楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第6回9月12日(1日目)その1

2009年09月19日 | 第9期楽健法セラピスト講座
 夜の舞台に備えて、すぐ楽健法を始めました。

楽健法(17)



 二人がかりで攻める…いや、癒す!?


居残り楽健~

懇親会の準備
 ベーグル作ります!


 おいしい炊き込みご飯でおにぎりを作ります!

東光寺奉納芸能の夕べ インド舞踊と独白劇

 9月の合宿は、5月の柳田紀美子さんのインド舞踊の催しに続いて、インド舞踊のマドゥ・プリヤさんと、宥厳先生の独白劇「がらんどうは歌う」の奉納公演が開催されました。マドゥ・プリヤさんの公演は今回で8年目になります。今回の合宿は前泊されて、舞台作りを手伝ったのが、近藤琴美、小林恭子、西澤真由美、田中勝子、中島光弘さん、ピアノの中村裕子さんも前泊されて、前夜祭ならぬ本番同様のリハーサルになったとか。
今回の舞台照明は中島光弘さんが、担当してくれました。


 いよいよ開幕 
 はじめに幸子先生のご挨拶がありました。



 (幸子先生)どうもこんばんは。本日はようこそいらっしゃいました。
今日は素敵なマドゥ・プリヤさんのインド舞踊と、中村裕子さんのピアノ演奏による山内宥厳の一人芝居をごらんいただきます。今日はどういう形になるかわかりませんけど、楽しみにしてご覧くださいませ。帰りにはたくさんご馳走を用意してございますので道場でごゆっくりと楽しみくださいますように。
(拍手)

インド舞踊(1)malari&ganesha sloka


 みなさん、こんばんは。バラタ ナティヤム(Bharata Natyam)ダンサーのマドゥ・プリヤです。今年もここ東光寺でバラタ ナティヤムを奉納することができ、とても光栄に思っています。今回はおめでたく華やかな舞を3曲ご用意してきました。楽しんでいただけたらと思います。


 では、初めてご覧になる方のために、この踊りの説明を簡単にさせていただきたいと思います。この踊り、「バラタ ナティヤム」は南インドのチェンナイ、以前はマドラスと呼ばれていた都市を中心とするタミルナドウ州に伝わる伝統的な寺院古典舞踊です。この踊りの起源は、約二千年以上も前にさかのぼります。もともとはヒンドゥー教の寺院で巫女たちが伝承してきた踊りを近代の舞台芸能としてより新たに発展させたものです。そのためヒンドゥー教の神々への讃美が主な内容となっています。




 では、まず一番初めの曲、「マラーリ ガネーシャ スローカ」をご紹介します。インドではお祭りの際、だしやおみこしが出てお寺の周りをゆっくりと回りだします。そして、その速度がどんどん増し、最後はすごい速さでお寺の中に突入していきます。その時の曲を用いたものなので一番初めはゆっくりで徐々に早くなっていくという構成です。とてもしなやかで優美な振り付けが美しい曲です。そして、この曲の最後には、象の頭をしたガネーシャ神を讃える詩がつづられています。大きな耳と象の鼻をしたガネーシャ神。彼は私たちの苦しみや悲しみをあっという間に振り払い、私たちの障害物を取り除いて恩恵を与えてくれると伝えられています。また、物事の始まりを司り、祝福をもたらすのでよく入口に置かれているのを目にすることができます。また、彼はあらゆる鬼や悪魔、それらを一つに取りまとめる一族の長でもあります。この鬼や悪魔たちと言うのは、私たちのさまざまな悪徳や欲や怒りのシンボルとされています。つまりガネーシャはそのような私たちのあらゆるエゴ。怒りや悪徳や欲などをおさえてくれる、コントロールしてくれる強力な神様でもあるということです。パールヴァティ女神の最愛の息子でもあるガネーシャ神に私は心からご挨拶いたします。このような内容になっています。ではこのお寺のますますの繁栄と観客の皆さまのご健康と幸せを祈って踊らせていただきたいと思います。よろしくお願いたします。





インド舞踊(2)herara


 次は物語中心のリズミックで小さな演目をご紹介したいと思います。この演目はジャーヴァリーといわれる演目で、曲名はエーララです。今回のこの物語の主人公はうら若い乙女で、彼女はクリシュナ神に誘われて一度二人で楽しい時を過ごして以来、このクリシュナ神のとりこになってしまいました。ちなみにクリシュナ神はヴィシュヌ神の生まれ変わりとされており笛が大変上手で、牛飼いのとても美しい少年または青年の姿であらわされる神様です。とてもいたずら好きで水汲み女や牧女たちといつも楽しく戯れる姿でよく登場します。さてこの恋する女の子は、村の道端でクリシュナ神の姿を見つけるとすぐに駆け寄り、目で自分のもとに来るように目配せをしたり、手招きしたり、最後には焦れて彼の手を引っ張り自分のほうに引き寄せようとさえします。この演目では乙女のかわいらしい一生懸命なアプローチがいきいきと描写されています。


 また同時にこの演目で見どころなのはヒンドゥー教の神様と人間たちの距離の近さです。例えばこのタイトルのエーララとはタミル語で英語に直訳するとHey, you. Come here!くらいの親密な表現です。まるで親しい友達や恋人や家族に対するかのように、神様に対して「ねえ、ちょっと、こっちに来てちょうだい。どうしてこっちに来てくれないの?」と気さくに呼びかけています。「ねえ、クリシュナ。私のもとに来てちょうだい。私の手を取ってあなたのそばに寄せてください。あのキューピッドの矢が私の胸を貫き私はこんなにも苦しい。ねえ、クリシュナ。どうして私のもとに来てくれないんですか。あの、サトウキビで作った愛の弓と愛の花の矢が私の胸を突きぬいて、私はこんなにも苦しい。円盤とホラ貝を携えた麗しいヴィシュヌ神の生まれ変わりであるあなた。どうぞ、私の隣に来てください。あなたが私のことをこっそり呼んでくださったときに私がどんなにかうれしかったことでしょう。そして、私たちは楽しい時を一緒に過ごしましたね。どうぞ、私のもとに来てください。いつも優美であふれる慈悲を携えたあなた、どうぞ一瞬にして私のことを捕まえ、あなたのそばにずっと置いてください。」このように彼女は一生懸命語りかけています。


