて、それでカプチーノ作って牛乳でシャカシャカって、ほんでちょっと出してあげると。で、上にちょっとちょろちょろってチーズをかけて焼いてあげるんですよ。「いやあ、これは何のパンで?」って言ったら、「これはねぇ」って(笑)。喜んでもらってます。カボチャのスープも今度作っとこうかな、とか。まあ、お蔭さまで楽しいです。


(宥厳先生)他には?誰か?藤井さんは?何かご意見。ご自分がちょっと血圧がねぇ高くて。最近ちょっと断食やりなさいって僕言ったんです。酵素断食。
(藤井さん)何か自分の体が去年の秋くらいからこう変わってきて…余りいい方へ変わってないって言う意味よ。変わってきてっていうのは。で、ちょっと出口がない状態で、でも、」やはり、こうトラブルがあるから体動かすのも少し控えるし、楽健も家族でしながら、まあ夫婦でやりながら、でもやはり痛いて言えば向こうは遠慮してもうやらないでしょう。

それで、部分的に限られたパターンしかしてないんです。だから、楽健をきちっと全身を回すと言うことはやりながらできてないですね。どうしても背中はいつもパスするとか、腕が痛いって言って踏まれるとそこ痛いからもうちょっと優しく、なんて言ったら、じゃあもうやめた、とか言う感じで中途半端な楽健。

で、あまり、正月明けからこうちょっと落ち込んでるかな。で、血圧も200なんぼがずーっと続くとほっとけなくて、やっぱりお医者さん行かないと、こう立ちくらみみたいな状態。下を向いてこう本読んだりとかものを書いたりとかそういうのがすごく苦痛になってきて、ほっとけなくなってもう具合が悪いのは血圧が高いのはある程度知ってたんだけど、ま、ほっとったんじゃないんだけど、頭の隅では気になりながら、特別なお医者さんの治療って言うのもね。したり、しなかったりかなぁ。ここ10年くらいの間に。

だから、もう今はちょっと切羽詰まってどうにもならんようになったなーっていうのが現実。でも、自分の体調が悪いって言う今までの流れの中で、マクロ勉強したりとか、半断食に何年も通ったり、とか、それからやっぱりヨガを20年くらいやったりとか、楽健が今6年かな、もうちょっとかな。だから、ずーっとま、料理もベジタリアンな料理をって言う感じで、そういう方面の流れに沿いながら、完全にそってない自分が今はあるんですよね。あの~今日の先生のお話の中にも、聞きながらね、本当にこう…自分が無理してこうどういうんかな、自由な状態におりたいっていう願望は40何年義母と一緒にずーっと住んでて、こう、去年の秋亡くなって、何かこう一つの支えがなくなってって言う状態から、なかなか立ち上がれない今を自分が感じてるんですよね。

だから、1日の生活の時間帯とか、心のこう引っかかりとか色んな物のカルマが完全に消えていないなっとか、それから、そういう義母との中で私は一つの支えにしてこの今までの40何年を生きてきた、そういうのを一つの次のステップが、一歩が踏み出せない今の現状ですかね。

だから、月にいっぺんここへ来てるからいいんであって、あれ多分来てなかったらもっと落ち込んでるだろうなって。何か、ごめんなさい。みんなのいい話聞きながら落とし穴にね、ズルズルズルっと落ちた現実があります。だから、パンがもう何年間かずーっと焼けてたのがもうどうしても焼けない。あずってもあずっても今、パンが焼けないですね。だから、周りの人たちは「どうしてパンが?」って。いや、焼けないのよっていうのが理解してもらえない?だから、もう体調が悪い時にはま、ちょっと期間を置いて、それでまた焼こうかなっと思って、今あんまり出してなくってたまに焼くと固く、上手く膨れてないからラスクにしてね、もう勿体ないからラスクにしてこう食べてもらうって感じ。そんなパンしか焼けないんですよ。ちょっと悲しいですね。パンがうまく焼けないってことに関して。

(宥厳先生)体調が悪い時はね、天然酵母パンって上手く焼けないの。確かにね。お義母さんが亡くなられて、困難がなくなったのがいかんのや。言うたら、ね。

(藤井さん)私は何か何ともないと思いながら、一人で思ってるんですよね。あたしはでも、すごく空白って言うか空虚っていうか、だから、主人の方はね、早く荷物片付けて、なんや~って言って、もう悪いんだけど、触らないでほっとってって、私、これ捨ててしまうっていうそういう整理が今ようしないからって。それする元気もないんですよね。

だから、悪いけど置いといてって言っても主人はタンスの中のものみなゴミ袋の中にばーーーっと入れて捨て、捨てって言うんやけど、悪いけどほっとって。私は嫁の立場だから、娘たちが出入りしてから全部捨ててあるっていうそれを自分がもし自分が見ると思ったらね、私は辛いですよね、実家がそういう状態になった時には。だから、それを思ったらできないって言ったら、子供の方にしてみたら捨てろって。捨てて当たり前。

ごめんなさい、ヨガとは関係ない話、楽健とは関係ない話になっちゃったけど。その心の微妙なところがね、「お前は嫁だから人に悪く思われたくないからそんなことをね、思ってるんだ」とかね、子供だったらみな処分してもいいんだよって。そんなのかな。

(宥厳先生)そうだねぇ。まあ、一種の、そういう困難と言うのはしかし、繰り返し繰り返しあるもんでしょうね。僕はそういうことの生きることの困難と言う言い方でよく表現するんですけどね。僕ずーっと生きることの困難をいつも課題にしてましたけどね。ま、過去形で今は語れるわけで。なかなか人間ってのはそういう困難をだから、その辺をどうやってそれこそメタ認識でもって自分を突き放して考えていけるかということですね。まあ、それはもうしばらくしたら時間が解消するでしょう、ね。

(藤井さん)そうですね、多分、四月になったら、こう生活がガラッと変わるから。

(宥厳先生)やっぱり、あの~ものを一番癒すのは時間だからね。時間以外に癒すものなんて本当はないのかもしれないね。だから、まあ楽健法の即効性って言ったって、ものによりけりで、それは気分的なものはなかなかちょっと何かがあると落ち込みますね。僕は猫が死んだだけでも、ちょっと風邪引いたりとか、何かこう気勢が上がらないような気分に…今だいぶ治ってきましたけど。

畳貼り替えたり、家のことごちゃごちゃやったりしててね。あの~だいぶ平静に戻りつつありますけどね。でも、毎週一回はまた月曜日が来てまたパン焼かないかんので、そんなこと言うて落ち込んでいられないから。まあ、やっぱり仕事を持って向かっていくということは大事ですね。だから、仕事も何も全部、退職してしまって、60そこそこでね、何か年金だけで後遊んで暮らそうなんて思ってる人は、非常に不幸だなと思いますね。
そんな辛いことないね。

(幸子先生)私は幸せでございます。(一同笑い)
(田中さん)でも、少しはやってみたいですね(笑)
(宥厳先生)どうぞ発言をお願いします。
(幸子先生)いやいや、皆さんお願いします。


(宥厳先生)ちあきちゃんは?ご意見は?ブロガーとしては?
(ちあき)ん~最近コメントがあんまりないな、と思います(笑)。
(宥厳先生)コメントがないて!
(受講生)すみませ~ん。見るだけ見て(笑)
(宥厳先生)あんまりないねぇ、本当に。みんな読んでないんや、この頃。でも、まあ、アクセスは多いですね。
(ちあき)上げたとき多いですね。
(宥厳先生)昨日か一昨日、96とか100くらいは行ってますね。他の日はだいたい30くらいですね。
(田中さん)今、遅いからなかなか忙しいのかなっと思ったりして…
(宥厳先生)ちょっと短いのでもちょっとね、やっぱり書きこみ難しくないんだから。西澤さんも書き込んで下さい。
(西澤さん)はい(笑)。


(宥厳先生)僕が書きこもうか、いっぱい(笑)。コピペして(笑)。あの、若い人、瀬古さんは?
(一同)若い人(笑)。梓ちゃんを外した~あれ?私じゃないのって?(笑)
(宥厳先生)瀬古さんも今なんかそういう仕事してるんちゃう?
(瀬古さん)はい。まだ~2ヶ月半くらいで、よくも悪くも慣れてきてるんですけど。
(宥厳先生)何か治療される場所にいてるって言ってた?
(瀬古さん)治療って言うか、リラクゼーションですね。それで、昨日、宥厳先生にも質問したんですけど、あの、スタッフでぎっくり腰みたいな感じになって、それで、その子はまあ、ぎっくり腰やから、まあ触らんほうがいいし、まあ、でもお客さん来ても入れないからとりあえず病院に行こうかなって言ってて、それで、でも、病院に行っても何もしてもらえないから、よかったら踏んであげようかっていったんやけど、いや、でも触らん方がいいと思うって言われて、周りもそういう空気やって、それ以上何も言えなくって、はい。それで。
(宥厳先生)女の人来る?
(瀬古さん)は、はい。それで、もっと自分に自信があったら積極的にやってあげられたのになって言うのは思ったんですけど。あい。
(宥厳先生)ま、数やらないとしょうがないからね。ちょっと寝てご覧っていって、黙って寝かせて触ってあげるっていう風に。たいてい上手くいくもんよね。
(宥厳先生)谷川さんなんかは一人一人に対しては短いでしょ?時間が。
(谷川さん)そうですね、患者さんは短いですね。時間は15分から20分くらい。それでも、患者さんに対しては取ってる方だよね。お医者さんの時間とかナースの時間とかにすれば私が一番長い。(一同笑い)。で、自分でこう計算してても長くなってしまうなって思うんだけど、やっぱり20分くらいですよね。全身踏むのも20分くらい。

で、それぎっくり腰で私も同僚も人が休憩の時に這ってきて、それはもう7,8年前だから私もそう上手じゃなくて、じゃちょっと足だけ踏んであげるから、治るか治らないかわかんないけど、足だけ踏むねって言って、足だけ最初からこうやって踏んであげたら、その人起き上がって、もう午後から普通に仕事してて、午前中はもう整形にかかったんですよ。湿布薬もらって午後からは私が踏んであげて、もう荷物持って走ってるから、みんながどうしたの?どうしたの?って言って、谷川さんに治してもらったっていって。技師さんの間ではちょっと有名になりました。(一同笑い)
(受講生)そりゃそうだ!


(谷川さん)役に立ってんですよ。
(宥厳先生)まあ病院のマリア様だね。
(谷川さん)情報が回っちゃって、事務の人かな肩こりかな、何か首曲がっちゃって電話こう言う風にしてるんですよ。だから、私電話をこう言う風に挟んで電話してるんだと思ってたら(一同笑い)、電話を離しても首曲がってるんですよ。それで、え?ってどうしたの?って言ったら、曲がっちゃって治らないって言うの。じゃあ、お昼休みにきてごら~んって言って、昼休みに全体踏んであげて、ちょっと戻ったんですよ。

だから、せっかくここまで戻ったから、明日もう一回昼休みね、もう一回踏ませてって言って、で、もう翌日踏んだらそれで、首が戻ってて、それでそのまま今も働いてますけどね。ドクターでこう言う人がいたんですけど、ドクターは来ませんでした。(一同笑い)。この人は私のこと治してくれた人、みたいな。そんなんで自分だけの自慢なんですけど。そういうのでやっぱりありますよ。だから、楽健法は面白いな~って。そういう経験があるから、ああ、すごく見て、ああこう言う人踏んであげたらいいなっとかそういう。だから、足だけでも踏んであげようか、とか痛いところはやらないからっていってやってあげたらよかったって、ね。
(瀬古さん)ちょっと自信が足りなくて。ちょっと無理強いはできなかったです。
(宥厳先生)まあ、焦らなくてよろしい。段々そういう機会が増えてきてね。上手くいくようになるでしょうね。他にはないかな?堀内さんは?
(美江さん)はい(笑)。
(幸子先生)あの、さっきの瀬古さんなんですけどね、瀬古さんもはじめ来はったときは何かおどおどおどおどしてってやってはったけど、昨日あたりからちょっと、昨日あたりからってことないけど(一同笑い)、しっかりこう横見ながらでも上手にね、踏むようになりはったよね。だから、やっと何か少しわかったかなって感じ。そんな気がして、ああ良かったなあっと思って。やっぱりもう最後になってきたらさすが瀬古さんでも(一同笑い)。
(宥厳先生)そんなセコいこといわれても(一同笑い)
(幸子先生)いやいや、昨日も言ってたんですよね。瀬古さん上手くなったな~言うて(笑)。だから、まあ1年間と言う月日はだいぶよかったなぁと思いましたよ、昨日は。初めて誉めたけど(笑)。

 

第11回2月14日(2日目)その7

2010年02月20日 | 第9期楽健法セラピスト講座

(宥厳先生)あれ、恭子ちゃんは今年1年目やったんか?
(恭子ちゃん)合宿1年目です。
(宥厳先生)そうかそうか。恭子ちゃんどうぞ。
(一同笑い)


(琴美ちゃん)なに?立つの?(一同笑い)
(恭子ちゃん)ん~何言おう…。
(宥厳先生)1年目の感想、はい!どうぞ、何でもいい。
(恭子ちゃん)感想ですか?え~感想ぉ…
(宥厳先生)まあ、東京でもやってるから結構ねえ、楽健法やってるやろ。
(恭子ちゃん)やってますけどぉ…。昨日、もっとこうね、強く踏んだ方がいいかなって、さっき宥厳先生も言われてたように、気を入れて(一同笑い)。
(受講生)違う「気」がする(笑)。
(宥厳先生)気は入れるもんじゃなくて、入るものなのよ(一同笑い)。力入れたら気が入るかということじゃなくね、それはやっぱり体が慣れてきて、もう本当に楽そうにやってるなって言う楽健法をね、やったらいいですね。力を抜いていかないと楽健法って言うのは痛いばっかりであんまり効かないのね。でも、毎日お母さんと踏み合いしてるんでしょう?
(恭子ちゃん)もうほぼ毎日のようにやってますけど、やっぱり親子だし、ちょっとマンネリっていうか、ちょっと慣れっこになっちゃってるかなって感じもして、昨日色々また中島さんに教えてもらったので(笑)。勉強になって。また心新たに(一同笑い)
(宥厳先生)中島さん教えるのうまくなった?(一同大爆笑)


(中島さん)昨日組んでてこう乗ったまんまだから体重移動が軸足に行ってないのかなと思ってたんですよ。一回軸足に乗っけてって言ったら、小林さんは後で離したら、離したから、離さないようにって言われたのがずーっと頭にあってこう、ずってる感じなんですね。軸足に一回移動して、移動して…移動してるけど足は離さない、で、お尻踏まれたとき、ズボンが脱げそうになって(一同大爆笑)
(幸子先生)意味がわかってないんや。
(中島さん)だから、何でかなって、軸足に移動して、軸足に移動してって言ったんだけど。
(幸子先生)でも、中島さんも人にしてもらってる時結構文句言うてるよね(一同笑い)
(中島さん)文句って言うか、
(幸子先生)文句!
(中島さん)そうやったらいいんじゃないかっていう(一同笑い)
(幸子先生は)いや、まあそれは面白がって見てんねんけど、結構言ってるよね。
(宥厳先生)文句じゃなくて感想を言うてるんや(一同笑い)
(琴美ちゃん)違うよ、求めてるんだもんね。こう言う風にしてほしいってね。
(幸子先生)ほんならズボンを脱がしてくれって(一同大爆笑)
(中島さん)離しちゃいけないって言われたから離さないように、離さないように。
(幸子先生)離さないように、こうずれて行ったんやな。
(中島さん)だから、そういうので色々言いました。
(宥厳先生)何か、真っ正直。
(幸子先生)そうや、真面目やからこうどういう風に離さんようにしたら(一同大爆笑)
(受講生)おかしい!
(幸子先生)おかしいやない!
(中島さん)だから、やっぱりお母さんとだけって言うのも…。また違うあれがあって、みんなでやったらいいんじゃないって話して踏み合いね、たまにやったら、ああだのこうだの言いながら。


(恭子ちゃん)中島さんは的確に言って下さるので(一同笑い)
(琴美ちゃん)とりあえず、ありがとうっていっときゃいいって(笑)
(恭子ちゃん)ありがとうございました。(一同笑い)


