楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第7回10月9日(1日目)その1

2010年10月15日 | 第10期楽健法セラピスト講座
合宿スタート10/09 13:00~

(宥厳先生)お元気でしたか?
(岡本さん)はいっ
(幸子先生)何で2枚もはくの?
(岡本さん)え?寒くない?
(宥厳先生)寒くない!

おはようございます。
(一同)おはようございます。ちょうど7カ月目に入ったんですね。だから、折り返し。後半戦です、今から。あっという間に後半戦になってしまったね。
(受講生)早い…
(宥厳先生)そんなこと言うてるうちに終わっちゃうけどね。命が終わる時もあっけなく終わっちゃうんだろうね。そういう風に思うわ。ああ、こないだまでやったのに…って(笑)
(岡本さん)どうやって思うんかな。


(宥厳先生)今日、あの、今手元にお配りしたのは先月、これをお渡ししましたよね。この…渡してない?



(幸子先生)渡してないよ。
(宥厳先生)渡してない!?ほな、あとであげるわね。あの~中西康郎(なかにしやすお)さんって言って上の座敷に私の若い時の美男のひげ面の顔を書いてあるじゃないですか。あれを描いた絵描きさんですね。随分、古い付き合いだったんですね。この方が2009年のお正月に、年賀状が毎年来るのが来なかったもんだから、それで、おかしいなと思って、電話しても出ないし、その内に娘のメールアドレスをなくしてると思ったんですけど、それがうまくパソコンの中で見出すことができたもんだから、それで問い合わせのメールを送ったら7月に死んだ、という返事だったんですね。

だから、友達が死んだのに半年以上も知らなかったということですね。そんなことがあったもんだからショックを受けまして、中西康郎さんって言う方は結構人望…人望と言うのか善人でね。とても善人で、友達も多くて、だから、誰かがその内に追悼会みたいなのやるだろうと思っていたんですけど、誰も声を上げないので、それで、今こうお渡ししたここに書いてるような成行きになってきたんです。これを例によってここの朗読の名手に読んでいただこうと思います(笑)。お願いします、ちょっと。


[早坂さんの美声で]






編集後記にかえて

 2009 年の春、毎年きちんと届く年賀状が来ていなかったのが、不審のはじまりだったが、中西康郎さんは2008 年の7月30日に黄泉へと旅立っていた。しばらく疎遠になっていた娘の聡子さんにメールしてそのことを知らされたのだったが、かなりたってから駅前で写真屋を経営している兄の俊郎氏から通知の挨拶状を送ってくださった。中西康郎さんの追悼会などが、そのうちに開かれるのではないかと思っていたが、だれからもそうした動きがなかったので、それは私の役割ではなかったかと康郎さんに済まなかった思いで、遅まきながら追悼の遺作展を思い立った次第であった。何度か彼が個展を開催した上本町ギャラリーが快諾し協賛してくれたので、案内状に記載したように、この企画のためのカンパをお願いしたところ、大勢の方から寄せられて、この本も出版できることとなった。ご協力いただいた、中西康郎さんの縁のみなさんに深く感謝する次第です。表紙の写真は松田弘の未亡人、松田蓉子さんが提供してくれました。
 今回の遺作展の作品在庫を確認のために、聡子さんに案内されてアトリエを訪問した際に、几帳面な彼の性格のまま、書棚も作品も、画材もきちんと生前のまま整頓されてあり、主の活動をいまも待っていた。
 「フランス・スペイン・シンガポール旅日記」というこの日記帳は、この本の表紙に使っている中西康郎さんの手描きのデザインのカバーがかけられて、彼が半世紀以上も毎日書き綴ってきた何十冊もの日記帳のなかの一冊としてしまわれていた。そのほかの日記帳は、毎日1ページづつ書いていく一年間ごとの博文館などの日記帳だったが、この旅日記はA5判のスプリング閉じのノートで、表紙も変色して黄色くなり、背文字のところはことに焼けていたが、彼の特徴ある筆跡が目について真っ先に取り出してみたのであった。松田弘さんとふたりで、198 0 年6月27 日から8月11日まで行った旅行記であった。私は松田弘さんとも長いおつきあいがあって、中西康郎さんとは50 年にもわたる交友だったが、二人のこの旅行のことは記憶に残っていない。斜めに拾い読みしてみて、この日記帳を出版しようとその場で聡子さんと即決した。
 二十歳ごろ、南のトリスバーへ詩の仲間と行ったとき、中西康郎さんは鳥打帽をかぶってカウンターで一人飲んでいた。詩の仲間がそのとき紹介してくれたことから私との付き合いがはじまった。
 その後、意気投合して付き合ってきたが、天王寺の慶沢園で詩と写真展を開いたとき、彼は私の詩をパネルに十数点、詩の雰囲気に合ったレタリングで書いてくれたり、のちにその一連の詩を「雨季」という詩集に編んだとき、装丁と挿画を引き受けてくれて、自由美術の仲間の濱田弘康さんにも挿画を依頼してくれたりした。彼の結婚式には披露宴の司会も頼まれたりした。
 彼はいつも胸のなかに住んでいる大事な友人であったが、若いころのように、一緒に飲み歩くということもしなくなって、たまに安否を尋ねる電話で体調を話し合うというような齢になってきたが、しばらく途切れていた電話の向こうには、受話器をとりあげるひとはいなくなっていた。

                           山 内 宥 厳









どうもありがとう。こんなあとがきですが、先ほど電話がかかってたのはこの本を何冊刷りますか、という印刷屋からの電話だったんですね。こういう表紙の、手書きのね、これは折り込み広告の白い紙の裏にマジックで文字を書いて、それで、カバーを掛けてあったんです、ノートに。

こういうノートの日記帳ですね。ところがそれが30年の間に焼けて、黄色い色になっちゃったっていう。セピア色になったんですね。それで、これは…中にはこういうパリのどっかの、明日歩くという地図をね、略図を描いて、ここへ行こうってことでしょうね。



こういうのが最初の方のページに入ってたりして、これで、これが、ここは無地なんですけどこちらが真ん中にこう背文字を手書きで書いてあってね、なんかすごい背文字の所がこんなに焼けて、黒くなってるんですけど、この感じのまま印刷しようと思って。それで、ここに写真を入れたんです。それで、松田蓉子さんが貸してくれた写真がこれなんですね。

昨日、10月8日に、中西康郎さんのアトリエに家内と琴美ちゃんも一緒に行って、アトリエの2階にキャンバスのまましまわれていた絵を下におろしてきて、庭の納屋みたいなところにしまってあった額ぶちを引っ張り出して、現役の額ぶち屋をやっている弟に無理をいって来てもらって、2時間くらいでやり終わって昨日の内にもう画廊へ運んじゃったんですね。ちょうど画廊が置いてくれる場所があったもんですから。それで、20日の日に飾り付けに行く予定してるんです。


晩年の中西康郎さん 上本町ギャラリーにて


下の旅のスナップは場所は分らないんですけど、46歳の中西康郎さんですね。

こちらの写真はラマンチャの村のスケッチ。これも松田蓉子さんが写真帳からはがして送ってくれたものです。ちいさな写真でしたが、スキャンしてみると割ときれいなのでね。細かいところまでよく出ています。それで、時間的にアトリエから探すのでは間に合わないから、もうこれで行こうということにしたんです。

昨日アトリエに行って、6Fの割と大きなスケッチブックなんですけど、それが10冊以上かな、書棚にあって、引っ張り出してみたらスペインのスケッチがいっぱい出てきました。昨日ね。だけど、もうそれをこの本に使うだけの時間的なゆとりがないので、それでもうこの写真が割ときれいなので、このまま使おうと思って、ちょっと回して見て下さい。

この人はとても整理がきちんとできている人で、まあ飲んべえでね、割と破滅型みたいなところも、なくもないんですけれども、お酒が好きで、しかし、晩年はちょっと喉か、顎かにガンができたりして、少しものが言いにくくなったりして、それで、電話にもあんまり出たがらなくなってたんですね。だけどぼくはまだ死なないだろうと思ってて、最後に電話した時はだいぶ声も通りやすくなって、ああ、だいぶ回復してきたんだなあと安心しとったんですけど、死んで半年以上も知らなかったっていうのはかなりショッキングなことだったんです。

昨日、額ぶちを取り付けるために行ってみたら、ちょうど手ごろな家庭でちょっと使いたいような、4Fとか6Fくらいのサイズの絵が全然なくて、8F以上ですね、ちょっと大きなサイズの絵ばっかり残ってたんです。ちいちゃな絵は多分、売ってしまったか、そういう絵を販売している画商みたいな関係にもかなり預けてあって、そのままになっているんだろうと思いますね。

それで、この日記帳をひろい読みしてみたらなかなかね、旅で書いて行ったにしては割ときちっとこう、旅の全容がわかるような書き方になっていて、中にはちょっと吹き出すような面白いシーンもあったりするので、78ページくらいになると思うんですけど、今印刷に取りかかっています。

それで、この日記をタイプしてくれたのが堀江真美のおばさんで、ここへ毎週来られる高峰靖子さんが三日間くらいでタイプしてくれたんですね。かなり長い文章ですね。ま、そういうことで日記を本にできたんですけど。この中のちょっと面白いシーンがあるのでそこを読んでいただこうと思います。
(早坂さん)面白く読めるかどうか…
(宥厳先生)ふふ、ちょっと読んでみて下さい。








フランス・スペイン・シンガポール旅日記1980~中西康郎



7月26日 晴
土曜だし、金もなくなったので、グラナダ・セントロにあったBANCO でトラベラーズ・チェック200 ドルペセタに替えたが、少しドルが安くなっている。先週の土曜にアランフェスでも替えたが、そちらの方が率がよかった。それにしても、1 週間で200 ドル消えたのは、少し注意しないといかん。帰れなくなる。
 町中を散歩して、ツーリスモに寄り、パンフとポスターもらおうと思ったが、ポスターはなし。スペインの各地に、それぞれちゃんとツーリスモがあるのは立派。ガイドブックによると国あげての観光政策の現れであるらしい。BAR で、パンとバターをぬったパンを食い、ホテルに荷物を預けてサクロモンテか、アルバイシンをスケッチに行くべく、ホテルに頼むとOK。さればと金の精算をしたところ、昨夜のフラメンコの代金1,200pts がぬけておる。松田氏は早速シメタというわけで、悪く言えば逃げようということになった。
 ホテルに荷をあずけていたのでは、伝票見て、付け落ちの金額はすぐ発見される。いま、預けたばかりの荷を、駅にもっていくと言って二人はホテルを出た。この辺りが実は不自然なのである。二人は何故か急ぎ足で、細い道をかけるように歩いてタクシーを探した。しかし、悪いことは出来ぬもの、タクシー乗り場でホテルの番頭さんにつかまって、フラメンコの代金を請求されたのである。マンガである。
 ともかく駅までタクシーをとばし、駅の荷物預り所でと思ったら、かつて預かった荷物の爆発事件があって、一切預からんという。今さら重たい荷をかついでスケッチに行く気力もなくなっている。今夜夜行の寝台をキャンセルして、グラナダ14 時55 分発の急行で帰ることにした。少し時間あったので昼メシ用のパン、水、シェリー酒を買い、車中でのみ食いして、ウトウト仮眠しながら……。松田氏と席を離されたので、それしかない。22 時15 分にアトーチャにつき、どん底で夕食。ハリコンで日本酒を久し振りのむ。
 約6 勺くらい、24pts 。ウイスキーも、スペインに来て一滴ものまないが、(高いので)日本酒もべらぼうに高い。どん底のおやじさんにたのんで、4 合ビン1 本、特に600pts でわけてもらい、持ち帰った。それでも1 合450 円である。気分よく酔ったものの、疲れがひどく、重い荷物を投げ捨ててやろうと思うくらいである。夜の12 時半ごろに、宿に帰る。
 松田氏は、下の、のみ屋、マローノさん(店の名前はパリース)へ、アトリエの部屋の一件で相談に行った。オレは2,3洗濯して干す。お茶わかしてのむ。今日は日本茶が一番うまい。二泊三日でグラナダへ行きながら、泊まったホテルから、ながめるビブランビラ広場を一枚描いたのみ。悔いが残るが、体力がついて来なかった。しかし何といっても、ホテルのフラメンコの料金を忘れたのをいいことに、逃げようという悪い考えが、わざわいした。素直に支払って、ホテルに荷物を預けていれば4 ~ 5 枚のスケッチは出来たであろう。人間は正直でないといかん。今週は一晩だけ帰ったものの、深夜の2 日酔、5 日間出っぱなしは少しコタえた。そろそろ帰路につく日が近づいてきたが、荷物のことを考えると、全く頭が痛い。 
 ☆ 余談・ホテルの追いかけて来た人、いや、田舎者が多分、ここへ来るだろうと「待っていた人」は善良そうな人だった。なんか後味の悪い気分である。







この旅行記を読んでいると松田弘と弥次喜多道中してるのがよくわかるんですね。松田弘という人はすぐこの近所に住んでたんです。亡くなって15年以上になるかと思うんですけど,この近所に住んでいた絵描きさんです。ここの駅前、皆さん来るときに天然酵母パンっていうサンチェリーっていう店の前を通ると思うんですけど、あそこのサンチェリーの奥さんに天然酵母パン教えてやってくれって私のとこへ連れて来たのがその松田弘さんっていう絵描きさんなんですね。

彼はスペインにアトリエを持ってまして、絶えずスペインに行って絵を描いていたんですね。ぼくは松田さんとも中西さんともずっと一緒に交流があって、松田さんのお宅で野草のてんぷらのパーティーをやったりしたことがあるんですね。昨日は中西さんの娘の聡子(あきこ)さんというお嬢さんと一緒に行ったんですけど、色々話してたら、松田さんの家で野草の天ぷらパーティをやったとき、聡子さんも来ていて、私、家内、それから、私を私を額縁屋にした河野芳夫さんという絵描きさんがいるんですけど、聡子さんはその時に松田さんが飼っている犬に飼い主の本人が腕を噛まれてね(笑)大きな犬でしたけど、そのことを子供だった聡子さんがよく覚えてて、ああ、そんなことがあったね、なんて、あの時がそうだったんだとか言うような話を昨日、してましたけどね。まあ、そういう友達関係だった。

松田弘さんはどういう病気で死んだのかちょっと病名までは覚えてないんですけども、奥さんの蓉子さんから、ある日電話がかかってきて、亭主が、松田が死んだんですけど、宥厳さんお願いがあるんですって言うから、僕はもうお寺にここにいましたからね、多分葬式でもやってくれって言うのかと思ったら、無宗教で葬式したいので司会をやってくれんかって話でね(一同笑い)。どうも坊主に無宗教の式の司会を頼みに来るか、と思って(一同大爆笑)。参ったなあと思ったんですけど(笑)。

まあ、この「編集後記にかえて」の所にも、中西康郎さんの結婚式の司会をしたって終わりの方に書いてありますけれども、結構、私にはそういう司会を、山内くんに司会を任せておくとパーティがだらけない、テキパキと進むというようなことで、よく司会を仰せつかったんですね。今まで3,4人の結婚披露宴の司会をしてるんです。