 では、彼女は見事クリシュナ神を捕まえることができるのか。どうぞ、御覧ください。では、演目は「ジャーヴァリー」です。曲名は「エーララ」です。よろしくお願いします。



インド舞踊(3)thilana mohanam

 ありがとうございました。では、最後の曲です。今日一番最後の演目は「ティラーナ」という演目です。ティラーナはリズミックでダイナミックなステップと彫刻のように優美なポーズが織りなす、最後にふさわしい華やかな曲です。


 今日は数あるティラーナの中から「ティラーナ モーハナ」という曲で、この曲もヴィシュヌ神の化身の一つであるモーハナ神に捧られた曲目です。モーハナ神はとても美しい神様で、その姿を一瞬でも見たものは、全ての人間はあらゆる動物、あらゆる生き物がそのあまりの美しさに完全に魅了されてしまうといわれています。そして、この歌の終わりには美しいモーハナ神への賛美の歌が添えられています。「麗しいモーハナ神。私はあなたの清らかな蓮の花のようなおみ足をいつもこの胸に抱いています。どうぞ、私のもとに来てください。そして、いまこの時、あなたの愛であふれたハートをこの私に下さい。美しいモーハナ神よ、私はあなたに心から帰依します。では、ティラーナ モーハナムと最後のご挨拶であるマンガラムを続けてご覧ください。









山内宥厳の横笛アドリブ演奏


 独白劇「がらんどうは歌う」が、はじまり

 みなさん、今晩は。東光寺の山内宥厳です。毎年、懲りもせずに一人芝居に挑戦してまして、少々くたびれてきましたけれど、まあ今夜ももう一度チャレンジしてみようと思っています。はじめに少し、音楽を聞いてもらって、それからいつとはなしに芝居の中に入っていくという風な趣向でやってみようかなと思っているんですが。いつも、必ずしもうまくいくとは限らない。御愛嬌でやらしていただきたいと思っています。

 この横笛なんですけど、これは私が10年くらい前にこしらえた笛で、普通のしの笛とはちょっと違った調律になっています。変わった音が出ます。私の好きなアメリカインディアンの笛、アメリカンネイティブフルートなどと言われている笛なんですけど、その笛と同じような調律で、自作の横笛を作ってみたのがこの笛なんです。


ピアノとのコラボ☆



和尚、山内宥厳の独り芝居、「がらんどうは歌う」

わたしはいま、こうして舞台に出てきましたが…

今日のわたしの役柄は、役者なんです。


ベルは鳴る。決められた時間どおりに。


マリア、ごらんなさい!









劇終了

(宥厳先生)マドゥ・プリヤさんでした。(拍手)。中村裕子さん。(拍手)

 ありがとうございました。下の道場にたくさん、いろいろ食べるものを昼間、女の方が一生懸命作って机にずらっと、並べてありますので、お腹のすいた方は下に行って召し上がってください。じゃあ、また下でお目にかかりましょう。どうもありがとうございました。(拍手)。


 


おもてなし

ベーグル!


野菜の煮物

懇親会




恭子ちゃん、片山さん、瀬古さんの力作!?



ベイクド・あん・アップル
「うかたま」16号に載っていました!

親睦会は盛り上がり、夜は更ける…


第6回9月13日(2日目)その2

2009年09月19日 | 第9期楽健法セラピスト講座
朝のお勤め

「良縁くれ!」そんなこと書いていいの!?


ご本尊の大日如来様


マドゥ・プリヤさんも参加してくださいました。


ご利益ありますように…

朝日シリーズ

木の葉の中で八方に広がる光がきれい。


明るい空

作務の時間








朝食

天然酵母パンにたくさんの野菜、そしてブドウに梨。おいしゅうございました。


焼きオニ最高!


マドゥ・プリヤさんも一緒


昨日の感想

(宥厳先生)どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。

(宥厳先生)どうも、ありがとうございました。催し物をするとね、講習会の楽健法の回数が減ったりとか、楽しみにしている私との組み合わせが、予定が外れるとかいろいろ出てきたりして…。

(幸子先生)昨日は、私でしたから。
(宥厳先生)あ、そうなん?じゃ、ちょうどよかった。
(幸子先生)ちょうどよかった?(笑)
(宥厳先生)これはとてもラッキーなことだ!(笑) (一同大爆笑)


(宥厳先生) 昨夕のような催し物をやりますと、もろもろの雑用みたいなことがいっぱいあって、みなさん大変だったことと思います。こういうことに関わると、見えないところの雑用によって世の中が成り立ってるんだ、ということがよくわかると思います。目に見えないところで、多くの人がいろんなことをやってくれて、生かされている自分がいる。

そういうことに全く気付かないで、自分が一人で生きてるように思ってる人たちも、世の中にはいっぱいいると思うんです。お寺なんていうところは、いろんな人がいろんな形で支えてくれて維持できています。

お寺に行ったらこき使われて、損するみたいに思うひともいなくはない。日当もくれないで掃除させられた、とか思う人もいるみたいで、以前に10数名が合宿に来られた時に、作務の時間といって、慣れている人はさっさと掃除をしてくれたりしたんだけど、なかには掃除させられるんだったら来るんじゃなかった、はじめに言ってくれたら良かったのにとか世話役のひとが、後から文句を聞かされた、とかいう話もありました。

しかし、こういう行事を通じていろんなこと、普段見えない、経験しないようなことを勉強できるんじゃないかな。とこちらが勝手に思ってるわけですが、しかし、こうやってひとつの舞台を作るということが、大変なことでもあるし、その一つひとつが積み重なって出来ている。どこか一つが欠けても、やっぱり最終的なことに影響してきてうまくいかないということもあるんです。

