楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第4回7月9日(1日目)その1

2011年07月30日 | 第11期楽健法セラピスト講座
第4回 開講
8月に入ると、残暑ともいわれますが、いよいよ夏は真っ盛り、蝉の鳴き盛る季節になってきました。奈良では7月7日に奈良イオンハウスという酵素風呂で楽健法講習会が開かれました。東光寺のこの教室からも、近藤さんと西澤さん新田さん高田さんが参加、だれかが欠席したら代役をいつも気軽にやってくださる梅田さんも参加されました。酵素風呂は宥厳先生ご夫妻は20年以上も毎週2回以上通ったという経験をされていて、いかなる温泉よりも効果があるといつも話されています。講習会には20数名が参加。初心者のかたが半数以上でしたが、宥厳先生のお話のあと、まず酵素風呂に入浴してからお昼の野菜カレーライスをいただき、午後から楽健法の実習でした。はるばる九州や四国からもHPを見て来られたかたもあり、次回も是非参加したいと喜ばれました。

始まる前から、今夜の準備が始まっています。


宥厳先生待ち


先生、登場!!




(宥厳先生)届いたばかりの維新派の案内ポスターを見せながら、、、

維新派って劇団を知ってますか?聞いたことない?なかなか面白い芝居をする劇団ですよ。大がかりな舞台を作ってね。
http://www.ishinha.com/ja/information/news-/1049-2011-06-19-06-29-22.html

あの、これは犬島公園って書いてます。犬島と言うところでやるんですね、岡山の。岡山に犬島って言う瀬戸内海の島があって、そこの島の中でテント劇場みたいなことやるんじゃないかな。何故こんなもの紹介しようかとしたかというと、この維新派っていうのは明治維新の維新って言う字を書くんですね。維新派っていう劇団の、松本雄吉さんと言う人が主宰、演出家です。僕は松本雄吉さんとだいぶ昔から何度かご縁があったんですけど、20何年か前に…21年ほど前かな、この人の演出する芝居に出演を頼まれて、その舞台に私が音楽担当で出たことがあるんですね。音楽と言ったら聞こえがいいんですけど、ピアノを本当は弾いてたんですけど…って言うのは嘘ですけど(笑)。あのー、文楽の人形とかね、そういうのを使って、文楽座から二人ほど若手の人形遣いが出たり、それから、大駱駝艦っていう東京の舞踏やらまあ、演劇やってる、麿赤児さんって言う人ですね、頭を僕のように丸めた割と怪異な容貌の有名な俳優がおります、麿赤児さん、ご存知ですか?麿赤児のこと知ってる人いる?皆さん、ほとんど知らんのやね(一同笑い)。困ったもんですね。顔見たら、ああ、あれか!って、よくテレビにも出ていますからね。とても有名な俳優さんです。この麿赤児さんという方がこの桜井市の出身の方なんですね。それで、麿赤児さんの頭をパーンと叩いた人がおるんです、こん中に。麿赤児の頭を。




(幸子先生)えっ!宥厳さんと、あの~映画館で待ち合わせてるあれがあったんで、一番後ろにいるからねって言うから、私が後から行って、麿赤児が座ってたんだけど、宥厳さんと思って頭をボンっと(一同爆笑)。そんで、後ろ振り返りはって、何や!って(一同笑い)…なんで、間違って、「すいません!まちがえました!」って…と言うことがありました。



(宥厳先生)まあ、そういう男です(一同笑い)。何かよう分ったような、よう分らん話ですけどね。その芝居はね、「パペット」って言う題名…パペットって言うのは人形のことですよね。人形芝居の人形なんですけど。パペットと言う題名の芝居で、はじめはね芝居の台本を僕に書かないかと言う話が別の筋からあったんです。だけど、僕は芝居の台本なんか急によう書かんしと言ってそれは断ったんですよ。そしたらその芝居は秋田実さんっていう、大阪にかつて漫才の作者がいたんですね。秋田実さんの娘がいましてね。この方がやはり物を書いているらしくて、その人がパペットと言う芝居の台本を書かれて上演になったんです。

大阪の上町台地には寺町があるんですけど、そこに大蓮寺っていうお寺があります。そこの大蓮寺のお寺と関係のある人のひとりは皆さんも知ってる人がおります。東京楽健法研究会にも顔を出された秋田寅吉君ですね。寅吉君のお祖父さんがもともと住職をされていたのが大蓮寺っていうお寺なんです。その大蓮寺っていうお寺はパドマ幼稚園っていう大阪では割と有名な幼稚園を昔から経営してて、英才教育の幼稚園ですね。だから、東大などエリートコースに入れようと思ったらまずパドマ幼稚園から始めなくっちゃというような、そういう評価の教育方針で運営してきたとか聞いていますが…お寺が運営している幼稚園ですね。

秋田寅吉君のお祖父さんは早く亡くなって、その弟さんが大蓮寺を引き継いでそれでパドマ幼稚園をやったり、色々な事業をされてお寺を発展させていったわけですね。その息子さんに秋田光彦さんって言う人がいて、さっき上に本があったでしょう?「葬式仏教をしないお寺」っていう、あれを書いたのがその秋田光彦さん。

その人が僕にある日突然電話をかけて来たんです。普段は付き合いはなかったんですけどね、まあお互いに顔は知ってるくらいだったんですけど、ある芝居に出てくれませんかと秋田光彦さんが言って来たんです。その芝居は松本雄吉さんが演出することになっていて、その芝居に出たんです。一回だけの公演だったんですけど維新派の若い連中数名に聲明の特訓をしましてね、私が。それで、みんなお坊さんの衣を着けて、舞台も出ずっぱりで最初からずーっと場面に応じて全部違う聲明をやって行くという演出でしたね。そういう芝居に音楽担当で出たのが東光寺のご縁の不思議な始まりだったんです。

この芝居を見に来ていた観客のなかに、知人ですが、この地元の黒田さんって言う人が来ていました。その黒田さんは当時の愛読書が「二人ヨーガ楽健法」という本だったんです。ほかにもう一冊の愛読書があって、それが「ガンジーの健康論」と言う本だったんです。どちらも私が関係している本を読んでくれていて光栄なことですね。その人がこの芝居を見に来てましてね、芝居が終わった後で楽屋に会いに来られ、桜井の駅前によく散歩に行く東光寺と言うお寺があって、とてもいい場所で私の好きな散歩コースなんですが、無住の荒れたお寺ですから、宥厳さんはそこへ、もし話ができて可能だったらお越しになりますか、と言うような話があって、じゃあ、まあ一度話をしてみてくれますかと言うようなことで。

そうしたら、このお寺のすぐ下に大浦さんって言うおうちがあるんですけど、大浦さんのお父さんはかつて桜井市長をされていたそうです、黒田さんが大浦さんに問い合わせるとこの東光寺山の持ち主がすぐにわかって、ある日突然、今からいらっしゃいませんかと電話が入って、それでここに来たのが東光寺に来るきっかけになったわけですね。

まあ、私が芝居をしたり、他のアーユルヴェーダとかね、色々な活動をしていたってそれで飯が食えるわけでもないし、才能もないのにと思って嘆く人もおるかもしれないけど(笑)、そういうことをすることによってね、何か思いがけない出会いで縁が結ばれ人生の展開があると言うことですね。

だから、人間と言うのは必ずしもそれにピタッとはまってるか、はまってないかは別としても、何か要求があったり、要望があったり、頼まれたりしたときには出来ることだったら引き受けてやってみると言うような形で私は生きてきている。私は大体、話を聞いたら、私はそれはできませんっとか言って即座には断らない方なんですね。普通の人が出来ることだったら僕はだいたいできるはずだと思う楽天家なもんですから、それで、頼まれたらやってみると言うような形で今まで色んなことやってきたんですね。

まあ人間には出来ないことの方が本当は多いかもしれませんけども、常識的に行住坐臥、生活している場で人間がなしうること、普通の人がしていることはたいてい誰でも出来るもんです。

だから、まあ楽健法もそうですけど、そういう意味では上手下手とか、どれくらい極めたかと言うような問題はあるとしても、誰でも何でもやれば出来ると思うんです。だから、今まで頑張っとったのは、今月の短歌を書こうと思ってガンバっとったんですけど、時間がなくて、12~3首詠んだんですけど気に入らなくて、慌てて書いてもろくなことにならんなと思うから、パソコンにらんでいたんですが、梓ちゃんが電話をくれたので諦めて下りて来たんです(一同笑い)。

まあ、皆さんが明日…明日までに書きあげる時間があればやるし、なければ今月はもう短歌はなし、てなことで2,3日先に編集部に送ろうかなっと言うようなところです。

今日は、今、夜に芝居やらインド舞踊やら、北田信さんと言う、阪大の先生をされている、インド学を教えてる先生みたいですけど、その方が、サロットやったかな、確か、楽器。それとタブラ…タブラって言うのはこう2つ太鼓並べてね、パンパンパンっとやるインドの打楽器ですけれども、その組み合わせでインド音楽と、それとマドウ・プリヤさんと言う世にも妙なる美しい…かどうか知りませんけども(失礼!)、女性がインド舞踊を踊って見せてくれます。カーリダーサって、去年も同じ演目だったんですけどね。何かまあ彼女にとっては非常にこう重要な位置づけのダンスらしくて、ま、何かもっと極めたいので今年は去年よりはさらに練り上げて、お見せして頂けるそうです。それで、解説は短かくしろよって言ってあるんですけど(一同笑い)。割と結構長いね、あの、、解説されますね。落ち着いてますね。慌てた気配はどこにもないという、まあ、あれくらいの度胸がないとインド舞踊なんかね、一人で踊れないかもしれませんけどね。

http://rakkenho.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/79-07d0.html東光寺の催し