まあ、そんなこともあって松田弘さんのお葬式のとき、葬儀屋さんはね、これをやりましょうって言って、水車がくるくる回ったりね、何か哀れそうな声でもの言ったりして(笑)、音楽を流したり、あれがもう奥さんはかなわんのですよね。それで、ああいうのは一切やりたくないというので、宥厳さん司会やってくれって、葬儀屋さんが主張していることは宥厳さん断ってくれって、それでもうそんなことしなくていいって、こっちは俺がやるからもうほっておいてくれ、葬儀屋はちょっと最初にやっただけであとはもうこっちの思うよう進行するというようなことで、奥さんには喜ばれたんですけどね。まあ、だから真言宗のお坊さんでも無宗教の葬式を取り仕切らなあかんときもあるわけです。まあ、そんなこともありました。

この中西康郎さんについては、亡くなられて半年以上も気がつかなかったもんですから、この展覧会を、遺作展をやろうと決めて初めてアトリエに行った時に、昨日、琴美ちゃんも行ってくれたんですけど、二階の隅の床の間にかなりひどい疲れた顔の写真が拡大して額に入れてあったんです。お兄さんが写真屋さんなもんですから、ところが、雑誌か新聞かなんかに載った写真しか、まあ見当たらなかったんでしょうね。探す間もなかったのかもしれない。それで、ひどい顔をした、何かほんとにこの世の終わりのその日の夜明けみたいな顔して。
(岡本さん)際の際やな(一同笑い)
(宥厳先生)そんな顔の写真が昨日もありました。琴美ちゃんも見られたでしょう?それでまあ痛ましい気の毒やな、と思ったんです。それで、こうやって遺作展を僕がやろうというので、それで僕の友達で、僕が電話をかけたら少々は電話交渉くらいしてくれそうな田靡新さんに、小説を書いている男ですけど、それと二人でね、この仕事やり始めたんです(笑)。

こちらの風景の写真は前に中西さんが個展やったときに、ちょっと長めの案内葉書、よく個展の案内で使われてる80円払わないと送れない葉書があるんですけど、あれを僕が作ってあげたんですが、その時の写真なんですね、これ。それがパソコンに残ってたもんですから、そんな経緯でこの日記が来週の、あ、再来週だ!再来週の火曜日くらいにできてきます。だから、みなさんにもね、300ほど刷りますので、一冊ずつもらっておきますから、後で読んでいただけたらと思います。

(ちあき)[ブログに]書いてもいいですか(笑)
(宥厳先生)いいです、いいです(笑)。ちょろまかしておきますから。まあ、私が事務局長でね、これお金集めから何から全部やってそれでカンパを…そう言えばカンパを頂いてありがとうございました。
(梅田さん)そんな…ちょっとちょっと。
(宥厳先生)案内状に振り込み用紙付けてとりあえず送ったんですね。行けそうな範囲の人にね。それで、東光寺の関係では10人ほど送っただけですね。それで、中西さんの年賀状とかから住所を掘り起こして、それで170人くらいだったかな、まあそんな感じでお送りさせていただいたんです。

あ、そうか私ところは60名ありました。大阪とかの関係で。まあ、それで、梅田さんが、
(梅田さん)少し…
(宥厳先生)寄付して頂いて。いえいえ、そんな多い方です。ありがとうございました、本当に。まあ、あのそんなことでこの本が出せて、それで展覧会の会場費も何とか捻出できたわけですね。大阪で22日からですので、27日までね。金曜日から水曜日までですね。もし、時間が、大阪にこの時間におられたら、是非見てほしいと思います。20日の日に展示に行きます。

この中西康郎さんって言う人は、ここにも書いてますけど、その慶沢園(けいたくえん)って言うところで、家内も若くて美しい年頃でしたけれどもね、その頃に展覧会をやったんです。「詩と写真展」っていって写真家が二人とね詩人が二人。で、詩人はもう一人、私と中村光行と言う人と、写真家の名前ちょっと今…藤田さんと言ったかな、知られな写真家なんですけどね。抽象写真やってる人で。そういう人と展覧会をやったんですけど、この私の詩についてはかなり大きなこのテーブルのような大きさのパネルに中西さんが一つ一つその内容に合わして活字のようなレタリングとか崩し字のようなレタリングで、詩の雰囲気に合ったものをね、十数点も書いてくれたりしたんですね。

それで、詩集「雨季」と言う詩集をその後に編んだんですけど、それの時にも中西康郎さんは挿絵をたくさん描いてくれましてね。それで、まあ何か今から思ったらこっぱずかしいような詩集なんですけど、まあ懐かしい仕事をね、いとわずにきちっとやってくれた人です。その後、彼は結婚して聡子さんと言う娘ができて、奥さんはだいたいまあどちらかと言うとサラリーマンかなんかの安定した収入のある家庭に、結婚すれば似合うような人だったんでしょうか、貧乏絵描きと結婚したもんだから、やがて亭主に愛想を尽かしたのか、長続きしないで別れちゃったみたいですね。

このたび、中西康郎をしのぶ会で、遺作展をやりましたら、まあ彼の魂が、魂魄この世に留まっておればね、きっと喜んでくれるだろうとは思うんですけど、さらにこの旅行記が見つかったものですから、刊行できるというのは僕にとってもとても嬉しいことです。

旅行記だけでなくて、この人はね、毎日1ページの365日の日付の入った日記帳があるじゃないですか、よく。1冊、こんな分厚いの、1年1冊のやつね。あれをね、とにかく50年くらい、続けて書いてるんですよ。すごい分量なんです。それで、たぶん、あの文章を掘り起こしていくとね、この日記見てもわかるんですけど、きちっとこう書いておるのでね、貴重な記録文献だろうとは思うんですけれども、ま、彼がもっと世界的に有名になるような絵描きさんだったら、あの日記もねそれなりの注目、研究する人も出てくるかもしれないんだけれども、これまで営々とあそこに突っ込んできた彼の時間がね、どういう風に扱われるかということです。まあ、とりあえず、この旅日記だけは300部ですけど、一応単行本の形になるので、友達としてはそれ以上の作業までは、なかなか何年もかけてそんな研究するわけにもいきませんからね。まあ、そんなことで。今、最後の追い込み中です。

第7回10月9日(1日目)その2

2010年10月15日 | 第10期楽健法セラピスト講座
ペテロ神父の仏教論文

このところ、この遺作展の仕事もやってたんですけども、並行してカトリックのペテロ神父さんて人が今ベルギーに行ってるんですけども、彼が密教をヨーロッパの人に紹介するという本を書こうとしていましてね、あ、だれか、あなたにあげたかな、英語で高野山のこと書いた本ね、あれを日本語に翻訳して、それを更に彼はもっと展開させて書いた論文をですね、一週間くらい前にファイルにして5つくらい送ってきたんです。

それでまあ全体の三分の一くらいなんですけど、それを今週火曜日にもう見てしまわないと僕も抱えたまま見ないで放っておくのは気が済まないもんだから、そしたらやはり外国人の書いた日本語というのは、「てにをは」もやっぱり間違ったりしていることもあるし、一行で済むことを5行くらいに書いてるようなところもあったりして、それをリライトするのが大変だったんですけど、え~いっと思って丸二日間かかってそれをリライトして返送したんです。

いま彼はベルギーからインドの方へ回ってるらしいんですけど、まあその旅先でまた続きをチェックして書き足していて、それであるところまで来たら宥厳さんにお願いしますって送ってくる予定なんです。真言密教のことを非常に詳しく書いて、まあそれは彼はいわば専攻した学者ですからね、だから、僕なんかの知識ではとても歯が立たないような論文なんですけど、まあ僕に書けって言ったら書けませんけど、読んで間違ってるとかこれはおかしいぞというのは僕も判断ができますから、それで僕も若干いろんな資料を見ながらリライトして、今まで直したところではちゃんとした日本語に、日本人の専門家に見せて恥ずかしくないものにリライト出来たろうと思うんですけど。
その仕事をやってるのが二つ目。



チャラカ本の翻訳

もう一つはこれです。これは厚みがこれだけあります。これで644ページあるんですね。これを今やろうとしているわけです。



それで、これは僕が事務局長になったときにやるぞって言って宣言してやりだしたチャラカ本集の翻訳ですね。チャラカっていうインド医学のアーユルヴェーダの内科学の本ですね。これはもう本当に人間の病気から、健康から、あらゆることについて詳細に書かかれています。これは翻訳しようとした本の三分の一なんです、実は。だけど、まあ10年かかってこれだけやったわけですね。それで、この本はこれがもう4月に単行本にしようとしているわけですけれども、一番最初にサンスクリットの原文がローマナイズされたものですね。本当はデーヴァナーガリって言ってサンスクリット文字で書かれたものをローマナイズしたもの。

だから、"n"の下に点があったりとかそういうローマナイズのための独特なフォントがいるんですね。その下にこれの翻訳が英語で載ってます。で、その下に日本語訳って言う風に三カ国語の対訳の書物として私が企画して出したものです。こういう対訳にするっていうようなことは、まあ日本語だけね、訳してそれだけ載せたら楽でいいんですけれども、やっぱり学術書ですから、このサンスクリットのローマナイズしたものとか英語に訳されたようなものとかいうのを手に入れるということはなかなかできないので、こうやって対訳にやっておけば、これ1冊あれば研究者にとっても役に立つという発想でまあやりだしたんです。



それで、これがまあ、まだこれにインデックスが50ページくらいつきます。索引。それに目次がつくでしょ。だから、目次も20ページくらいいると思うんですね。だから、まあそんなんでかなりの800ページくらいの本になるんですね。

4月ごろに本にします。それで、これはね訳したところを読んだら本当に見出しも、小見出しも付けてありましてね、非常にわかりやすいんですね。この校正を僕は1か月の間に全部目を通して返さないかんのですね。今この校正を10人ほどの人に、アーユルヴェーダの専門家やらにお願いしています、私もやらなあかんのですけどね。まあ、ちょっと大変な仕事です。
(岡本さん)じゃあ、みんなで先生に楽健しないといけない(笑)。そうとう疲れてはるから。

(宥厳先生)まあしかし面白いですよ、これは。ずっと読んでいくとね。まあ、だから、私は英語とかサンスクリットについてはチェックできませんけれども、日本語だけね、さ~っと読んでいっても、そんなにしんどくはないですけど、ページ数が多いので、場所をとって、置くところがないので困ってんの。見ようと思ったらね。見たらこうやって置いて行って、チェックして行って、変なのがあったら付箋付けてって言う風にしてやっていかないとね。まあ、大変なんです。チャラカ本集はまだ日本に完訳された本は出てないんです。

だから、アーユルヴェーダの学会で、まあ私1976年からね、事務局長になって、10年間事務局長やってそれでブランクがあって、それでまた10年間、まあ9年ずつ、通算18年間、事務局長やったんですけど、サンスクリットで書かれた有名なアーユルヴェーダの古典って言ったらスシュルタって言う本と、このチャラカっていう本なんですね。この2つが代表的なものなんです。他にもまあ有名な本はいくつかあるんですけど、とりあえずこの一大古典ですね、要するにキリスト教で言えばバイブルみたいなもんですね。それが翻訳されてない。それの翻訳も志さなくて、それで何がアーユルヴェーダ学会だ、と言うようなことからね、やっぱりバイブルを持たないクリスチャンみたいなんで威張った顔してアーユルヴェーダなんて言ったらダメだというようなことで、それで僕が提案してこれを訳すことに取り組むって言ったんです。

なかなかハードルが高くて、それで一応、原詩、サンスクリット語ではなくて英文になったものから訳すっていうことで、PVシャルマっていう先生がいるんですけど、あのシャルマじゃなくてね、あのシャルマはハリシャンケル・シャルマですけど。PVシャルマ先生の全四冊、ここに英語の本がありますけどね、あれを訳そうということで、それであれをインドで版権も取りましてそれでまあこの仕事に着手したんです。

で、10年間の間にインターネットを利用して翻訳できたものは全部メールで、メーリングで送ってもらうというようなことをして、それで英語は全部もう一度これテキスト化しないといけないので、この英文のテキスト化は高峰靖子さんがやってくれたんです。OCRして、堀江真美さんのおばさんですね。だから、彼女は2種類のチャラカの、チャラカの本って3つ英文の翻訳があるんです。

ところが、一人の人はまだ終わりまでいってないのね。で完訳されたものが2つあって、それは50年ほど前にグジャラートていうところで、グジャラートの王様が学者を集めて缶詰にして、それでサンスクリット語とヒンドゥー語と英語と。それと詳細なインデックスですね。そういう本を作ったんですね。

その本を私、シャルマさんに頼んで、買ってもらいましてね。古本を。で、その本が、本を開くと分解しちゃうんだよ、バラバラバラっと。もう紙がボロボロになって。で、それを苦労してこうコピーとって、もうあとコピーもとれないようなボロボロの本に、…ばらしましたからね。まあ、それをね。それで、それを全部彼女がOCRしてくれたんですね。

高峰靖子さんって言う人は英語が堪能で読めるわけじゃないんです。英語は分らない。要するにローマ字はわかってもね。英語なんか読もうと思ったらかなりのレベルの英語ができないといけないんですけどね。まあ、そのレベルなんだけれども、原本と自分の作ったものときちっと合わすということは非常に正確にやってくれて、それで2種類の英語のテキストができたんですね。

こういうテキストは世界にここにしかない。まだ誰もやってませんからね、だからそういうものを人類共有の財産として持つことはね大事だと。それから人間にとって有益なことはね、みんなが共有できるようにしないといけない、というのが僕の考えで、ところがアーユルヴェーダ学会の中でもね、有益なものはできるだけ、だから論文でもなんでも優れた研究が出てきたら公開しましょうということを提案したんだけど、版権がどうとかいってね、公開を惜しむんですね。

それで、このチャラカの翻訳についてもこれは総論編って言うところができたんですね。総論編だけ読んでもだいたいアーユルヴェーダの基本はパーフェクトにわかって、それが各論のもっと詳細なものが後、三分の二あるわけです。だけど、これについては多分日本で翻訳できるかどうかわからない。このなかで校正してみようかというひとがいたら手を挙げてください。

(岡本さん)語学力の話やね、日本語の。
(宥厳先生)日本語じゃない。読んだら字の間違いとかそんなんね。梓は無理か(笑)。
(琴美ちゃん)なくすで(一同笑い)。あ~っとか言ってお茶、こぼすで。

(宥厳先生)まあ、そんなようなことでね。これが単行本になったときは29,000円くらいで出そうかって相談してたんですね。それを早く予約で、前金予約してもらったら25,000円か2,4000円で買えますっていうね。だから、まあ今から予約しておいてください、どうぞ。
(岡本さん)今から予約しておきます。

(宥厳先生)ことしの広島の総会ね、今年、谷川さんが行って楽健法の話をしてくれることになっているんですけれども、広島の総会から、この宣伝に振り込み用紙入れて振り込んでもらえるように、その段取りで今進めています。ちかく色々ビラもできて。


「病家須知」 びょうかすち

だけど、これは、この中で買ってくれた人がおるかどうかわかりませんけど、僕が農文教の何やったかな、あの本は。
(琴美ちゃん)「病家須知」?
(宥厳先生)えっ?あ、そう「病家須知」って言う本を、ここでもお話して、福山でも話して、東京でも話したらみんながワッと買ってくれたでしょう?あれ、1冊三万円だもんね。それで、
(琴美ちゃん)最近その話してない。
(宥厳先生)うん、話してない(笑)。この頃不景気になってきたから皆さんに負担かけたらあかんと思って(笑)。
(岡本さん)何の本?
(幸子先生)病家須知。
(宥厳先生)病の家って書く、漢字で。で、須はこの須、そうそう。で、知る。「病家須知」。病気の人は誰でもあまねく知るべきだというような意味ですね。江戸時代のものです。この本「病家須知」が欲しければ私の紹介で注文すると若干値引きして出版社から送ってきてくれますから。後で持ってきて見せてあげますから、それを見てね気に入ったら注文されたら。江戸時代の本ですけど現代語訳してるんですね。現代語と原文を両方ちゃんと見れるようなこんな分厚い本です。これくらいあります。
(梓ちゃん)誰が書いてるんですか?
(宥厳先生)江戸時代のあれ、何やったかな、名前、、、平野重誠という人ですね。あとで現物を見せてあげます。
(岡本さん)これも先生が訳したんですか?
(宥厳先生)いやいやいや(笑)。[幸子先生大爆笑]
(岡本さん)病気の人はなんて?
(宥厳先生)「すべからく知る」つまり、病気の人に必須の、知っておくべき、という、いわゆる家庭の医学法典と言うような意味ですね。これは。それで僕が話をするたびに本が売れるもんだから、農文協がビックリして、絶対売れないと自信持ってた本が、どうして先生の所で本が売れるんですかとか言って、
(岡本さん)もったいない。私も売ってあげるわ。
(宥厳先生)それでこの間取材に来た農文協の伊藤さんとかが東京の教室までわざわざ僕の話を聞きに来て、ああ、なるほどって言うて、こういう風に話したら本も売れるんかって。僕が話するから売れるんだ(一同笑い)。伊藤さんが話したって売れない(笑)。まあ、そんなようなこと。まあだけど「病家須知」よりはこっちのほうが役に立つかな、どちらも直接的にも役に立つかもしれないね。「病家須知」はまあ読んでいけば、それは役に立つ本ですよ、色々具体的にね。
(岡本さん)薬草とか使うんですよね。民間療法。
(宥厳先生)そうそう、薬の飲み方からいろんなことで、子供の取り上げ方まで出てくる。あんた、今度これ読んでから子供産み(笑)。
(岡本さん)友達が自宅出産したんですよ。
(宥厳先生)そう。まあ、そんなことで今やってることを紹介しました。じゃあ、今から楽健法やりましょうね。




3つのベーカリーで

あれ?3種類のはずが4種類ある…後ろの艶があるのはどこのベーカリーで焼いたパンだったかな???