だから、何か一つのものを作り上げようというのは多くの人の努力、集中力。目に見えないところで、人がさりげなく心配りしてくれるというようなことが積み重なってそれで見に来られた人が満足できる、そういう実を結ぶんだと思うんです。そういう意味で本当に、下ごしらえから料理から台所で怒鳴られた人がおったかもしれませんけど(笑)。 
怒鳴る人がおるから、怒鳴られるんだね。(一同笑)

(琴美ちゃん)いやだ、もう!こっちみて言わないでよ、もう。(一同笑)。


(宥厳先生)それで、昨日はちょっと変わった趣向で、というほどでもなかったんですけど、私の衣装が変わったくらいかもしれないんだけど(笑)。まあ、しかし、マドゥ・プリヤさんもこうやって今朝、一緒に座ってくれてますので、みなさんから、また、ちあきちゃんがブログ書き起こすので、長くてつまらない話だったらテープ起こしに苦労しますので、短くて含蓄のある批評をですね、一人ずつ、ちょっとさーっと聞かせて頂けたらありがたいな、と思います。じゃ、ちあきちゃんに任せます。お願いします。司会を。

(ちあき)はい。マドゥ・プリヤさんは最初のほうがいいですか?あとのほうがいいですか?
(宥厳先生)先、感想聞いたほうがいいんじゃないの?
(ちあき)あ、はい。じゃあ、お母さんから…。
(琴美爆笑)
(ちあき)固まってる・・・。じゃあ、そっちから(汗)。
(宥厳先生)そっちから行きな。

(幸子先生)え?私からですか。
(宥厳先生)そうそうそう。何でもいいですから。
(幸子先生)あの、いろいろありがとうございました。昨日の舞台は結構なんか前日のリハーサルの時は少ししんどいかな、とか思ったけど、さわやかないい舞台でした。皆さんの感想はどうかわかんないけど私はま、わりかし気楽に見せていただいて。
(宥厳先生)それ、芝居の話?
(幸子先生)はい、芝居の話。芝居の話ももう8回ですか?なんか見せていただいてますけれども、あんまりこうなんていうかな、いつも素敵な踊りと、それで音楽もこう出すぎずに良かったなっと、そういう言い方もちょっといけないけど、
(裕子さん)いえ、いえ。メインは先生のお芝居ですので。
(幸子先生)そういう意味ではすごく良い舞台だったと思います。またよろしくお願いします。

(宥厳先生)ちょっと自己紹介しなさい。

(彩ちゃん) えー孫の彩です。(一同笑)。孫のくせに昨日初めて、「宥厳先生」の舞台を「拝見」させて頂きました。(一同笑)。感想を率直に述べますととても熱いお芝居だったと思います。マドゥ・プリヤ先生の踊りはもう非の打ちどころがないというか、言葉が逆の意味でありません。とても素晴らしい会でした。次の催しも是非参加させていただきたいと思いますので皆様よろしくお願いいたします。

(琴美ちゃん)お疲れ様でした。前日から、リハから手伝わせていただいていろいろセッティングしたりしてとても勉強になりました。またやるときは是非またお手伝いからさせていただきたいな、と思います。あと、マドゥ・プリヤさんのときはもうちょっと音響をするなら、ちゃんと打ち合わせをしておけばよかったなと思いました。で、また横でね、また去年とは違うところから見せていただいて、先生のお芝居も、あ、去年と違うところが(笑)。と思って。やっぱり前日のリハの時と本番の時とはやっぱり全然迫力が違うんで素晴らしいなと思いました。

(宥厳先生)さすがプロじゃなと言わなければいけないんじゃない(爆)。
(琴美ちゃん)はい。惚れてしまいました。(一同笑)。なんで、また是非手伝わせてください。
(宥厳先生)ありがとうございました。

(裕子さん・ピアノ担当) 先生のお芝居を前に一度拝見しまして今回、先生のお手伝いをさせていただくことになったんですけど、腕のほうがなかなかついていかなくて、それでよくああいうの引き受けたな、やらせてもらったなと思うんですけれども、だいたいがあんまり物事を深く考えないほうですのでそれで出来たんだと思います。マドゥ・プリヤ先生の舞踊も今回で2回目なんですけど、以前は正面から見せていただいて、今回は横から見せていただきました。次はビデオでまた正面から見せていただきたいと思います。楽しみにしております。ありがとうございました。

(市野さん)去年に引き続き今年2回目の舞台を見せて頂いたんですけど、今年はピアノということで臨場感があってすごく良かったです。あとちょっと場所が隅っこのほうだったのであまりの心地よさにちょっと居眠ってしまいましたが(一同笑)。すごく気持ち良かったのかなと思います。ありがとうございました。

(瀬古さん) 踊りは細い人だなぁ、と思って見ていたら、動きがこう大きくて。細い感じなのに、動きも大きくて軽やかで、迫力もあって後からぜんざいを3杯食べてましたよね。それがとても考えられなくて(一同大爆笑)。あ、それがこういうことだなあ、と(一同笑)。

(幸子先生)それは料理を褒めてくれはったらええねん。(一同笑)。
(マドゥ・プリヤさん) 抗いきれない…。美しいイメージは捨てて…(一同笑)

(瀬古さん)先生のお芝居は初めて拝見したんですけど、すーっと集中して入っていく、日常から非日常へみたいな、その瞬間っていうか入っていく瞬間がすごく美しい感じがしました。ありがとうございました。

(梓ちゃん) インド舞踊は5月に一度、柳田さんのを見て2回目だったんですけど同じインド舞踊っていっても全然、前回みたのと違ってて、また今回勉強になったというかすごくきれいだったし、楽しませていただきました。先生のお芝居はただ自分が見てるっていうだけじゃなくて、見ていて語りかけられている感じですごく自分も一体感っていうか、なんかやっぱり戦争は怖いな、とかなんか自分も参加して考えてるって感じのお芝居ですごく素晴らしかったです。ありがとうございました。

