8/4 13:00「どうだん」
(宥厳先生)どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)みんながそこにかたまらんと、もっと離れて楽に座りましょう。
最近は四季の移り変わりが、いままで経験しなかったような怪しい感じで、からだがとまどっているようです。
僕は夏風邪みたいな感じで、体調が1か月くらいもう一つだったですね。芯に熱があるような感じが若干あったんです。からだの芯が冷たぁいような、冷やされたような、熱があるようなそんな感じでひと月ほど過ごしましたね。でも、まあ別に寝込んだわけでもなんでもないので、普通に仕事はできてたんですけど。
気候のせいかどうか、今日も二人、松本清女さんと諸戸さんが欠席です。少し風邪気味みたいに言ってました。
今月はどうだんに投稿をしました。今朝勤行して、朝ご飯ができるまの間に書いた短歌です。
それで、この裏っ側の詩が3つ載ってるのは、ここ数日で全部書いたものばっかりですけど。上に火鉢が置いてあって、あれを「火鉢池」と名付けることにしたんですけど(笑)、火鉢池に蛙が3匹住んでたんですけど、それが三日か四日前から全く蛙の姿が見えなくなって、どこ行ったんだろうと思ってまあ、よく餌を食べに外出するもんですからね。それでまあ、それを知ってましたから、そのうち戻るだろうと思ったら、三日くらい経って水面をよく見たら何か雰囲気が違っていて、荒れた感じがする。あれっと思ったら、水草が端の方にぐっと引き寄せられて、誰かが手を突っ込んだような感じなんですよ。あ、これはタヌキか何かが来て手をまわして蛙を襲ったのかな。しかし、タヌキきがそんなことするかな。猫もあんな深いところにね、手を突っ込んで蛙を捕まえたりしないはずだと思ってようく辺りを見たら、こんな大きな鳥の羽根が1本ポーンと落ちとったんです。真新しいきれいな羽。それでいつもこの山のガレージ、ちょうど車を入れる真上に一本の合歓の木が枝を張り出して、そこにいつもクロサギが止まってるんですよ。この羽はどうも奴の羽に違いないと思って、それで、まあクロサギに食べられたとしたら、カエルも本望かもしれないし、それが自然の営みだからね。だから、しょうがないのかもしれないけど、蛙がいなくなって寂しくて、そのことを、東光寺山の博物誌みたいな感じで、詩と短歌に作ってみたんです。
ちょっと読んでみます。
「火鉢池」
火鉢にみずを入れて
寺の庭に置き
これを火鉢池と名付けた
水草もいれておいたら
繁茂して
初夏になると
水面下でも
真っ白の可憐な花を咲かす
火鉢池の隣には
臼池が置いてあって
戦争中に作られた
コンクリート製の餅つき臼だ
だれが持ってきたのか
臼池には
睡蓮が二輪ぽかっと開く
ふたつの池には
蛙が三匹住み着いて
二匹はいつも火鉢池
一匹はいつも臼池にもぐっている
火鉢池に
夜店で買ったメダカを
十五尾放生してやると
水草に乗っかって世界を睥睨している
蛙の目の前を
ゆうゆうと泳ぎまわる
これが、まあ、七日の七夕の日にメダカを買ってきて入れたんですけどね。それで、カワズの口の横でもね平気で、カワズは水草の上にチョンと乗っておるんですけど、悠々とこう泳ぎ回ってるから、カワズがどうもメダカを食う気持ちはなさそうですね。それで、次のは…、
「よわい」
弱いではなく齢のことだが
七十路なかばになると
このよわいに達しないで
いけなくなった知人も多くあって
逆らえないことと
逆らわないこと
逆らっても詮無きこと
逆らわねばならないこと
などが見えてくる
今朝は熊蝉の数がうんと増えて
耳を圧するばかり
この鳴き声には
こどものころからあこがれがあって
生家の前の校庭の
コブだらけのポプラにとまる熊蝉を
自作の網で捕らえようと追っかけたものだ
今日はまだヒグラシやカナカナは鳴かない
熊蝉の賑やかさには哀感は伴わず
こどもころのように
捕まえたいとは思わないが
熊蝉の鳴き声に
こどものころの思い出世界に引き戻される
