磐余堂に風を通しました…
初物・スイカ
6/9 13:15
(宥厳先生)何かひどく蒸し暑いな、湿度が高いですね。こっちへ入って、こっち。そんな!部屋の中に入って下さい。出入口に座らないように。みんな揃ったんかな。2,3,4,,,,
(幸子先生)スイカが余ってるから24人おれへん。
(宥厳先生)おるみたい。
(受講生)食べてない人がいますよ。
(宥厳先生)スイカの切り方数間違えたんと違う。
(幸子先生)ちゃう!合うてるね。
(宥厳先生)そうか。どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)いよいよ梅雨入りで蒸し暑いですけれども、こういう時期は色々と病気も出やすかったり、気分もすぐれなかったりしてくるんですけど、楽健法で循環を良くして、すっきりと乗り切ってほしいと思います。
今月は短歌を書かなかったんです。で、というのが、雑誌の発行が隔月になったもので、僕は2回余分に送ってしまってあるんです。ちょっとしばらく…来月は書かないといけないと思うんですけど、そんな予定ですね。今朝は本堂の右側を上がった所に小さな磐余堂って言うお堂があるんですけど、お掃除をしてきたところです。閉めたきりほったらかしだったので、少し反省しまして、開けて入ってみたら、まあ、中はそんなに汚れてなかったんですけど、ヤモリがフンをするのでね、壁際などやっぱり汚されてますけど、磐余堂の中には法身普賢って言う仏様をお祀りしてあるんです。
道場に曼荼羅が2面かかってますけど、この金剛界と胎蔵曼陀羅を制作されたのはネパールなんです。
8月に家内と二人でネパールへ行く予定なんですけれども、その時向こうでお世話いただくのが、秋田嘉弘さんって言う方で、その人の息子が秋田寅吉さん、まだ若い26,7かな、くらいの青年なんですけどこの寅吉さんに呼ばれて行くんです。私が東光寺に縁ができて、それでこういうお堂を今整備していると言うような、話を伝えた時に秋田嘉弘さんが法身普賢の仏像を送ってくださったんです。
チベット仏教の仏様です。「ほっしんふげん」って言う名前だと聞いてますけど。「ほっしん」って言うのは法律の法に、身体の身て書くんですね。「法身」それで、「ほっしん」と読みます。それで、「ふげん」は普賢菩薩の普賢ですね。法身普賢。あの興味のある方は、今とりあえず閉めてきましたけど、開けてお見せしますので、昼休み…お昼休みはもう終わったのか(一同笑い)
(琴美ちゃん)夕方休み!
(宥厳先生)その休みの時間にでも見てきて下さい。法身普賢と言うのはね、合体佛なんですね。合体佛って言うのは、仏様と荼枳尼(ダキニ)天って言ってという女性の仏様ですが、正面から向き合って、抱き合って、交わってる、そういう仏さんです。日本にはそういう仏様は、聖天さんって言うのがあるんですけどね。聖天さんってご存知でしょう?日本各地にお聖天さん。「聖」と言う字に「天」と書くんですけどね。聖天さんって言う仏様が、ときどきおまつりされてます。聖天さんは象の姿ですね。象の姿で、やはり合体佛として作られてて、それで、日本の真言宗のお坊さんの中ではですね、聖天さんをおまつりするって言う人は非常に少なくて、つまり聖天をおまつりするのには、聖天法って言うおまつりの仕方があってね、毎日かかさず、きちんとその佛様に祈祷しなくてはいけない。それから、供物って言ってお供えするものですね。これも、もう厳密に決められていて、それで、シーズンオフにはなくなるようなものまで揃えてお供えしなくてはいけないと言うような細かいことがあって、それを、多分毎日ではなくて毎週だと思うんですけど、きちんと取り替えて行く、それから、一日でも勤行をさぼるとたちまちにして命を取られるって言う…
(琴美ちゃん)嫌!怖い!
