楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第4回7月14日(1日目)その1

2012年08月14日 | 第12期楽健法セラピスト講座
7/14 13:00 はじめの会



何か蒸し暑いですね~すごく。ちょっと僕も体調崩したと言うほどでもないんだけど、なんか変な汗のかき方してまあ暑いせいもあるんでしょうけど、ちょっと風邪っ気があってやや微熱があるんですね。知恵熱が出て(笑)。それで何となくこう頭がボヤッとしてて今日はまあ夕方に皆さんに芝居を見せる予定でおるんですけどね、ひょっとしたらぽかんとどっか飛んでしまって全く出てこなかったりして、ま、そういうときのために芝居の世界にはプロンプターと言う人がいるんです。プロンプターと言うのは舞台の陰におってね、台本見ながら忘れたな、と思ったら、他の人にわからんように喋る人のことですね。その仕事は琴美ちゃんがやってくれます。なってなかった?

(琴美ちゃん)アドリブ弱いんで~(笑)

(宥厳先生)まあ、そんな感じで。今日はそれでどういうわけか今月休む方が何人か出て来られて、それで平松さんが来られなくて、平松さんの代役は塩野さんが来られますけど夜でないと来られない。それから、ちあきちゃんが学校の行事がどうしてもあって、彼女は7年ずーっとここにきてるんですけど初めて、学校の行事とかぶって悔しがってましたね。まあ、休まれるんですね。えーっともう一人は誰やったかな。日比野さんがまあちょっと家の事情で先月に続いて今月もちょっと都合が悪いので、来月は必ず行きますということでした。それから、須田育さん。須田育さんが、ヨーガ…楽健法もやるらしいんですけど合宿やね。

(受講生)断食なのかなぁ。

(宥厳先生)須田育さんは友永ヨーガの指導者をされていましてね、それで、あのどうしても友永ヨーガの学園長ですね、学園長の助手で彼女だけしか手が空かないらしくて、どうしても行かないといけなくなったらしいんですけど、それともう一人は、あっ渡辺さんが先ほど電話があって今日は何かどうしても急用で出られなくて…何人休んだかな?

(琴美ちゃん)もうわかんない、3つ以上になっちゃったから(笑)

(宥厳先生)5人、5人休んだことになるわけですね、一人は夕方来られる。今日は二人ほど代役が、今入っておられますので、梅田さんと…え~、あ、花井さん!花ちゃんですね。花井なんて言うたかな?





(琴美ちゃん)キリコ!!
(宥厳先生)あ、キリコさんや。花井きりこさんが来られて、花井さんは今から五年くらい前に…

(花井さん)3年か…4年…。
(宥厳先生)4年位前かな。
(花井さん)そうですね…、はい。
(宥厳先生)来られてたんですね。そんなんで今日はそれで、あの~催し物が終わった後で少し接待をする予定ですので、その接待のための、食べるものとか、昨日からいろいろ用意してますので、みなさんは今日は駆け足の楽健法していただいて、私は本堂で打ち合わせとリハーサルしてみようかなと思いますので、これが終わったら上に上がります。

(琴美ちゃん)で、とりあえず12の組み合わせで組んでもらって、12が私と宥厳先生なんで、私と宥厳先生が抜けるんで。



(幸子先生)後はまあこっちで考えます。

(琴美ちゃん)なんで、12のところで組んでいない人のところをはめて。
(幸子先生)それ以外の人ね。
(宥厳先生)まあ、そんなところで、よろしくお願いいたします。私もちょっと踏んでもらいたいですけど。
(琴美ちゃん)じゃあ、上で踏みますから。

(宥厳先生)昨日からちょっと熱っぽくて、昨日は家内が踏んでくれてそれでだいぶ楽になったんですけどね、寝る前に葛根湯を2服ばかり飲んだりして。今はだいぶ楽になりましたけどやっぱりちょっと動くとすごい汗のかき方で、それが何か冷や汗みたいな感じで気持ちが悪いんですね。
 あの新しい衣装もつけてやらないかんのですが、それもちょっと着るのが苦痛やなと思いますが、あれでやってみますのでよろしくお願いします。
(一同)お願いします~



楽健法(12)








衣装選び!?


















舞台の準備&リハーサル
 



 



 



 



 
 


Dinner












東光寺奉納公演



































































































懇親会






















第4回7月15日(2日目)その2

2012年08月14日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目










朝のお勤め


















Breakfast






























7/15 朝の講義「昨日の感想」





(宥厳先生)はいこっちむいて。Catch me!
(幸子先生)あっちむいて、ホイ!
(宥厳先生)どうもおはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)これ、こっち向いとってええの?
(琴美ちゃん)たぶんこっちにマイクがあると…
(宥厳先生)あ、ほんと。え~っと昨日はどうもありがとうございました、長時間。マドゥ・プリヤさんも本当にありがとうございました
(一同)ありがとうございました。
(マドゥ・プリヤさん)お世話になりました~
(宥厳先生)え~っとね、何か1期生の方がいてるんやね。
(受講生)はい。
(宥厳先生)12回目やね。それで、まああのちょっと僕も二週間くらい前からやや風邪気味かなってな感じで調子があんまりよくなかったんですけど本番の時には割と頭がさえてましてセリフが明晰にこうずーっと見えてきたような感じでした。
(幸子先生)一つだけありましたけど。
(宥厳先生)何か所か間違ったと思います。
(幸子先生)丸山先生、丸山と…渡辺博を丸山博って言うてたから。
(宥厳先生)あ、そうか。渡辺宏って言わなかった?彫刻家の話は渡辺宏さんですね。
(幸子先生)…やったのに、丸山博って言ってたから後ろの方で囁こうかなと思ったけど言えへんかった。まあ、あの昔の話なんで…
(幸子先生)誰もわかれへんからええわと思って(一同笑)

(宥厳先生)まあ、しかし、なんか、あの…賑やかな、埼玉県から超賑やかな岡部米子さんも来てくださって、彼女が衣装をいろいろ置いていってあるんです。皆さんもし気に入ったのがあったらもらってくれたらって言ってましたので。

 昨日、舞踊の堀江さんが舞台で着てたのも彼女が持ってきたもんやね。自分の用意してたものよりこっちがいいって着られたそうです。私がまとってたあのあのコスチュームもささわしの糸井さんが開発した布でした。岡部さんが服を作ろうと思って7mほど取り寄せてあったらしいんですが、僕が糸井さんを紹介したもんですから。それで、7mほどすごく良い布が手に入ったって言うとったもんですから、じゃあそれを僕の舞台衣装にしようと冗談で言うてたらそれが本当になっちゃって、何も衣装を特別に作ったわけではなくて必要なサイズに裁断しただけで、切りっぱなしなんですけどね、それをまとってやったわけですね。

 で、何かあの和紙の布、和紙とシルクで作った布だったので感触が良かったんですけど、滑りやすくてするっと落ちて取れそうだったので、本番前にちょっと後ろをピンでとめてもらって、芝居できるかなと不安だったんですけど、何とかできました。

 今年はできたけど来年はどうかな?なんて思うものですが、昨日やってたことは今日できるはずなんですね。それが毎日続いてるわけですから、だから365回の明日がやってきてもできるんですね。そういう話は歌舞伎の役者の話を記憶しています。70後半になっても去年もあの舞台をやったんだから今年もできるって挑戦しているという話を昔読んだことが頭に残ってて、だから私もまだやれるのかな、と思ったりしてチャレンジしています。

しかし、この異常な天気の蒸し暑さは、お天気にさいなまれるような感じですね、この気候は。
まあ何とかできました。ありがとうございました。

 せっかくマドゥ・プリヤさんもいらっしゃることだから、諸戸さんから感想をちょっとずつ言ってくれますか。はい、どうぞ。難しく考えんでもいいからお願いしますね。

(諸戸さん)すごい運動量が多いな~と思って、それなのに体感がやっぱりすごくしっかりしてて、ぶれてないって言うのがインナーマッスルがすごい鍛えられてるのかな~と思いました。とても素敵で。

(マドゥ・プリヤさん)私のことだけでなく是非宥厳先生の感想も合わせて皆さん。

(諸戸さん)宥厳先生のはちょっとびっくりするお話で、何ともいえず、何か感動…感動するというか、何と言うか考えさせられるものがちょっとありました。いろいろと。

(琴美ちゃん)最初に名前を…
(柳田さん)柳田です。1期に見せていただいた時は、踊りだったのに何か、あの時は何もわからずただ見せていただいただけでしたけど、今回はストーリーをおっしゃって下さったでしょ。だから、余裕をもって手の動き?顔の動き、表情までちょっと良く見られました。ありがとうございました。

(宥厳先生)どうぞ、三保君続けて。
(三保くん)あ、三保ですぅ~。マドゥ・プリヤさんの踊りを見せてもらったんですけど、自分は踊りも、足踏みのリズムが心地よく響いてきて、あれがいいなと思いました。で、あの先生のお芝居もすごくはまりました。かっこよかったんですけども、がらんどうの話を見てまあ、色々、いろんなものがいっぱい詰まってるなと思いました。

(西山さん)西山です。マドゥ・プリヤさんの踊り、指先まで神経が行き届いててすごくなんか全体の美しさと言うか、感じました。先生のがらんどうは三月に出雲でも見せていただいてその時もすごく感動したんですけど、二度目でも本当に涙が止まらなくて、何度見せていただいても内容の深いお話だなと思いました。ありがとうございました。

(花井さん)花井です。え~私2回目なんで、今回は手の動きとか顔とかいろいろ割とたくさん観察させていただいて足とかも、今朝、お会いした時にちょっと触らせて頂いたりとか(笑)、すごく優しい、すごくなんて言うんですか、きれいに繊細でちょっと手とかは感動しました。宥厳先生のがらんどうはすごく吸い込まれていったような気がします。以上です。

(西澤さん)西澤真由美です。皆さん色々ありがとうございました。先生にピアノを弾く機会を与えていただいて3回目になる…3回目の「がらんどうは歌う」なんですけれども、1回1回私自身もすごく変わっていくと行くか、今回もこういう風に弾いたらいいなとかいろいろ頭の中にはあったんですけど、本番はすべて真っ白になって何かこう~何ていうのかな、う~ん、全く考えてもなかった、本当に今回は自由にメロディーが出てきたって言うか、何かとても良い経験になりました。ありがとうございました。

(小山さん)小山です。去年も見せていただいたんですけど、またなんか違う先生のお芝居は深く考えさせられることがあって胸にぐっとくるものがあります。音楽もなんかすごく、すごく素敵で聞かせていただいて、今回アフリカのコラも初めて聞いたんですけど、とても心地よくすごくいい時間を過ごさせていただきました。で、あのマドゥ・プリヤさんの踊りで特に印象的だったのはクリシュナの笛を吹くポーズをこう決めたときに、本当にクリシュナがいるような感じがして感動しました。ありがとうございました。

(梅田さん)梅田です。
(宥厳先生)もっと大きな声で。ごはん食べたんでしょ。
(梅田さん) マドゥ・プリヤさんの6度目なんですけど、見せていただくの。最初の解説があったのですごく楽しく見せていただきました。手の方とかあまり見なくて足の方ばっかりを見せていただいたんですけど、これはすっごいなぁ。体力もすごいなあと思いました。ありがとうございました。そして、あのうコラの演奏。初めて聞いてすっごいこれは心地よく、気持ちいい、暗いあの雰囲気の中でものすごく…これを楽健するときにすごくいいなあと思いました。踏まれる方も踏む方も。コラのあの演奏で一度踏んでみたいな~っと踏んでみたいって、踏んでもらいたいと思いました。すごくいい演奏でした。ありがとうございました。

(小菅さん)小菅です。どうもありがとうございました。何かエキゾチックで何か本当にオリエンタルな雰囲気で何か夏の、真夏の夜の夢みたいな、とても素敵な舞台でした。コラの演奏も本当に何か本当にベッドの上の王様になった気分で、寝て、もう楽健なんかしないでも十分、なんて思いながら聞かせてもらいました。宥厳先生の舞台やってる時は先生はやっぱり人生はもう自分は役者のように過ごせてるのかななんて思いながら役者やってみようと思ったり、マドゥ・プリヤさんの踊り見ながらあんな風に踊れたらいいなと思ったり、何か本当に夢のような楽しい時間でした。ありがとうございました。

(宥厳先生)今度、パン作りから役者に挑戦してみたら?(一同爆)
(小菅さん)そうですね!本当にそう思います。ありがとうございました。
(宥厳先生)本気で思い立ったりして。

(幸子先生)山内です。よろしくお願いします。あのいつも保護者の立場で見てるような感じで一人ひとりちゃんとやってくれるかなあとこうドキドキしながら見せていただいてるんですけども、ま、今回は私は割かし安心して楽しませていただきました。コラもすごく私の好きな音域でよかったなと思いました。あのマドゥ・プリヤさんも相変わらず元気でしっかりしていたんで何か本当に保護者の気分で本当にうれしかったです。ありがとうございました。

(木本さん)木本です。見せてもらうのは三回なんですけども、マドゥ・プリヤさんも去年とまた物語が違って今年は今年で素敵で楽しませてもらいました。で、私コラを見るのが初めてで本当に何か形も面白いし、音も素敵やし、コラボがすごく良かったです。先生と西澤さんと後もう一人、えっと~踊りの…堀江さん、はい。何かすごい幻想的で何かうっとりして見せてもらいました。ありがとうございました。