それと、かぼちゃを炊きますから、皆さんダンスの後でここへ降りて来た時にね、かぼちゃがあったら、自分の食いたい分はさっさとお皿に確保しといてくださいね(一同笑い)。そうでないと、去年はそのインド舞踊の人に怪物がのりうつって一皿全部食べちゃったんだそうです、こんな大きなやつ。

(琴美ちゃん)ひと皿じゃないです、ひと鍋です。
(宥厳先生)あ、ひと鍋!
(一同)え~~~~。(爆)
(宥厳先生)びっくりしてるやん!
(幸子先生)その後にぜんざい3倍食べはったんですよ。(一同爆笑)
(琴美ちゃん)それだけじゃない、かぼちゃの他にもちゃんと食べてんのよ。まぜご飯だか何だか。その恨みを私は覚えている(笑)。私とちあきが帰ってきたらもうないんだもの。
(宥厳先生)だから、まあ皆さん、食べ物は自分で責任を持って(一同爆笑)!!確保してくださいね。ま、あの何かねアイスクリームの美味しのがあったら1kgくらいペロッと食べるとか前言うてましたからね。まあ、あれ太ってたらあんなに食べられないかもしれないね。
(琴美ちゃん)そんな私見ながら言わなくても。(一同大爆笑)
(宥厳先生)すぐひがむ!(幸子先生、ケッケと笑う)。まあ、今から私も含めて楽健法をさーっとやって、ちょっとそんなに超スピードでなくてもいいですけれども、途中で客も来たりしたら、ちょっと私、中座したりするようなことになるかもしれませんから、まあ、早い目に楽健法をやって、それから何かまあ、ゆっこ先生の料理プランに合わせて、皆さん、手伝っていただいて、それで、舞台が終わった後ここでみんなで会食するというような形をいつもやってますので、ちょっと時間がやや変則になるかも知れませんけれども。それから、何人かの方は上で明日の朝のために舞台を元に戻さないといけない。今、空っぽにしてますのでね。ちょっと忙しいですけれども、よろしくお願いします。

(宥厳先生)それではそんなこ~とかな?他に言うとくこと何かなかったかな?
(幸子先生)なるべく早く楽健法して、食事とか、軽く掃除もして頂いて。
(宥厳先生)楽健法はまあ、45分くらいで交代するようにしましょうか。ね!よろしいですか。斉藤先生(一同笑)。

(琴美ちゃん)あ、紹介しておいた方がいいのかね?
(宥厳先生)あっ、あの~この人新人なんですね(一同爆笑)。それで、何か見たことのある人もあるかと思うんですが、東京にお住いの、編集をやっておられる有名な出版社の下っ端か(一同笑)?

(斉藤さん)下っ端です。
(宥厳先生)…かなんかですので、まあ、よろしくお願いします。もう、楽健法はだいぶ長くからね、東京へずっと勉強に来られて、よく私たちも可愛がってもらっております(一同爆笑)。それじゃあぁ、組み合わせ決まった?じゃあ、護身法やってから始めましょう。



楽健法(11)



準備中~




先生、さっそくFacebookにスマホから投稿!!ブログかな?


人が集まってきました…ん?受講生?


ドキドキワクワク(((o(^▽^)o)))


梓ちゃん、激写ちぅ~








7/9 18:31
●本堂は護摩壇がしまわれて、フラットになったスペースが舞台となる。
6:30分にベストドレッサーの幸子先生が登場。


(幸子先生)本日はお忙しい中をようこそ、また恒例の踊りや演奏をしたいと思いますので、じっくり楽しんで帰っていただきたいと思います。そして、終わりましたら、下に少し食事も用意していますので、それも含めて楽しんでいただけたらといます。どうぞ、ごゆっくりと。

林の中にキラキラ



(北田信さん)まず、調弦をしますので、数分お待ちください。


(北田信さん)みなさん、ようこそお越しくださいました。わたくし、今日インド音楽を演奏させていただきます、北田信(まこと)と申します。こちら、太鼓を演奏なさる高巣 泰輔さんでございます。それから、こちらで、今日観客として来ていただいたのに無理言ってお願いしてタンクーラっていう弦楽器をですね、演奏なさって、お名前は岡田かよこさんです。本当は同じタブラ系ですね。インドの太鼓を演奏なさる方なんですけど、今日特別お願いして、お手伝いしていただくことになりました。






今日はですね、この後、マドゥ・プリヤさんがですね、パラダナティアム、インド舞踊をなさると、その時の演目がですね、紀元4世紀のインド最大の詩人カーリダーサの代表作シャクンタラー姫、このシャクンタラー姫のですね、最初の劇が始まるところの場面にちなんだ曲というのをですね、インド古典の音楽、古典音楽の旋律家がいられまして、お手元のわたくしどものレジュメを、というか資料をご覧頂くと、名前がそこについてございますが、「ラーガケーダーラ」というですね、非常に古いこのカーリダーサもおそらく聞いたであろうといわれるメロディーなんですけれども、この夏の暑い日差しが、日が落ちましてですね、あたりが涼しくなってくると、その時にですね、湖に、湖のほとりで楽器を弾いたりだとかですね、少し、しゃべったりなどして、みんなが夕涼みをしてていると、そのような情景を描写したメロディーでございます。それではですね、しばらくの間20分程度を予定しておりますが、お付き合いよろしくお願いいたします。







インド舞踊~マドゥ・プリヤ~
東光寺で初舞台を踏んでから、いつのまにか10周年を迎えることになりました。
これも東光寺の神様の豊かな恩恵と、山内先生、幸子先生、生徒の皆さまの暖かいサポートのおかげです。
本当にありがとうございます。

色々考えた末、演目は昨年と同じ、カーリダーサの戯曲「シャクンタラー姫」にしました。
とても難しい曲で、まだまだ未完成なのですが、私なりに推敲を重ねてきたつもりです。
10周年の記念の感謝もこめて、精一杯踊りたいと思います。

この曲は私の師匠が約40年前に振付けし、長い間封印されていたものでしたが、ようやく2年前、師匠の娘によってリバイバル上演された大変貴重な作品です。
皆様とこの美しい物語と音楽と振付を、ライヴで生き生きと、願わくば前回よりも、深く鮮やかな形で、共有できるのを楽しみにしています♪

この演目では、森にすむシャクンタラー姫が、愛を誓い合ったドゥフシャンタ王を想い、自分を迎えに来てくれる日を待ち焦がれ続けたあげく、とうとう自分が森を出て王の城へ向かおうと決心するまでを描いています。

王を待ち続けてすっかり憔悴してしまった彼女は、蓮の葉にドゥフシャンタ王へラブレターを書き、王のもとへと届けてくれるよう、仲良しの鳥にその手紙を託します。。。




































独り芝居「がらんどうは歌う」 山内宥厳


























閉演のあいさつ




懇親会~










後片付けしましょう~

第4回7月10日(2日目)その2

2011年07月30日 | 第11期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~



朝のお勤め
















朝の作務


高く昇った太陽






朝食
●かぼちゃスープ●野菜サラダ(メロン・リンゴ・きゅうり・アボカド・グレープフルーツ・トマト・レタス・赤玉ねぎ・セロリ)●天然酵母パン


ん?


亀仙人だ~(笑)








7/10 9:22
準備ちぅ~





初伝、伝授!








おめでとうございます~。



(宥厳先生)マドゥ・プリヤさん、まだ時間大丈夫?どうも、昨日は忙しい思いをさせまして、どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)色々と、あまり普段やらないことをするので、皆さんもしんどかったかもしれないけど、それなりに勉強になることも、面白いこともあったかなと思います。どうですか、感想は。一言、マドゥ・プリヤさんのインド舞踊について、いかがでしたか。誰も言うことない?感極まってものが言えない(一同笑)。

毎年ね、もう10年…10回目?ちょうど10回目、毎年やってくれてまして、今回はインド音楽の先生を紹介していただいて、あの先生が何かアーユルヴェーダの博士論文を近く本にして出されるそうなんですよ。アーユルヴェーダの研究されてるらしくて、私は詳しいことは存じ上げないんですけど、阪大の助教授になられたんですね。それで、あの、私は本堂にたくさん本を置いてありましたけど、あの本はいらないのでほしい人があったら持って帰っていただいたらいんですが、あの中に、アーユルヴェーダの紀要ですね、学術刊行物の年に1回出してた雑誌とか、年に4回出していた「シャーンティマールガ」っていう本をもう私多分見る機会も見る気もしないので、全部捨てようと思って置いてあったら、その先生が全部持って行ってくださったんで、大助かりでした。ゴミ箱に入れたんではね。

(マドゥ・プリヤさん)本当に喜んでました。

(宥厳先生)持って行っていただけて、私も本当にうれしかったです。ありがとうございました。他に持ってて役に立たない本とかね、私にとってはですよ!有用な人にとっては本当に大事な本になるんですけどね、ま、何かチベット語の辞書だか、英語の大医学事典だとか、ま、いろんな本があったんですけど、引き取っていただけたので喜んでいます。後もまあ少し、そこも空にしたらカラッとするかなと、この頃片付け魔になってきそうな(笑)

(琴美ちゃん)断捨離や!