昨日から火鉢池の蛙は出かけてて
メダカが泳いでいるばかり
メダカに餌をやったほうがいいのだろうか
パンでもちぎって入れてみようか
などとなんどか考えたのだが
火鉢池の宇宙には
ちいさなメダカのえさが自生してるかも知れず
おととい
えさやり過ぎて水の濁った夢をみたので
まだパンの切れっ端は
メダカにやらずにいる
今朝メダカにパンをちょっとちぎって入れてみました。そしたら、来てパクッと食べてました。あ、天然酵母パン食べた。ほんの少しだけですけどね、ようけ入れたらしゅーっと沈んでいくとね、下で腐ると水が悪くなると思って。ま、しかし、少しやったら食べるみたいですね。
それから、次のが…
「クロサギ」
駐車場から東光寺山を見上げると
栗やクロガシより大きな合歓の木が
駐車場にはみだして枝をひろげ
いつも同じクロサギが一羽
合歓の木の決まった枝に羽を休めて
下界を見おろしている
一昨日から
蛙が見えなくなって
外出中なんだと思っていた
火鉢池のそばに
羽ペンにも使えそうな
大きな羽がいちまい落ちていた
カラスではなさそうな灰色の羽で
どうしてここに落ちているのだろうとおもいつつ
その羽を拾った
一昨日
火鉢池の水草が
片側に寄せられていたので
猫か狸が蛙を狙ってかき回したのだろうか
と思ったが
拾った羽を手にしながら
蛙を襲撃したのは
この羽を残した奴の仕業なんだと
今日になって気づいた
三匹の蛙は
襲われて逃げて帰ってこないのか
クロサギの胃袋で消化されてしまったのか
私が片寄った水草をもとに戻すと
蛙のいない水中から
死んだメダカがいっぴき浮かび上がってきた
こんな詩です。何にも変化のないような庭でも、観察してるとこんなこともあると言うわけですね。それで「どうだん」にちょっと同じような博物誌を。これはもう今朝書いたばっかし。普段ときどき思いつくままに短歌を書いたりしてるんですけど、思いついて書いたものを10首まとめて一緒にすると何か状況がそぐわなかったりするもんで、やっぱりその場でパッと書き下ろした方がいいなあと思って、これは今朝勤行の後で食事前のわずかな時間に書いたんです。
どうだん 十月~十一月号 2012 山内宥厳*
○昭和にはかじかんだ手を暖めし火鉢を庭で池とするなり
○水草も茂り初夏には水中花ひっそりひらく火鉢の池に
この水中花っていうのはね、白いちいちゃな1円玉みたいなのが水の中でポッと開いて、あんまりたくさんは咲きませんけどね、三つか四つ咲きましたかね。水の中でも開くし、水面に頭を出しても開きます。で、蛙が横に乗ってたんですけど、蛙も全くいなくなって。
○七夕の商店街に夜店来てめだか売るひとめだか買う我
○水中を泳ぐメダカを見もやらず蛙も出入りす火鉢の池に
この「見もやらず」って言うのは蛙のことなんですけどね。メダカのことなんか意識してないっていう蛙です。
○見るたびに大きくなった三匹の蛙消えたり一昨日朝から
○見るたびに大きくなった三匹の蛙消えたり一昨日朝から
○蛙消え火鉢の池の傍らに大きな羽を残すクロサギ
○すいすいと泳ぐめだかに手のひらで自作のパンを与え見るなり
○つんつんとパン粉をつつく白めだか蛙不在の池の営み
○東光寺へ時空を超えて辿り来たひとりの旅僧満月仰ぐ
これは夕べのこと、満月を見たので書いたんですが、僕はいまも意識のなかでは旅の僧なんですね。やっぱり。ここに居ついてるんじゃなくて。
お坊さんと言うのは行脚したりしてね、それで、どっか縁があって入った寺とかあったら、そこに留錫してって言うのですが、杖をそこへ置いてね、それでお寺に住んだりもする、って言うような時代もまあ確かにあったんですね。普段は旅をして歩いたりなんかしながら、今はそんな洒落たお坊さんいませんけどね。それで、どっかのお寺に住むようなる。
