前泊組の昼食
おいしそう(#>U<#)
個人写真撮影
講義が始まる前に卒業アルバム用の個人写真を撮影しました。これは、美江さんの特別版。ゆっこ先生のお衣装をお借りして、千手観音様とツーショット
マニスとの思い出
どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。
このひと月の間にいろいろ動きがあって、皆さんご存じだろうと思いますけど、マニスが死んで…。26日の火曜日だったね。だいぶやせて来ていましたからね、最近。だから、まあ危ないな、とは思ってたんだけど。それで、23日のここの講習会の時にも、「マニスが死ぬかもしれない」とか言ってたんですけど。
それで、何か、まあ猫の話をしてもしょうがないと思うんだけど、20年もね…一緒に暮らしてきたので、いまもいろいろ思い出したりして。元気だったので医者に連れていったってことは…一度だけだったね。目がおかしくなった時。まだ若い時、10何年か前に連れて行ったことありました、目に膜ができて。それは、僕がマタタビを人からもらってマタタビを食わしてみたんです。猫にマタタビって言うじゃないですか、きっと喜ぶにちがいないと思って。それを食べさせたら目に膜が下りてきたことがあって、ビックリして、医者に連れて行ったことがあって、それ一回でしたね、医者に行ったのは。
後はあんまりストレスながかったせいだろうと思うんですけど、まあ元気でずっと。しかし、ここ数年前からちょっと耳が遠くなってきたりしてて。だんだんこう痩せてきたもんですから、考えてみましたら人間の年齢に換算すると1年が5年間分くらいに当たるみたいですからね。そしたらまあ、かれこれ100歳ですから。まああんなもんだろうと思いましたけどね。
よく僕は留守にするでしょう。その間に死んだら可哀そうだなと思ったりしてたんですけど。それで、この間、26日が火曜日でしたけど、その前の前の日曜日。日曜日の日にここで講習会があって台所の三和土(たたき)に水たまりができとったんですよ。たたきとは土間のことです。ちょうど下駄箱のあたり、トイレへ行くところの。それで、なんでこんなところに水がたまってんのやろって家内とも話してて。まあ、マニスの小便しか考えられないんだけど、こんなところにおしっこしたことないしな、と思っとったんですね。外へ出て行く元気がなくなって、かろうじてあそこまで下りてしたんですね。
それで、その晩、日曜日の晩。夜中にね、僕がおしっこしたくなって、パンの仕事に出かける日ですけどね。朝出かけて行かないかんのですけど、夜中にトイレに行こうと思って、上がりがまちのところへ来たら、ベチャッと踏んだんです。やっぱりおしっこ。水がたまってて、アッと思って。そいで、夜中にきれいに掃除して寝ました。マニスはいつもの定位置の場所に朝まで寝ていたようです。
さいきんは僕の横に、寝床に入ってきたがっても、入れてやって、ちょっと頭撫でてやったりして、しばらくゴロゴロいうててすぐ出て行くんです。何かこう布団にはまってるのが苦しかったのかも知れんですね。それで、向こうの自分の寝床へいって寝てたり、ぼくの布団の上に上がって重いのが足の間に寝ていることが多かったです。25日の夜に、パンが終わって帰ってきたとき、危ないかもしれんと思ってまず電気をつけてこう睨んだら冷蔵庫の前に水たまりができてたんで、ああ、やっぱりやってる、と思って。
そしたらマニスはちょうど水を飲む器を台所の座敷との境に置いてありますが、そこのとこにうずくまって元気なさそうにペタっとへたばって僕を迎えてくれました。それで、そのおしっこを掃除して、マニスは自分で動くことだろうとそのままほったらかしてあったんです。マニスは障子を自分でくぐり抜けてきますからね、障子を閉めてほっといたら、まあ何とか自分の場所に来て座っていましたね。僕の枕元を通っていつもアンカを置いてましたから、そこの上に座ってたんですけど、しばらくしたらよろついてもたもたしながら僕の横に来たもんだから布団に入れてやったんです。
そうしたら、喜んで喉を鳴らしてゴロゴロいうて、朝までその時は動かなかった。出て行かなかった。多分、もう出て行くだけの元気がなかったんでしょうね。力がなくなって。でも、まあ最後の晩、一晩僕の横に寝てましたからね。ソの字になって(笑)。よく川の字って言うんだけどリの字かソの字か(笑)。まあ、ソでもリでもいいんだけど。ま、そんな感じで朝まで寝てました。