(塩野さん)塩野です。マドゥ・プリヤさんの足を踏み鳴らすパーンッて言う音と鈴の音と勝手にあの~アフリカ…ですよね?アフリカの楽器なので勝手に暑いものだと思ってたら意外にすごく清らかでびっくりしたのと、で、その優しい音色と西澤さんのピアノと宥厳先生の声のハリと一晩ですごくいろんな音を感じさせていただいてとても楽しかったです。ありがとうございました。

(斉木さん)斉木です。一番強く思ったのはママドゥさんの弾かれるコラの旋律が目をつぶってると本当にケニアの高原、行ったことないんですけど、と言うような感じで私も梅田さんと同じで、音楽を聴きながら楽健法やったら、やってるほうもすごく癒されるんじゃないかなあと思いました。それで、あの要望ですけれどもピアノの旋律でコラが歌うというようなCDを是非楽健用に…是非作って頂きたいなあと強く希望しております。

(琴美ちゃん)コラのCDが年内に。
(斉木さん)あ、出ます?是非頂きたいんで。それから、マドゥ・プリヤさんの舞踊は私も11年ぶりに拝見させていただいたんですけども、また次の10年後を楽しみにしておりますので是非元気にまた踊って頂きたいと思います。ありがとうございました。

(宮下さん)宮下です。お願いしま~す。今年初めてのセラピスト講座で素晴らしい演奏会が見れて、想像してたのと、何ていうんですかね、こんなに感動すると思ってなかったって言ったらあれなんですけど、すごい、あのマドゥ・プリヤさんの足さばき? 鈴が鳴りながら踊るすごい迫力があって細い体からすごいな~って言う感じで、「がらんどうは歌う」でまず宥厳先生の声がすごい素敵でこうやって声が出るんだっと言うのと、お話がやっぱり深いなあと思って改めて日常をもう少しっかり生きていこうかなと改めて思いました。西澤さんのピアノも堀江さんの踊りもすごい、あんなすごいかわいい感じなのに、色っぽくてすごいな~と本当に感動しました。ありがとうございました。

(受講生) マドゥ・プリヤさんの踊り、最初見せてもらって本当に何か目に圧倒されたような感じがしてそのままずっと見てたんですけど、見てた感じがどこか武道の型みたいな、ピタッと止まってとてもきれいでした。ありがとうございました。宥厳先生の「がらんどうは歌う」で、初めて宥厳先生が演じているのを見させてもらったんですけど、本当に何かとてもなんか今の感じとは違った、何か役者さんと言う一面を見せてもらったのと、後、話で、ちょっと泣きそうになったのが、ちょっと変な共感ですけどね、何か見させてもらってすごく良かったなと思っています。ありがとうございました。

(マドゥ・プリヤさん) マドゥ・プリヤです。昨日はどうもありがとうございました。お疲れ様でした。本当に宥厳先生と幸子先生のご厚意と皆さんの心づくしで舞台をセッティングしていただけたおかげでいつもこの舞台に来るたび、励まされて逆に私の方が踊る力をいただいている気がして。そして、一年間、頑張る力をいただいてお稽古させていただいています。本当にどうもありがとうございます。何か感想をうかがっていても11年ぶりに見てくださった方がいらして、何かしみじみと私なりに毎年必死にやっているので、よくわからない。やっているときはすごく必死なんですが、こういう風に10年単位で見守ってくださっている人がいるということは本当にありがたいなと思っています。

 それから、宥厳先生の「がらんどうは歌う」はもうたぶん10回…9回か10回見せていただいてるんですけれどまず例えばインド古典のように本当に神話の様に物語がしっかりしていて、そこにいろんなものを即興で詰め込んでも揺るがない枠の力強さとか、だから毎回見るたびに変わらないものとそのたびごとに新しく生まれているものと、何というんでしょうその混沌とした不思議な生き生きとした力、舞台の力を感じて、今回初めて聞いたコラの音色にも魅了されましたし、後、西澤さんのピアノももう三度目でまたこちらの方もだんだん彼女なりの演奏が培われているのを見て、また新たなものが育っているなと言うのを実感しました。

 後はリハーサルから今回いろいろ見せていただいたんですけれどもやっぱりリハーサルで宥厳先生もちょっと体調を崩されていたりとかピアノのその楽器自体の音と後コラもマイクを通してだって、色々調整はすごく難しそうなんですね。で、それで細々とやっていて、大変そうだなと思っていたのですが実際に舞台になるともう何か皆さんがそれぞれ圧倒的な力を発揮して物語の中に生き生きと存在感を持って生きているという感じがしていたので、本当に素晴らしい舞台だなあと思って心を打たれました。今年もどうもありがとうございました。

(吉本さん)去年お客として見させていただいて、今年が2度目なんですけれども、まずマドゥ・プリヤさんの踊りは本当にもう頭のてっぺんからつま先まで全部こう神経が行き届いていて、後この静と動の動きの差がとってもこうきれいに滑らかになって、すっごい激しい踊りをされた次の瞬間にパッと立たれて全くぐらつかないって言うのがすっごく、それも三度か四度されていましたけどもうすごいビックリして、何てこうバランスが取れているんだろうというのですごく驚きがあったなとすごく本当に美しかったです。

 で、え~、コラと言う楽器を初めて拝見してあんなおっきいひょうたんがあるのかとびっくりしたんですけど、本当に音色がきれいでCDが出たら絶対に買いたいなと。宥厳先生のがらんどうは歌うは去年はちょっとこうダンディーな帽子をかぶられて、ちょっとこう本当に紳士と言う格好をされて演じられてたんですけど、今年はまた衣装もガラッと変わられて、で周りで西澤さんのピアノだけじゃなくてコラがあって堀江さんの踊りがあって一人芝居なんですけど、こうすごく周りの演出がすごく豊かでまた本当に去年と違った印象を受けました。で、まあストーリー的にはすごくショッキングなストーリーだったんですけど、去年これは実話なんですかって聞いたら違いますって言われたんで、それでちょっとホッとしたところがあって。はい、本当に素敵でどっぷり入らせていただきました。ありがとうございました。

(松本さん)松本です。よろしくお願いします。マドゥ・プリヤさんの踊りはすごく刺激的で今ここにいらっしゃるマドゥ・プリヤさんともう踊ってらっしゃる雰囲気が全然違ってすごいビックリしてああ、ここはインドなんだと思って、次に行くとアフリカでコラの演奏を聞かせてもらうと今度はアフリカに飛んだんだと思ってアフリカで目つぶりながらずっと聞いてる、今度は宥厳先生のお芝居であ、日本に戻ってきたと思って、ふっと気づくと一体ここはどこなんだって(笑)。でも、戦後の焼け跡の情景が先生がパッと声を出されるときに「くすぶっている!」って言われたら、ああ、くすぶってるんだと思ったら刺激的で、もう世界があの…一日の内にインド、アフリカと得をしたような気分がしてすごい何か感動的な、初めて味わった感じでした。ありがとうございま~す。

(マドゥ・プリヤさん)今回堀江さんの踊りを入れていらしてその感想をちょっと言い忘れてしまったんですけど、私はさっきの方もおっしゃって下さったように型を中心としたものでとにかく型に集中して自分がどれだけその型になれるかと言うことを延々とやってきているので、逆に自由にこの場面のこの雰囲気に反応してやってくださいと言うのはとても私にとっては難しいことなんですね。それを堀江さんは突然衣装も変わって、私の身に着けているすべてのものに意味があって勝手に自分でアレンジは許されないんですけど、堀江さんがこっちのほうがいいんでないって言う風に渡されたものを自分でドレープをアレンジしてそのドレープを生かしたような動きをされていて何かその自由さと、即興のなんて言うんでしょう楽しさというワクワク感がやっぱり伝わってきて、私にはできないんですけど、とても自由なぜいたくな踊りを通じて力をもらったようでとても嬉しかったです。楽しませていただきました。どうもありがとうございました。

(山崎さん)山崎です。ありがとうございました。皆さんの感想が素敵すぎてもう何と言ったらいいのかわからないんですけれども、私も去年と2回目だったんですけど、去年は話がよくわからなかったんですけれども、最初のお話にあったように…楽しめました…美しかった…「がらんどうは歌う」なんですけど去年と2回目なんですけど、去年はただただ感動して涙して見させていただいたんですけど、今年はちょっと自分はどうなんだろうとちょっと考える余裕、余裕って言うのかどうかわからないですけど、そういう思いで見させていただきました。ありがとうございます。

(受講生)普段全然芸術と縁がないもんでああいうのは久しぶりに見せていただいてありがとうございました。とても、素敵でした。私が特に心に残ったのはコラとピアノの、とても気持ち良かったです。後はもう皆さんおっしゃったように大変良かったです。ありがとうございました。

(琴美ちゃん)近藤です。あの皆さんご協力どうもありがとうございました。えーっとコラのママドゥとは20年以上の、彼が日本に来た時からの知り合いで、私はアフリカのバンドの関係で結構なミュージシャンを知っているんですけど、その中でアフリカと言うとさっきもちょっと出たと思うんですけど、もっと暑いものだとか、太鼓だとかいうイメージあが強い中、私は彼のコラが一番好きな楽器で、どうしてもこの機会を持たせてほしくて宥厳先生にお願いして、無理無理いれてもらっちゃったんですね。でも、何か皆さんに喜んでいただけてとても本当にありがとうございました。あと、う~んと何だろ、料理もママドゥ喜んでて幸子先生ありがとうございました(号泣)。~拍手~

(西澤さん)琴美ちゃんの照明ありがとうございました。照明は普通の正式な舞台の照明と違ってあれは全部宥厳先生の手作りなんです。配線も全部。三年前も琴美ちゃんが照明をやってくれててあの照明を誰でもできるわけじゃなくて内容がすべてわかってて、それで先生の内容が全部わかってないとできないんですね。で、今回はお休みが多かったのですべて彼女が本当にもう頭の、何か色々ねずーっとどうしよう、誰か誰かやってみて…考えてくれて…(泣く)。

(マドゥ・プリヤさん)琴美ちゃんのすごいところは劇を知らないとわからないと、まあ、がらんどうに関しては琴美ちゃんすごくよく知っていてやってくださったと思うんですけど、私のところって曲を一回聞いてもわからないのにライティングをしてくださったということは本当に私もビックリしていて、踊りやすいということと、決まるべきところにちゃんと光を当ててくださっているのが衝撃的に居心地がよかったです。励まされているという力強さ、心強さ、心のこもった照明でどうもありがとうございました。

(琴美ちゃん)いえいえ、こちらこそありがとうございました。すみません、取り乱してしまって。本当に何か今回やってそういう人との縁みたいなのの大事さ、で、やっぱり一人で頑張ったって知れてることだけど、みんなでやるとみんなも楽しいし、舞台もまあそれなりに回っていったのかなって、リハの時はほんとどうなるか心配で、先生も調子悪くて心配だったのと、先生はやっぱり何度見ても毎回その違う、同じ演目なんですけど、毎回く違う先生なんですね、私が見てると。でも、やっぱりどんなにリハがダメでも、ダメって言っちゃいけなんだよ、どんなにこうリハが怪しくても本番のあのごろっと変わる姿は本当にすごい毎回感動させてもらってます。ちょっとどうなるかと思ったところもあったんですけど。で、またマドゥ・プリヤさんも毎年、私はもう5年くらい、見てるのは5年目くらいなんですけど、もう毎年何か素人が言うのもおこがましいんですけど、もうどんどんパワーアップしてきてるなって思います。はい、で、本当にぶっつけ本番であの話の説明を聞いて適当にやってるのにそんなお褒め頂いてありがとうございました。ご協力ありがとう。

(蛯名さん)蛯名です。私こういうのを見るのも感じるのも初めての出来事で本当とっても感動しました。それで、とってもおきれいで、何だろ、本当にすごいきれいで何もかもが本当にびっくりしたし、音とお芝居も踊りもこうマッチしてて素晴らしいなと思いました。宥厳先生もすごい多才な人なんだなと思い、この場を与えてくれたことにとても感謝しています。とてもありがとうございました。

(宥厳先生)どうもありがとうございました。まあ、いろんな感想を聞かせていただいて本当にありがとうございます。あの「芝居はどこから始まるものかお分かりにならない方」がもしいらっしゃったらね、「私はまだ人間ではないのかもしれない」と言う風に、この中で、あ、私はやっぱり人間だったと思ったか、まだ人間になっていないと思ったか知りませんけれども、人間になるということが一番難しいんですね。

 人間と言うのは一体何かと言うことを考えて行ってね。昔からいろんな哲学者とかものを考える人がね人間とは何だろうか、どういうあり方でなくてはいけないのかと言うようなことを考えて、そういう意味で人間と言うた時に非常に深い意味の理想的な人間像みたいなものを考えてものを言ってるとね、今の日本の政治とか原発の関係者にしてもね、はたして彼等が人間という名にふさわしいかどうかというようなこともはっきり言えるかもしれない。それで、まあこうやって楽健法で足でおたがいを踏み合ったりしながらね、やっているという非常に単純そうな、次元の低そうな行為なんですけど、これが人間としての在り方として考えたときに非常にこう崇高な行動なんだということもね僕は言いたいと思うんですね。