(宥厳先生)そういう仏様です。その代り、この仏様をきっちりと毎日拝んでましたらね、聖天法で、それはもうとてつもない繁栄がもたらされると言うようなことが言い伝えられておって、それで、まあ忙しいから交代にしようかっていうのもあんまり認められてないみたいですね。だから、もう決まった人がきちっと決まった時間に、それも一日二座くらいあると思うんです。二座と言うのは朝晩とか言う意味ですけどね、あるんですね。まああの、信仰と言うのはそういう厳しいものをどっかに持っておって、ま、私のようなずぼらなお坊さんには、ちょっと聖天法なんてとても出来ないんです。
で、ここにおまつりされてる法身普賢は聖天様ではありませんけれども、秋田嘉弘さんに頂いてから、あそこにおまつりしようと思ったとたんに大阪市内のあるお寺から、仏間で使ってた仏具一式、漆塗りの仏具と大きな燈篭など、これも余ったの使いませんかってね、わざわざ大阪から持ってきてくれてたちまちにしてああいう風に荘厳が整ったんです。
それで、法身普賢の後ろに五面のタンカが掛ってます。タンカっていうのは掛け軸みたいなもんですけど、日本の掛け軸と違ってチベットとかネパールの方では、仏画を布で掛け軸を作って、くるくると巻いて、持ち運びできるようなそういう形で一応掛け軸風にできてるわけです。これも秋田嘉弘さんがくださったんですが、金剛界の五佛という仏様です。
あのお堂でよく瞑想をされたのはベルギーに帰られましたけど、カトリックの神父さんでペテロ・バーケロマンスさんです。私が東光寺へ来た頃は毎日のように来られて、その頃彼はまだ時間が比較的自由だったので、東光寺へせっせと通ってはお寺の整備を手伝ってくれました。庫裏の真ん前にボロボロの一戸建ちの家がありましてね、小屋って言うか、まあ誰かが戦争前から住んでた家なんですけど、吉野造りの家で、吉野造りって言うのは庫裏の前の庭が、傾斜がきつい斜面になってたんですね。で、その斜面に柱を立てて崖に乗り出すようにして家を作ると言うそういう作り方を吉野造りというんですけど、ま、吉野の方ではそうやって土地が狭いからね、斜面に柱を立てて家を建てる。だから、玄関から入ると地下みたいにもぐって行けて、下にもまた座敷があったりするんですね。ここの前にあったのもそういう家だったんです。
ところが、その吉野造りの家を支えている柱が、もう粗末な丸太で、それも途中で長さが足りなくて針金で縛って、それで支えてあるような恐ろしい家でした。で、中に、だから、怖がって誰も中に入ろうとしない。中に入ったらたちまち潰れるだろうと思うような危ない家でした。屋根には瓦がのってなくて、トタンぶきだったんです。お風呂がついてて、それでその家の座敷にはありとあらゆるガラクタをほりこんであった。以前に東光寺にいた人がいらなくなったのものを入れたんでしょうね。それをペテロさんと2人で屋根のトタンを外して、針金で四角い箱にそれを仕立てあげて、で、一方を開くようにして屋根も作って、かなり大きなトタンだけの小屋を作りましてね、そこに家を二人でせっせと壊しては、そこにほり込んでは火をつけてね、それで、トタン火がつくと、前もちょっとカバーしてそうやって2カ月かかって、家一軒全部燃やしたんです。
(一同)え~~~!?