それで、僕が火曜日の朝ですから7時くらいに起きて、あんまり早いのもまだ体の疲れが取れてないので。しかし、マニスがオシッコしたら、布団の上でされたらかなわんなと思って、それでさっと起きて隣の部屋のストーブの前に座布団を置いて、その上に寝かしてやったんですよ。そしたら、前足を伸ばしたりして座布団から顔をはみ出すような動きはするんだけど立って歩こうとはしないのね。そんな感じで、それで気がついたら8時ごろに何かこうにじり寄るもんだから、ひょっと見たら座布団の上におしっこしてた。それが三回目の失敗やね。4回目か。1回、2回、3回、4回…4回目ですね。4回まあ、おしっこを。
それで、座布団を汚されたらかなわんしと思って、座布団を取り替えて、それでタオルを敷いてやって、頭のところとお尻の所に。それでも、まだ危ない気がしたんで、それで妹が手伝いに来たもんだから、妹が9時半くらいに来たのかな?それで、座布団にビニールのごみの袋をかぶせて、その上に新聞を敷いてそこに寝かそう、てなことで、用意したんです。その頃に、2,3枚写真を撮ってみたんですね。まだ生きてる時の写真です。それから、一人僕に楽健法をしてほしいという人が来ておって、その人に楽健法やってあげて、それで、ちょうど終わったのが11時半近い時間で、それで終わったので、終わってからすぐにマニスの所に行って顔を持ちあげてみたんですよ。そしたら、右を下にして寝てましたから、右の頬のところがぺコーンとへっこんでいてね、何か顔が三角になった感じ。ああ、えらいことになるもんだな、と見とったんです。その時、マニスはちゃんと僕の顔を見て認識してるってわかったんです。
それから、楽健法をしてあげた人が帰るっていうから、廊下のところまで送って行って挨拶して送り出して帰ってきたら、そしたらもう様子が変わっていて。息を引き取った直後だった。だから、息が止まる瞬間を僕は見なかったんです。でも数分前とまるで様子がちがっていて、とても残酷なことが起きた気がしました。思わず抱き上げて黄濁した目を見ながら「マニスが死んだよ」と大きな声で叫びました。
まあ、そんなことがあって。それで、僕のいつも着てるTシャツにくるんでやって、その上を和紙で包んでやって、それで、庭に穴を掘って墓地をこしらえて、ちょうど庫裏から見える場所に、マニス・ノアールってちっちゃな護摩札に名前を書いて立てて、花を生けてありますから、また後で見てください。そこに、葬ってやったんです。
20年間も一緒におったから、死なれるとさすがに辛くて、ちょうど短歌の原稿の締め切りでもあったので、その翌日にこの歌を作ったんです。これはまあ誰に送ろうとか知らそうとか言うことではなかったんですけど、まあ、こういう葉書仕立てで作ってみました、こうやって。
拝啓 お元気にてお過ごしのことと拝察いたします。昨日二月十一日に幡井勉先生がお亡くなりになり、一九七六年来のお付き合いでしたが、日本アーユルヴェーダ学会の牙城が崩壊した思いです。東光寺では二十年に亘る年月を共に過ごしてきましたマニスが老衰で死にました。庭に埋葬して花をそなえ、毎日線香をあげています。死んでから、得難い分身であったように思われます。二十六日に死んで、翌日に歌を詠みました。●印は一月三十日に楽健法の講習会で泊まった岡山の宿に数匹いた猫の戯れるのをみて詠んだものです。先週から東光寺の畳を入れ替えたりして、気分転換を図っています。合掌
ま、こんなことを書いています。そいで、「どうだん」ってとこに送った歌ですね。若い元気なころの姿なんかを思い出しながらちょっと書いてみたんです。
狭い庫裡開け放った空間を駆け抜け駆け抜けみせる黒猫
何か座敷開けとったら勢いよくあっち走ってこっち走ってってすごい勢いで走ってましたので、ま、こんなことを思い出して書いてみたんです。
「黒い毛の長い尻尾の先までをこすりつけてはもの伝えたり」
ま、猫ってこう足にシャーっと全身をこう撫でつけて。接触が大事なんですね。猫って言うのはだからタッチトリートメント…タッチするのが非常に好きなんで、尻尾の先ちょっと触ってるだけでも納得するんですよ。だから、猫と一緒に寝てて、一緒に並んで寝てるとするでしょ?それで、くるっと反対に背中向けたらパッと出て行きます、猫は。あ、私を無視したって思うんでしょうね。まあ、そんな感じで、こすりつけてはもの伝えたり。
「留守の間に孤独死させてはどうしよう思い思いてパンを焼くなり」
「痩せ落ちてまだ艶消えぬ毛を撫でてやるマニスの喉はごろごろと鳴る」
ちょっと僕まだ風邪気味なんで変な声ですけどね。
「小水を床に漏らして蹲るかろうじて歩む黒きかたまり」