で、マドゥ・プリヤさんのドンドンと言うあの力強い足もねダンスのためだけの足であってはいけませんよ、ということを言いたいですね。是非あの足で楽健法を(一同爆)、で、それをやることでやっぱりあなたのダンスももっと磨きがかかってくるという風に僕は思っています。是非、せっかくね東光寺とかかわってこうやってやってこられたわけですから、是非楽健法をマスターしてそれをダンス、インド行ってダンスを学んでくる、そして楽健法を伝えてくるという風なそういう勉強をもしできたらしていただきたいなという希望をいたします。

それから、あの芝居はうそのことなんかほんとのことなんかと言うさっきね、誰が言ったんかな。ああいう芝居の話がね、何かうそっぽいか本当か、で、事実あったからと言って事実をありのままに喋ったら、じゃあ何かが伝わるのかと言ったらそんなもんでも決してないんですね。で、本当にきちっとものを伝えようと思ったら、それは再構成された、あれはフィクションである必要があるかもしれないです。リアリティって言うのはそういうもんなんですね。

 だけど、あの芝居で母親が目の前で焼け死んでいくのをこの目で見た、僕は実際には母親は焼け死ななかったけれど僕の思いの中では母親はバーンアウトして死んでいった、焼けて死んでいった…戦後の苦しみを体験してきてそれで、七人の子供を育てて50台半ばでですね、体力が尽きてしまって、それでまあ死んでいったわけですね。

 で、それに対してその頃は僕はまだ楽健法もやってなかったし、親孝行も大してできなかったわけですけれども、僕の中ではだからあの芝居を書きながら結局自分の母親がね、ああいう直截ではなかったけれど、やはりバーンアウトして癒されることなく死んでいった一人の女として描きたかったわけですね。

 それであの空襲、焼夷弾が落ちて、町を逃げ回るというのは、この体で体験したことだし、「馬が一頭引く人もいないのに、とか、原っぱに立って母親の下駄をはいて、ぼーっと山が町が燃えるのを見てたんですけど、周りには誰もいなかった。あおとき防空壕に、山の裾の防空壕に逃げて行ったんだけど入れてくれなくて、追い出されてね。それでね、野原をフラフラと、弟と二人だったんですけど、まあ野原で朝までぼーっと立って町が燃えるのを見ていたんですね。

 飛行機は上空を低空で、下の炎で翼が赤く見えるくらい低空で飛んできては、ダーッと焼夷弾を落としていくわけですね。そういうのをまあ目の当たりにして、その経験を書いているわけですね。

 父親と母との争ってる声も事実に基づいています。実際にはほかにも兄弟がおったんですけど、芝居のなかでは姉と二人というような設定であれを書いたわけですね。それで僕の姉は、あの芝居に描かれているような感じで、僕より7つ年上なんですけども、非常に厳しい時代の貧しい家庭でそれを支えるために大変苦労したわけですね。で、それが、まあそういう苦労してきた、お互いになんですけど、そういう苦労してきた共感みたいなものをね、そういうこともやっぱりこの芝居の中で書いてみたかったことでもあるんです。

 芝居を書いた経緯はどういうことかと言うと浜崎満さんという俳優がおって、その人のために一人芝居を書いてくれないかと言う依頼があって、それまでは芝居を書いたことなかったのですが、たぶん書けるだろうと思って軽率にも引き受けたわけです。ところが引き受けたものの、引き受けて書くと約束したものだから、浜崎さんは劇場を借りて、公演の段取りを進めていて、早く書いてくれないと公演できませんという状況だったわけですけれども、僕は当時むちゃくちゃ忙しい仕事を引き受けていて、二カ月で6千個のこれくらいの大きさの彫刻をね、納めるというようなそういう仕事を引き受けて、もう毎日3時間も寝ないような、車の中で仮眠してはまた工場に入って仕事するというようなことを2か月やったんですけど、ま、そういう間にもう公演の日も近づいてきてるし何とか早く原稿くれませんかと言うような話で、今日はもうこれ書かないとどうしようもないと思ってそれで自宅に帰って夜の八時くらいから書き始めて、それで2時間くらいで書きました。一気に。で、まあ原稿用紙にして50何枚かですけどね、それでその時になんか書きながら、もう泣けてくるんですね。泣きながら書くなんて自分で思いもしなかったんですけど、書いてるうちにだんだんこう一気に一晩でこう書いてしまったわけですよ。それで、台本ができるよりも前に題名だけでも決めてくれたらビラ作るから、とか言うので、それでまだ考えてもないし、どうしようかなっと思って、ちょうど当時渡辺宏さんの大きな球形の作品を作るアトリエに行ってたので、あれを借りてきて明かりを入れていくつも舞台に大きな作品を置いてね、それでやろうかなと思って、あれはがらんどうだから「がらんどうは歌う」にしようとか思って、いい加減なところで付けたのがあのタイトルなんです。

まあ、それで一晩で芝居を書いて、それであの芝居を書きながらいつもメロディーとして頭にあったのはギターの音なんですね。弟がまあギタリストでまあギターを弾いてたもんですから。あの美しいギターの音色が頭にあって、だからあの芝居とギターかな、割と合うんですけど、それでも何でやったっておかしくないしやはり演出次第ですね。芝居と言うのは。で、まあそんなことでいろいろあの芝居をもって移動公演、全国…全国ったって知れてますけど、まあ青森、新潟、東京、神奈川とかあちこっち、東京都内のお寺でも公演したんですけど、まず当時は一人芝居なんてする人はほとんどいなかったもんですから、まあ話題にもなったり、週刊誌にも取り上げられたり、流動と言う総合雑誌のグラビアで掲載され、紹介されたこともあります。

 まあ、しかし、そうやって役者と僕と家内がいつも一緒に、照明、あの照明器具そのままなんですけど、あの照明の上でつるしてたやつあれ全部ニスのカンカンを買ってきてそれに穴をあけて自分で電気器具を取り付けて、外に黒い色を塗ってそれに照明のゼラチンを引っ付けてあるんです。

それで、スライダックって言うんですけど明かりをね調節、調光する機械もあれはみんな大阪の難波のところに五階百貨店って言って、何でも売ってるガラクタ市みたいなところがあるんですが、そこへ行って探してきて、それでやってるわけですね。配電盤もああやって自分で作って、まあそんなことで私は明かりとそれと、ま移動公演の時は、今もパン工場でちょっと大きな古い、超古いステレオ使ってますけど、あのステレオで音響やってたんですね。

 だから、僕は明かりと音響やりながら、それでずっといろんなところへ新潟へも行ったし、長野県でもやりましたしね、ま、そんなんでいつも家内と三人で車に乗っては芝居に行く。お呼びがあるとパーッと行く、今度はまたどっかお呼びいただいたら照明マンも乗せて(一同爆)、芝居しに行きますんで、是非また声をかけて、今度はピアノを積んでいかなあかんかな(笑)まあ、西澤さんのピアノも、西澤さんと言う人は割とややこしい人で(一同爆)、絶えずなんかできるかなとか、当たって砕けろというタイプではないんですね。当たる前に悩む人なんですよ。それはやっぱりああやってやってるうちにだんだんこう板についてきましたね。やっぱり…
(琴美ちゃん)板につかせるまで大変だったんだから(一同爆)。
(宥厳先生)まあ、そんな感じで昨夜もいい音がしてました、本当に。あ、いいところに来たな!ってピアノを聞きながら思いましたね、まあ本当にありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)じゃあまあこれくらいにして、楽健法、護身法から行きましょうね。左手で、ちょっと教えてあげて、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥…














第4回7月15日(2日目)その3

2012年08月14日 | 第12期楽健法セラピスト講座
LUNCH




















7/15 13:55 昼の講義「黒猫のご縁」





(宥厳先生)まず護身法。子丑寅卯辰巳…

あの、昨日本堂に皆さん上がってもらった時に、本堂の黒板に僕が歌を書いてあったの、見ましたか?で、覚えてる人いる?

(受講生)アジサイの花の・・・
(受講生)えっ!くちなしじゃなかったの?

(宥厳先生)何か黒板拭いたもんだから、何か書いたろうと思ってサッと書いたんですけど、何やった?アジサイが?

(受講生)アジサイが…くちなしの…

(宥厳先生)なんかちょっと違うな。そういう意味のこと。夕べはここに居座ってたおばちゃんがおったやろ。前にも来ましたけど、これの編集長です。で、横に座ってたのがご主人で、阿のご主人は彫刻される方で、彫刻たって、
(幸子先生)一刀彫…
(宥厳先生)一刀彫!それで結構百貨店で、目の前で彫って、こう見せたりするような感じで、割と有名になって全国ひっぱりまわされたりしてました。それで、あの吉岡さんとおっしゃるんですけど、吉岡さんは家内の古い知り合いで家内の仲良しのおけいさん、名前何て言った?おけいさんて言う圭子さんとおっしゃる、ああいう服なんて言うの?パッチワークみたいな、着物で色んな…割としゃれたもんですけど、ああいうことの走りの有名な人ですね。それでよく展覧会やってたんです。デザインしたものの。それで大阪で展覧会する時に心斎橋の画廊でいつもやってる。その画廊を経営してたのがあの人、それでまあおけいさんの展覧会の日に家内の行っては服を買ってたのか知りませんが、先に買っといて展覧会の時に服がないから貸してあげたりして逆にね。

(幸子先生)ゆきちゃんの作ってあげたよって(笑)

(宥厳先生)そんなことであの画廊のおかみさんとは古い付き合いなんです、僕が彼女に会ったのは最近、つい3年か、4年前なんですけど、そのおけいさんが亡くなってからだった展覧会やったん?
(幸子先生)その前にしはったやん。がんの末期に。
(宥厳先生)生きてる時やったかな、展覧会やったん。
(幸子先生)最後の時やん。
(宥厳先生)ね、桜井の長谷寺の真ん前に昨日来られた人の家があるんですよ。で、あのちょうど川、長谷寺の前に川が流れてるんでけど。川の前に道路一つ隔てて家があって、その家は吉野造りの家なんです。川の土手にこう柱を立ててね、それで立ってるような家なんです。そこに吉岡さんというおばあちゃんが住んでいられて、だから家の下を川が流れてるわけです。それで、なんかあの吉岡さんの奥さんの方ですけど、女学生かなんかの時に父親が朝起きて歯を磨こうと思って台所へやってきてそれで歯を磨いてたら床ドスンと抜けて川に落ちて死んじゃったん。つまり床が弱ってたんだね。それでまあその修理したりしたんだろうけれども、それも今もかなり傷んでおるので、また川にドプンと落ちたら大変だから、おあのおばちゃん泳げそうにもないし。それで、ここの工事やってくれたゲンちゃんに大工の仕事をお願いして、今ゲンちゃん仙台に行ってるんですけど、帰ってきたらやってくれるって言ってうれしそうに話してました。

それで、あの人は結構変わった、吉岡ミチコさんって言うんですけどミチって理由の由と言う字にに「しんにょう」書いた、そういう由(よし)と言う字にしんにょう書いた名前がミチで迪子(みちこ)っていうんだけど、こんな歌書いた、ちょっと短歌にしてはかなり幻影的な思い切った歌を作る人で。





〇死のすべてを母は諾(うべな)うか手をくまされ数珠もたされて脚絆されいる
死に装束って旅の装束ですね。あの脚絆(きゃはん)つけるんですね。江戸時代の習慣ですね。脚絆。手甲脚絆(てっこうきゃはん)って言って手には日焼け止め、足にもこう白いのでこうするんですね。

〇もはや頬の冷たさはこの世のものでなし孤高を持して母はいませり
死んだときに体が冷たくなるって言うのは、冷たさって言うのはちょっと触った時に何か石が冷たいというのでもないですね。死んだ人触ったことある?この中にある人。うん、そうか。よう考えたら僕なかったかな、と(笑)。

〇定刻に粛粛と人ら集まれり母焼却の儀式 有無を言わさず
こんなことあったんですね。

それとか、
〇母にあらず物体となりたる母なれば点火さるるさましかと見据える
こんな歌です。

〇死んでも死にきれやせんの口癖は嘘っ八か母はあっさり消えたり
まあ、あっさり死んだらよかったですね。

〇魂さへ母は残したるけはいなし奇麗さっぱり消えてしまえり
まあ、あの風貌に似合ったような歌ですけどね。

〇みぎ左どちらに寄りても追いてくる母の遺影ありおばあちゃんの馬鹿
これは家にね、写真をまつってるんだね、きっと。おばあちゃんの。それがこっちへ行ったらこっち見てる、向こう行ったら向こう見てる。要するに視線がこう正面向いてる写真なんだろうと思う。まあ、そういう歌を作ってみました。

〇笑みかける母の遺影が見降しいてあんたそんなに怒んなさんな
この「怒んなさんな」と言うのはおばあちゃんが彼女に言ってるんでしょうね。あの人、怒るんだろうと思うよ、よく(笑)。怖いんです。それでお幸さんあの人苦手なんです(一同笑)。

それから、
〇かけがえのない母の死の筈 毎日が普通に普通に過ぎる
まあ、こんな歌ですね。








だから、まあ五七五とか若干あまりね、字余りと字足らずとか考えないで書いてるところが、これはまあお母さんが亡くなられたんで、こういう母のことばっかり書いてますけど、よく猫の歌を、猫歌!