いやいや、やっぱり三種類ですよ。ん?


5時間弱コースだと発酵が不十分…だとか。



楽健法(19)





幸せそう…



晩ご飯 18:30~

●栗ご飯●なすとあげとこんにゃくの煮物●こいも、にんじん、ごぼう、すいとん、きのこ、だいこん、みょうが、ねぎの具だくさんのみそ汁●ほうれん草のごまかけ●大根と大根葉の浅漬け



「病家須知」に群がる人々





楽健法20(1)



ぴょんぴょ~んって跳んでました(笑)



一日目終了~

第7回10月10日(2日目)その3

2010年10月15日 | 第10期楽健法セラピスト講座
2日目~


金木犀


階段一面に…




よい香りが漂っています



宥厳先生の肖像画


朝のお勤め






梓のアングルから



今回はシャッキリ










梓ギャラリ~一旦終了!




ご利益、ご利益!


霞がかってる~



朝の作務

ニッコリ

いまどきの若い子のピースについて話が…



朝食 8:00~
●天然酵母パン with 蜂蜜(プロポリス入り?)●カボチャスープ●サラダ



れっつ だぁ~んすぅ








愛のひざまくら with あやかり隊




楽健法21(2) 8:45~



寛一&おみや!?
(琴美ちゃん)うりゃ、うりゃ!!
(かっちゃん)きもちいい~






昼食

梓フォトギャラリー





梓フォトギャラリー終了





楽健法22(3)


宥厳先生とゆっこ先生同じポーズ!?やっぱりらぶらぶだぁ~ハート炸裂

終わりの会 15:14


(宥厳先生)あっという間に二日間過ぎましたから…え~今回の感想。はい、梓!
(梓ちゃん)こ、ん、か、い、は…
(宥厳先生)食事は誉めんでよろしいから。感想!
(梓ちゃん)感想…
(宥厳先生)パッと言う!
(梓ちゃん)パッと…今回も収穫が多い二日間でした。
(宥厳先生)ドンマイ、やったか?
(梓ちゃん)ドンマイじゃなかったです。
(宥厳先生)(笑)。
(梓ちゃん)ベストでした。
(宥厳先生)まあ、あの、ちょうど半分過ぎて後半戦に7月から後半戦に入りました。それでね、谷川さん2回来られたんだけど、来月もあなた出てこれるか?前日に休む人と2日目に帰る人がおるんや(一同笑い)。だから、一人ずつおらんので二人分のアバターね。もし時間があったら。そんな感じでもう一回来て下さい。

まあ、あのあんまりおしゃべるする時間はなかったですけどね、今回はね。何か私もめっぽういろんなことが舞い込んできてやたらと忙しくて今月まだあとだいぶ忙しいのがずっと続くんですね。それで、昨日、画廊へ、昨日やった?あれ。
(幸子先生)一昨日や。
(宥厳先生)一昨日。あ、あ、そうか一昨日か。荷物を運んでしまったんですけど、あれ運ばなかったら行く時間なかったね、全く。まあ、あのいつも頼りないと思ってぼんやりしてるおっちゃんの言うことを聞いて行ってよかったですね(一同笑い)。ま、そんな感じで本当に時間がないなと。しかし、そうやってあわただしい中でいろんなこと処理して行くからね、こなせるという面もあるんですね。暇でデレンとしてたら何にもしないで一生終わっちゃうだろうと思いますね。そういう可能性がある人もおるかもしれませんけど。用心して忙しい思いをして、それでその中で工夫してどんどんと積極的に一つ一つこなして。

人生ていうのはいっぺんに何もかもはできない。僕は何もかもいっぺんに引き受けてるみたいだけど、やっぱり一つ一つ確実にこなしていくしかないんですね。そのつもりでみなさんも一つ一つ確実にこなしていく。楽健法は一踏み一踏み、確実にあげて行くというやり方で、今回僕も踏んでもらって、今日は恭子ちゃんと組んだのかな。で、後、増野さんと組んだりして。恭子ちゃんの踏み方もきちっと一踏み一踏み確実にあげてるって感じがしましたね。だから、けれんで踏んでないっていうのがね。西澤さんもそういう風にこの頃変わってきましたよ。この前踏んでもらった時にそう思いましたけど。やっぱり一つ一つきちっと踏んでいくということができてくるように、だいぶ、なってきました。ま、2年目、、3年目だからね当たり前なんだけど。ま、そうやって皆さんも一つ一つ丁寧に、一つ一つしか片付かないということをね、人生は。ぼちぼちしか行かないもんです。ぼちぼちぼちぼちやっていたら、その内、「この世の終わりのその日の夜明け」もやってくる。

「この世の終わりのその日の夜明け」って言う言い方、僕が今度のパンの本に書いてたでしょう?あの本はどれくらい売れるかわかりませんけど、あの最後におよそパンの本に似つかわしくないようなこと書いてあるんですけどね。しかし、まあああいうパンを作ることによって僕自身がどういう風に成長したかという一つの記録でもあるような書き方してると思うので、あそこに載せてみたんですね。だから、パンと言うものを通してどれだけ世の中を見る目が広がっていたかということね、そして人生の出会いができたりして、どういう風に展開して行ったか、それがいまだにまだ発展形で続いてるんじゃないかなあって自分では思うんですね。

だから、いつまでたっても完成形なんて、完成するなんてことないと思うんです。それで、「この世の終わりのその日の夜明け」って言う言葉をですね、あれは宇野重吉と言う俳優が「西の国の人気者」って言う、シングって言うアイルランドの劇作家がいるんですけど、その人の「プレイボーイ」って言う原題の芝居なんですね。この芝居を、あれは民芸…民芸ですね。民芸が上演した時に、まだぼくがわかいとき、大阪で見たんです。

その舞台で宇野重吉が「この世の終わりのその日の夜明けまで…」なんて言うね、ぼそぼそっとした喋り方で言うてるの聞いた時、「この世の終わりのその日の夜明け」っていう言い方ですね。この言葉に非常に衝撃を受けたんですね、僕は。で、それが松村みね子さんって人が訳してるのでは、「最後審判の日まで」って訳してるわけですね。それを「さばきの日まで」と言うルビを振って、だから、あれ「裁きの日まで」ってたんに喋るのと「この世の終わりのその日の夜明けまで」という言い方をするのとでね、同じ内容を言ってても、表現というものによって広がるイメージがまったく違いますね。

この訳は菅原卓って言う人の翻訳なんですけど、たまたまそういう台詞を聞くことで何かはっと目を開かれたんですね。だから、物事に関心持ったら思いがけないところでいろんなことに気が付いていく、そういう「この世の終わりのその日の夜明けまで」という一つの言葉を知ったことで、聞いたことで、僕が何かを表現するとき、もうちょっとこう表現の仕方がないかな、とまあそういう工夫、考え方をするように、頭が働くようになってきてるということです。なかなか思ったような言葉は書けませんけれども、しかし、一つの言葉でもそうやって、何かこういつも考えてると何かヒントをくれて、それが次の仕事をしたり、書いたりするとき、ただやっぱりこういう風に書いてしまったんじゃしょうがないな、何かないかな、という、そういう別の見方ができるっていうことですね。

だから、たいていの人が自分の一つの立場だけでものを見てる人が多いんです。固定した自分というものは。それが柔軟に、頭が柔軟になってくると、いろんな角度から物が見えるようになってくる。そうすると、何かこう、その後の物の見方とか、自分の中を豊かにしていくという意味でもね、役に立つんじゃないかな、と思うんですね。だから、まあ、色々、本もしっかり読んだり、話も聞いたり、あなたもしっかり本読んで。

二、三日で読んでおいでって渡した本が三月くらい前になるんですけど、まだ三分の一くらいって言ってるんですよ。ああいう本は僕はだいたい二日くらいで読みます。これくらいの本ね。数百円の文庫本とか言ったら大体三時間くらいで読んでしまう。やっぱり本も
しっかり読んでるとだんだん早くなってくるので、そうすると理解力が早いから早く読めるっていうことにもなってきます。だから、速読で11秒で1冊読むってあんなことまでしなくていいですね(笑)。まあ、だけどやっぱり理解力が早くなって来ないと本も早く読めないんですよ。一つ一つ立ち止まって考えとったら、またなかなか読めないってこともある。だから、本はこう斜めに、パーっと斜めに見たら読めるようになってくるんですね。練習してご覧。

まあ、あの慣れてきたら早く本が読めるようになりますね。僕は芝居の世界に入ったので本を読む速度が遅くなったんです。それは、芝居のせりふ読む時は喋らないといけないでしょ?だから、喋る速度でこう練習したりするとき、読むからつい、目で見てるんだけど読んでしまう癖がついて来て、若干声に出してしまうのね、心の中で。そうすると本を読むのが遅くなる、この頃戻ってきましたけどね。パーっと読む。多分、まあたいていの人が3日くらいかかるような本は2,3時間で読んでしまうようになってきますからね。

そうすると、1日5,6冊は本が読める、と言う風に。

(受講生)いっぱい読んでると忘れてしまう。
(受講生)先生は忘れない!
(宥厳先生)まあそんな感じでしっかりいろんな本を読んだり、それからピアノ弾く人はピアノ弾いて忘れないようにしないと。そう言えば西澤さんどうかわからないけどね、もし12月23日にあそこの社団法人のところで、私に笛を吹くかピエロになって障害者の人を楽しませてくれとか言う(笑)。それで、あんなとこへ行って「がらんどうは歌う」やったってね(一同大爆笑)。それで、じゃあ笛くらい吹くよって言って、それで、うちにピアノ弾く名人がいるから頼んでみましょうかって言ってるので、まあ時間が取れそうだったら、年末で忙しい時ですからあれですけどね。ギャラは出ないと思いますが、まあ交通費くらいはふんだくりますから(一同笑い)。

まあ、そんなことでじゃあまた来月。あのそれから岩谷さんは来月は来れそうですか?わからない?
(堀さん)一応その予定ですけど、まあちょっと12日から入院されたみたい。三日ほど。

(宥厳先生)まあ、少々のことはめげないで、いろんなことが起こりますけど人生って言うのは。こんなこと言うてたって、明日のこと誰もわからないのね。あんなこと言ってたのに先生…なんてことにならないように(一同笑い)、しようと思ってますけどわかりませんから。まあ、こればっかりは(笑)

(宥厳先生)じゃあ、まあ、どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)気をつけてお帰り下さい。



あとがき
今回は4回も楽健法が出来て、心身ともにリフレッシュできました。何かと笑いが多い二日間でした。少しずつお互いが分かってきて、居心地がよい時間と空間になってきました。いえ、決して前が悪かったわけではないのですが仲間感がちぅ~

来月もよろしくお願いします。皆さん、よろしければコメントをお願いします~

ブログできましたメールが必要でしたら、rakkennine@mail.goo.ne.jpへメールをください。



第6回9月11日(1日目)その1

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座
新しくなった東光寺












始まる前の自習(笑)

広くなった道場!





噂の恭子の部屋!


恭子の部屋の中!

楽健法の前のお話


9/11(土) 12:55

(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)何かずいぶん久しぶりのような気がします。ここの工事を8月13日、私たちがインドへ行って帰ってきたら工事ができてるという、そういう予定で工事を進めてもらったんです。ところが、11日にインドに出発しまして、21日に帰ってくるという予定をしとったんですけれども、インドの受け入れ側が少し、何かふらついてまして、方針がちょっと何かガタガタしてきましたもんですから、というのはまず第一はインドの受け入れ側のシュリシュリ・ラビシャンカールさんが、いるから来てください、と言うことだったのに間際になって外国から帰れない、というような連絡をもらったのです。

それで主のいないところへ行くというようなことになっちゃったんですね。それでも楽健法の指導はできなくはないんですけれども、まあ一番肝心の先生がいないと、つまり宥厳先生もお幸さんもいないような東光寺に訪ねて行くようなものですから、これは困ったことだと思って思案したのですが、アシュラムには1日か2日視察のための滞在をして、あとは南インドの観光旅行に切り替えようと思ったんです、急きょ。

ところがそれも、観光旅行は向こうへ行ってから企画を立てるというようなことになりますので、事前にある程度の予定をたてて動くような旅行だったら大人の旅行と言えるけれども、行き当たりばったりで行くっていうのはちょっとやばいな、という気もあったりしたんですね。

そう思って迷っているところに、更に電話がかかってきて、ニューデリーにシュリシュリ・ラビシャンカールさんが2日間おるのでその期間、宥厳先生だけでも来てくれ、とか言うような電話をもらったんです。それで、向こうに着くなり一緒に行った仲間をほったらかしにしておいて、僕がニューデリーに飛んで行ったら仲間はどうするんだ、というようなことで、そんな無謀なことはできないと思って、琴美ちゃんに電話で相談すると、「先生はやめる気はないんですか!?」なんていう意見だったので、「あ、やめたほうがいいな!」と決断して、即やめることにした。それで、キャンセルしました。

楽しみにしてくれてた人にはちょっと悪いなと思ったんですけど、まあしかし、この暑い時期にねどう展開するかわからないようなインド旅行へ行かなくて良かったのかもしれない。

