楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第3回6月9日(1日目)その1

2012年06月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
磐余堂に風を通しました…

















初物・スイカ


6/9 13:15
(宥厳先生)何かひどく蒸し暑いな、湿度が高いですね。こっちへ入って、こっち。そんな!部屋の中に入って下さい。出入口に座らないように。みんな揃ったんかな。2,3,4,,,,
(幸子先生)スイカが余ってるから24人おれへん。
(宥厳先生)おるみたい。
(受講生)食べてない人がいますよ。
(宥厳先生)スイカの切り方数間違えたんと違う。
(幸子先生)ちゃう!合うてるね。
(宥厳先生)そうか。どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。

(宥厳先生)いよいよ梅雨入りで蒸し暑いですけれども、こういう時期は色々と病気も出やすかったり、気分もすぐれなかったりしてくるんですけど、楽健法で循環を良くして、すっきりと乗り切ってほしいと思います。

今月は短歌を書かなかったんです。で、というのが、雑誌の発行が隔月になったもので、僕は2回余分に送ってしまってあるんです。ちょっとしばらく…来月は書かないといけないと思うんですけど、そんな予定ですね。今朝は本堂の右側を上がった所に小さな磐余堂って言うお堂があるんですけど、お掃除をしてきたところです。閉めたきりほったらかしだったので、少し反省しまして、開けて入ってみたら、まあ、中はそんなに汚れてなかったんですけど、ヤモリがフンをするのでね、壁際などやっぱり汚されてますけど、磐余堂の中には法身普賢って言う仏様をお祀りしてあるんです。

道場に曼荼羅が2面かかってますけど、この金剛界と胎蔵曼陀羅を制作されたのはネパールなんです。
8月に家内と二人でネパールへ行く予定なんですけれども、その時向こうでお世話いただくのが、秋田嘉弘さんって言う方で、その人の息子が秋田寅吉さん、まだ若い26,7かな、くらいの青年なんですけどこの寅吉さんに呼ばれて行くんです。私が東光寺に縁ができて、それでこういうお堂を今整備していると言うような、話を伝えた時に秋田嘉弘さんが法身普賢の仏像を送ってくださったんです。

チベット仏教の仏様です。「ほっしんふげん」って言う名前だと聞いてますけど。「ほっしん」って言うのは法律の法に、身体の身て書くんですね。「法身」それで、「ほっしん」と読みます。それで、「ふげん」は普賢菩薩の普賢ですね。法身普賢。あの興味のある方は、今とりあえず閉めてきましたけど、開けてお見せしますので、昼休み…お昼休みはもう終わったのか(一同笑い)

(琴美ちゃん)夕方休み!


(宥厳先生)その休みの時間にでも見てきて下さい。法身普賢と言うのはね、合体佛なんですね。合体佛って言うのは、仏様と荼枳尼(ダキニ)天って言ってという女性の仏様ですが、正面から向き合って、抱き合って、交わってる、そういう仏さんです。日本にはそういう仏様は、聖天さんって言うのがあるんですけどね。聖天さんってご存知でしょう?日本各地にお聖天さん。「聖」と言う字に「天」と書くんですけどね。聖天さんって言う仏様が、ときどきおまつりされてます。聖天さんは象の姿ですね。象の姿で、やはり合体佛として作られてて、それで、日本の真言宗のお坊さんの中ではですね、聖天さんをおまつりするって言う人は非常に少なくて、つまり聖天をおまつりするのには、聖天法って言うおまつりの仕方があってね、毎日かかさず、きちんとその佛様に祈祷しなくてはいけない。それから、供物って言ってお供えするものですね。これも、もう厳密に決められていて、それで、シーズンオフにはなくなるようなものまで揃えてお供えしなくてはいけないと言うような細かいことがあって、それを、多分毎日ではなくて毎週だと思うんですけど、きちんと取り替えて行く、それから、一日でも勤行をさぼるとたちまちにして命を取られるって言う…
(琴美ちゃん)嫌!怖い!

(宥厳先生)そういう仏様です。その代り、この仏様をきっちりと毎日拝んでましたらね、聖天法で、それはもうとてつもない繁栄がもたらされると言うようなことが言い伝えられておって、それで、まあ忙しいから交代にしようかっていうのもあんまり認められてないみたいですね。だから、もう決まった人がきちっと決まった時間に、それも一日二座くらいあると思うんです。二座と言うのは朝晩とか言う意味ですけどね、あるんですね。まああの、信仰と言うのはそういう厳しいものをどっかに持っておって、ま、私のようなずぼらなお坊さんには、ちょっと聖天法なんてとても出来ないんです。

で、ここにおまつりされてる法身普賢は聖天様ではありませんけれども、秋田嘉弘さんに頂いてから、あそこにおまつりしようと思ったとたんに大阪市内のあるお寺から、仏間で使ってた仏具一式、漆塗りの仏具と大きな燈篭など、これも余ったの使いませんかってね、わざわざ大阪から持ってきてくれてたちまちにしてああいう風に荘厳が整ったんです。

それで、法身普賢の後ろに五面のタンカが掛ってます。タンカっていうのは掛け軸みたいなもんですけど、日本の掛け軸と違ってチベットとかネパールの方では、仏画を布で掛け軸を作って、くるくると巻いて、持ち運びできるようなそういう形で一応掛け軸風にできてるわけです。これも秋田嘉弘さんがくださったんですが、金剛界の五佛という仏様です。

あのお堂でよく瞑想をされたのはベルギーに帰られましたけど、カトリックの神父さんでペテロ・バーケロマンスさんです。私が東光寺へ来た頃は毎日のように来られて、その頃彼はまだ時間が比較的自由だったので、東光寺へせっせと通ってはお寺の整備を手伝ってくれました。庫裏の真ん前にボロボロの一戸建ちの家がありましてね、小屋って言うか、まあ誰かが戦争前から住んでた家なんですけど、吉野造りの家で、吉野造りって言うのは庫裏の前の庭が、傾斜がきつい斜面になってたんですね。で、その斜面に柱を立てて崖に乗り出すようにして家を作ると言うそういう作り方を吉野造りというんですけど、ま、吉野の方ではそうやって土地が狭いからね、斜面に柱を立てて家を建てる。だから、玄関から入ると地下みたいにもぐって行けて、下にもまた座敷があったりするんですね。ここの前にあったのもそういう家だったんです。

ところが、その吉野造りの家を支えている柱が、もう粗末な丸太で、それも途中で長さが足りなくて針金で縛って、それで支えてあるような恐ろしい家でした。で、中に、だから、怖がって誰も中に入ろうとしない。中に入ったらたちまち潰れるだろうと思うような危ない家でした。屋根には瓦がのってなくて、トタンぶきだったんです。お風呂がついてて、それでその家の座敷にはありとあらゆるガラクタをほりこんであった。以前に東光寺にいた人がいらなくなったのものを入れたんでしょうね。それをペテロさんと2人で屋根のトタンを外して、針金で四角い箱にそれを仕立てあげて、で、一方を開くようにして屋根も作って、かなり大きなトタンだけの小屋を作りましてね、そこに家を二人でせっせと壊しては、そこにほり込んでは火をつけてね、それで、トタン火がつくと、前もちょっとカバーしてそうやって2カ月かかって、家一軒全部燃やしたんです。
(一同)え~~~!?

(宥厳先生)まあ、そんなことをしてちょうどその頃、そんな作業している頃に、読売テレビの「宗教の時間」って言う朝早く放送される番組がありましてね。それが取材に来られて、それで20分くらいの番組ですけどね。そういう番組で紹介されたことがあります。

で、その番組では、私が一輪車で裏山から土を運んで斜面を埋め立てしている映像があります。
庭をもっと広げてやろうと思ってね。3mくらい向こうに広げたんです。当時はいま駐車場になってるとこに、家が建ってたんですよ。大きな家が3棟くらいあったんですけど。それを、私が来てから地主さんが一人でコツコツと瓦をおろして解体してました。解体を全部一人でやってましたね。解体したものを軽トラックでどっかに運んでいました。

まあ、田舎の人ですから、時間がいくらでもあるので、ああいうことされたんでしょう。で、その家の梁とかね、丈夫そうな廃材が出た時に、それをもらってペテロさんと2人で担いで持って上がって、それで、その斜面の所に井桁に組んで、カスガイで止めて、で防腐剤を塗ってね。その間に土をほり込んで行って庭を広げたわけです。だから、今ちょっと広くなってますけど、以前はもっとこっち側に狭かった。まあ、そういう形でお寺を整備してきたわけです。

で、まああの頃から大方23年以上になるんですけど、ずいぶん木が大きくなって鬱蒼としていますね、茂りすぎて始末が悪いくらい良く茂ります。私が高野山に入ったのが49歳の時でしたけれども、40代の時はからだがね、辛いことが多かったんですけどね。東光寺に来てからは割とこの樹木に囲まれて、それで、樹木の何か精を頂くんだろうと思うんです。何とか…フィトンチットかなんか言いますね。樹木から出てるエネルギーみたいなもんですね。フィトンチッタって言うたかな。ね。
(受講生)フィトンチット…
(宥厳先生)フィトンチットって言うんですかね。あれのお陰だろうと思うんですけど、疲れにくくなってきましたね。それとこの石段を上がったり降りたりしないといけないということも、健康に裨益するところ大だったと思うんです。東光寺というお寺に縁ができて、お寺に暮らすようになったものの、当初はこれから生活をどうしていこうかと言うような感じだったんですけど。まあ、東光寺の本堂と庫裏の8畳の部屋2つで講習会を開いたりするようになって、ぼちぼちと人が来てくれてたんですけど、まだインターネットとかね、そんなことは全く縁のない時代で、なかなか楽健法も広がらなかったんですが。まあ、その後にテレビの取材もあったりして、朝の番組に二回ぐらい、朝日放送かなんかが生放送でニュースの時間に、お寺でこういうことやってますって楽健法をやってるのを実況放送してくれたり、と言うようなことがあったんです。

まあそういう放送があったからと言って、それを見て人が増えるとことは滅多にないですね。あの放送を見てここへ来られて、この講習会の第1期か2期の…1期だったかな萬成さんって言う人はテレビを見て来られるようになった人です。

萬成さんは毎月のように講習会に参加されていました。当時、道場のここの家にはSさんという家族が住んでられたんですけど、ある日引越しの用意してるもんですから、聞いてみたら、ここはある会社の社宅になってて、そこの社員の家族が住んでたんですね。その奥さんがペースメーカーを入れて、もうここまで石段を上がるのがしんどいし、それで引っ越すことになったんです。

それだったら後を僕が借りられませんかね、と言う話をしたら、そしたら、会長に話してみますって言うことになって、それで話してくれたら、東光寺さんとは深い因縁のあるお付き合いでしたので東光寺さんが使ってくれるんだったらこんな嬉しいことはありません、とか言うので、それでここが使えるようになったんです。まあ、そんな話を萬成さんにしたら、私もいつも東光寺に来るとき、ここの家が東光寺のものだったらいいのになぁといつも思ってましたって言ってましたから、そういう念力が通じてね、ここの道場が東光寺のものになる、そういうことが実現したんだと思います。

当時はこの部屋が二間になってましてね、そちら側が応接間で、何ていうの?マントルピースがついていました。一応そういう形の応接間で、こちら側は一段高くなってましてね、20cmくらい高くなって、もちろん壁で仕切られてるわけですけれども、その壁を取り払って、床をフラットにしてそれでまあ道場にしたんですね。ま、そんなことからここの今12年になりますけどね。第12期生の、今皆さんがそうなんですけれども、もうひと巡りそういう講習会やってこれたわけです。それで、一昨年までは部屋の広さがここから向こうだったわけです。だから、こっから向こうと言うこと3×3=9。
(受講生)16名ですよね。
(宥厳先生)うん、私たちも入れて18名しかできなかったんですけど、ちょっとここ1畳分広げようと言うので、何か急に思い立って、それで源ちゃんっていう大工さんにお願いしたら、まあ1か月くらいで広げてくれてね、それで、まあちょっと手狭で我慢しながらですけど、譲り合って一応24人の人がこうやって楽健法の勉強を出来るようになったわけです。

ま、とても有難いことだと思います。そんなことから、まあお寺と言うのは、自分が思いもしなかったような展開が起ったりします。

まあ僕はいつも自分の中に良い意志を持って生きると言うことを自分の心がけとしています。いつも誰かのためにと言うような気持ちでずっと生きてるつもりでおるんですけれども、まあ、そういう意志が何かにちょっと認められるときに、何かちょっと変化が起きてきたような気がいつもしてます。

有難いことだと思うんですけど、人間と言うのはひととの出会いがあって何かが変わっていくのです。私たちはお互いに、常にいつでも人間同士、触媒作用をするんですね。思いがけない人と出会いと言うのが必ず、誰かがいてその人を通じて人と知り合って行くわけで、で、その触媒になってくれた人が気に食わない人である場合もあるわけですね。

だけど、そういう意味で言うとね、世の中に、あいつはいなくてもいい、なんていうような人は僕は一人もいないと思うんですね。少々できの悪いと思うような、癖の強い人でもね、やっぱり人と人とつないだりして、自分では意識してなくても知らないうちに人と人を繋いだりして、そうやって人は道が開けて行ってるように思います。ま、そういうことを思いながら、楽健法と天然酵母パンを、まあ長年続けてきたわけですね。

それで、先週の月曜日に、先週じゃないわ今週ね、月曜日にまたテレビの取材がありまして、この間の月曜日に、朝の6時から、朝日放送が3人、大きなカメラを持ちこんで、パン工房へやってきましてね、で、家内と二人、一日カメラにつけ狙われて、パパラッチやられてたわけです(笑)。

それで、それは「やまとナゼしこ」、ナデシコじゃなくて、ナゼっていう、「やまとナゼしこ」って言う番組が、古舘さんかな?のニュース番組のあれの続き、あれの直後に火曜日にある番組らしいんですけど、ぼくは見たことがないんですが、その番組で放映されることになります。

これは長年、後期高齢者になるまで苦労をしてきた夫婦を、ま、世の中に夫婦のサンプルとしてご紹介したいと言うようなことらしくて、それで、まあ、私たちは世間のサンプルになるような、いい夫婦だとは思ってませんけれども。まあ、そういう誤解をされる方もおるわけで、ご本人が一番誤解してたりして(笑)。ま、そんなことです。

(一同笑い)

(宥厳先生)なんかおかしい?
(受講生)ほほ笑みみがすごい(一同爆笑)
(受講生)こわい!

(宥厳先生)まああの、そうそう番組が近いうちに、関西圏だけかもしれないんですけど、まあ、また放映の日が決まったら皆さんにお知らせします。それから、見られない人にはビデオ録画しておいてお見せしたいと思いますので、まあ、楽しみにしていてください。まあ何て言うことはないんですけどね。ぶっちゃけた話はあんまり喋りたくないような話を聞かれたりするんです。「どうして奥さんを、奥さんを愛するようになったんですか」(一同爆笑)。

(琴美ちゃん)聞きたいわ~(一同笑い)

(宥厳先生)ん?「今のお気持ちはちはどうなんですか」(一同爆笑)。家内はあんまりそういうことに、あんまり答えたがらないんです、ねぇ。曰く言い難しです。そんなこと言わんでもわかってるやんか」ちゅなこと言うて(一同笑い)。どっちにでも取れる(一同笑い)。まあそんなことですね。

じゃあ、今から楽健法やりましょうね。護身法から行きましょう。

(宥厳先生)それからちょっと言い忘れましたけれども、今日は日比野さんがちょっとどうしても用事があって出られないので、高田さんに応援に来て頂きました。高田さんどこに行った?
(受講生)ここ!
(宥厳先生)ああ、あの人が高田さんです。今日は日比野さんになって頂きます。はい。











楽健法(8)


おやつ~



辻田さん、いつもありがとう!