もう何か猫というより塊に見えたんですね。どてっと蹲る黒いかたまりね。
「昨晩は朝までソの字に並んで寝たり背骨の突起撫でて哀しむ」
「二昔落葉の頃にやってきた黒きいのちが初春に散る」
「二分前顔持ち上げたぼくの目を見つめた瞳が光失う」
「見上げては花がつおをくれという甘えた声も耳朶のなかのみ」
「麩のごとく軽く固まる黒猫の亡骸抱いて庭を見せたり」
固まった太い麩のような感じ、感触はふわっと軽く。目方なんか感じないんです。ふわっとした感じで、まあこんなに軽くなるんかな。息が止まった瞬間にふわっと小さくなりますね。三分の一くらい減るような感じがします。目分量で。そんな感じです。それでこんな風に読んでみたんです。それから、30日に岡山で講習会を頼まれて、20人ばかりの人に講習会をやったんですけど、そこに猫が5匹くらいいて、その内の若い2匹が目の前で、キジ猫、三本こう黄色いトラみたいな模様のキジ猫が2匹戯れてたんですよ。それを見ながら書いたんです。これは「どうだん」には送ってませんけど。
●猫二匹たわむれ遊ぶ宿に来てマニスにまさる猫あらめやも
まあ、こんな歌を書きました。
…たかが猫というような感覚では、本当は猫が死ぬということは、命がなくなるということは、例えばジョン・ダンっていう人の詩の話を私はよくしますけれども、ジョン・ダンっていうイギリスの昔の哲学的な詩を書く詩人がいるんですけど、この人の書いた詩がアメリカの有名な作家の小説のタイトルになってて、それが「誰がために鐘は鳴る」っていう、そういう小説知ってるでしょ。「誰(た)がために…」、誰(た)がためにってわかる?だれがために…誰がために鐘は鳴る、これはヘミング・ウェイの長編小説ですね。これの、「誰がために鐘は鳴る」というタイトルとなった言葉は、イギリスのジョン・ダンっていう詩人の詩なんですね。で、この詩はどういう詩かと言うと村で教会の鐘が時ならぬ時に鳴るわけですね。それで、キンコンカーンっと鐘が鳴ったら、村の誰かが死んだよ、という知らせなんです。そうすると、村に長年暮らしてきたおじいちゃんなんかが孫の顔を見てね、誰が死んだのか聞いておいでと言って聞きに行かすじゃないですか。だけど、そういう聞きに行くことはしなくていいっていう詩なんです。「問うことはやめよ」って言う風に言うんですね。「誰がために鐘は鳴るかと」。誰が死んだから鐘が鳴っているのか聞きに行かなくてもいいよ。誰かが死ぬということはお前が死ぬということなんだ。なぜなら人はみんな助け合って生きているんだから、というようなそういう意味の詩ですね。
(宥厳先生)ジョン・ダンなんか読んだことありますか?
(ちあき)ないです…。
(宥厳先生)読んだことない?一度読んでみてください。僕、原書持ってると思いますけどね。まあ、僕は英詩を読んだってあんまりようわからないけど、ときどき英語の詩を読んでわけのわからない感動がガーっと来るときがあります。
ジョン・ダンもそういう詩人の一人ですね。
まあ、そういう意味で命というのは真言密教の考え方がまずそうなんですね。そこに描かれている曼陀羅もそうなんですけど、真ん中に描かれてるのが、右側のど真ん中に描かれてるのが大日如来で、象徴として考えたら大日如来というのは、名前が大日如来ですから、大日というのはつまり太陽のことなんですね。世の中に太陽がもし消えたらね、もうこの惑星の命なんて一瞬にしてみんななくなるわけですから、つまり命の一番根源になっているのは大日如来、太陽だ、という風に解釈していいわけですね。それで、そういう大日如来が、太陽がそういう命の根源みたいなもの、光を送ってくれてそれで命が存在しうるわけですから、だから密教の考え方としては命というものは全部大日如来が化身した、大日如来が化身してここにおる、という風に考えられるわけです。
だから、人間も一人一人がみんな大日如来そのものなんですね。そういう考え方なんです。だから、ここは千手観音さんでこういう形をしていますけど、これも大日如来のお姿を千手如来、たくさん千手千眼で手を千本も持ってそれでみんなの役にどんどん立ちたいから、ま、千本の手を持ってこうやって働こうとする姿を表してるんだけども、それはやはり大日如来がこういう形に、姿を変えて現れている。だから。お不動さんもその他のあらゆる仏さんも全部大日如来の命の表れなんだという考えなんですよ。だから、一木一草、草も木もそれから、猫もゴキブリもね、人間も全部大日如来の命を生きてるわけですね。ま、そういう考え方なんですね。そういう意味から言うとね、こうやってよその猫は猫じゃないよ。マニスに限るよ、というような詩を書くのは平等ではないかもしれませんけどね、まあ、しかし、そら子猫の可愛いの見てたら、可愛いなと思うけど、やっぱりマニスにまさる猫あらめやも、と言いたくなるというのが、やっぱり人情、一種の親近感でしょうね。