(宥厳先生)まあ、そんなことをしてちょうどその頃、そんな作業している頃に、読売テレビの「宗教の時間」って言う朝早く放送される番組がありましてね。それが取材に来られて、それで20分くらいの番組ですけどね。そういう番組で紹介されたことがあります。
で、その番組では、私が一輪車で裏山から土を運んで斜面を埋め立てしている映像があります。
庭をもっと広げてやろうと思ってね。3mくらい向こうに広げたんです。当時はいま駐車場になってるとこに、家が建ってたんですよ。大きな家が3棟くらいあったんですけど。それを、私が来てから地主さんが一人でコツコツと瓦をおろして解体してました。解体を全部一人でやってましたね。解体したものを軽トラックでどっかに運んでいました。
まあ、田舎の人ですから、時間がいくらでもあるので、ああいうことされたんでしょう。で、その家の梁とかね、丈夫そうな廃材が出た時に、それをもらってペテロさんと2人で担いで持って上がって、それで、その斜面の所に井桁に組んで、カスガイで止めて、で防腐剤を塗ってね。その間に土をほり込んで行って庭を広げたわけです。だから、今ちょっと広くなってますけど、以前はもっとこっち側に狭かった。まあ、そういう形でお寺を整備してきたわけです。
で、まああの頃から大方23年以上になるんですけど、ずいぶん木が大きくなって鬱蒼としていますね、茂りすぎて始末が悪いくらい良く茂ります。私が高野山に入ったのが49歳の時でしたけれども、40代の時はからだがね、辛いことが多かったんですけどね。東光寺に来てからは割とこの樹木に囲まれて、それで、樹木の何か精を頂くんだろうと思うんです。何とか…フィトンチットかなんか言いますね。樹木から出てるエネルギーみたいなもんですね。フィトンチッタって言うたかな。ね。
(受講生)フィトンチット…
(宥厳先生)フィトンチットって言うんですかね。あれのお陰だろうと思うんですけど、疲れにくくなってきましたね。それとこの石段を上がったり降りたりしないといけないということも、健康に裨益するところ大だったと思うんです。東光寺というお寺に縁ができて、お寺に暮らすようになったものの、当初はこれから生活をどうしていこうかと言うような感じだったんですけど。まあ、東光寺の本堂と庫裏の8畳の部屋2つで講習会を開いたりするようになって、ぼちぼちと人が来てくれてたんですけど、まだインターネットとかね、そんなことは全く縁のない時代で、なかなか楽健法も広がらなかったんですが。まあ、その後にテレビの取材もあったりして、朝の番組に二回ぐらい、朝日放送かなんかが生放送でニュースの時間に、お寺でこういうことやってますって楽健法をやってるのを実況放送してくれたり、と言うようなことがあったんです。
まあそういう放送があったからと言って、それを見て人が増えるとことは滅多にないですね。あの放送を見てここへ来られて、この講習会の第1期か2期の…1期だったかな萬成さんって言う人はテレビを見て来られるようになった人です。
萬成さんは毎月のように講習会に参加されていました。当時、道場のここの家にはSさんという家族が住んでられたんですけど、ある日引越しの用意してるもんですから、聞いてみたら、ここはある会社の社宅になってて、そこの社員の家族が住んでたんですね。その奥さんがペースメーカーを入れて、もうここまで石段を上がるのがしんどいし、それで引っ越すことになったんです。
それだったら後を僕が借りられませんかね、と言う話をしたら、そしたら、会長に話してみますって言うことになって、それで話してくれたら、東光寺さんとは深い因縁のあるお付き合いでしたので東光寺さんが使ってくれるんだったらこんな嬉しいことはありません、とか言うので、それでここが使えるようになったんです。まあ、そんな話を萬成さんにしたら、私もいつも東光寺に来るとき、ここの家が東光寺のものだったらいいのになぁといつも思ってましたって言ってましたから、そういう念力が通じてね、ここの道場が東光寺のものになる、そういうことが実現したんだと思います。
当時はこの部屋が二間になってましてね、そちら側が応接間で、何ていうの?マントルピースがついていました。一応そういう形の応接間で、こちら側は一段高くなってましてね、20cmくらい高くなって、もちろん壁で仕切られてるわけですけれども、その壁を取り払って、床をフラットにしてそれでまあ道場にしたんですね。ま、そんなことからここの今12年になりますけどね。第12期生の、今皆さんがそうなんですけれども、もうひと巡りそういう講習会やってこれたわけです。それで、一昨年までは部屋の広さがここから向こうだったわけです。だから、こっから向こうと言うこと3×3=9。