Dinner「新玉の丸ごと煮」


●新玉の丸ごと煮(新たまねぎ、プチトマト、スナックエンドウ)
●旬野菜の煮物(破竹、あげ、ジャガイモ、シメジ、こんにゃく)
●豆ご飯

これ何のおまじないでしょう!?






真似しちゃった!


答えはしゃっくりを止める!です。名古屋の平松さん談。



楽健法(9)








第3回6月10日(2日目)その2

2012年06月24日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~






朝のお勤め












Breakfast

●天然酵母パン●かぼちゃスープ●野菜サラダ(レタス、リンゴ、紫たまねぎ、辻田ミカン[紅甘夏]、平野プチトマト、キュウリ、セロリ)

みんなのパンで作った高菜サンドイッチ




6/10 9:48
(宥厳先生)あらためて、おはようございます。
(一同)おはようございます。



(宥厳先生)この詩は皆さんどっかで見たことあるでしょう。どっかで。初めて読む人いますか?…そうか。初めて読む人は僕の本読んでいないということだね(一同爆)。あの、楽健法の中に1つだけ詩を引用してますけどそれがこれですね。まあ、あの今月は短歌をお出ししなかったので、ちょっとこれを刷ってみました。あの、これを書いたのは1970年代ですね。大阪の上本町に大王商会って言う自然食品の卸屋さんがありましてね、そこで「健康食」と言う名前の雑誌が月刊でずーっと出てたんですね。それの新年号が毎年、巻頭詩、一番最初のページを飾る詩をね、書いてくれと言うようなことで、それでまあ健康食にふさわしいような詩を毎月書いておったわけです。その内その月刊誌がなくなっちゃったもんだから、廃刊してしまったもんですから、それ以来ま、こういう傾向の詩は書かなくなったんですけど、その中の一つです。で、ちょっと読んでみます。







*** か み し め る ***


闘病五十年
喘息に苦しみ
貧乏にあえいだ男がいた
喘息はついに直らず
さよならをした
息子のわたしに喘息を遺産として残して

闘病十余年
薬づけのまっくらやみの人生であった
まっくらやみだが
神さまがどこかにいられるはずだと思い
わたしは合掌した

合掌すると心の中に新しい芽が生える

わたしは思った
合掌は左右の手の出会いである
病気もひとつの出会いである
人間に対する
最高の教育者が病気である
病気は
神さまのおひとりでさえあるのだと
病気は選ばれた人間に与えられる
神さまからの贈りものだ

わたしは病気を楽しむことにした
大切にしようと思った
直そうと思うのは止しにした

ある日わたしは玄米に出会った
玄米を食え
とその坊主はわたしに言った
うまいぞ!
そう言ってにこにこしていた

わたしは玄米をかみしめた
玄米は人生に似て味わい深い
玄米をかみしめるというのは
人生をかみしめるということである
歯の合掌である

さまざまの出会いがある
病気の神さまのみちびきで
わたしは味わい深い出会いを得た
多くのすぐれた人との出会いをもった

病気こそ父の遺産の唯一の最高のものだ
うらみつらみを抱いた若い日を省みて
わたしは合掌する
いまでは健康のありがたさを
しみじみとかみしめながら






こんな詩です。私の父親は喘息のベテランだったんです。ベテランたって、治せないから有り難くないベテランになっちゃうんです。私は25歳で喘息にかかったんですけど、医者に、ああ、あなたは喘息ですっと言われて、誰か身内に喘息の人おりますかなんて質問されたんですけど、で、まあ父親が喘息だったもんですから、それで、母親に家に帰って喘息だと言われたといったら僕の顔をしみじみ見つめて、お父さんも25の時に喘息になったって、言って感慨深そうな顔をしてましたね。だけど、あの、なぜ喘息になるのかと言うのは、まあ引き金は色々あるんですけれども、私にとっては一番大きな原因はやっぱり生活に対する忌避感(ストレス)ですね。もういやだって言う思い、ここから逃げ出したいって言うような、、非常にシビアな環境が私をとらえて離さなかったもんですからね、で、九人家族の長男で、それで、もう私が16歳の頃には一人前に稼ぐようになっていましたから、父親が全く仕事をしなくなって、できなくなったっていうべきかね、アルコール中毒で、普段は外面(そとづら)は神様かと言われるような大人しい人当たりのいい人なんですけど、内面(うちづら)があんまりよくないのですね。家の中では大変な暴君なんですよ。それでよその人が外から見てたらいいお父さんだねって誰でもおっしゃるんですね。ところが、まあ家では母親に怒鳴り散らすし、酒飲んだら荒れてくるしね。で、それが荒れてくる理由と言うのが、やっぱり自分の体がままにならないと言うことのいらだちもあったと思うんですね。それと、家族が、まあ子供がどんどん増えて、7人も子供がいて、それで体が思うように動かない。生活費だけはどんどんいるが、その必要を満たせないわけですよね、自分の力で。

で、私が16の時には一家の中心になって稼いでたわけですね。しかし、そういうことがすごく僕には負担だったわけです。精神的に。それで…それでも父親がニコニコして、夜一合か二合の酒飲んでね、大人しくすっと寝るような人だったら、腹も立たんのだけど、テーブルに座って飲みだしたら5時間も6時間でも、座ってぐずぐずぐずぐず言いながらやってるわけですよね。もういいかげんに切り上げたらなどとうっかりいおうものなら、そこらにあるものがパーンッと飛んできたりするんです。当時は薪をいっぱい仕事場から持って帰ってそれでご飯を炊いてたんですけど、その薪を入れた袋がそのままお袋の頭の上に飛んで行ったりして、頭から出血なんてこともありました。

 どうしてこんなにいつもご機嫌が斜めなんだろう。例え貧乏で不足があっても、ニコニコしておったって、怒っとったって同じことなのにね、一日は一日で。どうしてこんなに機嫌が悪い人がいるんだろう。それで私はいつも年をとって行ったときに、いかに物わかりのいいね、理解力のある、包容力のある、そういうお年寄りに、どうしてなって行けないんだろうかと言うことが、まあいつも頭の中で子供の頃からずーっと思い続けていたことでした。

それはまあ両親…父親のそういう姿を見ながら反面教師として私が学んだことですね。だから、年寄りと言うのは長い時間生きて、それで人生経験をいろいろ積んできてですね、若い人には決して見えないようなものがちゃんと見えてきたり、それから適切なアドバイスがちゃんとできたりするようなね、そういうお年寄りになっていくのが、まあ言わば長老の役割だったわけですよね。だから、その長老が荒れてくるということは一家の柱が狂う訳ですから、まあ一人機嫌の悪い人が家の中におると家の中は地獄になっちゃうんですね。

 そんなことが日常的ですから、荒れ狂ってもう手に負えない時に、父親をね、パトカーを呼んでね、精神病院に連れて行ってもらったことがあって、それで、入院するとそこでは酒を飲まないのですから大人しくてね、で、あなたのような人を入院させるていうのは、よっぽどろくでもない息子だというように療養してる人たちは言ってたらしいですね。

そういう生活は天国と地獄が一緒にあるんですね。人間は笑えば天国怒れば地獄です。
パトカーに来てもらって車に乗せたとき、よくも父親をこんな目に合わせたな、とぼくを睨み付けた父親の悲壮感にみちた目を忘れられないですね、いまだに。

喘息に対する薬の使い方
僕は喘息で発作が起きたときは、注射器を持ち歩いていて、エフェドリンという薬を自分で注射していました。三年間ぐらいそんなことをしていたかな。
その内吸入するメジヘラーなんて薬だとかでてきて、注射はしなくなりました。
そういうぜんそくの治療もしながら若いあ文学青年だった僕は、劇団に入って活動したり、詩を書いたり、いっぱしの破滅型の文人のつもりで飲めば喘息がでやすいのに、飲み歩いたりもしていました。僕自身は例え生活が過酷な状況であっても、そのまま人生苦の中に埋没してしまわないところがありました。

ものを書くということは、自分自身を客観的に眺める作業でもあって、メタ認識などというんですね、今俺はこういうことをしてるなと、冷静に自分が自分を眺めている。眺めている自分を見ているもうひとりの自分、複数の自分の目がいつもあるんです。そういう見方、自覚があって均衡がとれてきたともいえるんですね。
そういう自分でなければ、どっかで変にねじ曲がった人間になったかも知れないです。

1981年に「二人ヨーガ楽健法」と言う本を書いた時にこの詩を載せた。
父親はぼくにとって怨む対象やトラウマじゃなくて、評価としては非常に素晴らしい才能を持った先達の職人で、徳島では名人とも神様ともいわれるような指物師でした。
物事に非常に注意深くて、通りかかった建築中の家なんかでも、大工さんの仕事をじーっと納得するまで観察していて、見て納得するとそれがそのまま必要なときには職人の仕事として出来るような人でした。

僕も指物の職人として滅多に仲間には引けをとらない自負はもっていますが、とても父親は超えられないといまでも思っています。昔の職人は引き抜かれるのも名誉だったので、名人か神様かと言われた有名な存在の職人だったのです。
喘息もちでスタミナ不足ですから、ひと月の内十日くらいしか仕事には行かないのですが、その十日で他の人の三倍くらい仕事をこなして稼ぐ腕をもっていたんです。
職場に入って仕事をしだしたら髪の毛が逆立ってるんです。傍へ寄るのがこわい、鬼気迫るような雰囲気でした。
僕も小学校6年生のときから父親の弟子になっていつもそばについて父の指示通りに仕事をするんですが、父親が仕事に集中しはじめるとそばに行くのが怖いのです。

きわめて正確にきちんとした仕事を手早くこなす人でした。
しかし生涯、結局喘息はよう治さなかったんです。喘息が父の足をひっぱって、大家族なのに十分のことができないということが自分への責め苦になって、アル中になっていったんですね。

父が教えてくれた喘息対策のひとつに、たんが切れない時は煙草を吸えば切れるなんてのがあって、ぼくも煙草を吸うようになっていましたが、僕は煙草をいつ吸ってもまずいと思い好きになれないので、火をつけて1cmくらい2,3回吸うと、灰皿にねじ込むような吸い方で、母親がたばこ好きでしたからそれを見て「もったいない」などといわれましたが、もっと吸っては体に害になるのだから、これくらいで捨てたほうが、もったいなくないです、などと反論したりしていました。
やっぱり病気と言うのは色んな考えるヒントや、人生を切り変えるきっかけを与えてくれる神様からのメッセージですね。


病気することによって、自分の生活あの中に何か正さないといけないものがあることを教えられるのですから。
人生が困難が多いと無意識のうちに、病気に逃げたいという意識が働くんです。でも病気にもよりけりで、好きな病気になれたらいいが、嫌いな病気になったら大変です。好きな病気なんてあるのかな?

時々話していますが、病気になるならあの病気になりたいってのが、若いときにありました。
なんだかわかりますか?
みなさんはこの病気にならなってもいいなんてのがありますか?
ぼくがなりたかった病気はテーベです。昔の言葉では労咳、肺病、結核なんていうのですが、これにはなりたくない。テーベにかぎるんですね。
と言うのは昔の言葉で言うところの労咳や結核、肺病やみなんてのは暗すぎてなる気がしないですね。昔は肺病になって死ぬひとが多くて、伝染する不治の病みたいに思われていてとても恐れられた病気ですね。

若い頃に堀辰雄の小説なんかを読んで、ロマンティックな想像をかき立てられたのです、で、白樺の林が窓の外に広がる高原のサナトリューム、窓の白いカーテン、清潔なベッド、白いシーツの上に外の緑を見ながらぼくが安静時間を過ごしている。そこに元気な美しいナースがやってきて、いかがですかなんて声をかけてくれる。きっとぼくはそのナースと恋愛するだろう、そういうことを考えていたら罰が当って現実には喘息なんていうアンチロマンの病気になったんですね。生きることの困難から逃れたいというぼくの青春の抵抗がこういう想像をさせたんですね。

おゆきさんとくらすようになってから、いろいろ喘息の療法を聞いてきてくれたりして、、あるときは松葉を5本ばかり刻んでオブラードで包んで飲むと咳が止まるなんてことを聞いて、ところが大阪市内の住まいの周りには松の木なんてなくて、散歩しながらどこかの家の前に盆栽の松を見つけて数本黙ってもらってきて試したこともありました。
これが(咳)関の五本松ではないかなどと駄洒落をいったりして。でもそれで治るわけはないよね。

そんな風にして病気も楽しみながら悲壮にならないで付き合っていくことができるわけです。
この詩を書いた時はすでに天然酵母パンを開発して楽健寺パン工房の営業をしていましたし、喘息はすっかり治って、楽健法の普及活動、アーユルヴェーダ研究会と有害食品研究会の事務局長をしながら普通のひとにはたぶん想像もできないほど、忙しい生活を送っていました。


私は本来融通無碍な人間ですから、厳密な意味での主義というものは身につけないで、フランクに生きています。ですから玄米食を忠実にやっているわけでもなく、からだにいいからといっておいしいと自分で思えないものを主義で食ったりはしないのです。

もともと肉食はしないのですが、食生活が病気の原因にも治癒にも関係しているとわかったことで、なにをコントロールすればいいのかがわかるわけです。お坊さんから教えられて食べ始めた玄米はもう一つうまいとは思わなかったので、食べているだけで病気もよくなるし、なによりもおいしい天然酵母パンを研究して作ることになったわけです。パンの研究は食品微生物学などという専門書も何冊か読んで、素人ながら顕微鏡も購入していろいろ実験しながら作ってきたんです。

この詩を掲載したのは、高圧釜のメーカーの大王商会が発行している「健康食」という雑誌で、新年号の巻頭に詩を書いてくださいと依頼があって、数年間巻頭詩を掲載してくれたんですが、この詩もその一つです。健康食はやがて廃刊になりました。
天然酵母パンを作り出して、真っ先に仕入れをしてくれたのも大王商会さんで、今はキャロットと言う名前の自然食品店でパンの取引はいまも続いています。

喘息にならなければ、天然酵母パンや楽健法をやることにはならず、丸山博先生と出会うと言うようなこともなかったろうと思います。アーユルヴェーダ研究会や有害食品研究会のお手伝いができたことで、楽健法や天然酵母パンの普及にもずいぶん役立ったとおもいます。

日本の小説家や評論家、知識人たちの書いた本を呼んでいると、専門的な分野では奥深いかも知れないですが、人間が生きていくための知恵としての衛生学的な知識、健康や食に対する考え方、ものの見方が欠落しています。西洋医学的な栄養学とか、うまいもの、グルメなどということは知っていても、それらを食べ続けることのリスクなどについては、ほとんど白痴にひとしいひとが多いです。グルメとは身体にどういう影響を及ぼしているのかなどということは考えないで、摂ることはよいことだとばかりグルメとやらを食べつづけて、メタボリックシンドローム(過食肥満)になっている。こういう傾向の体つきのひとが医者、学者、僧侶、にかぎらず多いですね。知的な生活など感じられない脂ぎった肥満体の人をみると、哀れにすら思います。コントロールする精神が皆無ですね。そして病気になると医師まかせで、過剰な医療の餌食になって治るまもなく死んでしまう身体になっていくんです。

先日、ABC放送の取材があって、大王商会へ配達に行くときにも運転しながら取材を受けましたが、
話の成り行きから日本の年間死亡者数の話になり、40代半ばから50代はじめにかけての死亡数がほかの年代の3倍にも増えるのはなぜか、などという話になりました。