(琴美ちゃん)あの後、ニューデリーで鉄砲水でやられたんですもん。
(宥厳先生)そうですね。たくさん死にましたよね。
(琴美ちゃん)そうです!
(宥厳先生)それで東光寺も工事を13日からやってもらう予定にしてたので、だからもうちょうど工事し上がるまでやっぱり付き合った方がいいと思って、結果的にはここにおってよかったです。本当に暑い、もうめちゃくちゃ暑い時にここの屋根を全部へっぱがして、持ち上げるために梁を入れたり、この作業は本当に大変な工事だったんです。

こんな工事をお願いして良くやってくれたもんだと思うような感じで、見事に、早いこと、割と早いことやってくれましたね。工事の仕事ぶりを見ながら、さすがプロだな、と思って感心しました。僕も自分で何でもチャレンジしたらできるように思ってるところがありますけれど、とてもこの真似は出来ないと思って、やっぱり餅は餅屋に任さなあかんなと思った次第でした。

まあ、そういうことで。ちょうどこの2日前の木曜日に2階のエアコンつけたので、それでまあ大体終わったんですけどまだ2つだけやってもらってないところがあって、恭子の部屋の網戸(一同笑い)。何故、恭子の部屋ってトイレに書いてあるか、と言うと、僕が道場の改築工事をするっていうたら恭子ちゃんが「トイレも作ってくれるんですか?」って僕に言ったもんですから、でショックを受けましてね。あ、そうなんだ、と思ってね。それでもうあれは恭子が言い出してできたもんだから「恭子の部屋」になっちゃったんだけどね。まあそういう経緯ですので誤解なさらないように。あそこに住み込むわけじゃない。せっちん詰めって言うんです。将棋の手ではせっちん詰めって言ってね。有名な手がありますけどね。まあ、そんなことです。

それで、今日は私と西澤さんはちょっともう少しリハーサルしたいので。まだちょっとあやしいところがあって、まああの、怪しいところがなくなるという保証はないんですけどね、芝居の稽古なんていくらやってもね。何回やってもこれで完璧なんて安心できるようなことにはなかなかならんと思いますけど、まあ、もうちょっとやっておいた方が良い感じなのでもう少し練習させていただきます、ここ抜けて。申し訳ないですが。

それと、マドゥ・プリヤさんがもう間もなく来られるかなと思うんですけど、彼女の舞踊のあらすじを印刷しとかないかんのですが、まだやってなかったもんで今から慌てて10分くらいで作ろうかと思っています。それと今日のレジュメをお渡ししたのは、9月18日締め切りの日本未来派と言う詩の同人雑誌に書いた原稿です。

最近は毎月のように「どうだん」の短歌を発表する前に、皆さんに毎月披露してるんですがよく考えたら「どうだん」には合併号って言うのがあって。1月号が出てその次2,3の合併号が出るんですね。この間6,7の合併号が出たんですよ。ということは毎月じゃなくて年に2回合併号が出るから1年間に10回ということですね。僕は毎月こう原稿を送ってたもんだから2回だぶってくるはずだと思って、この間確認してみたら、僕の原稿をもらってないとか言ってるからそんなバカなことがないはずだと言って照らし合わせてみたらやっぱり編集部のミスで、僕は後2回は短歌を書くのをさぼっても貯金があると言うことが分かったのです。そんなことで今回は日本未来派に書いた詩を皆さんにちょっと見てもらおうと思って出しました。

それで今夜ここで芝居やらやった後、接待でいろいろゆっこ先生を始め皆さんに大変な思いをさせるかもしれませんけれども、なるべく簡単で見栄えが良くて早ようできて、ああ、美味しかったって喜んでくれるようなものをね、ひとつ工夫していただいて接待をしたいと思うんですね。で、お接待と言うのはまあ、お接待と言う言葉ご存じでしょう?接待って言葉知らない人いる?この中で。お接待くらい知ってるわね。お接待って言うのは、梓知ってんのかな?(笑)

(梓ちゃん)接待…
(宥厳先生)うん。
(梓ちゃん)人を持てなす?
(宥厳先生)まあ、そうなんだけど。お接待するって言ったら要するにお寺、四国なんかではお接待するって言うとお四国周りでお参りしている人をね、ちょっと呼びとめて、どうぞ食べて行って下さいっとか言って、無償でね、おもてなししてあげることを接待と言う風に言うんですね。四国のお接待なんかの場合は、お接待を、もしね、もうさっき食べたばっかりですからお断りしますとか、今夜泊めてあげますって早い時間に言われてるのに、いやもうちょっと行きますからとか言って断ると、その晩は宿は取れない、なんて言うことをね四国なんかではよく言われるんですね。

だから、まあお接待受けた時は快く受ける。相手の好意を頂くっていうことですね。またそれを皆さんがお接待として、例えば、楽健法やってあげることもお接待ですよね。そういう意味でお接待と言うのはとても大事な、日本人の何かもらおうと思って報酬を目当てにしないで、無償の行為でやってあげることをお接待と言う風に言うんですね。

まあ、そんなことですから、みなさんもあちらこちらでお接待できる人に是非なってほしいですね。お接待をするゆとりもないっていうような、気持ちのゆとりももちろん必要ですし、まあ、恵まれたお接待が、でも貧者の一灯と言う言葉がありますからね。貧しくてもできるお接待。体さえ歩けたらちゃんとできるお接待っていうのは僕、楽健法なんか立派なお接待の手段だと思いますね。おにぎりあげるだけがお接待じゃない、と言うことも言えると思うんです。

それで、ちょっと詩だけ簡単に説明しましょう。この「地を這う」と題名に書いてますけど、地を這うのはミミズのように地を這うのか、大蛇のように地を這うのか、人間が苦しんでいる姿も地を這うともいえますから、いろいろ地の這い方もあると思うんですが、

【「地を這う」朗読。雑誌掲載後、一括全文掲載予定】

まあ、こういう詩を書いたんですね。まあ、何か自嘲みたいな変な詩ですけれども。歳をとると言うことをね嫌でもこう、「お前は年寄りなんだ!忘れるな!」てなことですね。ほれ見ろ16枚の絵が思い出せなかったではないかなんて言うような感じで色々試験されるんですね。だけど、この中でね、あの試験を一緒に受けたらね、みんな100点取れるなんて絶対に思わないね。僕の方が成績いいかもしれない。
(受講生)そうですよね~
(宥厳先生)と、思って、そんな風に思う年寄りは鼻持ちならんって(一同笑)。それでスピード違反で捕まるんです(一同爆笑)。まあ、そんなことですね。

それから、「楽健寺酵母でパンを焼く」というパンの本が出ました。3年前の秋に出る予定だったのがやっと今頃本になったんですね。それで、1260円で安い本ですので、60円の消費税はここでは頂きませんので、もし興味があったらお買い求めいただいたら有りがたいです。この本のあとがきにはあまりパンの本らしからぬ、この日本未来派という詩の雑誌に掲載した、「詩と経験」という文章をそのままほとんど手を加えずに載せて、それをあとがきにかえたりしてるんです。

この本は率直に言うと、私はこういう類の本は嫌いなんです。自分で書いておいてね、嫌いなんて言ったら失礼だと思うかもしれませんけれど、それは物理的にも趣味の範囲で言うと、こうやってめくってるとキュウって音がしたり、開いてるのに勝手に戻ったりする、分厚くて、紙がね。そういうのも嫌いだし。それからこれパン作りの段階で最初の話は私の思いのたけをしっかり書きこんでそれでパンの本書いてください、なんて言うからもうちょっと文章の多い論文みたいなものでもいいのかな、とかね。力作を書けばいいのかな、なんて思ってたんですけど、向こうの企画は色んなレシピを、これ30ほどレシピ、そういうレシピを載せて、それで、その辺のお姉ちゃん方が、「まあ!このパン作ってみよう!」なんて思うような本にどうもしたかったらしいんですね。

それが、どうも私にはそんな仕事は肌に合わんのですね。それで、レシピもレシピなんて書いたことありませんしね。だから、レシピなんて見て何かをするようでは駄目だとか、何もかもヤマカンでやれ、なんていつも教えてる方ですから、パンの砂糖が14gとか15gとか、この中でも「約14g」って書いたり、「約15g」と書いたり。約14gと約15gと何が違うのかってのは、まあ厳密な話をするとね、そういうこと考えているうちに色んな疑問も湧いてくる。それで、この本にレシピはやっぱり実験もしないでやるのはいかんので、DVDのモデルをやってくれた古田希和子さんが、絶えず色んなパンにチャレンジしてるの知ってましたから、彼女にレシピの下書きを書いてもらったんです。たたき台を。

彼女と相談しながら、レシピに合わせて、パンの試作、実験もやったりして、ま、それをもとにこの本が出来上がっていったわけです。撮影はここで2泊3日でやったんですけど、小林恭子ちゃんが泊りがけで手伝ってくれました。それでこの本の奥付の所に古田さんと小林恭子さんと山内幸子さんと三人に、ありがとうございましたっというのをチラッと載せてあるわけです。

それでこの本は今書店に出回って…出ていまして。出回ってるって言ったら何かバイ菌みたいですけど(一同笑)、書店に今並べられて出ています。それで、8000部初版印刷したそうです。それで再版、初版からまた再版するかどうか、8,000部売れるかどうか。早いこと売り切れたら、なくなりそうだと思ったら、また出版社が作るかもしれませんので、まあ、それでもこの本が例えばものすごい人気が出て100万部売れたらねぇ、もうこの道場、もう一回建てなおしますからね(笑)。だけど、まあそう甘いことには、甘い考えではいかんと思いますけれども、まあ、一応こんな本ができたので記念にぜひ取っておいてください。

それで、こうやって写真を見るとね、ここで醗酵させて、あんまりパン種の出来も良くないようなので、発酵させて作りましたから、まあ家内とか僕らが見ると、何じゃこりゃ!発酵がちゃんとできとらんじゃないか、と言うようなことが写真を見たらパッとわかるんですけど、まあ素人にはわからんじゃろうと、だいたいそのくらいの大きさになっていたらいいじゃないかというようなところで妥協点を見出して写した写真もありますね。まあ、そういうこともありますけれども、まあ一応この通りやればパンが作れるという仕掛けにはなっていますので、もしこの本を見られて誤植があるとか、ここはおかしいじゃないかと思うところに気付きましたら、是非、改訂の時に書きなおしますので、修正しますので教えて頂きたいと言うことをお願いしておきます。どうぞ、よろしくお願いします。

それともう1枚の方は、これは日本未来派という雑誌に「森」という欄があってそこに原稿用紙3枚でエッセイを書いてくださいと言う、そういう注文が年に1回くらい来るんですね。それに書いたものです。それで、ちょうどパンの本が出たばっかりなので、まあパンの本と言うタイトルで、こういうエッセイを書いてみたんですけれども。あ、ちょっと読んでみようかな。誰か読んでもらおう。誰が読んでくれますか。あなた読んでみて。

【「パンの本」朗読。雑誌掲載後、一括全文掲載予定】

ま、こんなことで書いてみたんですね。これは日本未来派が出てからブログに載せると言う風に、この文章はね。先に発表すると、未発表の文を雑誌に載せなあかんので、と言われてますからね、そのつもりでお願いします。「どうだん」の方はいつも先に載せていますけどね(笑)。出る前から。まあ、そんなことですね。

じゃあ、後の予定が、舞台のことやらやらなあきませんので、それから接待の食事を作ったりせなあかんと思いますので、サッと早い目に楽健法をやって切り上げて、それでここはこう2列に机を並べて、ちっちゃい机も置くとこう4列に真ん中は背中合わせになりますけど、座れますから、そういう風にセッティングして接待したらと思います。まあ、あんまり後、疲れた~と言うほどいっぱい欲張って、もの作らないで結構ですから、お寺のことですので簡素なものでよろしいから一つ、ご協力いただいてみんなと一緒に楽しめると言う風にできたらと思います。

で、今日はフラメンコギターの人が一人来られて2曲くらいですけど、「こいでみのる」さんやったかな?「たかし」じゃないね(笑)。こいでみのる、と言う人が名古屋から来てくれます。それで、マドゥ・プリヤさんのダンスがちょっと長いかもしれないんですけど、それの解説、説明、いつも長いこと解説に時間取ってね、10分も喋っとったら踊る時間が減っていきますから、まあ印刷して渡しますから、おしゃべりは短くやってと言う風に言うてあるので、そのつもりでまあやってくれると思います。それを今からプリント、レイアウトして印刷する予定ですので、まあ一つよろしくお願いします。じゃあ、今から楽健法やりましょうね。え~と、だいたいみんな揃ってるのかな?相手、人数。今日、増野さんがちょっと体調が悪くて休まれたんですよね。どうなるんかな?ちょうど行ける?

(幸子先生)琴美ちゃんが一人になる…。
(宥厳先生)じゃあ、半端になるの?
(琴美ちゃん)そうそう、半端になるから私抜けます。
(宥厳先生)ほな、半端になったら君残ってやって下さい、楽健法ね。それで、楽健法あんまりだらだらやらないようにして早い目に切り上げるようにしてね、終わってから、僕はもう少しセリフをリピートしておいた方が安心できるのでもうちょっと上で一人で印刷物作ったりしてやりますので、私は抜けますけれどもそのつもりでやって下さい。それで、岩谷さんがせんだって手術をされたんですね、結局。病院へ通院してする透析ではなくて何か自分で自宅でできる透析らしいですね。何かあの透析ってする、したらお腹に何かひっつけてそのままにしておくんですか?

(受講生)そう、何時間か。
(宥厳先生)何時間って外せないの?それは。
(受講生)外せる。
(宥厳先生)外せるの?
(受講生)それでお勤め行けるから。
(宥厳先生)なしで?何もつけずに?それで、傷口どうなる?
(幸子先生)管がここまで出てる。
(宥厳先生)いや、管が出てるでしょ?それ管をはずしてしまえるの?それはずっとつけっぱなしなんでしょう?何か眼鏡みたいなもんだったら外したり着けたりできるんだけど、そうじゃなくてもう手術してひっつけちゃうわけね?大変だね、そういうの着けてるの。まあ、人口肛門よりましかもしれないけどね。肛門なんて言うたらここに便器をつけて歩いてるわけだから。うつ伏せにもなれないし、大変だと思うけど。

まあ、しかし、透析してると体は楽だっていってこの間電話を貰いましたけどね。まあ、そんな様子なので今月は楽健法で踏んでもらうっていうことは難しいと思う。まだ傷口が癒えてないので、まあ今月は休ませてほしいってこと。来月はお寺の仕事があるので、来月も無理というようなことで、そういう風に聞いています。

それで、10月はアーユルヴェーダの研究総会が広島でありまして、それで去年は東京で増野さんに楽健法の講演とデモンストレーションやってもらったんです。今年は広島で谷川さんが発表してくれることになって、そこで、パワーポイント使って発表してもらいます。

広島のここへ去年来ていた藤山美智子さん、それから福山の教室へ来ている生徒さんなど、何人かでデモンストレーションしたほうがいいかと思います。楽健法の前半と中間と後半、と言う風に分けてデモンストレーションすればわかりやすいかなと思っています。

まあ、谷川さん、そんなことをちょっと覚えとってね。それで、あなたの作ったファイルはメールで先に、僕が総会本部へ送っておきますから。じゃあそんなことで今から楽健法やりましょう。よろしくお願いします。

今から流す音楽は、この人、堀江真美さん。これはデモのCDですけれど、ちゃんとプレスしたCDが今月の後半に売りだされます。まあ、雰囲気気に入ったらまたこれも買ってあげて下さい。

第6回9月11日(1日目)その2

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座
楽健法(16)



危ない!踏まれちゃう!!