(宥厳先生)市野さんもどう?市野さんは色々忙しくて勉強されてるみたいですけど。楽健法の。
(幸子先生)今日の紅茶は美味しかったです。
(市野さん)ありがとうございます。楽健法はあまりやってません。パンは焼いてます。パンはお客さんが徐々に増えてきましたけど、一番最近は私の姉が私のパンを気にってくれてよく、焼いて焼いてって言うんですけど、後うちの旦那が一番好きなのであんまり儲かりはしないんですけど。
(幸子先生)売ってはるんですか!
(市野さん)お姉ちゃんの会社の人が一口食べて美味しいって言ってたからまた焼いてって言ったって言って、そこはお金もらいますけど、お姉ちゃんはお金もらわないし、主人ももらわないので(一同笑い)ちょっとずつは何か粉代になるかならないかくらい、ちょっとずつは進化してますけどね。後、チャイの入れ方が上手になったって誉められまして、後来月一回ですけど、
(宥厳先生)香取先生のところには行ってるの?
(市野さん)はい、香取先生のところには月に一回ですけど行ってます、はい。で、ちょっと何か来年もここの講習に参加する予定だったんですけど、ちょっと…子供も、お母さん行かないでって。上の子はええ、ママ月一回おばあちゃん家に泊るの楽しみなのにっていう両方の娘の意見もありましたけど、ちょっと色々用事が重なっちゃって来年来れないんですけど、まだ第4週とかこちらにあるのでまた来たいと思います。で、また機会があれば東京にもよく行くので行きたいなと思います。
(受講生)お待ちしております!
(市野さん)こんなんでよかったでしょうか。


(宥厳先生)梓ちゃん、はい。
(梓ちゃん)私はえっと相変わらず妹を踏む毎日なんですけど、えーっと妹が足が細くなったって友だちに言われたって言われたくらいで、それがあの楽健やってくれてるからって言ってもらえたのがよかったなーっと思ったのと、来週に今働いてるところの、一緒に働いてる人に楽健どんなのか気になるって言われたので、仕事終わったら一回踏みに行くので今日先生が初めての人はとにかく痛がらせないで気持ちよく、ああこんな気持ちいいんだぁって思ってもらえるように、踏んできたいなと思ってます。以上です。
(宥厳先生)梓ちゃんちょっとウエイトが増えた?
(梓ちゃん)ウエイト増えてます。(一同笑い)
(宥厳先生)血圧は?
(梓ちゃん)血圧とかは高くない。でも、赤いんです。
(幸子先生)あれは恥ずかしくなったら…
(梓ちゃん)恥ずかし…?
(宥厳先生)乙女だから?(一同笑い)
(梓ちゃん)…でも、何やってても赤くなりやすいです。踏まれても。
(宥厳先生)まだ体は治らないの?
(梓ちゃん)治らないです…。ほてってるみたいな。更年期…(一同大爆笑)、そんな風に顔が。
(宥厳先生)もうちょっと回数踏んだらねいいんだけど。生理がね戻ってくるんじゃないかと思うけど、ちょっと時間かかってるね。


(宥厳先生)片山さん、じゃあ。
(片山さん)はい。っと、まあ、ここに来るのをお金のこととかもあったり、全然下手くそやのに入っていいのかな~とかあって、だいぶちょっとギリギリまで迷ってたんですけど、でもやっぱり来てよかったな~って最近つくづく思ってまして、今踏むことやってたりするのは、すごい父が丸太みたいにかっちかちなので父を踏むと、後友だちを私が職場から徒歩5分なので職場帰りの同僚の子とかをちょっと踏んだりとかして、プラスちょっとお料理が最近楽しくなってきたので一緒にご飯作って食べて、踏んでおしゃべりして、で送り出すって言うのが、ちょっとその流れとかかすごい楽しくて、まあ、料理とかも何かすごく難しく考えすぎてて、こんな楽しいものなんだと言うことをここにきて初めて知ったので、すごい、でやってる他の方々もすごい楽しそうにしてはるし、この切り方したらどうなんやろうとか、なんかそういのこう、ニンジンについて、とか(笑)。

何か、塩についてとか、これ入れたらどんな塩梅になるんだろうとか、なんかそれがすごい楽しくて、で、楽健もこう踏んだらどうなるんやろうとか、何かそういう足でどういう風に感じてるとか言う話を聞いたりとか、何するにしても何かこうすごい感覚を研ぎ澄まして、そのものを見てで、ちょっとどうするかを考えてさじ加減とか何に視点を置くかとか、考えるだけですごいコロッと物事が、価値観というか何かこうとらえ方も変わるし、自分の行動も何かひっくり返る感じとかしてそういう感覚がすごい面白くて、まあ、上達具合とかはちょっと時間かかるかな、とか思ってるんですけど、まあそれを知れただけでもだいぶ、来れて充実できてたので、ちょっと皆さんみたいに上手くなったりとかは先の方に自分でも取っておいてと言う所で自分でも思ってるんですけど。でも、まあはじめの第一歩としてすごくよかったなと思っています、はい。ありがとうございました。


(宥厳先生)堀内さんは?
(美江さん)私ももう吉野の方でアトリエを開いて3年になるんです。そしたら、口コミで段々と輪が広がって行って、何か困ったことがあったら楽健さんに行きぃって言われたーとか言われて人が来てくれるんです。それで、喜んでくれはることがもうすごい嬉しくって、まあ、これからも吉野でね、頑張ろうかなと思ってるんですけどね、はい、以上です(笑)。


(宥厳先生)お母さんは?マスク外して(一同笑い)
(西本さん)私はもうパンが大好きで娘が3年前くらいかな、もらってもう大方2年半、3年くらい…
(宥厳先生)娘からもらうわけ?
(西本さん)え、違います。あの種をもらったのを分けてもらって、それからずっともう。
(宥厳先生)自分で焼いてるの?
(西本さん)はい、もう週に4回くらい焼きます。全部自分もしょっちゅう食べますし、喜んでくれるので友だちとか、親戚に食べてもらってます。で、この楽健の方も今ちょうど1年、来させてもらう前に第4週とかたまに連れてもらってちょっと教えてもらって、後まあ娘にちょっと教えてもらって、それでもうすぐ友だちに練習させてもらってずっと始めて、来る前からちょっとさせていただいてるんですよ。それで、まあ何か癖があって何か治されるんやけど、なかなか治らないと。
(宥厳先生)でも、もうのべって言うかだいぶたくさんの人には経験はしたの?
(西本さん)はい、はい、してるんですけども、まあ、割りと喜んでいただけて紹介していただいて、うん、どれくらいかな…何か割と何人かさせていただいてます。週に2人か3人くらい踏ませてもらってる。で、まあその年金で、基本給は年金でちょっと気楽にさせていただいてる。で、元気にならせてもらった。で、はい、元気にさせてもらってます。後このアレルギーだけ治ったらいいんですけど。
(幸子先生)誰かおかしい人がいてるんちゃうん。
(西本さん)なんなんかな。
(宥厳先生)ここに来たらアレルギーが起こるんでしょう?
(西本さん)でも、最初はもう帰っても2日ほどしんどかったのが、今もう帰ってあくる日くらいには元気になるんです(笑)。で、このくしゃみの回数もだんだん減ってきたように、もう最初ごろやったら先生もなんか色々といただいてしないと行けないくらいずーっとくしゃみだったんですが、それもちょっとおさまって体も元気になって。
(宥厳先生)まあ、もうちょっと楽健法が足らんのや。
(西本さん)やってもらうのが足りないんです。何回かさせてもらってるんやけど私はやってもらえないんで(一同笑い)。ここへ来てた時だけやってもらって。
(ちあき)私に来いって言うから、来ればいいんやんな。
(西本さん)でも、忙しいっていって。
(幸子先生)おれへんかったらいけやんしな。
(琴美ちゃん)仕事終わってからじゃね~


(宥厳先生)琴美ちゃん!
(琴美ちゃん)はい!私はやっぱりパンなんですけど、最近知り合ったお友達で便秘がすごいひどい!って言う子がいて、その子に一切れパンをあげたら、「このパンは何でイースト臭くないの?」って言われたんですね。で、その子自体はそういうのは結構好きでパン焼き機で自分でパンを焼いてると、でも、イーストでしか焼いたことがなかった、「でも、これは臭くないパンなんだね」ってすごく感動してくれたんで私もすごくうれしかったんで、1斤まるまる次の日持って行って、「じゃ、これあげるから食べなよ!」って言ったら、それを食べたら、次の日恐ろしいくらいに出た!と。
(一同)すごーい!!


(琴美ちゃん)今まで出たことがないくらいに出て、すごいねって言うのが1件と。アメリカに私の友達が住んでいたんですけれども、その子は前に来た時にパン種をスーツケースに持たせて、向こうで作れって言って行かせてたんですけど、この年末で東京に戻ってくることになっちゃって、シカゴとかに住んでたんですけど、その時は結構時間がお仕事の方余裕があって手作りでパンも焼いて食べてたんだけど、東京に帰ってきたらやっぱ東京の、もうシカゴに20年近くいたんで、何せ日本の生活に日本人なんだけれども、慣れるのにも大変だし、仕事もそういうペースの、やっぱり東京の仕事なんで結構ペースが早くて、もう何もできないんだけどどうしよう、私、死ぬよ、このままって言って、電話がかかってきてじゃ、しょうがないからどうしようと思って酵素が私いつも先生のところから大和酵素頼んでいただいて酵素を6本まとめて買うんで、その酵素がたまたま届いたばっかりだったんで、じゃ、その酵素と私のパンを焼いて送ってあげたんです。そしたら、そのパンを食べたときにいや、これで命が繋がる~って(笑)っていって、やっぱり日本に帰ってきて色んなもの珍しいから、色んなパンとかも食べてたらしいんですよ。自分でもう作る暇はないから買ってきて、で、でも全然やっぱりパンは違うんだって、でも、それはアメリカで自分で焼いてる時は気がつかなかったけど、その体が限界が近いって感じたときに食べたら本当に命のパンなんだって言ってもらってすごく嬉しかったです。そんなところですかね。


(宥厳先生)どうもありがとう。ちょうど~3時に~なりました~(浪曲風、笑)。じゃあ、まあ後来月また頑張って楽健法やりましょうね。これくらいにしておきましょう。ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。


頂いていきます~ 


美味しいはっさくも

あとがき
次回は卒業式(修了式?)で、ゆっくり楽健法やお話し合いも出来ないかも、と言うことでそれぞれ感想や質問を語りました。皆さん、活躍されたり、充実した生活を送られているようでうれしくなりました。また、藤井さんは心配です。元通りおいしいパンが焼けますように。

マニスの思い出話も心に染みましたし、お勉強では「サンスカーラ」が心に残りました。サンスカーラになるまで楽健法を体解したいと思います。

次回が待ち遠しいような、そうでないような複雑な思いです。
では、また

第10回1月9日(1日目)その1

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
新年初講義

東光寺の初春。道場の前のモミジが枝だけになってる冬景色だが、明るい日が差し込んでくるので暖かく、座敷に座って外界を眺めると、ここは娑婆とは隔絶されたすてきな空間だと思う。
前夜から、いや去年からずっと泊まり込みのひともいて、何人かが朝のうちに宥厳先生とサマンサ(幸子先生のこと)と一緒に野菜の買い出しに行ったりしている。
12時半頃になると、各地からみんなが到着する。

座敷には机が並べられ、琴美さんは小型の三脚にカメラをつけてレンズを正面に向けている。先月、ちあきさんの録音がiPodの故障で回復できないような(なんとかできましたが、、)危機があったので、琴美さんは撮影ではなく、カメラで録音しておくつもりのようです。



(宥厳先生)そのカメラで録音したら?
(琴美ちゃん)します、私は、もう。何があってもします。ほっといて下さい(笑)。
(ちあき)ちょっと冷や冷やします。すいませんでした、迷惑をおかけして。

(宥厳先生)もうみんなそろったのかな。これで。
(ちあき)たぶん…。席が余ってないから…。
(宥厳先生)ねっ。そろってるね。誰も来ていない人いないね?そいじゃあ、どうも。新年おめでとうございます。
(一同)おめでとうございます。
(宥厳先生)みなさん、正月はどうでしたか?何か変わったことはやりましたか?正月の一日に楽健法をした人いる?
(美江さん)はーい。
(宥厳&幸子先生)ここでやった!

《2010年 年賀状》

(宥厳先生)年賀状だいぶたくさん、500枚くらい年賀状をいただいてるんだけど、その中に長野県の草順子(クサナギ)さんが「田中勝子さんに踏んでもらってます」って書いて来てましたからびっくりしました。ご近所なの?おたくと。
(田中さん)千曲ではひと山越えたところなんです。私がお食事をたまあに。ランチをいただきに行くんです。
(宥厳先生)あー。たしか「イーハトーボー」とかいった店でしたね。
一度僕行ったことあるんです。
(田中さん)そうそうそうそう、宥厳先生のことよく覚えてらっしゃって。たまに行くと行くたびに踏むには踏んであげてるんです。
(宥厳先生)ああ、そうですか。一度会ったっきりであとは年賀状ぐらいの交換ですけどね。もうだいぶ昔ですけど行ったことがあります。そんなんでびっくりしました。それで、今ちょうど届いた年賀状はこれ、美内すずえさん。美内すずえさんって知ってる人いる?この中に。
(幸子先生)知ってるわなあ。
(宥厳先生)ガラスの仮面の作者です。
(琴美ちゃん)本物ですか?
(宥厳先生)本物です(笑)
(琴美ちゃん)同姓同名とかじゃなくて?(笑)
【琴美ちゃんのカメラが倒れる】
(宥厳先生)だから、それやめときって言うたのに。あれ、すぐこけるから嫌いやねん(笑)
(琴美ちゃん)違うって。三脚変わってんだもん。
(ちあき)今、琴美ちゃん叩きました、あれ(笑)
(幸子先生)手で触ったんやね。
(宥厳先生)たぶんこけるやろうと思ってたのよ(笑)。
(琴美ちゃん)三脚変わってますもん、前のと(>へ<)
(ちあき)バランスすごいねぇ。
(宥厳先生)それカメラを持っていく位置が悪いのよ。それでも、まだ!も一つ逆にする!その長いほうに持っていくカメラを。そうそう。そうすると安定するのよ。物理的に。そうそうそうそう。そういうことがわからないかん。で、偽物か!?(笑)

美内すずえさんって言ったら超有名な漫画家ですよ。テレビでもしょっちゅう出てくるしね。また近いうちにお参りに来ます、なんて書いてあります。何か僕の年賀状見て気になったとか書いてあるから、怪しげな詩を書いてましたけど。美内すずえさんって言う人は大阪の人でね。大阪出身で高校生のころから有名になったんだね、あの人、確か。楽健法は何度か体験しています。蛇之倉へも僕一緒にお参りに行って、一緒に洞窟に上がったこともあります。ごく普通のおばちゃんですけどね。

(藤井さん)蛇之倉へ、たくさんの最高金額の寄付してあったのこの方ですね。
(宥厳先生)そうそうそうそう。
(藤井さん)一千万位書いてた。
(宥厳先生)三百万じゃなかったかな?一千万も書いてあった?!
(藤井さん)一千万って書いてあった。あれ見てから、あ~~~言うて帰ったん。
(宥厳先生)あ、そうですか。美内さんは「ガラスの仮面」が長いこと完結編を書かなくて、ペンディングになってたでしょ?で、幻の最終巻とか言うて、結末がどうなるのかって言うて、みんな期待して、もう結末出たのかな?まだ出てない?連載がまた始まったんでしょ?あれの。


《短歌紹介》

まあ、そんなことで。あの、それで今日はこんなんだけ刷ってきて、私が昨日これ書いた短歌ですけど、一度読んで批評聞かせて下さい。この短歌を書いて私が送っている編集の人がこの人です。

吉岡迪子さんっておっしゃる、桜井に住んでいる女の方ですが、以前は心斎橋で画廊をやってたの。
(幸子先生)いずみ画廊。
(宥厳先生)いずみ画廊って言う画廊を経営してた女の方でずっと短歌を長年やってられたの。僕は短歌をやっていたのを知らなかったんですけど、家内とは古い友達で、それで、去年、小林惠子さんと言って、家内がいつも着てる服ですね、あれを作ったりされている人が、個展を桜井のこの吉岡迪子さんの自宅の画廊でなさったんです。

あれは去年の2月だったかな。寒い時やね。去年の2月くらいだと思う。それで病気がいったん良くなったとか言って退院して少し作品も作ったりして、桜井で展覧会をやったんですけど、その時に画廊へお邪魔したのが、ぼくが吉岡さんに会った最初ですが、、それから短歌をやりませんかと勧められて、せっかくのお勧めですので、私もあまりいろんな雑誌に首を突っ込むのは嫌いなんですけれども、せっかくのお勧めですから短歌ぐらいは詠めるだろうと、なめてるわけやないんですけど(笑)。それで同人に入ることにして投稿しています。これで三回目ですかね。