この数字から推論できるのは、余り食生活とかそういうことに関する知識がなくて、食養家からみると怖いような食生活をしている人々、欲しいままにからだによくない食事を食べ続けていても、50年ぐらいは元気に働けるが、そこで病気になると回復するだけの治癒力が残っていないのではないかと想像できる、という話をしたんです。

ちょうど僕を取材していた人はメタボの体格で、年齢もあぶないところにさしかかっているとのことで、怖い話をされますね、とびびっていましたが、気づいたときに食の傾向を切り替えていけばいいのです、という話をしました。

評論家で知の巨人なんていわれているひとがいますが、体つきを見ると、知なんてことが感じられる体つきではないですね。あの体を見たら、現代の日本人の節制知らずに食いまくってる体型ですね。知というのは体型にもオーラーにもあらわれるものですよね。

美味求真なんていって、グルメの追求に熱心な物書きは多いです。開高健なんかも大きな幻の魚を追っかけて釣り上げて食べたことなど書いていますが、彼が魚を釣って歩くときはいつも友人のシェフが同行して、釣り上げたばかりの魚を如何においしく食べるかなんてことをやっていたそうです。でもあのメタボ気味のからだは、ごちそうからとりすぎた脂が回って病気になると元に戻れない体型です。せっかくの優れた知能をもちながら、健康やからだに関することには無頓着で無知というのは、知が欠落しているからですね。西洋医学依存症だから未来の自分の健康はそちらまかせで、日々のくらしが大事ということには知がはたらかないのです。

僕らが子供のころは、男は台所に入るななどとよく聞かされていたもので、台所仕事を男がするのはなにか卑しいことのように思っていた傾向があります。台所、食事のことは女性に任しとけばいいという考え方があって、男がいちいち細かいことを気にして奥さんに台所を任せきらないことを戒める意味もあったかと思います。


無畏を施すということ
施無畏ということばがあって、これはわかりやすくいうと、無知なひとを怖がらすようなことをいわないで、正しいことを教えて導いてあげることを意味する言葉です。
衆生済度なんていいますが、なにが正しいのかはっきり分別のつかない衆生に正確な生活の指針与え、教え導くのは、僧侶とか医師の役割です。この施無畏をほどこすのではなくて、畏怖させて人々から巻き上げようというのが、脅迫ですね。先祖の祟りで病気になってるから供養してあげるなんていって金を持ってこさせたりする坊主とか、ほっとけば命に関わるなどといって、無知な患者を脅して医療費を稼ぐ病院や医師などがいっぱいいます。そういう施無畏に反する行動をしているひとかどうか、見抜ける人はいいですけれど、ほとんどの人は権威だと思い込んでいる病院からのご託宣、じつは脅迫におびえて必要でもない医療を受容してしまったりします。

病気というのは、高度の医学でなければ治らないものではなく、からだの持っている治癒力がはたらいて治ってしまうものです。ほっといたら治るもので、ほっとくというのは時間の経過を待つということです。

以前に保健所で働いているひとが来られて話をうかがったんですが、担当の地域の病人がいる家の環境を調べてみたところ、風通しの悪い家に住んでいるひとに病気が多かったそうです。
風の通りがいい明るい家に住んでいるひとには病気が少ないそうで、これも家の循環がいいということですね。

毎日を風通しのいい家で明るく暮らすと病気にはなかなかなれませんね。
では今から楽健法やりましょう。







楽健法(10)




インナー・マッスル鍛えてます!


ひ~ふ~


僕、頑張ったもん!




散髪










Lunch「カレーランチ ズッキーニの素揚げトッピング
●東光寺カレー(長ネギ、ニンニク、ショウガ、人参、鷹の爪、すりおろしリンゴ、はちみつ、ゴボウ、えんどう豆、ジャガイモ、ジャコ、玉ねぎ、トマト、キュウリ、ズッキーニ、アボカド、コリアンダー、こんにゃく、あぶらあげ、しいたけ、チーズ)●カブの浅漬け




「短時間講習をどう指導すればいいか」

楽健法の講習を頼まれても、時間的な制限があって2時間前後しか講習時間がとれないところがおおいです。文化教室なんかもたいてい短時間ですね。
東光寺や東京楽健法研究会では講義に2時間、実習に3時間以上あてています。短時間で楽健法を教えるにはどうしたらいいか、という相談をよく受けるようになりました。時間が短くて人数が多くなるほど教えることが難しくなってくるのですが、以前に出雲で受講者が70数名、講師は僕一人で時間が全体で90分ほどしかない。その時に一か所のポイントを30回踏んだら次のポイントに移るという楽健法をやってみました、

そのやりかたでしたら90分くらいで交代して全部のコースをこなすことができます。
「今日はここだけを踏むんだ、今日は足だけで明日また手を踏みます
時間がない時は一カ所を30回、足をずらさなくていいですから踏みます。

ではいまからこの教室の感想をみなさんからおききしたいと思います。


横手です。まだ慣れませんが、毎月楽しみに来ています。

(琴美ちゃん)
皆さんやさしいので、毎回楽しく勉強しています。

蛯名で~す
だんだんほぐれてきています。
これからももっとほぐれるよう学習していきたいと思います。

宮下
皆さん優しくて
今回、宥厳先生にも踏んでもらって卒業する頃にはどうなってんだろと、、、。

西澤です。毎回、般若心経のときピアノが、何となく迷っていましたが、今月は皆さんの般若心経とやっと一緒に弾けたかなと感じています。だいぶ慣れて来たと言うのか、指がやっと、ちょっと動く感じです。

(幸子先生)ドンピチャ

(宥厳先生) 来月のコラボと言うのは、お互いにインプロビゼーション(即興演奏)ですからその場限りの面白さがあるだろうと思います。コラの音色は優しいので、それをベースにしてたぶんピアノがリードするような形で、一人芝居にコラボしてくると思います。そこで何が起こるのかやってみないとわからないですが、そこに飛び込むダンスも全くの即興なので、どういう展開になるかわかりませんが一緒に楽しみましょう。

小菅です
今年は最初静かだなあと思いました。三回目でそれぞれの個性が段々出てきて
経験豊富なみなさんのお話もすごく勉強になりそうですし、これからもよろしくお願いします。
三か月、学ぶことの楽しさ、物事を知って行くと言うことはすごく楽しいです。
毎回しっかり踏んで頂けるので、しかも踏める人ばかりに踏んでもらえるので有り難いです。

松本です
前回までは熟睡できなかったのですが、今朝の五時半に目が覚めたのが清々しかったです。
皆さんのパワーを感じるので、少しまだ緊張していますが、よろしく。

諸戸です
もう三か月が三回目なんだ。あっという間に一カ月が過ぎて、ここ何ヶ月か主人もあんまり踏んでいないので、気持ちいところをすごく押してもらって、ああいう風に踏めるようになりたいです。
主人も踏まれることに依存されてる感じがちょっといやなんですけど、踏む練習はしたい感じはするんですけど、割に合わない、割に合わないって感じじゃないですけど、、、

(柳田さん)何かもう耳が遠いんで失礼があるかと思う。
そして短縮ですか。今日の30分コース。
これから時間のない時はこれがいかなー

(山崎さん)初心に戻ってと思っていたんですけど、緊張感、やけに緊張してしまう。
どうにかして、楽しみながらやって行きたいと思います

(西山さん)
色んな人当たるたびに、もっともっと学んで上手に踏めるようになろうと、よろしくお願いします。

(高田さん)飛び入りです。あかんな、あかんなと思いながら、もう一回来たらと思った。

(三保くん)ちょっとは踏めるようになっているかと思っていましたが、みなさんがすごいのでまだまだだと反省しています。

平松英子(ひでこ)です。毎回毎回色んな方と組むので私自身も反応がいろいろあります。
よろしくお願いします

(宥厳先生)えいこかといままで思っていましたが、ひでこだったことにいま気づきました。

去年允許状をいただいたときえいこと読まれました。よくえいこと言われるので平気ですが、これからはひでこでお願いします。

(木元さん)楽健って知れば知るほど奥が深くて、毎回新しい発見があります。
新鮮な気持ちで参加しています。

(鈴木さん)ここでしか踏んでもらってないのですが、それぞれ個性があると踏まれながらおもいます。

(吉本さん)
このセラピスト講座は、すごくいいです。しかもたくさん学べて素晴らしい2日間です。
本当に楽健法以外もすごく楽しませてもらいます
みなさんの個性のいいところ取りをしっかりしてレベルアップします。
自信をつけたいと思います


小山です。引き続きパンツの話

(宥厳先生)小山さんのパンツって、何故パンツの話が出てくるの?

(幸子先生)私と組んで踏んでたら、ズボンが下がって中からピンクのパンツがちらっと
(だれかが)セクハラちゃうの?
わざとやないもん。

(小山さん)すみません。

(宥厳先生)僕もピンクにすっか。ちょっとジェラシー

(小山さん)いやいやどうも、、、。


































ナチュラル・ケア





第2回5月12日(1日目)その1

2012年06月04日 | 第12期楽健法セラピスト講座
5/12 13:07「どうだん投稿歌」



(宥厳先生)始めに、渡辺さんの允許状お渡しします。あの、さっき書いた出来たてのほやほやでまだ湯気が立ってる状態です(笑)。重々しくやらんといかんのよ、こういうことは(一同笑い)。え~っとね。コカ。許可と書いてコカと言う風に言います。それで、お寺では「楽健法初伝ヲ許可ス」って言う風に一行書いたらいいんですけどね、まあ、ちょっと一行だけ書いたんでは、何となくバランスが悪いので、三行に延ばして書いてる…ま、そんなこともないんですけどね。本当は「許可ス」って片仮名で書くんですね。
(一同)へ~

(宥厳先生)「あなたは楽健法研究会所定の研修を修められましたので初伝を許可します 平成24年5月12日 楽健法本部 東光寺 阿闍梨 山内宥厳」こう書いてます。
(渡辺さん)ありがとうございます。(拍手)

(宥厳先生)副賞なんやったかな。あの、もうなかった?
(琴美ちゃん)ある…かなぁ。
(宥厳先生)なかったらまた後で渡します。副賞って賞ではないですよね。記念に。記念品ですね。あの、お経の本です。また後で渡します。
(渡辺さん)ありがとうございます。
(宥厳先生)お経の本より靴下がええって言うんだったら靴下渡しますけど(一同笑い)。
(渡辺さん)靴下もいいですけど大きいのってあるんですか?(一同笑い)
(宥厳先生)長いサイズか?
(渡辺さん)いえいえ、本でいいです。経典の方がいいです(一同笑い)
(宥厳先生)経典ははけないよ、だけど。
(渡辺さん)経典は買うことが難しいんじゃないでしょうか。
(琴美ちゃん)アマゾンで売ってるのは2万。
(受講生)え~~~!!!
(渡辺さん)そうですか?買えるんですか。靴下は買えますんで、経典が欲しいです。
(宥厳先生)プレミアムついとるからね。(本)ほんでなるべく靴下にしようと思って(一同爆笑)。
(琴美ちゃん)先生出品してるんや(一同笑い)
(宥厳先生)それは嘘ですよ。



(宥厳先生)はい、どうもおはようございます。
(一同)おはようございます~。
(宥厳先生)何かあの天気がね、怪しくて寒かったりして、この間から雷は鳴るし、関東では竜巻が起こるし、で、私のパソコンのモデムが雷が鳴るとしばらく調子が悪くて、パソコンを起動するたびに電源を抜いてモデムの再起動するんですけど、しばらく使ってたらまた動かなくなってしまって、インターネットするのにうんざりしてます。もっぱらイーモバイルを使ってやったりしてます。



 この間家内と天香具山って言うところへ行ってみました。天香具山ってご存知でしょう?この辺には大和三山って言って有名な、奈良平野の盆地に島みたいに山が3つあるんですね。大和三山って言って有名なんですが、僕は何となくこの大和三山のデルタ、線を結んだデルタの中に暮らしたら何か面白いことが起こるような気がするんですが、まあ、こっちのほうから眺めながら暮らしているわけです。それで、この間ちょっと家内とぶらっと車で走ってみようかと思って、明日香村から吉野へ抜ける好きな道があって、行ってみたら崩落して通行止めになってたから戻ってきたんです。それで帰り道に天香具山へ登ってみたんです。天香具山のてっぺんには國常立神社(くにとこたち)というちいちゃな御社があります。天香具山は見る場所によっては何となく山の形がはっきりしてないんです。何かだらだらっとして横に長い感じで、ところが三輪山の方から見ると香具山が一つの独立した山みたいに見えるんですね。ま、そういう山ですけれども初めて中へ入ってみたんです。ちょうど道路で車を止めて降りたところに、大きな一抱えぐらいのユリノキが何本かあるんです。多分30年以上たってるだろうと思うようなユリノキですね。

 楽健寺のユリの木ももう30年以上たってると思うんですけれども、楽健寺のはそんなに巨大にはなってないです。しかし、壁際に植えてあったユリノキが成長するにつれて外側へ出てくるんですね。家内が駐車場の前に花をいろいろ植えたりして、始めは駐車場のシャッターを開けて車を入れられたんですけど、ユリの木は段々せり出てくるし、それから花の鉢が段々増えてきて、ガレージに車を入れることは全くできないような不思議なガレージになってるです。車庫前は花壇になってます。ちっちゃなジャングルができてるんですね。

天香具山のユリノキは花が咲いていなかったです。大きなユリの木ですが、日があんまり当らないからだろうと思うんですけど。ジャングルみたいに樹木が多いと木がまっすぐ上に伸びて行って上の方だけで葉っぱを付けるんですね。木の途中とかに枝が横に広がらない。日当たりが良い場所の木はクリスマスツリーみたいにね三角形の形で枝や葉がしげりますが、樹木が競い合ってるところでは上の方の日の当たるところだけ葉が茂って傘をかぶったようになっちゃうんですね。競い合って早く上に伸びていくもんですから、下の方はほとんど枝がない。ま、そういうユリノキなので花が咲いていないのでしょう。しかし、新緑の色がすごく綺麗でしたね。

で、ユリノキの所からずーっと頂上まで歩いたんですが、頂上たって山の高さが152mですから、知れてるんですけどね。152mだったら、まあ、息も切らさずに一気に上がれる高さです。ところが、ここ東光寺は20mの山ですけど、息を切らしている人がいっぱいいるんです。これは一体どういうことかと言う風に思わなくもないですね。

 山頂に上がって行く途中でばらばらと5,6本の竹が生えてましてね、ちょっと太めの竹なんです。その前に解説が書いてあって、それにはその竹の名前が「しぬ」って言う竹だと書いてあるんです。まあ、「しぬ」という竹なんて聞いたことないなと思ったんですけど、その竹が、多分枯れたから切られたんだと思うんですね。竹ってあれ、60年に一度枯れる何ていうこと言う人がおるんですけど、ま、そこの竹は刈られてしまってあって、それで元気な竹が数本残ってる様子、それがまた増えて行くんじゃないかなと思うんですけど、端っこの方に数本残ったその「しぬ」って言う竹が生えてて、それは青竹でした。で、横に切られて積んである竹がいっぱいあったんです。その中の太そうな奴がちょうど杖にいいだろうと思って、それを引っ張り出して両側のとんがった竹を家内が杖にして山頂まで行ったんですね。で、その竹を持って帰ってきて、それで、その「しぬ」と言う竹で作った笛を吹いてみたら、きっと死ぬんじゃないかなと(一同笑い)。それで、「死ぬ笛」と言うのを作ってみたんです。(一同笑い)。それがこれですね。
(一同)ほぇ~~~すご~い。
(宥厳先生)なかなかしっかりしたいい竹です、これね。それが、もう切られてだいぶ放置されてあったにもかかわらず、虫でやられているわけでもないし、ボロボロになってるわけでもなくちょうどいい乾燥具合で、まだちょっと湿気が残ってるのかなって言う感じがする竹でしたね。で、こんな竹で笛作ってみました。え、これでなかなかいい音が出るのでちょっと音を聞かせます。吹いてる内に死ぬかもしれません(一同爆笑)。まあ、あの死んだら坊さん呼ぶ必要ないので(一同爆笑)。みんなで般若心経三巻あげて下さい(一同笑い)。