おやつ!


いやん(*/ω\*)


今晩の準備♪


三種類のベーカリーで焼きました!


これです!


今晩、食べるぞ~!!

東光寺3つの奉納公演

6時半 本堂での公演が始まる 9/11 18:32

(司会・幸子先生)少し、私たちの気持ちをくんでもらったのか涼しくなったように思います。一番始めに、こいでみのるさんのフラメンコギター、その後はまた色々とお楽しみです。帰りはもうすぐに帰らないで、ご馳走が待っておりますのでまた楽しみにしてください。では、始まります、よろしく。(拍手)


(幸子先生)次はマドゥ・プリヤさんのインド舞踊です。何度かうちへは来ていただきまして今年もご無理を言いました。どうぞ楽しみにしてください。どうぞ、マドゥ・プリヤさん。





【マドゥ・プリヤさん登場】

(マドゥ・プリヤさん) みなさん、こんばんは。バラタナティヤムダンサーのマドゥ・プリヤです。
今年もまたこちらの東光寺で踊りをお供えできることになり本当に嬉しく光栄に思っています。
今回はシャクンタラー姫」という古典戯曲に基づくスペシャルな演目をご用意しました。
この曲は約40年くらい前に私の師匠が振付けし、ずっと封印されていたものが、一昨年、師匠の娘が踊ってリバイバルさせたとても貴重な作品です。
今年はこの演目を皆さんと一緒にいきいきとした形で楽しめればと思います。

ちょっと長めの演目で、4,50分くらいかかりますので、みなさんどうぞ楽に座って下さい。
では今から簡単に物語の説明をしたいと思います。

あらすじ:天女の娘であるシャクンタラー姫は森で置き去りにされていたのを、カンヴァ仙人に拾われ、養女として仕えていました。
そんなある日、偶然森に迷い込んだドゥフシャンタ王と出会い、恋に落ちます。
お互い愛を誓いあった後、ドゥフシャンタ王は必ず迎えに来ると言い残して、
いったん森を離れます。
しかし王は彼女のことを忘れてしまう呪いをかけられてしまったため、
森に迎えに来てはくれません。
ずっと王を待ちあぐね、やがて王の子供を身ごもっていることに気づいた
シャクンタラーは、森を出て、自ら王の城へ向かうことを決意し、その旨を
蓮の葉の恋文にしたためて仲良しの鳥に託し、王に向けて飛ばします。。。

この後にも長い続きがあるんですけれども、今日ご紹介するのはその場面までです。
今日はこの踊りと物語を、皆さんにも一緒に読みとって頂きたいので、簡単にあらすじをムドラーと言われる手の形でも紹介して行きたいと思います。

たとえば、手紙の文面は次のような内容です。
「私の王、私の美しい恋人、ドゥフシャンタ王よ。
この世界であなたの美しさにかなうような人は一人もいません。
あなたは月の光のように輝く額をし、弓矢のように美しいカーブを描いた眉をしています。そして、この蓮の花びらのように大きな瞳、また、たくましい腕と肩を持ち、象のように威厳を持って歩きます。

美しいドゥフシャンタ王よ、私はあなたと出会って以来、
毎日毎日あなたのことを全身全霊をこめて思ってきました。
どうぞ一刻も早く、私のもとに来てください。
愛神の強力な矢、キューピッドの花の矢に貫かれて以来、
私はあなたに恋い焦がれて、憔悴しきっています。
私はこの苦しみにもう一瞬たりとも耐えることができません。

私はこの恋文に私の思いのすべてを託します。
私は森も東屋も仲良しの鹿達も、友達も全て捨てて、
山と川を越え、あなたを探しに行く決心をしました。
あなたをこの胸に抱きしめることだけが私の願いです。
どうぞ、この恋文があなたのもとに無事届きますように。

そして、シャクンタラーは仲良しの鳥を呼んで、恋文を鳥の足に
巻きつけ、想いをこめて王のもとに飛ばします。

では、「シャクンタラー姫」をご覧ください。










(幸子先生)マドゥ・プリヤさんのインド舞踊でした。今から5分間ちょっと休憩させていただきます。


『がらんどうは歌う』
【西澤さんのピアノ演奏】
【宥厳先生の笛と西澤さんのピアノコラボ】








今日はサービスたっぷり、歌なんぞ一つ歌ってみようと思います。この歌を何故歌うかと言うことは後で説明いたします。

【宥厳先生熱唱】

『かぐや姫・吟遊詩人の唄』
作詞作曲 三木鶏郎

  1.はじめの男は印度にわたる
    仏陀の石鉢天然記念物
    ピカピカ光らず真っ黒なので
    よくよく見たらばメイドインジャパン
    (以下くりかえし)
    泣く泣くかぐや姫
    月の出を見て泣きじゃくる

  2.お次の男は蓬莱山へ
    行きと帰りで千夜一夜
    玉の小枝と思うたら
    話も土産もみんなイミテーション
    (くりかえし)

  3.第三の男が中国船(ぶね)に
    頼んだ衣は火ねずみ防火服
    そこで火をつけ焼いてみたら
    見る見るメラメラ灰と消えた
    (くりかえし)

  4.第四の男は 竜の玉を
    探しにのこのこお船で出かけ
    のりだす荒海 台風ハリケーン
    命からがら 逃げかえる
    (くりかえし)

  5.最後の男は燕を探す
    今ならさだめし望遠レンズ
    子安の貝をつかんだら
    もっこの綱ぎれドシンと落ちた
    (くりかえし)





第6回9月11日(1日目)その3

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座
(宥厳先生)ありがとうございました。(拍手)
この歌、聞いたことありますか?これは、三木鶏郎(みきとりろう)と言う人が作った吟遊詩人の歌っていう歌で、竹取物語をテーマにした曲なんですね。何故私がこの歌を好きになったかと言いますと、そうですね、今からもう数えられないくらい昔なんですが、私が23のときに、なかなかしっかりした青年でして、起業したしました。起業して木工所をこしらえて額縁の製造を始めたんですね。それで、いつも仕事をしながらラジオをかけていたんです。ラジオを聞きながら仕事していた。

そしたら、当時はまだテレビのない時代で、朝日放送と言う民間放送のラジオ局もできて間もないような時でしたけども、そのラジオからラジオ歌謡と言うものが流れて来たんですね。毎月新しい歌謡曲を作って1カ月流すと言うそういう番組ですね。それで、この曲が流れて来たんです。河井坊茶っていう男の人が歌ってたんですね。

それで一ヶ月間、仕事しながら聴いていましたから頭の中にインプットされてしまったんです。それから、まあだいぶ年月が流れて、いつとはなしにこの歌も忘れてしまっていたんですけれども、アーユルヴェーダ研究会の事務局長をするようになりまして、私は通算18年もアーユルヴェーダ研究会から学会になっても事務局長をやったんですが、まあ研究会のことですから毎月集会もしますし、年末なんかになりますと忘年会もやると言うようなことで、その宴会の席でですね、ま、私が歌がうまいと言うようなことを誰かが言いだして、それで、「山内、歌ってくれ」ってよく言われたんですね。

その時にまあ、私はカンツォーネなんか歌うのがどっちかというと得意なんですけれども、まあこの最初の歌詞が、「はじめの男は印度にわたる」と言うのが出て来ていますし、それでインド医学の研究会ですからね、この歌を歌ったんですね。

ところが残念なことに③番くらいまでしか覚えてないんです。そこまでで終わりって言うわけですね。そしたら、丸山博という先生なんかが「山内くん、後2つ知らんのかね!」ってこういかにも聞きたそうに言うわけです。そういうことを言われて、何とかこの歌詞を全部知りたいとずっと思い続けていたんですね。それで、インターネットと言うものが出来るというようになって、それでもインターネットが出来てから検索してもなかなかこの歌を見つけることが出来なかったんですよ。

今から5年ほど前のことですけれども、三木鶏郎のホームページって言うのが、三木鶏郎さんはとっくに死んでるんですけど、そういうホームページができて、それでやっとそこにメールが送れるようになったもんですから、「私はこの吟遊詩人の歌を3番までしか知らないから、あと二つの歌詞を教えてくれませんか」とメールを送ったんです。ところが、全部送ってくれたんじゃなくて、知らないはずの2つの歌詞だけ送ってくれたんです。そしたら、それは私が歌ってるところだったんです。それで、これはいかんと思って、それで私が覚えている歌詞を書いて送ったんですね。そしたら、全部送り返されてきてそれでこの5番までの歌詞が全部わかったんです。

それが、私の30年間のうちで一番うれしいことだったんです。こんな嬉しいことはなかったんですね。それで、時々ね歌ってみたいな、と思って。

まあ、三木鶏郎って言う人は冗談音楽なんて言ってね、あんまりみなさんも昔の話ですから知らない人が多いと思いますけれど、ラジオなんかで♪僕は特急の機関手で かわいい娘は駅ごとに いるけど三分停車では キスする暇さえありません 東京 京都 大阪♪というような歌…聞いたことあるでしょう?あんたは…若い人は知らんね(笑)。まあ、そういうようなコマーシャルの歌もたくさん作った有名な作曲家、作詞家ですね。ま、その人の歌でこの吟遊詩人の歌というのが私、ちょっとメロディーのね、ちょっとヘンテコなんだけど、哀愁もありまして、まあ好きなもんだから、今でも時々歌います。あんまりこの歌を歌うと家内に馬鹿にされるんですけど(笑)。まあ、臆せず歌ったりして。


と言うようなことを皆さんのにで今出てきましたけれど、私が今からここで何をしようとしているのか、もちろん皆さんは何もご存じないわけです。例えばですよ、…

【独り芝居に突入】





























終演。



カーテンコール

(宥厳先生)マドゥ・プリヤさんです。どうもありがとうございました。こいでさんです。どうもありがとうございました。西澤真由美さんでした。マドゥ・プリヤさんはもうここへ毎年10年目位?
(マドゥ・プリヤさん)そうですね。9年目か10年目くらいです。
(宥厳先生)9年目ですかね。毎年、お越しいただいております。それで、こいでさんは何年か前に撮影をするために東光寺へ来て、ここで、撮影したマドゥ・プリヤさんと私のビデオを何分くらいかちょっと忘れましたけど、おもしろい映像にまとめて頂いて「色と空」と言う映像を作ってもらいました。また、機会があればいずれ皆さんにお見せしたいと思います。映像作家として色んな作品を作ってDVDの販売なんかしていらっしゃいますからまた機会があったら是非見てただけたらと思います。




どうもありがとうございました。


第6回9月12日(2日目)その5

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座
すがすがしい朝が来ました!


朝のお勤め

マドゥ・プリヤさんも


ウトウト…


メラメラ…




ご利益。ご利益。



朝の作務




朝ご飯



窓が大きくなり、岩に彫り込まれた仏様がよく見えます。


「楽健寺酵母でパンを焼く」の出版記念にサインを…

昨夜の感想9/12 8:50
平野さんからメールが来ています。ちょっと僕、眼鏡が合わなくて読めないので読んでください、はい、声出して。大きな声で!






宥厳先生おはようございます。今、家に着きました。

昨日は、お世話になりましてありがとうございました。
宥厳先生も、幸子先生もお元気で嬉しかったです。

先生が舞台に出てこられた瞬間から涙が出そうでした。
お芝居は3回目ですが毎回感じるものが違います。
今回は、生と死について、そしてこれからどう生きるかという事を考えさせられました。
行って良かったです!
強行スケジュールでしたが、リフレッシュできた一日になりました。
皆様の温かさに触れることができて、また今日から頑張れます。
ありがとうございました!

幸子先生のご飯、美味しかったです。
幸子先生、皆様にも宜しくお伝えください。

ますますのご活躍をお祈りしています。

                            平野 奈緒美






どうもありがとう。じゃあ、まあ昨日はギターのこいでさんも、今皆さんのこの裏っかわに印刷していますので。催しが。こいでみのるさん。こいでみのるさんは前からこのひらがなで名前書いてました?
(マドゥ・プリヤさん)独立してから。
(宥厳先生)独立してからかな。僕は名前を平仮名にするって言うのはあんまり感心しない方なんですよ。時々平仮名で名前を書く、全部する人いるんだけど何か自分の個性をどっかで、こう隠したいのか何だか知らないけど、柔らかくなるわけでもないのに漢字でいいじゃないかと思ったりするんですけど、まあそういう気はするんです。今度会ったらそない言っとったってそない言うといて。何故平仮名にするのか。平仮名にしたら男前に見えると思ってんのか、とか(笑)。

あの、一人ずつゆっ子先生から感想お願いします。




(幸子先生)マドゥ・プリヤさん、昨日は本当にありがとうございました。1曲の中であんなに長く踊れることに興味を覚えました。そういう時間を素敵に保てるというのにすごく尊敬させていただきました。今後ともよろしくお願いします。

(宥厳先生)それで終わり?
(幸子先生)あ?長いし。
(宥厳先生)他の芝居のことも(一同笑)。衣装の話とか。
(幸子先生)あの~衣装の話に関しましては、昨日、中島さん始め皆さんにご苦労をかけました。前の日まで何も考えていなかった、みんなの恐ろしさっていうのか、それが我ながら…「そうこう」の妻といたしましては、その「そうこう」も走り行く「走行」ですけれども[本当は「糟糠(そうこう)」]、何も考えてなかったのでとっさに5,6人で近鉄まで行きまして、コスチュームを探しに、買いに行きました。まあ私の頭の中ではちゃんとあったんですけど、また差し出がましいことをして怒られたらいけないので。いつも怒られてばかりですのでね(一同笑)。それで、もうあそこしかないと、アカベ…アカンベエじゃない、アガベ?
(受講生)アガペ。
(宥厳先生)アガペ。
(幸子先生)アガベーも、そこしかないと思ったらやっぱりこう自分の思ってたイメージのものがあったので良かったと思います。我ながらやっぱりすごいなあと思います。魔女ぶりを発揮したんじゃないかなと思いました。でも、いつもあまり気張ってやられると私の方がこう辛くなるんですけど、昨日のよかったんじゃないかと。40年間色々いろんな場所で見せて頂いておりますので、そんなに辛くなくてよかったな、と。
(琴美ちゃん)辛かったんだ…!!
(受講生)なんで辛いん?
(幸子先生)いやいややっぱりあんまりこう興奮してやられると。
(宥厳先生)そんな興奮してやったことないよ!
(幸子先生)いやいやいや!!!自分では思えへんけどやっぱりこうね、するともうちょっと抑えてほしいと思う所があったけど、ま、昨日は。
(受講生)昨日の感想ですからね。
(幸子先生)だから、昨日は衣装もある程度満足してたし。
(宥厳先生)衣装が良かったんだ。
(幸子先生)衣装がよかった(一同笑)
(琴美ちゃん)選んだの私やで!(一同爆笑)。みんなの反対を押し切ってあれにしたんだから。
(幸子先生)あれは値段の問題もあったので、オホホホホホホ。
(受講生)価値ありましたよね~
(幸子先生)それはまあね。中島さんにも試着していただいたりして、みんなボロクソ言うて、アハハハハハ。それも良かったかと思います。ねえ!女性どもではちょっと分からない部分もあったので。でも、やっぱり宥厳さん着た方が似合ってたなと思いました。すいません。
(受講生)のろけでした。
(幸子先生)はい、次です。