(幸子先生)猫をいっぱい飼ってはるん。
(宥厳先生)うん。猫をたくさん飼ってるって、こないだもね、僕に電話かかってきて宥厳さん黒猫飼いませんかって言うんですね。で、黒猫のいい子供が出たよって。僕はもうマニス以後ね、もうちょっと猫飼うのは、しつけるまでね大変だし、もういやですって断ったんですよ。昔、マニスをなぜ飼ったかという話しましたかね?覚えてる?黒猫をはく製にした話。ねえ、昔ずっと大昔、1970年頃の話ですけど、昨日彫刻の話したでしょ、渡辺博さんって言う西宮の彫刻家がいましてね。この先生がお幸さんの家に行った時に、まだ作品がちょっと作品が不気味、不気味な人形が仏壇の左のところに、仏間に、髪の長い白い女の子が立ってるんですね。見たことある?あれを作ったのもその渡辺博さんですね。で、あの先生がね、ちょっとこう耽美的な彫刻をねいろいろ作ってたんですよ。で、それで展覧会を彼は企画してね、それでやや怪しい雰囲気の世界の彫刻展をやろうと、それでちょっと全体に画廊そのものが彫刻をポンッと見せるだけでなくて環境的にもね、何かそういう雰囲気の展覧会しようということでそれで僕に、「山内さん、どっかに黒猫おらんやろか」って言うんですよ。黒猫どうするんですかって言うたらはく製が欲しいねんって言うんです。それで、まあ僕は頼まれたらいやとは言えない人ですから、まあちょっと聞いてみるから任しときって言って、それでパン工場の家主さんのおじいさんにこの辺に黒猫おらんですかって聞いたら、ほんだら、おお探してきたるわって言って、それでしばらくしたら黒猫の子供を連れてきたわけです。それで、これちょっとちっさいけどこれでええかって言うから、まあそれでとりあえず見つけてくれたから、ありがとう言うてもろて帰って、黒猫をね。それで、渡辺先生のところへ持っていったんですよ。そしたら、これやっぱりちっさいなあって、それでまだ展覧会先やから、じき大きくなるからって飼うとくわって(一同笑)。それで、黒猫飼ってかわいがってたんです。まあ、なつくでしょ、黒猫ってすごく人懐っこいのね。それで、だいぶ大きくなってきて、それでまあ展覧会も近づいたし、で、まあこれはく製にせなあかんってことになって、それで、「山内君、誰かはく製にやってくれる人おらんか」って、話で任しときってまた(笑)。それで、お幸さんの家の近所にヒトミさんって言うね、ヒトミ、タクミやったかな、ヒトミさんっていう怪しいオッチャンがいるんですよ。そのおっちゃんは猟師で、鉄砲でね、獣を打ったり、それから蛇を取る名人で、あの蛇取りに、彼は蛇取りに山に入ったら、蛇も一匹どころじゃなくて蛇は巣を作ってぐちゃぐちゃっとかたまっておるところがあって、そこを見つけるのがうまくて、それを見つけたら蛇のところにがばっと両手突っ込んでがばっと抱える…
(一同)え~~~!!!
(宥厳先生)それで、それをつかんでにぎっとっていっぱい袋に入れてくる。噛みつくやつもおるし、噛みついたら引っ張ったらあかんよって言って、そーっと歯を抜かないと大変なことになるとかなんとか言いながらそんな話するんです。それで、このおっちゃんにその黒猫をねはく製頼んだらまああの作ってあげるよって言う話だったんです。はく製師でもあるので。それで、渡辺先生に作ってくれる人見つかったよって言うたら、そしたら、猫眠らすのにどうしようかって、それで眠らす方法が今、色々あるだろうと思ったけど、それで、また頼まれて、それで私は発酵のこといろいろ教えてもらってるね、発酵学のの研究所の所長をしてた草刈さんと言う人がいて、その人に話を通じたら西宮の病院の薬剤のえらいさんがおってね、それえ、モルヒネを1本くれたん。あ、クロロフォルム!それで、そのクロロフォルムをもらってきてそれで黒猫を四角い金魚鉢に入れてそれでそこへモルヒネを1ビンどぼどぼっとほり込んで蓋をした。で、かわいそうやったって涙ぐみながら、殺しちゃったわけだ。それで、まあそれをねビニールに入れて僕があずかってひとみさんのところに持っていったんです。そしたら、ひとみさんは忙しいからすぐにはまだ時間もかかれないから、それを冷蔵庫に入れて台所の(笑)。それで、置いてあったんです。そしたら、おかみさんがこんなん早よう何とかしってやかましく言うもんだから、ある晩もう今日はじゃあ仕事に取り掛かろうと思って冷蔵庫から出してそれで袋開けたとたんに、ふぁ~んって寝ちゃったん、自分が。ほんで目が覚めたらもう何時間も経ってたん。つまりモルヒネをたくさん使ったもんだからそれが猫に引っ付いとるもんですからかがされたわけですね。ま、そんなことがあってそれで僕はその黒猫に悪いことしたなあって言うのがいつもあったんですね。まあ、そんなことからね、まあ、どっかでこう黒猫に報いてやらなきゃいけないというような気持ちもあって、それで、まあマニスをもらってくれんかと言う話があった時に、小学校5年くらいの時にね、僕は将来黒猫を飼うだろうという予感をしたことがあってそのことをすごく覚えてたもんですから、それでこれがそうなんだと思って、それであの猫を飼ったわけですね。で、まあそういうことでね、黒猫と色々不思議なご縁がありまして、で、もう新しい黒猫はもう飼うつもりはない。ま、そんな話でした。じゃあ、今から楽健法やりましょう。















楽健法






7/15 15:15 終わりの会

(宥厳先生)話することないから。
(琴美ちゃん)一応(^^;)

(宥厳先生)あ、これで揃ったんやね。どうも、皆さんありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

(宥厳先生)忙しい目をさせましたが、来月は第2じゃなくて、最初の土日ですので、間違えないように。じきやって来ると思います。他に話、何かないかな。もうあの、まだちょっと何かね催し物やってほしいようなこと言ってる、あの、出演者の方ですけどね、この間、テレビ…今日はテレビ見せようと思って忘れてた。ちょっと忙しかったので、来月にしましょうかね。それで、東京に持って行って見せるって出来なくはないと思いますけど、パソコンがないわ、僕。あのブルーレイで持っていかなあかんので、マックは写らない。

(琴美ちゃん)DVDはないんですか。

(宥厳先生)DVDあるん。買ったん。だから、まああの

(受講生)ブルーレイで再生できますか?
(宥厳先生)できる!ウインドウズだったらね。じゃあ、あの来月見てもらいます。大したもんじゃないんですけど、まあお幸さんと僕とが照れくさいような写り方で、見て感動したと言う人もおるんですけど、大したことはないです。たまたま、田嶋正って言う尺八の先生がいらっしゃるので、スイッチ入れた途端にちょうど始まるところだったらしくて、それで、早速電話をかけてきて、最近は少し新しい研究をして、古典の誰もやってなようなのに凝りだして、それ今勉強になりますのでって。

(琴美ちゃん)お元気?
(宥厳先生)ええ、何か東光寺の方で是非演奏会やって、考えてくれますか、なんてことおっしゃってましたから、その内考えますって言ったんですけど、尺八なんかあんまり聞きたくないですか?古典の尺八。

(受講生)聞きたい!
(受講生)え゛~

(宥厳先生)あ~去年は、一昨年やったかな、ピアノでジョイントしましたよね。
(西澤さん)はい。

(琴美ちゃん)じゃあ、こんどママドゥーとギターとジョイント。

(宥厳先生)ま、そんなこともありますので、今度、遊びながら色々やると言うのが人生楽しく、長生きするコツだと思いますので、まあ出来たら入れて行きたいなと言う風に思ってます。じゃあ、まあこれで今日は終わります。ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました~








第5回8月4日(1日目)その1

2012年08月14日 | 第12期楽健法セラピスト講座
8/4 13:00「どうだん」

(宥厳先生)どうも、おはようございます。
(一同)おはようございます。





(宥厳先生)みんながそこにかたまらんと、もっと離れて楽に座りましょう。
最近は四季の移り変わりが、いままで経験しなかったような怪しい感じで、からだがとまどっているようです。
僕は夏風邪みたいな感じで、体調が1か月くらいもう一つだったですね。芯に熱があるような感じが若干あったんです。からだの芯が冷たぁいような、冷やされたような、熱があるようなそんな感じでひと月ほど過ごしましたね。でも、まあ別に寝込んだわけでもなんでもないので、普通に仕事はできてたんですけど。
気候のせいかどうか、今日も二人、松本清女さんと諸戸さんが欠席です。少し風邪気味みたいに言ってました。
今月はどうだんに投稿をしました。今朝勤行して、朝ご飯ができるまの間に書いた短歌です。



それで、この裏っ側の詩が3つ載ってるのは、ここ数日で全部書いたものばっかりですけど。上に火鉢が置いてあって、あれを「火鉢池」と名付けることにしたんですけど(笑)、火鉢池に蛙が3匹住んでたんですけど、それが三日か四日前から全く蛙の姿が見えなくなって、どこ行ったんだろうと思ってまあ、よく餌を食べに外出するもんですからね。それでまあ、それを知ってましたから、そのうち戻るだろうと思ったら、三日くらい経って水面をよく見たら何か雰囲気が違っていて、荒れた感じがする。あれっと思ったら、水草が端の方にぐっと引き寄せられて、誰かが手を突っ込んだような感じなんですよ。あ、これはタヌキか何かが来て手をまわして蛙を襲ったのかな。しかし、タヌキきがそんなことするかな。猫もあんな深いところにね、手を突っ込んで蛙を捕まえたりしないはずだと思ってようく辺りを見たら、こんな大きな鳥の羽根が1本ポーンと落ちとったんです。真新しいきれいな羽。それでいつもこの山のガレージ、ちょうど車を入れる真上に一本の合歓の木が枝を張り出して、そこにいつもクロサギが止まってるんですよ。この羽はどうも奴の羽に違いないと思って、それで、まあクロサギに食べられたとしたら、カエルも本望かもしれないし、それが自然の営みだからね。だから、しょうがないのかもしれないけど、蛙がいなくなって寂しくて、そのことを、東光寺山の博物誌みたいな感じで、詩と短歌に作ってみたんです。
ちょっと読んでみます。







「火鉢池」
火鉢にみずを入れて
寺の庭に置き
これを火鉢池と名付けた
水草もいれておいたら
繁茂して
初夏になると
水面下でも
真っ白の可憐な花を咲かす

火鉢池の隣には
臼池が置いてあって
戦争中に作られた
コンクリート製の餅つき臼だ
だれが持ってきたのか
臼池には
睡蓮が二輪ぽかっと開く

ふたつの池には
蛙が三匹住み着いて
二匹はいつも火鉢池
一匹はいつも臼池にもぐっている

火鉢池に
夜店で買ったメダカを
十五尾放生してやると
水草に乗っかって世界を睥睨している
蛙の目の前を
ゆうゆうと泳ぎまわる







これが、まあ、七日の七夕の日にメダカを買ってきて入れたんですけどね。それで、カワズの口の横でもね平気で、カワズは水草の上にチョンと乗っておるんですけど、悠々とこう泳ぎ回ってるから、カワズがどうもメダカを食う気持ちはなさそうですね。それで、次のは…、








「よわい」
弱いではなく齢のことだが
七十路なかばになると
このよわいに達しないで
いけなくなった知人も多くあって
逆らえないことと
逆らわないこと
逆らっても詮無きこと
逆らわねばならないこと
などが見えてくる

今朝は熊蝉の数がうんと増えて
耳を圧するばかり
この鳴き声には
こどものころからあこがれがあって
生家の前の校庭の
コブだらけのポプラにとまる熊蝉を
自作の網で捕らえようと追っかけたものだ

今日はまだヒグラシやカナカナは鳴かない
熊蝉の賑やかさには哀感は伴わず
こどもころのように
捕まえたいとは思わないが
熊蝉の鳴き声に
こどものころの思い出世界に引き戻される

昨日から火鉢池の蛙は出かけてて
メダカが泳いでいるばかり

メダカに餌をやったほうがいいのだろうか
パンでもちぎって入れてみようか
などとなんどか考えたのだが
火鉢池の宇宙には
ちいさなメダカのえさが自生してるかも知れず
おととい
えさやり過ぎて水の濁った夢をみたので
まだパンの切れっ端は
メダカにやらずにいる







今朝メダカにパンをちょっとちぎって入れてみました。そしたら、来てパクッと食べてました。あ、天然酵母パン食べた。ほんの少しだけですけどね、ようけ入れたらしゅーっと沈んでいくとね、下で腐ると水が悪くなると思って。ま、しかし、少しやったら食べるみたいですね。

それから、次のが…








「クロサギ」

駐車場から東光寺山を見上げると
栗やクロガシより大きな合歓の木が
駐車場にはみだして枝をひろげ
いつも同じクロサギが一羽
合歓の木の決まった枝に羽を休めて
下界を見おろしている