(琴美ちゃん)三巻でいいんだ。

【宥厳先生笛演奏】


こんな音が出るんですね。

【宥厳先生笛演奏 その2】

ちょっと、何かうまいことよう吹きませんけど。

【宥厳先生笛演奏 その3】

【拍手】

昨日ちょっと西澤さんとピアノと合わしたりして少しやってみたりしてたんですけど、七月にパフォーマンスするまでもうちょっと練習しといて、これでダンスの堀江奈美子さんが踊ってくれるときに一緒にやろうかなと。で、あの~上に太鼓も出してありますので、太鼓の好きな人はいっぺん太鼓叩いてチャレンジしてみてください。

(受講生)う~ん、挫折してます。(一同爆笑)
(宥厳先生)何か太鼓たたきそうな顔してる。笛吹けば踊るなんて言う話がありますけど、まあそんなんで、こんな笛を作ってみたんです。

(宥厳先生)それで、まあ例によって今月は本当は「どうだん」の投稿はしなくてもいいんですね。と、いうのが「どうだん」の編集部の方に金がなくなって月刊が維持できなくなって隔月刊になったんですね。それで、今年は七冊出す予定みたいです。だから、今月は送らなくていいんだろうと思いますが、詠んでみた歌の中から十ほど拾い出してみたんです。
それでちょっと最初から見てもらいたいと思います。







どうだん投稿歌 山内宥厳*

★二人目を孕んだ女が幼子を抱いて田町で乗り込んで来た

★和紙ならぬ手漉きの紙に歌綴るネパールの紙あたたかし

★腰痛の仲間後から現れてサパナのカレー舌つづみ打つ

★シジミ汁小粒に過ぎて貝殻の音だけするが中身は食えず

★雨の寺庭にうろつく猫の声マニスが来たかと腰を浮かせる

★辿り来たながき道程振り返るこれこっきりの貧しきわれよ

★豊かなる愛もはたさず生き来たりせざりしことを思い返しつ

★これからはだれに向かって生きるのか得がたき時間いかほどあって

★石段を昇り疲れて止める足シャガが真白く笑顔で迎え

★山道の繁り過ぎたる樫の木の枝をはらって青空覗く

★香具山のユリノキすらりと森に立ち競う合うよう空へと伸ばす

★しぬという名の枯竹を拾いきて笛を作らん天香具山






最初のは、
★二人目を孕んだ女が幼子を抱いて田町で乗り込んで来た

これが短歌かどうかというのは(笑)。この田町って言うのは西澤さんの住んでる町の駅の名前ですね。JRの駅。何故二人目と言うことが分かるかっていう問題もあるかと思うんですけど、3人目かもしれないんですけどね。年かっこうから見て二人目に違いないと思って。赤ん坊を孕んだ女が幼子を抱いて田町で乗り込んできた。まあ、何ていうことはないんですけど、妊娠した女の人が赤ちゃん抱いて電車に乗って来たって言うことを書いてみただけなんですね。だけど、まあそうやって二人目をはらんだ女がねぇ、どういう気持ちで幸福感に満ちて生きていられるのか、ま、色んなことが人生にあるわけですから、ま、こういうことを読んでみてもいいのかなと思ったりして。これは、西澤さんところでトリートメントの後、中華料理の店に行ってそこで和紙に書いたんです。

それから、
★和紙ならぬ手漉きの紙に歌綴るネパールの紙あたたかし

ノートのサイズにネパールの和紙の、今さっき渡辺さんに允許状渡しましたけど、あの紙がネパールの手すきの紙なんですね。あの、ネパールの手すきの紙って言うのは荒々しい感じで、向こうではこれを包装紙に使ったりする。だけど、まあ日本人の目から見たら割と面白い和紙ですね。穴があいていて向こうが見えたりね、石が入ってたりね、随分荒っぽい手すきの紙なんですね。話によると、日本みたいに手すき用の水槽なんか作らないで、池にこうばーっとぶちまけて、たーっと掬って歩くとか(一同笑い)、そんな話も聞いたことがあります。厚いのとか薄いのとかあったりするんですけどね。
(宥厳先生)8月には、ポカラで楽健法講座を開きたいなと思ったんですけど、今ネパールが政情が不安定で、マオイストって言う毛沢東主義者ということだと思うんですけど、そういう人たちが、今何をやってるって言ってたかな。何か難しい三文字で…要するに、ストライキ。一斉ストライキですね。全ストっていうやつですね。なんていってたっけ?それをやれっていうことをマオイストが市民に呼び掛けるわけですね。それで、もう店も、あらゆる店という店が全部シャッターおろしてしまう。
(琴美ちゃん)バンダ。
(宥厳先生)あ、バンダ!そっかそっか。バンダと言うのをやってるらしいです。で、そのバンダをするともうタクシーも動かなくなるらしいですね。それで、その時間にもし八月にポカラ行ったりした時にバンダが起きたら、そしたら、足の確保など、対応できないのでネパールにいる、その寅吉のお父さんから、カトマンドゥーだったら色んな都合が付けられるし、楽健法の受講生も歩いて来られるので、是非、カトマンドゥーにおってくださいってなことで、結局カトマンドゥーに行って帰って来ることになりそうですけどね。ま、とても落ちついとったらいいんですけどね。西山さんはカトマンドゥー行かれたん?

(西山さん)はい。
(宥厳先生)何回行かれたん?
(西山さん)え~っと、2回?
(宥厳先生)2回?いつごろ?
(西山さん)一昨年と~その前です。
(宥厳先生)あ、そうですか。

(宥厳先生)その手すきの紙の穴のあいた所をね、違う紙をちぎってそれでノリをつけて修復するとね、ほとんど修復したことが分からないように、穴のあいた紙も修復できるということが分かりました。ま、今度行ったら、また1包みどさっと買っとかないと、と思ってるところです。

それから、

★腰痛の仲間後から現れてサパナのカレー舌つづみ打つ
何でこんなん書いたんかな(一同笑い)。これはいつも東京の楽健法の勉強会の後で、終わりましたらね、会場の右隣にイタリア料理店があるんです。少し洒落た感じでピアノなんかも置いてあるお店なんです。そこで去年は忘年会なんかもやったんですけど、で、まあコーヒーを飲んで、その後5時過ぎごろからいつもサパナと言うネパール料理の店に行くんです。ここのネパール料理が割と評判が良くて、毎月のように皆さんであそこへ行こうかと言うことに何となくなっちゃってね、それがコースになってるんです。

 中島光弘さんって言う楽健法の仲間がいらっしゃるんですけど、彼が腰痛で動けないとか言うて講習会に来られなかったんですね、当日は。ところがサパナへ座って、食べ始めたらそこへ、腰を曲げてこな~いして現れたわけです。(一同笑い)。それで、どうしたらいいのだろう、と言うような顔をして椅子にもきちんと座れないんですよ、痛くて。それで、壁側に座らしたら痛くて座れないからって椅子の方に座っても、腰痛でもぞもぞもぞもぞしてて落ち着かない。

 実は先月平松さんがね、私の足が痛いところにファイテンっていう貼り薬のサンプルを持ってて、くれたんですね。僕の左足のこの薬指がですね、靴を履いたり、草履でもそうなんですけど、5本指の靴下はいてるとマシなんですけど、もう激痛で歩けないくらい痛いんです、ずっと。もう、7,8年くらい前からですね。続いてるんです。痛いです。で、靴履けない。それで、靴履いて歩こうと思ったらこの5本指はいてやってると何とか紛れてるんですけどね。その痛みがどうかするとひどい時があって、まあ裸足で靴下なしで草履で歩いてるとキュッと痛いんですよ。歩くたびにギュッと来て。それで、そこにファイテンを指のここにペタっと貼ってみたんです。で、こちらにも貼って、上にも貼ってみたらね、何か知らんけど急に痛みが取れたんですね。

 で、これは不思議だと思って、しかし、こう足の付け根をギュッと押さえるとね、かなりいたかったんだけど、それがね、ここをギュッと揉んでも痛くなくなった。だから、毎日それを貼り替えたりしてるとね、だんだん効いて来るなと言うことがわかかったんですね。点温膏もよく貼ってたんですよ。パンの日はいつも点温膏を半分に切って痛む足指に巻いて貼ってたんです。それだとすこし紛れてるんだろうけど治って行くと言うことがなかったのが、今ほとんど痛みが減って来たんです。まだちょっと違和感はあるんだけども、不思議なことだなと思って。それで、早速インターネットで注文して1,000枚入りのやつを注文して送ってきたもんだから、それを持ち歩いていろんな人に試して歩く(一同笑)。この間、東京でも2人ね、首が回らない人、こっちは向けるけどこっちはここまで、こんな人ね、首にポーンと貼って、はい向いてご覧っていうと、しゅっと向くんだね、どうなってんですかね。

(平松さん)電気をうまく流すっていうか…。
(宥厳先生)う~ん、不思議なもんですね。それでまあ、いろんな人に試してみてます。まあ、効く…点温膏が合うような場所もあるみたいだし、あれが合う場所があるみたいですね。で、膝の痛いような人は膝の真裏に貼ってみたりしても、何か効き目があるような気がしますね。

(平松さん)チタンです。結構海外のMBAとか野球のああいう人たちもみんな使ってますよ。
(一同)え~。
(宥厳先生)ま、いつも言ってるんですけど不具合なところは治ればいいのでね。それで、どうも平松さんが持ってきたファイテンだから効いたのか(一同笑)
(平松さん)そうです~。(一同笑)
(宥厳先生)ねえ、まあ本当にあの、痛みが楽になればいいの。それで、そのファイテンは丸いんだけど4つに切ってちっちゃなポイントに貼って試してみたりしてるんですけど。だから、ちっちゃなやつも作っといてもいいかもしれない。
(平松さん)あのテープにチタンそのものの丸いボールが付いてるのがあります。
(宥厳先生)あ、そうなん?
(平松さん)ポイントで。
(宥厳先生)ふ~ん。それはそれがなくなればいかんわけやる?
(平松さん)それは永久なのでなくさないように(笑)
(宥厳先生)それがめんどくさいね。やっぱり風呂の中で流してしまう可能性はあるわね。あ、そういえば前に、ずっと昔に僕の弟がね何かそんなん貼ってて、腕がちょっと痛いとかなんとかいうから貼ってるやつほれとか言って僕ゴミ箱にほりこんでた。
(琴美ちゃん)ピップエレキバンかなんか磁石のやつじゃない。
(宥厳先生)なんか知らないけど、高いのに!とか言って。
(平松さん)永久なので、本当は捨てないほうがいいんですよね。
(宥厳先生)ああ、そうか。
(平松さん)植木鉢の下とかに貼ったりとか入れてあげたりしてもいい。

(宥厳先生)それで、話の続きだけど、その光弘さんが痛がってるので、それで琴美ちゃんにファイテンを渡して、ちょっとズボン下して貼ってやれって。
(琴美ちゃん)それで、ちゃんと座れるようになったのに、本人が認めない(一同笑)。みんな周りは痛くなくなってんじゃない?って言ったら、いや~そうかな~。さっきよりだってちゃんと座れてるじゃんって言うんだけど、で、最後は電車の中もすごい大変だったんだった、来るときはこうやってて。で、しゃきーんって吊革つかまって立ってるじゃんって一緒に帰った人が言っても、そうかな~、あんなテープでそうかな~って言って帰っていった(一同爆)。
(受講生)でも、最後は歩けるようになったんだ。
(琴美ちゃん)で、電車の中で村沢さんとずっと、普通に立ってるじゃんって言われても…
(宥厳先生)自覚しなくなってたもんね。それで、一人前にカレー食ってたんだから。今度来たら、ちょっとしごいてやらないかんな(一同笑)。
(琴美ちゃん)しごいても気がつかないから(一同笑)。
(受講生)確かに。
(宥厳先生)そういう事情のをこうやって短歌に書いてみたんです。

それから、

★シジミ汁小粒に過ぎて貝殻の音だけするが中身は食えず
(宥厳先生)どっかでしじみをくわしてもらったんですけど。こ
(琴美ちゃん)天ぷら?
(宥厳先生)いちゃ。この歌。しじみ汁。どこやったかな。
(琴美ちゃん)天ぷら屋。
(宥厳先生)天ぷら屋やったかな?
(琴美ちゃん)かどや…。え、にっしー?
(西澤さん)ああ、私ここ。
(琴美ちゃん)ねえ、天ぷら屋のしじみ汁。
(宥厳先生)ああそうか、そうやったね。
(琴美ちゃん&西澤さん)こんなお椀の中にしじみが…。お椀よりこんなにしじみが。
(宥厳先生)しじみばっかりようけ入ってた。びっくりするくらい。で、小粒すぎてね。ああいうときは、もうめんどくさいから貝殻ごと食っちゃえばいいんだね。ばりばりーっと。まあ、こんな変な歌作ってます。
(西澤さん)お汁だけでもいいんだよ。
(宥厳先生)それから、次のは、

★雨の寺庭にうろつく猫の声マニスが来たかと腰を浮かせる
(宥厳先生)この頃なんかマニスの声と同じ声の猫がいるんですよ、一匹。どうしてか声がよく似てる。マニスの残した仔じゃないかと思うくらいに声がよく似てる。マニスは去勢してましたからね。子どもなんかなかったんですけど。まあ、えっと言うくらい声がそっくりなんですね。僕を呼んでるような声で鳴くの、ちょうど庭の裏で。そんなんを歌にしてみたんです。マニスって言ったって知らない人もおると思いますけど、ここで23年間生きておった猫です。黒猫でね。ま、この黒猫の話したら、また話が長くなるので(笑)。

★辿り来たながき道程振り返るこれこっきりの貧しきわれよ
これは何か自己嫌悪に陥ったような感じで。「辿り来たながき道程振り返るこれこっきりの貧しきわれよ」まあ、この書いている通りですね。なんかあんまり人の役に立っとらんのじゃないかって五感の偈を読みながらね、僕はやっぱり飯を食うに相応しくないな、と思いながらいつも言うてるわけです。辿り来たながき道程振り返るこれこっきりの貧しきわれよ…


★豊かなる愛もはたさず生き来たりせざりしことを思い返しつ
これも上と同じような意味ですね。これはあの、功の多少を量り彼の来処を量れっていうことですね。僕はどうも考えてみたらそんなに人の役に立ったような生き方してなかったって言うような気がするもんだから、「豊かなる愛もはたさず」っていう感じで。まあ、あの奥さんに愛されてますので、もらうばっかりで申し訳ないですけど(笑)。豊かなる愛もはたさず生き来たりせざりしことを思い返しつ…。

★これからはだれに向かって生きるのか得がたき時間いかほどあって
まああの、今、僕76歳で、丸山博先生がよくね、年寄りの時間っていうのはとても、山内君、大事なんだよって、僕によく言ってましたね。残り時間っていうのは貴重なんだって言うてね。まあ、丸山先生がそんなことを言い出したのは僕が四十代のころだったからまだそんなにピンとこなかったんですけど、まあ、今もそんなにピンと来てないんだけれども、
しかし、残りの時間っていうのは減っていくばかりで増えていくことはないので、だからまあどうやって自分の人生をやっぱり質実ともにね、意味のあるような人生を送れるかどうか。ま、そういう年寄りの覚悟と言うか、それで何かしようと思ってる時間をね、何かむざむざと無駄なことで何となく介護だけ受けて死んでしまうような人生だったらね、どうしようもないんで。