一回に十句。句って言わない?これ何て言う?短歌の場合…十首!十首やね。投稿することになってて。それで昨日パソコンの原稿用紙の画面のでるソフトを開きながら、パッパッパッと入れて行って1時間くらいかかってこれだけでっち上げたんです。
まあ、あのちょっと読んでみます。

●秋にまた一人芝居をやろうかななどと思って春を迎える
●かたかたと床下を渡る冬風に野良猫かなとわが愛猫を見る

正月に、この正月には一人長逗留のお客さんがここにいたもんですから、年末だったかな、正月だったかな。テレビを見ていたら、桂枝雀の特集をやっていて、いろんな落語を観ることができました。桂枝雀さんっていうのは10年ほど前に自殺された方なんですね。私もすごい芸をする人だな、と好きな落語家でしたけれども、ま、そんなに僕は落語を好んで探して見るというほどのファンでもないんで、しかし、落語家には友人もおりまして、橘屋円三さんっていうんですが、大阪におりましてね。かれこれ二十年来の付き合いになるんですけど、その円三さんがマイ・ドクターという月刊誌を出してましてね。今は落語をやめて、医療の情報誌をずっと出している人です。その創刊のころから私はいろいろ関わって、私の原稿も何度か掲載したりしてもらったんですけれども、その方の落語も聞いたこともあって、やってみたい芸のひとつでもあります。

まあ、それで枝雀さんの落語、恭子ちゃんと家内と三人で見てたんかな。その時にその枝雀の目が何かした拍子にひんがら目、斜視をする。ひんがら目ってわかりますね。ひんがら目っていう言葉は広辞苑にも載ってますよ。さっき調べてみたら。斜視のことで。要するに焦点が交わってどこ見てるかわからない目になるのね。真ん中に目を、こんな目。
(一同笑い)【写真撮り損ね、残念!】
(宥厳先生)くわ~ってやるんですよ。
(美江さん)ちあきちゃん、写真撮らな!
(宥厳先生)そんなん撮らんといて(笑)。それでこんな歌作ってみました。

【一首:寄り合った虚空を見透かす両の目に死と隣り合う枝雀の落語】短歌になってるかどうかわからないですけど。それで、さっき途中になっちゃったんですけど、この吉岡迪子さんは「山内さんの作品、なかなか好評です」って言うようなことを年賀に書いてきて、それで「今年もご健詠を祈ります。もしもご予定がつくことがありましたら、歌会にもお出かけください。とあります。

僕、歌会なんて行ったことないんですけど、その内、皇居から呼ばれたら行ってみようかな(笑)。

「奥様にも歌を作って頂きたいと思います。」とも書いてあります。で、あの奥様には色々アンコールが、アンコールじゃないわ、あのコールがかかってましてインド舞踊の柳田さんも、幸子先生のインド舞踊を楽しみにしていますって年賀状に書いてありました(笑)。今年リサイタルせなあかん(笑)。それで、リサイタルするには柳田さんのところに週に1回くらい通うとか、それともインドに留学するとか、なんかしないとね。

(幸子先生)行って帰ってくるなって?
(一同笑い)
(宥厳先生)みんな賛成やって(笑)。まあ、そんなことで色々みなさん感想を寄せてくれています。2つ目の歌が「人間の定めを知らず歩み歩む今日が日までか終える日までか」と、まあお年寄りの繰り言みたいな歌ですけど。

「知り得ぬと知りつつなおも知らんとす紐解く書物堆(うずたか)くあり」
僕はいつも疑問に思うことがあって、どんな大学の博学な先生であっても絶えず新しい書物を求めてはね、書斎に積み上げて行くっていう、あれは一体何だろう?僕自身もそういうことしているわけですけど。そんなに書物…まあ中国なんかでも書物を読むと言うことは非常に大事に考えられてる。まあ、私も大事には考えていますけども、こんな言葉が中国にはあります。
士大夫三日書を読まざれば理義胸中に交わらず、面貌憎むべく、その言葉には味がない。理義って言うのは理科の理に義理の義ね。つまり理屈のことですね。理論のこと。面貌憎むべく。面貌と言うのは面付きですね。面の顔。面貌憎むべく、その言葉には味がない。という言葉がありますね。これは石川淳が「文学大概」か何かに書いてたんですね。黄山谷(こうさんこく)っていう中国の有名な書の達人がいて、だから書をする人には黄山谷のお手本は皆さん知っていると思うんですけど、黄山谷っていうのは黄色い山の谷って書く書家。書家って言うか士大夫でしょうね。 
Wikipedia参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%BA%AD%E5%A0%85 

これも。だから、この人がこう言うことを言うてるっていうのは石川淳がある文章の冒頭に書いています。「士大夫三日書を読まざれば理義胸中に交わらず。面貌(めんぼう)憎むべく。その言葉には味がない。」三日、本を読まなくなったらね。面付きまで悪くなって、それで言ってる言葉には味がない、と言うことですね。そういう意味で、三日書を読まざれば理義胸中に交わらず。

面目(めんぼう) 憎むべくってどんな顔つきだろうと思うと、僕は日本の政治家の顔って全部そうじゃないかと思うんですね。面貌憎むべく面付きですね。ものを考えたり、内面的な深い生活を持ってるような人の顔ではないですね。

だいたい日本人ってのは内面的じゃないんですよ、どっちかというと僕は日本人を瞑想的な雰囲気の人種だと思わないね。そういう意味ではインド人とか、白人の方がなんかこうものを考えるような顔に見えるのね。これは私のひがみかもしれないけれども(笑)。日本人には内面を感じさせる人ってあんまりいないですね。見た通りの安っぽい面貌、見た通りの軽さって言うようなことをよく思いますね。政治家や学者、医者でもそうなんだけれども、なんだか中身がないような面つきですね。痩せたソクラテスと言うような、何かこの人はものを考えてきたという人と言うようなそういう雰囲気を伝えてくれる人ってあんまりいないね。

肉をたくさん食べて、腹いっぱい食べてぶくぶくっと80キロにもなったような人はね、僕はなんか知的だとは思えないって言う感じがする。それは、体から受ける感じなんですよ。そういう意味で知の巨人なんて言われた、誰だっけ、あれ?知の巨人、この間テレビにも出とった…名前が出てこない。

(受講生)たちばな…
(宥厳先生)あ、立花隆でした。立花隆の面貌であの体格をした人を知の巨人と呼ぶのか、知を体現した面貌や体つきではないですね。生活に自己規制があって作った体には見えない。何という貧弱な知であろうか、と言うような気がするんですね。やっぱり、もっと違った風貌と言うものがおのずとオーラが出てこないと僕は…う~ん…そういうことを思うんですね。

まあ、それで、この「知り得ぬと知りつつなおも知らんとす紐解く書物堆くあり」人間は初志貫徹すべしとか、初心忘るべからず、とか言うようなこと昔から言うんだけれども、初心であるということと勉強して色々知識が増えていくということとの間には矛盾がないのか。で、人々はたいてい勉強していくと初心はどこかへ行ってしまって、何か別のものになっていくんですね。それで、勉強して引出しにものが増えて行くと、その引き出しのものを小出しして人に教えることで生きて行こうと言うようになってきたりとかね。まあ、そうやって生きてる人が多いんでしょうね。

だから、初心忘れるべからずって言うのは一体何だろうか。それは、少年の純真さみたいなもの。だから、クラーク博士がBoys be ambitious.って言った。「少年よ、大志を抱け」と言ったその大志を抱いて、抱いたときに少年が少年の心を失ってしまったんでは、これBoys be ambitious.にはならんね。多分ね。だから日本人の持っている知性と言うのは一体どういうものだろうかということを考えたときに、何か僕は人間て言うのは非常に嘘が多いような気がするんですね。

そういう意味で、まあ立花隆なんかを引き合いに出したらね、それはもっと素晴らしい人がいっぱいいるのに、お気の毒だと思いますけどね、あの人に知の巨人なんて軽々しくレッテルを貼るっていう、まあマスコミか何か知りませんけどね、そういうのはおかしいと僕は思うんですね。

ま、そんなことを考えながらやっぱり書物が増えていって、それを一日も手放さないで生きて行くインテリゲンチャというのは一体何だろうと言うことを思うわけです。

「万年筆のかすれるインキにいらつきて水にひたして拭いつつ書く」これはつい三日ほど前にやってたことですね(笑)。わかりやすくてよろしい(笑)。

「米がなく野菜もなくて配給もなき母と見合った年末想起す」これは年末に昭和20年、21年くらいの暮れのことをフッと思い出してたんです。配給と言う言葉が皆さんもうわからないですね。お米も野菜も全部配給だった時代があるんですね。ところが、戦後は配給は時々欠配になって、つまり配給はありません、ということになることがあったんですね。

そのくせ、闇でお米を買って運んでいたりすると警察がとっ捕まえて闇米をふんだくっちゃうんですよ。だから、実際に配給だけで生きて行ったらどうなるかということを証明して餓死した大学の先生がいたりしましたね。そういう時代だった。だから、一切不正はしないで、俺はもうこのまま与えられたままで生きて行こうと思ったら生きられなかった人もいたんです。ま、そんなことで年末を思い出したわけです。

それにひっかけてちょっと前向きに書いてみようと思って書いたのが、「枯れていた山河があった物なきが故に燃えよと願う我もいた」まあ、これちょうど前の歌に比べたら、同じ時期にまだ僕は十歳くらいだったんですけど、この時期は小学校5年生くらいの時ですけど、ハングリー精神が燃えたたせた我もいたということです。

その次は、「餅をつく杵取りをする右の手にからんで取れぬ熱き餅米」この熱き餅米の餅米のところ、蒸したお米を何とかって言うんじゃないのかなって考えてたんです。餅米とは言わんもんな?あれ。餅つく前の、あなたなんか言うてたんじゃなかったかな?この前ついたとき。おこわでもなくて。せいろで蒸したばっかりの米。餅米とは言わんのじゃないかな、と思いながらこれを書いたんですけど。なんて言いますか?誰やらが何か言うてた、お米を出すときに。田中さんが食べながら言うてたやないの。(一同笑い)。勝子さんに聞けばわかるのかな、と思ってた。

(勝子さん)食べないと思いださない。(一同爆笑)
(宥厳先生)そうか(笑)。ま、そんな感じで、正月に餅をついたんですけどね。まあ、また正月に大工の源ちゃんが来てくれまして、それで玄関に源ちゃんの作ったしめ縄を吊るしてあります。あのしめ縄は福岡の方のスタイルらしいですね。鶴になってるんです。あれ持ってきて見せてあげて。源ちゃんは家の横に田圃を作ってて、そこの田んぼで取れた藁を全部車に積んできたんですよ。全部の束がこれくらいかな、藁。だから、まああの上になってた米って言ったら三合くらいじゃないかなと思うんだけど(笑)。まあ、その藁を持ってきて、それでここでしめ縄を作ってくれた。あの不思議な人だね、あの人ね。とっても器用な人だわ。餅つきも手伝ってくれました。


(幸子先生)棚も作ってくれまして。
(宥厳先生)そう。その棚も作ってくれました。うん。あ、そう皆さんに(しめ縄)見せてあげて。そこへ置いて観察してください(笑)。鶴になってる。これ、花外したら。
(中島さん)九州で習ったってことですか?じゃなくて、こう言うのがあるんですか?
(幸子先生)いや、農家の人は皆ね、作ってはったらしいよ。だから、代々そうして、ねえ、教えてもらった。何?ああ、南天はそこで取った。
(宥厳先生)これは藁も打たないでね。
(幸子先生)本当は藁を水しながら打ってした方がやりやすいけど。
(宥厳先生)ここのガレージで日向ぼっこしながら、ガレージの前で店広げて藁こねて、二つ、三つくらい作ったのかな?堀内さんのところと。
(美江さん)私1つもらいました。
(中島さん)しめ縄じゃないんですか?
(宥厳先生)しめ縄ですよ、これも。しめ飾りっていうんやね。しめ飾りってなんか、「ちゅうれんかざり(注連縄)」ってみたいな書き方するね、漢字で書くと。注意の注に連なるっていう字みたいな。ね、なんかそんな書き方するやん。


 

第10回1月9日(1日目)その2

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
それで、この餅に絡んだわけで、餅もみな自分でつかなくなってしまって、「いつ頃にすべてを他人にゆだねしや思い返しつ杵取りをする」という歌になりました。まあ、うちは自分でついてるわけだけどね。どっかにオーダーするじゃないですか。何か自分ですることが減っていった現代人の姿、ま、そんなことを思いながら書いたわけです。

その次、「秋にまた一人芝居をやろうかななどと思って春を迎える」出できましたか?注連飾りって?合ってました?ちゅうれんかざりって書いて合ってる?

ま、こんな歌を書いて。

「かたかたと床下を渡る冬風に野良猫かなとわが愛猫を見る」よく、庫裡で寝てると床の下で何かがカタカタと動くんですよ。で、猫が来て何か動かしてる時もあるし、子猫の鳴き声がするときもあったりとかするんですけどね。天井裏に子猫が生まれてたことがあって。それで一匹だけ残して親猫がいなくなって、それで天井裏ガタガタガタが歩き回るので、僕が天井板をめくってつまみ出して(笑)。それで、どうしようかなと思って、、、親に見捨てられる猫はね、生命力の弱い猫が残して行かれるんですね。捕まえた子猫をおいといても大変だしと思って、この下に猫好きのおばちゃんがおるので、そこの家の前に夜そーっと置いてきました(一同大爆笑)。これは言うたらあかんよ(笑)

ま、こんな歌を書きました。毎月十編ずつ書いて送ることになっとるんで。「どうだん」に歌を発表したい人は是非(笑)。ちあきちゃんどうですか?(笑)

(ちあき)うっ(汗)

(宥厳先生)ま、あの今年も楽健法、あと3月までになりましたけど、だいぶ皆さん身について来たんじゃないかなと思います。ここで終わったらそれからが正念場なんですね。実際に生活の中に持って行ってそれをどう活用するかという問題ですね。卒業された方からも年賀状が来て、楽健法は細々ながらやっていますとか、何のためにやっているのかと思いながら、ようわからんけどやっています、とか言うようなことも書いてあったり。しかし、楽健法やっぱりここへきて勉強して良かったなという風に思って頂けたら嬉しいですね。

あそこに変な写真貼ってあるの、誰が最初に気がついたの?田中さん見つけたん?パッとわかった?