(宥厳先生)断捨離なんて言うほど大したことじゃないんですけどね、ちょっと整理しておかないと、物が増え続けても困るしというので…。

それで「どうだん」の、いつも2,3日前には書くようにしとったんですけども、ま、芝居のセリフも頭に入らないし、何か伴奏してくれる人も色々としんどかったと思うんですけど、ありがとうございました。

(西澤さん)いえいえ…。

(宥厳先生)あのー、山田耕作さんじゃなくて…山田耕太郎さん?…そうそう、ダーリン!!(一同笑)ダーリンが、とても誉めていました。あなたのピアノを。あのテンペストをゆっくりとやる、ああいうペースで弾くとはなかなかいいとか言うてましたよ。

(西澤さん)めちゃくちゃアレンジだから。

(宥厳先生)そんなこと言うて、昨日、感動したって言うてました。泣きそうだったって。
(琴美ちゃん)何か辛いことがあったのかな。(一同爆笑)
(宥厳先生)僕の芝居のことは何も言うてなかった(一同笑)。まあ、またこんなことを毎年元気な間はやれるかなと思うんですけど、もう「がらんどうは歌う」も今回が見おさめかもしれないし、皆さんは貴重な舞台を見たかもしれないですね。まあ、わかりませんからね、明日のことは。それで、今ちょっと書いてきた、下手な短歌をサーっと紹介します。

(宥厳先生)また読んでくれる?
(早坂さん)はい。ちょっとメガネがないのであやふや…。これは、これはミカンの樒(しきみ)って読むんですか。

(宥厳先生)はい。
(宥厳先生)樒でいいですか?

(宥厳先生)はいはいはい。








「どうだん」八月号 山内宥厳*

○雨季のよう晴れ止まぬこと多かりき自省をしつつ前に行くのみ

○五十回忌隔てておのれのありようを振り返りみる炎天墓前

○晴れ止まぬ気分が多き過去なれど記憶の祖母はからっと笑う

○炎天下ペットボトルを輪切りして樒供えし小さな墓前

○駆け抜けた淡路の道はその昔祖母の育ちし故郷なれども

○転居する娘一家の暗転に祖母黙々と大八車(くるま)曳くなり

○清水寺の初めて座る本堂に院主と居並び理趣経読む

○本堂にともるちいさな照明の赤き光に空爆を見る

○がらんどうの心のなかに開く花しぼんで枯れた花もあるらん

○日めくりの先に待ちうく何事か原発事故の見えない煙








(宥厳先生)説明の必要ないですね。こんな歌をさっき作りました。祖母の五十回忌が先月あって、今すだちを送ってくれたのがいとこで、私には今いとこが一人しかおらんのですね。彼だけです。3人いとこがおったんですけど、2人死んじゃったもんだから(笑)。まあ、みなさん、いとこって言ったら数が沢山いる人もあるかと思うんですけど、私には母方の親戚に2人のいとこがいてその一人が生き残ってて、この間、久しぶりに会うたんですけど、89歳になってて、まあ、何か若い時から文学を、小説を書いたりなんかして、ずっと若い頃は瀬戸内晴美さんとも一緒に同人雑誌に小説なんか書いたりしていたいとこですね。で、小松島っていう徳島の、小松島市っていう市役所に長年勤めていて、それで助役なんかも務めたりしてて、それなりの品格のある上品なお年寄りになってましたね。

ちょっとボケてるとか息子さんは言ってましたけど。何かお金はしっかり握ってるらしい(爆)。家内にはお金渡したら駄目よ、とか言われてましたね。取ること考えないといけないとかいって、まあ、そんないとこでしたけどね。それが50回忌。まあ、なんか徳島は60回忌をする人もいるとか住職が言うてましたから、まあ60回忌まで頑張るかって、その人は100歳になりますからね。その頃はこっちの方が先にあっへ行ってたりして。そういうこともあるかもしれませんけれども。

それで、先月なんかは原発事故の歌とかけっこうそういうのがあったんですけど、今日本ではその原発についてはもう大したことは起こりませんよというような雰囲気が蔓延しつつありますね。危機感をあおらないように、うまく報道管制がされてて、それで原爆のホットスポットって言って一番放射能が強いような地域に住んでる子供でもですね、九州大学大学かなんかに山下俊一なんて先生がいて、全然怖くないから校庭で心配せずに、遊びまくりなさい、とか講演して歩いたりとかしてるんですね。原発事故の直後に。それで、それがだいぶ叩かれて、山下俊一はへっこんでしまいましたけどね。しかし、全然怖くないとかね、中には放射能は健康にいいんですよ。病気が治る人が随分出てくると思います、なんて言う東大卒の医学博士かなんかが現れたりしています。

要するに危機感を持たさないような情報を故意に流すことで、実際にリザルト(結果)が出てくるのは何年か先のことですから、そういう結果が出てきて、数年先から千人単位以上の子供たちが甲状腺ガンになってくると私は思ってるんだけど、その時はその時で、まだ数年先のことだから、原因は原発だとは必ずしも言えないとか言って出来るだけ逃げてしまおうという政府や東電の腹積もりだろうと思うんですね。

いつもそういう手で行政というのは行われてきましたからね。だから、政府というのは国民を大切にすることを行政する連中ではなくて、野党に回ったら何か正義の味方みたいなこと言って、自民党だって自分が悪いこといっぱいやってきてね、今度政権が代わるといかにも偉そうな顔してたたきに回るんですけれども、誰が出てきても結局は何も国民にとってはいいことが起こらない、そういう仕組みになっていますね。

(宥厳先生)政府が年間20ミリシーベルトまで大丈夫なんて基準にしようとしたり、それに猛反発が起こってまた基準を下げたりしていますが、基準値が低いから安心ってことじゃなくて、量の多寡にかかわらず放射能っていうのは内部に入ったら悪い影響があるんですよね。だから、政府が基準値を高めに設定すれば、病人が発生したときに、基準値より低い地域なんだから、もし甲状腺ガンの子供が現れても、それは放射能のせいではありませんというような逃げ口上にできるんですね。

そのために基準値というものをね、どっかに線引いとくんですね。ま、そういう逃げの手ばっかり東電も政府も考えてるわけです。そういう人たちを相手に、原発でついた電気の下で楽健法を勉強するという皮肉な巡り合わせになってるわけです。今しかし、原発は多分まあ廃止の方向に行かざるを得ないだろうと思うんですね。通産省が抵抗運動をやっているらしいですけれどもね。今の間抜けに見える菅さんでも反原発の方向へ引っ張って行ってる傾向はあるように思いますけれどもね。まあ、どうなるやらなかなかわかりませんけれども。

まあ、こんなことで、今日は本当に、昨日からありがとうございました。じゃ、今から楽健法やって。もう護身法やったのね?ま、護身法抜きでやりましょう。今日は誰かな。

では、やりましょう、これで。楽健法。どうも、ありがとうございました。

(マドゥ・プリヤさん)どうもありがとうございました。
(一同)どうもありがとうございました。お疲れ様でした。



楽健法(12)



シーツの洗濯、パンパンパン




昼食~茶がゆセット~
●茶がゆ●ウリのしょうゆ漬け●スイカの皮の塩漬け●豆腐とモロヘイヤと煎りカツオ添え●なす・にんじん・馬鈴薯・きのこ・ささげ・あぶらげの煮物●きゅうりもみ●チャイ




楽健法(13)




7/10 15:29

(宥厳先生)みんなそろったのかな、これで。いない人は誰かおる?ちあきがおらんぞ!
(琴美ちゃん)ちあき、後ろにいるよ!(一同笑)



(宥厳先生)バタバタとした一日が終わりました…二日間終わりました。ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)え~っと来月は第一週になりますので、間違えないようにね(一同笑)。何か他に皆さん気付いたこととか、要望とかなかったですか?今んとこないね!あの~今…これからね、暑いので今パンがちょっと難しいんですね。下手すると過発酵になってぺしゃんとなったりなかなか思うようにいきません。それで、パン種作るときとか、ちょっと低温の方がむしろうまくいくと思うんですね。まあ、パン種がしっかりできておれば、パン作るときにも水、冷たいの使ったりしてやればうまくいくと思います。氷ほりこんだりして、こねる人もおるようですね。ま、うちの楽健寺の方もパンがちょっと暑いので、少し早い目に取り掛からないといかんなあと思って、何か作業時間もたもたしてると、後のやつが追っかけてくるんです。何かパンが荒れてきたりしてちょっと、ま、量が多すぎるって言うこともあるんですけど、ま、それこなさないといけない。四苦八苦しながらやってるんですけど。まあ、それじゃあ暑いですから、夏風邪いたりしないように、それから、居眠り運転して事故起こしたりしないように気を付けてください。では、まあ、これで。
(一同)ありがとうございました。



(宥厳先生)他に言うことない?