一昨日から
蛙が見えなくなって
外出中なんだと思っていた

火鉢池のそばに
羽ペンにも使えそうな
大きな羽がいちまい落ちていた
カラスではなさそうな灰色の羽で
どうしてここに落ちているのだろうとおもいつつ
その羽を拾った

一昨日
火鉢池の水草が
片側に寄せられていたので
猫か狸が蛙を狙ってかき回したのだろうか
と思ったが
拾った羽を手にしながら
蛙を襲撃したのは
この羽を残した奴の仕業なんだと
今日になって気づいた

三匹の蛙は
襲われて逃げて帰ってこないのか
クロサギの胃袋で消化されてしまったのか

私が片寄った水草をもとに戻すと
蛙のいない水中から
死んだメダカがいっぴき浮かび上がってきた







こんな詩です。何にも変化のないような庭でも、観察してるとこんなこともあると言うわけですね。それで「どうだん」にちょっと同じような博物誌を。これはもう今朝書いたばっかし。普段ときどき思いつくままに短歌を書いたりしてるんですけど、思いついて書いたものを10首まとめて一緒にすると何か状況がそぐわなかったりするもんで、やっぱりその場でパッと書き下ろした方がいいなあと思って、これは今朝勤行の後で食事前のわずかな時間に書いたんです。





どうだん 十月~十一月号 2012 山内宥厳*

○昭和にはかじかんだ手を暖めし火鉢を庭で池とするなり

○水草も茂り初夏には水中花ひっそりひらく火鉢の池に

この水中花っていうのはね、白いちいちゃな1円玉みたいなのが水の中でポッと開いて、あんまりたくさんは咲きませんけどね、三つか四つ咲きましたかね。水の中でも開くし、水面に頭を出しても開きます。で、蛙が横に乗ってたんですけど、蛙も全くいなくなって。

○七夕の商店街に夜店来てめだか売るひとめだか買う我

○水中を泳ぐメダカを見もやらず蛙も出入りす火鉢の池に

この「見もやらず」って言うのは蛙のことなんですけどね。メダカのことなんか意識してないっていう蛙です。

○見るたびに大きくなった三匹の蛙消えたり一昨日朝から

○見るたびに大きくなった三匹の蛙消えたり一昨日朝から

○蛙消え火鉢の池の傍らに大きな羽を残すクロサギ

○すいすいと泳ぐめだかに手のひらで自作のパンを与え見るなり

○つんつんとパン粉をつつく白めだか蛙不在の池の営み

○東光寺へ時空を超えて辿り来たひとりの旅僧満月仰ぐ

これは夕べのこと、満月を見たので書いたんですが、僕はいまも意識のなかでは旅の僧なんですね。やっぱり。ここに居ついてるんじゃなくて。





お坊さんと言うのは行脚したりしてね、それで、どっか縁があって入った寺とかあったら、そこに留錫してって言うのですが、杖をそこへ置いてね、それでお寺に住んだりもする、って言うような時代もまあ確かにあったんですね。普段は旅をして歩いたりなんかしながら、今はそんな洒落たお坊さんいませんけどね。それで、どっかのお寺に住むようなる。

今はお寺には檀家さんがいてね、そうすると檀家さんは、檀家さんにとって都合のいいお坊さんに来てもらいたいわけですね。お寺のお坊さんが年がいって死んじゃって、跡継いでくれる人がいないと、本山の方からお坊さんが派遣されてやって来るわけですね。新しいお坊さんがやってきたりすると、三年間くらいはじっと観察されるらしいです。なかなか田舎の人って受け入れてくれないのですね。おいそれとは。住職が来たっと言って、住職が来たら必ず尊敬してくれるかっていったらそんなんじゃなくて、それで、他国坊主って言うんですけど、他国坊主がやってきて、こいつは仲間に入れていいかどうかっていうのはいつもこう見はってるわけです。だから、田舎の人って言うのはすごくよく観察してます。

で、ここの下に米屋があって、その右隣りにおじいちゃんがおったんですけどね、このおじいちゃんがいつも私のこと観察してまして(一同笑い)。観察する必要も、何にもないんですけどね。

「おっさん、昨日、何か荷物、宅配出してはりましたな!何送りましてん?」(一同笑い)
「何か昨日はえらい綺麗な人来てはりましたな。どなたはんでっか。」(一同笑い)
それで、
「何かさっきは駅の方歩いてはりましたな。どこ行ってましてん。」

もう、会うと必ず聞いて来るんです。何でそんなこと聞かなあかんのかなと思うけどね、よくこちらの動きを観察してるんです。まあ、他国坊主って言うのはああいう風に見られてるんだなと思いましたね。

 いまからちょっと動画を見てもらいますけど、先日放映された、(雨上がりの「やまとナゼ?しこ」)というテレビに出たやつです。先日は郵便局に集荷をお願いしたら集配の女の人がやってきて、入って来るなりパッと僕の顔を見て、「テレビ見ましたで!」って(一同爆笑)。たまたまテレビをかけたらパッと写ってましたって感激したような顔してね。まあテレビに出てる人って直接会うチャンスってそんなにないでしょ。何かテレビに出てるからって特別な人でもなんでもないんですけど。

この映像をみんなに見せようかって言ったら家内が嫌がるんですけど、テレビ映りが悪いもんだから。私はテレビ映りが良いので見てもらいたい…と思ってるわけではありません。ほなら、ちょっとかけて見てくれる?



「ナゼしこ」上映


(宥厳先生)さあ、天然酵母のパン食べようか(一同爆笑)



楽健法(15)




柳田さん特製の梅ジャム


全員分作ってきてくださいました。




虹が!




Dinner「夏の総菜」
●オクラと焼きナス●こんにゃくの炒め煮●おあげズイキの煮物●黒豆煮物




クジラの歯だそうで…






8/4 18:52「今月は14日からネパールに行くことになっております」


(宥厳先生)楽健法をはじめます。えーっとね、今月は14日からネパールに行くことになっております。ネパールで何をするかと言うと、15日、着いた翌日は一日休息をして。休息しなくてもいいと思うんだけど、まあどっかに遊びに行って、と言うことですね。それで、翌日から五日間、連続で朝から晩まで…
(琴美ちゃん)朝から晩までになったんですか!?
(宥厳先生)いや、午前中や(笑)。ちょっとビックリさそうと思って言ってみた。あの、五日間連続で楽健法の教室をやります。それで、対象の…あの受講生は寅吉くんのスタッフの人たちですね。寅吉君と言う方は、僕はまだ彼がやってるところに行ったことないんですけど、何かあの、マッサージ…マッサージですね?主に。(西山さんに)あなた行ったことあるんでしょ?
(西山)行きました。



(宥厳先生)マッサージやらの要するにトリートメントをやってるセンターだそうですが、だいぶ広い場所ですか?
(西山)あの、これくらいの部屋とちょっと小さいのと。
(宥厳先生)それで何?ベッドでやってるんですか?
(西山)いえ~あの~布団引いてやってます。
(宥厳先生)こういうところでやってるわけね。
(西山)はい、板の間で… 

(宥厳先生)それで、ネパールの若い人たちをマッサージのスタッフとして、スタッフと言うかあのそういうエステシャン…エステとも言わないかな、ああいうのなんて言うの?治療する人は。トレーナーとも言わんね。マッサージ…
(琴美ちゃん)施術者?
(宥厳先生)まあ、マッサージ師ですね、一種の。そういうこと。それで、まあネパールはまだそんなに細かい規制、法律とか日本みたいにないそうで、あれしたらあかん、これしたらあかんとか医師会が何とか言うとかってあんまりうるさくないみたいで、マッサージなど自由にかなりやれるようなところのようです。寅吉くんが雇ってる若い人たちは全員聾唖の方だそうです。ものが言えない人たちですね。手話とかで話するんでしょうね。何故そういう人たちを雇ったかと言うとネパールで寅吉のお父さんがそういう仕事を始められて、それで段々忙しくなり、人手を増やしてと思って現地の人を雇おうとしたら、健常な若者はあんまり働きたがらないんだそうですね。ネパールの若い人たちは。日本でも一緒だと思うんですけど。やっぱり地道な仕事に、じっくり取り組もうというような、そういう青年がいなくて、そのために色々田舎を探して歩いている内に、出会ったのが聾唖の人たちだったそうです。で、それで聾唖の人たちがかなりの人数がネパール中にはいるらしいんですけれども、その内仕事を持って働ける人たちって言ったら今のところ30人くらいしかいないんですね。後はほとんどすることがなくて遊んでる、みたいなこと言われてました。それで、聾唖の若者に出会って仕事を教えると、非常にまじめで熱心に勉強する、とてもいい若者たちですって言うような話でしたね。それでそういう人達を対象に秋田さんが開発した独自のマッサージ、など、それからあの人は自己操体法って言うの?
(受講生)自力整体?
(宥厳先生)自力整体って言うのかな?自分で何か操体してからだを調整する、そういうのやってるとかうかがっています。それと、山崎さんの先生の瓜生先生なんかもよくネパールへ呼ばれて、それで快医学なんかも取り入れてるそうです。快医学と言ったらどっちかと言うとプラクティスよりは考え方でしょ?生活に対する気づきのない人たちが病気になるので、そういうことを分りやすく、体系化と言うか、そういう形でやられてるのが快医学だと僕は理解してるんだけれども。

 まあ、そういうことで寅吉くんは色なん技術を取り入れてやってるんですね。それで秋田さんと言う方は三十年前くらいに私は出会ったんですけど、出会ってから間もなく楽健法も教えてあげて、彼はパッと見たらパッとできるように思うタイプなんですね。それでネパールへ行って、それで楽健法や天然酵母パンをやってる内に色んなこと自分でも思いついたり、発見したりするもんですから、まあ独特のマッサージ法みたいなのを開発されて、それで旅行者の方なんかを相手にね、仕事としてそれをやって来られた。それを息子の寅吉さんが継がれたわけですね。

 寅吉さんはまだ27歳くらいですか、東京の教室にも何度か出てきたり、ま日本に来るといつも瓜生先生のところへ勉強に行かれるんですね。それで、楽健法もやりたいと電話をよくくれるんだけど、なかなか東光寺へ泊りがけで勉強に来ると言うほど時間は取れなくて、今年は医科大学に入学する予定でおったんですけど、入学するっていうのは試験をパスしたらなんですが(笑)。それが、パスしなかったようですね。その代り奥さんを見つけたんです。まあその方がいいんでしょうね。

 何度か以前からそういう相談を受けていたので、西洋医学の勉強よりはアーユルヴェーダの大学にでも入ってね、アーユルヴェーダの医者になってやる方がよりいいんじゃないですか。もし西洋医学やるんだったら、アーユルヴェーダと西洋医学と両方やれるような勉強の仕方ですね。インドで医者になると、アーユルヴェーダも西洋医学も医者としては全く資格は一緒なんだそうですね。医者としての資格を認められるので、ま、どちらも勉強しなければやれるわけではないんですけど、まあ、そういう扱いらしいです。

 で、日本なんかは鍼灸とか何か東洋医学系の物はちょっと一段レベルの低いものと言う風に差別してみてますからね。それで寅吉君にはアーユルヴェーダを勉強させたらと、アドバイスしたこともあります。お父さんなんかでも向こうで暮らしてて、そういう東洋医学系の治療をしながら、やはりどっかアーユルヴェーダの方を一段低く見てるような傾向が感じられて、僕は何度か割としっかりとしたメールを送ったこともあったんです。しかしアーユルヴェーダの医者になるのもそんなに簡単ではないです。まあ、ここにいらっしゃる方ももしアーユルヴェーダの医者になりたければ、紹介してあげますから、ま、実力がないといけませんけどね。それで、6年間はインドへ行って勉強せなあかんです。三保君どうですか。あの~英語が読み書きできたら大丈夫ですから。言葉の壁はちょっと勉強したら、ねえ、行くまでに3ヶ月くらい集中的に勉強したら、もうたちまち行けるかもしれませんよ。

まあ、そんなんで今日本人は10人以上グジャラート・アーユルヴェーダ大学と言うところに留学して、勉強してます。で、もうすでに5,6人医者になって帰ってきてますね。で、一番最初に帰って来たのはイナムラヒロエさんていってもうそれは30年も前に日本人で初めてアーユルヴェーダの医者になった女の方がいらっしゃるんですけどね。まあ、あのそういうアーユルヴェーダと言うのはインド、それからスリランカもネパールもやはり同じ文化圏ですのでね、アーユルヴェーダの医者も結構たくさんいます。

 日本からはネパールへ西洋医学を持ちこんで、病院を作ったり、がんばってたのが大阪大学ですね。大阪大学が入って西洋医学をやろうとしているというので、そういうものだけ持って行ったんではいかんであろうと、で、楽健法も持って行かないといけないと思って、それでネパールへ10回ほど行って、それで向こうで楽健法の講習会を開いたりしたんですね。

 まあ、だけど楽健法はそんなに定着して広がると言うところまで言ってないです。秋田さんが向こうへ行かれると言うので、もしかしたらね楽健法を向こうに広げる、何かきっかけになればと思ったんですけど、彼はやりたいことしかやらないようですので、楽健法もちょっと応用するけれども、こっちもやるってな形でやってたんですね。ま、今回息子さんが経営を任されて、それで、その楽健法をちゃんと聾唖の人たちに伝えてほしいと、教えてほしいと言うのでそれで呼ばれたわけです。