今はお寺には檀家さんがいてね、そうすると檀家さんは、檀家さんにとって都合のいいお坊さんに来てもらいたいわけですね。お寺のお坊さんが年がいって死んじゃって、跡継いでくれる人がいないと、本山の方からお坊さんが派遣されてやって来るわけですね。新しいお坊さんがやってきたりすると、三年間くらいはじっと観察されるらしいです。なかなか田舎の人って受け入れてくれないのですね。おいそれとは。住職が来たっと言って、住職が来たら必ず尊敬してくれるかっていったらそんなんじゃなくて、それで、他国坊主って言うんですけど、他国坊主がやってきて、こいつは仲間に入れていいかどうかっていうのはいつもこう見はってるわけです。だから、田舎の人って言うのはすごくよく観察してます。
で、ここの下に米屋があって、その右隣りにおじいちゃんがおったんですけどね、このおじいちゃんがいつも私のこと観察してまして(一同笑い)。観察する必要も、何にもないんですけどね。
「おっさん、昨日、何か荷物、宅配出してはりましたな!何送りましてん?」(一同笑い)
「何か昨日はえらい綺麗な人来てはりましたな。どなたはんでっか。」(一同笑い)
それで、
「何かさっきは駅の方歩いてはりましたな。どこ行ってましてん。」
もう、会うと必ず聞いて来るんです。何でそんなこと聞かなあかんのかなと思うけどね、よくこちらの動きを観察してるんです。まあ、他国坊主って言うのはああいう風に見られてるんだなと思いましたね。
いまからちょっと動画を見てもらいますけど、先日放映された、(雨上がりの「やまとナゼ?しこ」)というテレビに出たやつです。先日は郵便局に集荷をお願いしたら集配の女の人がやってきて、入って来るなりパッと僕の顔を見て、「テレビ見ましたで!」って(一同爆笑)。たまたまテレビをかけたらパッと写ってましたって感激したような顔してね。まあテレビに出てる人って直接会うチャンスってそんなにないでしょ。何かテレビに出てるからって特別な人でもなんでもないんですけど。
この映像をみんなに見せようかって言ったら家内が嫌がるんですけど、テレビ映りが悪いもんだから。私はテレビ映りが良いので見てもらいたい…と思ってるわけではありません。ほなら、ちょっとかけて見てくれる?
「ナゼしこ」上映
(宥厳先生)さあ、天然酵母のパン食べようか(一同爆笑)
楽健法(15)
柳田さん特製の梅ジャム
全員分作ってきてくださいました。
虹が!
Dinner「夏の総菜」
●オクラと焼きナス●こんにゃくの炒め煮●おあげズイキの煮物●黒豆煮物
クジラの歯だそうで…
8/4 18:52「今月は14日からネパールに行くことになっております」
(宥厳先生)楽健法をはじめます。えーっとね、今月は14日からネパールに行くことになっております。ネパールで何をするかと言うと、15日、着いた翌日は一日休息をして。休息しなくてもいいと思うんだけど、まあどっかに遊びに行って、と言うことですね。それで、翌日から五日間、連続で朝から晩まで…
(琴美ちゃん)朝から晩までになったんですか!?
(宥厳先生)いや、午前中や(笑)。ちょっとビックリさそうと思って言ってみた。あの、五日間連続で楽健法の教室をやります。それで、対象の…あの受講生は寅吉くんのスタッフの人たちですね。寅吉君と言う方は、僕はまだ彼がやってるところに行ったことないんですけど、何かあの、マッサージ…マッサージですね?主に。(西山さんに)あなた行ったことあるんでしょ?
(西山)行きました。
(宥厳先生)マッサージやらの要するにトリートメントをやってるセンターだそうですが、だいぶ広い場所ですか?
(西山)あの、これくらいの部屋とちょっと小さいのと。
(宥厳先生)それで何?ベッドでやってるんですか?
(西山)いえ~あの~布団引いてやってます。
(宥厳先生)こういうところでやってるわけね。
(西山)はい、板の間で…
(宥厳先生)それで、ネパールの若い人たちをマッサージのスタッフとして、スタッフと言うかあのそういうエステシャン…エステとも言わないかな、ああいうのなんて言うの?治療する人は。トレーナーとも言わんね。マッサージ…
(琴美ちゃん)施術者?