(幸子先生)ええ、何で来月?
(宥厳先生)え、第一週って知らなかったん?じゃ、あんた第二週にいらっしゃい(一同笑)第一週にしとかないと、お盆に重なるからね。関東の…関東はお盆七月か?
(受講生)うちの実家は八月です。東京は七月。
(宥厳先生)ちょうどお盆になってね、法事とか何とか言って来られないって言う事情も…。あ、それからさっきちょっと野田さんから質問があったりしたんですけど、さっき三人ほど允許状渡しましたけどね、あの私の方からはあまり、こう、一年経ったから初伝どうですか、と声を掛けないようにしています。人から聞いて何かもらえるんだ、と言うような形で一年以上、ここの東光寺へ第四週に勉強に来た人にね、初伝、希望すれば出すようにしています。僕の方からは取れますよ、とか取って下さいとか声を掛けないようにしてる。お金もかかることですから。私の頭の中には楽健法って言うのはできたらいいんで、免許状のあるなしに関係なしだという風に思ってるもんですから。あんまり允許状取るためにね、教えているわけじゃないので、だから、あなたは回数クリアしたから三万円持って允許状渡しますから、と言う風には言いませんので、誤解しないように。
(野田さん)いえ、誤解します!知らなかったです。二人がちゃんと申請してて、私は割とみんなと細かいコミュニケーション取ってるわけじゃありませんので、自分一人ですから。だから、聞いたことないです。
(宥厳先生)まあ、いちいち聞いて、みなさん、あっそうなんだと思って来てるわけです。だから、別にあなたに内緒にしてる訳でも、のけ者にしてる訳でもなんでもないので。
(野田さん)のけ者です。
(宥厳先生)ひがまないように!(一同笑)。ま、そんなことですね。了解いただけたらそれでよろしい。まあ、あんまりお金のことを、かかることはね、僕はなるべく負担掛けないようにしようと思って。そんなん、免許状なんかいらんじゃないですかって必要もない人にはそういう風に言ってるわけです。だから、まあ自分でちゃんと、実力…実力と言うよりは踏めるようになればいいことで私の基本的な考え方はそれです。まあ、ご理解いただいて。

(宥厳先生)じゃあ、これで終りましょう。どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。


第3回6月11日(1日目)その1

2011年07月03日 | 第11期楽健法セラピスト講座
6/11 13:08
(宥厳先生)楽健法を始める前にちょっとお話しします。おはようございます。
(一同)おはようございま~す。



(宥厳先生)あの、横向いてる人こっち向いてください(笑)。蒸し暑いですね、この天気が。こんなポスターが届いています。これは東光寺で九月三日の土曜日にここで演奏会やります。上の本堂で。奈良のあるNPOで音楽をアートセッションと書かれていますが、アートセッションが名前かなNPOの、奈良県の在住の演奏家の人たちで編成して、安い料金でいろんなところでね音楽に親しんでもらおうという企画のようです。

奈良県下の寺とかで演奏会をやって、そういうのが定着してきて力がついてきたら生駒に音楽村を作る、そういう目的で活動してるグループなんですね。

今回東光寺で企画されてるのは、「お寺で楽しむヨーガミュージック」。それで、ここに話に来られた横山さんという方が瞑想音楽などの作曲を手掛けてるらしいですね、今回それをここでやるということです。何故、九月三日かというと、三日の日は皆さんは来られない日ですけれどもね、東京の生徒さん達の二泊三日の合宿をここでやります。その土曜日にあわせて企画してるわけです。

ま、そんなことでここの本堂はあまり広くないので、たくさんは入れないですけど、まあ障子を全部はずしたら50人くらいは周りからも見られるかな。東京からの合宿20何人かな?
(琴美ちゃん)4人。
(宥厳先生)24人、今。まあ、そんなことです。入場料は1,000円で極めて安いんですけどね。これが案内ビラですから、奈良の人は興味がありそうな誰かに紹介してあげてほしい。

それと、来月はここでマドゥ・プリヤさんのインド舞踊などがあります。



東光寺7月7日公演プログラム
●マドゥ・プリヤ(インド舞踊) カーリダーサの戯曲「シャクンタラー姫」
●北田 信 (サロット)
アミット・ロイ氏に北インド古典音楽を師事。
中央アジア起源の弦楽器サロッドを演奏する。
ドイツの大学でサンスクリット語とアーユルヴェーダについての博士論文を書き、現在は大阪大学外国語学部でインド・パキスタンの“詩と歌の言葉”ウルドゥー語を教えている。
●高巣 泰輔 (タブラ)
リズムのシャーマニックな世界に魅せられ1997年からパーカッションを初め様々なミュージシャンと共演
2003年からタブラをクル ブーシャンバールガヴァ氏に師事
現在古典音楽に限らず様々なジャンルのアーティストと活動中。
一人芝居(がらんどうは歌う)作・出演
●山内宥厳 
●西澤真由美 (ピアノ) 



北田信さんは、大阪大学でインド学を教えている先生で、サロットというインドの楽器を演奏されるのです。高巣 泰輔さんはタブラ…タブラってインドの太鼓ですけどね、タブラの演奏をやってる人も来られてやる予定です。

インド舞踊と、そのインド音楽、2つの後にピアニストの西澤真由美さんって言う方が私と共演してくださいまして(一同笑い)。「がらんどうは歌う」をやります。今日もちょっとさっき練習してたんですけど、宥厳さんがさっぱりセリフを覚えてなくて頼りないんですが琴美ちゃんによると本番に強いから大丈夫やろとか言うことです、まあ、そういう予定です。
(幸子先生)間違えててもわかれへん。
(宥厳先生)色々遊ぶこと考えて生きてますので、世の中で一番面白いのは何かって言ったらね、やっぱり芝居をして遊ぶのが一番面白いんですね。私にとっては。だけど、好きなことばかりさせてくれないっていうのが、この人生の皮肉なところで(笑)。

それで、今日も例によって、毎月の短歌をちょっと書いてきましたので、これは昨日…昨夜仕上げたのかな。昨日の朝から書かなくてはと思い、パソコンに向かってもなかなか書く気にならなくて他のことばかりしています。毎月十首ずつ書いてると段々、書くことが減って行くような気がして、詩や短歌を書くと言うことはそういうことですね。なんにも思いつかなくなるような気分になったりするんですけど、そこから抜けられないとスランプといわれる状態になる。まあ、そういうときに少し、こう物の見方、視野を変えてみるんですね、自分を他人を見るように客観視する。自分を見つめる目が甘いと何も書けなくなっちゃうんだろうと思うんです。すぐに枯渇してしまった気分になってね。

それで、毎月あんまり大した歌も書けないし、もう嫌やな、とも思いながら、まあしかし、視野を変えて自分を眺めて、この皆さんが来るのに合わせて何とか仕上げたろうと思って、ま、昨日書いたんです。例によって早坂さんにやってもらおうか。お願いします。





どうだん 七月号  山内宥厳*

○夜遅く鳴る電話機の向こうから初めてですがと故郷なまり

○今日までの長き来歴縷々という同郷のよしみか初めてのひと

○人ごとにあらずと思う運命の流れのままに今日も明日も

○我が生家眉山の麓佐古の町小学校の真ん前なりき

○阿津航路そんな呼称の汽船にて小松島港から出でし故郷

○船底に七人家族身を寄せて見えない明日に向かって座る

○空襲の瓦礫広がる大阪の焼け跡のさま津波に似たり

○枇杷の葉を鋏で刻み瓶にいれホワイトリカーを注いで閉じる

○二リットルの瓶に醸した枇杷の液浴後に爽快全身に塗る

○やや曲がる妻の背中にたなごごろ触れて疲れの深さを測る







(宥厳先生)どうもありがとうございます。なかなか素晴らしい歌でした、とか言って(笑)。この夜遅く電話をかけて来たのは徳島県の人で、それで、VOICEっていうテレビを見ましたって言って、自宅の電話が今故障してて公衆電話からかけてます、最初は「徳島からです」とか言ってちょっと話しかけたらポツンと切れちゃったんですね。そしたら、また電話が公衆電話からかかってきて、それで、「徳島の新町と言うところです」とか何とか言うから、それで、僕も徳島生まれなんですって言うようなことを言ったら、急に阿波なまりになって(一同笑い)。で、徳島弁で「あんたもほうなんで?」ってな感じで、色々話してる内に、何か21歳の時にご主人が亡くなって、そのときすでに子供が二人おったようですね。今、60過ぎや言うてましたけれど。だから、21歳で子供が2人おってご主人が亡くなってるって言うのはね、だいぶ早く結婚して早く子供が出来たんじゃないかなと思って。何か徳島では有名な和菓子屋の経営をやってて、お店をずっと背負ってこられたそうです。