だから、そういう人情を人間が持ってるということが、時には何かの妨げになることがあるかもしれない、人情というのは身びいきというのもありますしね。だから、身内をかばうとか言うのは、必要以上に身内をかばって悪いことしても身内のことだったらこうかばう。だから、身内が悪いことをしたら、そんなものはたとえ身内であっても容赦しないでちゃんとこう摘発するというね、そういう正義感の人もいるかもしれないけれども、なかなかそういう人はいないもんですね。今日の新聞見てましたら、鳩山一郎さんの弟の鳩山…なんちゅうんやった?自民党の…
(受講生)邦夫。
(宥厳先生)そうそう、邦夫!鳩山邦夫は鳩山一郎がお金を親からもらったの全然知らなかったなんてことはないっていうことを証言したということ。国会で!言うてますよ、今。叩かれてます。何とか言う人が今、鳩山一郎さんに邦夫さんはこう言うてるじゃないですか。自分の民主党の人たちにお金をやらなあかんのでお金がなくて困ってるからお母さんよこせって何度も言ってるって、言うとるわけですよ。そしたら、そんなことこれっぽっちも知らなかったと、ね。もしそんなこと知っててやったんだったらバッチをつける資格はないって本人は国会で内閣総理大臣になって言ってるわけですから。まあ、兄弟げんかはそうやって、兄弟だからかばうか、兄弟でも許せないものは許せないとするかですか、まあそういうことがあります。
人間というのは非常に得手勝手なものですけどね。まあ、しかし、僕はマニスが死ぬ直前の姿と死んだ直後の変わりようをみて、すごい感じを受けましたね。あるということとないということとの落差です。僕らが死ぬ時もそうなるんですけどね。直接誰か身近に身内の人が死ぬの見とった人いますか?この中で。
死ぬっていうのはすごいことですよね。息が止まっちゃうって言うのは。まあ、そういう意味でちょっと正月早々マニスが死んだので打撃ですが、心の中ではどこかマニスがおるということが負担でもあったんです、僕には大変な。それはね。旅行にもいかなあかんし、それでほっとくのは可哀そうだ。かというて連れて歩くわけにもいかないし、というのもあって、まあそれで元気な間は東京へ行って帰ってくるとストレスで畳がカーッと傷だらけになって、ふすまもカーッと破って(笑)。
つきまとわるのでうるさいからと思って、ふすまを閉めて向こう側においといたら廊下から回ってきて障子をぼーんと突き破って入ってきて(笑)というようなことで、まあしかし、マニスがああやってやってくれておったおかげでね、今畳変えたり、リフレッシュしてまあ少し気分一新することもできたわけです。
「在りし日のマニス」
それで、先週の火曜日にペテロ神父さんが東京からわざわざマニスが死んだって言うので僕の激励に来てくれました。宥厳さんがひしゃげてるんじゃないかと思って来てくれたんですけど、それで、水曜日に高峰さんっていって毎週来られてるご婦人と三人でマニスの墓の前で般若心経をあげたんです。そしたら、般若心経あげて家に入った途端に、僕がいつも座ってる部屋の隣に2畳ほどの狭い書庫があるんですけど、普段そんな開けもしないようなところを開けたら中からウグイスがバーっと飛んで出たんです。それで、なんでこんなところにウグイスがおるんだろうと思ったら、座敷に出てきて端から端まで、奥のパソコン部屋まで行ってまた出口がないもんだから、またこう三回くらい家の中を飛び回って、ここに書いている「駆け抜け駆け抜けみせる黒猫」ですね、そういうのをウグイスがやってくれて、それでまあウグイスも慌てながら、ときどき止まるでしょ?止まった時どう見てもメジロじゃなくてウグイスなんですよ。家にスズメが入ってくるということはたまにあるんですけど、ウグイスが家に入ってきて飛び回るというのはまあ普通考えられないようなことで、これはマニスの霊がウグイスに乗って、喜んでるよっ!って、こう見せてるんだなって言う気がしましたね。ま、そんなことがありました。
まあ、何でもかんでもマニスにくっつけて拡大解釈しとったらいけませんけど、まあ、そんなことです。どうも本当にいろいろありがとうございました。マニスも可愛がっていただいたので、ここで藤山さんに背中を撫でられてる写真がホームページ載ってたでしょ。