(宥厳先生)まあ、マッサージ師ですね、一種の。そういうこと。それで、まあネパールはまだそんなに細かい規制、法律とか日本みたいにないそうで、あれしたらあかん、これしたらあかんとか医師会が何とか言うとかってあんまりうるさくないみたいで、マッサージなど自由にかなりやれるようなところのようです。寅吉くんが雇ってる若い人たちは全員聾唖の方だそうです。ものが言えない人たちですね。手話とかで話するんでしょうね。何故そういう人たちを雇ったかと言うとネパールで寅吉のお父さんがそういう仕事を始められて、それで段々忙しくなり、人手を増やしてと思って現地の人を雇おうとしたら、健常な若者はあんまり働きたがらないんだそうですね。ネパールの若い人たちは。日本でも一緒だと思うんですけど。やっぱり地道な仕事に、じっくり取り組もうというような、そういう青年がいなくて、そのために色々田舎を探して歩いている内に、出会ったのが聾唖の人たちだったそうです。で、それで聾唖の人たちがかなりの人数がネパール中にはいるらしいんですけれども、その内仕事を持って働ける人たちって言ったら今のところ30人くらいしかいないんですね。後はほとんどすることがなくて遊んでる、みたいなこと言われてました。それで、聾唖の若者に出会って仕事を教えると、非常にまじめで熱心に勉強する、とてもいい若者たちですって言うような話でしたね。それでそういう人達を対象に秋田さんが開発した独自のマッサージ、など、それからあの人は自己操体法って言うの?
(受講生)自力整体?
(宥厳先生)自力整体って言うのかな?自分で何か操体してからだを調整する、そういうのやってるとかうかがっています。それと、山崎さんの先生の瓜生先生なんかもよくネパールへ呼ばれて、それで快医学なんかも取り入れてるそうです。快医学と言ったらどっちかと言うとプラクティスよりは考え方でしょ?生活に対する気づきのない人たちが病気になるので、そういうことを分りやすく、体系化と言うか、そういう形でやられてるのが快医学だと僕は理解してるんだけれども。
まあ、そういうことで寅吉くんは色なん技術を取り入れてやってるんですね。それで秋田さんと言う方は三十年前くらいに私は出会ったんですけど、出会ってから間もなく楽健法も教えてあげて、彼はパッと見たらパッとできるように思うタイプなんですね。それでネパールへ行って、それで楽健法や天然酵母パンをやってる内に色んなこと自分でも思いついたり、発見したりするもんですから、まあ独特のマッサージ法みたいなのを開発されて、それで旅行者の方なんかを相手にね、仕事としてそれをやって来られた。それを息子の寅吉さんが継がれたわけですね。
寅吉さんはまだ27歳くらいですか、東京の教室にも何度か出てきたり、ま日本に来るといつも瓜生先生のところへ勉強に行かれるんですね。それで、楽健法もやりたいと電話をよくくれるんだけど、なかなか東光寺へ泊りがけで勉強に来ると言うほど時間は取れなくて、今年は医科大学に入学する予定でおったんですけど、入学するっていうのは試験をパスしたらなんですが(笑)。それが、パスしなかったようですね。その代り奥さんを見つけたんです。まあその方がいいんでしょうね。
何度か以前からそういう相談を受けていたので、西洋医学の勉強よりはアーユルヴェーダの大学にでも入ってね、アーユルヴェーダの医者になってやる方がよりいいんじゃないですか。もし西洋医学やるんだったら、アーユルヴェーダと西洋医学と両方やれるような勉強の仕方ですね。インドで医者になると、アーユルヴェーダも西洋医学も医者としては全く資格は一緒なんだそうですね。医者としての資格を認められるので、ま、どちらも勉強しなければやれるわけではないんですけど、まあ、そういう扱いらしいです。