ま、そんな話を、なんとかいう菓子の名前知りませんかって、今もやってるんですか?って聞いたら「今はもうやってない」って言ってましたけどね、何かそんな老舗の和菓子屋さんかなんかだったような女の人で、それで、東光寺へ1か月ほど泊めて頂いて弟子にして頂いて、勉強したいって言うから、それは困りますって言って(一同大爆笑)、困りますって、断わりはしなかったんですけど、しかし、そんなしなくても、本とDVDでまず勉強しろって言って、ま、とりあえず急場はしのいだんですけど、まあ、それで色々苦労話を電話の向こうで阿波の言葉で喋られたわけです。ちょっと何か喋り方からいうと、まあO型かな~…ねぇ(一同笑い)。そんな感じがした。あ、B型かもしれない!B型の人ここにいないね、僕以外。
(受講生)いるいる!(一同笑い)
(宥厳先生)B型の人は非常に賑やかな人が結構おるかもしれない。O型はいない?あんた、O型?
(受講生)A型です。
(宥厳先生)A型か!いやあ、聞かんでもわかっとる、顔見たら。あの、ヴァータ、ピッタ、カファって言って、そうそうそう、思い出した。このチャラカもね読んだら分りますけど、トリドーシャって言う体質のチェックで行くとね、あなたはピッタ!A型の人はピッタが割と多いような気がしますね。
(受講生)O型は?
(宥厳先生)O型?あなたはどちらかと言うと…ヴァータ…ピッタ…カファ、やね。カファとワータカファって言う方だと思います。まあ、ミックスするわけよね。
(受講生)私B型系のO型なんです。
(宥厳先生)B型系のO型なんてあるの?OB型?もう、人生を卒業してOBになっちゃったのね(一同爆笑)。

まあ、そんなんで、次のは
○夜遅く鳴る電話機の向こうから初めてですがと故郷なまり

次のは、
○今日までの長き来歴縷々という同郷のよしみか初めてのひと
同郷のよしみか親しげに何か急になっちゃって。それで、話してる内に分って来たんですが、私のお墓、家のね、山内家のお墓って言うのが、徳島県の佐古の駅の近くに「こざんまい」と昔から言う墓地があって、どんな字を書くのか知らんのですけど、来光寺ともいいますがコザンマイと地元では言ってる墓地があって、ちょうどそこにうちの墓があるんですけど、そこのお寺を管理してる般若寺っていうお寺が寺町にあるんですね。で、この電話をかけて来た女の人と話してたら、「東光寺は何宗ですか」って聞くので「真言宗です」と言うと、うちも真言宗で般若寺ですっていうんですね。般若寺ですって言うたら、宮崎さんっていう住職が知ってる人なんですね、で同じお寺の檀家だということが分かったんです、面白いですね、因縁というのは。それで、その人の話を聞きながら、

○人ごとにあらずと思う運命の流れのままに今日も明日も
ま、この人電話くれたから、3つ4つ歌が出来たわけです(一同笑い)。それから自分のことも思い出してみて、それ書いてみたんです。

○我が生家眉山の麓佐古の町小学校の真ん前なりき
こんなん歌か?っていう感じだけど(笑)。ま、小学校の前に家がありました、という歌ですね。ま、この小学校に、柳の木とポプラの木がたくさん植わってて、その柳の木の茂った枝の上の方に私は巣を作ったりして、そこから下界を観察するのが子供の時の趣味だったから、板を持って上がっては人の見えないところに、木の上に巣を作ってね、そこから下界を観察してたんです。

私のおじさんにびっこの、いつも松葉づえで歩いているまさやんっておじさんがいてね、それで、遠くからうちにたかりにくるんですよ。なんかかんか言うては。父親の義理の兄貴なんですけどね。それがうちの近くに来るまではタッタタッタと歩いて来るんですよ(一同笑い)。家が近付くと途端にこう重症になる、と言うのを上から観察してたわけです(一同爆笑)。まあ、そういう巣を作ったりして下界を見下ろしとったんです。ま、そんな小学校なんですね。

○阿津航路そんな呼称の汽船にて小松島港から出でし故

で、これは摂津航路って書いてるのは間違いで阿波の阿に摂津って書く、阿摂航路って言ってたんですね。徳島・大阪間を往復してる船ですね。それで、ちょうど昭和21年ごろ、
徳島丸とか言う1,000tくらいの船と、ときわ丸って言うのもありましたね。それから、山水丸って言って山の水の丸ね、山水丸って、3つくらいの船が通ってて、よくそれに乗って、四国との間往復したんですけど、一番最初、大阪へ出てくる時は船底に7人家族ですね。子供5人で、大阪で後2人生まれて9人家族になるんですけど、ま、7人家族は昭和21年の寒い時期に、ちょうど11月か12月ごろやったかなと思うんですけど、年越してたのかもわかんないね。

それで、船底に乗って、それで徳島丸で最初に7時間ほどかかって、神戸について、それからまた大阪港まで、天保山まで船が着くんです。その船底には丸窓があって、こう、一番底に丸い船の窓で、子供の顔がちょうどはまるくらいの船の丸窓なんですけど、そこから覗くと神戸港につくとたくさん船が沈没しててね、それがこうひっくり返って、ちょうど戦争で、空襲で、アメリカの空襲で沈められた船がそのままになってる。それで、まだ当時は機雷も落ちてると言うので、ちゃんと調べて、機雷の落ちてないところ、うっかり機雷に触れると、もうそれこそまた沈没しますからね。ま、そういう状況の中でしたね、まだ昭和21年。

そういう時に大阪に出てきて、それで、人ごとにあらずと思う運命がずっと始まったわけですね。それが延々と繋がってきて、まあ今日になっておるわけです。だから、大阪へ私が出てくると言うのが、母屋を貸して…じゃない、ひさしを貸して母屋を取られる話があるんですけど、戦争の時に、今度、来月やる芝居では私の家も燃えてしまったという話になってるんですけど、本当は私の家は燃えなかったんです。燃えなかったことが一種の皮肉なことで、ちいちゃな狭い平屋の借家に住んでたんですけど、三軒向こうまで燃えてきて私のとこは燃えなかったんですね。

で、燃えなかったら、焼け出された身内の人やら、身内でない人やらどっかの名前も知らないような拝み屋の老夫婦とかね、色んな人が置いてくれて言われたらよう断らん両親で、どうぞって言うて、次々と家に入れておったもんですから、特攻隊の復員してきた青年とかね。そんなんがみんな狭い家に、一時は16人もおった。

ま、そういう状況だったもんですから、父親とそのすぐ下の弟のさあやんっていう、五月さんっていう、コックをしてるね、わりとイケメンのおじさんがいたんです。このイケメンのおじさんがコックさんですごくよく女にモテるらしくて、まあ東京にも私のいとこがおるらしいとむかし聞いたことはあるんですけど、見たこともないんですけど、そういうおじさんでした。

当時はまだ若くて、それで日本の男は国内で、兵隊に行かない人でもみんな頭、丸刈りにされて、そうでないと非国民みたいに言われて長髪の人なんていなかった一人も。だけど、うちのおじはどういうわけかオールバックでピューっとポマード付けてピカッと光らせて、さっそうとこう上原謙みたいなタイプですね。さっそうと歩いてるんですよ。

それで、何をしてるのかようわからないんだけど、昼になったら三時ごろに風呂屋があくと風呂屋に行って帰ってきてそれから夕方になったらどっかに出かけるというようなことで、まあ、コックさんですからね、そんなことしとったんでしょうね。で、戦争中は軍人さんの連隊が小学校にたくさん来てましてね、その一番偉い隊長みたいなひとがどこか近くの民家の大きな屋敷を借りてそこに隊長がおったんですね。それで、兵隊さんは教室にゴロゴロっと50人くらい、いくつもの教室使って兵隊がどういうわけか小学校におったんですが、五月のおじが何でか知らないけど、家出ていったかと思ったら、その隊長のいる家に入って行ってね、何か仕事しとったみたいですね。だから、隊長のコックやってたかもわからん。

ま、そんなおじでしたけれども、これも焼け出されて、家に来て、それが若者に人気があって、近所にまだ若い子がいるんですけど、そういうのが遊びに来て「さあやん、さあやん」って遊びに来て、おもしろい話などするんだろうと思うんです、きっと。そのうちそれがオイチョカブを家で始めたりするんですよ。隣の部屋で。

そうしたら、父親がものすごくカタブツなもんで、子供の教育にならんって言って、もう許せないわけです。だけど、出て行けとは言わないわけですよ、親父は。何かね注意すると、つべこべいうことないじゃないかってなことで喧嘩になるんですよ。兄弟げんかするんですよ。いい男がね。まだ、親父も30代だったと思うんです。

居候になった中に、親父の幼馴染で家具の職人で「ぶーやん」って言う男がいて、なんで「ぶーやん」って言うのか知らないんですけど、ぶーやんていう名前のおっちゃんがいたんですね。このおっちゃんも一緒に夜になったらうちへ来て寝るわけです。それで、朝になったら布団を抱えて帰って行くんですね。

妹の家が近くにあるんです。ところが妹の家もそこそこスペースあるのに、そこには泊めてくれないわけですよ。それでうちに泊りに来る。このぶーやんには悲しい病気があってね、夜中になるとおねしょするんです。それで、おねしょして、大人がおねしょするんだからね、だから、まあ、そーっと布団持って出て行くんだけど、それをまた天気になったら干して、また持ってきて敷くもんだからまあ、におうんでしょうね。