(田中さん)パッとわかったんですけど、宥厳先生の若いころかなとは思ったんです。だけど、その隣にいるのが、言われてもまだ私ピンとこないんですよ。ここに飾ってあるから宥厳先生、違う女の人とこう言う風には写さないだろうなあと思いながら、色々モヤモヤ…。そしたら、みんなに笑われたの。
(宥厳先生)ああ、そうか(笑)。もうはずしとこ、あれ(笑)
(田中さん)何年くらい前ですか?
(宥厳先生)もう、30年…
(幸子先生)以上?
(宥厳先生)うん、35年くらい前やね。
(田中さん)そんな昔のですか!
(宥厳先生)そうそうそうそうそう。これはネパールにソルティーオベロイ、世界中にソルティーオベロイってホテルがあるんですけど、当時はネパールではトップの星5つくらいの、星4つが最高かな?5つでしょう?5つ星のホテルだったんです。
(美江さん)あれ、幸子先生?
(幸子先生)いやー、何を言ってんの?そらそうやろ。
(宥厳先生)あれは僕の前妻やって言うてんのに(笑)ここにおるのは後妻や(笑)。
(美江さん)うそ~!!!どこまで冗談かわからへん~(笑)


(田中さん)この前のもっと若い時ってまた違いますよね、幸子先生ってね。
(宥厳先生)違う、違う。僕は知らない、その頃(笑)美少女やったのか、ね。
(田中さん)美少女じゃなくて美人ですね。
(宥厳先生)あ、そうなの。
(田中さん)はい(笑)。超がつくのね、美人に。今もお美しいですけど!
(幸子先生)みんな上手に言うわね~(笑)。そうでないと後できつくなりますよ!(一同笑い)

どれが一の句?
(宥厳先生)この今詠んだ歌でどれが面白いですか?みなさんがそれぞれ好きなって、この中で私だったらこれをとると言うの。

(田中さん)私は宥厳先生を感じるのは、笑っちゃうんですけど先生がやるかもしれないけど、「万年筆のかすれるインキにいらつきて水にひたして拭(ぬぐ)いつつ書く」何か情景が目に浮かぶ(笑)
(受講生)そんな経験自分にもあるみたいな。
(幸子先生)こんなんねぇ、私らいつもやってるから、何か、ね。
(宥厳先生)そうか…。考え過ぎって言うのもあるね。無理やり作ったのもあるし、これ。一番最初の歌なんかもそうですね。ちょっと強引すぎるかもしれない。ま、しかし、枝雀っていうの歌にしたらどうなるかな、と思いながら書いてみたんですけどね。

(田中さん)説明していただいたのですごくよかったなと思うのは、「知り得ぬと知りつつなおも知らんとす紐解く書物堆くあり」何かそれ、いいですね。積んどくと言うのが残りましたけど。
(宥厳先生)まあ、今書物と言うのが、昔は万巻の書を読むって言う言い方をよくしたんだけどね、だけど、書物と言うものの価値が段々変わって来たんですね。これは一体なんだろうと思うんですけど、だから、あの本と言うのは非常に大事にするもので、という感覚で僕ら子供のころから来ましたけど、今や書物はゴミになっていってるんじゃないかなっていう気がしますね。

それで、情報と言うものも生まれて20年の間に受け取る情報というもの70年生きてきて過去に受け取った情報の中から色んなもの捨象してしていくとね、本当に人間が生きて行くためにもっとも必要なことって一体何だろうと思って、何にも勉強なんかしなくったってちゃんとまっとうに生きとる人もいっぱいおるわけですね。ガンジーの教育論なんか読むとそうだね。そういうこと書いてますね。だから、教育を受けたためにかえっていびつになって変になっていく、だから、文字も知らないインドの農家の人たちが礼儀も知らなければ、野人のような様では決してなくて、何を大事にしたらいいかと言うようなこともきちっとしてて生活の中で必要なこと全部身につけて行ってね、物を大事にすることももちろん知っているし、だからまあそれ以上に学校でする教育なんて言うものは弊害の方がむしろ多いんだと言うようなことをガンジーは書いてますね。

まあ、日本人は昔から識字率が非常に高い国なんですよ。世界でもね。江戸時代から誰でもまあ、字を読める人の方が多かったっていうような国って言うのは稀有のことなんですね。私はたまたま明治に生まれた気骨のある物書きとかそういう人たちとも接してきましたから、だから、そういう目でものを見ていると明治に生まれて詩人として活躍してきたような人と大正に生まれて活躍して有名になったような詩人もたくさん知ってますけれども、明治の人と何かが全然違うね。もう、もはや何とは言えないものが何かがなくなってしまってますね。特に昭和生まれとは、、、。

まず漢文的な素養みたいなものがないでしょう?私なんかは漢文なんかほとんど読めないんだけれども、それでも若干こう漢文を素読してきたような人たちの気風みたいなもの、空気みたいなものは、何か感じられるし、そういうものを自分もどちらかと言うと好きだからたくさん本も読んできたし、だから、ああいう楽健法経のようなお経でもスラスラと書きおろしができるし、今でも候文書けって言ったら何のよどみもなく書けるわけだけれどもね。

だけど、何かそういう素養みたいなものが、明治の気風みたいなものね、そういうものが完全に失われてますね。今、そういう人がいなくなっちゃった。だから、時々この前も話した緒方昇先生なんかでもそうなんだけど、やはり、漢学の素読をしてきたような雰囲気があって、ちょっと書く文章にもそういうものが感じられて、だから、まあ今の人はそういう意味で漢文なんか全くそういうものを経ないで生きてくるって言うことはやはり文化にとっては大きなマイナスではないかなと言う風に思うんですね。

だから、まあ、新かな遣いとか当用漢字とか言うようなものを、官僚が制度を作ってやって来たっていうのは、文化にとってはものすごく大きなマイナスですね。明治時代の人たちの書物が読めない。あの赤本ですら、よう読まんと言うようなことになったというのはとても悲しいことだと思いますね。民衆に対する愚民政策ですね、全く。お前たちは馬鹿なんだから、まあこの程度に易しくしてやるから、これで勉強してなさいと言う感じでしょ?

それでも、そういう人たちでも例えば東大に入学しようと思って国文なんかやろうと思ったら、やっぱり文語文もちゃんと読めたり、漢文もちゃんと読めたりしないといけないわけだから、もともとハードルは高い方がいいんですよね。すべての人にわかる必要なんかないですね。だから、そういうのを政策的にやろうとするのは大変な間違いです。

だから、今中国でも簡体字なんて言うのを作ったことを反省してるもんね。あれは大きな失敗だったって言うてね。だから、まあ今、台湾とか香港では簡略な字ではなく、繁体字って言って難しい方の字を使いますね。だから、インターネットで見ても中国のインターネット見るのと香港のインターネット見るのと全然違うもんね、文字が。香港のインターネットでは見たら大体書いてあることはわかるけれども、漢字で。しかし、中国のなんかはさっぱりわかんない。まあ、ハングルよりはマシだけどね(笑)。

だから韓国でもハングル一辺倒にするっていうのでずっと教育してきて、警官が犯人の名前を読めないとか言うようなことがあって、やっぱり漢字を排斥したのは大間違いだったと言うようなことで勉強し直し、そういう気運が起こってきてますね。

それは教えてくれないから勉強しないんじゃなくて、難しい本でも手にとって辞書ひきながら勉強するっていうようなことが若い時から習慣になってれば、自然と身についてくるので、まあ、僕なんかそうやって独学で勉強してきた方だからね、何でも。


ま、そんなことで何か新年の抱負。恭子ちゃんは(笑)
(琴美ちゃん)すんごい顔してるよ。
(宥厳先生)新年の、今年の東光寺でのおったご感想をどうぞ。そんなに緊張しなくても。気楽に喋ったらいいんよ。
(恭子ちゃん)27日の第4日曜日の楽健教室からこの合宿までの2週間っていう長い間いさせていただいて、旅行とかもできましたし、幸子先生と一緒におせち料理を作ったりとかお餅つきも体験できたり、護摩焚きとかめったにできない楽しいお正月を過ごさせていただきまして、ありがとうございました。
(宥厳先生)レポート、それだけ?もうちょっと何か言えや(笑)
(幸子先生)金閣寺に行ったとか。
(恭子ちゃん)あ~。
(宥厳先生)金閣寺へ誰と行ったん!?
(恭子ちゃん)幸子先生のお友達と…
(宥厳先生)野口さんはどう思いました?犬もおったでしょ?
(恭子ちゃん)はい。犬がいつも肩のところにいて。
(宥厳先生)運転する時も?犬乗せながら運転してるの!?
(幸子先生)いっつもひっついてんの、ここに。
(恭子ちゃん)小型犬の…何犬って言ってましたっけ?
(幸子先生)チワワのちっちゃいの。
(宥厳先生)チワワ?
(幸子先生)チワワ違う。白いなんて言うか…
(宥厳先生)で、野口さんの家は行ったの?
(幸子先生)行ってない。
(宥厳先生)行かなかったの?
(幸子先生)そんなん行ってられへん。遠いから。美山だからね。
(恭子ちゃん)金閣寺に行って…
(宥厳先生)説明してくれたん。
(恭子ちゃん)北野天満宮にも行って。
(宥厳先生)色々説明してくれたん?よかったね。
(恭子ちゃん)お土産も買ってもらったり。


(宥厳先生)野口さんって言うのはどういう人かと言うと家内から説明してもらいます。
(幸子先生)野口さんっていうのは神戸女子…なんだっけ神戸親和女子大学の教授、主任教授だったんですけどね、神戸大学を出てそれから東京も造形大学を出て、それから東京芸大の大学院を出てそれからまた神戸親和女子大の教授になった方なんです、ずっともう20年来の友だちなんですけど、やっぱりこう造形に関して熱い人なんで美術館に行ったりとかわりかし身軽に行こうって言ったらすぐに出てくる人なんで、友だちが京都に行きたいって言ってるからって言ったらすぐ美山から京都に来てくれて、私らも京都に行って、そして御馳走を食べてなんて言う所やったかな(笑)

(宥厳先生)野口さんって言うのは彫刻家なんです。仏像彫刻家で木彫でお寺から頼まれると大きな仏像も作られる。
(幸子先生)その方の先生は、平櫛田中って言う有名な彫刻家の一番弟子でいわゆるなんて言うんかな、影武者みたいな方で。
(宥厳先生)ゴーストライターじゃなくてゴースト作家をやってたらしい。あの人が野口さんの先生。
(幸子先生)たくさんの田中作ってのはその人が作ってて平櫛田中がちょっと最後に後刀を入れて名前を入れて田中作って言うのをこう作ってる作品が何百万って売ってはって、結局その田中の後のアトリエをその先生がもらうことになってたのに、先生が亡くなった途端にそんな話は知らないということになって、先生はアトリエがなくなったんで野口さんとこのアトリエで制作させてもらったりして、私らも仲良くさせてもらったんですよ、そういう不思議な方で。素敵な方でした。そういう野口さんもこう言うなんて言うかお世話をよくする方だったんです。
(宥厳先生)野口さんのフルネームは何て言うの?
(幸子先生)野口益代さん。
(宥厳先生)マスは益々のマスやね?
(幸子先生)益の益。
(宥厳先生)益やから益々やろ?
(幸子先生)益々や。で、まあ独身なのでいつもこう気軽に私の時間がある時はいつもどっかへよく旅行に行ってなんか、今どこ~って
(宥厳先生)野口さんって言うのはカーキチなの。それで、何か信じられないような遠距離を平気でサーっと言ってサーっと帰ってくるんです。僕はとてもそんな真似できませんね。
(幸子先生)こないだも島根県へ行って今日は1000キロ走ったわって言って帰って来たり(笑)というような。道中二人ともあんまりものも食べないでトイレも行かないで、平気で行って帰ってくるような変な二人なんで。でも、素敵な不思議な方です。ね?そして、えーっと何やったかな。むらさき…大覚寺のすぐそばに料亭がありまして、そこの自然食を三人で行って…ねっ帰ってきました(笑)。
(宥厳先生)やて!!
(幸子先生)それが金閣寺も金箔貼りなおしてから私も行ったことなかったので、すごく改めてここに雪が降ったらいいのになって言ってたら、雪がちょっとチラチラ降ってきてね、何もかも良かったなって言って喜んで帰ってきました。で、その帰りに布施まで帰ってきたら、マイケル・ジャクソンの映画をやっていたのでまた二人で夜中に、7:40からの映画を見て…
(宥厳先生)そんなこと聞いてない!!(一同大爆笑)ほいで宥厳さんのことなんかもうどうでもいい。ほったらかしやからね(笑)。
(幸子先生)そんなん思ってたら行けないので(笑)
(宥厳先生)宥厳さんのこと思ってたら行けないので。あ、申し訳ないって言うたか?
(幸子先生)申し訳ないと思いながら、はい、マイケル・ジャクソンを見てました(笑)でも、夜も遅かったし、他に誰もいなくて二人きりでね。前はね後ろはまあちょっと二人くらいいましたけど。
(宥厳先生)映画館?
(幸子先生)映画館、映画館。
(宥厳先生)さよか!
(田中さん)貸し切りでしたね。
(幸子先生)貸し切りで見てきたんです。よかったね~
(恭子ちゃん)幸子先生はもう遊ぶのも半端じゃなくて…
(幸子先生)何を言うてんの!(一同大爆笑)翌日働いてたやんか。
(宥厳先生)遊ぶのも半端じゃないって(笑)そうか、まあ、そんなところですね。他にレポートはないですか?
(幸子先生)そして、北野天神に行った時に、なんか取材に回ってて私も何か言わされました。ラジオかなんかかな。インタビューを受けて、今年の抱負を、抱負じゃなくて状況を一言で言ってくださいって、一言ってそんな急に言うてきてもね、言われへんし。
(宥厳先生)なんて言うたん?
(幸子先生)え?「難」ですねって言った(笑)
(宥厳先生)「難」?
(幸子先生)「難」…やん、そんないいことなんかないし、一言で言うてって急に言うてきてね。災難の難。一言やったら、もう「難」。難あるのみですね~って何か言うてました。どっから来たとか言うてはったけど。…と言うことがありました。
(宥厳先生)そうか、どうもありがとうございました。じゃあ、今から初楽健法をやりましょう。


《今月の句》
●寄り合った虚空を見透かす両の目に死と隣り合う枝雀の落語
●人間の定めを知らず歩み歩む今日が日までか終える日までか
●知り得ぬと知りつつなおも知らんとす紐解く書物堆くあり
●万年筆のかすれるインキにいらつきて水にひたして拭いつつ書く
●米がなく野菜もなくて配給もなき母と見合った年末想起す
●枯れていた山河があった物なきが故に燃えよと願う我もいた
●餅をつく杵取りをする右の手にからんで取れぬ熱き餅米
●いつ頃にすべてを他人にゆだねしや思い返しつ杵取りをする
●秋にまた一人芝居をやろうかななどと思って春を迎える
●かたかたと床下を渡る冬風に野良猫かなとわが愛猫を見る

楽健法12



クイック・サマディータッチ

休憩のおやつ~






★補習★


夕食



●むかごごはん●菜の花のゴマ酢味噌和え●茨木産れんこんのきんぴら●こいものにっころがし●お豆腐ときのこのお吸い物●白菜の漬物●ショウガのつくだ煮●東光寺産かぶらの浅漬け

★吉野杉の祝い箸 宥厳先生も感激


甘いものに目がない中島さん。ぜんざい食べてると幸せそう


絶品・ぜんざい(≧▽≦)


別腹、別腹(笑)

楽健法13




一日目終了~ 

第10回1月10日(2日目)その3

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
二日目開始

夜明けはまだまだ暗い。先月より暗い気がします。

朝のお勤め

願いを込めて書きます。


寒いね~


幻想的


ぎゃ~て~ぎゃ~て~


御利益ありますように

朝の作務

こぉ~んなところにも葉っぱが


ふぅ~たいへん!はっぱがいっぱい!

朝食




お寺では、まずごはんを三口食べてから、他のものを食べます。

●かぼちゃスープ●フルーツと野菜サラダ●チャイ●天然酵母パン●ピーナッツバター・アーマオンドバター・マーガリン


どこでも楽健法

楽健法14





ここをしっかりね!


足が開いてる?何でこの写真を撮ったのか…忘れちゃった…


冷たい足かな?

背中の踏み方教室














「ぼくのイラストレイション的自叙傅」細谷正之(ささめやゆき)


ランチ

●むかご&ゆりねごはん●白菜漬物●ショウガのつくだ煮●東光寺産のかぶらの浅漬け●大根・あげ・金時ニンジン・こんにゃく・きぬさや・ちくわ・じゃがいものの煮物●しめじ・しいたけ・小松菜の炒め物


昨夜のカレーうどんをかけてみた!おいしい!


辻田農園から!ありがとうございます!


だんらんだんらん♪

 
スケッチできそう!


アレルギー出ちゃいました!

講義「楽健法経」

(琴美ちゃん)恭子ちゃん!!
(宥厳先生)これ、恭子ちゃん書いた?
(恭子ちゃん)ううん、違います。
(宥厳先生)誰書いた?
(恭子ちゃん)わかんないです。見たら書いてあった。
(宥厳先生)書いてあったん?そいじゃあ、お客さんやね。源ちゃんかな?え?あ、野田さんが書いたん?
(恭子ちゃん)その電話番号は、ですよ。
(宥厳先生)あ、これ?あ、これのこと言うてんのよ。誰の字かなと思って。俺こんなの書かないよ。こんなところに赤いのなんて入れないよ。仏教では快楽なんて読まないのよ、これは。「けらく」って言うの。けらく。仏教用語ではね。


(幸子先生)これ何?おやつ?
(ちあき)おやつ、おやつ。もらおう、丸いヤツ!
(幸子先生)ここの穴がふさいだやつやん。これ、少ないやん、1個、2つ。
(ちあき)丸いヤツ!丸いヤツ、下さい!
(幸子先生)ええよ、かめへんよ(笑)


まあるいちょぼちょぼは当たり★


そばぼうろ…幸子先生の作品


【楽健法経を見ていると思ったら、その先にあるそばぼうろを見る幸子先生】


【幸子先生の習性】


【満足げにそばぼうろを召し上がる幸子先生】

(宥厳先生)もう、みんな揃ったのかな?じゃあ、そこ閉めとかな寒いな。
(中島さん)じゃんけんじゃんけん!
(幸子先生)そこ、何でじゃんけんせなあかんの?
(中島さん)じゃんけんで勝ったらそっちの方を回そうと…
(幸子先生)あ、そう。
(ちあき)勝ちました(^o^)

(宥厳先生)楽健法経を先月やりましょう、とか言ってやらなかったので。この冊子読んだ人おる?皆さん、読んだ?楽健法の本は読まれましたか?皆さん。何か僕長いこと見てないのに、何書いてあるか忘れて、今さっきそのちっちゃな本を見てて、えー、こんなこと書いてある!と思って見てました(笑)。この14ページ・15ページのところ開いてみて。この14ページの中ほどからこの冊子の二人ヨーガ楽健法経と言う所、誰かに読んでもらおう。中島さんお願いします。


(中島さん)はい、最初っから読めばいいのかな?
二人ヨーガ楽健法経…

(宥厳先生)いやいや、そうじゃなくて。14ページの真ん中のところ。
(中島さん)あー、こっちですか!