(恭子ちゃん)マドゥ・プリヤさんの…
(宥厳先生)大きな声で!
(恭子ちゃん)マドゥ・プリヤさんの(一同大爆笑)。プリヤさんのインド舞踊はとても素晴らしくて、感情が豊かで、手の表現とかも解説とかもしてくださったので、わかりやすくて本当に素敵でした。宥厳先生の衣装も、
(一同)衣装!(一同大爆笑)

(恭子ちゃん)とてもみなさんが厳選されたように素晴らしくて、本当に平野さんがおっしゃるように前回見たのとはまた違って新しい発見があるなと思って心を打たれました。ありがとうございました。




(岡本さん)私は舞台と言うものを生まれて初めて見させていただいたんです。インド舞踊ももちろん初めてですし、
(宥厳先生)もっと大きな声で。
(岡本さん)インド舞踊も初めてですし、すごい、何かしなやかさと言うのとそれに表情、全然出さないのにすごい運動量?あれは素晴らしいと思いました。またみたいなとすごく思っています。
(宥厳先生)表情を出さないと言うのは、そのしんどそうな表情を出さないと言う意味だね。
(岡本さん)そうそうそう。笑顔でされてたのにとってもしんどかったと思います。素敵でした。ありがとうございました。いつも見てる先生とは全然違うて、いきなりこう標準語にパッと変わられたときに、もうすごく何かぐっとうちに来るものがあったからなんかことばをしらべようかな~と思ってる最中だったんですけれども、ずーっと見てしまって、もうすごい感動しました。また来年も見せて頂きたいと思います。ありがとうございました。




(梅田さん)インド舞踊はすごく感動しました。何回か見せて頂いていますけれど今回はまた違った。前回とはまた全然違うなって思いました。すごい体力だなあと思います。あれだけの体力、私にはなかなか、半分も(一同笑)。すごいなと思いました。私なんか座って見させていただくだけなのにお尻がムズムズムズムズしながらだったのにすごいなあと思います。そしてぇ、昨日の宥厳先生のお芝居は前回は涙が出てきてすごく感動しました。すごく、今回は違った流れで同じ一人なんだけれども違った流れ、すごいあれは実話なんですか?とかね。昨日来られた方が、あれは実話なんだろうかとかね、涙が出てきました。すごかった。是非行ってくださいって何人かに言ったらね、来て下さったので、あれは良かった。ありがとう!ってすごい喜ばれて私も嬉しかったです。ありがとうございました。

(宥厳先生)ピアノのこともちょっと触れて。
(梅田さん)そうですね。長い間ね、時間、すごい長い時間ものすごいあれでした。ありがとうございました。体力もいるしね。




(古川さん)マドゥ・プリヤさんのインド舞踊は手と表情がすごい豊かで、月並みなんですがすごいなって思ったのと、後ずーっと50分くらいって最初の方におっしゃられたんですけど、ずーっと、ちょっと膝を曲げた感じで上半身はピシッてなってるあの体勢をあの時間ずっと続けられるって言うのはどういう訓練されるんだろうみたいなのを、ちょっと興味がありました。でも、すごい感動しました。ありがとうございました。宥厳先生のお芝居は感想が今日ここでポッと言えるほどなんて言うんだろうまだ噛み砕けていないので、ちょっとじっくりあれしたいと思いますけど、途中で太鼓の音とか救急車の音とかが、それに気を取られた自分がちょっと情けないなって思っちゃいましたけど。
(受講生)花火?
(受講生)お祭りでしょ。太鼓の演奏。
(受講生)毎回そうじゃん。
(古川さん)西澤さんのピアノは私は前回もすごく思ったんですけど、すごく好きなんですけど、多分あの、ちょっとゆっくり目に弾かれるじゃないですか、あの弾き方、多分、私すごい好きなんだろうなって、すごい思いました。はい、すみません。自分のことばかり言っちゃって。ありがとうございました。




(力武さん)昨日はインド舞踊の方はこれで2回目、東光寺で見るんですけど、立っておられるときに足を見ると、足の指の間が全部離れた状態なんですね。すごいなあと思って、足の指全部開いた形でこうしっかり、こう足を床につけてはって、小指とかも私はすごく短いんですけど、スーッと長い小指をしてはって、あれはインド舞踊で指が長くなったのか元々指はきれいに生まれて来てはったのかどっちなんやろうなーって思って、身体的なところではすごい何かこういや~ちょっと素敵やな~と思って見てて。
(幸子先生)指つけてはんのやで!
(力武さん)え!?指付けてはんの!?(一同笑)。ほんとに素敵で、でもすごい運動量とかが激しいので、普段とか、どれくらい練習してはるんやろなーって言うかね、すごいそういうの想像しながらこの一つの踊りに普段かけてはる時間とか、どんな風な生活を送ってはるのかな~とか思いながら見ていました。すごい感動して良かったです。

宥厳先生はパッと見たら宥厳先生が衣装がちがってたので、え!?とか思って、あれは宥厳先生やなどう見ても、と思ってすごい何かこういつもこうここで見ている宥厳先生と違ってダンディーな感じで、すごく劇をする前からカッコよくってやっぱり宥厳先生すごいな~っと思って、何かがこう宥厳先生に降りてきてるんじゃないかと思うくらい別人みたいな感じでお芝居の方とかも見てて、一人芝居っていうの初めて宥厳先生で見せてもらったんですけど、すごい、、、、
迫力とかも間近で見てたら伝わってくるし、何かすごく宥厳先生忙しいのにこの台詞とか全部覚えてはったんやとしたら、また宥厳先生も忙しい人やのにすごい記憶力やな~と思って宥厳先生を思って見てたりとかしてて、すごい良かったです。宥厳先生の違う一面っていうか才能とか見れて、先生、足踏みだけと違うんやって(一同笑)、足踏みだけでもすごいのにまだ他のことも出来はるんやって、こう何か、こう先生のすごい…。何か先生いっぱい才能があるんやあって言う風に思って、またそれも感動して見てました。

すごい着てはる、幸子先生が言うてはる、おしゃれなんすごい着てはって、あの衣装もすごいなあと思って、今から思ったらもう先生すごいの着てはったんやなーと思いました。

すごい本当に昨日の晩は、なんて言うかなすごい、九月で秋のこう自然の中でああいうのを何もこう取っ払った状態で見せて頂けたっていうのはすごい、なんか自然と一体してるところとかすごく肌で感じて、いいものとかが見れたのですごく自分の中に取り込めたように思いますし、西澤さんのピアノはやっぱり何度聞いても癒されるんで、何かやっぱりこうあの自然の中で西澤さんのピアノ聞くと、すごく癒されてなんかこう安定してくると言うか、その一体になるためのすごい効果が出てるように感じました。ありがとうございました。




(柳田さん)私はたまたまピンチヒッターでほんとラッキーでした。これに出会えたっていうことは有りがたかったと思います。インド舞踊の方は何回目かなんですけど、このだんだんわかってきたって言うのかしら、指先で表現してるって言うのが少し読めるようになりました。これから先も見ているうちにだんだん理解できるのかなーなんて思い、でも、とっても綺麗だって良かったと思います。宥厳先生ほんとうにダンディーで、ああ奥さんが惚れ直すのも無理ないな~と思って(一同笑)。思ったくらいでした(笑)。それで、同じ世代に戦争体験なんであれしてるから、そんな内容がすごくわかって、こう反戦的っていうのかなそれをこう出してみんなに知らせてもらいたいというものを感じました。

歌も素敵だったのでアンコールとして1曲他の歌を歌って聞かせて頂きたいなと思ったくらいです。そして、ピアノの効果音が入ったので、すごく劇が引き立ったと。最初のときは何もなく先生のセリフだけで見せて頂いたので、ああいう効果音が入るということでものすごく引き立つし、宥厳先生は役者だな、と思いました。ありがとうございました。




(斎藤さん)私は初めて先生のも、マドゥ・プリヤさんのも初めて見せて頂いたんですけど、やっぱりどちらも一人で演じることはすごい大変なことだと思うんですね。本当にね、もう一瞬たりとも気が抜けないと思うんですよね。で、宥厳先生はものすごく声が出るし、もうマドゥ・プリヤさんもものすごく動かれますよね。本当にはーっと思ってね、もうほんと外の音が気になっちゃったって今ちょっとさっきおっしゃいましたけれども、聞こえてるんですけどこっちからもう目が離せないんですよね。本当にしっかり見せて頂きました。で、あのみんなに内緒でマドゥ・プリヤさんの足の裏を触らせていただきました。澄んだ音が出るのがすごい不思議でね、色々説明を頂きました。どうもありがとうございました。西澤さんご苦労様でした。素敵なピアノありがとうございました。




(谷川さん)谷川です。今回はピンチヒッターでありがとうございます。素敵な夕べを、え~夕べをね(一同笑)。素敵な夕べを見せて頂いて、本当に良かったです。マドゥ・プリヤさんと宥厳先生と西澤さんはある程度そう言うのにたけててプロって感じがしたんですけれども、こいでみのるさんのギターは失敗したり、すいません、上がっちゃってとかそういうこと言ってくれて、なんかすごくホッとしたようなそういう何か人間味を感じさせてくれたので来年こいでみのるさんのギターをもう一回聴きたいな。どのくらい練習して上達したか、ちゃんとチェックしたいと思います(一同笑)。とても楽しかったです。ありがとうぎざいました。




(田中さん)田中でございます。素敵な夕べをありがとうございました。プリヤさんの踊りを見ているとものすごく訓練はされているんだと思うんですけど、ご本人の技術だけじゃなくて何か違う所から何かが降りてきてその力が彼女のあのしなやかさとかその表現、それをさせてるような気がしたので、やっぱりもちろんご本人の努力による訓練といろんな技術っていうのはあるんだと思いますが、それを超越したところに何か降りて来られた、来たものがあるのかなって言うことを思いました。ということで、楽健も技術だけじゃなくてそういうものを体に取り込んでいかなければ、力として出て行かないのかなって思って、で、プリヤさんもしよろしかったら踏ませてもらいたいなって昨日、夜見ながら、見せて頂きながらね、思いまして、で、そういう踏むことによってそういう力がもっと出てきたらばもっと素晴らしくなるんじゃないかなって感じておりました。

それと宥厳先生の出てらした時、最初のことばからして、私これで三回目何ですけれども、何か違う、前と全然違う感じを受けたんです。何がどう違うのかよくわからないんですけれども、ということは先生の一人芝居と言うのは多分やるたびに進化して今の時代に訴えてくるものが先生がどういう風にそれを工夫されているか全然わかりませんけれども、先生の重ねた年輪の中で多分そういうものがまた表現されて違うものが作らてきてるのかなって言う風に思いました。

まず最初先生が出でてらした時の本当に、まあ、可愛い~っと思いました。でも、それは最後に先生を感じた時にやっぱりこれはご夫婦が作り出したものなのかなって言う風に思いました。誰もあの衣装はきっと選べないと思います。それは宥厳先生もきっと自分で求めに行ったらそれは求められなかったと思います。やっぱり宥厳先生を見てらした魔女がいらしたから、そこでもってああいうものが完成されたのかなと、ちょっとうらやましく思いました。今日の朝の祈願はちょっと違うことを考えてしまったんですけれど。それで、西澤さんのピアノについてなんですけれど、私良くわからないんですけど、その苦悩のベートーベンをすごい静かな調子でずーっと流されてたんですけど、あるところではもう少し主張されても良かったんじゃないかなと、贅沢なことを思いました。以上です。失礼たしました。

(田中さん)名前言って。




第6回9月12日(2日目)その6

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座

(梓ちゃん)あ、大森梓です。昨日はありがとうございました。
(宥厳先生)もう少し大きな声で。僕に話すように。
(梓ちゃん)はい、大森梓です。昨日はありがとうございました。マドゥ・プリヤさんのインド舞踊はなんか表情とか動きとか一つ一つにすごく意識があって隙がない感じ。隙がなくて、すごいその集中力と踊りを持っていて、すごいなの一言なんですけれど、とても美しかったです。宥厳先生の一人芝居は去年に続いて2回目見させていただいたんですけど、去年見たときとさっき田中さんもおっしゃってたように全然印象が違って、今年は去年よりもさらに途中から感激に、私ものめり込んだって言うか、何かこう入り込めたっていうか、すごく集中して見させていただけたんですけど、まだ内容は全然噛み砕けてないんですけど、すごく楽しいって言ったらおかしいかな、とても引き込まれてあっという間の時間でした。去年よりも更に照明とピアノと空気がもっと洗練されて素晴らしい空間になっていたので、また来年もとても楽しみにしています。ありがとうございました。




(堀さん)堀でございます。わたくしも初めて、先生もマドゥ・プリヤさんも初めて拝見今回したわけですけれども、先生の場合は笛は何回か聞かせて頂いて、あれも常に感動してましたけど、何か昨日は本当に、秋の初秋のひと時をまあねえ、ほんと高台で自然の中で幻想的な、一口に言ったら幻想的なひと時を、もう本当に気持ちよく過ごさせていただいて感激しました。

プリヤさんの、私がちょっとだけ高校時代に演劇部におりました。三年だけ。だから、まあちょっと基礎的なこととか、それから今あれはなにかな文学座とか色々日本中の劇団の方たちが私たちのホテルでずっと泊っていらした関係もあって、割りと触れることが役者さんと、多かったわけですね。だから、そういう中で見聞きしてきた中でやっぱりなんかさっき何か違った世界と言った人もいましたけども、本当にもうすごく洗練されて指先、目の動き、表情、私はしっかり見させていただきましたけど、もう本当にジンと来る、伝わる。笑顔と言うよりも私はその悲しそうな表情、それが手と目とが一緒になって見る者に感じ込ませる、ずば抜けていたと思います。本当にもっとたくさんの人に見て頂きたいような感動を覚えました。ありがとうございました。

そして、先生素敵でした。また違った衣装と、またそういう全然…でも、それはそれでまた私はいいと思います。歌声も素敵だし、何かどう表現していいかしら(笑)。感動しました。その中で、それに合わせもって、昨日午前中とか西澤さんとも打ち合わせなさってあれだけ、まあもっておられるものも西澤さんたくさんあるんですけれど、やっぱりそれを先生の気持ち、それを察してあれだけのピアノを演奏なさって感動いたしました。ありがとうございました。




(加賀谷さん)加賀谷と申します。昨日はありがとうございました。何かちょっと先生のお顔が見えるので、先に先生の方からお話しさせていただきたいと思います。皆さんのお話で初めて分かったんですけど、お衣装で歌われたのは、ある完成されたお姿だったんですね。私は初めてだったものですから、いつも先生はこう言う完成された素敵なスタイルで一人芝居をされていらっしゃるんだろうな~っと思って入っていけたんですけど、まさに戦争のあの瞬間に、辛さとかそれから親子の辛い…なんかもうそこにストンと繋がってしまって、まさにああこれはやっぱり戦争を知らない世代の人たちもやっぱりこれを見るべきだなと改めて思いました。

その時にさっきおっしゃったように外の蝉の声とかいろんなものが聞こえてくるのですね。で、グーッとその舞台の中に集中する気持ちと、今現実の世の中、私たちの住んでる空気とが何だか一緒に溶け合って、私は劇場の中のあの冷暖房が利いて、音響効果の抜群の中でするものよりも、本当に今生きている私たちがああこういうことを考えて感じて行くって言うのが、ああ、、本当の演劇なのかなって思って聞いておりました。

で、その時ピアノがあのせつないメロディーが、主人公の気持ちになり代わってこうもっと何だろう、余韻かき立てるような雰囲気を出してくれて、本当にいいコラボレーションというか、本当に初めて拝見させていただいたんですが、何か思いと言っていいんでしょうけど、やっぱり心の奥にズキっと来るようなひと時でした。ありがとうございました。