僕はまあそこまで覚えてないけど。さーやんが綺麗好きでね。あんな臭いの泊めるなって言うわけですよ。親父に。そんなこと言えるか!って言ってね。もう昔からの友達で、ぶーやんって言う人はもう家具だって、何もかも作るような腕のいい職人じゃないんだけれども、坊主椅子って言うのを作るのがとても上手なんです。坊主椅子って丸い木のテーブルに足が四本ついて下にクロスしてるね、飲み屋でよく置いてる。ああいう坊主椅子作らしたらね、このぶーやんの右に出るものおらんっていって親父が誉めるんですね。

それはもう驚くべき速度で素晴らしい坊主椅子を作るらしいです。僕の父親も徳島では伝説的な有名な腕のいい仕事の早い、手綺麗な仕事をする有名な男だったんですけど、その男がぶーやんを誉めるんですね。それしかようせんのですけど。まあ、可愛がってたわけでしょうね。

それを出て行けとか言われてやるもんだから、その内にオイチョカブ始めるし、隣の部屋で。それがもう親父が許せなくて、こんな家におるわけにはいかん!俺が出て行く!って(一同笑い)。それで、友達に、近所に2キロくらい離れた友達にね、1か月したら出て行くから、とりあえず1か月おいてくれって言ってある日突然荷物をまとめて大八車に積んでね、さいならって言ってその家出て行ったんです。それが一家の放浪の始まりなんです。

それから転々とね、徳島で戦争が終わるまでに、終わってからもですね、徳島の県内で2回ほど引っ越しして、その翌年に大阪に引っ越してきたわけですね。ま、そんなことがあって船底でこう、神戸の港で、ああ、船が沈んでるとかって見とったわけですね。僕はとってもやんちゃな坊主だったんですけど、ま、そんなことを思い出しながらこう書いたわけです。それで、
○船底に七人家族身を寄せて見えない明日に向かって座る



○空襲の瓦礫広がる大阪の焼け跡のさま津波に似たり
この間の津波の風景を思い出すんですけど、まああの、津波よりはね空襲の方がきれいさっぱりしてるんです。それは、全部燃やしてしまうから火をつけて。それでまあ、当時はそんなに、シックハウスになるような悪い建材も使ってないでしょうから、まあ木と紙と瓦でできた家ばかりですね。だから、アメリカの飛行機が日本の街に空襲をかける時にはどういう材料で作った建物かよく研究してて、それで上空まで飛んできた時に、ガソリンをまくんですね。バーっと。何か濡れた!と思うとガソリンとか廃油が顔にかかってくるわけですよ。ガソリンをまいたあとで焼夷弾をバーっと落とすわけです。だから、焼夷弾が落とされたら一瞬にしてボーンっと爆発的に火が広がりますね。

まあ、そうやって人間を殺す研究にかけては、すごい能力を持っています。なかなか人を効率よくたくさん殺すってのは難しいんですね。それでがだんだん完成に近づいてきて、それで原爆にまでいくわけですね。だから、まあ東京の大空襲でもね、10万人、一晩で焼き殺されましたけど、あれなんか空襲を起こす前に無計画に、めくらめっぽう爆弾落とさないんですね。まず向こうの方から焼夷弾落として火をつけて、それでこうみんなが火のないほうへ逃げますよね、どうしても。で、火のない方に逃げて来たところに隅田川があって、それで隅田川の橋の向こう側は燃えてないわけですよ、だから、向こう側へ逃げたら助かるって、10万人もの人がワーッと逃げて来て、もう押し合いへしあいしながら橋を渡って向こうへ行こうというようなところまで来たところに、向こう側へボーンと今度は爆撃するわけですね。それで、挟み撃ちにするわけです。

まあ、そういう人殺しをやったわけですね。だから、東京大空襲なんて言ったら非常に冷静にそういうことを計算して、それで逃げるところがなくなって、川の中にもたくさん積み重なるくらいはまって死んでいくわけですね。まあ、そういうことがあって、それから、あれは三月だったと思いますね。東京は。

徳島は七月三日に空襲があったんですね。その後で8月6日の原爆になるわけですね。まあ、広島では14万人の人が一瞬にして殺された。で、今回のあの津波の後見てたら瓦礫がもうわんさか残ってますけど、米軍が空襲したらあんなものは残さないですね。無駄なものは何も残さなくて、綺麗に灰にしてしまう。ま、そういうようなことで、津波の後の廃墟の焼跡の瓦礫の、ね、撤去だけでも何年もかかって、燃やすわけにはいかないですよね、今度は。火つけてしまったら早いと思うんだけど、そうもいかん。

その次のは、非常に健康に良い短歌で。

○枇杷の葉を鋏で刻み瓶にいれホワイトリカーを注いで閉じる
これは2カ月ほど前にここの枇杷の葉を切って、上に琴美ちゃんにも手伝ってもらって、焼酎が足りんっとか言ってまた買ってきたりして、今漬けてある。この枇杷の葉のエキスっていうのは風呂上がりに毎日使ってますけど非常に爽快で肌もつるつるするし、シワもなくなるし…嘘かな(笑)。まあ、そんなことでこんな歌を書いています。


○二リットルの瓶に醸した枇杷の液浴後に爽快全身に塗る
何ちゅう短歌ですかというような短歌ですけど(笑)。まあ、こんなん書きました。

それで、

○やや曲がる妻の背中にたなごごろ触れて疲れの深さを測る
これはパンを、パンの日の月曜日の晩に帰る前にいつもちょっと家内に楽健法してから帰ってくるんですけど、そのときにちょっと最後に背中にいつも手を当てて、これ伸びんかな、と思ったりしながらやったりしてるのを書いたわけです。そんなことでやめときましょうか(笑)



えーっと他に何かなかったかな。あー、あの、7月7日に奈良のイオンハウスというところで酵素風呂に入ってから、その後楽健法の講習会を開くというそういう講習会を企画してます。それで、酵素風呂については、まあ私と家内とはちょうど20年間くらい週に3回くらいは必ず酵素風呂に通ってた時期がありましてね。大阪で。パンの仕事が終わった時いつも酵素風呂に入ってから帰ると言うようなことをやってたんです。

酵素風呂には頻繁に通ってたんですが、2軒あった酵素風呂が2軒とも長い間通ってたところが、まず東大阪にあったのが1軒なくなって、港区にあったのでそこに行くようにしてたんですけど、そこも、何か立ち退きになったんかな、都市計画かなんかで。ま、そんなので大阪に酵素風呂が、入るところがなくなってしまったんですね。それで、ここへ来てからも、ま何度か行きたいなと思いながら、余り近くになかったんですけど、奈良イオンハウスと言うのがあると言うのがわかって、それでたまに行くようにしたんですね。

酵素風呂と言うのは2mくらいの深いプールを作って、2オガクズ入れるんですね。そこに天然酵母のパンみたいな種ですね。ああいうのんでもいいんですけど、あれを薄めたような状態でね、ヌカ入れたりして、それをオガクズに混ぜて撹拌してサラッとした感じで寝かせますと、だいたい一晩くらい置くと醗酵してくる。発酵熱が70℃くらい温度が上がります。で、そこに穴を掘ってもらって、首だけ出してね、砂風呂みたいに埋めてもらうわけですね。

長年入って来た経験から言うと、まあ、色々よく効く温泉とかね、体にいい温泉と言うのは日本中にありますけれどもね、僕はどんな温泉よりも酵素風呂に勝るものはないと言う風にいつも思ってます。

そういう意味で、私の本の後がきにもね、どっかの村に住んで、酵素風呂でも作れたら、そういう酵素風呂を作って、それで、私は木工の専門家でもありますから、もし材木の出る村に住めば、何かその材木でひらめきのある家具でも作ったり、指導したりしながら、村に産業も起こせるし、それで、そのオガクズで発酵した風呂に皆さん、入ってもらって、それでその風呂は、オガクズは繰り返し繰り返し使ってる内に、熟してくるわけです。

いま東光寺山に大きな袋を3つか4つ置いてありますけど、それが酵素風呂のオガクズでチョコレート色に色が変わってますけれども、畑に直接入れて堆肥につかえるんですね。非常に酵素風呂の醗酵させたオガクズは堆肥として有効なんです、畑にとって。

これを土に混ぜてやると、普通連作のきかないような作物でも、連作しても大丈夫なんですね。そういうオガクズが作れます。それで、このオガクズは発酵させて風呂にしなくてもオガクズを発酵させてやると、これは豚とか牛とかが喜んで食べる飼料ともなるんです。で、ちゃんと消化する。で、あの酵母菌っていうのは非常に高タンパクな栄養を持ったね、必須アミノ酸ですからね。とても、体にいいので、ま、そういう意味でね、酵素風呂、木工所作ってオガクズで酵素風呂作って、それを発酵させて風呂に入って、最後には畑に入れて、それでその畑で実ったやつを食べて、という生活が出来たらね、ちゃんと生態系が身の回りに出来るわけですから。だから、天然酵母パンを作るのもね、やっぱり台所のエコロジーだと思ってやってほしいということですね。