この冊子の『二人ヨーガ楽健法経』は、楽健法を勉強するための使いやすいテキストとして新しく筆者が書いたもので、インド伝来の密教経典ではありません。
しかし、筆者が言うのもおかしいですが、なかなか含蓄のふかいお経に仕上がっていると思います。漢文の読み下しという文章のスタイルにしたので、若い世代の人にはややとっつきにくいかと思いますが、読み進める順序にしたがってお釈迦さまの解説付きで楽健法が展開されていきます。短い文章ですが、読み通していただけると筆者の心からの願いに共感いただけることと思います。この『二人ヨーガ楽健法経』は英訳も付いておりますので、この冊子とビデオがあれば、海外の人にも楽健法をわかりやすく学んでいただけるようになりました。
海外へ行かれる方は、ぜひお知り合いの外国の方に、旅行のお土産としてプレゼントしてあげてください。






(宥厳先生)あ、どうもありがとうございます。ま、ほんの僅かのページなんですけどね。15ページから22ページまでが本文ですね。このお経は「ボディーワーク・セラピー」という単行本が1992年に宝島って言う出版社から36種類の色んな健康法を集めて、2,3ページずつですが、解説すると言う本が出版されたことがありましてね、それに原稿を頼まれて書いたものなんです。
《ボディーワーク・セラピー》
 

楽健法を人に解説しようと思うと、足のここから踏んでいってと言うようなことを書いていかないとあかんでしょ。それを、図解入りで何か普通の言葉で書いてもさっぱり面白くないなという思いがあったもんですから、なかなか筆を下ろす決心がつかなくて、何かいい方法をと原稿締め切り間際まで考えとったんですが、もう今日は書かないと間に合わないと言うある土曜日の晩に、机に向かって2時間か3時間、3時間もかからなかったんですけど、一気呵成に書いたものです。

それを経本に仕立てるときに若干手直ししたんですけど、ほとんど手直ししたのは最初の喩師婆伽所(ゆしばかしょ)とか乾闥婆(けんだつば)と言うようなそういう名前ですね。そういう所を若干変えたくらいで、後はそのままです。それで、何かこの頃はまだワープロも使ってない、ワープロは持ってたんですけど、この時は原稿用紙に一気に書きましたね。原稿用紙に書いて書き終わってから読み返してみたら、どこも訂正する所がないという我ながら奇跡のような原稿ができて、何か仏様かなんかが降りてきて書かされたような気がしました。あまり僕は訂正して赤をいっぱい原稿用紙に入れると言うことは昔からしなかったですね。だいたい一発勝負で書いてしまうタイプですね。
そんな感じで読んでみると一種の勢いみたいなものが感じられるかなっと思うんですけど、これを誰に読んでもらうかな。恭子ちゃん、行こか(笑)。あきませんか。じゃあ、あの最初にさ~っと通して読みます。それで、二回目にそれをちょっとね解説しながらやって行きましょう。わからないところを解説すると言うような感じで。まあ、耳で聞いてこれを目で見とったら、解説しなくても意味はわかるかなと思うんですけど、じゃあ読んで行ってみますね。





二人ヨーガ楽健法経
大楽金剛不空真実佛足楽健法経
(たいらきんこうふこうしんじつぶっそくらっけんほうきょう)


 是の如く我聞けり。或る時佛、喩師婆伽所にて、楽健法を説きたまえり。春うららなる
季節、圍繞(いにょう)する諸菩薩の中央に、乾闥婆を寝かせて、佛、法を説きつつ、さらに実技を交えて、楽健法の指導をなしたまえり。
 まず佛、座より立ちて自らの御佛足(おみあし)を具示(ぐし)して曰く、乾闥婆ならびに菩薩等よ、わが足裏(そくり)、汝(な)が足裏を如何んと考えるや。
 足裏に触れるものは大地のみなるや否や。
 われらが足は大地を歩むにのみ用うると汝ら考えるならば、道を辿りて道を知らざるなり。

 それ道は、ただに地と地を結ぶもののみに非ず、人々の心と心を結び、生きとし生くる
ものの法をも結ぶものなり。
 道を歩まんには、健やかなる五体、ことに足の強健(きょうけん)ならざれば遠く歩むこと難し。
 また足が如何ほど強健、五体満足といえども地を伝い、草踏みわけて遠き地に衆生済度(しゅじょうさいど)に赴くには、健やかなる思い、慈愛の心、済度(さいど)せんとする衆生からも、常に学ばんとする求道(ぐどう)の心があって、はじめて強健なる足とはなるなり。

 足に光あり。

 汝(なんじ)が足は汝の楽健法を学ばんとする求道心と、衆生済度の慈悲の心が一つとなるとき、光を放ちて、闇を光に変えるものとならん。

 楽健法を行ずる者は、光輝楽健菩薩(こうきらっけんぼさつ)と呼ばるるなり。

 東西南北、赴く地に至れば、汝が足の光を求めて蝟集(いしゅう)する人々数多(あまた)あるなり。
 富める者あり、数多の貧しき者あり。貧富を問わず強健なる者もあり病弱なる者もある。

 正にいま、死に至らんとして、なお光輝楽健菩薩にすがりつく者もあらん。
 此れを見、彼(か)を見るに至って、菩薩等如何にしてこれらの人々に光を与うるや。
 あに路傍(ろぼう)に座をしつらえて、法を説くのみにて、心の病める者、身体(からだ)の病める者を救い得るや否や。
 言葉の伝える法のみにて、病める人を救うは、至難の技とやいわん。
 菩薩等よくわが教えるところを心眼をもって追体験し体解(たいげ)し、もって衆生を済度すべし。
 
 かく語りて佛、乾闥婆を呼び寄せ、敷楽健曼荼羅(しきらっけんまんだら)に寝かせたまえり。

 乾闥婆、佛の意に従いて北枕にして、身体の左側を下にして左足を伸べ、右足を曲げて横たわり佛に合掌せり。
 この時、天香(てんこう)芳しく妙音とともにたなびけり。
 佛、微笑みてうなずき乾闥婆の足許に立ちたまいて曰く、いまから楽健法を伝授するなり。

 古来よりわが国にヨーガあり。ヨーガは自力自助の手段にして、いまだ発心(ほっしん)せざる衆生には病患(びょうかん)を癒すには、はなはだ遠き手段なり。
 また、手当療法あり、食養、断食あり、アーユルヴェーダあり。
 いずれも効多しといえども労も多くして、病の根源の因を断つには容易に至らざるなり。

 宿痾(しゅくあ)を抱えて、如何なる前生の因縁によりてかくは苦しまん、と嘆くもの多し。
 されど病気の由縁(ゆえん)は、精神生活の理法わきまえず、自我に気付かず、自省せず、食生活の無知なるに由(よ)ることほとんどなり。
 人間の存在の法を知り、生理の根源にさかのぼりて、身体の浄化をなし、流れを整え,三
毒によってもたらされたる諸病を癒し、積年の疲労をとるに、楽健法こそは最良の、楽々健々(らくらくけんけん)の法なるべしと。
 
 また佛曰(のたまわ)く、楽健法はいかなる部位も左より行うべし。
 左より右に転ずべしと。
 
 佛、乾闥婆の大腿部の付け根に、並はずれて大きく、衆人尊崇(しゅうにんそんすう)の左の御佛足を乗せて踏みたまえり。この時御佛足、光を放ちて、並みいる菩薩の眼に慈光を降りそそぎ、菩薩等の心眼開け、乾闥婆の大腿部が、にわかに柔らかくなるを目撃したりき。
 乾闥婆、たちまちにして長年月(ちょうねんげつ)の坐禅によって生じていた腰痛が癒え、如来の御佛足より流れ入る聖なる力が、全身を駆けめぐるを覚(さと)って、涕涙(なんだ)下るを止め得ず。
 佛曰く、我がいま踏みし大腿部の付け根の部位をば、羝羊(ていよう)と名付く。
 身体の芯より足心に至る導管(どうかん)の筋なるべし。
 ここを左右ともにゆるめて血流、体液さかんに流動しはじめ、迷いより醒めて、向上心
の湧きいずるところなりと。
 
 次に佛、乾闥婆の足はそのままにして、上半身のみ上向きにさせたまいて、左足の羝羊よりさらに内側の筋を踏みたまえり。乾闥婆、痛きこと火を近づけたるがごとし、と覚ゆれど不思議に心地よく、神気身内(しんきしんない)に呼び戻されたるがごとし。
 佛曰く、この部位を愚童(ぐどう)と名付く。
 これをゆるめれば、肝(かん)、腎(じん)の働きを盛んにして、婦人の生理を整え、心安(こころやす)けくなり、健やかな子宝を得(う)るにいたり、自己の存在の意味に気付くなり。
 

第10回1月10日(2日目)その4

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
 次に佛、乾闥婆を上向きに寝かせ、鼠蹊部(そけいぶ)より膝までを、上から下へと踏みたまえり。
 佛曰く、この部位を嬰童(ようどう)と名付く。
 嬰童を踏みて、生まれきたりしみどり児が、初めてこの世を見るが如く、胃腸の働き活然(かつぜん)とし、視力も回復し素直な心が発動すと。
 乾闥婆、老眼なりしが御佛足が離れるやいなや、如来の御尊顔、常にも増して輝き、明らかに見ゆるを自覚して、いまここにわが不浄の身を横たえ、如来の御佛足を頂ける佛縁の不思議、有り難さを噛みしめたり。
 
 次に佛、乾闥婆の左の胸から腕の付け根を踏み、さらに指先まで御佛足にて踏み下りぬ。
 佛曰く、この部位を唯蘊(ゆいうん)と名付く。
 唯蘊をゆるめて見えていたもの、考えていたことが行為と結ぶなり。
 心臓の病も、呼吸の病もかるく癒されるなりと。
 
 次に佛、乾闥婆をうつぶせに寝かせたまいぬ。
 右の御佛足を、左の臀部(でんぶ)より膝裏(しつり)のそばまで踏み下りぬ。
 佛曰く、臀部は大乗(だいじょう)と名付くなり。
 大腿部から膝裏は抜業(ばつごう)と呼ぶべし。
 いずれの部位にも筋肉の付け根に潜脹(せんちょう)あり。
 潜脹とは硬く結ばれたる筋肉のふくらみにして、潜脹の硬結(こうけつ)、肥大するにつれて、筋肉は縮み、血流を妨げ、体液の流れも減少し、冷えを呼び、病を生ずる因となるべし。
 病を癒すは管を通すことに如かず。
 易行(いぎょう)なり。
 ことに臀部の潜脹は冷えを呼びこむなり。
 潜脹をゆるめて、難治(なんじ)の宿痾(しゅくあ)も断ち切るに至るなり。
 心して踏むべしと。
 
 次に佛、乾闥婆の両足裏(りょうそくり)に御佛足にて乗りたまいて曰く、この部位をば覚心(かくしん)と名付くなり。
 足裏は反対側の頭脳と知るべし。
 足は実践を常に行ずる脳髄(のうずい)なり。
 愛しむべし。
 覚心は部分にして全体、全体にして部分なり。よく思案せよ。
 覚心を貴び踏んで気をめぐらし、正精進(しょうしょうじん)に励むべしと。
 
 次に佛、乾闥婆の腕の付け根に御佛足を踏み与えたまえり。
 乾闥婆、痩せた背高き男なれば敷物に腕が密着せざるなり。
 佛曰く、この部位を極無(ごくむ)と名付くなり。
 腕の敷物に着かざるは、胃の下垂あり。
 いまだ身体硬く、なお修行の余地大(おおい)なる証なり。
 心して楽健法を行じ、心身一如(しんしんいちにょ)の境地を体解すべし。と申されて、極無を御佛足にて軽く踏み,光明真言の呪(じゅ)を唱えたまえれば、乾闥婆の腕たちまちゆるみ伸びて敷物と密着す。
 
 菩薩等、開示悟入(かいじごにゅう)しつつ眺めるなか、次に佛、乾闥婆の頭上に廻り立ち、左肩の付け根に左足を与えたまい、御佛足の踵(かかと)が敷物に触れんばかりに踏み下げぬ。
 佛曰く、この部位を秘密(ひみつ)と名付くなり。
 諸々の病の予兆の現ずるところなり。
 肩凝りは未病の便り、便秘も未病の便りなり。あなどらず秘密を解くべしと。
 
 次に佛、乾闥婆の背に跨(またが)りて、両手を合掌の形になし、背骨の左右の筋を上より下へと押し下りぬ。
 佛曰く、ここを一道(いちどう)と名付くべし。
 ひとは背骨と筋肉とのつりあいを失って諸病を得るなり。
 全ての部位の調整は、一道の調和をはからんが為なり。
 一道を触掌(しょくしょう)して愛を感じ、天地に生かされてある感謝の念が湧きおこるなりと。
 
 佛、立ちて座にもどり、菩薩等にその慈顔(じがん)をほころばせり。
 菩薩等一同、追体験によりて、如来の楽健法をわが身に施されたる如く、乾闥婆ととも
に、浄福(じょうふく)に包まれたり。
 佛曰く、病気にて夭折(ようせつ)するは治療の理法を得ざるが故なり。
 治らざる病はあらずと心得うべし。
 依るところの手段なによりも肝要なり。
 まず、否定的な心を棄て、可能性を信ずべし。

 信じて楽健法を行ぜよ。

 楽健法は易行にして、理法深甚(りほうじんじん)の理(ことわり)なり。
 他力のヨーガなり。二人ヨーガなり。
 心してこれを行じ衆生を済度せよ。
 日々これを行ずれば足は光を放ち、東西南北へ軽々と歩を進め、ひとの世を共生浄土(ぐしょうじょうど)、即身成佛(そくしんじょうぶつ)の光の海と転ずること必定なり。

 これを与えられる者は病癒え、平安を得るのみならず、与える者も足による布施(ふせ)の行にて、慈愛による佛の法を知り、血気を盛んにして倶(とも)に功徳(くどく)を得(う)べしと。

 さらに佛、偈に説いて曰く。

楽健法を学び行ずる者
病を癒し人間を癒す
無畏を施し慈愛を自覚させる
たとえ病む者といえども
他者を癒やさんとして
楽健法を学び行ずれば
自らの病が癒されること必定
他者の救済は自らの救済なり
楽健法を行ずれば光の人となる

受者は北枕に横たわれ
枕をして身体の左側を下にし
左足を伸ばせ右足を曲げよ
与者(よしゃ)は足許に歩幅広く立ち
左足で羝羊(ていよう)の付け根を踏み下がれ
一息一踏みゆっくりと踏み放せ