それからインド舞踊も私初めて拝見させていただいたんですが、まずはあの足音の素晴らしさにずーっと足元見てたんです。最初のころは。そしたら本当に指がそって、しなって、ああすごい~あの足の裏見せて頂きたいなって本当に思ったくらいでした。そして、踊りなさる方は本当に体幹部分って言うのが、きちっと軸ができてらっしゃるんですけれどもまさに激しいインド舞踊でも、あれくらい激しいものばかりではないと思うんですが、昨日の踊りに関してはそれこそ体幹がきちっとしてなければ、早いテンポで姿勢を崩さずに踊れるって言うことはできないなあっと思って、それと首筋がいつもすっと伸びてるんですよね。肩が、、、

どんなに腕が動こうが肩の位置が決まっていて、だからすごく首筋から背骨にかけて、腰、足って言うのが全部繋がってそれに手足の指さきまで神経がピーっと常に常に張りめぐらされている繊細な計算された動きって、本当に日常どういうトレーニングしてらっしゃるのかなーって言うのもとても興味が湧きました。

それと、はじめにストーリーを、あれって手話なんですね、インド舞踊もね。で、こう話してくださったので初めてみる者にとってもわかるんですね。言葉の説明だけじゃなくて手話をしながら一つ一つ一通り話して下さって、あああそこの部分ねってとっても分かって、でも、あれだけの長い間集中できるって言うのは気力体力ともに本当に素晴らしくトレーニングなさってるかただなあと改めて思いました。本当にありがとうございました。




(早坂さん)早坂と申します。昨日はありがとうございました。インド舞踊は私初めてではなくてヨーガ学院でも何回か見ることがあるんですね。それで奉納するものだと言うことは今まで聞いていたんですけれども、神様が絡んだお話の曲とかダンスが多かったんですが、今回はお姫様のお話で、ああこれはやっぱりお芝居の原型なんだろうなって言う風に思いながら拝見させていただきました。指の動きが素晴らしかったんですけれども、愛し合うって言うのが何かこう言う感じで添えてらっしゃって、あ、これは覚えて行こうと思いました。後、指をこう鳴らすのがああ、どんな意味なのかなーって言う風に思いましたね。奉納するだけじゃなくて、きっと周りの方たちもお話を楽しんだものだと見ながら思いました。素晴らしいもの、ありがとうございました。

先生の、初めて拝見させていただいたんですけれども、あ、これはまた別の宥厳先生がいらっしゃるって言う風に思いました。あのお帽子もとてもよかったですし、それから私にとっては、声が素晴らしい。きっともっともっと広がりのある、あそこの場所は空間が空いてたとしてもやはりお客様の感覚で先生は声を出していらっしゃると思うので、もっと広い場所だったらもっと宥厳先生の声は広がるだろうなって言う風に思いながら聞いてました。

後、「がらんどうは歌う」って言う、そのがらんどうの名詞はだいぶ以前から私は聞いていたんですけれども、今回あそこにお写真が、私には初めてのお写真があって、下の方の先生のお若いころのお写真、多分そのころから、もしかするとこれをされていたんだろうなって思ったときに、がらんどうって、あそこの場所では、照明のように見えていましたけれども、あれはやっぱり空なんだろうなって言う風に思いました。

そうすると、先生はもうずっと以前から、仏教ではないですけれどもそういうものを見つめてこられた先生なんだなあって、あの照明のようなオブジェと、それから昨日のお芝居を聞きながら、やはり人間って元のところからこうヨーガの考え方でも、今あるのはなるべくしてなったって言う風に私達も聞いてますので、宥厳先生もやはりそういう道を進んで来られたんだなって思いました。

また次回見せて頂くのがとても楽しみです。どうもありがとうございました。あ、西澤さん!これでおしまいにしていけません。私はあまりクラシックは聞かないんですけれども、でも西澤さんの編曲されたってものがとても気持ちよくて西澤さんのピアノも、またこれからも聞いていきたいなっと思ってます。ありがとうございました。

(マドゥ・プリヤさん) マドゥ・プリヤさん)すみません。さっきの質問ですが、これ[指を鳴らす]は、一刻も早く私のもとに来て下さいの意味です。
神様を呼ぶ時、自分の子供や恋人など親密な相手を呼ぶときにも使うしぐさです。
(早坂さん)いいことを伺いました。じゃあ、もう一度本当の「愛しています」を教えてください。
(マドゥ・プリヤさん)蓮の花が片手で、または両手で開く形で、自分の胸元か相手に向かって開いていきます。
自分に向っては恋心が芽生える、相手に対して愛をささげる、と言った形で使います。


(早坂さん)いいことを伺いました。じゃあ、もう一度本当の「愛しています」を教えてください。
(マドゥ・プリヤさん) 蓮の花が片手で、または両手で開く形で、自分の胸元か相手に向かって開いていきます。
自分に向っては恋心が芽生える、相手に対して愛をささげる、と言った形で使います。
(早坂さん)ありがとうございました。嬉しかったです。




(中島さん)中島です。今マドゥ・プリヤさんが説明してくださったけれど、最初にあらすじのときにもそうやって説明してくれて、その時の動きが今もそうですけどもずっと見ていたい感じだったんですよね。お話されながら表現をされてすごく良かったですね。それから始まっていったんですけど、今もそうなんですけど、この一つ一つがすごくていねいですよね。こう手の動きでも。

昨日の食事もそうなんですけれど、幸子先生と自分と隣にいた人で三人でその方は、こんなにすごいと思わなかったって。軽食だって言ってて、でもそれもいつやったんですかって、そうすると幸子先生が、いやもう1日前からっていう。だから、あの食事も簡単な軽食っておっしゃったけれども手抜きしてないんですよね。もう一日前から準備してていねいに作って、そしてこう出して、だから、すごいこう感動されてた感じだったんですね。
その食事も。

だから、1個1個の手の動作もそうなんですけど、手抜きをしないっていうか、ていねいに表現するっていう、それでまた感動するんだと思いますけども、自分は照明やらせてもらって西澤さんとか宥厳先生のその練習風景から見せてもらって結構、あ!なんて言いながら失敗とか、でもその準備がこう一つ一つ丁寧にやってんのを、こう見せてもらってたから、そしてこの舞台がピシッとこうなって、やっぱりこう、あ、すごいなっていうその準備、ていねいにこうやってたのがこの表現として素晴らしさが伝わるんだなーっと思って、みんな食事もそうだし、この音楽も表現もマドゥ・プリヤさんの舞台も、そういう裏の部分がすごくあって相手に伝わるっていう。

(宥厳先生)あなたの照明も良かった。ああいうデリカシーのある人だと思わなかったんですよ(一同笑)。なかなかデリカシーのある、デリケートな照明を。本当に細かいところまでよく見ながら計算して、明りを操作されてすごいなっと思って、僕は。また違った一面もね見せてくれて。何か普段雑なような風にみんなが扱ってますけれども(笑)、彼もデリケートなところがすごく、明りなんか触ってるとすごくよくわかりましたね。感心しましたです。
(中島さん)ありがとうござます。

(マドゥ・プリヤさん)私も居心地が良かったです、ありがとうございました。

(中島さん)マドゥ・プリヤさんの心配してたんです。全然練習もなくて、どういう照明で一番よく踊ってもらえるかと言う…
(宥厳先生)それでも、照明スライドアップしてると、やってるって感じするでしょう?
(中島さん)ええ、します。だから、表現をよく見るからそういう立場で見せてもらってすごく良かったです。
(宥厳先生)だから、芝居って言うのは、裏方もちょっとしたことしかさせてもらえないけれでおも、やっぱりそこで全体を把握してやってるとね、できるしやりがいも感じるね。
本当にありがとうございました。




(西澤さん)本当に今回はお手伝いもしないで、練習から帰ってきたらご飯が出来てる状態って感じだったんですけども、本当に皆さんに甘えて何度もリハーサル、練習をさせて頂いて…(泣)…本当に感謝しております。本当に貴重な体験をさせて頂きました。

今、中島さんが言って下さったんですけど、このお芝居ができるまでの過程、それを体験させて頂いて、照明もですし、あと舞台づくり、それも前日からみんなで片付けして舞台の雰囲気作りをして、その中に琴美ちゃんもいろんな指示を出してくれて、みんなでこの劇を作って行くという、そういう貴重な体験をさせて頂き、本当に心から感謝しています。

先生の「がらんどうは歌う」は今までは見る方だったんですけど、今回は一緒にさせて頂くってなかで、本当に先生はすごいなと思ったんですけど、全部、前の日はどっか抜けちゃったりとか、毎回抜けてるところがあって、前日の夜抜けてしまってるところもあったんですけれども、本番は全部びしっと、さすがと思いました。

それで、まず、はじめはどういう風に、先生の笛から始まるとか、私の演奏をさせて頂くとか、それから、すいません、うまく話できないんですけど、色々ね、計画はしてたんですけども、私の演奏もどこで、先生が盛り上がってきたところで私は悲しい場面で楽しい演奏を入れてはいけないし、どんな音楽を入れるかって考えながら作り上げて行ったんですけども、本番は結構真っ白に途中でなってしまって、でも何とか自由に弾かせていただきました。

「テンペスト」っていうあの何回か弾かせていただいたんですけど、あれはテンペストを知っている方は、え、これがテンペストなのっていうぐらい、もうす~ごいアレンジしてしまっています。で、毎回毎回違う弾き方になってしまってて、本番、どういう風にアレンジができるか、ちょっと心配だったんですけども、終わってホッとしています。

(琴美ちゃん)お疲れさまでした。
(西澤さん)上手く話できなくてすみません。ありがとうございました。

(宥厳先生)舞台監督!




(琴美ちゃん)はい!今回は舞台監督をやらせていただいた近藤琴美です、と言っても何もしてないんですけどね。今回で私も三回目で最初の一回目は皆さんと同じようにお客様で見させていただいて、やっぱりそういうときはすごく劇に集中して入って見れるんですけど裏方になってしまうと、きれいに見せようとか良く見せようって方にやっぱり気が行ってしまうので、まあ機会があったらまたお客さんの方で見たいな、という感じですかね(笑)。

後、マドゥ・プリヤさんのこのストーリーの続きを私は知りたい!(笑)。とてもそれが気になって、今までは短いの何個かっていうのが多かったんで、すごく。後、かわいらしい表現っぽい、愛は愛なのかもしれないけれども、今回は全然違った女性らしい愛でとても共感できました(一同笑)。私も全てを捨ててこのお姫様のように、仲のいい全てのものを捨てて、とあるところに行ってしまいたいなぁと思いながら(一同笑)、見ていましたね。

後、そうですね。そんな感じで準備はいつもの感じで、毎回片ずけして、全部ライトからセッティングするなど、宥厳先生の指示でやっているんですが、まあ素晴らしい!!(笑)。まあ皆さんも機会があったら是非舞台を作るところから一度やるとまた違った先生の姿を見ることができると思います。以上で。後、ちあきちゃんいつもカメラマンご苦労さまです。毎回毎回。お疲れ様です。
(ちあき)ありがとうございます。




(ちあき)えっと、感想をまとめる暇がなかったんですが。私も今年で5回見せてもらって、宥厳先生の劇も5回、マドゥ・プリヤさんのインド舞踊も5回見せて頂きました。毎回やっぱり感じるところも違ってだいたいもう宥厳先生の劇は、あ次はあれが来る、これが来るって大体予測できるんですけど、予測できるけどやっぱり何かいつも新鮮な感じがあって、今年は特にかぐや姫の歌が始めに入ってあって、あそこが毎年違う所が入ってくるんですね。その時にあった感じがして、ちょうど最近、7期のときのブログの本を読みなおしてたらちょうどあの歌詞が載ってあってちょうど思い出してたところで。
(琴美ちゃん)じゃ、それが降りて来たんだ。あれ、前の日、だから決まったの。
(ちあき)え、そうなん!?そうなんですか!?へ~、何か衣装もぴったりな感じで(一同笑)、いいかな~っと思いました。あと、何か西澤さんと何かこうバッチリなんかもう、呼吸と言うかもうばっちりだったんで、それもすごいな~って言う感じがしました。

後、マドゥ・プリヤさんのも琴美ちゃんも言ったんですけど、今回、すごく長くて美しくていつも感動するところは感動して、ただあの長いのを覚えているのがすごいな~っと思って、やっぱりストーリーでって感じなんですか?振付も一つ一つ始めから終わりまで頭に入ってるって言う感じなんですか?

(マドゥ・プリヤさん)踊りのリズムと型の部分は厳密に決まっていますが、物語表現や感情表出の部分は、即興で、毎回異なります。

(ちあき)40分か50分あるってことなんで、すばらしいな~っと想いました。後、あのこいでみのるさんのギターもすごく和んだし、雰囲気もすごくこの秋に合っててよかったなと思いました。また聞けたらいいなと思います。皆さん、準備して下さった方、お手伝いしなくて申し訳なかったんですが、いつも感謝しています。ありがとうございました。

第6回9月12日(2日目)その7

2010年10月07日 | 第10期楽健法セラピスト講座
(マドゥ・プリヤさんの)昨日は本当にありがとうございました。
今年でいつの間にか9年目か10年目ですが、東光寺の舞台に来るたびに、
私は養われているなあと実感しています。
今年一番目を担当されたこいでさんは五年前にここで先生と私のドキュメンタリーを撮ってくださった方です。
この舞台でご自分も是非演奏したいと言うことで、フラメンコギターを始めてたった三年目で見事デビュー果たしました。
もう十分すぎるほど練習してきたのに、すごく緊張しているこいでさんを見ていたら、10年前にデビューしたてだった自分がこの舞台で初めて踊った時のことを、生き生きと思いだし、初心に帰りました。
本当にここは夢のような舞台だなあって、デビューする人達に夢や力を与えてくれる舞台だなあって、しみじみ感謝して観ていました。
紹介にも書きましたけども、今回のシャクンタラー姫と言う演目は私にとってとても重要な曲で、演じるのにはかなりプレッシャーがありました。
3年前に伝授されてから、今回初めてのお披露目するまで、
ずっと試行錯誤していました。
本当にやる間際まで、散々迷っていたんですね。
っていうのは私は今まで神様に捧げる演目しかやったことがなかったので、
今回のように人間、シャクンタラーはまぁ半分天女なんですけども、
人間が人間に向けて愛を語る演目は、私は未経験で、
一体どこまで自分を託していいものか、直前まで色んな迷いがありました。
でも、皆さんが心をこめて準備してくださった舞台に立って、熱心な観客に囲まれて、幸子さんこそ可愛らしいインドのお姫様のような衣装を着て座ってらして、宥厳先生も舞台衣装で舞台の袖の暗がりに見えて、顔見知りのスタッフの皆さんがしっかり脇を固めていてくれていて、覚悟が決まりました。
私が説明をしているうちにみんながどんどん神話に、入り込んで来てくれるのが視線からすごくよくわかった。
舞台の熱もどんどん高まってきて、その舞台がプールだとしたら、私はここで躊躇している場合ではなく、たった今ここで飛び込まないと私はこの戯曲から永遠に置いていかれてしまう!と感じたんです。
そして思い切ってその舞台に飛び込んだら、この東光寺の床に、観客の皆さんにしっかり受け止めてもらえて、初めてシャクンタラーという演目はこういう内容だったんだ!と少しだけ分かったような気がして、とてもうれしかったです。
インドに行くと、まず師匠に開口一番、すごい怖い顔でDid you practice?!ちゃんと稽古して来たのかって聞かれるんですよ~。
聞かれるたびに「え?えーと、ハ、ハイ」とか適当にごまかして逃げるんですけど(笑)、このシャクンタラーに関しては、「はい。自分なりに精一杯お稽古してきました」と答えられるような気がしています。
昨日から、この演目は私の中で生き始めたので、これから大切に養っていきたいと思います。本当に皆さんありがとうございました。