何かがこうずーっと循環して、管理しながらですけどね、循環して行くというようなことはとてもいいことですので、まあ是非そういうことをやりたいと言う気持ちはあるわけですね。そして、あの奈良のイオンハウスの社長さんが、世間の人が喜んでくれるようなことを何かやりたいと言うので酵素風呂を作られたわけです。しかしお年は僕と同じなんですが、これから先のことも考えると、辞めてしまうのは簡単ですけど、酵素風呂を継続して運営していけるような人がおれば何とか続けるように工夫したいと言うので、それで僕に何年か前に、「和尚、跡継ぎになってくれ」って言われたんですけど、私が養子に行くわけにもいきませんしね(笑)。それで、それはとても無理ですから何か協力できる形で考えましょうとか言いながら、ときどき行ってたんです。

第4日曜日に勉強に来ている三保さんが、最近酵素風呂に通っているんですが、彼の協力もあって酵素風呂と楽健法講習会の企画をたてました。
一昨日ですかね、酵素風呂へ行って来たんですけど、ここを繁盛させるには、一にも掃除、二にも掃除。ちょっと隅っこをのぞいたらほこりがたまってるようじゃね、人は来ないから見えないところを綺麗に掃除しろって言うたら「分りました!」ってとか言ってまじめな男で、一生懸命やるもんだから、こないだ行ったら、だいぶ酵素風呂がが光ってましたよ。綺麗になって、それで、待合室のテーブルの下にも週刊誌を山ほど突っ込んであったりしたから、全部ほれっ!って言ったんですね。ほったら怒られるかもわからんって言うから、かまわん!ほれっ!って(笑)。それで、まず、社長にも了解を得たら、好きなように掃除してくださいとか言われたので、安心してほったりして、まあ段々綺麗になってきてます。



それとチャラカ本集という本がやっと出ました。けっして難しくありませんから、中に小見出しもきちっと入ってて、小見出しを見ながらね、自分の読みたいところを読んでもらったら、で、まあ、英語の勉強したい人は日本語見ながら対訳になってますから、見てもらったらいいし、それからサンスクリット勉強したい人は、三カ国語の対訳本ですから、これを見てもらったら、そういう勉強が出来ます。

このブログを読んで欲しくなったひとは0744-46-2410まで電話して相談してくだされば、東光寺在庫分がすこしありますので、割引します。なくなったらしかし、それでおわりですけどね。はい。え~っと、それから、「ごまたまご」これはいいかな(一同爆笑)。

じゃあ、まあそんなことで、今から護身法やって楽健法やりましょう。





楽健法(6)




充実のおやつ





豆腐でみたらし団子作りました!(by ちあき)



夕食



●小松菜胡麻和え●破竹とニンジンの明太子&たらこ炒め●こんにゃく、ニンジン、大根、あげの煮物●まめごはん●シメジとネギと豆腐の吸い物●花ガツオのでんぶ●タケノコご飯おにぎり





資料あれこれ








木、切りましてん










マーマレード作り






















楽健法(7)
















第3回6月12日(2日目)その2

2011年07月03日 | 第11期楽健法セラピスト講座
朝~




スッキリしました!






朝のお勤め


















曇り空です~








朝ごはん

●カボチャスープ●サラダ(アボカド、ラディッシュ、きゅうり、トマト、甘夏、セロリ)●天然酵母パン●自家製マーマレード


ゆるゆるの時間~





チャラカを読む梓ちゃん!






6/12 9:10 朝の講義

(宥厳先生)食べることだけが楽しみって言う人もいるからねぇ。
(幸子先生)多い多い、ここは(一同爆笑)。野田さん以外は。
(野田さん)何で私が…(一同爆笑)。
(宥厳先生)おかわり!って言う人もおるしね(一同笑い)。僕の来月やる芝居の中に「おかわり!」って言うセリフが出てくるですよ。覚えてるかな?あ、あんた芝居見たね?みんな見てるんだ。まだ見てない人何人おるんかな。ほな、見てる人の方が多いんだ。もう、みんなようけ見てるからやめとこうか、やっぱり(笑)。何か毎回やることと、やり方も違てくるからね、どうなるかわからんのですよ、自分でも。



僕は児童劇団でどさ回りしてたことがあるんです。そしたら、大体ね、45分くらいで終わる芝居を僕が出演する場面はそんなに長くないんだけど、何か芝居の台本が良くないもんだから、ついこう自分でアドリブでやってるうちにだんだん芝居が伸びてきてね、1時間20分の芝居に延びたことがあって(笑)。それで何か、僕は新劇の役者には向いてないなと思います。

文学座とか俳優座みたいなところに入ってね、演出家がキチッと決めてね、そこで決められた、練習した通りにやらされたらね、多分、これは嘘だと思うと、もうそれやってられなくなるね。で、ついこうアドリブでやりたくなる。それは、チームワークとしては、劇団としてのチームワークとしては、余り良くないことなんですね。だけど、まあ悔しかったらついて来いってな感じで、挑戦的にアドリブで芝居してしまうのね。ま、そういうの、それに応えられるような相手の役者がおったらいいんだけど、そうでなかったら相手が困っちゃうわね。

困っちゃって、よう受けなかったらまたこっちでそれを引き受けてまたアドリブでやるというようなことになってくるから1時間20分になっちゃうんです。45分の芝居が。そんなことをやってましたね。それで、僕はあんまり型にはめられるのはダメだなあって分かります、そういう意味では。それで、うちのおかみさんが僕を型にはめようとするけど、なかなか成功しない理由がそこにあるんだと思います(笑)。

えーっと何か、今回は出だしが雨だって、また今降ってきた?あ、違うか。ちあきのタイプの音だった(一同爆笑)。また、雨が降ってきたと思った。

(受講生)洗濯もんがあるからびっくりした。取り入れにいかないかん。

(宥厳先生)あの、昨日来られてた西村匡仙さんが、寺を建てるのに土地を探してるって言われてたんですよ。土地があって、狭山池に近いところらしいですが。狭山池ってのは私が昭和21年に1年近く住んだ場所ですね。小学校5年生の時に。そこの近くらしいですね。彼はこの講習会へ来る予定でしたが、都合がつきにくいので、どうしても迷惑をかけるからって言うので、それで辞退致しますっということで来られたわけです。

それで、組み合わせが今日は誰かピンチヒッターがおったんだ。それでまあ、昨日は第1期生の萬成真子さんが上手いこと来てくれたもんだからねぇ、それであなたの相手してくれたわけです。

この中でチャラカ、他に予約していましたか?あなたはまだ持って行ってないね。じゃ、あそこに持ってきていますから、そこに。あれで終りだと思うんですけど、4冊あるかな。うん。まあの無理して買わなくていいですよ、高い本ですから。ときどき梓がここで読んでくれますから、それで勉強した方が良く頭に入ると思います。あの、字を間違って読まれるとかいうのは印象に残りましてね、教育者としては非常に優れたやり方なんですね(一同笑)。

(琴美ちゃん)ってか、感嘆詞ばっかり。「ひぇ~」っとか(一同笑)。

(宥厳先生)で、そういうエピソードと頭に入っちゃうんだ。だから、先生は何か、流暢で、頭に…博学で入って行って、流暢に喋れるような先生からはあんまりものが学べないと思います。「と つ と つ」 としてやってる方がいいのかもしれない。代わりに話してくれる?(一同笑)。

まあ、あの本の特徴と言うか原本にはない小見出しを付けたんですよ。あれが非常に役に立つと思います。こういう症状の時にはって言うのが出てるでしょ。あれが役に立つと思います。あれが普通に原本通りの目次だったら、何を書いているかわからない。タイトルだけで、だからま、それを工夫して付けたわけです。

そういうことから良く目次から読んでみて行って、興味のあるところからね。本は頭からかならず読んでいく必要はないです。ロシアの小説みたいに長ったらしい名前の何とかスパスニスキー、コラヴィッチとか言うような…あんなんが出てくるとね、もう頭に入らなくて、なかなか。同じ名前でも登場人物、それがまた愛称で出てきたりしますからどれがだれだかつかめない、人間関係が頭に入ってくるのが難しいって言うことがあるんですね。

読書って言うのは、本を読むというのはやっぱり再読、三読と言う風にして、梓はだいたい「積読(つんどく)」だろうと思いますけど(一同笑)。そんなことない?あ、「積読」わかんない?
(受講生)積んどくのよ。
(宥厳先生)あ、積読しらなかった?
(梓ちゃん)ああ!積んどく!?(一同大爆笑)
(宥厳先生)積読って言うのよ、そういうの。箱だけ見てるのを積読っていうのよ。
(幸子先生)積んどく、やで!
(宥厳先生)あの~たとえば芝居をね、戯曲なんか読むときはね、戯曲を書く人は非常に人物の構成だとか、年代的な、時間的な推移とかね、そういうことで非常に物事を一人一人かき分けて書くわけです。登場人物をね。それが登場人物の性格から、その人の過去から全部こう、頭の中に読んだ時に浮かべられるような形でずーっとこうセリフの中にも書いていくわけですね。だから、それを役者が自分が台本をもらって、自分がその役をもらった時にはそれをずーっと繰り返し繰り返し読み込んで行って、情景を理解してそういう一つのフィクションの芝居の世界をきちんと理解した上でないと、本当に演じられないわけですね。そのために演出家と言うのは役者に本を渡したら、必ず繰り返し本を読んでこいって言うわけですね。