ま、そういう意味では家内も私もね、元気で、まあこうやって、何かのお役には立てておるだろうと思いますので、まあパンの仕事もね、もういい加減にやめたら、なんていうような心配してくれる人もおるんですけどね、体もえらかろうとか言ってね。しかしまあ、これが95歳になっても、お幸さんがやっぱりパン焼いてるって言うたらね、これは奇跡ですね。そういう奇跡を人に見せるって言うことがね、やっぱり楽健法を見せることでもあるのかもしれない。だから、まあやっぱり98位まで頑張りましょうか(一同笑)。それで、それまでにお幸さんが先に死んだら、だれか代わりを見つけて(一同笑)、是非頑張ってやっていただきたいと思います(笑)。

★石段を昇り疲れて止める足シャガが真白く笑顔で迎え
この歌読んだら分りますか?シャガ。シャガの花って言うのが、シャガは割と、日陰の山際なんかね車で走るとワーッと群生して咲いたりしてるので、これ曽爾村とか行ったときに引っこ抜いてきてそこに植えたのがね、もっとたくさんずーっと広げてあったんですけど、何期生かの生徒さんが熊手持って落ち葉を掃除するときにみんな落ち葉と一緒に引っこ抜いてほってまうんですね。で、まあわずかにしか今残ってませんけど、また増やさなあかんので。あの横にある花なんかを落ち葉と一緒に引っこ抜かないように。それから、ここも掃除してほしんだけれども、砂利と一緒にほらないようにね。砂利は砂利でこっち側にはねが上がらないように玉砂利を入れてるわけですけどね、そういうのがねハッと気が付くとガバガバっと一緒にほってしまうので、だから、掃除するとかいうのは知らない人にとんでもないことがよく起こるんですね。

以前にもお寺にね、植木の手入れの心得があるからしてあげますなんて言って、泊りがけで手伝いに来てくれた方がいらっしゃるんですね、ご夫婦で。それで、パンの日も任しといて下さいって言うから安心して任せて、それで帰ってきたら、沙羅双樹って言われてる木が、双樹って言うのは2本立ってるから双樹なんです。沙羅双樹、ね。沙羅双樹がびーっと綺麗に伸びてかなり上まで行ってたんですが、それを2本も要らないと思って1本切っちゃったんだね。お幸さんががっかりして。お幸さんの友達があれをくれたんですよ。高いの買うてきて、で、そんなこともあるんです。

それから笹や草が激しく茂るので、それで草刈機をね、エンジンでぴーっとやるやつ、はじめて買ってきたら、それをここへ手伝いに毎週来てくれてた男の人がね、ちょうどこっちの本堂の右の奥入っていったお堂があるんですけど、あのお堂の横にねタンポポが群生してたんですよ。僕はそのタンポポも日本タンポポが結構中にあるので、まあそこのタンポポが好きでちょっ中眺めてときどき間引いて、おひたしにして食ったりしとったんですよね。そしたら、その草刈機を手渡したら、そしたらチャーっとタンポポが影も形もない(一同爆)。だから、まあ知らない人にうっかりね、道具持たしたらえらいことになる(笑)。そのあとやっぱり勢いがないですね。タンポポが生えてこない、あんまり。

竹でもそうですけど、一度竹刈るでしょう?そしたらまた生えてきます。ブッシュね、その辺いっぱいに勝手に生えてくるんですけど、始末悪いくらい生えてくるんです。一回刈ってまた伸びてきます。伸び始めた頃にもう一回刈るんです。そしたら竹が今度出てきたら刈られると思って出さなくなるんです。だから、面白いもんですね、植物というのは。賢いもんだなーと思います。まあ、そんなことで。

★山道の繁り過ぎたる樫の木の枝をはらって青空覗く
これはこの間、郵便屋さんがいつもおりてくる道の左っ側の、町側のずーっと樫の木が延び過ぎてもう向こうが見えなくて日当たり悪くて昼でも暗くなってたんで、この間衝動的にバシャバシャバシャっと切って、切ってさも衝動的にだいぶそこ、洗濯…じゃないわ、散髪したんですけどね。樫の木を。まあ、そんなこと時々やって、「山道の繁り過ぎたる樫の木の枝をはらって青空覗く」つまらない歌やね、これ。

★香具山のユリノキすらりと森に立ち競う合うよう空へと伸ばす
これは空じゃなくて「天へ」といったほうがいいのかもしれないけど。「香具山のユリノキすらりと森に立ち競う合うよう空へと伸ばす」

それから、
★しぬという名の枯竹を拾いきて笛を作らん天香具山
これは「死ぬ」と言うのではなくて「しぬ」と読むんだろうね、たぶん篠笛の「しの」というのと「しぬ」というのと同じことじゃないかなという風に、万葉集でね「しぬ」という言葉が出てくるらしいですね。で、「しぬという名の枯竹を拾いきて笛を作らん天香具山」こんな歌作ってみました。まあ、つまらない歌で申し訳なかったですけど、万葉の名歌みたいなわけにはいきませんけど、まあ、こうやって何かあの環境に任せた、環境のままに何かこう五七五七七で歌を作ってみるって言うのもね、これも楽健法だと思うので、皆さんも歌の楽健法って言うのも一つチャレンジしてみてください。是非ね。その気になったら、いくらでも詠めるようなことにすぐになるんじゃないかなと思うので、来月は歌集をみんなで出しましょうか(一同笑)。作れた人は送ってください。そしたら来月プリントして皆さんに渡すますので。斉木さんが一番に送ってくれるかな。

(斉木さん)文才がないので…。
(宥厳先生)西澤さんは書けそうですか。歌。
(西澤さん)え?
(宥厳先生)歌!私はピアノのほうがいい?どっちもいややってか。

(宥厳先生)この最後のほうのすらりと森に立ちてっていうユリノキの話ですけど、ジャングルではね上にバーッと伸びていって、上のほうだけにドームを作るんですね。木というのは。で、これをね、ネパールへ、私は10回ほどネパールへ行ってるんですけど、ネパールのカトマンドゥーからずっとインドへ入っていく道を車で走ってるとね、途中にタライって言うジャングル地帯があるんですね。それで、ネパールは世界でも最も森林が伐採される国だということになってて、石油が足りないので、インドがすぐに石油を止めるんです。そうすると、皆さん石油、ケロシンでご飯炊いてるんです。バーナー。ガスを送り込んどいてボウット火が付くやつね。そういうのでご飯炊いてるんですよ。それが石油が手に入らなくなるんですよ、インドが意地悪すると。そうするとやっぱり木を燃やさないといけない。僕らが初めてネパールへ行った頃はどこの町にもたくさん薪木を置いて売ってたんですね。それがもう木を切ってはいけない法律ができて厳しく規制されている。

タライのジャングルの中の道を車で走ってると、ジャングルにまばらに木は立ってるんだけど、それが全部枯れているような風景が何キロも続くところがあるんです。よく見ると間引いて残しとけば、ジャングルが残ると思って、ジャングルの木を間伐、適当に間引いて刈っていったんだと思うんですね。そして、間伐して、ジャングルの木を間引いてしまうと日差しがきつくなって地面に湿度が保てなくなって残すつもりだった木も全部が枯れてしまう。そういう風景ですね、何か愚かさの象徴みたいな場所を走ってて見たことがあります。

それで、ああいう風に一度ジャングルが風化して、乾燥してきたらね、もう木も育たないし、後あれをジャングルに戻すというのは大変な努力しないと戻らないだろうと思いますね。勝手にはなかなか戻ってくれない。日本なんかは割と勝手に植物が生えて戻りやすい風土なんでしょうね、農村地帯と言うのは里山というのかな、木を育てて活用しながら共生している。

 土地の環境によってやっぱり植物の形が、育てても形が違う。で、競い合って育ってるとずーっと上に伸びて立っています。日本の山は割と横に広がったりする樹木も多いですね。で、山を皆伐って言ってすっぱだかに木を刈ってしまったりして、そのまま後がどうしても生えてこないって言って有名な山が滋賀県かどっかにありますね。東大寺建てたりするのに木を切り出したらね、後もう生えてこない。山は裸にされると樹木が自然に生えてくる場所もあれば生えてこない場所もある。   
 山の木を切ると、最初にまず生えてくる木があるんですね。そういうのがパイオニアって言うんですけど、赤松なんかが最初に繁殖してくるんですね。赤松が繁殖してきて繁りだしたら次に俺が大きくなるぞって言うのが下で待ってるわけです。で、それが赤松が大きくなってきたら適当に伸びてきて、その内に大きくなって赤松を駆逐していく、ていう、そういう世代の交代を繰り返してね。それで、15000年くらいたつと、これ以上森は変わらないという状態になってくるらしいですね。それがいわゆるブナの木なんかの原生林ですね。

そしたら、下に熊笹なんか生えて、ブナの大木がパーッとできてね、あれは長い年月をかけてできた極相林って言いますね。北極の極の相と書きますけどね。そういう極相林ができるらしいんですね。だから、極相林ができるまで、すごく時間がかかってるわけですね。そういう、極相林を惜しげもなく農林省あたりが道路にしたりとかね、やるわけです。もう開発ということで人間がいかに自然を無茶苦茶にしてきたかですね。

 原発事故が起こったりして、アメリカなんかの研究してる機関なんかの発表では、東京はもう絶対にマスクしてないといけない、放射能をどんどん吸い込んでいる状況らしいですね。関東方面は。それで、それは何か結果が、影響が出てくるのが5年とか10年とか先のことですからね。だから、今はみなさん目に見えないから放射能の怖さなんて言うことは意識もしないし、まあもう75にもなってマスクする必要はないですけどね。だけど、子供にはね、したほうがいいというような情報が流されてます。

 だけど、そういうことに関しては日本のマスコミは一切流さないですね。それで、今、原発の再稼働するとかいう話が出てきてますけど、まだ民社党、大飯原発ですか、ゴーサインまだ出さんですね。何か決断力がないですね。やるんだったらさっさとやったらいいですね。で、さっさとやって事故起こしたらいいと僕は思う。僕は大事故を起こしたらいいと僕は思ってるの。僕は大事故を待望してます。それで、300万くらいの人が死なないと日本人は懲りないと思うんですね。第二次大戦がそうだったんです。300万超える人が死んで、それで、戦争に負けて原爆も落とされて、それで、やっと降参したんです。だから、まあ今度、原発に降参するためにはねもう一度もっと悲惨なこと起こらないと日本人と言うのは気が付かないだろうという風に思っていますね。だから、むしろ原発をさっさと再稼働して、ひどい事故を起こして、傷だらけになって、気づいてやめて、立ち上がるかどうかですね。ま、僕はそういう何か非常にディスパリットな気分で、いまの世の中見てるわけですね。

それで、生活習慣からくる循環が悪い人ほどいろんな病気の影響を受けやすいので、まあ、放射能の災いも受けないで元気に暮らしていこうと思ったら、小学校の過程に楽健法を取り入れて、学生がみんな子供の時から踏み合いをするような習慣でもつけたらいいですね。そしたら、放射能もかなり排出できる可能性は大だと思うんですね。まあ、食事療法をきちんとしてる人が、放射能の悪影響を受けなかったというデータはいろんなところにあるんですね。















第2回5月12日(1日目)その2

2012年06月04日 | 第12期楽健法セラピスト講座
「サマディー・タッチ」



だけど、いわゆる普通の日本人の食事が好きな人は、そういうデータってのは、みんな怪しいという風にしか言わないですけどね。まあ、今の政治に任せといたら大変なことになるだろうとわかってるんですけど、これを変えようがないというのが恐ろしいところですね。まあ、そんなことで、しかし、私たちはそういう中でも毎日の暮らしはにこにこと明るく楽しくなきゃいけませんしね。いつもみんなが悲痛な顔して生きてるわけにはいかんのですね。だから、まあ少し今からもしっかり楽健法やってで、今日はもうひとつ、この、これをタッチ・トリートメントと言うのをね、サマディー・タッチ・トリートメントっていうのを後で勉強します。で、これは、今から先にこれを少し、私がちょっと読んで、それから、実際にやってみてね、それで、初めにどうしようかな、ちょっと先にデモンストレーションしようか。そのほうが分かりやすいね。じゃ、そこの琴美ちゃん座ってるところに誰かモデル寝かして、ちょっと見やすい場所に見とって頂いて、誰を…お幸さん、じゃあ寝てください。



あの、北が向こうやからこの布団、前に横に寝て。布団2枚合わせて、ひっつけて。まああの、これはサマディー・タッチ・トリートメントって言ってますけどね、ポラリティと言う風にもいうんですね。ポラリティ・タッチ・トリートメントって。それで、この説明書に書いてあるのはあるインド人が私のところへある日、もう30年も前でちょっと名前も初め覚えとったんですけど、思い出せなくなっちゃったんですけど、あるインド人がやってきましてね、それで、イギリスで暮らしてて、今はカナダに暮らしてるって言う、当時そういうエンジニアのインド人で、その人がなんか神様から天啓を受けて教えられたので、で、この方法をあるとき、神さん…額から受けて教わったという話なんですね。それで、私ところへやってきて、それで、日本…まあ、あのカナダから久しぶりにインドへ帰るのに、世界中こう回ってからインドへ帰る途中で日本に寄って、それで、日本でもこのタッチ・トリートメントを誰かに伝えようと思ったらどういう訳か私に教えたらいいって言う情報が来たんで、それで、やってきましたって、突然やってきたんです。それでまあ、楽健法と交換教授で一日私とこでおって、これを体験したわけですね。ちょっと私が直接やってみましょうかね。あの、今から私がやるのは要するに手順。こうやってこうやるっていうのやりますので。それで、一回見たら覚えますからね。まあ、あのノートなんか取らなくて頭にしっかり叩き込んでください。

では、まず右の上半身の横に座る、ね。まあこれは護身法やったりして、やってもらったらいいですね。それで、え~っとね、このタッチ・トリートメントの面白いところは、まあ、楽健法とセットでしなくても構わないです。非常に面白い効果があるんですね。私はそういう奇跡的な治療経験をいくつも持っています。これだけやって、それで楽健法やってあげてタッチ・トリートメントやってあげたら、タッチ・トリートメントが一番良かったなんて言う人もおるくらいで(一同笑)。そうすると、楽健法やめてこっちだけやったって、これだけで下世話な言い方をすれば、これだけで商売が成り立つテクニックですね。



で、まずね、右手と左手使うんですけど、右手は人差し指を使う、左手は中指を使います。これは、もういつも一緒。それで、初めにこちら側に座って、まず恥骨。恥骨の上に。ちょっと触ったら恥骨の場所こうやって軽く触ったらわかりますから、一つ上に人差し指を、これは押すのではなく、そっと触れるだけでいいんですね。それから、中指。中指をこの額にこう持っていくんですね。ただこうやって当てるだけです。で、しばらくじーっとこう、自分の手の指先を自覚してましたらね、脈が起きてきます。指に脈が伝わってくるって言うか。で、ドクンドクンと言うような脈が来るんですね。こうやって。この脈がね、左右がバラバラの内はじーっと当ててるんです。で、両方が同時にこう、どんどんと同じ脈を打つようになったら、次の動作に移るというね、そういう風に覚えてください。こう当てる。これね、額に当てられたら違和感って言うか、触られたくないような感じの人もあるんですね。で、直接触れない人は、これでいいです。ちょっと何cmか離したままで。これで、十分効きます。で、まあ初めは分かりにくいので、こうやって当てて、ね。