【 羝  羊・ていよう】





受者は足はそのままにし
上半身を上向きにせよ
与者は右足を受者の右踵そば
左足にて愚童を踏み下がれ
大腿部の付け根をよく踏むべし
次に右に転じて繰り返せ

【愚  童・ぐどう】





受者を上向きに寝かせよ
与者は右足にて受者の嬰童を
鼠蹊部から膝まで踏み下がれ
鼠蹊部をゆっくり深く踏め
一踏み一音光明真言唱うべし
次に右に転じて繰り返せ

【嬰  童・ようどう】





受者は上向きにて
両手をコの字に曲げよ
与者は右足は受者の手首そば
左足で胸から腕の付け根
手先まで唯蘊をゆっくりと踏め
次に右に転じて繰り返せ

【唯  蘊・ゆいうん】





受者はうつぶせ
与者は受者の両足間に立ち
右足にて受者の左の尻から足まで
抜業から大乗へと踏み下がれ
硬い部位は繰返し丁寧に踏め
次に右に転じて繰り返せ

【抜  業・ばつごう】





与者は受者の左外側に立ち
左足にて抜業から大乗へと
尻から足へと踏み下がれ
腰痛には大乗にことに念を入れ
固き部位を丹念にほぐすべし
次に右に転じて繰り返せ

【大  乗・だいじょう】





受者はうつぶせ
与者は足の裏覚心を踏め
多忙にて暇なしといえども
足裏は全身調和の秘点なり
怠らず日毎励むべし
後ろ向き踵にて上下しつつ踏め

【覚  心・かくしん】





受者はうつぶせ
両腕をコの字に曲げよ
与者は受者の左手首そば
右足にて極無をゆるく踏め
肩から腕を手先まで踏み下がれ
次に右に転じて繰り返せ

【極  無・ごくむ】





受者はそのままの姿勢にて
顔を右に向けよ
与者は受者の頭部左肩上に立ち
左足にて受者の左肩極無を踏め
呼吸を合わせ吐きつつ踏め
次に右に転じて繰り返せ

【極  無・ごくむ】





受者はうつぶせに寝よ
与者は受者の上半身に跨り
膝をつき両手を合掌の形にして
背骨の両側を体重をかけて
一道をゆっくり押し下がれ
受者と与者と呼吸を合わすべし

【一  道・いちどう】





与者も受者もともに
感謝の念と慈愛の心にて楽健法を終えるべし
合掌し光明真言を唱え光を受け放つべし



 佛、法を説き終わりて菩薩等に右掌(みぎたなごころ)を向けたれば、菩薩等全身たちまち光明に包まれて悟道(ごどう)を得(え)、御佛足を頂礼(ちょうらい)し、楽健法を世界に布教すべく、菩薩おのおのの因縁の地へと歩みはじめたり。


http://www.asahi-net.or.jp/~be5y-ymnu/rkhk.html



と、こんなお経ですね。読んだら楽健法をやってるのが目に見えてくるでしょ?
楽健法を経験しないと、いきなりこれだけ読んでもどんなことしてるのかわからないですけど、楽健法を体験すれば、情景が目に見えてくるんではないかと思います。
このお経は難しいですか?耳で聞いて大体理解できるね?
わからないところ、わからない言葉とか、質問とかありましたらどうぞ。どこからでも結構ですけど。

(藤井さん)先生、最後の方の極無(ごくむ)っていうとこ、ひとつうつ伏せの状態で肩甲骨いうんか脇の方から腕の方へ向けて、もうひとつは肩のここを踏むのもあれも同じ極無いうんですか。

(宥厳先生)誰かにそこがだぶってるんじゃないかとか言いましたけどね。

受者はうつぶせ
両腕をコの字に曲げよ
与者は受者の左手首そば
右足にて極無をゆるく踏め
肩から腕を手先まで踏み下がれ
次に右に転じて繰り返せ

受者はそのままの姿勢にて
顔を右に向けよ
与者は受者の頭部左肩上に立ち
左足にて受者の左肩極無を踏め
呼吸を合わせ吐きつつ踏め
次に右に転じて繰り返せ

これでいいです。二つ目の極無の絵は右足が右によりすぎていますね。

(藤井さん)でも位置的なものは脇からこれを踏むのとここを踏むのと場所が違いますよね?
(宥厳先生)違うね、うん。
(藤井さん)改めてこういう場所に名前がついてるの、見たときだけ、はあはあと思って、平素は…。
(宥厳先生)このお経には結構ストーリーがあるでしょ?
お経と言うのは色々な書き方の約束事があって、例えば「是の如く我聞けり」なんていうような言葉はお経には必ず最初に出てくるんですね。漢字で言うとこのひらがなを除いて「是如我聞(じょうしーがぶーん)」って言う風に言うんですね。だから、お経の本読むとき、「是如我聞(じょうしーがぶーん)」いっーしーきゃーはー…って言う風にお経を唱えていくんですね。





それが「是の如く我聞けり」の「我」と言うのは誰かと言うようなことがよく話に出てくるんですけど、仏教のお経はお釈迦さまが直接書いたお経なんてのは一切なくて、お釈迦様の喋った言葉を弟子が頭で覚えて、テープレコーダのように正確に覚える人が昔たくさんいたんですね。そういう中でも多聞第一って言われた弟子がアーナンダというお弟子さんなんですね。

阿難っていうお坊さん。阿難尊者っていう風に言われます。サンスクリットではアーナンダっていう名前のお坊さんなんです。この漢字の阿難は難に阿がつくでしょ?阿と漢字ではこう書くんですけど英語で言うたらunですね。否定する言葉ですね。だから、インドの言葉は阿がつくとやっぱり否定なんです。だから、難儀を否定する。だから、アーナンダっていうのは「難儀でない」という意味だから、幸福って言う意味なんですね。

だから、要するにhappinessですね、幸福。だからアーナンダっていう名前は日本の現在の人の名前に置き換えると、こういうことになるんだろうね。「幸雄」。Happinessな人。

(受講生)幸子先生もだよね。
(宥厳先生)あ、幸子先生も、そうそうそう。ここ何か暑いねぇ。消しとこ。それか僕が脱いだらいいんかな。
(幸子先生)そうそう。
(宥厳先生)寒ないやろ?ちょっと脱ぎます。まあ、話があんまり脱線してもいかんのですけど、こうやってアーナンダというお坊さんがいて、阿難尊者、この人は釈尊の従兄なんですね。とっても男前だったらしいです。それで、アーナンダが托鉢に出ると町中の女が後を追いかけてくるっていうような、よくモテた、辻田さんみたいな男の人なんだきっと(笑)
(幸子先生)ホッホホ…
(宥厳先生)辻田さんの話したらあかんね。お経には合わない(笑)。このアーナンダさんが要するに多聞第一と言われたお弟子さんなんですね。でも、昔は日本人もそうですけどね、一度話を聞いたらそれをもうキチーっと過たず繰り返せるような記憶力のすごい人がおったんですね。テープレコーダーのような。こん中でそんなことできる人いる?まあ、ここで言うたらちあきちゃんやね(笑)。
(ちあき)覚えてるのはこれ(ICレコーダー)(笑)
(宥厳先生)あやまたず、その通り喋る。
(幸子先生)稗田阿礼(ヒエダノアレ)。
(宥厳先生)そうそう、日本では稗田阿礼。昔は文字でもそうですけど、僕はこんなひどい文字を書きますけども、字でも書道やる人おるでしょ?そしたら、日本の三筆と言われたような人。例えば空海は、弘法大師は三筆の一人ですね。日本の。この空海の書を真似をしてその通り書いて、そしたらそれが空海の書を臨本したって言うような言い方する。

臨本された書が空海の書として伝わって残されてるのもあります。最澄が空海の書を臨本して書いたのが、空海の書として扱われていると言う書もあるんですね。

だから、字も見た通りに書く。まるで、コピー機にかけたように。だから、話も聞いた通り、そのまま伝える。そういう能力のある人がいたんですね。それで、何かこうさーっとものを覚えられる時と、何か覚えようと努力しても全然覚えられない時期とがあるんですね。僕は子供の時に映画を見るとセリフをみな覚えちゃったん。頭からサーっと出てくるのね。映画の中で喋ってた言葉が。特にチャンバラの映画なんかだったら頭から順番に出てくる。

そういうようなことがあってね、まあそんなに100%覚えてたわけではないだろうけど、大体セリフが全部出てくる。それから、映画の中で主題歌とか歌が出てくるでしょ。で、映画見て出てきたら全部覚えてる。で、すぐに歌えるんですね。何かまあそういう時期がある。だから、何かこう面白いな~っていう気持ちになって、そういう脳髄の働き方すると、それが一気にできるようになってくるんですね。だから、段々そういう力が落ちて行くのは、だから、子供の時は神童で二十歳すぎたらただの人、なんて言うけど(笑)。ちっちゃいときにはそういう思いがけない能力を持っている人間っておるんですね。

だから、そういう人間をテーマにして美内すずえさんの「ガラスの仮面」は描かれてますね。「ガラスの仮面」の主人公の女の子は一度セリフを聞いたらもう全部覚えちゃってて忘れない。ああ、何か俺のこと書いてあるぞ、と最初読んだとき思った(笑)。

読んだ時思いましたけどね。だけど、何かそういう、多分美内さんもそういうような体験をされてああいう漫画になったんじゃないかなと思うんですね。まあ、そんなことがあります。それが多聞天です。だから、多聞第一、そういうひとが偉くなるっていうのは普通はなかなか有り得なくて、たいてい二十歳過ぎたらただの人以下になってしまう人が多いんですね。神童とか天才とかいわれるのは。

ま、仏教にはそういう天才とかいっぱい出てきます。この中でその後。この題名、「大楽金剛不空真実佛足楽健法経」って言うのは、真言宗の根本経典がね、理趣経っていうお経なんですけど、まあ、そのお経のようなタイトルの付け方をしたんです。で、この「大楽金剛」、「大楽」と言うのは大きな楽しみっていう意味ですけど、真言宗の場合はこれを悟りを開いたことを言うんです。ニルヴァーナの意味なんです。

Trrrrr…(電話で中断)


それで、この大楽って言うのが、真言宗では、悟りを開くと言うのは人間が非常にものにとらわれなくて、つまり悟りを開くと言うのは、あんまりものに束縛されなくて、自由自在になることなんでしょうね。自由自在になると非常に楽なんですね。多分、だから、悟りを開いて、堅苦しくなって欲望を捨て去ることが悟りなんかじゃないんですね。真言宗の場合はだから、大きな楽しみ、人生の最大の快楽(けらく)、さっきここに書いてたあの快楽を得られるような、そういう世界を大楽というんですね。それが悟りを開いた状態だと考えるわけです。だから、悟りを開くと言うのは、もう欲張らずに何もかもどんな欲望もぬぐい去ってね、何にも欲しがらずに、粗衣粗食で、そいで方丈に座って、そこで一生を全うすることではないんですね。

だから、真言密教の考え方と言うのは、欲望を持ってその欲望を満たしていく、そいで、いっぱい欲望を満たして、それで色んな事が自由にできて、それで多くに人をそういうパワーで幸せにしてあげる。そういうことを大楽と言う風に考えるんですね。だから、悟りの境地と言うのはそういうことで、一人でずーっと10年間瞑想してたら何か不思議な体験をして悟りを開くなんて言うことではないんですね。

だから、私自身も子供の時から、若い時からそういう考え方がどっかにあって、つまり、何かあのーお寺の中で座ったら悟りを開けるなんてのは大嘘だという気持ちがありましてね。人間がお寺で10年暮らしてても俗世間に出てきた途端に俗人に戻ったり、俗人以下の欲張りになったりするってこともあるかもしれないし。

だから、そういう意味で悟りを開くと言うのは、実際にこういう世間で皆さんが暮らしているような場所で生活して、そこで嫌な目にあったり、苦しんだりしながら、その中で、「はあ!私はこう言うものであってはいけない。人生とはこういうものであってはいけない!」と言うようなことをいつも思い続けながらずーっとこう努力して行っているような人は、人だけが僕は悟りを開けるんじゃないかなって言う風に思ってるんですね。

だから、世間から隔絶してそれでどっかの山中で悟りを開けるなんてのは僕はちょっとカテゴリーの違った悟りであってそういうのはインチキじゃないかなと思ってます。だから、あんまりお坊さんがあの人は悟りを開いたんだとか言ってもね、あんまり信用しない方がいいなって言う風に私は思ってるわけです(笑)。

それで、仏教は誰でも悟り開けますって教えるんですよ。目的は悟り開くことだからね、仏教の。インドの哲学って言うのはそうです。アーユルヴェーダでもそうなんです。悟りを開くことが目的で、その為に勉強して努力して、それで人にいいことをしていきなさいって教えて行くんですね。ところが、それは悟り開くことは決して難しくありませんってことを大乗仏教で教えるわけです。あなたも悟りが開けますってこう必ず言うんですね。真言宗なんかでは即身成仏と言う風に言いますけどね。言いながら、その身そのままで仏になる。そういう、そのまま、生きながら仏であるというのはどういう人のことかと言うんですね。私はそういうものに一番近いのは他人に楽健法をできる人じゃないかなと思ってるわけです(笑)。

そういう所で、具体的に何かができて行く。だから、以前に空海の1200年記念かなんかで空海の映画が作られたことがあって、北大路が空海やりましたよね。僕はあの映画一回だけ観ましたけれども、アホくさっと思ったのは、例えばあの映画の中で地震が起こる場面があるんです。地震が起こってね、家が倒れたりしてみんなが恐怖に駆られてる時に、病人もおるんだろうと思うんですけども、弘法大師がそういう時に何をして人々を癒したか、光明真言を唱えなさい!ってやるんですよ。それで、あオンアボキャベイロシャノウマカボダラマニ…ってみんなが大声で光明真言唱えてるようなシーンがあって、アホか!と思いましたね、見てて。こんなことしかできへんのか!って、ねえ。何かそんなもんじゃなかろ!っていうのがあってね。

 

第10回1月10日(2日目)その5

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
人を救うと言うのは、だから、あの神戸で地震があった時にも、多くのカメラが入って生放送でね、打ちひしがれて毛布にくるまって震えてるような青年にマイク突き付けて、「どうですか?」って言うような質問をしたら、「政府は何にもしてくれない!」とか言って震えながら言ってる頑丈そうな若者がいて、馬鹿か!と思った。立ち上がって人を助けてやれ!って言いたいですね。だけど、そういうやれることやった立派な神戸市民もいっぱいいたわけです。

だから、人間と言うのはどういうことをできる人が悟りを開いているのかな、と言うようなことを僕はいつも思うんです。そういう意味ではやっぱりこうサバイバルができるような、人生経験を積んできた人の方がやっぱり咄嗟に役に立つんだろうと思う。

だから、そういう意味で僕なんかは割りと色んなサバイバルやってきましたからね。そら、山の中でこれは食える、これは食えないなんてことはよくわからないけれども、しかし、多分、何か困難な状況にポンと置かれた時に、非常に頑張れて冷静で多分パニックにならずに、誰も救いに来てくれないなんて不平言わないだろうと思うんです。

やっぱり、何か自分で見つけて何かすると思うんですね。で、困った時には目の前に必ず解決のタネが転がってますからね、そういうことに気がつく人に、楽健法をやっていたらなると思う。それで、困ってる人には事欠きませんけれども、その内にみなさんがそこらじゅうに出て行って本当に楽健法で人をボンボン救うようなシーンが出てくるかもしれませんね。ああいう困難が起きた時には楽健法とそれを行う精神が働くものです。

まあ、そんなこといつも思って、あまり、だから、神秘的な所で悟りとか何とかって言うようなことをあまり考えなくていいですね。だから、やっぱり土を掘ったり、道を掃除したり、その辺きれいに隅から隅まで拭き掃除したりする中に真理があるのであって、だから、仏教って言うのは下働きを非常に大事にするんです。下座っていうのね。

掃除をすること。徹底的に掃除をすること。だから、頭の中でものを考えている人は、あんまりそういう徹底して何かがきちっとこう、実践の中にしか人生はないんだって知らない人が頭でもの考えて頭の中で生きとるんですね。だから、実際困難に陥った時には何もできない。

医者だってそうです。多くの医者も実際に自分が困った状況に置かれたときに、じゃあ私に何ができるかって言ったら、医者に薬を持たさず、聴診器も持たさず、で、病人で困ってる人を救いなさいって言ったら、何にもできないですよ。多分。で、ここにいらっしゃる方はみなさん楽健法をやって、悠々と人を救うことができますからね。そういう意味ではね、やっぱりこう言うプラクティス、技を身につけるっていうことはとても大事だと言うことを思って欲しいんですね。


【琴美笑顔】


この中で、だから、題名だけで一時間過ぎそうだけど、大楽金剛、大楽て言うのは大きな楽しみ、これは悟りのこと、金剛(きんこう)っていうのは変わらない、ダイヤモンドですね。ダイヤモンドって言うのは変化しない。だから、非常にダイヤモンドのような不空、空しからざる、ダイヤモンドのような空しからざる真実、そういうものを説いた佛足楽健法というお経です、というタイトルですね。

その次に、今度「喩師婆伽所(ゆしばかしょ)」っていう言葉が出てきますけれども、これはまあ密教の世界のあの曼荼羅の中にも喩師婆伽所っていう場所があるんですね。その喩師婆伽所っていうのは、つまり、どういう場所かと言うと、女性の子宮だと思って下さい。つまり、ものを生み出す舞台になる場所。だから、これをまあ例えば僕は最初書いた時は霊鷲山(リョウジュセン)にてって書いていたんですね。霊鷲山って言って、まあ僕もあの写真撮った旅行の時に霊鷲山に行ったんです。その霊鷲山、鷲の峰の山みたいなインドに聖地があってね、お釈迦様が修行されたり説法していられたところです。悟り開いた後に話をした場所ですね。