で、日本なんかは鍼灸とか何か東洋医学系の物はちょっと一段レベルの低いものと言う風に差別してみてますからね。それで寅吉君にはアーユルヴェーダを勉強させたらと、アドバイスしたこともあります。お父さんなんかでも向こうで暮らしてて、そういう東洋医学系の治療をしながら、やはりどっかアーユルヴェーダの方を一段低く見てるような傾向が感じられて、僕は何度か割としっかりとしたメールを送ったこともあったんです。しかしアーユルヴェーダの医者になるのもそんなに簡単ではないです。まあ、ここにいらっしゃる方ももしアーユルヴェーダの医者になりたければ、紹介してあげますから、ま、実力がないといけませんけどね。それで、6年間はインドへ行って勉強せなあかんです。三保君どうですか。あの~英語が読み書きできたら大丈夫ですから。言葉の壁はちょっと勉強したら、ねえ、行くまでに3ヶ月くらい集中的に勉強したら、もうたちまち行けるかもしれませんよ。
まあ、そんなんで今日本人は10人以上グジャラート・アーユルヴェーダ大学と言うところに留学して、勉強してます。で、もうすでに5,6人医者になって帰ってきてますね。で、一番最初に帰って来たのはイナムラヒロエさんていってもうそれは30年も前に日本人で初めてアーユルヴェーダの医者になった女の方がいらっしゃるんですけどね。まあ、あのそういうアーユルヴェーダと言うのはインド、それからスリランカもネパールもやはり同じ文化圏ですのでね、アーユルヴェーダの医者も結構たくさんいます。
日本からはネパールへ西洋医学を持ちこんで、病院を作ったり、がんばってたのが大阪大学ですね。大阪大学が入って西洋医学をやろうとしているというので、そういうものだけ持って行ったんではいかんであろうと、で、楽健法も持って行かないといけないと思って、それでネパールへ10回ほど行って、それで向こうで楽健法の講習会を開いたりしたんですね。
まあ、だけど楽健法はそんなに定着して広がると言うところまで言ってないです。秋田さんが向こうへ行かれると言うので、もしかしたらね楽健法を向こうに広げる、何かきっかけになればと思ったんですけど、彼はやりたいことしかやらないようですので、楽健法もちょっと応用するけれども、こっちもやるってな形でやってたんですね。ま、今回息子さんが経営を任されて、それで、その楽健法をちゃんと聾唖の人たちに伝えてほしいと、教えてほしいと言うのでそれで呼ばれたわけです。
で、ネパールに私がご縁ができたのは、さっきの朝見たビデオの中でもね、僕がヘンな帽子かぶって家内がこんなほっぺた膨らましたようなおどけた顔して写ってたでしょ?あれがネパールでの写真なんですね。当時ネパールで一番高級なホテルがソルティ・オベロイというホテルがあって、初めて行ったときに泊ったんですね。
そのときはお坊さんやら10人くらいでインドとネパールへ行ったんです。インドの帰りにネパールに入って、何か祇園祭みたいな大きな山車の出る祭りがあるらしいんですね。それが見られると言うので勇んでカトマンドゥに行ったんですけど、私は疲労困憊して、疲れ果ててみんなが山車を見に行くって出かけて、家内も見に行ったんですけど、私は一人ホテルに寝ころん…ぶっ倒れて、しんどくて動けなくて。雲が流れるのをじっと見ていた記憶があります。まあ、そんなのが初めてのネパール体験。
そのネパールのその時に現地で色々私たちを世話をしてくれた方がスマンガラ師というテラワーダのお坊さんです。テラワーダと言うのはタイとかビルマとかスリランカの、私がこの間芝居の時に白い衣装を着てましたけど、あれの黄色い衣を着るのがテラワーダのお坊さんですね。
昨日は満月でしたけれども、テラワーダのお坊さんは満月の日の朝に頭を剃るんですね。月に一回。だから、お坊さんの頭がピカピカになって托鉢の鉢を抱えて町に出てきたら、ああ、今夜は満月だと言うことがわかるわけですね。
そのときに私たちを迎えてくれたのがスマンガラさんですね。それで、スマンガラさんと言う方は私より2つか3つ年上でしたけれども、もう亡くなられましたけれど、ちょうどその世代の人たちが青年時代に、社会的な奉仕もしなくてはいけないのでお坊さんになろうというので、それで、タイとかビルマとか言って修行されてそれでお坊さんになって帰ってきたわけですね。
お坊さんになるためにスリランカに行く人が多いと思うんですけど。スリランカで何年間か修行されて、お坊さんとして帰ってきてそれでネパールの中にそういうテラワーダのお寺をあちこちに建てられたわけです。で、スマンガラさんは日本にも勉強に来て今から40年くらい前に2年間くらい大谷大学にに入って勉強されてたんですね。なかなか頭のいいもの覚えのいい人で、すごく記憶力がよくて、どこの店に行くとどのテレビが何円だったというようなことを全部覚えてる様な人でしたね。