で、ネパールに私がご縁ができたのは、さっきの朝見たビデオの中でもね、僕がヘンな帽子かぶって家内がこんなほっぺた膨らましたようなおどけた顔して写ってたでしょ?あれがネパールでの写真なんですね。当時ネパールで一番高級なホテルがソルティ・オベロイというホテルがあって、初めて行ったときに泊ったんですね。

 そのときはお坊さんやら10人くらいでインドとネパールへ行ったんです。インドの帰りにネパールに入って、何か祇園祭みたいな大きな山車の出る祭りがあるらしいんですね。それが見られると言うので勇んでカトマンドゥに行ったんですけど、私は疲労困憊して、疲れ果ててみんなが山車を見に行くって出かけて、家内も見に行ったんですけど、私は一人ホテルに寝ころん…ぶっ倒れて、しんどくて動けなくて。雲が流れるのをじっと見ていた記憶があります。まあ、そんなのが初めてのネパール体験。

そのネパールのその時に現地で色々私たちを世話をしてくれた方がスマンガラ師というテラワーダのお坊さんです。テラワーダと言うのはタイとかビルマとかスリランカの、私がこの間芝居の時に白い衣装を着てましたけど、あれの黄色い衣を着るのがテラワーダのお坊さんですね。

 昨日は満月でしたけれども、テラワーダのお坊さんは満月の日の朝に頭を剃るんですね。月に一回。だから、お坊さんの頭がピカピカになって托鉢の鉢を抱えて町に出てきたら、ああ、今夜は満月だと言うことがわかるわけですね。

 そのときに私たちを迎えてくれたのがスマンガラさんですね。それで、スマンガラさんと言う方は私より2つか3つ年上でしたけれども、もう亡くなられましたけれど、ちょうどその世代の人たちが青年時代に、社会的な奉仕もしなくてはいけないのでお坊さんになろうというので、それで、タイとかビルマとか言って修行されてそれでお坊さんになって帰ってきたわけですね。

 お坊さんになるためにスリランカに行く人が多いと思うんですけど。スリランカで何年間か修行されて、お坊さんとして帰ってきてそれでネパールの中にそういうテラワーダのお寺をあちこちに建てられたわけです。で、スマンガラさんは日本にも勉強に来て今から40年くらい前に2年間くらい大谷大学にに入って勉強されてたんですね。なかなか頭のいいもの覚えのいい人で、すごく記憶力がよくて、どこの店に行くとどのテレビが何円だったというようなことを全部覚えてる様な人でしたね。

 ネパールは物がなかった時代ですから、それでたびたびまあ日本にドネーションを集めるために来られるんです。ドネーションってつまり寄付を集めるためですね。それで、彼は七つだったかのお寺を作ったんですよ。カトマンドゥの中に大きな瞑想道場があるんですけど、それも彼が建てた瞑想道場で、私はまあそこでヴィッパサーナって言う瞑想を十日間やったことがあります。

そのスマンガラさんが友達やら信者さんに楽健法を教えてくれって言うのでお寺で楽健法の講習会やったりしました。サリーを着たままの女の人とかね、それから男の人も来られて踏み合い会をやったんですけど、僕が踏んであげた小柄なおっちゃんがいて、その人が国務大臣だったりしてね、スマンガラさんの同級生とかが、国務大臣になってたと言うようなことで。

 まああの当時は、私は分らなかったんですけれども、まあスマンガラさんが呼んで来るような人はネパールの中でもハイソサエティの人たちばっかりだったみたいですね。

 僕がネパールへ行くと、どうやって知るのか、いつも車を持ってきて運転してくれたタクシーの人なんかは、楽健法の教室には絶対に入ってこないですね。カースト医制度の厳しいところで、まあそういう状況で楽健法の教室をやってたんですね。

 ネパールへは10回近く行ったんですけど、テレビがカトマンドゥで放映されるまではとてもいい雰囲気の国だったです。夜になるとみんな娯楽がないもんだから、食事が終わると町へ出てきて、お寺の門のところに狭い空間があってね、そこに楽器なんか置いてあって、それでみんなでその仏教の歌とか仏を讃える歌とかみんなで歌いながら過ごすんですね、色んな音楽を聞かせてくれたりして。それを延々と2時ごろまでやって楽しんでるわけです。

 その雰囲気が楽しいもんだから、私も毎夜それを見に行って楽しんでたんですけど。テレビの放送が始まったとたんに誰もいなくなって、そういうところには全部シャッターが下りてしまってね、まあああいうものが入ってくるというのは本当に良くないことですね。

 何かそういう人々の結びつきまで全部壊れていくような。まあそういうグローバリゼーションでね、固有の人々の暮らしが潰れていくというなことをずっとこう取りあげてやって来た人たちが、日本にもそういう活動して、そういうの保存しなくちゃいけないとか、維持しなくちゃいけないとかいうねNPO作って活躍してるような友人が、まあ私の周りにも何人かおります。

 鎌田陽司さんなんて言う方は20年以上も、もうネパールに行き来して伝統的な医学とか暮らしの保存を支援活動をされたり、そういう活動をしてる人もいるんですけど、やっぱり潰れて行く方が早いですね。

 私が初めて行ったころのネパール中は車が1,500台とか言ってましたからね、信号もないし本当に空気のきれいなところでしたけども、その後段々車が増えて、カトマンドゥは盆地ですので、それで、空気がとても悪いというようなこと聞いてましたから、そんなところには行きたくないと思って行かないつもりだったんですけど、ま寅吉さんが是非にと言うもんだから、まあ行ってみようということになったんです。

それでまああの、どういう風に外国で楽健法が広がっていくか、人にものを伝えるというのがいかに難しいかと言うことですね。こんなに40年間にわたってこうやってまあ、私ども夫婦が楽健法やら天然酵母パンやら言うて頑張って来て、テレビにたまにひっぱり出されたり、新聞にも載ったりしましたけどね、しかし、本当にわずかな人にしかそれが伝えられていないとつくづく思います。

なかなか何百万もの人がね、ワーッと何かに蝗集すると言うのは、結局、宗教団体にでもしてね、何かやるんだったらひょっとしたらできるかもしれないけれども、ま、善意でいいものはその内広がる、なんてやってきたわけですけども、なかなかいいものなんて広がらないですね。見てると悪いものはすぐに広がります。で、やっぱり偽物の栄光と言うこともあるしね。天然酵母パンでもそうですね。広くよく売れてるのは、まあ私どもから見れば偽物としか言えないようなもの、そういうものは広まっていくんですね。

 それはやっぱり人間が本質的には時間をかけて手間暇をかけていいものを作るなんてことは嫌いだからですね。まあ、そういう風にして作ったものをもらったりするのは好きなんでしょうけど、自分で作れって言うことになると、もうやろうとはしない、ほとんどの人が。

 で、楽健法も自分でやりなさいというコンセプトでやってますから、これが今ここに来られてる方たちが、一年したらね、フランチャイズの立派な部屋でも用意してそこに3,500円とか10,000までのコース作ったりして、どーっとこう人が流れてくるような、何かフランチャイズでも作ったらね、もっと広がるのかもわからないけれども、まあ、そういうのはまた別の能力が要りますからね。

 だから、まあ私のような人間にはとてもそういうことは無理だし、で、私はお坊さんだと自称していますけれども、本当は宗教家としての資格はあまりないですね。この近くに壺坂寺って言うお寺があるんですけど、壺坂寺のお坊さんは日本でも一番お金集めが上手だと聞いたことがありますね。で、お金集めが上手であるということはすごい才能ですよね。それは説得力もあるということだろうし。だから、まあこういう東光寺と言うお寺がバックにあってね、それで、どうやって誰を説得したら億と言うようなお金がドーンと入ってくるのかわかりませんけどね。だけど、まあ、

(琴美ちゃん)ちょっと待っててくださいね。
(宥厳先生)それで、琴美ちゃんがまあ何か宝くじが当たったらボーンと寄付するとか言うてますけどね。まあ、全然あてにできない話(一同爆)。まあ、そんなことですね。



それでまあ皆さんもだいぶお腹もこなれて来たんですけど、私はお腹が満タンになって苦しいようなときは、必ず手のひらをお腹の方に向けて右回りに少しゆっくり回します。こうやって。で、ゆっくり回しながらやや薬指を意識して中に持っていっとくような感じでこうやってね、回すんですね。これは食べすぎたときたいていこれをま、10回か20回かこうやってやってるうちにスーッとお腹がおさまってきます。



であの私たちはみんなそれぞれ不思議な気を持ってて、でまあこの護身法、子丑寅卯だってね、一体あの人は何をやっているんだろうかと、普通の人はそう思うんですね。

まあ、これにもやっぱり見えないような力が確かに働くのです。護身法をしたとたんにお腹がパッとすいたとかね、なくなったお金がまた増えたとか言うような経験をしたことはないんですけど、人生の道程に付加されてくる不思議な効果もあるんです。

 ここに来られてる方で最住さんっていうひとがいるんですけどね、この間自分がやってあげてる患者さんが今日はもう苦しいし、踏んでもらうのもしんどいし、頭も痛いし、してほしくないとかって言うもんだから、それで思いついて、子丑寅卯と護身法を教えてあげて3回ほどやったら頭もスーッとその場でおさまって、これは不思議だとか言ってまた楽健法ができたというような話もしてましたけどねま、だから、人によってはそういうこともあるかもしれないので、今から子丑寅卯やって不思議体験しましょう(笑)。ま、ここにおる人はそんな不思議な人はあんまりいないのかもしれない。



(琴美ちゃん)えー、だってねえ。
(西澤さん)うん、あの、水道橋教室で
(琴美ちゃん)バスの事故で一人だけ無傷だった。
(西澤さん)そうそう。バスの路線、大きな事故があったでしょう?ちょうどあのすぐ後にね、熱海に旅行に行かれたんですよ。で、
(宥厳先生)これやったん。
(西澤さん)うん?路線バス。友達4人で乗ったんだって、でね、その水道橋教室に来てる人は行く前にこれを護身法やってたんですよ。で、4人の内、彼女だけ助かって。
(宥厳先生)助かった!?みんな死んじゃったん?
(西澤さん)死んではいないけど、車いすで…
(琴美ちゃん)入院して…
(西澤さん)まだ入院してるって、うん。
(琴美ちゃん)それもちょっとやそっとの入院じゃ
(西澤さん)なくて!もう車いすで、まだ意識…
(琴美ちゃん)でもたぶん足はダメだってね。
(受講生)そんなひどいの!?
(西澤さん)そうそうそう。
(宥厳先生)ここに流星が落ちてきても、キュッとそれるように、護身法をやりましょう(笑)
(西澤さん)ねっ。
(宥厳先生)はい、では。

 

楽健法(16)?

ここが結構痛い!











第5回8月5日(2日目)その2

2012年08月14日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~






火鉢池

 










先生の先生の彫刻?






朝のお勤め










布団かけてもらいましてん♥




Breakfast
●天然酵母パン●かぼちゃスープ●野菜サラダ(キュウリ、リンゴ、アボカド、紫玉ねぎ、トマト、バナナ、グレープフルーツ[ルビー])




絵心経に湧きました!!
食う食うで「空空」なんて!腹!!