経本にするとき、霊鷲山よりは喩師婆伽所とした方が、ものを生み出す場所と言うのを意味するのでいいと変更したんです。そこに、乾闥婆(けんだつば)ってそこに漢字で書いて、これは、向こうの言葉ではガンダルバっていうんですね。ガンダルバって言う名前の仏さんがいるんですね。で、ガンダルバってのはどういうことをする人かと言うとね、まあ、非常に世話好きで、世の中の触媒みたいなことをする人ですね。

そういう役割を持っている人をガンダルバって、触媒って意味わかる?人と人をつないだり、紹介したり、あの人すごいからこの人と会わせたら面白いことが起こるかもしれないから紹介しようとかって言う風にね、そういう働きをする人、そういうのをガンダルバって言うんですよ。それで、チベット仏教なんかではもし皆さんがお隠れになって魂が中有にさまよって、次にどこに生まれようかなと思って迷ってるような時に、導いてくれるのが乾闥婆なんですよ。それで、喩師婆伽所に連れて行って、そこで妊娠するんです、と言う風に考えたらいいんですね。そういう言葉をまあ、ここに使ってるわけです。乾闥婆。

で、後はまあずーっと楽健法のことを、佛、法を説きつつ楽健法のことを指導していくというような形でストーリーを展開していってるわけですね。
「われらが足は大地を歩むにのみ用うると汝ら考えるならば、道を辿りて道を知らざるなり。」楽健法を知らない人は足で仕事するなんて普通考えてませんよね。だけど、もちろん足がなかったらどんな仕事も出来ないわけだけれども、しかし、足そのものを使って何かするっていう、足を歩くだけしか使ってない人の方が多いんです。

あるいは、アクセル踏むだけ、ブレーキ踏むだけ、そういう足の使い方。それに比べて、足と言うものはもっと大きな役割を持っているんだ。で、まあこれは楽健法のイントロで、楽健法をするためには足がいかに大事か、で、道と言うものは単に歩くためにあるんじゃなくて、そりゃ、道は歩くためにあるんだけど、その歩いていくことのよって人と会って、人の心と心が結ばれる。あるいは新しいことを伝えて行くと言うような意味で、「それ道は、ただに地と地を結ぶもののみに非ず、人々の心と心を結び、生きとし生くるものの法をも結ぶものなり。」という。それで、「道を歩まんには、健やかなる五体、ことに足の強健(きょうけん)ならざれば遠く歩むこと難し。」と言う風に、まあお経では書いていったわけですけど。

「また足が如何ほど強健、五体満足といえども地を伝い、草踏みわけて遠き地に衆生済度(しゅじょうさいど)に赴くには、健やかなる思い、慈愛の心、済度(さいど)せんとする衆生からも、常に学ばんとする求道(ぐどう)の心があって、はじめて強健なる足とはなるなり。」

この中で、衆生済度って言うのは、人々を救うと言うことですね。お坊さんの大事な義務は要するに民衆を救ってあげる。で、まあ仏教の世界なんかでも、一般の衆生と言うものはものを知らなくて、暗愚で、今の教育を受けてきた日本人なんかはそういう風にものを考えないわけですね。学校出て、高等学校も出て、大学も出て、で、お坊さんだって同じようなことやってね。だから、特にお坊さんから何かを学ぶなんて必要も感じなくなってるわけですね。

聖職者って言いますけれども、まあ、学校の先生は学校の先生で聖職者と言う風に言われるわけだけれども、だれもが高等教育を受けてくるとですね、私たちは暗愚な衆生ではないという風に思っているかもしれないですね。

だけど、本当に困難に直面したりするとき、例えば病気になるとか、言うような時にやはり、自分は今までこんなに生きてきたけど本当な何も知らなかったんだと、病気になっても対応の術ひとつ知らなかったんだというようなことに気がついたりしてね。だから、そういう意味では楽健法を知ってる人はね、楽健法によって衆生済度ができるだろうと思うんですね。

この後にもずっと出てきますけど、ちょっと16ページの後半、「正にいま、死に至らんとして、なお光輝楽健菩薩にすがりつく者もあらん。」と書いてますけど、このもうちょっと後ですね、「あに路傍(ろぼう)に座をしつらえて、法を説くのみにて、心の病める者、身体(からだ)の病める者を救い得るや否や。」まあ、道端にいて説法したら人が救えるかどうかですね。僕は弘法大師のその映画を見ておかしいと思ったのは、この、あに路傍(ろぼう)に座をしつらえて説法してるような人に見えたからですね。
何か変だなぁっと、変だなっていうかこんなことしかできないのかなって思ったわけですね。話だけ聞いて、それで、ああそうだったんだぁって言って本当に人が病気も治ってきたり、人生が救われたらそれはそんなありがたいことはないんですけれども、なかなか法を説くだけでね、人なんか救えるもんじゃない、何か具体的にしていかなくちゃ、と言うことですね。その病院に言ったら殺されるよ!って言うようなことも説法かもしれないけども(笑)。

まあ、そういう意味で、あに路傍(ろぼう)に座をしつらえて、法を説くのみ…だから具体的に何かできる方がよろしいですよっていう、まあ、楽健法を非常に有意に伝えたいためにこう言う書き方をしたんですね。

「言葉の伝える法のみにて、病める人を救うは、至難の技とやいわん。
 菩薩等よくわが教えるところを心眼をもって追体験し体解(たいげ)し、もって衆生を済度すべし。」仏教でいつも話してますけど、体解(たいげ)するっていうのが非常に大事です。体が覚えるってことですね。だから、まあ、同じことを繰り返し繰り返しやってると、目をつぶってても出来るようになってくる。そういう体で覚えてしまうことを、体解(たいげ)するっていうんですね。だけど、物事を体解してる人ってなかなかいないもんですよ。

飯の食い方も体解してないですね、何十年も食ってても。いまだに食い過ぎて反省して、食べるたびに反省してる人いっぱいおるじゃないの。体解するってのはなかなか難しいことですよね。だから、習慣化するっていうこともあるかもしれないけど、それは悪い習慣が習慣化していくのが普通の人たちなんですね。たいていそうです。ま、そういう意味で体解することが大事だ。仏教は体解するということがまず一番大事だと言うことを重視する、そういう教えですね。

「体解(たいげ)し、もって衆生を済度すべし。」だから、まあ、ここでは楽健法を体解して、衆生を救ってください。

この最初の16ページの2行目にもありますけど、「生済度(しゅじょうさいど)に赴くには、健やかなる思い、慈愛の心、」その次、「済度(さいど)せんとする衆生からも、常に学ばんとする求道(ぐどう)の心があって、」と僕は書いてますけど、つまり、人間と言うのは何かを学んで出来るようになると、増上慢(ゾウジョウマン)と言って仏教で一番いけないと戒めた、増上慢、つまり威張る心ですね。天狗になるんですね。私がこんなことができるぞ!私はえらいぞ!俺は救ってやったぞ!なんて言うことをすぐに言いたがるような人がおるんですけど、まあ、あんまりそういうことは言わない方がいいですね。

なかなか人を救ったりはできないですね、実際は。自然治癒力が出るように助けてあげるくらいのことができるだけです。本人が治ろうとか、方針をたてて、やろうっと言う気持ちがない人ね、馬に水を飲ませるっていう話が昔からありますけど、水のそばに連れて行っても飲ませることはできない。馬が飲むという気持ちにならなければね。それと同じことで。なかなか人を救うと言うことは難しいんですけれども、そういう衆生からも色々学ぶ気持ちですね。頑固な人からは反面教師として学ぶところがいっぱいあるし、ああ、こう言う人になってはいけないんだわ、と思わせるだけでも反面教師の価値があるわけですから。まあ、どんな人からも色んな事が学べるということですね。

17ページから具体的に、「体を左からにして」と言うのは楽健法に入っていくわけですけれども。中ごろですね。「古来よりわが国にヨーガあり。ヨーガは自力自助の手段にして、いまだ発心(ほっしん)せざる衆生には病患(びょうかん)を癒すには、はなはだ遠き手段なり。」と言う風に書いてるのはつまり、自分で努力しないとヨーガって言うのはできないわけです。自分がやる気にならなければ。

で、楽健法は、ま、自分でやる気になった人は人に楽健法ができるけど、楽健法をやってもらう人はね、別に勉強しなくったってそこに寝ればいいわけですから。だから、踏んでもらうことができる。踏んでもらったら、そうすると、ヨーガで自分が体をこう色々ハタヨーガをやったりして、体を動かして呼吸法もやったりして、病気を治す人だってたくさんいるんだけど、そういう人たちは自分がやっぱりやる気になってるからできるわけで、そういうことをやる気のない人に教えたってとても無理ですけれども、楽健法はそうではなくて、寝てごらんっていって、寝るの嫌だと言う人にはそれはできませんけどね。

やってほしいと言う人には踏んであげたら、つまり他力でヨーガにも勝るような、例えば、ヨーガで三ヶ月毎日、一時間も二時間も部屋で頑張って、病気を治す人がいたとして、三月分を、楽健法と言うのは一回か二回でできるんじゃないかな、と言う風に思うわけですね。

楽健法と言うのは体を緩めるのに効果的なんですよ。だから、ここにもたくさん長年ヨーガの先生してる指導者の人が勉強に来ましたけれども、楽健法で踏んでみると、開脚も見事にできるしね、色んなポーズをできるんだけど、踏んでみたら足の付け根がカチカチで硬かったりして、ああ、関節は緩むけれど、筋肉はゆるまないんだと言うことがよくわかる。だから、そういう意味でヨーガはヨーガで効果は非常にあるんだけれども、ま、楽健法の方がもっと総合的でそれでもっと根本的なところをほぐすことができるんだと言うことを一つ頭に入れて、楽健法をやってみてほしいんですね。

僕は楽健法を指導するとき、つい欲張るから、きついめにやってあげて、ここが固いのですよってわかってもらいたいためにきつくするんだけれども、宥厳先生の楽健法はだめです、あんな痛いのはだめ!なんて、ここへ何度も勉強に来た人がそういう風に言っているっていうようなことを聞きましたね。宥厳先生なんか大したことない、とか。
(一同)えっ!!

(宥厳先生)そういういい方で言われたということを耳にしたんですけど、まあ、そうかもしれないな、と思うんですね。だから、まあ、だからといって誰を踏んであげても痛くもかゆくもないような踏み方をね、そろそろ、恐る恐るやってるようじゃあ、本当のところが伝えられませんから、ま、ここへ来たら少々は痛いことも経験していただく。痛い目にもあってみたいと思って来てほしいなと思っています。
(一同笑い)

(宥厳先生)軽くやって満足させるって言う風にはねえ、なかなか行かないかもしれないですね。で、体の悪い人ほど痛いところたくさんもってますからね。つい親切にやりすぎたら痛いわけです。

この固さをほぐそうとしたら、私が楽健法を10回ぐらいやってあげる必要がある、というようなことが分かるわけだけれども、私が10回踏んであげると言うのはお互い大変なことです。ですから楽健法を家族で覚えて、毎日家族で踏み合って下さいっということで楽健法を広めようとしてきたわけですね。

楽健法を喜ばれる人もおるし、中には、もうあんなん、かなわんという人もいました。
そういう思いをさせてきた人もいるのかもしれないと思って、反省しながらやってるわけです。すべての人に満足していただくというのはなかなか難しいものですね。まあ、踏んだら笑う人もおったりして。
(一同笑い)

(宥厳先生)「ヨーガは自力自助の手段にして、いまだ発心(ほっしん)せざる衆生には病患(びょうかん)を癒すには、はなはだ遠き手段なり。 また、手当療法あり、食養、断食あり、アーユルヴェーダあり。 いずれも効多しといえども労も多くして、病の根源の因を断つには容易に至らざるなり。」

病気の根っこ切るっていうのは本当に大変なことなんですね。それで、楽健法はそういう意味では病の根を切るのに僕は非常に有効な方法だと思うんですね。西洋医学なんか目じゃないくらいに僕は楽健法と言うのは価値があると思ってます。

だけど、なかなかやはり足で知らない人に踏まれるよりは、大きな病院に行ってちゃんとデータを見ながらやってもらった方が有りがたいと思う人の方が多いんです。これはもうしょうがないですね。

昨日もここが終わって、テレビをかけてみたら、そしたらガンの70歳と、60代かな。奥さんが絵を描く人みたいで、千尾さんという人とだんながショウさん。
(幸子先生)ソウさん…。
(宥厳先生)ソウさん!ご主人がね。旦那は胃がんで、奥さんは肺ガンかな。何かとにかく末期なんですよ。それで、川竹文夫さんのガン患者学会にもコンタクトしたみたいなこともありましたけど、竹下景子さんとも一人男の人がね、二人でその手記を交互に朗読してずーっと流しながらやってましたけどね。

まあ、そりゃあ二人とも抗がん剤の治療もやって、それからコバルトもやってそれでもうここから代替医療しかありませんとかいって、それで川竹さんの会へ行ったようです。
そもそもスタートからもう間違ってとるからね。死ぬ段取りをきちっと決めてしまってから玄米菜食したって間に合わんですよね。はじめから現代医学を拒否しないといけないんだけど。だけど、そうやって死んでいった人がお涙頂戴の物語になって放映されることって一体何だろうと思いながら僕は見とったんですけどね。

それは、まあ可哀想なんですよ。だから、ああこう言う人たちは楽健法にも出あわずに、死んで行くんだわと思って、あ、これくらい仲のいい夫婦だったら早くから楽健法で踏み合いしてね、やっとればまあ、テレビにも放映されませんけどね。

前提が西洋医学って言うのは悲観的ですね。見通しが悲観的なところに治療に行ってどうしてよくなるんですか、と思うね。多分、あと三カ月ですよ、とか半年ですよ、とか言われながらね、尚且つそれでいて抗がん剤だコバルトだってやり続ける、僕はそういう神経が分からない。もうそこまで言われたらサッとやめて、もう楽健法、玄米菜食、天然酵母パン、とこう言う風に行きたいものですね。

だけど、なかなかそういう所に人は行かないもんですね。だから、人間って言うのは非常に救いがたいものがあります。それで、科学者と称される、いわゆる科学をやってると言う医学者、学者そいで学問の徒ですね。そういう人たちと言うのは非常に頑迷なところがあってね、なかなか。昨日もちょっとトルストイの「人生の道」って言うの読んでたら、そういうこと木っ端みじんに書いてるところがありましたね。ま、トルストイは100年前の人ですけどね。だけど、やはり科学と言う名のもとに人々をいかにたぶらかして、いい加減なことしてるかって言うようなことをトルストイが書いていますね。

だから、まあ、私たちは奈辺に本物があるかということをパっと見抜く、そういう目を持たないとね、自分が困難に陥った時に、だから、まあ健康法の指導しながら病気になったら病院にサッサと入院して点滴してるっていう先生も知ってますけどね。まあ、そういうことにならないように頑張らないかんですね。

このほかはまあ、乾闥婆が急に柔らかくなったとか、絵のようなことを書いてあるわけですけれども、こん中で潜張(せんちょう)という言葉が20ページに出てきますよね。「潜脹の硬結(こうけつ)、肥大するにつれて、筋肉は縮み、」ってこの前もちょっと話ましたけど、病気を治そうと思ったら要するに管を通すことだけ考えとったらいいんだと言うことですね。

管を通すためには繰り返し繰り返し、踏んで行くことで体液や血液を押し出して新しいのが入ってきて、ということを繰り返していくことによって、それが部分だけやっててもやがて全身にそれが回り始めるので、だから、ただ5分の健康法であってもね、五分間の楽健法でも、やっぱり効果はあるんですね。

循環し、回り始める。それは、この前も言ったかと思うけど、どっかを踏むと言うことは、そこに心臓を持って行ってね、そこでポンプを動かしてやることに他なりませんからね。だから、まあそういう意味でこの中の潜脹というのは、これは私がこしらえた言葉です。

用語としては、潜っていて中で膨れて固いところがあるから、それで潜った固いところという潜脹と言う言葉を作ったんですけど。ま、医学用語にこんな言葉はありませんけどもね。普通、東洋医学、漢方なんかでは硬結とかよく書いてますね。筋肉の硬結をほぐさないといけないというような言い方はしますけどね。ま、私はそれを潜脹というような言葉を作ったわけです。潜脹というのは固まってると段々それが大きくなってきてそれで固形化していくんですね。だから、ほぐしていくことによって、小さくなっていくと全体がまた流れるようになって、ゆるんでくるわけですね。

あのビーマー・バットさんの論文の抜き書きを、この前イナムラさんの翻訳したの渡しましたよね。先月か先々月かですね。あれがそうですね。ビーマー・バットさんも一度管が通って流れるようになったらもう病気は再発しない、と言うように書いてましたね。