 
(内田さん)インド舞踊は2回目でして、とてもこの、ぱっとした華っていうよりも堅実なまつりごと?着実なというか、こう私たちに近い祭りごとのような感じがして最初の説明の時に手の振りと解説を一緒にしていただいたのでそれを見て、説明していただいた後で見させていただいたのでとってもこう入っていきやすいというか、受け入れやすくて楽しませていただきました。先生のお芝居も初めて見させていただいたんですけど、先生が小学生に…また泣いてくるぅ…歌をしょうがなく子供たちを統一するために作った歌を子供たちが純粋な歌を覚えて無意識のうちに歌っている。そのむごさをさせる一つの時代。あっちゃいけないなあ、っていうのをやっぱりすごく感じました。ありがとうございました。音楽もとっても…ありがとうございました。

(藤山さん)インド舞踊のほうを見せていただくのこれで三回目になりますけど、あまりの手の美しさとか顔の表情とか、私映画を見るときとか、主人公になったような気分になってしまうんですけど、なんか一緒になんか吸い込まれるように自分も、「あ、かわいい。引き寄せたい」とか(笑)。本当に素敵な踊りで、はい、感動しました、先生の舞台も三年前に見せていただいてとても感動したんですけど、今回はちょっとゆとりをもって何か自分の思いと一緒にというようなこと考えながら見させていただけてとても良かったと思います。ありがとうございました。

(藤井さん)先生の舞台のほう特にこう後半の部分ね。具体的な描写の中で、ほんと情景が目の前に浮かぶ状態。特にこう母親の遺体から煙が出るとか、ケイトウに雨が降りながら父親がじょうろで水をあげて、とか、お姉さんのけがをした時の、もう本当に一つひとつが目の前にパーっとこう浮かんでくるような状態で、迫力があるっていうのか、なんか私はこれは何回目になるのかな、3回目かな。もしかしたら4回目かもわからんくらいの回数ね、先生の独り舞台は見せてもらってるんですけど、その時その時の自分の心の中に持っているひっかかるものがありますよね。自分が今、母親の看病で、病院へずーっと毎日付き添ったりなんかしてる状態で一人の人間が死んで行くっていう部分を心の底に持っているとなんかやっぱり同じ劇を見ながら自分の受け止める、感動するところが違うんだなっていうのはこの度、すごく思いました。それから、インド舞踊のほうに関しては、もうとにかく、微妙な顔の表情の変化に見とれるばっかり。いかに私たちが毎日の生活で自分の心の感情の、先生の話の中に表情筋が日本人と外国人は違うんだよって言われるのが、その説明を聞きながら、そうなんだ!私たちは何も心の思いっていうのは出来るだけ、出さないほうがうまく付き合っていけるっていう思いもちょっとあるんですけど。ああ、完全に日本人と西洋人の部分のなかでそういうものが日本人は欠けているっていうんか、肉体の構造上から違うんだっていう納得はしました。このスリムな体を維持するためにハードな練習っていうのか、実際の運動量?すごいなぁっていうのを本当に感心しながら、見とれながら味わわせてもらいました。ありがとうございました。

(堀内さん)私は結構この近くに住んでるんで宥厳先生と時々お話しすることとか、メールでやり取りすることとかもあって、最近ね、宥厳先生がね、あっちこっち痛いねん、とか気弱なことを言ってるんです。で、物忘れが出てきてねえ、とか言ってはったんでちょっと心配してたんですね。でも、舞台に立たれて中村さんのピアノが鳴った時点で、あ、こうれは大丈夫だなあ、と思って中村さんのピアノとのセッションがすごく、何て言うか、今まであった不安を解消してくれてすごい安心して見れました。良かったです。そして、マドゥ・プリヤさんのインド舞踊はもう三回目か四回目かここで見させていただいてるんですけど、私がもうちょっと若かったらやりたいな~っと思ってました(笑)。すごい素晴らしいので何回見ても感動しますね。その手の動きなんか一つ一つに意味があって、顔の表情一つ一つ、意味があって、だから、みんなこう生きていく上で一つ一つ何かこうみんな一つ一つ意味があるんだけど確かな生き方をして行きたいな、と思いました。ありがとうございました。

(片山さん)えっと、マドゥ・プリヤさんのインド舞踊なんですけど、手ですごい語ってる感じとか、後、足で踏んで音を出して、とか音で語ってるところもあったりとかして目が見えなくてもきっと耳で感じられるし、耳が聞こえなくても目で感じることができるのかなーと思って、体から出すもので表現するっていうパワーとか物語作っていく感じとかがすごい感動してちょっと衝撃を、やっぱりインド舞踊を見ると受けます。すごいよかったです。ありがとうございました。宥厳先生の、初めての独り芝居で、その独り芝居自体も初めてで見させてもらってどんなんかなってすごい楽しみに来たんですけど、何かこう色んな時代に、20代の頃とか、昔の小さい頃の話に戻ったりとか、本当にそこにいるかのような感じで引き込まれていって、そういう力が宥厳先生すごいなぁと思いました。内容とかも本当に梓ちゃんが言ってたみたいに私もこう本当に語りかけられてるような感じで、何かを伝えてくれてはるんかなーとかいう感じがして、でもまだたぶん時間がたつにつれていろいろ考えることが出てきそうな感じの内容だったので、ちょっとずつちょっとずつ噛み砕けたらなあと思ってます。ありがとうございました。

(谷川さん)第一回目で初めてそういう催し物をやった時は宥厳先生が、お堂の床をこうやって手で擦ってたんですね。先生、何やってらっしゃるんですかって聞いたら、「釘が出てないか調べてるんだよ。踊る人が足を怪我したら大変でしょ」って言って手でこうやって釘が出てないか、何か当たるものがないかとかそういうことをやってらっしゃったのがすごく印象にあるんですね。今回は私、本当にどっちかっていうとお客様同然でただ見せていただくだけだったんですけども、雨だったんですが、お客様には足元がとても悪かったと思うんですけれども、その雨の音も昨日の舞台にはものすごい私はいい音響だったと思うんですね。あれも素晴らしかったし、それから虫が突然入り込んできて、その虫が照明にパンパンって当たるのも特別出演してくれたし、それから宥厳先生のセリフに引き込まれているときに近所の犬がわんわんって鳴いたのも、現実に引き戻してくれたような、それで全体的にはもう雨だし、素晴らしいインドの踊りも素晴らしかったし、私としては本当に引き込まれた舞台でした。ありがとうございました。

(田中さん)どうも、昨日はありがとうございました。宥厳先生の舞台でやはりピアノの効果がすごくあったと思います。私は非日常から離れて自分のことを語りの中で自分のこととして考えさせていただいてそれがまた去年は確か…なかったんじゃなかった?あのギターも別になかったですね?先生のときには。先生一人の語りでしたかしら。

(宥厳先生)去年は弟のギター!