おいしそう(#>U<#)
個人写真撮影
講義が始まる前に卒業アルバム用の個人写真を撮影しました。これは、美江さんの特別版。ゆっこ先生のお衣装をお借りして、千手観音様とツーショット
マニスとの思い出
どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。
このひと月の間にいろいろ動きがあって、皆さんご存じだろうと思いますけど、マニスが死んで…。26日の火曜日だったね。だいぶやせて来ていましたからね、最近。だから、まあ危ないな、とは思ってたんだけど。それで、23日のここの講習会の時にも、「マニスが死ぬかもしれない」とか言ってたんですけど。
それで、何か、まあ猫の話をしてもしょうがないと思うんだけど、20年もね…一緒に暮らしてきたので、いまもいろいろ思い出したりして。元気だったので医者に連れていったってことは…一度だけだったね。目がおかしくなった時。まだ若い時、10何年か前に連れて行ったことありました、目に膜ができて。それは、僕がマタタビを人からもらってマタタビを食わしてみたんです。猫にマタタビって言うじゃないですか、きっと喜ぶにちがいないと思って。それを食べさせたら目に膜が下りてきたことがあって、ビックリして、医者に連れて行ったことがあって、それ一回でしたね、医者に行ったのは。
後はあんまりストレスながかったせいだろうと思うんですけど、まあ元気でずっと。しかし、ここ数年前からちょっと耳が遠くなってきたりしてて。だんだんこう痩せてきたもんですから、考えてみましたら人間の年齢に換算すると1年が5年間分くらいに当たるみたいですからね。そしたらまあ、かれこれ100歳ですから。まああんなもんだろうと思いましたけどね。
よく僕は留守にするでしょう。その間に死んだら可哀そうだなと思ったりしてたんですけど。それで、この間、26日が火曜日でしたけど、その前の前の日曜日。日曜日の日にここで講習会があって台所の三和土(たたき)に水たまりができとったんですよ。たたきとは土間のことです。ちょうど下駄箱のあたり、トイレへ行くところの。それで、なんでこんなところに水がたまってんのやろって家内とも話してて。まあ、マニスの小便しか考えられないんだけど、こんなところにおしっこしたことないしな、と思っとったんですね。外へ出て行く元気がなくなって、かろうじてあそこまで下りてしたんですね。
それで、その晩、日曜日の晩。夜中にね、僕がおしっこしたくなって、パンの仕事に出かける日ですけどね。朝出かけて行かないかんのですけど、夜中にトイレに行こうと思って、上がりがまちのところへ来たら、ベチャッと踏んだんです。やっぱりおしっこ。水がたまってて、アッと思って。そいで、夜中にきれいに掃除して寝ました。マニスはいつもの定位置の場所に朝まで寝ていたようです。
さいきんは僕の横に、寝床に入ってきたがっても、入れてやって、ちょっと頭撫でてやったりして、しばらくゴロゴロいうててすぐ出て行くんです。何かこう布団にはまってるのが苦しかったのかも知れんですね。それで、向こうの自分の寝床へいって寝てたり、ぼくの布団の上に上がって重いのが足の間に寝ていることが多かったです。25日の夜に、パンが終わって帰ってきたとき、危ないかもしれんと思ってまず電気をつけてこう睨んだら冷蔵庫の前に水たまりができてたんで、ああ、やっぱりやってる、と思って。
そしたらマニスはちょうど水を飲む器を台所の座敷との境に置いてありますが、そこのとこにうずくまって元気なさそうにペタっとへたばって僕を迎えてくれました。それで、そのおしっこを掃除して、マニスは自分で動くことだろうとそのままほったらかしてあったんです。マニスは障子を自分でくぐり抜けてきますからね、障子を閉めてほっといたら、まあ何とか自分の場所に来て座っていましたね。僕の枕元を通っていつもアンカを置いてましたから、そこの上に座ってたんですけど、しばらくしたらよろついてもたもたしながら僕の横に来たもんだから布団に入れてやったんです。
そうしたら、喜んで喉を鳴らしてゴロゴロいうて、朝までその時は動かなかった。出て行かなかった。多分、もう出て行くだけの元気がなかったんでしょうね。力がなくなって。でも、まあ最後の晩、一晩僕の横に寝てましたからね。ソの字になって(笑)。よく川の字って言うんだけどリの字かソの字か(笑)。まあ、ソでもリでもいいんだけど。ま、そんな感じで朝まで寝てました。