これが脈が両方伝わってきたら左手を肩のここに持っていきます。だいたい、こうアバウトでこの辺り。肩の付け根の辺り。ここでもやはり脈がドンドンドンドンって。これが、脈がドンドコドコドンドコきたら、そしたら、今度こっち側に手を持っていく、ね。で、これをやってる時に相手に何かが変わりだしたら、喉がフワーッと息したり、お腹が脈打ったり、それから、ゴロゴロとお腹が鳴る人も結構多いです。それから、いびきをかきだす人が一番多いですね。深いいびきをかいて、で、いびきかいてるから寝てるのかと思ったらやられてることみんなわかってるんです。で、そういう不思議な感覚です。で、この時に、まあ、瞑想の経験のある人は、瞑想した時にすごく雑念の嵐でなかなかスーッと瞑想のね、三昧境なんか入れないですけど、これをやられるともう瞬間的に三昧境に入ってしまいます。スーッと雑念もない深い世界にスッと入る。で、これ触られてる間に、離脱して上からやってくれてるの見てる人とか、それからやられてる間にインドへ行って帰ってきた人とかね(笑)。いろいろおります。

ここの次、これ行って、また次は額に手を戻して、右手をここへ持ってくる。

これで上半身は終わりです。こっち側は、右っ側。終わりましたら右手を広げて左手でこうやってね、これを触ってるうちにオーラがファーッと体から広がっていくんですね。これを押し広げてあげるようにね。こんなことしなくていいんですよ。ざ~っとこう押し広げてあげながら、

下半身のほうに移動する、ね。ここでまた左手は中指。同じ恥骨、で、右手はこの先に触りますこうやって。真ん中ね。正中線。この辺でもこの辺でも構わないんですけど。ま、こんな所へ持ってくる。で、ここでもうしばらくしたら、脈を感じるようになって、こっちの手にも感じるんです。感じるか、熱くなって来たり、人によって違います、それはね。こう持って。

その次に右手をくるぶしの下に当てます。

それから、こちらの手を腰に持っていく。



これね、体の調子の悪い人ほどこちらに脈が伝わってくるの遅いんですね。で、調子のいい人はすぐにドクンドクンドクンって脈打ってきます。それで、これで終わりで、こっち側下半身ずーっとオーラを押し広げてあげるような、こう持ってきて。



それで、こちらに来ます。反対側ね。で、やっぱりこう額に。右手は人差し指ね。左手は中指で恥骨の辺り。これはね、寝たきり老人とか介護してるような人に試してください。面白いようなことが必ず起こります。そおれから、ここへ持っていきます。こちらの手をね。それから、こちらに戻します。で、この次にまた額に手を戻して、腰に持っていく。

これで、こうやってファーッと持って、グーッと大きくね。このオーラ、どういう形で出るかと言うと左回りの渦巻きで出てくるんです。ワーッと。あの、お不動さんの火炎みたいなね。フワーッと。それで、こう大きく伸ばしてあげるようなつもりでしながら下半身に来て、それで今度こちらを。

これで脈を感じたらこっちの下。

はい、それからここへ手を持ってきます。

それで、またこうー、します。これで終わりです。最後に大きく体全体をフワーッと。こうアストラル体が広がってますからね。手でブワーっと宇宙大に広げてあげて、大きくこうやって。これで、終わりです。で、あのこうやって今タッチして、たぶん今からやったとしたら、中には何かこう、変わった反応が出てくる人がいます。泣き叫ぶとか、苦しむとか。軽く悶えたような、ね。それで、体に悪い霊が憑いてるような人は、フワーっとわかります、やってるとね。それで、苦しがって出ていくんです、これやってあげると。憑依してるものが。それが何か憑依したまま長いこと経ってる様な人は、触られると途端になんか拒否反応起こしたりして触れない人もまれにおります。ま、めったにそういう人いないんですけど。それから、あの私の経験したのでは、沖縄の人で触ってしばらくしたらすごいチアノーゼを起こしてもう唇が紫色になってそういうことが起こっても素知らぬ顔をして終いまでやる。

(柳田さん)心配しなくていいんですね。
(宥厳先生)心配しなくていいです。本当に死にませんからね(一同笑)。それで、その人は後で聞いてみたら、そのチアノーゼ起こしてる間についちょっと何か月か前に亡くなったご主人に会ってきたそうです。そういう話をしてましたね。はい、ありがとうございました。

まあ、これは大体北向いてやる方がいいんですけどね。ここでは楽健法をザーッと今からやって、終わりにね、タッチ・トリートメントを1か所、1分くらいでいいですから。まあ、ちょっと手順を覚える意味でやってみましょう、はい。



それでは、楽健法やりましょう。





詳しくは去年のブログ記事を→ここをクリック

2011年のサマディー・タッチのまとめ→ここをクリック








楽健法(4)



Dinner「春の天ぷら御膳」

●豆ごはん●天ぷら(かぼちゃ、こごみ、玉ねぎ、しいたけ)●こんにゃくの煮物●シメジと豆腐とにらの吸い物


楽健法(5)
楽健法の前に…







第2回5月13日(2日目)その3

2012年06月04日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~




朝のお勤め












Breakfast

●天然酵母パン●かぼちゃスープ●野菜サラダ(リンゴ、アボカド、キュウリ、ラディッシュ、玉ねぎ、サラダ菜、グレープフルーツ(ルビー))●アーモンドバター●チャイ





サマディー・タッチのエピソード(1)

(宥厳先生)おはようございます。もっとこっちへ入ってください。もうみんな揃ったんかな。えっと、昨日タッチ・トリートメントやりましたけど、初めての人何人くらいいたかな。あ、そうですか。なんか質問ありませんか。わからないところ。タッチ・トリートメントに関して。他の人は皆さん、何か。普段タッチトリートメント使ってる人おる?この中で。ふうん。3,4人やね。あの、斉木さんはもうだいぶ長いことやってられるの?



(斉木さん)あの、楽健法の後に、後5分とか10分。
(宥厳先生)あ~。10分くらい。
(斉木さん)楽健法がよく効くような気がしますね。感想的には。楽健法のダメ押しみたいな。すごい気持ちよかったです。
(宥厳先生)ふぅ~ん。他には何か、それ、タッチ・トリートメントで体験した人はいませんか?あんまり…?ふん。何か、あの~人によってですけどね、一人一人リアクションが違うので、それで、相手によってはビックリするようなことが起こるかもしれません。で、去年、東京で西澤さんのところで、バレリーナではないんだけど、クラシック・バレエにね、ずーっと若い子に負けないようにってチャレンジしてる50代の女性がいましてね、二十歳の人にも負けないくらい身体が動くそうですが、最近こう足が何か、痛いとかなんとか言って、それであるヨーガで楽健法の講習会やったときに、初めて楽健法を体験されて、これだともっと足が緩むかもしれないって言って、西澤さんの所に来ることになって、私も2回くらいやってあげたんですね。それでタッチ・トリートメントやってあげたんですね。そしたら、何と言うかライオンのように咆哮されました。それは、苦しんでいるというのか、何かね、ちょっと…身体が反応していきなり立ちあがったような感じかな?立ち上がらなかったけど、体をガーッと起こしながら咆哮したんです。

(西澤さん)起こしそうになって、お~とかすごい叫び声を上げながら、う~ん。
(宥厳先生)何か、あのああいうときに何か体に異様な反応が起きるんですね。それで、本当に雄たけびみたいな、ワーッと。それから来なくなっちゃったね。
(西澤さん)その後、
(宥厳先生)後やってくれとは言わなくなった?あの、何かね、こう指を、僕たちは普段、何気なしに、触れ合ったりはしてるわけだけれども、人によっては非常に敏感で私があの、二十何年か前に、犬鳴山って言うお寺で、東光寺に縁ができる前ですけどね、護摩を焚いてたときに、行者の女の人が来てて、それで、すごく疲れて肩が凝ってるって言うもんだから、僕は護摩を焚いた後だったからね、少し…直接触らなかったんですけど。額…あの頭のてっぺんに手を持って行って、で、尾てい骨のあたりに中指持って行って。触らないんですよ、直接。持って行ってあげたら、バーンッと飛び上がって、こっちがびっくりしたことありましたけどね。浮き上がったですよ。座ったままで。それでもうちょっとやってあげようかと思ったら、「もうやめて~」って、その時。そんなことありました。だから、指をちょっと指を近づけただけでもね、過敏な人はそんな風になりますね。

 何度かここでも話してるんだけども、一人、頸椎に障害を受けて、下半身がもう全く動かなくなってしまった青年がいましてね。大学1年生の男の子。プールに飛び込んで、頭をガーンと、プールの底で打って、頸椎を損傷して、下半身がもう全く動かなくなってしまって、それで、医者はもう回復不能だという診断ですね。それで、京都の日赤に入院してたんです。で、入院して、ま、はっきり日にちわからないけどひと月以上経ってからですね。楽健法で何とかならないかって言うような相談を受けて、そのお母さんの友達が、友達の友達を介して言って来て。それで、京都へ行ってあげたんですね。その青年の部屋に入ると、目は動くし、口…物は言えるし、思考は正常なんだけども、もう手も足も全く何にも動かない。動かせない。そんな状態で。それで、その青年に楽健法たってね、やりようがない感じで。高いベットに寝とるしね、高い。それで、ベッドがガタガタガタガタって震えてるんですね。この震えは何だって言うたら、入院して以来足の痙攣が止まったことがない。で、もう24時間ガタガタガタガタ~って痙攣してるわけです。

それで、楽健法はできないし、と思って。これはもう、タッチ・トリートメント試してみるしかないなって感じたもんですから。タッチ・トリートメントやってあげたんですね。で、まあやる前にちょっと、気を送りまして、密教のね、少し喝を入れたんですね。バンウンタラクキリク・アク・ウン!!!…っとこう気を送ったら、バクンと体が動いたんですね。それから、タッチ・トリートメントやって、そしたら、やってる間、その青年はいびきかいて寝始めた。それで、足の震えがピタッと止まってしまった。それっきり足が震えなくなったんです。それで終わってから、僕がやった通りのことをねお母さんが毎朝、朝晩この子にやってあげなさいっていって。そうしたら、お母さんは怖がって。私にそんなんできませんって、できないって尻込みするんです。

 今僕がやっただけでも足の震えが止まったり、気持ちよく寝たり、見たとおり効き目があったんだから、お母さんだともっと効きますから、って言うてもう一度やり方教えて、それで、その青年にはその場でちょっとトレーニングしようというので、手を握ってごらんって。で、はい、すぐ握れって。握ったかって言ったら、握りましたって言うんですね。何も動かないんですけどね。で、もう一回握ってみろ。握れたかって言うたら、握れましたって言うんです。それから、こう足をこう動かしてみろって。動かしたかって言うたら、動きましたって言うんですよ。見てたら何も動かないのに。で、毎日、お前は他にすることがないんだから、そればっかりやれって、時間があったら。手を握るのと足をぐっとこうするの。これをしっかりやりなさい。で、1週間したら来るからって言うて帰ったんです。そしたら、その翌日にお母さんから電話がかかって来て、ビックリするようなことが起こったって言うんですよ。それは、息子にではなくて自分の体に起こったって言うんですね。息子が入院して以来、もうずっと便秘で、病院におるからまあ、薬もらって何とか出してるんだけど、もう苦しいし、出ないし、息子は夜中でも吠えたり、わめいたり、「殺せー」って言うたりするし、他の病室に気を遣ったりするんですね、母親は。それが、息子にタッチ・トリートメント2回やったら、翌日の朝にトイレに行ったらストーンってこんなに長いの。太くて長~いのが、流れないようなのが。ものすごく気持ちがよくって私が救われましたって。そのお母さんそれからずっと、後快便になったみたいですよ。これ、息子にやってることで。だから、やることによって自分の流れもね、良くなるんです。だと、思うんですね。

それで朝晩これをやって、僕が1週間目に行った時に、手が握れるようになった。実際に動き始めた。それから、足もこう動くようになってた。もう1週間して行ったら、1週間目、1週間に1回行くって約束してたから、2,3回行ってあげた。そしたらその次に行った時は、ベットの両脇握って体をグーッと起こせるようになってたんです。医者はありえないって言うんですよ。しかし、ありえないことが実際に起こったわけですね。それで、僕が行ってから、1ヶ月経ったときに、だいぶこう体が動くようになったんで、それで、リハビリ専門の病院に転院することになった。で、そこへ行ってもお母さんが朝晩やってあげた。やってるうちに歩行がゆっくりできるようになった。つかまって。で、そこで半年くらいおったんだろうと思うんですけど、僕に手紙もよこしました。大きな文字が1cmもあるような文字で。先生のおかげでこうやって字も書けるようになったって言うてね。そんなことがありましたけどね。

だけど、まあ、その子はすかっと治ってしまったんではなくて、後遺症は残ったらしいんですけど、お父さんが自動車屋をやってて、それで、息子用の障碍者用の手で運転できるね、操作できる自動車を作って、それで、まあまた学校へ復学したらしいです。それからあとプツンと連絡がなくなったんですね。それで、その紹介した友達に、あの人たちはどうなったんだって聞いてみたら、そしたら、その障害を受けた男の子の妹がいて、1つ下の。その妹が冬に、お正月かなんかにスキーに行って、滑落して、また首をけがして、その子は亡くなっちゃったそうです。だから、それでお母さんはショックを受けて、二人とも首やられてね、そういう事故が起こるっていうのは一体なんだろうと、とても不思議な気がしましたけどね。何か、そういうことがないとケリがつかないようなことが、見えない世界で起こっとったのかもしれない。しかし、このタッチ・トリートメントでそのくらい、大きな変化があった。で、リハビリ行ってるときにも、毎日もう目覚ましく体がよくなっていくもんだから、今日はこれができるようになった、あれができるようになったって、病室で6人部屋の部屋に帰ってきて、言う度にみんながしらけるんだって。他の人は進歩しないですからね。およそ進歩なんかない世界なんですよ、あのリハビリって言うのは。

昨日は歩けなかったけど、今日は歩けるとか。翌日にはちょっと駆け足ができるようになるなんてことあり得ないんですね。これが、その子は楽健法やらなかったけど、しかし、タッチ・トリートメントでそれくらいよくなってきた。そんなことがありました。

だから、あの、まあ、このタッチ・トリートメントもね、是非試してみて、それで、中にはこう、感情が高ぶってきて泣き出す人もおりましたしね。あ、木本さんもね、去年やった時、大きな声で泣いてましたよね。昨日は泣かなかったん?