(宥厳先生)どうも、ありがとうございました。
(マドゥ・プリヤさん)大役が終わった後で、先生の舞台を安心して観せて頂いていたんですが、毎回毎回本当に異なる豊かな表情が見えて驚かされます。
今回は特に表現する人と受け止める人の熱を実感しました。
でも、その中で先生がその熱を絶妙に操り、自分も一緒にヒートアップしたり、微妙にかわしたり、う~ん、なるほどとわくわくしてドキドキしながら拝見していました。
西澤さんのピアノですが、私は録音した音源でしか日本では踊れないので、ライブ演奏の贅沢さを実感しました。
クラシックの、既存のフレーズを彼女が自分なりに消化して、丸く甘くしなやかに心をこめて紡いで、戯曲に向けて提供しているという感じが良く伝わり、その贅沢さを生き生きと味わうことができました。
舞台の後も幸子先生はじめ生徒の皆さんが作ってくれた御馳走をまた1年分食べ貯めしまして(笑)、本当に動けないくらい食べたんですけど、
(受講生)かぼちゃ!!
(マドゥ・プリヤさん)ええ、もう、あんまり言わないでください(笑)。
とても美味しくて、これでまた一年お稽古ができるな~っと、ホッとしてがんばろうと思いました。
本当にご馳走様でした。ありがとうございました。皆さんどうもありがとうございました。


(宥厳先生)どうもたくさん感想を頂いてありがとうございました。もうそんなに言うことはないんですけれどもね、芝居は、独り芝居というのとね、一人芝居って僕があの芝居を書いたころはまだ独り芝居やってる人って日本に一人か二人しかいなかった時代なんですね。だから、その後独り芝居というのがだいぶ流行ってきて、いろんな独り芝居をやる人が出て来たんですけども、私の目から見ていると、一人で舞台に出て何かやれば独り芝居になるっていうもんじゃないんですね。

あっち向いてこっち向いて、あの人物になったりこの人物になったり、それは落語かなんかのやり方で、一人芝居と言うのは独りで、モノローグとして喋ることでできる独特の表現ってものがあるんですね。ただ、こうやって話してると相手がいてるわけですから。独り芝居の場合は相手がいないわけですよ。それで、シェイクスピアの芝居なんかでしたら例えばハムレットってな芝居があるでしょう?そうすると登場人物が複数で出てくるときは、「おい、今何時だ?」とか「大丈夫だ」とか「お前は見たか」とか「食べたか」とかいうようなやり取りでもって芝居って言うものが成立するんですね。

そういう中ではモノローグって言って独りで自分の思いをこう喋るし、韻があるわけです。例えば、To be or not to be―――that is the question 生か死か、それが疑問だって言うようなハムレットのセリフ、何か独りで独白でやる時は全く次元が違うセリフなんですよ。

日常の会話の言葉ではないんですね。だから、誰かと話してるときに僕は口をきいてもいけないんだ、黙ってしまえ!なんて言うことをね、現実の会話の中ではありえないことなんです。それは。芝居の世界だから芝居独特の進行のしかたで、「僕は二十歳になろうとしていた」って言うようなことで喋っていけばね、それは、喫茶店で、「僕は二十歳になろうとしていた」なんて言うような会話は有り得るはずはないんですね。ところが、それが独りで舞台で喋る時には気持ちのいいセリフとして喋れるわけです。

だから、あの芝居の書き方はなんか悲しいことをね、皆さんは目の当たりに見せられて涙するかもしれないんだけれども、実は役者が舞台で喋る時に、気持ち良く朗々と喋れる名台詞ばっかりつないでね、芝居を作ってやろうというね、そういう言うたくらみがあるわけなんですよ。

それで、最初に皆さんを揺さぶって、「今私はこうして出てきましたけれども」とかね、「ベルが鳴るかならないか私にもわからないんです」とか、今あなたはこの芝居がどこから始まりなのかお分かりにならない方は人間ではないのかもしれんぞ、と思う必要がありますなんて言ってね、色々揺さぶっていくわけです。揺さぶっている間に何か自分が違った場所に連れていかれてるんですね。そのことに気がつかない。

だから、あれは現実の話みたいだけれども、やっぱりそうでなくて次第次第に何か魔術に乗せていくって言う、割りと結構よく計算された芝居なんですね、そういう意味では。それがしかも台本なしですっぴんで立ってます。今から即興でやりますというようなことやってやるもんだから、そん中で思いの丈、だからああいう芝居に取り組んだら役者は本当は気持ちのいいね、喋ってみたいセリフ、あの名セリフね、滝沢修なんかは舞台をやってても、誰かの、他人のセリフを、そのセリフが気に入ったから俺にくれ、とか言ってね、取っちゃうんだそうです。なんて、垂水悟郎さんという俳優さんと話した時に、滝沢修がね、俺の名台詞を盗んでしまって返してくれないんだって言ってましたね。

何か人のセリフなのに自分がそのセリフ喋りたいから、俺にくれ、とか言って上手いこと使っちゃうらしいんですけど、ま、そういうセリフを喋りたい、こう言う風に芝居というものをやってみたいという、そういうセリフを、言うたらずーっと書いて行った、そういうまあ一つの仕掛けがあるんですね、あの芝居には。

だから、非常に率直に自分のことを喋ってるみたいに見せて実は全部そういう計算でもって、それも直感的に書いたわけだけれども、そういう仕掛けがあるっていうことですね。

だから、まあそれが芝居の面白さだろうと思うんです。で、まあそれに照明が絡んでくる、音楽が絡んでくる、と言うようなことで、やって行って、まあ稽古の話を若干すれば、西澤さんには色々僕が要求を出したりして、しかし、自由にやっていいよ、とか言いながら、そうじゃなくてこっち、自由にやって好きなようにやればいいんだよって言いながらもっとこうしろとかいう、なんか矛盾した要求してるみたいなんだけど、まあ、そういうことをやって行って、それで僕の考えている、例えば西澤さんはここに来られた時、もうピアノやめたのよ、なんてこと言うてた人なんですよ。だから、やめたやつに弾かしてやろうって言う風に思うのが僕のあまのじゃくなところですよね。

そうやって何かに取り組んでいくことで違った自分を発見するんですね。そういう意味では光弘さんの明りもやっぱりそういうことだと思うんですよね。やってみることで、あっこういう世界があったんだということに気がつく。それを見ていくことで何か皆さん自身が何かしらまた違ったお互いを発見するって言う風になっていくと思うんですね。

それで、そういう風に人間が一人一人何かしら発見して進化していく、そういう進化していく人間がここに集ってきた人たちの一つの目的ではないかなっと言う風に思うんですね。

だから、楽健法っていうのは人間を進化させる一つの手段であるし、明りをやることも芝居をやってみることも、ピアノを弾いてみることも、ああいう場所でね。これも僕はやっぱり楽健法だと思うんですね。だから、楽健法というのは単に足で踏むテクニックだけが楽健法でなくて、この楽健寺のパンを焼くことも、それでそういうことも楽しむことも、それでお互いにこう冗談言い合ったり、なんかやっつけ喧嘩してるのかと思うような調子でやり取りしてみたりするのもこれも、やっぱり一つの楽健法で、そういう中で何かこう人間が練れて行くって言うかね、ものが見える人間になっていく。批判する能力が身についてくる人間になって下さい。ただ単にボヤっと見てるだけでなくて与えられたものをやるだけでなくて、ちゃんとこう批判する力もついて行くと言う風に、まあ私と…(一同大爆笑)

《突然幸子先生転ぶ》




(宥厳先生)足がしびれて来たんちゃう?
(幸子先生)琴美ちゃんを見てたらひっくり返った(一同大爆笑)
(琴美ちゃん)また、私が悪いんやね~
(ちあき)もう一回転んでください~写真撮りたい!(一同笑)
(琴美ちゃん)あんなに上手く転がんねえべ。

(宥厳先生)まあ、そんなつもりでね、私はもう楽健法と言うのは行住坐臥、楽健法だと言う気持ちで、それがやっぱり楽々とゆとりを持って、しかも自分をも客観的に見ながら生きていくと言うようなことが出来る人に是非なってもらいたいと思うんですね。

あの芝居をどさ回りでずっとやってた頃に、ちょっとこうくっついて回ったりした人とか、あの芝居を見たとたんに、「私の人生は間違っていた」って会社やめちゃった人とかね、まあ、そういう影響力もあるんです。

で、あれをずっと見てるとね何かこう喋ってる内に素っ裸に主人公がなっていく、だんだん喋っていってる間に素っ裸になって。その素っ裸になっていく人間を見ていく心地よさみたいなものをね、そういうものもあの芝居の一つの狙いではあるんですね。

だからそれが、何かがらんどうになれ、とか原野の思想だとかいうようなことですね。だから、私は観光地の作り上げられた観光地に行くなんてのは大嫌いでむしろ何か見に行くとしたらもう本当に三日かかっても抜けられないような砂漠の真ん中にポンと置かれてみたいようなね、そういう欲求がいつもあるんです。

そうしたらアフリカへ行けって言うのかもしれんけども。あまりにも作られた世界っていうのは、そういう意味で僕は観光地へ行くと言うのはあんまり好きじゃない、本当は。むしろ、どっか何もないようなところに行ってみたい、という考え方。それが、「がらんどうは歌う」ということでもあるんですね。

あの「がらんどうは歌う」と言うタイトルを何故付けたかと言うと、まあ私、初めて芝居書いたんですね。そして、その時、頭の中にチラッとあったのが吉川英治って言う人が初めて小説を書いた時に「カンカン虫は歌う」って言うね(笑)、そういう小説を書いてるんですよ。そういうことがあって、僕も初めて芝居を書くんだから何か、空っぽだし頭が悪いし、それで「がらんどうは歌う」と言うのにしようとか言ったんですけど、それがたまたま彫刻の大きな作品ね、渡辺宏の。それをいくつも借りてきて舞台に置いて、ボッカーン!!っと。そういう空間の中でやったのが初演なんですね。

今残ってるのはこんなちっちゃなのが一つだけですけれど。まあ、渡辺先生の作った大きなものも、楽健寺へ行った人は今宝石がいっぱい入って明りも着くやつがありますから、それも今度行ったら見て下さい、是非ね。

どうもありがとうございました。もうこれくらいで楽健法するように準備いたしましょう。どうもありがとう。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)まあ、生きてい行くというのはとても面白いもんだ、楽しいもんだと言うことをね、やっぱり感じられながらやっていけるように、是非なろうと思って生きていきましょう。

(ちあき)あの舞踊のつづきの話はないんですか?
(マドゥ・プリヤさん)あるよ~
(琴美ちゃん)それが気になるやん~
(宥厳先生)続きの踊りがあるの?
(マドゥ・プリヤさん)踊りはないんですよ。
(宥厳先生)来年、その踊りをやって下さい。
(受講生)創作で~
(宥厳先生)ラストまで(笑)
(琴美ちゃん)私も王様に会いに行こう!
(マドゥ・プリヤさん)じゃあ、ジャニーズに!



楽健法(17)&休憩時間







独り楽健法…これ、結構効く


マドゥ・プリヤさんありがとうございました!



昼食~ぅ





このピアス、めっちゃかわいい!


シーツ、たたみまぁ~す!


(ノ∀楽健法(18)




終わりの会

今年の夏の暑さは、じっとしているだけでも暑さに元気の気を奪われてしまう感じがありましたね。道場の改築をしてくれた大工さんたちが、あの暑さのなかで黙々と仕事をこなしている姿をみながら、プロというもののすごさを感じました。いまの私にはとてもあの熱気のなかで、あんな激しい労働には耐えられないと思い、頭が下がりました。

今回の合宿は、パフォーマンスをやったことで、みなさんには普段なら経験しないようなことをしていただいて楽健法三昧というわけにはいきませんでしたが、芝居の裏方をやったり、接待の段取りをしたりすることも、みんなで楽しんでやるこういう行為がすべて楽健法なんだという考え方で私は生きているわけです。

琴美ちゃんが、楽々健々というブログを毎日書いていますけれども、足で体を踏むという方法だけを楽健法というのではなくて、楽健法というのは、楽々健々となにごとも楽しんで積極的に取り組むことだとお考えくだされば、人生の困難が逆に楽しめるものになってきます。




昨日は東光寺にある3つのホームベーカリーを使って天然酵母パンを焼いてみましたが、sirocaといういちばん格安の器械はなかなかのすぐれもので、膨れすぎて天井に頭がくっついてパンのふたを持ち上げてしまうほどの巨大なパンになりました。

ゆっこ先生がパン種を仕込んでくれましたので、今回は特に醗酵状態がよかったということもいえるかな?

一番安いシロカとかいう器械のプログラムが使いやすくて、パナソニックやMKなどより、いいパンができて、楽健寺酵母向きの推薦機種としていいように思いました。

先週のパン工房へ、尼崎から日野さんという男のひとが25年ぶりにまたパン種を買いに来ましたといってこられました。
以前買ってから25年間のあいだ、順調にパンを焼き続けていたそうですが、この夏の暑さで、パン種が膨らまなくなったので、やってきたということです。

楽健寺の天然酵母パンに出会うまでは、体調が悪くてパンを食べるとはげしい胸やけがしていたし、胃が悪くてパンが食べられなかったそうですが、楽健寺の天然酵母パンを作るようになってからお腹の調子が直ってきて、以来25年間焼き続けてきたとのことです。
不思議なパンです。といっていました。
このかたはプチパンみたいなちいさなパンばかり作ってきたとのことですが、ホームバーカリーでも焼けるという話をしましたら、ぜひ教えてくださいといわれるので、
http://www2.begin.or.jp/ytokoji/ の東光寺日誌をクリックしてもらうとシロカという器械のことを書いてあります。と教えてあげましたら、さっそくアマゾンで購入したとか。
何番のコースでするのがいいですか、というメールがさきほどきましたので、
1番の4時間47分、そのコースで見事なパンがやけまよ、と返事したところです。

この器械で、2回、餅つきをやってみました。




ここの台所にもち米が残っていて、コクゾウムシが発生していましたが、よく洗って280gの米、水240gを放り込んで餅コースを選ぶと、一時間15分で、おいしいよく伸びる餅が簡単に出来ました。そういうこともできるので面白い器械だなと思います。餅をセットしてスイッチオンにすると、間もなくこねはじめて、捏ねながら加熱して餅になっていくようです。

(古川さん)米と水をいれるとそれで出来るんですか?すごい!

(宥厳先生)シロカの宣伝をしているわけではありませんが、安い器械ですがなかなかすぐれものです。というようなところで、お開きにいたしましょう。
今日はありがとうございました。



あとがき
アップが遅くなって申し訳ございません!
ブログの編集画面が色々リニューアルされててびっくり!東光寺とおんなじだ(笑)

今回も命の洗濯ができました!

今回、いらっしゃれなかった方もこのブログで雰囲気を味わっていただけたら嬉しいです。

いらした方は思い出して欲しいです。

では、また来月号で!

ごきげんよう!