ネパールは物がなかった時代ですから、それでたびたびまあ日本にドネーションを集めるために来られるんです。ドネーションってつまり寄付を集めるためですね。それで、彼は七つだったかのお寺を作ったんですよ。カトマンドゥの中に大きな瞑想道場があるんですけど、それも彼が建てた瞑想道場で、私はまあそこでヴィッパサーナって言う瞑想を十日間やったことがあります。
そのスマンガラさんが友達やら信者さんに楽健法を教えてくれって言うのでお寺で楽健法の講習会やったりしました。サリーを着たままの女の人とかね、それから男の人も来られて踏み合い会をやったんですけど、僕が踏んであげた小柄なおっちゃんがいて、その人が国務大臣だったりしてね、スマンガラさんの同級生とかが、国務大臣になってたと言うようなことで。
まああの当時は、私は分らなかったんですけれども、まあスマンガラさんが呼んで来るような人はネパールの中でもハイソサエティの人たちばっかりだったみたいですね。
僕がネパールへ行くと、どうやって知るのか、いつも車を持ってきて運転してくれたタクシーの人なんかは、楽健法の教室には絶対に入ってこないですね。カースト医制度の厳しいところで、まあそういう状況で楽健法の教室をやってたんですね。
ネパールへは10回近く行ったんですけど、テレビがカトマンドゥで放映されるまではとてもいい雰囲気の国だったです。夜になるとみんな娯楽がないもんだから、食事が終わると町へ出てきて、お寺の門のところに狭い空間があってね、そこに楽器なんか置いてあって、それでみんなでその仏教の歌とか仏を讃える歌とかみんなで歌いながら過ごすんですね、色んな音楽を聞かせてくれたりして。それを延々と2時ごろまでやって楽しんでるわけです。
その雰囲気が楽しいもんだから、私も毎夜それを見に行って楽しんでたんですけど。テレビの放送が始まったとたんに誰もいなくなって、そういうところには全部シャッターが下りてしまってね、まあああいうものが入ってくるというのは本当に良くないことですね。
何かそういう人々の結びつきまで全部壊れていくような。まあそういうグローバリゼーションでね、固有の人々の暮らしが潰れていくというなことをずっとこう取りあげてやって来た人たちが、日本にもそういう活動して、そういうの保存しなくちゃいけないとか、維持しなくちゃいけないとかいうねNPO作って活躍してるような友人が、まあ私の周りにも何人かおります。
鎌田陽司さんなんて言う方は20年以上も、もうネパールに行き来して伝統的な医学とか暮らしの保存を支援活動をされたり、そういう活動をしてる人もいるんですけど、やっぱり潰れて行く方が早いですね。
私が初めて行ったころのネパール中は車が1,500台とか言ってましたからね、信号もないし本当に空気のきれいなところでしたけども、その後段々車が増えて、カトマンドゥは盆地ですので、それで、空気がとても悪いというようなこと聞いてましたから、そんなところには行きたくないと思って行かないつもりだったんですけど、ま寅吉さんが是非にと言うもんだから、まあ行ってみようということになったんです。
それでまああの、どういう風に外国で楽健法が広がっていくか、人にものを伝えるというのがいかに難しいかと言うことですね。こんなに40年間にわたってこうやってまあ、私ども夫婦が楽健法やら天然酵母パンやら言うて頑張って来て、テレビにたまにひっぱり出されたり、新聞にも載ったりしましたけどね、しかし、本当にわずかな人にしかそれが伝えられていないとつくづく思います。
なかなか何百万もの人がね、ワーッと何かに蝗集すると言うのは、結局、宗教団体にでもしてね、何かやるんだったらひょっとしたらできるかもしれないけれども、ま、善意でいいものはその内広がる、なんてやってきたわけですけども、なかなかいいものなんて広がらないですね。見てると悪いものはすぐに広がります。で、やっぱり偽物の栄光と言うこともあるしね。天然酵母パンでもそうですね。広くよく売れてるのは、まあ私どもから見れば偽物としか言えないようなもの、そういうものは広まっていくんですね。