(木本さん)はい…。
(宥厳先生)用心しとったんちゃうか(笑)。まああの、そういう人がおるんですよ。田中勝子さんなんかはもう触っても、触られるのがたまらないって言うような感覚があるらしいです。だから、まあ直接触って、ちょっとこう額に何か触られると、ここに触られることにすごく違和感を覚える人もおるので、そういう人は1cmか2cm、上の方で直接触らないで、指を持っていくだけで同じことが起こりますからね。まあ、病気の治療にも非常に役に立つと思うんですね。是非やってみてください。死んだ人にもやってみたらひょっとしたら生き返るかも(一同笑)。ま、そういう何か不思議なものが働くんですね。人間っていうのは。で、私たちはみんなそういう能力を、何かしら持っているので、本来それの使い方をいろいろ知ってる人が魔法使いだと思うんですね。まあ、ここにいらっしゃる方に前から言ってるんだけれども、楽健法ができるようになったら、医者が治せないような病気をね、ごく何気なしに踏んであげたら、治っちゃうとしたらね、やっぱりそれは魔女の仕業だとしか言えないような、不思議なことですから。ま、だから楽健法する人はみな魔女ですよ、と言うことで。それで、うちの大黒さんはサマンサなんてあだ名がついてる(一同笑)。何か魔女クラブからも呼ばれてるそうです、ロンドンかどっかの。

(受講生)先生、あのタッチ・トリートメント全く初めてのお客様とかで、いわゆるこう何にも知らない人がこれはどういうトリートメントなのって聞かれたときに、どういう風に説明をすればいいですか。例えば、スピリチュアルとかも全くこう知らない…
(宥厳先生)そんなこと言わなくていい。うん。まあ、あの、そういうメカニズムが分からないとして欲しくないというような人だったら別だけど、ま、黙ってやってあげて。私はだから、楽健法終わった時に最後はうつ伏せになってるでしょ。で、背中のこの辺に右手をこう当てて、ね、左手をこの脛骨の背骨の一番上のところに、右手を当てて、しばらくじーっといつもやってあげるんですね。それで、ストンと意識が落ちる人が多いです。何かフーッとどっかにはいっちゃうのね、あれ。あの瞑想状態です。所謂、三昧境ですね。僕がやられた感じで言うと三昧境なんですよ。瞑想でいくら頑張ったって雑念の嵐ばっかりやってきて。なかなかスカッと入ってないですけど、タッチ・トリートメントされるとストンと入っしまうね。

何かこうアストラル体がトリップするみたいな感じ。とても気持ちのいいものです。だから、僕は楽健法は他力のヨーガで、ハタヨーガ。他力のハタヨーガ。タッチ・トリートメントは他力による、メディテーションだという風に思ってるわけですね。だから、本当に瞑想した深い境地になったとき、どういう気持ちになるかと言うこのタッチ・トリートメントやられた時には。で、あの大抵いびきかいて寝る人が多いんだけど、いびきかいて寝てるからと言っても横でやってることはみんな認識してる。これは不思議ですね。寝てしまう訳じゃない。

それから、ものすごく不眠症の強い人で、私の友人の詩人の奥さんがもう不眠症に関しては人後に落ちないというような自信を持った不眠症だったんですけど。それが、ぼくがタッチ・トリートメントやったら、私は絶対に眠れないなんて言って、やった途端に眠りだしてね(笑)。本人もビックリしてましたけどね。まあだから、あのこういうのはそれが何回か継続していくことで、何かがこうやっぱり体に変化が起きてくるんですね。楽健法もそうですけど、出来るだけ続けて行くことです。それで、病気治したい患者さんが私はじゃあ週に一度にいきます、とか、月に一度にしますって、これは患者が決めることじゃなくて、治療師の方が、やってあげる方が、まあ毎日やった方がいいよって言うのが一番いいのは毎日やることで、だから、福山の工藤先生のところで初め、私が教室始めた頃に、どんどん患者さんが増えていった一つの理由に、兎に角治るまで先生がおるときは毎日来て三月はやりなさいって言う風に話をするんですね。そしてそれをやってみる。そうしたら、もう体がガラッと変わっちゃうから、そしたら、あの先生のところへ毎日行って、三月はやってもらうのでよくなっていくわけですよね。自分の判断で、週に一度だとか、月に一度やってもらいたいとかいうような程度で、難病を治そうなんて、それは無理な話です。継続してやる。そこにタッチトリートメントもね、プラスしてやるんですね。で、まあ工藤先生はみんなに仕上げにタッチ・トリートメントきちっとやって、治療されてますね。ま、だから、せっかく、そういうことできるわけですから、是非そういうの活用してね、やってみてほしい。

まあ、あの、ヨーガの教室なんかでも、楽健法ね、取り入れて楽健法覚える教室も、教える教室も多いんですけど、これはタッチ・トリートメントをヨーガの最後にやったりしたら、それこそ瞑想と言うものはどういうことかって言うことが早くわかるし、そういう状態に入りやすいようになっていくと思うんですね、座った時にはね。で、自分でこんなことしてね。瞑想する。あるいはもう寝床に入ってもね、一番楽にしようと思ったら、指だけこうしてほんで、手を伸ばしてこの辺にこう引っ付けてやってると、ジーとやってると脈打ってきて、サーッと体が流れる。だから、夜中に起きて、オシッコに起きたりして、後寝られないとかいう人おるんですけど、そういうときにこの指に意識を置いて、恥骨とみぞおちに指をあててやると、間もなくストーンとこう入っていくようになって、いつの間にか寝てしまいます。だから、高野山で行をしてた時にも、みんな激しい便秘する人が多いんですけどね。そういう時はやはりこの恥骨と鳩尾くらいに指をこう当てて寝る。そしたら、脈打つまでじーっとこう気持ち落ち着けて寝てごらんなさいって言って、寝床に入ってからね。これを教えてあげたら、便秘で苦しん出る人が便秘が、お通じがついたりするんですね。ちょっとしたことで、体って言うのはそういういい方向に向かいますからね。工夫してみてください。で、患部を挟むようにして手を当ててみると効くんですね。

(受講生)ファイテン。
(宥厳先生)うん。ファイテン効果だと思います。指でやるのもね。こういうことを、あれ貼り付けることで、たぶんなんか電気的にやるんじゃないかなと言う風に思うんですね。だから、まあ、あの、割と簡単にできることですし、で、それを、もっともっと面白く活用しようと思ったら、遠隔治療してあげる人に。このタッチ・トリートメントやる。そうすると、まあ、イメージで、その人のイメージを頭の中においてこう手を当ててあげたら、ね。それだけでもタッチ・トリートメントができるんですけど、まあ、具体的には紙に名前でも書いて、人間の形でも描いて、名前書いて、で、必要なところに手を当ててあげたりしたら、そしたら、離れたところから遠隔治療ができます。それは効果が必ずありますからね。ちゃんと通じるんです。

(西澤さん)それは相手の方に、言った方がいいんですか?
(宥厳先生)言わなくったって構わない。うん。運転してる人にやったら寝てしまったりして(一同笑)。そんなことありませんから。まあ、だいたいだけど、頼まれたりしたらね、やってあげる。そしたら、何時ごろやりますからって言うといてやってあげてもいいですね。そしたら、寝てる人には必ず通じます。念力は距離を選ばすですね。地球の裏側におる人でもちゃんと届きますから。だから、遠隔治療の具体的な方法ですね。ただ頭の中で念じて真言唱えてね、気を送るというのはなかなか大変ですよ。けど、テーブルの上に置いた紙でも脈を打ってきます。しばらく、こうやってると、ね。まあ、そういう感じがするもんですよ。ね。実際に試してみてください。

(宥厳先生)西澤さんは美伊さんにやってもらったとか言ってたね。調子の悪い時に。
(西澤さん)けがした時に、
(宥厳先生)う~ん、そうそうそうそう。で、寝てしまったから効いたんだろうって(一同笑)。
(西澤さん)あの、時間を決めて、私がもう寝る…もう寝ちゃうかも、と思ったから、もう準備して、じゃあ何時って、11時半とか決めてたんですよ。で、オッケーって。で、こうやってやってもらってるうちに気が付いたら朝で(一同笑)。
(宥厳先生)まあ、そんなことで、これも、そんなにくそまじめに深刻にならなくてもね。遊び感覚でやって、ちゃんと効くもんです。楽健法もだから遊び感覚でね、病気だからって言って何も深刻ぶることはないので、病気って言うのは普通の状態ですからね。お天気と一緒で雨が降ったり、風が吹いたりするのと一緒で体にも雨が降ったり風が吹いたりするので、ほっといたら元へ戻るんですけど、ようほっとかんのが人間の悪いところですぐそれで、西洋医学依存症に皆さんかかってますから、すぐ病院に行って、何か大変な騒ぎにしてしまうわけですね。だけど、本当は軽く済むことは軽く済ました方がいいし、気楽に対応してたら、そういう風に処理できていくもんです。深刻な人は何でも深刻になる。で、取りこし苦労ばっかりして、愚痴ばっかり言ってる人は、どんどん人生が悪くなっていきますね。良くはならないですね。だから、愚痴を言わないこと。不平不満をあまり持たないことですね。まあ、そんなことで、パンでもそうですよ。また膨らまないなんて、ムカついてると絶対に膨らみませんから。私が触れば絶対にうまくいくんだという自信ね。自信と笑顔で、やれば必ず何事もうまくいきますから、そのつもりでやりましょう。では、楽健法やりましょう。護身法から。
(一同)お願いしま~す。
















Lunch「総ざらいだんご汁」
●だんご汁(エノキ、しいたけ、しめじ、おあげ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、さつまいも、トマト、カボチャ、パセリ、ダンゴ、大根)●茹でアスパラ●ふきの煮物



5/13 13:12 「ささめやゆきさん」~美しいものを作るというのは無駄をしないということ~美とは過剰なものの浄化である(ミケランジェロ)



僕がここに持ってるこの葉書が、この本の挿絵を書いてくれた、ささめやゆきさんの個展の案内です。で、6月の4日から16日まで東京の外苑の近くの画廊で開かれるそうです。それで、その内、何日間か、五日間くらいはこの日におりますって言ってはがき書いてありますので、もし、東京の方時間があったら見てあげてください。で、ささめやゆきさんのこの本の絵を描いたのは1981年のことですね。この頃は、ささめやゆきさんは、全く無名の人で、それで、私のこの本出してくれた、アボック社って言う会社が、鎌倉の谷戸って言うんですけど、山と山の間にこう谷間みたいなところがあってそこに鎌倉は農家が一軒家があったりとか、田んぼと農家があったりとか、というようなね、そういうところがあるんですけど、そこの古い農家を借りてそこを出版社にしてたんですね。で、そこの納屋があって炭置き小屋みたいな、その納屋の中に印刷の、いわゆるオフセットの機械おいて、ささめやさんがね、これからオフセット作ろうというような感じだったんですね。ちょうどその頃に私の本を執筆してそこへ持ち込んだ頃に、彼はそこで絵の仕事やらやり始めててこの仕事を彼にオーダーしたわけですね。出版社の紹介で、それでこの中の絵を描いてくれたわけです。それで、なんか始めはとても下手な不思議な絵を描く人だなと、そこにかかってるのもささめやさんの絵ですね。



家内のところに行ったら、ささめやゆきさんの絵がたくさんコレクションありますから、まあ、行く機会があった人は見てください。それは、まあ好きか嫌いかとかね、この人はおよそ師匠と言うものにつかなかったし、全部我流で絵を描き始めた、やりだした人ですね。で、ここに載ってる、たまたま今開いたらこれが出てきたんですけど、ここの二人でこう手をこうあげてやってるのは、これが彼の石版のオフセットの機械の第一号、初めて刷った印刷でモデルがお幸さんと宥厳さんなんですけど。
(一同)お~~~

(宥厳先生)そういう経緯があったりして、色々面白い絵を描く人です。この人はフランス語と、まあ、フランスでも暮らしたりして、フランス語が割とできたりする人ですで、アメリカへも行って、私と知り合った頃はちょうど会社を辞めてね、集英社って言う会社があるんですね、集英社で小学館集英社かどっかで勤めてたんです。それが、何か労働運動みたいなことで、はみ出して、自分のやりたいこともあるので、というので、絵をやりたくてニューヨークへ行って、で、ニューヨークへ行っても飯がそう簡単に食えませんからね。それで、なんか日本料理のベテランみたいな顔をして、出来もしないのにコックをやったりしながらね、まあ、あのその内ずっとフランスやあちらこちら放浪して、それで、その間に絵を描いて、我流でボールペンでずーっと絵を描いてね、それで、それもこの本と一緒に出た本があるんですけど、そのささめやゆきさんがニューヨークへ行ってから、ずーっと毎日ね、1枚ずつ、あの~束見本(つかみほん)って言う、束見本って言ってそんな言葉知ってる人いないだろうと思うんですけども、例えば出版社がある本を出すとしたら、この大きさの本を出します、と。それで、先生の本は全部で350ページとかあるいは600ページでこういう厚さの、装丁はこういう感じで、この本になりますという真っ白の本を作って、まず説明に行くって言うことをするんですね。それを束見本って言うんです。で、今はあんまり束見本を作ったりしないと思うんですけど、昔はそういう束見本と言うのを作って、その真っ白な本で、ああこういうイメージで本ができるんだな、と言うことで作者が納得したら、そしたら、それが本になるわけです。で、そういう束見本の真っ白なやつを彼は一冊旅に持ち歩いて、それに1ページずつ自伝を描いていったんですね。ずーっと。で、もう子供の時からの「僕のイラストレーション的自伝」って言う名前でね、それがずーっと見て行くと面白い本ですから、それで、この僕の本出す出版社もこれと抱き合わせで出そうというようなことで、それで楽健法の本と、そのイラストレーション的自伝と言うのが、2冊が本になったわけです。それで、その「イラストレーション的自伝」を描いたささめやさんが、僕の本の挿絵を描いてくれたという経緯ですね。

で、彼はその本を書くために何100本のボールペンを空にするくらいね、もうまっ黒に塗ってる画面もあるしね、そういう夜の星を描いたりしたら黒ばっかりで星が5つくらいしか描いてないというような、全部ボールペンでやったわけですね。それで、彼はボールペンにめっぽう詳しくて、どのボールペンがだまが出なくて汚れないとかね、そんなことまで良く知ってる人で、どのボールペンがいいとか。

それから、彼は逆字が完璧に書ける人です。逆字ってわかりますか。鏡に映した向こう側の文字ですね。後ろ向きの字。で、左で書いたら書けるかといったらそうでもないんですよね。何か右で。だから、サラサラっと逆字を書ける人ですね。普通に字を書くように。頭の構造がちょっと違うんだと思います。僕らは逆のことできないですね。で、左手でしてることを右手で真似しようと思ってもこれもなかなかできないですよ。で、パンこねるときに、右手は右回してパンを丸める、左手は同じ方向にパンを回して、こう丸めてみようと思ったらこれはできない。こういう風なんだったらできる。こうだったらできるって言うね。何か不思議な、人間って言うのはそう言うところがあるんですけど、何かそういうことがいつも練習してるとできるようになるらしくて、まあ不思議な人ですね。で、ここに書いてる、こんなものはたまたまなんかの本出した時に画用紙の端切れを書き損じの端っこの方ちぎってそれにこう書いて僕に手紙書いて送ってきたのをまあ面白いのでまあこうやって額に入れてみたんですけど、額に入れるような立派な字とかなんとかいうんじゃないんですけどね、まあそういう絵描きさんがご自分の自筆のものでま、ちょっとこうなぐり書きするというのがね。



それから、これに宛名を書いてきても、やっぱりこう上手だか下手だかわからないようなんですけど、それなりの意識があって書いている。美意識がある。この裏にもちょっとした添え書き書いてるんだけども、こういうところにもいつもそういう美意識があるんですね。で、まあ美意識と言うのは、美しいものを作るというのは無駄をしないということなんですね。だいたいはね。だから、美と言うのは、美とは過剰なものの浄化である、なんていう、これはミケランジェロが言った言葉ですけどね、俳句の人なんかでも、要するに言葉を惜しむとか、だんだんこう無駄なことをそぎ落として行くことが美につながっていくんですね。

皆さんは家の中にいっぱい物を置いて、せっかく美しい部屋であっても台無しにする、っていうのがだいたい普通の人なんです。やたらと、その整理ができるっていうね、まあ、「断捨離」なんていう、まあものでなくて、僕、「断捨離」なんて言葉大嫌いだけれども、ま、そんなもんじゃなくて、詩を書いても、小説を書いても無駄だと思うことはバサッとやめてしまう。切っていくって言うね、そういう処理ができるのがやはり、何か本質に迫って行く、とても大事なコツなんだろうと思うんですね。