それで、僕が火曜日の朝ですから7時くらいに起きて、あんまり早いのもまだ体の疲れが取れてないので。しかし、マニスがオシッコしたら、布団の上でされたらかなわんなと思って、それでさっと起きて隣の部屋のストーブの前に座布団を置いて、その上に寝かしてやったんですよ。そしたら、前足を伸ばしたりして座布団から顔をはみ出すような動きはするんだけど立って歩こうとはしないのね。そんな感じで、それで気がついたら8時ごろに何かこうにじり寄るもんだから、ひょっと見たら座布団の上におしっこしてた。それが三回目の失敗やね。4回目か。1回、2回、3回、4回…4回目ですね。4回まあ、おしっこを。
それで、座布団を汚されたらかなわんしと思って、座布団を取り替えて、それでタオルを敷いてやって、頭のところとお尻の所に。それでも、まだ危ない気がしたんで、それで妹が手伝いに来たもんだから、妹が9時半くらいに来たのかな?それで、座布団にビニールのごみの袋をかぶせて、その上に新聞を敷いてそこに寝かそう、てなことで、用意したんです。その頃に、2,3枚写真を撮ってみたんですね。まだ生きてる時の写真です。それから、一人僕に楽健法をしてほしいという人が来ておって、その人に楽健法やってあげて、それで、ちょうど終わったのが11時半近い時間で、それで終わったので、終わってからすぐにマニスの所に行って顔を持ちあげてみたんですよ。そしたら、右を下にして寝てましたから、右の頬のところがぺコーンとへっこんでいてね、何か顔が三角になった感じ。ああ、えらいことになるもんだな、と見とったんです。その時、マニスはちゃんと僕の顔を見て認識してるってわかったんです。
それから、楽健法をしてあげた人が帰るっていうから、廊下のところまで送って行って挨拶して送り出して帰ってきたら、そしたらもう様子が変わっていて。息を引き取った直後だった。だから、息が止まる瞬間を僕は見なかったんです。でも数分前とまるで様子がちがっていて、とても残酷なことが起きた気がしました。思わず抱き上げて黄濁した目を見ながら「マニスが死んだよ」と大きな声で叫びました。
まあ、そんなことがあって。それで、僕のいつも着てるTシャツにくるんでやって、その上を和紙で包んでやって、それで、庭に穴を掘って墓地をこしらえて、ちょうど庫裏から見える場所に、マニス・ノアールってちっちゃな護摩札に名前を書いて立てて、花を生けてありますから、また後で見てください。そこに、葬ってやったんです。
20年間も一緒におったから、死なれるとさすがに辛くて、ちょうど短歌の原稿の締め切りでもあったので、その翌日にこの歌を作ったんです。これはまあ誰に送ろうとか知らそうとか言うことではなかったんですけど、まあ、こういう葉書仕立てで作ってみました、こうやって。
拝啓 お元気にてお過ごしのことと拝察いたします。昨日二月十一日に幡井勉先生がお亡くなりになり、一九七六年来のお付き合いでしたが、日本アーユルヴェーダ学会の牙城が崩壊した思いです。東光寺では二十年に亘る年月を共に過ごしてきましたマニスが老衰で死にました。庭に埋葬して花をそなえ、毎日線香をあげています。死んでから、得難い分身であったように思われます。二十六日に死んで、翌日に歌を詠みました。●印は一月三十日に楽健法の講習会で泊まった岡山の宿に数匹いた猫の戯れるのをみて詠んだものです。先週から東光寺の畳を入れ替えたりして、気分転換を図っています。合掌
ま、こんなことを書いています。そいで、「どうだん」ってとこに送った歌ですね。若い元気なころの姿なんかを思い出しながらちょっと書いてみたんです。
狭い庫裡開け放った空間を駆け抜け駆け抜けみせる黒猫
何か座敷開けとったら勢いよくあっち走ってこっち走ってってすごい勢いで走ってましたので、ま、こんなことを思い出して書いてみたんです。
「黒い毛の長い尻尾の先までをこすりつけてはもの伝えたり」
ま、猫ってこう足にシャーっと全身をこう撫でつけて。接触が大事なんですね。猫って言うのはだからタッチトリートメント…タッチするのが非常に好きなんで、尻尾の先ちょっと触ってるだけでも納得するんですよ。だから、猫と一緒に寝てて、一緒に並んで寝てるとするでしょ?それで、くるっと反対に背中向けたらパッと出て行きます、猫は。あ、私を無視したって思うんでしょうね。まあ、そんな感じで、こすりつけてはもの伝えたり。
「留守の間に孤独死させてはどうしよう思い思いてパンを焼くなり」
「痩せ落ちてまだ艶消えぬ毛を撫でてやるマニスの喉はごろごろと鳴る」
ちょっと僕まだ風邪気味なんで変な声ですけどね。
「小水を床に漏らして蹲るかろうじて歩む黒きかたまり」