(受講生)16名ですよね。
(宥厳先生)うん、私たちも入れて18名しかできなかったんですけど、ちょっとここ1畳分広げようと言うので、何か急に思い立って、それで源ちゃんっていう大工さんにお願いしたら、まあ1か月くらいで広げてくれてね、それで、まあちょっと手狭で我慢しながらですけど、譲り合って一応24人の人がこうやって楽健法の勉強を出来るようになったわけです。
ま、とても有難いことだと思います。そんなことから、まあお寺と言うのは、自分が思いもしなかったような展開が起ったりします。
まあ僕はいつも自分の中に良い意志を持って生きると言うことを自分の心がけとしています。いつも誰かのためにと言うような気持ちでずっと生きてるつもりでおるんですけれども、まあ、そういう意志が何かにちょっと認められるときに、何かちょっと変化が起きてきたような気がいつもしてます。
有難いことだと思うんですけど、人間と言うのはひととの出会いがあって何かが変わっていくのです。私たちはお互いに、常にいつでも人間同士、触媒作用をするんですね。思いがけない人と出会いと言うのが必ず、誰かがいてその人を通じて人と知り合って行くわけで、で、その触媒になってくれた人が気に食わない人である場合もあるわけですね。
だけど、そういう意味で言うとね、世の中に、あいつはいなくてもいい、なんていうような人は僕は一人もいないと思うんですね。少々できの悪いと思うような、癖の強い人でもね、やっぱり人と人とつないだりして、自分では意識してなくても知らないうちに人と人を繋いだりして、そうやって人は道が開けて行ってるように思います。ま、そういうことを思いながら、楽健法と天然酵母パンを、まあ長年続けてきたわけですね。
それで、先週の月曜日に、先週じゃないわ今週ね、月曜日にまたテレビの取材がありまして、この間の月曜日に、朝の6時から、朝日放送が3人、大きなカメラを持ちこんで、パン工房へやってきましてね、で、家内と二人、一日カメラにつけ狙われて、パパラッチやられてたわけです(笑)。
それで、それは「やまとナゼしこ」、ナデシコじゃなくて、ナゼっていう、「やまとナゼしこ」って言う番組が、古舘さんかな?のニュース番組のあれの続き、あれの直後に火曜日にある番組らしいんですけど、ぼくは見たことがないんですが、その番組で放映されることになります。
これは長年、後期高齢者になるまで苦労をしてきた夫婦を、ま、世の中に夫婦のサンプルとしてご紹介したいと言うようなことらしくて、それで、まあ、私たちは世間のサンプルになるような、いい夫婦だとは思ってませんけれども。まあ、そういう誤解をされる方もおるわけで、ご本人が一番誤解してたりして(笑)。ま、そんなことです。
(一同笑い)
(宥厳先生)なんかおかしい?
(受講生)ほほ笑みみがすごい(一同爆笑)
(受講生)こわい!
(宥厳先生)まああの、そうそう番組が近いうちに、関西圏だけかもしれないんですけど、まあ、また放映の日が決まったら皆さんにお知らせします。それから、見られない人にはビデオ録画しておいてお見せしたいと思いますので、まあ、楽しみにしていてください。まあ何て言うことはないんですけどね。ぶっちゃけた話はあんまり喋りたくないような話を聞かれたりするんです。「どうして奥さんを、奥さんを愛するようになったんですか」(一同爆笑)。
(琴美ちゃん)聞きたいわ~(一同笑い)
(宥厳先生)ん?「今のお気持ちはちはどうなんですか」(一同爆笑)。家内はあんまりそういうことに、あんまり答えたがらないんです、ねぇ。曰く言い難しです。そんなこと言わんでもわかってるやんか」ちゅなこと言うて(一同笑い)。どっちにでも取れる(一同笑い)。まあそんなことですね。
じゃあ、今から楽健法やりましょうね。護身法から行きましょう。
(宥厳先生)それからちょっと言い忘れましたけれども、今日は日比野さんがちょっとどうしても用事があって出られないので、高田さんに応援に来て頂きました。高田さんどこに行った?
(受講生)ここ!
(宥厳先生)ああ、あの人が高田さんです。今日は日比野さんになって頂きます。はい。
楽健法(8)
おやつ~
辻田さん、いつもありがとう!
Dinner「新玉の丸ごと煮」
●新玉の丸ごと煮(新たまねぎ、プチトマト、スナックエンドウ)
●旬野菜の煮物(破竹、あげ、ジャガイモ、シメジ、こんにゃく)
●豆ご飯
これ何のおまじないでしょう!?
真似しちゃった!