(田中さん)ギターでしたかしら。何か今回のピアノすごく印象的で、すごくマッチしてたなって、それが逆に非日常から自分をちょっと放してくれて、そしてあの中に一緒に溶け込めたようなそんな気がしまして、昨夜は寝てからまたうなされてしまいました。(一同爆笑)。それでやはり、インド舞踊もすごく素敵だったんですけど、手のきびきびしたところ、体のあのきびきびしたところ、やはり人間は常にそういう感性というものがあるわけなので、その能力を使っていかなくちゃいけない。でも、だんだんだんだん、私も老いが進んで(笑)、そういう機敏さがなくなってきてるから、ああいうの、やはりたまに刺激を受けてそういう動きというものを手の指の先まで感じるような人になっていかなくちゃいけないな、っていう風に思いました。ありがとうございました。

(西澤さん)私はマドゥ・プリヤさんの2回目なんですけど、前回は華やかさと軽やかさを感じたんですね。今回見せていただいたときは、落ち着きもあって、今回は力強さを感じました。それから、私もインド舞踊にも見たらすぐ何でもしたくなるほうなんですけれども、インド舞踊をやりたいなと思った時がありましたが、今、田中さんがおっしゃった機敏さが、私には機敏さがちょっと足りないな、ちょっと向かいないかな、と思いました。それで、後、宥厳先生の劇なんですけれども、「がらんどう」という言葉の説明を渡辺宏さんの、あの彫刻。それが目の前にありましたので、その明りをずっと見ながらがらんどうっていうその言葉を頭の中に置きながら、今までの自分の生き方とかこれからの生き方とかそんなことを考えながら私は見させていただきました。で、前の日に、前夜からリハーサルを見せていただいたんですけれども、まだこうピアノと先生の調整中って感じがしたんですけど、当日私もびっくりしたんですが、一日中勉強なさっててどういう風に変わったのかなっていうのが最初に先生の言葉と最初のピアノが入った瞬間、何か一体感が出てて、ああ、すごい変化っていうか、よく先生が神様が降りてくるってことはおっしゃってましたけど、そんなものを感じました。以上です。ありがとうございました。

(恭子ちゃん)インド舞踊は衣装も素敵でとてもきれいで華やかで軽やかに舞ってるような感じでした。ありがとうございました。宥厳先生の独り舞台は以前から拝見したいと思っていましたので、念願がかないました。で、これからもこれで最後だとおっしゃらずに、楽しみにしていますのでよろしくお願いします。
 

第6回9月13日(2日目)その3

2009年09月19日 | 第9期楽健法セラピスト講座
(中島さん)今回初めて前泊してお手伝いという形をさせてもらって、前感じたことは内田さんが、この…人を迎える気持ちがすごく大切ってことをおっしゃって、自分はこういう体で奉仕するっていうのは何とも思わないって、積極的に思ってましたけど、内田さんの気持ちがってことまでそういうことはなかったんですね。前聞いたときに。それで今回また忘れてたんですけど、気持ちっていうのは、床の釘のことをおっしゃってましたけど、床にろうそくが垂れてるのを拭いたりしてたんですけど、お湯でこうやったりして、そういう迎えるっていう気持ちと、動作っていうか、両方が大切だっていうのあんまり気付かなかったんですね。心の部分ですね。

それで、今回照明させてもらって、前の日にこう照明やっていてすごく難しいものだなって思ったんです。でも、宥厳先生が見ている人が何も感じないようにすればそれが最高なんだからってことをおっしゃって、ああ、なるほどって思って、このマドゥ・プリヤさんの踊りと宥厳先生の舞台っていうこと照明でやらせてもらって、この表現っていうことですけれども、今さっき言った心の部分と動作の部分がありますけど、踊りのほうは表現なんですね。美しさっていうか、表現。そして、ライト的には表現の明るさはほとんど一定なんですね。色は違いますけど、表現は、この明るさの。美しさを表すっていう感じです。そして、宥厳先生のは心っていうか、表現の中にも…、だから、二つの表現をしてもらった感じで、外の部分と心の部分っていう、だからすごくこうマッチしてて、踊りでこう美しさ、明るさっていうの出してもらって、動作、そして、宥厳先生ので心の部分っていう深いもの。だから、すごく変わるんですね、明り的には。だから、人も表面を表すものは明るくて一定でいいような気がするんですね。でも、内面は色んなこう表情があるんですね。赤とか暗いとか。

でも、出すのは明るくて表面は明るく美しさ、でも、中は色々あるけども、人にはこう美しさというのが出せたら、そういうの両方がうまくこうマッチして外、内っていうような感じで出してもらったような感じで、すごく照明させてもらったことで感じるのが、感じる感じだったんですね。考えじゃなくて。感じを表現しなきゃって感じで。自分も受けて、それを明りで出すって感じで。それで、たまたま増野さんがパッと声をかけてくれて、あの人舞台とかやってた人だから、照明のことを褒めてくれて、一体の感じが表現できてたのかなって、すごくこの照明をさせてもらったことで、内外という感じを感じて、すごくこの両方が、内容が内外、まさしくその表現としてよかったなと思って、照明もやらせてもらってもうそれを別の意味で感じを受けていい勉強になりました。人としても出来たら外は明るく、美しく、でも、色々あるけどもそういう表現を出していきたいって思いました。ありがとうございました。 

(西本さん)インド舞踊は今年の5月と今回で2回目見せていただいたんですけども、その目の力、顔の表現とか体ですごくパワーをいただきました。ありがとうございます。とてもよかったです。宥厳先生の独り芝居初めて見せていただいたんですけど、迫力があって、その状況が目の前に表れてきて、自分も母からその戦争のこととか、つらかった事とか聞いてましたんで、もう見せていただきながら涙が出てきまして、今の平和の世の中を、戦争を二度とないようにしていきたいなと思いました。考えさせられました。ありがとうございました。