もう何か猫というより塊に見えたんですね。どてっと蹲る黒いかたまりね。
「昨晩は朝までソの字に並んで寝たり背骨の突起撫でて哀しむ」
「二昔落葉の頃にやってきた黒きいのちが初春に散る」
「二分前顔持ち上げたぼくの目を見つめた瞳が光失う」
「見上げては花がつおをくれという甘えた声も耳朶のなかのみ」
「麩のごとく軽く固まる黒猫の亡骸抱いて庭を見せたり」
固まった太い麩のような感じ、感触はふわっと軽く。目方なんか感じないんです。ふわっとした感じで、まあこんなに軽くなるんかな。息が止まった瞬間にふわっと小さくなりますね。三分の一くらい減るような感じがします。目分量で。そんな感じです。それでこんな風に読んでみたんです。それから、30日に岡山で講習会を頼まれて、20人ばかりの人に講習会をやったんですけど、そこに猫が5匹くらいいて、その内の若い2匹が目の前で、キジ猫、三本こう黄色いトラみたいな模様のキジ猫が2匹戯れてたんですよ。それを見ながら書いたんです。これは「どうだん」には送ってませんけど。
●猫二匹たわむれ遊ぶ宿に来てマニスにまさる猫あらめやも
まあ、こんな歌を書きました。
…たかが猫というような感覚では、本当は猫が死ぬということは、命がなくなるということは、例えばジョン・ダンっていう人の詩の話を私はよくしますけれども、ジョン・ダンっていうイギリスの昔の哲学的な詩を書く詩人がいるんですけど、この人の書いた詩がアメリカの有名な作家の小説のタイトルになってて、それが「誰がために鐘は鳴る」っていう、そういう小説知ってるでしょ。「誰(た)がために…」、誰(た)がためにってわかる?だれがために…誰がために鐘は鳴る、これはヘミング・ウェイの長編小説ですね。これの、「誰がために鐘は鳴る」というタイトルとなった言葉は、イギリスのジョン・ダンっていう詩人の詩なんですね。で、この詩はどういう詩かと言うと村で教会の鐘が時ならぬ時に鳴るわけですね。それで、キンコンカーンっと鐘が鳴ったら、村の誰かが死んだよ、という知らせなんです。そうすると、村に長年暮らしてきたおじいちゃんなんかが孫の顔を見てね、誰が死んだのか聞いておいでと言って聞きに行かすじゃないですか。だけど、そういう聞きに行くことはしなくていいっていう詩なんです。「問うことはやめよ」って言う風に言うんですね。「誰がために鐘は鳴るかと」。誰が死んだから鐘が鳴っているのか聞きに行かなくてもいいよ。誰かが死ぬということはお前が死ぬということなんだ。なぜなら人はみんな助け合って生きているんだから、というようなそういう意味の詩ですね。
(宥厳先生)ジョン・ダンなんか読んだことありますか?
(ちあき)ないです…。
(宥厳先生)読んだことない?一度読んでみてください。僕、原書持ってると思いますけどね。まあ、僕は英詩を読んだってあんまりようわからないけど、ときどき英語の詩を読んでわけのわからない感動がガーっと来るときがあります。
ジョン・ダンもそういう詩人の一人ですね。
まあ、そういう意味で命というのは真言密教の考え方がまずそうなんですね。そこに描かれている曼陀羅もそうなんですけど、真ん中に描かれてるのが、右側のど真ん中に描かれてるのが大日如来で、象徴として考えたら大日如来というのは、名前が大日如来ですから、大日というのはつまり太陽のことなんですね。世の中に太陽がもし消えたらね、もうこの惑星の命なんて一瞬にしてみんななくなるわけですから、つまり命の一番根源になっているのは大日如来、太陽だ、という風に解釈していいわけですね。それで、そういう大日如来が、太陽がそういう命の根源みたいなもの、光を送ってくれてそれで命が存在しうるわけですから、だから密教の考え方としては命というものは全部大日如来が化身した、大日如来が化身してここにおる、という風に考えられるわけです。
だから、人間も一人一人がみんな大日如来そのものなんですね。そういう考え方なんです。だから、ここは千手観音さんでこういう形をしていますけど、これも大日如来のお姿を千手如来、たくさん千手千眼で手を千本も持ってそれでみんなの役にどんどん立ちたいから、ま、千本の手を持ってこうやって働こうとする姿を表してるんだけども、それはやはり大日如来がこういう形に、姿を変えて現れている。だから。お不動さんもその他のあらゆる仏さんも全部大日如来の命の表れなんだという考えなんですよ。だから、一木一草、草も木もそれから、猫もゴキブリもね、人間も全部大日如来の命を生きてるわけですね。ま、そういう考え方なんですね。そういう意味から言うとね、こうやってよその猫は猫じゃないよ。マニスに限るよ、というような詩を書くのは平等ではないかもしれませんけどね、まあ、しかし、そら子猫の可愛いの見てたら、可愛いなと思うけど、やっぱりマニスにまさる猫あらめやも、と言いたくなるというのが、やっぱり人情、一種の親近感でしょうね。