答えはしゃっくりを止める!です。名古屋の平松さん談。
楽健法(9)
初物・スイカ
6/9 13:15
(宥厳先生)何かひどく蒸し暑いな、湿度が高いですね。こっちへ入って、こっち。そんな!部屋の中に入って下さい。出入口に座らないように。みんな揃ったんかな。2,3,4,,,,
(幸子先生)スイカが余ってるから24人おれへん。
(宥厳先生)おるみたい。
(受講生)食べてない人がいますよ。
(宥厳先生)スイカの切り方数間違えたんと違う。
(幸子先生)ちゃう!合うてるね。
(宥厳先生)そうか。どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)いよいよ梅雨入りで蒸し暑いですけれども、こういう時期は色々と病気も出やすかったり、気分もすぐれなかったりしてくるんですけど、楽健法で循環を良くして、すっきりと乗り切ってほしいと思います。
今月は短歌を書かなかったんです。で、というのが、雑誌の発行が隔月になったもので、僕は2回余分に送ってしまってあるんです。ちょっとしばらく…来月は書かないといけないと思うんですけど、そんな予定ですね。今朝は本堂の右側を上がった所に小さな磐余堂って言うお堂があるんですけど、お掃除をしてきたところです。閉めたきりほったらかしだったので、少し反省しまして、開けて入ってみたら、まあ、中はそんなに汚れてなかったんですけど、ヤモリがフンをするのでね、壁際などやっぱり汚されてますけど、磐余堂の中には法身普賢って言う仏様をお祀りしてあるんです。
道場に曼荼羅が2面かかってますけど、この金剛界と胎蔵曼陀羅を制作されたのはネパールなんです。
8月に家内と二人でネパールへ行く予定なんですけれども、その時向こうでお世話いただくのが、秋田嘉弘さんって言う方で、その人の息子が秋田寅吉さん、まだ若い26,7かな、くらいの青年なんですけどこの寅吉さんに呼ばれて行くんです。私が東光寺に縁ができて、それでこういうお堂を今整備していると言うような、話を伝えた時に秋田嘉弘さんが法身普賢の仏像を送ってくださったんです。
チベット仏教の仏様です。「ほっしんふげん」って言う名前だと聞いてますけど。「ほっしん」って言うのは法律の法に、身体の身て書くんですね。「法身」それで、「ほっしん」と読みます。それで、「ふげん」は普賢菩薩の普賢ですね。法身普賢。あの興味のある方は、今とりあえず閉めてきましたけど、開けてお見せしますので、昼休み…お昼休みはもう終わったのか(一同笑い)
(琴美ちゃん)夕方休み!
(宥厳先生)その休みの時間にでも見てきて下さい。法身普賢と言うのはね、合体佛なんですね。合体佛って言うのは、仏様と荼枳尼(ダキニ)天って言ってという女性の仏様ですが、正面から向き合って、抱き合って、交わってる、そういう仏さんです。日本にはそういう仏様は、聖天さんって言うのがあるんですけどね。聖天さんってご存知でしょう?日本各地にお聖天さん。「聖」と言う字に「天」と書くんですけどね。聖天さんって言う仏様が、ときどきおまつりされてます。聖天さんは象の姿ですね。象の姿で、やはり合体佛として作られてて、それで、日本の真言宗のお坊さんの中ではですね、聖天さんをおまつりするって言う人は非常に少なくて、つまり聖天をおまつりするのには、聖天法って言うおまつりの仕方があってね、毎日かかさず、きちんとその佛様に祈祷しなくてはいけない。それから、供物って言ってお供えするものですね。これも、もう厳密に決められていて、それで、シーズンオフにはなくなるようなものまで揃えてお供えしなくてはいけないと言うような細かいことがあって、それを、多分毎日ではなくて毎週だと思うんですけど、きちんと取り替えて行く、それから、一日でも勤行をさぼるとたちまちにして命を取られるって言う…
(琴美ちゃん)嫌!怖い!