(ちあき)マドゥ・プリヤさんのダンスは今年で4回目見せていただきます。初めて見せていただいたときから頭のてっぺんからつま先まですべてがきれいやなぁと思いました。説明していただくごとに毎年ちょっとずつインド舞踊とかインドの文化とかについて知識が増えていくし、目の保養もさせていただけるし、心の洗濯もさせていただいて、すごい浄化の時間をいただいたなぁっていう風に思いました。また来年も楽しみにしています。

宥厳先生の劇は、毎年インド舞踊と何か楽器のソロがって宥厳先生の劇っていう形になっていて、でも今年弟さんも来られてないし、どんなになるんかなーって思ってたら、宥厳先生の笛を聞かせていただいて、また、あれは即興の曲なんですね?ピアノとすごくマッチしていて、すごいなぁって。息がぴったりっていう感じで、初めのほうでも劇の中でもすごいよかったという風に思いました。先生が直前に、「セリフ大丈夫かな~」って言われてたんで、でも私は西澤さんと一緒で、先生は神様が降りてくるというかきちんとその、その場面はきちんとできるっていうのがあったんで、そうやって言ってはるけどたぶん大丈夫なんやなーって思ってて、でも始まってやっぱ神様降りてきた~っていう風に感じました。宥厳先生の劇も4回見せていただいてて、毎回感じることがちがうというか、初めの頃は、えっ?えっ?どこから劇で?え?どうなってるんやろう?え、え、どうどう?っていうのがあって、話を全部理解できたかっていうと、まあ今でも全部理解できたかっていうと出来てないと思うんですけど、やはりちょっとずつ毎年感じるところが増えてきたなーって感じてます。

私は中学生とかに関わらせてもらうことがあってちょうど戦争体験を地域の人に聞きに行くということを毎年やっていたんですけど、だんだんお話を聞ける人も少なくなってきて、この先生の劇を見せてあげられたらなぁーっていう風に、なんかこうテレビの中とかそういう感じでしか戦争をとらえられていないんで、そういう機会もあったらあの子たちのためになるのになーっていう風に感じました。ありがとうございました。

(マドゥ・プリヤさん) 今年も皆さんに温かく迎えていただきありがとうございました。心づくしのおもてなしやおいしいご飯、本当にうれしいです。後、音響や照明も生徒さんのみなさんにやっていただいて心強かったし、観客の皆さんにも熱心に見守っていただいて、とても生き生きと伸びやかに踊ることができました。床の話が出ていましたけど、私はここで踊るのは8回目なんですが、一番初めはダンスができるような場所が整っていなくて、宥厳先生が自ら床を修理し、開いている大きな穴はお庭の木を切ってきて枝を埋めて割りばしでその間も補強したりしてきっちり埋めてくださったりして、毎年通うごとに床がバージョンアップしていきました。皆さんと毎年東光寺での舞台を共有していく度、この舞台がどんどんどんどん自分の中で大切な場所になってるなっていうのを実感しています。

日本で踊らせていただく場所は、お寺でも畳敷きだったり、またホールだったりすると尚更、客席とすごく差があって舞台は一段上がっていたりして、鑑賞する人とアーティストの距離がどうしてもあいてしまうんですね。でも、この舞台は本当に密な空間で神様と観客が迫ってくるような感じで、踊っていても偽ることはできない。とても怖い舞台でもあるんです。その空間で説明したり踊っていくうちに、皆さんが身を乗り出してきて、その目でその心で舞台に実際に参加してくれているっていう確かな手ごたえがあります。それに負けないような踊りが提供できるよう、これからも精進していきたいと思います。本当にこの舞台は私にとって、大切な励ましであり学びの場です。

それで、宥厳先生の舞台も毎回欠かさずに見せていただいてるんですけれども、毎回私の中で新鮮で豊かな発見があって驚かされます。
さっき先生が一つのものを創り上げるとおっしゃったように、私もいままで教わってきた伝統的な曲を少しずつ磨いて仕上げています。私も先生のように一つの演目でもいいから、自分の中で確実に熟成させて育てていくことができたらなぁ、毎回上演する度に新しい発見や教えを与えられるような演目ができたらなぁと思っています。

それから、先生と共演される方たちが毎回違うというライヴ構成もとても面白く思っています。真美さんとか、今回キーボードの中村さんとか。日本だとどうしても録音された音源で舞台をするのですが、現地では師匠の生の声の歌、生のオーケストラがついてきて、彼らと関わりながら踊りを即興して膨らましていくものなのでその感じをものすごく懐かしく思いだします。このライヴ感を、日本で録音された音源で踊っていてもに、ぜひなんとか忘れないようにしたいものです。先生の舞台は即興のわくわく感というか、その場の雰囲気を読み取ったり溶け込んだり、お互いに与えあう、その感覚を思い出し振り返るいい機会でもあります。いつも本当にこの場所に教えられてばかりです。どうぞ今後とも色々ご教示いただければと思います。よろしくお願いします。どうもありがとうございました。

第6回9月13日(2日目)その4

2009年09月19日 | 第9期楽健法セラピスト講座
(宥厳先生)ありがとうございました。まあ、あんまり喋ることもないんですけれども、芝居を見て、「先生が体験したことですか?」とか色々質問される人がおるんですけど、芝居はあの芝居のせりふの中でも、芝居というのは「嘘のことをやって見せて本当のお金を人から取る」っていうのがありましたけど、あの芝居も実はそうなんですね。嘘このことをやって見せる。

だけど、あの芝居のストーリーの中で母親が焼け死んで、腹から煙を出しているのを見てるっていうのはフィクションなんですが、人がそのように焼けているのはこの目で見たんです。そういう情景を見たり、空襲で焼けて火の海が迫ってくるなかを、逃げ回って、というのは、それは全部その通りなんです。逃げて。それで芝居のなかでは野原に一人立ってたって言う風に言うんですけど、実は弟と二人で手をつないで逃げたんですね。