それはもう文章を書こうが、楽健法しようが、同じことだと思います。だから、無駄な動きをしない。2度手間をしない、とかね、最短距離を行くっていう。最短距離行くというとなんか横着してるみたいに思うかもしれないけど、そうじゃなくて、やっぱり効率よく、つまり一回で済むことを三回の手間かけるとかね、言うようなことはやっぱり人生の中では、それが一生そんな癖がついてる人は、大変な労力をロスするわけですからね。生涯の間には。だから、効率よくすやるということをね、やっぱり工夫していく、最短距離を見つける。楽健法もそれを是非見つけて、皆さんが踏むときにもね、ちょっと足を広げてもうちょっとっと言っても、同じ体重であっても何かコツがわからないと、さっぱりこっちに伝わって来ないという踏み方になります。そうすると同じように、時間1時間やっても、何か30分でもものすごい効く人もおれば、2時間やってくれたら効くわって言っても途中で嫌になってやめてくれって言いたくなると思うんですね、そういう下手な踏み方されたらね。

だから、力の問題ではなくて、そこに無駄がなくてスカッとこう気が一番必要なところにスパッと入ってくるって言うのはね、そういう踏み方が、それが数やってると踏めるようになってきます。ここの33キロだとおっしゃってるご婦人がいらっしゃいますけども、何度も来られている内に、まあ何回か僕とも組み合わせになって踏んでもらったりしましたけども、柳田さんに踏んでもらうとなんかこう非常に癒し系の踏み方だなと言う感じがするんですね。僕なんか癒し系で、癒しじゃなくてむしろ治療系かもしれないけど、ちょっとこう強引にでもちょっとここを具合悪いなと思ったらほぐしてしまうような踏み方するんですけど、あんまりそういう方向性はよくないかもしれない、と思うんですね。

だから、初めての人なんかには、まあ、ちょっと今回ここまでやれるんだけどな、と思っても痛がったりするのもあれですから、ま控えめにしておいて、なじみになって慣れてきたらお互いに意志が疎通するようになったら強くするという風に気をつけてやってるわけですね。まあ、そういういみで楽健法するときも、自分が一踏み一踏みやってる一つ一つにちゃんと意識が、早くやってても意識がある。で、無意識に何か踏んでるというような、そういう踏み方をしないようにしてほしいと思うんですね。何かほかのこと考えてるようでも、ちゃんと足はきちっと読んでる、って言うようなことができないと本当はプロとは言えないと思うんですね。プロと言うのはそういうもんだと思います。

だから、プロって言うのは無駄がなくて、最短距離がいけて、効率が良くて、と言う風になって来るもんだと思うんですね。で、優しくも強くも、どちらもできる。だから、今僕はまだちょっとまだまだかったるいよって言う人は強く踏めるということも是非できるようになっといてもらわないと、強くやりたい時に力が入らないんでは、これはあんまり効きませんからね。ここぞというときばっとやれる。強くやれる人が優しくやることは簡単なんですよね。だから、まあ前にも来てた人で男の人で、背の高いね、高槻から来てた、彼は100キロくらい体があったと思うんですね。で、あんな人に踏まれたら潰れるんじゃないかと思うんだけど、彼と何か月か、10カ月位めくらいから踏みだしたら、その踏む時の細心さ、柔らかさ、ソフトさって言うのね、あ、ここまで神経使えば、100キロだから無神経にズシント来るというもんじゃないんですよね、人間て言うのは(笑)。そういうことができるようになって来るもんです。ですから、頑張ってどちらもできるように勉強していきましょう。じゃ、今から。もう朝から何回も護身法やりましたから護身法なしで行きましょう、はい。

で、柳田さんは3時半には帰らなあかんのでね。ま、みなさんもちょっと早い目に。















楽健法(6)




おやつ





第2回5月13日(2日目)その4

2012年06月04日 | 第12期楽健法セラピスト講座


5/13 15:18 「終りの会」











何かあの、最後にしっかり踏んでもらって爆睡してしまったような感じで、頭が寝ぼけておりますので、物言う元気がないですけどね。まあ、何か意外と寒かったのでこういう天気、これはまた夏は猛烈に暑いとかいう。それで、電気が足りなくて停電したり、すれば面白いんですけど(一同笑)。そうはならんだろうと思いますけどね。まああの、今回やったタッチ・トリートメント是非、もう一度頭の中でリピートしてきっちりとできるようにやって、試してみてくださいね。それから、またいろいろ体験したことやら、面白い体験したり、発見したことがあったら是非、教えていただいて、それと、いつもあの、次の月の開始までに必ず、記録、写真やらブログアップしたりしてますので、ちょっと感想でもなんでも結構ですから、いろんなことを書き込んでいただいてにぎやかにやっていけば、まあ、皆さんの勉強にもなりますので、一つよろしくお願いします。

今回は誰もパン作って持ってこなかったので、みんなパンに興味がないのかなと思って、去年はほとんどの人がパンを作ってきたんですよね。うん。今度は作った人いる?パン持って帰って作った人、新しい人で。作った人作れましたか?パンが。



(受講生)あ、機械ですけど。
(宥厳先生)機械でも何でもいいから、ちゃんと膨らんでできてる?
(受講生)膨らみました。
(宥厳先生)あなたは?
(受講生)膨らみました。
(宥厳先生)膨らんだん…。ほんで、後々作る気がある?(一同爆)あと、男の人はだれかパン作ってみましたか?できてる?
(受講生)はい。今、膨らんでます(一同笑)。
(宥厳先生)そういえば、今日あなたの声初めて聴いたね(一同笑)。先月も一回も聞かなかったから(一同笑)。あの、挨拶してください、どうぞ。感想をどうぞ。
(受講生)感想…え~。しっかりパン膨らんでます。
(宥厳先生)パンの感想。楽健法は?
(受講生)楽健法はよく効きました。少しずつやっぱり硬いところはほぐれて…ほぐしていってもらってるのかなって言うの…
(宥厳先生)あ~そうですか。
(受講生)はい。
(幸子先生)食事は?(一同笑)
(宥厳先生)食事はどうですかって。
(幸子先生)かかかか。
(受講生)この頃は、朝に焼いたパンを食べるようにして…(一同爆)
(宥厳先生)ここの食事のことよ。
(受講生)おいしいです。
(幸子先生)おいちい、やな!
(受講生)おいしいです。



(宥厳先生)あの、三保君も感想を言うてください。
(三保くん)あの~合宿で、いろんな方に踏んで頂いたり、踏ませて頂くと、やっぱりちょっとずつ違いがあるので、すごく勉強になりました。
(宥厳先生)三保君、まだパン焼いてないね。前、ずーっとやっとったのにね。
(三保くん)はい。
(宥厳先生)そっかそっか。渡辺さんはどうですか。
(渡辺さん)すごく楽健のカルチャーって言うのかそういうのを日常になんか取り入れたらな、と思っております。料理はすごく美味しいです、本当に。本当にすごく美味しいです(一同笑)。
(宥厳先生)パンは作ってみましたか?
(渡辺さん)パンはちょっと作ってないです…。
(宥厳先生)あ~そうですか。パンは難しい…ハードル高いですか?めんどくさい?時間がない?
(渡辺さん)まず、パン焼き機がないこと自体が問題です(一同笑)。
(宥厳先生)オーブンはないんですか?
(渡辺さん)オーブンはあります。
(宥厳先生)ほんじゃあオーブンで焼かないとね。



(渡辺さん)あ~…(一同笑)
(宥厳先生)あ~…って。ふみさんはどうですか?焼いてる?
(ふみさん)焼いてます!
(宥厳先生)あ、そうなん。
(ふみさん)ただ、どうもドイツパンみたいに濃縮タイプになってしまっちゃうんですね。
(宥厳先生)つまり、膨らんでないって言うことやね(一同爆)
(ふみさん)そういうことなんですね~…
(宥厳先生)そうかそうか。
(ふみさん)もう少し元気な酵母を作り…
(宥厳先生)う~ん。まあ、あの~やってるうちにね、長いことかかってやっとできるようになる人もいますからね、中には。誰か知らんけど(笑)。他に何か意見ないですか?あなたは?







(受講生)え?私?
(宥厳先生)そうそう。
(受講生)ああ、あの、酵母は膨らましたんですけど、何倍にも、でも、忙しくて作れなくて冷凍しちゃった…
(宥厳先生)酵母を作っただけ?
(受講生)そうそうそうそう。
(宥厳先生)1回だけ?
(受講生)2回。
(宥厳先生)2回作った!で、パンは1回も焼いてないの?
(受講生)そうなんです。
(宥厳先生)不思議な人やね。
(受講生)ちょっと焼く時間がなくて、それえ、作ろうと思ってるんですけど、頼まれてたの、酵母パンは食べてみないとわからないって言う人がいて、何人か。で、こないだ来た時にお願いしたので届いたんで、それを食べて、みんながすごい~って言って、ちょっと2週続けて…
(宥厳先生)もう買うことに決めたんやな、ほんだら。
(受講生)いや~、私は作りたいんですけど、みんなにこんなにおいしんだということをそれは教えてあげたいな、と、こんないいパンだよって言うことを、自分で作ったらいいよって、それで、まず食べて、良さを分かってもらったら私がその種を使って焼いてみようかな、と。
(宥厳先生)作ったことはないけど、人には作り方を勧めてるという不思議な人ですね。
(受講生)パン焼き機も買ってるから、に、2年位前から。
(宥厳先生)他には、諸戸さん、今やってるの?
(諸戸さん)だから、私は2回…昨日?が2回目でやっぱり9cmしかダメだったけど、昨日の夜やってみたら今日は15cmくらいになってたから、割って後はビニールに入れて先生にこれはどういう状態かっていうことをチェックしてもらうと思って、持ってこようと思ったんですけど、電車が~!!って思って。



(宥厳先生)ま、話聞いただけで出来損ないやと思いますね(一同爆)。
(諸戸さん)でも、味は美味しいって子供も言ってるので。
(宥厳先生)まあ、だから、懲りずにもうちょっと頻繁にやって見られたらいいですね。
(諸戸さん)毎日やるつもりです。
(幸子先生)誰か砂糖入れるの忘れてたん、誰?
(琴美ちゃん)そんなん、小菅さんしかいないやん。
(小菅さん)何?
(琴美ちゃん)砂糖と塩入れるの忘れたの。
(宥厳先生)さっき、そう言えばそんな話してたやん。誰やったっけ。
(琴美ちゃん)だから、小菅さんやって。
(宥厳先生)あ、小菅さんか、そうかそうか。
(小菅さん)もう、絶品にできたって…
(宥厳先生)小菅さんは、あの、長いことパンしっかり頑張って勉強家でね、それで、長いこと努力してる割になかなか報われなかったの。最近ちょっと良くなってきたね。



(小菅さん)ちょっと!!
(幸子先生)ほんでも、砂糖と塩忘れたらあかんやん。一番大事なもん忘れて。(一同笑)
(宥厳先生)他には?その辺は?そう、そこ。あなたはパン焼いてる?
(受講生)下の方がちょっと圧縮になっちゃって、上の方は膨らんでるんですけど、下の方は密度が高くなってしまって。
(宥厳先生)それ、何の話?(一同爆)
(受講生)パンの話。
(宥厳先生)下が圧縮されて、上が膨らんだん?
(受講生)う~ん、何か、一応これくらいまでは上がるんですよ。
(宥厳先生)じゃあ、よう膨らんどるやんね。そんなもんです、パンっていうのは。
(受講生)あっ、じゃあ、いいです。
(宥厳先生)あなたはどうですか?焼いてる?
(受講生)焼いてます。
(宥厳先生)ふ~ん、じゃあ来月はふんわりとなってなくてもよろしいから(一同笑)、こんなパンができましたって言うの、できたらね、見せるようにと思って、作ってみてください、それで、持ってきてね、みんなでちょっと…
(幸子先生)品評会。
(宥厳先生)品評会をして、まあ、そういうことでもしないとなかなか。あの~えーっと清女さん。
(清女さん)はい!
(宥厳先生)あなたは作ってる?
(清女さん)あの、作ったんですけどカチカチなんです。失敗しちゃったんです!膨らんでなかったんです。
(宥厳先生)だいたい上手いこと膨らまなかった人は最初のパン種の段階でミスしてるね。パン種ができてないのに、次の仕事に取り掛かってる。早すぎるんですね。
(清女さん)ああ、そうです。
(宥厳先生)だから、パン種仕込んだら、必ず翌日にちょっとアルコールの匂いがしてるような状態の時にパンにしたらそういうことは起こらない。で、一回やっただけ?
(清女さん)だって、ショックで…。
(宥厳先生)ショックでっていつ…
(幸子先生)あんたはうちのおいしいパンを食べてるやん。
(宥厳先生)ああ、そうかそうか。まあ、あのなるべく何回かやって上手になっていただいて、つまり自分が焼くだけでなくてね、人に自慢して見せて食べさせたいと思うようなパンだとか、それからあなたもやってごらんって言う風に人に勧められて、教えられるような人に是非なってもらいたいのね。その為にパン焼いてくださいって言うてるわけです。自分が焼くだけだったらね。まあ、それはあの簡単なんですけど、やってるうちにやっぱり余所にはないおいしいパンで、これは真似はできんだろうと思うから業者も絶対作らないだろうと思うから、つい教えたくなるようなパンができると思うんですね。是非そういう気持ちで作り続けてやってみてほしいと思います。
(受講生)先生、パン種がなんか苦くなる。
(宥厳先生)それは当たり前のことなんです。それでいいんです。
(受講生)あ、それでいいんですか。
(宥厳先生)そんなあの、作った状態の甘いまま続いてたらそれはあり得ないことで発酵して変わっていくんですよ。だから、発酵した、できたパンはこうギュッと刺激のあるようなそういう味になってますよ、パン種自体は。うん。
(受講生)苦いからダメかと思って。結構ボコボコしてるんですよ。
(宥厳先生)そんなもんですよ。作った時だけ甘いの。そういうものですね。他にはないですね。あ、それから誰やらパン種持って帰りたいって言った人、あそこに入ってますので、袋に入れて持って帰ってくださいね。ホイロの中に入ってます。鍋に。あれ持って帰ったら発酵しますから。じゃあ、これくらいで質問がなければ…。質問はないですか。じゃ、これで終わります。ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

(宥厳先生)あの~、こんな程度じゃなくって、この最近、東光寺で流行ってるやり方は額をここに引っ付けるんです。(一同笑)。あの、禅宗の尼さんがね、楽健法の勉強に来られてるんですよ。塚田さんて京都の尼さんなんですけど、その人がきちっとした衣を着て来られて、きちっとこう挨拶されて、僕がもう終わったかなと思って頭上げたら、まだやってるから(一同爆)。また僕もやって。
(幸子先生)あんな衣作って。
(宥厳先生)え?あ、衣がほしい?
(幸子先生)あんな衣がほしい。
(宥厳先生)あんな衣やったら着る?
(琴美ちゃん)でも、あれは殴り飛ばすための衣だって言ってたよ。ねっ。
(西澤さん)そうそうそう。
(琴美ちゃん)殴り飛ばされても平気なようにあそこに継ぎ目があるんだって。
(宥厳先生)柔道着…
(幸子先生)禅宗のあんなん。
(宥厳先生)塚田さんに電話してね、お幸さんが欲しがってるから一着用意してくれって言っといてくれ。ね。ほんだらあれでもうこれからここに。頭ちょっと…頭が。
(幸子先生)頭、今度金色に…(一同爆)
(宥厳先生)じゃ、また来月お目にかかります。
(一同)ありがとうございました。