(宥厳先生)そういう仏様です。その代り、この仏様をきっちりと毎日拝んでましたらね、聖天法で、それはもうとてつもない繁栄がもたらされると言うようなことが言い伝えられておって、それで、まあ忙しいから交代にしようかっていうのもあんまり認められてないみたいですね。だから、もう決まった人がきちっと決まった時間に、それも一日二座くらいあると思うんです。二座と言うのは朝晩とか言う意味ですけどね、あるんですね。まああの、信仰と言うのはそういう厳しいものをどっかに持っておって、ま、私のようなずぼらなお坊さんには、ちょっと聖天法なんてとても出来ないんです。
で、ここにおまつりされてる法身普賢は聖天様ではありませんけれども、秋田嘉弘さんに頂いてから、あそこにおまつりしようと思ったとたんに大阪市内のあるお寺から、仏間で使ってた仏具一式、漆塗りの仏具と大きな燈篭など、これも余ったの使いませんかってね、わざわざ大阪から持ってきてくれてたちまちにしてああいう風に荘厳が整ったんです。
それで、法身普賢の後ろに五面のタンカが掛ってます。タンカっていうのは掛け軸みたいなもんですけど、日本の掛け軸と違ってチベットとかネパールの方では、仏画を布で掛け軸を作って、くるくると巻いて、持ち運びできるようなそういう形で一応掛け軸風にできてるわけです。これも秋田嘉弘さんがくださったんですが、金剛界の五佛という仏様です。
あのお堂でよく瞑想をされたのはベルギーに帰られましたけど、カトリックの神父さんでペテロ・バーケロマンスさんです。私が東光寺へ来た頃は毎日のように来られて、その頃彼はまだ時間が比較的自由だったので、東光寺へせっせと通ってはお寺の整備を手伝ってくれました。庫裏の真ん前にボロボロの一戸建ちの家がありましてね、小屋って言うか、まあ誰かが戦争前から住んでた家なんですけど、吉野造りの家で、吉野造りって言うのは庫裏の前の庭が、傾斜がきつい斜面になってたんですね。で、その斜面に柱を立てて崖に乗り出すようにして家を作ると言うそういう作り方を吉野造りというんですけど、ま、吉野の方ではそうやって土地が狭いからね、斜面に柱を立てて家を建てる。だから、玄関から入ると地下みたいにもぐって行けて、下にもまた座敷があったりするんですね。ここの前にあったのもそういう家だったんです。
ところが、その吉野造りの家を支えている柱が、もう粗末な丸太で、それも途中で長さが足りなくて針金で縛って、それで支えてあるような恐ろしい家でした。で、中に、だから、怖がって誰も中に入ろうとしない。中に入ったらたちまち潰れるだろうと思うような危ない家でした。屋根には瓦がのってなくて、トタンぶきだったんです。お風呂がついてて、それでその家の座敷にはありとあらゆるガラクタをほりこんであった。以前に東光寺にいた人がいらなくなったのものを入れたんでしょうね。それをペテロさんと2人で屋根のトタンを外して、針金で四角い箱にそれを仕立てあげて、で、一方を開くようにして屋根も作って、かなり大きなトタンだけの小屋を作りましてね、そこに家を二人でせっせと壊しては、そこにほり込んでは火をつけてね、それで、トタン火がつくと、前もちょっとカバーしてそうやって2カ月かかって、家一軒全部燃やしたんです。
(一同)え~~~!?