母親とか父親とかほかの兄弟のことなんか何にも考えずに、弟と二人でパーっと逃げたんですよ。それであちらこちら逃げ回って山の中の防空壕に行ったら、また山が燃えだすので、また他の所に逃げて行って結局畑の真ん中に、二人で逃げて行って誰もいないところでポカーンと町が燃えるのを見とったんですね。

それで、その後、町へ帰っていくと、そういう無残に焼け死んだ姿とかね、そういうのを目撃してきたわけですね。だから、それは体験、自分が見てきたことを土台にしてああいう情景を書いていったんです。それで、いくら芝居でも自分の母親を焼き殺すっていうのは僕の小説を書いてる友達が、雑誌に載せたときに、いくらフィクションでも母親を焼き殺すってのは僕はよう書かんって言った人がいましたけど、だけど、僕自身は戦後、そうやって焼け出されて、私の家が焼け残ったために、焼け残った家に16人もの居候が押しかけて来て、ちょうどここにおるくらいの人数だね(笑)。狭い家に16人もが居候して、その中で色々トラブルがあって、それで父親が子供の教育によくないから俺のほうが出ていくって言って、自分の住んでいる家を後にして放浪するような生活が以後ずーっと始まったんですね。

その中で子供がまた二人産まれたりして、7人の子供を、食料のない苦しい時代、昭和20年代に母親が本当にのたうち回るような感じで生きていって、それで、やっとこれからだなっていうような落ち着き始めたころに、56歳で死んじゃうわけですよ。

だから、僕からすると母親はまさにバーンアウトしちゃった、焼け死んだわけすね。
そういう死に方で、母親が死んでしばらく経ってからあの芝居を書いた、3年くらい経ってからですね。だから、そういう思いがあって、ああいう芝居の書き方したわけです。

それで、あの芝居を書いたときは実は非常に大きな仕事を引き受けてる時期であって、家内と二人で額縁の工場を営業してたんですけど、それ以外の仕事を別の工場を借りて引き受けて、それで、二ヶ月間で三千個もの、これくらいの大きさの彫刻をね作って、それをヤマハに、ヤマハのステレオを買ってくれた人のプレゼンテーションって言うんですけど、ヤマハのステレオを買ってくれたらこの彫刻を差し上げますって言う、そういう大理石で造った、偽物の大理石なんですけども、ロダンのパラス像っていう頭の上に神殿を乗せた女神の彫刻があるんですけど、それを三千個引き受けて、二か月で。

それで、納期が遅れたら大変なことになるので、そういう時期にたまたま私が芝居を書く約束をしとったんです。それで、まずまだ本はできないけど題名だけでも先にくれって言うから「がらんどうは歌う」って、まだ何にも決まってないのに題名を決めて、それで、これで行こうって切符もビラも作ったんだけど脚本はないわけですよ(笑)。

それで、もう「山内さん、これ以上ほっとかれたら稽古も出来ないし、大変だから早よ書いてくれ」ってなことになって。僕は本当のがらんどうなんですよ、その時は、頭の中は(笑)。それで、そういう毎日2時間くらいしか、三千個の彫刻こなすために2時間くらい、車の中で仮眠してはまた工場の中に入る、ということをやってた時期に、アルバイトの学生10人くらい雇って、素人ばっかり。それで、それをこなそうとして必死になってる時期なんだけれども、もう芝居を書かないと間に合わないっていうので、その日はパッと家に帰って一気に書いたんです、一晩で。

三時間くらいかかって書いたんですかね、50枚の原稿を。それをパーっと、それこそ神がかりになって頭からファーっとあの通り書いていったんです。それで、その時途中で涙を流しながら書きましたね。だから、物を書きながら泣くっていうことがあるんだ、と。僕は昔、武者小路実篤って言う人の小説で「友情」とか「その愛」とか何とか、色んな甘ったるい小説があるんですよね。それをム武者小路実篤は「僕は泣きながらあの小説を書いた」なんてこと書いているものだから、コイツこんな小説書きながら泣くのか!この甘ったれが!と(笑)、思っとったんですけど、僕は本当にあれを涙を流しながら書きましたね、一晩で。それで、書きあげて50枚ほどの原稿を、パッと書きあげて、どっか手を入れるところがあるかなと思ったら、どこにも赤入れるところがない。もう完璧な原稿が一気に書けたっていうような感じでした。で、そのままパッと渡した感じでしたね。
それで、まあ芝居をやったんですけどね。

ちょうどその時期に渡辺宏さんっていう、あのがらんどうを作った彫刻家のところに、それまでは今そこにかかっているようなプレーンな額縁をね製造してたんです。それで、それをそういうプレーンな額縁を弟の方に仕事を任せて、僕はデコラティブな彫刻のついた、いわゆる伝統的なヨーロッパの金箔を押して、箔を押すっていうんですけど、箔押しして、それでいろいろアンティークに見せたりするようなそういう彫刻の額縁を作ろうと思って、そっちのほうに取り組んで、その為に渡辺宏さんのところに彫刻を教えてもらいに行ったんですね、テクニックを。

だけど、しばらく手伝ってたら「山内さんには教えるところなんかない」って言われて、それで元々、長年子供の時から手先の仕事ばっかりしてますから、見て方法さえ覚えたら出来るわけですよ。だから、それから人間というのは頭の中で想像力が到達したら手はそのことを出来るようになる、ということを僕は思うんですね。だから、まったく違った仕事であっても、見て、それで頭の中でちゃんと理解出来たらもうその通りのことが出来るんです。だから、例えば漆をぬろうと思ったら5年はやらないと塗れるようになれないとか、専門家はそういうことを色々言うんだけど、本当は手にある一つの完璧な技術を持った人間であれば、他のジャンルの仕事でも、目で見て、そのことが理解出来たらちゃんと出来る、ということを僕は思います。だから、そういう意味で僕はいくつもの仕事がほとんどがプロに、どのジャンルのプロにしても負けないようなことが即座にできるというそういう手を持ったわけですね。