楽健法と言うのは僕はそういうものではないかなと思います。だから、まあ何かちょっと体に変化が起きた時、パニックになってすぐ医者に駆けつけると言うようなことをせずにまず楽健法をやってみる。それから冷えてたらぬくめて楽健法をやってみると言うようなことが大事だと思うんです。


第10回1月10日(2日目)その6

2010年02月07日 | 第9期楽健法セラピスト講座
それで後は難しいような言葉はありましたかね?まあ終わりの方は、22ページ

「佛曰く、病気にて夭折(ようせつ)するは治療の理法を得ざるが故なり。」

夭折と言う言葉は若くして死ぬことを夭折と言うんですね。だから、まあもう70も過ぎて死ぬんだったら夭折とは言わんですね。天寿だね、まあ。だから、まあ僕は今70…あれ、今日何日だっけ?後四日ほどしたら僕の誕生日ですね。誕生祝い持ってこいって言わないかん(一同笑い)。やだねえ。誕生日なんて思い出しちゃって。

だけど、まああの夭折と言うのは若くして人生半ばで死ぬことを夭折するって言うて、そういう人生半ばで死んで行くのは、治療の理法を得ざるが故なり、つまり理論的にも方法としても間違ってるから死んじゃうわけで、ちゃんと治療の理法て言うのを得たら、必ず病気は治る、だから、
「治らざる病はあらずと心得うべし。」
どんな病気でも治りますよ。
「依るところの手段なによりも肝要なり。」
依るところの手段っていうのはつまり楽健法するか、食養生するか、天然酵母パン食い続けるか、ですね。まあ、こうやってお幸さんの焼いた天然酵母パンを何十年も食べてきたためにね、こうやって元気でおられのるだろうし、それに楽健法もやっとるからね、それでまあ医者にも行かずに元気でこうやって皆さんと一緒に楽しめるんだろうと思うんです。

まあ、依るところの手段、なによも肝要なり、まあやっぱり生活、実生活、常住坐臥、毎日の暮らしの中に健康で病気しないで生きて行く方法ってのが必ずあるわけです。

だからそのことを餓鬼のように食いたいもの、しこたま食って、それで反省もしたりもしながらでも、やっぱりそれがやめられずに、(一同大爆笑)、っていうようなことではやっぱり駄目なんだわ。誰もここにおる人が駄目やとか言うてないけどね。

「否定的な心を棄て、可能性を信ずべし。信じて楽健法を行ぜよ。楽健法は易行にして、」易行っていうのは易しいっていうことね。
「理法深甚(りほうじんじん)の理(ことわり)なり。」
まあ、理論的に言うても非常に深いものがあるよってことですね、理論的に考察して行ったらね。だから、ただ足で踏んでると言うことの中に、あの西洋医学の医者なんかが実際に楽健法と言うもののエビデンス、要するに医学的に証明をしていこうと思ったら僕は非常に優れた治療法であると言うことが証明されるだろうと思います。


まあ、谷川さんもそういうこと認められて、病院から表彰されたんだと思うんで、そういうことに気付いた先生もまれにいらっしゃると言うことでしょうね。まあ、だから谷川さんなんかはそういう意味で非常に貴重な実践者なんで、しっかり頑張って楽健法がもっと日の目を見るようにがんばってくださいね。

で、今年からはシュリシュリ・ラビシャンカールさんなんかもね、楽健法を一緒にやって行きましょうと言うようなことを言ってくれてますので、しっかり皆さんがどこへ行っても教えられるような人になって、インドでも行って、放浪しながらグルになって帰ってきていただきたいと思いますね。是非ね。


えーと他に何かこのなかに質問とかありませんか。田中さんはこのお経サーっと読むの聞いてどう思いましたか?
(田中さん)これ、お経なのかどうなのかなって、昨日ちょうど読んでたんですよ。
(宥厳先生)ああ、そうですか。
(田中さん)はい。
(宥厳先生)お経のようには思わない?
(田中さん)ええ。
(宥厳先生)あ、そう。
(田中さん)お経のようにって言うか、結局、楽健やらせていただいてるのがそのまま書いてあるだけだから…
(宥厳先生)ああ、そうですね。
(田中さん)だから、これすごい簡単にまとまってていいなあと言うような気持で読ませていただきました。
(宥厳先生)ああ、そうかそうか。ふーん。簡単にまとまっているのはお経と言うのはそういうもんだと思うんですね。お経はもう長く説明して難しいようなものはお経とは言えないですね。まあ、非常に要領よくね、僕はまとめられてるんじゃないかな、と言う風に、思うんですけど。哲学的にも。なんて、自画自賛しとったら世話ないですけど。


(田中さん)でも、これ先生が一気に書かれたっていうのがなんかやっぱりそうかっていう風に思ったんです。もちろん考えてすごく理にかなったことを実践されてる中でこれを多分作られたんだと思うんでね。考えながら書くものではないんだろうなって。だけど、そのやっぱり実践されて、それでやって来られたからこそ、これが一気に書かれたものって言うのが…いつ頃、この楽健法は…
(宥厳先生)ここへ来てからですから、15年くらいになるかな。まあ上に本があるんですけどね。ボディワークセラピーって言うて、また琴美ちゃんが検索したら見つかると思う。ボディーワークセラピーと言う本ですね。
(田中さん)実践を積み重ねていく中で、自分の楽健法をこう磨かれて行くと言うか…
(宥厳先生)やっぱり僕はそれでね、アーユルヴェーダの事務局長をやったり、有害食品研究会の事務局長やったりして、色んな健康法の先生方と接して色んな事を見てきたのがやっぱり、底力になってこういうものが一気にかけたんだと思うんですね。

父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)

ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E7%88%B6%E6%AF%8D%E6%81%A9%E9%87%8D%E9%9B%A3%E5%A0%B1%E7%B5%8C

仏説「父母恩重経」全巻 http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/bumo_zen.html

まあ、実はこれのモデルにした短いお経があって、それが父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)っていうお経なんですね。ここでも以前に父母恩重経っていうお経を取り上げてやったことがありますけどね。これは、まあインターネットでも読めますからね、父母恩重経っていうお経ですね。このお経を思い浮かべて書いたんです。

父母恩重経のように書いてみてやろうと思ったんですね。それで父母恩重経というお経は父と母の恩というのはいかに深いものであるかと言うね、親孝行をしなさいよって言う教えを説いたお経なんですね。これは、あの今でもどこの店にでも売ってます、仏壇屋さんに行っても。父母恩重経。

「是の如く我聞けり」とか言うてね、「陣痛の嵐が吹き、身体の骨節(ほねぶし)がことごとく痛み、汗と油がともに流れて、その苦しみは堪えがたいものである。」それで苦しみながら子供を産んだんだ、とかね。親の恩がいかに深いかということを説いたお経なんですね。で、もし親が悪人だったということを子供が気がついたときには、その親を子供の力で親を変えてあげなさい、と。それで、父親が悪人だったり、ヤクザの男だったり、そんなことして人を騙したら行けないと言うようなことを、子供は口を酸っぱくして説く、言いなさい。しかし、それでも親が言うことを聞かなければ食べるのをやめよ、っていうようなことを書いてあるんですよ。お父さんが悪いことをやめてくれないなんだったら僕はもう食べないで死ぬっていって、もし断食に入ったとしたらね。そしたら、いかに悪人の親であると言えども、やっぱり子供の命に代えられないと思ってその悪事をやめるだろうというようなことまで書いてあるお経です。まあ、実際にこの父母恩重経をここで何度か講義したことあるんだけど、ひとつひとつ読んで行くとばかばかしくなってくるようなところがいっぱいあるね。

まあ、浪花節です。だけど、この父母恩重経はね、声を出して読まないって言うような人もおって、声を出して読むと涙が出て読めなくなるというようなお経でもあるんですね。まあ、あのそんなにハイレベルのお経じゃないですね。楽健法経の方がレベルが高いよ、ねえ。

まあ、だけどそういうお経があったので、ああいう風にして書いてやろうと思いついて、閃いて、途端に一気に万年筆で書いたわけです。

まあ、そんなお経がありますから、インターネットで一度調べてみたら読めますから。いっぺんこれを取り上げて講義してみてもいいけれどもね。

楽健法経の英訳がこの後ろに載っています。この英語がもうネパール語になってるかもしれない。あの寅吉君がネパール語にしていいですかって言うていましたから、まあ寅吉の、ネパールの語学力はいかほどなものかよく知らないけれども、まあ英語をネパール語に置き換えると言うのはそんな難しくないんだろうと思いますね。
ま、そんなようなことで、他に質問はございませんか。

あの、この本はビデオとDVDの中に入れてあるんですけど、あのDVDについては多分近い内に英語のなんか解説みたいなものを吹き込んで、それで焼くようにしようかなと思ってるんですけど。それをまあ、シュリシュリ・ラビシャンカールさんの方のアート・オブ・リビングで多分取り組むだろうと思います。ちょっとニーラさんにもそういう提案をしてあるんですね。そしたらヒンドゥー語と英語と日本語とでこう選べるようにして、マスター作ればね、またできますからね。そういうものを作りたいなと思っています。


他にないですか?恭子ちゃんはどうですか?わからないところ。わからないところなかった?パーフェクト?(笑)内田さんはどうですか。何か、意見は?
(内田さん)意見!?これを今日読んでやってると、やり方の簡単に書いてあるんだけど、踏みながら思ったことは、私、何か崇高なものをやってるな、というか感じ?このお経の通りにやってるなっていうのを感じると、何かすごいいいことやってんじゃないかなって言うか、あって、これ今日読んでからね、やったら。やる前はう~んとか思いながらやってたんですけど、あっ肩はそういうことだったかな、とか言う風に感じてやってました。

(宥厳先生)どうもありがとう。内田さんも看護師で専門家ですからね、色々、我々と違った見方をしたりされてるかなあと思ったんです。まあ、あのやる人によって、誰がやっても楽健法と言うのは子供がやってもそれなりのなんか光を放つんだろうし、上手下手なんていうことはそれはもうあるでしょうけれども、やっぱりこう人に何かこう助けたりとかやってあげたりとか気持ちさえあればね、そういうものがどんどん伝わっていくんじゃないですかね。

単に技術とか言うことだけでなくてね。だから、私が今まで教えてあげた、楽健法やってあげたりした人でも、例えば私がちょっと旅行に行くのでその留守の間ね、僕の代わりにあの人のとこに行ってやってくれって言って頼んだことがあるんですよ。僕の楽健法の教えた男の人で、ま、神経質な男の人なんですけどね。

で、彼は鍼灸師としては一応プロなんですね。それで、そこへ踏みに行くでしょ?そして、上手にもちろん踏むわけなんだけど、踏んであげても後で意見を聞くと、やってもらった人から。宥厳さんの楽健法は何とか治してあげようという気持ちが、やってる時に非常によくわかって、何とか救いたいと言う気持ちが伝わってくるんです。あの先生が来て代わりにやってくれたら、要するに時間の間だけ通り一遍やって帰られたって。

だから、やってもらった方は同じ楽健法でもやっぱり、だから45分くらいの間でなんぼかの値段でサッとやるっていう商売風の楽健法とやっぱりこの人はもう可哀想だわっと思ってね、ここがおかしいんじゃないか、とかって僕はだから片足だけでも30分も時間かけて踏んだりする、そういうやり方は普通プロはしないですからね。だから、1か所三回押さえたら終わり!とかね。そんなやり方しますから。やっぱり本当にそういう気持ちで接して行くとね、目に見えて変わってくるんじゃないかなと思うんですね。

それはなんかそういうエナジーが、エネルギーがやっぱり違うんだと言うことになりますね。だから、まあプロと言うのはそういう意味では要するに時間の枠の中で通り一遍のことしか普通しないので、やっぱり素人でないと駄目だ、と言うことが言えるかと思いますね。じゃ、今日はこれくらいにしておきましょうかね。質問があれば。どうぞ。

Trrrr….(電話で中断)

あのーちあきちゃんが写真を撮るっておっしゃってる。ところが今すぐ撮られるのが嫌だとかおっしゃる方も…おるんですか?ほんですぐに撮ってもいいですか?いや?やっぱり?

(西本さん)来た時に…私いつも
(宥厳先生)それじゃあ来月来た時はこってり厚化粧して(笑)。そうでないと普通の顔だったら今撮ってもいっしょでしょう?
(受講生)来た時?
(受講生)来た時にね!
(幸子先生)いやっ(笑)。
(受講生)帰りはもうボロボロ(笑)
(宥厳先生)帰りの方が満足顔になってるんじゃないの?
(幸子先生)そうや。
(西本さん)いやぁ、私こんなんなるもん、いつも。(猫アレルギーで)
(宥厳先生)ああ、わかった!来た時は食い過ぎて太ってるからやろう。
(琴美ちゃん)2枚撮ったら?
(幸子先生)使用前、使用後?(一同笑い)
(宥厳先生)じゃあ、来月にしますか?そんなん、3分もあったらみんな撮れるんだから。このまますわとってこっち側に、パーっと歩きながらパッパッパッと写して行ったら、ねえ、今から。
(受講生)え?
(受講生)え?
(受講生)え?

(宥厳先生)それで写真うつりの悪い人は来月また撮りなおす、と。写真を見て。
(幸子先生)使用前使用後にしたらいいやん。
(琴美ちゃん)来月にしたら?じゃ。
(宥厳先生)その方がよろしい?
(ちあき)はい。
(宥厳先生)じゃあ、もう来月。
(琴美ちゃん)だって皆さんの視線が痛いもん。
(幸子先生)来月、こってり。
(宥厳先生)皆さんも非常にドレスアップして、それを撮りましょうか。
(琴美ちゃん)みんな女性だったんだなぁって。ね!ね!
(宥厳先生)なかなか難しいね。(笑)。
(田中さん)来月、楽しみだわ。みんなどんな顔してくるのかしら(笑)
(受講生)何か忘れてそう(笑)
(幸子先生)変わってるかどうかやね。
(中島さん)誰かなって(笑)
(幸子先生)来月変わってるかな(笑)
(受講生)プチ整形したりして。
(受講生)鼻高くしたりして。
(田中さん)じゃあ、美容院に行ってああやってこうやって…
(幸子先生)美容院行ってどうすんの(笑)。病院?(一同爆笑)
(田中さん)楽健は病院いかないんです。
(中島さん)本人でなくなるだけ…。
(宥厳先生)じゃあもうこれでいいね。今日は恭子ちゃんも帰られるんやね。
(恭子ちゃん)はい、帰ります。お世話になりました。
(宥厳先生)いやあ、こちらこそ。家内がお世話になりました(笑)。宥厳さんはほったらかしにされました。(一同爆笑)。ありがとうございました。じゃあ、まあこれくらにしておきましょうね、今日は。ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

あとがき
今回は仏様のお話も聞けて、たくさん勉強になりました。色んな事を経験し、体解してニルヴァーナに到達したいと思いました。

残すところ、9期もあと2回。いっぱい吸収したいです。
それでは、またお会いしましょう。

マニスが天国に召されました

2010年02月03日 | 第9期楽健法セラピスト講座


1月26日 火曜日11時30分だったそうです。

20年も共に過ごした宥厳先生のお淋しさは、想像さえ
できません。

私たちセラピスト講座受講生も癒されました。
神秘的な魅力を持ったきれいな猫でした。

宥厳先生と幸子先生の愛情に包まれ生き抜きました。

いつも、東光寺の本堂で見守ってくれているように
感じます。

宥厳先生が愛猫マニスを偲んで詠まれた歌を紹介します。
長く深い歳月が…目に浮かぶようです。




1月26日に20年ともに暮らした愛猫が死んで、翌日に詠みました。
2月号「どうだん」短歌結社に送った歌です。
●は昨日30日の岡山の邑久町の宿で詠んだものです。


どうだん 二月号  山内宥厳」

狭い庫裡開け放った空間を駆け抜け駆け抜けみせる黒猫

黒い毛の長い尻尾の先までをこすりつけてはもの伝えたり

留守の間に孤独死させてはどうしよう思い思いてパンを焼くなり

痩せ落ちてまだ艶消えぬ毛を撫でてやるマニスの喉はごろごろと鳴る

小水を床に漏らして蹲るかろうじて歩む黒きかたまり

昨晩は朝までソの字に並んで寝たり背骨の突起撫でて哀しむ

二昔落葉の頃にやってきた黒きいのちが初春に散る

二分前顔持ち上げたぼくの目を見つめた瞳が光失う

見上げては花がつおをくれという甘えた声も耳朶のなかのみ

麩のごとく軽く固まる黒猫の亡骸抱いて庭を見せたり

●猫二匹たわむれ遊ぶ宿に来てマニスにまさる猫あらめやも