1つの台本をもらったら大体3か月くらいで上演するとして、一人がかなり長いセリフも覚えて、それで性格の分析からいろんなことをきっちりやるわけですね。それでもって一番自分の相応しいと思うやり方で演じて行くという風にするわけです。まあ、そのためには何度も何度も読み返すたびに、また新しい発見をするというような読み方で、戯曲なんか特に深く読んでいくわけです。だから、それに耐えられるような戯曲でないといけないわけだ。それができないような戯曲はあんまり考えないで書き飛ばしたような戯曲はそういう深さでは読みとれないですけどね。そういうような読み方で好きな本は繰り返し読む、枕頭の書といってそばに置いておいて繰り返し読むという、ま、そういう形で本を読まれたらいいと思いますけど。

まあ、私がこの東光寺に縁が出来たきっかけになった、黒田一郎さんと言う人がこの近所に住んでて、まあ、私よりちょっと年が下かもしれないんだけれども、当時、楽健法の私の本と、それと「ガンジーの健康論」って言う、これは編集工房ノアって言う出版社が出して、私が翻訳の労を取って出してもらった本なんですけどね、どういうわけか黒田さんはこの2冊の本が愛読書でいつも繰り返し、身近に置いて読んでますって、そういう読み方をされて。まあ、僕の本がそういう再読に耐えるような本かどうか、自分では恥ずかしい気もするんですけど、何かああいう本を書いた時、例えば楽健法の本を書き終わって出版社に渡したときにはもう自分の中に何も残ってないような気がするくらい、書くときは夢中になって書いてるんですね。

それから、「がらんどうは歌う」と言う芝居は、あれは3時間くらいで出来たのかな。ある晩一気に。その時めちゃくちゃ忙しい仕事をしてて、10月…11月やったかな、2ヶ月間でちょっとこう首くらいの大きさの彫刻を、あ、琴美ちゃん見たかもしれないけれども、中西康郎さんのアトリエに大理石みたいな、頭の上にパンテオンがついた女神の像が置いてあったと思うんですどね、ちっちゃな。覚えてない?ロダンがこしらえたパラス像っていう彫刻がるんですよね。それの模刻を作ったわけですね。ロダンの偽物と言うか模刻。で、それはヤマハのステレオにプレミアム商品として、ステレオ買ってくれた人にこれを差し上げますという、そういう彫刻だったわけですね。

それを2カ月で6,500個作るという契約をしてね。それで、額縁屋をやってたんですけど、額縁屋どころでなくなる。それで、それを作るのに、2カ月しかないし、あれが6,500個作ってその時買ってくれる値段が、1個1,000円だったのかな。だいぶ昔の話やけどね。
それを家内と二人で毎日大方、僕は毎日2時間くらいしか寝なかった、その時。車の中で寝てはまた工場に入って仕事するって感じで、そんなことしてたんですけど、ちょうどそういう時期に、一人芝居を書いてくださいと言う話があって書く約束があったんです。



それであの「がらんどうは歌う」を書くつもりで、まだ中身は何にも決めてないんだけど、役者の浜崎満さんって言うんですけど、取りあえず劇場は押さえたと、それからビラを作りたいから、題名だけでも決めてくれって言うので、それで題名も何も考えてなくて、頭の中がらんどうだから、じゃあ、「がらんどうは歌う」って言うのにしようって言うことになったのが大体あのタイトルの理由なんですよ。

それで、ちょうどそういう時にその6,500個、忙しい彫刻の仕事が入ってきたもんだから、学生アルバイトなんかたくさん雇ってね、それでやりだしたんだけど、素人ばっかりでやるからロスばっかりで、なかなかその6,500個どころじゃなくって、最初の1か月で500個しか出来なかったの。クリアできなかったら大変なことになるからね、これ。ヤマハとの契約だから。ま、そういうようなときに、ちょうど最初の1か月の半ばくらいの時、役者が是非芝居の脚本をね、早くくれないと宥厳さんどうしてくれるんですかって言うような話になって、あのときはまだ宥厳さんじゃなかったんですけどね。

(幸子先生)ひろちゃんや(一同笑い)。

(宥厳先生)早く書いてくれないと、稽古もしないといけないからって。それである晩今日はもうこれ以上ほっとけないと思って、それで、工場の仕事をぱっと夕方にやめて家に帰って、それで机に向かって、その時パソコンなんかありませんからね、当時は原稿用紙に手で書いてましたから。それで、一気にこう書き出したんですね。多分9時くらいから書き出して3時くらいまでかかったように思いますけどね、ま、それくらいの間に一気呵成に書いた。ワーッと。

で、原稿用紙にして52~3枚だったかなと思います。それで、まあ書いてる途中にね。その芝居があまりにも悲しいので涙を流しながら(笑)。涙を流しながら書きましたね。あー涙を流しながら原稿を書くなんてことがあるんだと思った、その時。例えば、武者小路実篤って言う人がね、エッセイにね、あの人は甘ったるい小説をたくさん書いてるんです。読んだ事ある?「友情」とか、何かいうのあるじゃないですか。そういうのを書きながら自分は涙を流しながら書いたなんて書いたあるんですよ。こんな甘ったるいものを書いてね、涙を流しながらかくかと思いながら、バカにしとったんですけどね。それでやっぱり自分が書きながら、泣きながら書いてたということがありましたね。

それで、書き終わって、一気に書いたもんですから、書き終わってから後に、こう読み直してみたら、一字一句どこも訂正するところがない。もう、手の入れようがない。完璧に仕上がってて、そのまま未だにやってるわけですね。だから、何かが乗り移って来たような感じで一気に書いちゃった芝居ですね。

ま、そういう書き方で…それで、その6,500個はどうなったかと言う話なんですけど、最初の1か月で500個作って、それで、これではもうどうにもならん。ちょっとこれは難しいぞっと言う感じだったもんですから、それで、知り合いの同じような仕事してるところに、それまでに500個作るまでにノウハウをね、色々工夫して早く出来る方法をまあ工夫してやっとったもんだから、そのノウハウを持って行ってこれで作ってくれるかと言うことで、3,000個頼んだんだけど、3,000はちょっとこなせないということで、2,500個やってもらったのかな。で、残りは翌月1カ月で納期までに全部自分たちで作り上げた。

だから、その間2カ月間は車の中で仮眠、ほとんど寝ないような感じだったですね。車の中で寝て、途中でその1日だけ芝居の仕事、原稿書いたようなことで。ずいぶん、よくあんなむちゃくちゃな仕事をよくやったな、と思うような感じですけどね。まあ、色々長い人生の間にけったいな面白い仕事があるもんですよね。ま、そんなことをやって、あの頃はまだ息子も小学校に行っていなかったくらいかもしれないね。下の子がね。まあそんなことでした。あ、そうだ息子はまだ学校に行ってなくて工場に連れて来てたわ。ま、そんなことしながら、そんなむっちゃくちゃな大量な仕事をこなしたりして。

また、パラス像はインターネットでオークションでも出てこないと思いますけど(笑)。今度、香山さんに一度ね写真でも写してもらって、アップしてくれって言っておいたらいいですね。うちにもないですけどね。残ってない。

まあ、じゃ今から楽健法やりましょう。護身法!はい!



楽健法(8)




ランチ~

●東光寺特製カレー(なす、ニンジン、ジャガイモ、しめじ、大宇陀ニンニク、ショウガ、油揚げ、ズッキーニ、マーマレード、チーズ、しいたけ、トマト)●琴美スイカ(千葉県山武市奈良さん家産)●ぜんざい






まだまだ切ります!














チャラカ本

どこが違うのかな~



楽健法(9)




6/12 15:18 終わりの会


あいにくの雨でしたけども、今日は衝動的に枝を少し切ったりしてどうもありがとうございました。枇杷の木がおおわれとったのをちょっと、空けてやろうと思って。だいぶ片付きました。ちょうど雨の晴れ間にできたからよかったです。また、来月少し催し物をやるので、若干舞台の設置したりするので、楽健法をする回数が1回くらい減るかな。2回くらい減るかな、どうかしたら。まあ、あのそんなことで料理もみんなで作って、お客さんも来られたら少し接待もしたりして、後、マドゥ・プリヤさんなんかと一緒に歓談したりと言う時間を持ったり、いつもしてますので。こういうことも楽しみの一つで負担にならないと多分思いますので、よろしくご協力お願い致します。何か要望とか言っておきたいこととかなかったですか。なかったら、おゆきさんがいないな、今ちょっと何か、あんまり次のこと考えずに行動する人なんで、これが終わったらつぎ終わり掛けにこうするというようなことが頭に一切入ってない。いつも振り回されるんですけど。まあ、よろしくご勘弁願います。どうもありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)また来月。
(一同)よろしくお願いしまーす。