だから、そういう人情を人間が持ってるということが、時には何かの妨げになることがあるかもしれない、人情というのは身びいきというのもありますしね。だから、身内をかばうとか言うのは、必要以上に身内をかばって悪いことしても身内のことだったらこうかばう。だから、身内が悪いことをしたら、そんなものはたとえ身内であっても容赦しないでちゃんとこう摘発するというね、そういう正義感の人もいるかもしれないけれども、なかなかそういう人はいないもんですね。今日の新聞見てましたら、鳩山一郎さんの弟の鳩山…なんちゅうんやった?自民党の…
(受講生)邦夫。
(宥厳先生)そうそう、邦夫!鳩山邦夫は鳩山一郎がお金を親からもらったの全然知らなかったなんてことはないっていうことを証言したということ。国会で!言うてますよ、今。叩かれてます。何とか言う人が今、鳩山一郎さんに邦夫さんはこう言うてるじゃないですか。自分の民主党の人たちにお金をやらなあかんのでお金がなくて困ってるからお母さんよこせって何度も言ってるって、言うとるわけですよ。そしたら、そんなことこれっぽっちも知らなかったと、ね。もしそんなこと知っててやったんだったらバッチをつける資格はないって本人は国会で内閣総理大臣になって言ってるわけですから。まあ、兄弟げんかはそうやって、兄弟だからかばうか、兄弟でも許せないものは許せないとするかですか、まあそういうことがあります。
人間というのは非常に得手勝手なものですけどね。まあ、しかし、僕はマニスが死ぬ直前の姿と死んだ直後の変わりようをみて、すごい感じを受けましたね。あるということとないということとの落差です。僕らが死ぬ時もそうなるんですけどね。直接誰か身近に身内の人が死ぬの見とった人いますか?この中で。
死ぬっていうのはすごいことですよね。息が止まっちゃうって言うのは。まあ、そういう意味でちょっと正月早々マニスが死んだので打撃ですが、心の中ではどこかマニスがおるということが負担でもあったんです、僕には大変な。それはね。旅行にもいかなあかんし、それでほっとくのは可哀そうだ。かというて連れて歩くわけにもいかないし、というのもあって、まあそれで元気な間は東京へ行って帰ってくるとストレスで畳がカーッと傷だらけになって、ふすまもカーッと破って(笑)。
つきまとわるのでうるさいからと思って、ふすまを閉めて向こう側においといたら廊下から回ってきて障子をぼーんと突き破って入ってきて(笑)というようなことで、まあしかし、マニスがああやってやってくれておったおかげでね、今畳変えたり、リフレッシュしてまあ少し気分一新することもできたわけです。
「在りし日のマニス」
それで、先週の火曜日にペテロ神父さんが東京からわざわざマニスが死んだって言うので僕の激励に来てくれました。宥厳さんがひしゃげてるんじゃないかと思って来てくれたんですけど、それで、水曜日に高峰さんっていって毎週来られてるご婦人と三人でマニスの墓の前で般若心経をあげたんです。そしたら、般若心経あげて家に入った途端に、僕がいつも座ってる部屋の隣に2畳ほどの狭い書庫があるんですけど、普段そんな開けもしないようなところを開けたら中からウグイスがバーっと飛んで出たんです。それで、なんでこんなところにウグイスがおるんだろうと思ったら、座敷に出てきて端から端まで、奥のパソコン部屋まで行ってまた出口がないもんだから、またこう三回くらい家の中を飛び回って、ここに書いている「駆け抜け駆け抜けみせる黒猫」ですね、そういうのをウグイスがやってくれて、それでまあウグイスも慌てながら、ときどき止まるでしょ?止まった時どう見てもメジロじゃなくてウグイスなんですよ。家にスズメが入ってくるということはたまにあるんですけど、ウグイスが家に入ってきて飛び回るというのはまあ普通考えられないようなことで、これはマニスの霊がウグイスに乗って、喜んでるよっ!って、こう見せてるんだなって言う気がしましたね。ま、そんなことがありました。
まあ、何でもかんでもマニスにくっつけて拡大解釈しとったらいけませんけど、まあ、そんなことです。どうも本当にいろいろありがとうございました。マニスも可愛がっていただいたので、ここで藤山さんに背中を撫でられてる写真がホームページ載ってたでしょ。