それはやっぱり人間が本質的には時間をかけて手間暇をかけていいものを作るなんてことは嫌いだからですね。まあ、そういう風にして作ったものをもらったりするのは好きなんでしょうけど、自分で作れって言うことになると、もうやろうとはしない、ほとんどの人が。
で、楽健法も自分でやりなさいというコンセプトでやってますから、これが今ここに来られてる方たちが、一年したらね、フランチャイズの立派な部屋でも用意してそこに3,500円とか10,000までのコース作ったりして、どーっとこう人が流れてくるような、何かフランチャイズでも作ったらね、もっと広がるのかもわからないけれども、まあ、そういうのはまた別の能力が要りますからね。
だから、まあ私のような人間にはとてもそういうことは無理だし、で、私はお坊さんだと自称していますけれども、本当は宗教家としての資格はあまりないですね。この近くに壺坂寺って言うお寺があるんですけど、壺坂寺のお坊さんは日本でも一番お金集めが上手だと聞いたことがありますね。で、お金集めが上手であるということはすごい才能ですよね。それは説得力もあるということだろうし。だから、まあこういう東光寺と言うお寺がバックにあってね、それで、どうやって誰を説得したら億と言うようなお金がドーンと入ってくるのかわかりませんけどね。だけど、まあ、
(琴美ちゃん)ちょっと待っててくださいね。
(宥厳先生)それで、琴美ちゃんがまあ何か宝くじが当たったらボーンと寄付するとか言うてますけどね。まあ、全然あてにできない話(一同爆)。まあ、そんなことですね。
それでまあ皆さんもだいぶお腹もこなれて来たんですけど、私はお腹が満タンになって苦しいようなときは、必ず手のひらをお腹の方に向けて右回りに少しゆっくり回します。こうやって。で、ゆっくり回しながらやや薬指を意識して中に持っていっとくような感じでこうやってね、回すんですね。これは食べすぎたときたいていこれをま、10回か20回かこうやってやってるうちにスーッとお腹がおさまってきます。
であの私たちはみんなそれぞれ不思議な気を持ってて、でまあこの護身法、子丑寅卯だってね、一体あの人は何をやっているんだろうかと、普通の人はそう思うんですね。
まあ、これにもやっぱり見えないような力が確かに働くのです。護身法をしたとたんにお腹がパッとすいたとかね、なくなったお金がまた増えたとか言うような経験をしたことはないんですけど、人生の道程に付加されてくる不思議な効果もあるんです。
ここに来られてる方で最住さんっていうひとがいるんですけどね、この間自分がやってあげてる患者さんが今日はもう苦しいし、踏んでもらうのもしんどいし、頭も痛いし、してほしくないとかって言うもんだから、それで思いついて、子丑寅卯と護身法を教えてあげて3回ほどやったら頭もスーッとその場でおさまって、これは不思議だとか言ってまた楽健法ができたというような話もしてましたけどねま、だから、人によってはそういうこともあるかもしれないので、今から子丑寅卯やって不思議体験しましょう(笑)。ま、ここにおる人はそんな不思議な人はあんまりいないのかもしれない。
(琴美ちゃん)えー、だってねえ。
(西澤さん)うん、あの、水道橋教室で
(琴美ちゃん)バスの事故で一人だけ無傷だった。
(西澤さん)そうそう。バスの路線、大きな事故があったでしょう?ちょうどあのすぐ後にね、熱海に旅行に行かれたんですよ。で、
(宥厳先生)これやったん。
(西澤さん)うん?路線バス。友達4人で乗ったんだって、でね、その水道橋教室に来てる人は行く前にこれを護身法やってたんですよ。で、4人の内、彼女だけ助かって。
(宥厳先生)助かった!?みんな死んじゃったん?
(西澤さん)死んではいないけど、車いすで…
(琴美ちゃん)入院して…
(西澤さん)まだ入院してるって、うん。
(琴美ちゃん)それもちょっとやそっとの入院じゃ
(西澤さん)なくて!もう車いすで、まだ意識…
(琴美ちゃん)でもたぶん足はダメだってね。
(受講生)そんなひどいの!?
(西澤さん)そうそうそう。
(宥厳先生)ここに流星が落ちてきても、キュッとそれるように、護身法をやりましょう(笑)
(西澤さん)ねっ。
(宥厳先生)はい、では。
楽健法(16)?
ここが結構痛い!