だから、それは文章書いてもそうなんで、あの男に書けることが俺に書けないことがあるだろうかというような傲慢な気持ちで、まあ傲慢かもしれないけどそういう気持ちもあって、だから色んなものにチャレンジしてそれでやってみると、それなりの評価を受けるようなものがそこに作り出せるという風になってくるんですね。

だから、僕は「私はもうだめ」「それは私はできない」とかね、引っ込み思案の人が多いんです。だけど、そういうことじゃなくて、例えば丸いものは作れるけれど四角いものが作れないなんて言ったらねおかしいと思うんだけど。人間ってのはそういうところがあるんです。こういうテーブルを作る職人さんはこういう曲がった手すりのついた椅子はよう作らない、それで、曲がった手すりのついたようなこんな複雑な椅子は作れるんだけど四角いものはよう作らないというのが職人の世界なんですよ。

馬鹿じゃないかと思うのね。それは想像力が到達しないからです。だから、物を考えない職人というのはもうほんとに普段自分がやってることしかできないようになっちゃう。

だから、僕は、この道50年とか言って世の中で評価されたり、威張ったりしてる職人さん、たくさんおるけれどもそればっかり50年もやってよく生きてるな、と(一同笑)。退屈しないのかなとか馬鹿じゃないかな、とか思ったりするんですよ。

まあ、ところが気が付いたらパンを40年もやってたりね(一同笑)。これもおかしい話なんですけど。だけど、みんな昔やってたけど今やめてるというものではなくて、僕の意識の中では。僕はだから今でもタンスも作れるし、椅子も作れるし、カンナを研がしたって多分、その辺のへなちょこ職人にはいまだに負けないだろうと思います。現役としていつでもやれる。

だから、それは車運転してもそうかもしれないし、やっぱりその辺のチンピラが横でブイブイと鳴らしてレースを挑んできたら負けないような(一同爆笑)。この頃ああいうレースを挑んでくる子供っていなくなったけどね。昔は交差点で並ぶとね、横でブイブイってやるのよ。僕はその頃はカローラに乗ってましたけど、僕はエンジン調整を全部自分でやってましたから、ディーラーで調整してもらったら走らないんですよ、ろくに車が。

それで、踏み込んだらセコンドで一気に80キロ出るような調整を自分でやって、それでビューンと出るからみんなスポーツカーみたいなんに乗ってるやつがカローラに負けて悔しがるという、そういうような乗り方もしたり(笑)。


まあ人間というのは考え方がどうかできまるといえる。肯定的に思考すると、最大限に能力を発揮できる。だから、僕はこうやって生徒さんに来ていただいてもその人は最大限の能力を引き出すためにどういうことをこの人に教えてあげたり、どういう所を突いたら刺激を受けてそっちが伸びるかなというようなことを、いつも考えている所があるんですね。だけど、なかなか思うようには行きませんけど。

しかし、今年も年に一回しかこの芝居をやらないというのは、大変苦痛なことで、本当は。一年間その間毎日練習しとったらそりゃいいよ、そりゃあまあ。毎日毎日、来年のために忘れないようにいつも台本を頭の中でリピートするなんていう根気はないので、やっぱり直前になってやってみよかってことになる。

だから、今回全部で10回も練習してないんですけど、ね。だから、なかなかしんどいことではあるんですけど、しかし、去年やったことは来年も出来る。年取った歌舞伎の役者がよくそういうことを言うらしいですね。去年やったんだから今年も出来るって。

先月やったことは今月も出来る、昨日やったことは明日出来る、という風に考えていくと、もう私は年だから出来なくなったっていって、車いすに乗りに行くという、そういう日本人は何ていうことだろうと思うのね。だから、ああいう人たちみんな車いす取り上げて、楽健法やらせたら八割の人はちゃんと歩けるようになりますよね。

だけど、そういう風な発想を持つ指導者もいなければ、みんなああいう動けない年寄りが増えることによって生きていけるという、そういうことを職業にしている金儲けのネタにしている人がいっぱいおるわけでね。だから、まあ私たちは本当に健康でいつまでも元気でいたいなんて口では言うんだけど、本当にその通り努力する人なんていないのね。

だから、健康というのはいつも自分でコントロールできる精神のことを健康と言うんです。そういう意味で横でちゃんとカバーしてくれる人がおる人はそれはいいですよ。いつも楽健法をやってくれたりする人がおればいいけれどもそうでない人はやっぱり車いすが待ってるぞと思ったらそっちの方へ吸い寄せられていくんですね。

人間というのは本当に大事なことに気がつかないで、やればできるのにやらないというようなことがいっぱいあるので、私たちはそういうことを、能力を、想像力もフルに働かせて自分を最大限に生かすように、生涯有用な人間として人生を全うするという風に是非楽健法を覚えてやってもらいたいです。

自分が遊ぶことはやるけれども、何か病気になったら人任せ、っていう自分の命を人に任せるようなことではだめですからね。ま、そういう意味で皆さんも一つ独り芝居を書いて一人ずつ順番にチャレンジしてください。(一同爆笑)。

やってみたら意外とできたりしてね。谷川さんどうですか?(笑)

(幸子先生)楽健劇団やったら出来るやん。
(受講生)ああね!

まあ、そんなことで本当にありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

(宥厳先生)まあ、じゃあ今から楽健法やりましょうね。
 





「ありがとうございました。」

楽健法(18)

エキストラ布団を使って

休憩中~


孫に教えます!


上半身を開いたときにこちら側から踏むとまた違う所に当たっていいよ!


そけい部を踏む時、外側に軸足を置くとよく効きます!




お尻を踏む時は仙骨に沿って踏んであげましょう。仙骨を動かすことも大切。

昼食「茶がゆ定食」

かぼちゃとインゲンの煮物、トマトと自家製干しブルーベリー、柿


中村さん、ありがとうございました!

楽健法19(1)


あとがき
恒例のインド舞踊と「がらんどうは歌う」それ宥厳先生と中村さんとのコラボ、素晴らしかったです。そして、皆さんと思いをシェアリングすることでまたいろんな思いや考えが深まりました。イベントもありながら楽健法を3回も出来て本当に充実した9月の合宿でした。来月が楽しみです。