8/5 9:20「食生活と身体の退化」


(宥厳先生)先月は身体の芯に熱がすこしあるような感じで、夏風邪だったのか、そのせいもあってか、こう暑いと僕は普段はあんまり食欲不振なんて感じたことないけど、今朝なんかはあまり食べたくないですね。
(柳田さん)あのね、今の風邪はねもう本当に長引きます。私5月から引いたのまだ引きずってるって感じで。
(宥厳先生)物持ちがいいんだ(一同笑)

(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。

(宥厳先生)昨日、旅行鞄を本堂の物置の奥の方にほうり込んであったので、引っ張り出してみたら一つはカギが壊れて合鍵がなくなってるみたいで、探しても見つからん(笑)。捨てなきゃしょうがないなと思って、燃やそうかなと思ったらガラス繊維かもしれないって三保君が言うもんだから。危ないね、燃やしたら。ガラス繊維とかね、危険なものがいっぱいあるんですけど、天井によく吹きかけて問題になってた?
(琴美ちゃん)アスベスト!
(宥厳先生)アスベスト。アスベストも僕は子供の時にね、手でつかんでね、仕事してた時期があるんですよ。わずかの期間ですけどね。一夏だけ、それも、家具屋で働いてましたからね、ちょうど小学校6年生の時、自分と父親で作り上げた木製の冷蔵庫ですね、氷を入れるやつ。上に氷を入れて下に物入れるって言う昔の冷蔵庫ですね。そういう冷蔵庫のオーダーがあって、50台くらい作ったんです。

 断熱のために、木製の外側と内部のブリキで作った隙間の壁の間にね、石綿を詰めるわけ、その石綿を詰めるのが僕のしごとでした。石綿は手でつかんではかゆいんですよね、ちくちくして。1ヶ月くらいの間に何回かその仕事をしたんですね。それで出来あがったその冷蔵庫が、その後、心斎橋の大丸百貨店に陳列してあって、自分が作ったものが売られてるのを見て感激したことがあります。

 電気冷蔵庫なんて出てくるずっと昔の話ですけどね。アスベストが危険なんてことには全く知らないわけですから、昔はいろんな危ない仕事を平気で素手でやってきたんですね。額ぶちを製造してる時も、家内と二人で結構いろんなものを作ってきたんですけど、そこでは大量のガラス繊維を使ってました。額ぶちの表面は樹脂で、それを強くするためにね、ガラスの細いチップ、ガラス繊維のごく細い短いものです。今でもパン工場の2回に1袋ぐらい包んだまま残ってると思う。飛散すると肺に入ったりするので、とても危ないものです。

 そういうのを樹脂に混ぜて、それで粘りを出して強度を増して、それがいわゆるグラスファイバーっていうやつです。だから、そのグラスファイバーで彫刻とか、随分いろんなもの作ったんです。一番たくさん作ったのは、ちょうど人間の等身大の半分くらいの大きさで、頭の上にパルテノン神殿が乗ってるロダンの彫刻があるんですね。パラス像って言う有名な彫刻なんですが、それの模刻、原型をこしらえて、それを6,000個注文をもらって、2か月の間に6,000個作る仕事をやったんですね。ヤマハのステレオのプレミアムでステレオを購入するとおまけとついてくる置物ですね。

 それを、6,000個って言うたら一日500個作らなあかん。それで、一生懸命ろくに夜も寝ずに、車の中で仮眠してはやったりしたことがあります。2ヶ月間毎日2時間くらいしか寝なかったです。そんな時期があって。それにもガラス繊維を沢山入れてある。それでまあ人数もいないとできないもんだから、学生アルバイトを10人以上雇ったりして、それで、盛んにやってたんですけど、最初の一カ月で500個しかできなかった。絶望的やね、もうそうなったら。6,000個作らなあかんのよ。それを納期が遅れると契約違反で罰金取られるわけです。

 ある商社から僕だったらやれると思ってこの仕事を持ってきたわけよね。ぼくは、困難な仕事を造作もなくこなしてしまうようなところがあってね、パッと直感的に考えて行ける!と思ったから引き受けたわけです。それで、やりだしたんですけど最初の一カ月の間は試行錯誤がずーっと続いて、いきなり本番に取り掛かるわけだからね。頭の中で出来ても、僕がするんじゃないから、全部。で、学生アルバイトにやらしてやるもんだから、型を、シリコンゴムで折角作った型を無神経に引っ張って破ってしまったりね、それをまた修理しりしながらしないといけないので、大変だったんですけれども。

それでちょうど一カ月経った時に、そのヤマハとの間に商社が入っててその商社がこれはちょっと難しいという判断があって、それで、半分ねよそに下請けに出したんです。ノウハウはこういう風にしてやったらできるからと言うので、そのノウハウを教えてそれで、そちらで2,000個受けてもらったのかな。で、3500個を残りの1か月でこなしたんです。

 そういう仕事をしながら寝る間もないんだけれども、そういう仕事をしている時期に、あの「がらんどうは歌う」と言う脚本をどうしても早く書かないといけないというので、この前も話しましたけど、それである晩、家に帰って3時間くらいかかって書いたのかな、あれ。それで、書きながら悲しい話なんで涙を流しながら書いた記憶があります(笑)。あんまり物書きながら泣くなんてね、自分でそんなことあり得ないように思ってたんだけど、僕は泣きながら小説書いたという武者小路実篤のエッセイを読んだことがあって、その小説が友情とかというような小説なんですね。ここにも読んだ人がいるかもしれないけども、それでこんな程度のもので泣きながら書くのかと思ってバカにしとったんですよね(笑)。まあ、しかしぼくも泣きながら書いた、そんな経験をしました。

今日は上に一つ彫刻を置いてあったのご覧になりましたか?金ぴかのやつ。見た?あれはこの前マニスのことを話したときに触れましたが、渡辺宏という彫刻家の作品です。ずっと昔に黒猫を僕がパン工房の家主のおじちゃんにもらってきて、先生のところに持っていって育てて、かなり大きくなったところでね、クロロフォルムかがせてっていう話したでしょ。その時の作品があれなんです。まだ他にもあるんですが、今、楽健寺に行かれたら、行かれたことのある人は、祭壇の左の端に白い人形が立ってます。あれを作ったのと同じ作家ですね。あの作品もその時に展覧会出したもんですね。

 黒猫のはく製なんかと一緒にね、他にもいくつか色んな、ちょっとこう面白い環境芸術みたいなことをめざしてやられた個展だったんですね。その時の人形の一体を後に僕がもらってね、持って帰って来たのがあれなんです。作品の材質が軟質の樹脂で、ちょっと弾力のある、人間の肌に近いような感触で仕上がるような樹脂で作ってあったんです。ゴムみたいな感じ、少し。

 それを東光寺に持ってきてあったんですが、その樹脂は作ったときから薬品のにおいがきつくてね。ま、彫刻としてはすごく面白い、雰囲気のあるもんなんですけど、臭いがきつくてとても部屋に置いたりできないし…また、お寺の庭にかけとくわけにもいかんし。それで、保存方法に困って本堂の横の廊下の上の屋根にね、あの間の押入れになってる屋根の上に置いてあったんです。それを、ケロっと長年忘れとったんですよ。

 この前ひょっとそれを思い出して、出してみたらまだ形もそのまま健在で強烈な薬品臭もそのままだったもんだから、もう処分しようかなとも思ったんだけど、自分の先生の彫刻を捨てるに偲びないから、それであの五鈷杵を作ってもらってる鋳物屋さんに送って鋳物にしてもらってついこの間届いたんです。

 でまああれで少しピカピカしてるから着色したいなと思って、自分で手軽に色がつけられるのはやや黒っぽい色になるんだけれども硫黄のお湯の中にジャバっとつけるんです。温泉に行ったら指輪なんかも黒くなることがあるでしょ。あの原理ですね。それで、それを黒くするためにお風呂に入れる入浴剤で六一〇ハップ(ムトウハップ)というものがあって、何度かそれを僕は仕事で使ったことがあるもんだから、六一〇ハップ買おうと思ってこの間薬局へ行ったんですよ。そしたら、どこにも売ってなくて、それで調べて、最後に行ったスーパーの薬局のおっちゃんが、あれは事件があって、それで扱かわなくなったんですって言うような話でね。古い薬局へ行ったらひょっとしたらどっかに持ってるかもわかりませんよ、なんて言われたので調べてみたらどうもあれとなんかの薬品と混ぜて自殺するかなんかのような事件があって、それで警察が薬局にチェックに来たりするらしい。

 それで、チェーン店は全部販売をやめてしまったらしくて、それで検索していくと、六一〇ハップ作ってた会社が結局倒産に追い込まれたようです。あの彫刻を硫黄の温泉につけるのはちょっと難しくなってきたんですよ。でも、何か硫黄そのものを売ってるからね、どっかに。硫黄系だったらいける。だから、まあ試薬を買えばいいんだね。試薬って言うて。実験室で使うような、試薬って硫黄って言ったらSか?硫黄言うたら化学式はSかな?
(受講生)SO?
(幸子先生)SやS。
(宥厳先生)Sですねたしか。試薬でももらってきて、それで着色してみようかなと思ったりしてるところです。



(はつらつ元気)

この雑誌は発売中ですが、去年出た「はつらつ元気」にも楽健法のことが紹介されましたが、同じ雑誌が先月ですかね、また楽健法の記事を掲載してくれています。それで、こういう雑誌はよく本屋で「壮快」だとか色んなの見かけると思うんだけれども、こんな雑誌が役に立ってるのかどうかですね。

 要するに売れるから作るんだろうと思うんだけれども、雑誌の販売後誰一人問い合わせが来たことはないですね。 
 だけど、この雑誌が去年出たときは、一つだけ僕には役に立ったことがあって、楽健法の記事じゃなくて、他の記事をパラパラとめくってたんですよね。届いた日にたまたまもう東京に出張する日だったもんだから、持って出て電車の中で読んでたら、なかに首のここをね、こういう風にやってマッサージすると血圧がたちまち下がるなんてこと書いてあるんですよ。それで、ここに去年か来てた、平松さんと仲良しのひとがおってですね、仲良しじゃなかったん?
(平松さん)仲良しです。

(宥厳先生)それで彼女がね、いつも血圧が高いとかね言うとるもんだから、それでこの雑誌が書店に今並んどるからその何ページに、首をちょっともんだらたちまちその場で血圧が下がるって書いてあるから試してみろって電話したんです。それで東京へ行って、西澤さんとこで仕事してタクシーに乗ってホテルに帰るときに電話がかかってきて、「先生あれやったら一発で血圧が下がりました。」って言うんですよ。

 それで、ずっと降圧剤飲んだりしてたから、そんなものは飲まない方がいいよっていってたんですが。そしたら、書いてあるようにやったらたちまち下がったって言うんです。確かに。たちまち下がったんですけど、また上がるんですね。で、たちまち下がってまた上がるってその、また上がるのはなぜかと言う問題、この原因についてはあまり追求をなさらないんですね、たいてい病気の方は。それで、だんだんこう追及して行って一番原因だと思うのは、やっぱり自分が無知蒙昧で食べてはいけないものをしこたま食べるとか、食べたらいけないと分っているのにやめられないとかね、言うような悪癖がいっぱいあってそういう陋習(ろうしゅう)を絶てないところに人間の面白さと言うか、救いがたさと言うかね、そういうものがあると僕は思うんです。

 まあ悪いことをいくらでも続けられるというのがね人間の不思議な能力で、それで、それを知らしめようと思って神様が細工するわけじゃないんだけれども、それの結果として、その蓄積として病気が出てくるわけですよね。だから、病気が出てきたときには、ずーっと思考をさかのぼって物事を根本から考えていくということがなかなか人間にはできないんですね。当面の現象だけしか見ない。だから、その場の苦痛だけを取ってくれたらいいという対症療法にみんなすがるわけですね。でまあ、首を触ったらたちまち血圧が下がるって言うんだから、薬を止めて首筋を押さえることをやればいい。

 また上がったらその時下げたらいいじゃないか。下がるって言うことが分かったんだから、その時にこうやって下げなさい。そうしたら薬飲もうかって思うの止めてこうやって何分かこすっとれば下がるんだから。だから、まあそういう意味で、そのここを押さえたらなぜ下がるかと言う原理的なものをもっとこう追及していくと、もっと足の付け根を踏んだ方が早いとかね、いろんなことが分かってくるんですね。だから、よく背骨が、ずれが起きると、背骨が狂って来ると、病気が起こった入りするので、それで背骨をガツッと正しく入れたら治るって言う考え方でやるのがカイロなんかですよね。で、カイロプラクテックでやってその時はガツッと入れられて、ああスッとしたって言う感じはあるんだけれども、じきにもとにもどる。

 いわゆる整体ですね。アメリカの方から入ってきた技術ですけど。だけど、それでもまた元に戻る。1日か2日したら元に戻るのはなぜかと言うようなことを原理的に考えていくと、楽健法やってるからそういうことに気が付いてきたわけですけど、筋肉を緩めていくと、骨にゆとりができて、つまり骨の周りの筋肉が柔らかければ圧迫されて骨がずれるということはないわけですね。だから、まず周りの筋肉から柔らかくすることが、その整体そのものになっていくわけですね。

 筋肉を緩めていかないといけない。それとか、背骨が曲がるのは骨盤がこうゆがむからだという説を出す先生もたくさんいる。じゃあ骨盤がゆるむから背骨がこういう風にゆがむので、まず骨盤正さないといけない。じゃあ骨盤はなぜ歪むのか、ということについてあまり考えないんです。そういう人達は。要するに骨盤を何とかして、力入れて、まあカイロみたいにして治してあげようという考え方なんですけど。やっぱり骨盤がゆがむのは、足の筋肉が硬くて、それで、背骨を支えてる筋肉も硬くてそれで引っ張られて、釣り合いが取れなくなってゆがんでいくわけです。そうすると結局は筋肉を緩めてあげるということが一番大事だということですね。

 で、筋肉を緩めやすくしようと思えば、筋肉があまり硬くならないような食べ物を普段から食べて、そうすると、魚肉ソーセージみたいなものをおやつにして育ったような子供たちは筋肉がとっても硬い。で、そういう子どもたちがアトピーとかいろんなものを起こしたりして、それで、高校生くらいの、高校野球の選手で甲子園にも出たような子供も体調がおかしいのでってやってあげたことがあるんですが、筋肉がとにかく硬くて、そういう人たちに聞いていくと子供の時に魚肉ソーセージをおやつにしてて大きくなったという人が多かったですね。

 それで、やっぱり食事療法をかなり継続的にやってると、筋肉はかたくても楽健法をするとゆるむっていう経験も何度かしてます。だから、やはりどのあたりからものを考えて、どういう生活習慣を身に着けたら楽に暮らせるのかなと言うことをね、やっぱり病気していろんなことして、この年になってわかったって遅いんだけれども、まあしかし、そういう観察の結果をまあ皆さんにお伝えができて、それでそれを守ってやって、実行できるようなことであればね、救われるわけですね。