(宥厳先生)まあ、そんなことをしてちょうどその頃、そんな作業している頃に、読売テレビの「宗教の時間」って言う朝早く放送される番組がありましてね。それが取材に来られて、それで20分くらいの番組ですけどね。そういう番組で紹介されたことがあります。
で、その番組では、私が一輪車で裏山から土を運んで斜面を埋め立てしている映像があります。
庭をもっと広げてやろうと思ってね。3mくらい向こうに広げたんです。当時はいま駐車場になってるとこに、家が建ってたんですよ。大きな家が3棟くらいあったんですけど。それを、私が来てから地主さんが一人でコツコツと瓦をおろして解体してました。解体を全部一人でやってましたね。解体したものを軽トラックでどっかに運んでいました。
まあ、田舎の人ですから、時間がいくらでもあるので、ああいうことされたんでしょう。で、その家の梁とかね、丈夫そうな廃材が出た時に、それをもらってペテロさんと2人で担いで持って上がって、それで、その斜面の所に井桁に組んで、カスガイで止めて、で防腐剤を塗ってね。その間に土をほり込んで行って庭を広げたわけです。だから、今ちょっと広くなってますけど、以前はもっとこっち側に狭かった。まあ、そういう形でお寺を整備してきたわけです。
で、まああの頃から大方23年以上になるんですけど、ずいぶん木が大きくなって鬱蒼としていますね、茂りすぎて始末が悪いくらい良く茂ります。私が高野山に入ったのが49歳の時でしたけれども、40代の時はからだがね、辛いことが多かったんですけどね。東光寺に来てからは割とこの樹木に囲まれて、それで、樹木の何か精を頂くんだろうと思うんです。何とか…フィトンチットかなんか言いますね。樹木から出てるエネルギーみたいなもんですね。フィトンチッタって言うたかな。ね。
(受講生)フィトンチット…
(宥厳先生)フィトンチットって言うんですかね。あれのお陰だろうと思うんですけど、疲れにくくなってきましたね。それとこの石段を上がったり降りたりしないといけないということも、健康に裨益するところ大だったと思うんです。東光寺というお寺に縁ができて、お寺に暮らすようになったものの、当初はこれから生活をどうしていこうかと言うような感じだったんですけど。まあ、東光寺の本堂と庫裏の8畳の部屋2つで講習会を開いたりするようになって、ぼちぼちと人が来てくれてたんですけど、まだインターネットとかね、そんなことは全く縁のない時代で、なかなか楽健法も広がらなかったんですが。まあ、その後にテレビの取材もあったりして、朝の番組に二回ぐらい、朝日放送かなんかが生放送でニュースの時間に、お寺でこういうことやってますって楽健法をやってるのを実況放送してくれたり、と言うようなことがあったんです。
まあそういう放送があったからと言って、それを見て人が増えるとことは滅多にないですね。あの放送を見てここへ来られて、この講習会の第1期か2期の…1期だったかな萬成さんって言う人はテレビを見て来られるようになった人です。
萬成さんは毎月のように講習会に参加されていました。当時、道場のここの家にはSさんという家族が住んでられたんですけど、ある日引越しの用意してるもんですから、聞いてみたら、ここはある会社の社宅になってて、そこの社員の家族が住んでたんですね。その奥さんがペースメーカーを入れて、もうここまで石段を上がるのがしんどいし、それで引っ越すことになったんです。
それだったら後を僕が借りられませんかね、と言う話をしたら、そしたら、会長に話してみますって言うことになって、それで話してくれたら、東光寺さんとは深い因縁のあるお付き合いでしたので東光寺さんが使ってくれるんだったらこんな嬉しいことはありません、とか言うので、それでここが使えるようになったんです。まあ、そんな話を萬成さんにしたら、私もいつも東光寺に来るとき、ここの家が東光寺のものだったらいいのになぁといつも思ってましたって言ってましたから、そういう念力が通じてね、ここの道場が東光寺のものになる、そういうことが実現したんだと思います。
当時はこの部屋が二間になってましてね、そちら側が応接間で、何ていうの?マントルピースがついていました。一応そういう形の応接間で、こちら側は一段高くなってましてね、20cmくらい高くなって、もちろん壁で仕切られてるわけですけれども、その壁を取り払って、床をフラットにしてそれでまあ道場にしたんですね。ま、そんなことからここの今12年になりますけどね。第12期生の、今皆さんがそうなんですけれども、もうひと巡りそういう講習会やってこれたわけです。それで、一昨年までは部屋の広さがここから向こうだったわけです。だから、こっから向こうと言うこと3×3=9。