 だけど、まあ本当は自分でいろんな自分の体調とかを自覚して、自分でそのことが分かって、それが止められるって言うようであればいいんだけれども、今は今社会そのものがですね、グローバリゼーションでどんどん資本が入ってきてですね、お金儲けにみんなが走り回るような時代になってきて、そういう中で必然的に近代の文明食のどんどん皆さんの口の中に入ってきて、それえ、健康を損なっていくということがいっぱいあって、それがまあ、ここにも置いてあるんですけど、こんな本ですね、これ歯医者の先生で、W.A.プライスって言う先生が書いたのをね、片山恒夫って言う先生が翻訳したものですね。この翻訳した直後にこの先生を有害食品研究会の講師として4回連続で8時間。この人に講演をやってもらいました。2時間の講演だったら断られるんですよ。俺の伝えたいことは最低2時間を4回やらないと伝えられないからと言うので、で、4回毎月連続でね、講演してもらったりしたことあるんですね。
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54010269/ 「食生活と身体の退化」農文協で発売している。













 この本にも、そのグローバリゼーションで道路ができて未開のところにその近代色が流れ込んでくると、どれくらいの速度で健康が損なわれていくかという実証例がたくさん出てくる。こういう写真がいっぱい出てくるんですけどね、この中にちょっと離れた地域のインディアンの人たちは、もう歯がきれいね、虫歯なんか少しもない。それが道路ができて近代食が流れ込んでくるとね、たちまち虫歯だらけになっていくというのが、こうやってみんなこの人がフィールドワークした歯を写した写真が並んでます。

 時間があるとき手に取って見てください。例えば日本人の今イケメンなんていうのは大体顔が細くてね、鼻も細くて、三保くんなんかもまあイケメンタイプなんだろうね。今風のこういう顔の人はだいたいあんまり歯が良くない。それで、鼻も獅子鼻で胡坐をかいててここが発達してるひとはよく噛んで食べる顔。鼻もどっしりとしっかりしているような人は大体歯がいんですね。

 この本を読むと、人の顔を見たら何を食言ってるかなこの人は、歯はどれくらいいいかななんてことが分るようにるんです。一種の人相学もこれで勉強できます。僕はこの本を何度か愛読しています。それで何年か経つとここにもこの、こういう歯の立派なのと歯が悪くなりかけたのが出てくるんですけど、この人がたとえば5年前に調べた時にはみんな中が歯がきれいだったのに道路ができて5年後に行くとみんな虫歯だらけだったって言うようなことが書いてあるんですね。だから、見事な歯をしてる。アフリカの人たち。アフリカ人は今もこんなんかな。
(琴美ちゃん)いやいやいや。田舎の方はあれだけど都会の人はダメですね。

(宥厳先生)都会に近くなるにつれて歯がだめになるね。ある男の人がね、白血病だと言われて大学病院に入院した直後に私のところに相談にこられたことがありました。その人の顔を見たらね、鼻はどっしり、顴骨はガチっと張ってるし、いい体をしてて、いかにも健康な労働者と言うような感じでしたね、それで、僕は顔を見ただけで、白血病だからといわれて抗がん剤で治療なんかすると必ず殺されるから、だから、今までどおりの暮らしを心配せずにやりなさいって言ったんですよ。

 だけどね、データを見て脅迫されて、脅されてる人はね、やっぱり医者の言うことの方を信じるんですね。それで、僕がそういったというので、そしたらもし何かあったら責任とってくれるんか、て言うようなこと言うてくるんですね。そんな責任取ってくれるかって言うような問題ではないしね、だけど、まあそういったんだけど結局彼はそのままずーっと入院して抗がん剤治療をやったんです。で、だんだん痩せ衰えて行って結局3月目くらいに死んじゃったんだけれども、死ぬ前に宥厳先生の言うたとおりにしたら良かったって。だから、今後身内でね誰かこんなおかしな病気になっても、自分の轍は踏まないようにしろよっていうのが遺言で死んでいったんです。

 だから、それはもう顔を見たら三月で死ぬのか、ほっといたらそのまま何事もなしに行けるのか、くらいのことはわかるわけですよ。ね。鼻のかっこ見たってわかる。顎のかっこ見たってわかる。それは健康状態、物を見る目だと思うんだけど、データに体を合わそうとするような人は、まあそのデータに合わすために薬とかいろんなものを飲んで結局根本からつぶしてしまうって言うことになる。

 早めに医者に診てもらったら安心できると思って医者に行くんだけれども、データがちょっとでも異常だとだれでも不安が増すんです。医者に行って、やっぱりここは早く治療した方がいいなんて言われたらどうするか、難しい問題ですね。それは本人が決める問題だから、はたからああしろこうしろとは言えませんね。人間はどれだけ根本的な思考を自分でできる能力があるかどうかと言うことですね。だから、深くものを考えたり、仏教なんかではすぐ懺悔とか反省って言う風な言い方するんだけど、そういう何か自らを省みるというようなことが、本当に出来ない性格の人はやはり今の現在の医学のシステムに乗っかって、結果がどうなろうと、たとえ死のうとそれは死んでしまったらそれは病気のせいにされるわけですからね。医者が悪かったんだってことにはならないですから。だから、まあしょうがないんですけど、本当はやはり思慮深くて賢くないと人間と言うのはね健康も、長寿も全うできないんじゃないかなと思うんですね。ま、そんなことを思います。カレーの匂いがしてきたな。(一同笑)

じゃあ、まあこんな本も、この本はね、片山恒夫先生が自分で自費出版されたんですが、今は農文協で復刻版で出てます。結構まあ、4,000円くらいする高い本ですけどね。まあ、あの1979年1月24日に僕買ったんですね。この頃僕は有害食品研究会の事務局長やってたんですすね。まあ、興味のある人は読んでみてください。それで、この先生が嘆いていられたことでは、これは素晴らしい内容の本なんだけれども、これを書いたW.A.プライス博士は歯医者なんです。歯医者と言うものは西洋医学のいわゆる内科とか外科とか何かやってるような、医者から見ると歯医者って言うのは一段低く見られてるんですね。

 アメリカでも日本でもそうなんだそうですけれどね。低く見てるために、どうせ歯医者の考えることなんかこの程度だろうっていうようなことで相手にしないようなところがあるんですね。で、やっぱり人間って言うのはね、高学歴の人ほど立派で本当のこと知ってるような錯覚をしてるところがあるんですね。つまり人間は権威にいかに弱いかと言うことですよね。で、まあアメリカ・インディアン何かで不思議な予言したりするような人もおったりするんだけども、そういう人たちの経験則と大学病院の権威を持ってる先生、どちらの言うことを信じるかと言うことですね。難しい問題でもありますけど、やはり最終的には自分が選ぶことですからね。

私はこの間久しぶりに歯医者に行ったんですね。それで、この下の2本の歯、ここにちょっと金が入っとったんですよね。今、ないでしょ。きれいになっています。一ヶ月前のパンの仕事のあと、歯が痛みだして、ちょっと風邪っ気もあったので、それでずーっと歯茎の付け根のとこらあたりが腫れて痛み出して、それで歯科医へ行ったらかぶせてるやつ取ってくれてね、それで元の白い歯に戻してくれたんです。あのかぶせてあったのは、本当はしなくてもよかったのに、後で反省したんだけれども、劇団に入って、発声練習やってるときに、演出家にどうも君のサシスセソが分かりにくいと言って、サ行が。サ行の発音が悪いのは前歯に隙間があったんですよね。その隙間のせいで僕はサ行のサの息がここで漏れるからだろうと思って、それで歯医者に行ったら、そしたら蓋してあげましょうって言うので両方の歯にちょっとうちら側からかぶせて、詰めたんですね。

 そのために本当は健康で何の問題もなかった歯を悪くしちゃったのかもしれないけど、50年間も随分長持ちしたわけです。元のような感じになったわけです。

 片山恒夫先生にも歯の磨き方をこんこんと講義のときに聞かされたんですけど、歯磨きは使わないで、柔らかいブラシで時間をかけてみがくのがいいということでした。僕は普段は何もつけないで歯ブラシだけで歯を磨いてるんです。それも安物のホテルから持って帰って来たような歯ブラシで歯を磨くだけです。   
 食後には必ず磨くようにしてるんですけど、歯が痛くなってから、酵素塩をつけて磨いています。高野山に修行に行く時も1キロ持っていってたんですけど、酵素塩で歯を磨いていると割と短期間で痛みも止まるし、歯槽膿漏も治ってくるし、歯がきれいになる。

 高野山で行をしてる時にも修行がハードですから疲れて歯が悪くなってくる人がいて、歯医者に行けませんから酵素塩をあげたら、2,3日すると治って来るというのを経験しました。

 家内は酵素塩はどうも料理につかうのは好みに合わないのか、あまり使わないんですけどね。ちょっと味がまろやかになりすぎる感じはあるんですけどね。歯を磨くのにはよろしいと思います。よかったら試しに使うくらい持って帰って頂いて歯を磨いてみて、ここにありますから。いっぺん磨いてみてください。とっても歯にはいいと思います。

それから、まあ例えば胡麻油で朝うがいするのもとてもいい。胡麻油をね口に含んで5分くらい口内をゆすぐ。朝起きたらまず口の中にゴマ油を入れて、それを含んだまま色々家事をやってるひともいます。歯もよくなるし、それから花粉症や鼻炎も治ってくるし。
(琴美ちゃん)あと髪の毛が黒くなるらしい。
(宥厳先生)らしいです。柳田さん試してください。今から黒くなったら困るね。
(柳田さん)黒くなりますかしら。ちょっと白くなりすぎて、
(宥厳先生)付け根が何か黒いんじゃないん。
(柳田さん)見方によって(笑)
(宥厳先生)じゃあ、まあ護身法やりましょう。



楽健法(17)




Lunch「野菜カレー」
●東光寺カレー(バナナ、マーマレード、なす、ピーマン、人参、じゃがいも、しいたけ、しめじ、玉ねぎ、豆腐、大根、キュウリ、ニンニク、ショウガ、油揚げ、チリメンジャコ、トマト、チーズ)●ハスの実ご飯●スイカ






楽健法の前のストレッチ!?




ムリムリムリムリムリ!!!!!


何ゆってんの!




楽健法(18)?




8/5 15:18「終わりの会」





(宥厳先生)じゃあ、護身法しましょう、はい。
(一同)子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥…

(宥厳先生)まあ、あの、関西は第二週、14日15日くらいがお盆になるので、それで、いつも八月は繰り上げて1週目にしているんですね。地域によって、東京なんかはひと月早いようですけれども、まあそんな関係で第1週で、今度は普通なのでちょっと期間が長くなるかな。
(琴美ちゃん)でもちょっと早めなんだよね。

(宥厳先生)あ、そうか。まあ、そんなことでまだ残暑厳しいですから、皆さんも体に気を付けてください。それで、ネパールに行ってどんなお土産話ができるかわかりませんけれども、まあちょっと外国へ久しぶりに出かけるので、何か初歩から分らなくなってるような感じで(笑)。ビザも取っていないんですね。向こうは入る時にすぐに取れるとかいうようなことで、まあそれで言葉もおぼつかない二人が行くもんですから頼りないですけどね。まあ何かお土産できたら買っておきますので楽しみにしとって頂けたらと思っています。

 なるべく軽くて見栄えが良くて(笑)。安くて。この中でネパールに行かれた方いらっしゃる?誰もいない?あ、あなた行かれたのね。あ、あなたも。まああの色々こう人脈がね次々と世界中に広がって行ったらいいんですけどなかなか人のつながりって言うのはできそうでできないところがあって、出来たかと思ったらいつの間にか切れてしまってたりもするし、ま、しかし、人と円滑にいつも上手く付き合っていくためにはそれなりのオーラを発するような人にならんといかんでしょうし、それから努力もやっぱりいると思うんですね。まあそういう意味では、割と私は色んな人に働きかけたりもしてるんですけど、働きかけられているのもかかわらず、気づいてないこともあったりするかもしれませんけども、まあ、これからも一つ、後まだ来月で6回目?ね。ちょうど真ん中になりますので、頑張って勉強したいと思います。

この第12期は割と欠席の人が結構多いように思いますので、まあ、1回欠席するともう允許状は差し上げないという決まりになっておりますので、休んだ人はもうあきらめていただいて、允許状に関してはね。と言うようなことで補習を受けに来たりしてまあやったりとか、やっぱりほっとくのもかわいそうかなと思ってついおまけをしたりして、補習受けに来ますって言って来ないままになってる人もいたり、やはり。余り甘いことしたらいかんかなと思って。まあ、なるべく休まないように、今回は二人抜けられましたので、休むんだったら二人で休んでください(一同笑)。そうすると代役を探さなくて済むわけですね。ま、そのつもりでよろしくお願いします。どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。













8月の講座ムービー先行公開!

2012年08月06日 | 第12期楽健法セラピスト講座
1.120804「雨上がりのやまとナゼ?しこ」について

2.120804「雨上がりのやまとナゼ?しこ」放送分
プロジェクターで写したものをビデオカメラで録画したもの。あまり美しい画像ではありません。

3.1208043つの詩とどうだん

4.120804あれこれ~東光寺階段~火鉢池~キース・ジャレット阿波踊り

5.120804二日目朝の講義

6.120804二日目終わりの会