(受講生)16名ですよね。
(宥厳先生)うん、私たちも入れて18名しかできなかったんですけど、ちょっとここ1畳分広げようと言うので、何か急に思い立って、それで源ちゃんっていう大工さんにお願いしたら、まあ1か月くらいで広げてくれてね、それで、まあちょっと手狭で我慢しながらですけど、譲り合って一応24人の人がこうやって楽健法の勉強を出来るようになったわけです。
ま、とても有難いことだと思います。そんなことから、まあお寺と言うのは、自分が思いもしなかったような展開が起ったりします。
まあ僕はいつも自分の中に良い意志を持って生きると言うことを自分の心がけとしています。いつも誰かのためにと言うような気持ちでずっと生きてるつもりでおるんですけれども、まあ、そういう意志が何かにちょっと認められるときに、何かちょっと変化が起きてきたような気がいつもしてます。
有難いことだと思うんですけど、人間と言うのはひととの出会いがあって何かが変わっていくのです。私たちはお互いに、常にいつでも人間同士、触媒作用をするんですね。思いがけない人と出会いと言うのが必ず、誰かがいてその人を通じて人と知り合って行くわけで、で、その触媒になってくれた人が気に食わない人である場合もあるわけですね。
だけど、そういう意味で言うとね、世の中に、あいつはいなくてもいい、なんていうような人は僕は一人もいないと思うんですね。少々できの悪いと思うような、癖の強い人でもね、やっぱり人と人とつないだりして、自分では意識してなくても知らないうちに人と人を繋いだりして、そうやって人は道が開けて行ってるように思います。ま、そういうことを思いながら、楽健法と天然酵母パンを、まあ長年続けてきたわけですね。
それで、先週の月曜日に、先週じゃないわ今週ね、月曜日にまたテレビの取材がありまして、この間の月曜日に、朝の6時から、朝日放送が3人、大きなカメラを持ちこんで、パン工房へやってきましてね、で、家内と二人、一日カメラにつけ狙われて、パパラッチやられてたわけです(笑)。
それで、それは「やまとナゼしこ」、ナデシコじゃなくて、ナゼっていう、「やまとナゼしこ」って言う番組が、古舘さんかな?のニュース番組のあれの続き、あれの直後に火曜日にある番組らしいんですけど、ぼくは見たことがないんですが、その番組で放映されることになります。
これは長年、後期高齢者になるまで苦労をしてきた夫婦を、ま、世の中に夫婦のサンプルとしてご紹介したいと言うようなことらしくて、それで、まあ、私たちは世間のサンプルになるような、いい夫婦だとは思ってませんけれども。まあ、そういう誤解をされる方もおるわけで、ご本人が一番誤解してたりして(笑)。ま、そんなことです。
(一同笑い)
(宥厳先生)なんかおかしい?
(受講生)ほほ笑みみがすごい(一同爆笑)
(受講生)こわい!
(宥厳先生)まああの、そうそう番組が近いうちに、関西圏だけかもしれないんですけど、まあ、また放映の日が決まったら皆さんにお知らせします。それから、見られない人にはビデオ録画しておいてお見せしたいと思いますので、まあ、楽しみにしていてください。まあ何て言うことはないんですけどね。ぶっちゃけた話はあんまり喋りたくないような話を聞かれたりするんです。「どうして奥さんを、奥さんを愛するようになったんですか」(一同爆笑)。
(琴美ちゃん)聞きたいわ~(一同笑い)
(宥厳先生)ん?「今のお気持ちはちはどうなんですか」(一同爆笑)。家内はあんまりそういうことに、あんまり答えたがらないんです、ねぇ。曰く言い難しです。そんなこと言わんでもわかってるやんか」ちゅなこと言うて(一同笑い)。どっちにでも取れる(一同笑い)。まあそんなことですね。
じゃあ、今から楽健法やりましょうね。護身法から行きましょう。
(宥厳先生)それからちょっと言い忘れましたけれども、今日は日比野さんがちょっとどうしても用事があって出られないので、高田さんに応援に来て頂きました。高田さんどこに行った?
(受講生)ここ!
(宥厳先生)ああ、あの人が高田さんです。今日は日比野さんになって頂きます。はい。
楽健法(8)
おやつ~
辻田さん、いつもありがとう!
Dinner「新玉の丸ごと煮」
●新玉の丸ごと煮(新たまねぎ、プチトマト、スナックエンドウ)
●旬野菜の煮物(破竹、あげ、ジャガイモ、シメジ、こんにゃく)
●豆ご飯
これ何のおまじないでしょう!?
真似しちゃった!
答えはしゃっくりを止める!です。名古屋の平松さん談。
楽健法(9)