楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第7回10月13日(1日目)その1

2012年12月02日 | 第12期楽健法セラピスト講座
110/13 3:00「かえるのこととか」



 今回は欠席する人がありましたので、早坂さんに急きょ、ご無理をお願いして東京から来て頂きました。どうもありがとうございました。
(一同)よろしくお願いしま~す。

今ここにヨーガマットを敷いたのは、楽健法をするときに畳の上で布団が左右にずれると踏みぬくいので、スリップしないように敷いてみました。



 ぼやっとしてると…すぐ一カ月がたってしまいます。昨日から石段の途中にあった枯れた桃の木を切ったり、作務をしているんですが、切りだしたついでにもっと切りたくなって(笑)。本堂から三輪山の方を眺めた時に、色んな木が育ちすぎて向こうが見通せなくなったのと、ユリノキがもっと大きく育てたいので、ユリノキの周りは割と気をつけてツタが上に這い上がっていかなように回りの雑木を切ったりしてたんですけど、だんだん整理したい範囲がひろがって、数メートルを越える太い木が3本ばかり生えていて、それにツタがいっぱい絡まって、視野を遮ってるもんですから、その木も切ってしまおうと思って、それでまあいつも森林係の平松さんと。



(琴美ちゃん)木こり、木こり!
(宥厳先生)平松さんは名前がもともと、「森」だそうですね。それと三保君と琴美ちゃんとで伐採してたんです。伐採してて、大きな木…斜面がきついもんですかっら、命綱をこう持って、それでブッシュを刈ってそれを踏みしだいては下に降りて行って、それで太い木を切ってたんです。最後の一本を切ったときに、木が倒れたんですが、まだちょっと切り残した所があったので、それを切ってしまおうとのこぎり入れた途端に、バーンと切り倒した木が跳ねてノコギリがこの指にパチーンと。
(一同)え~~~
(宥厳先生)それで、指先がなくなったかなと思ったくらい血が出たんですよ。だけど、ここの皮…厚皮がべロッとめくれて、かなりの出血だったんです。

 




 で、まあ世間の人にはそんなこと言ったら恥ずかしいので、家内が噛んだって言って(一同笑い)。真に受けてる人が実際おって。やりそうだな、と(一同笑い)。ま、そんな感じの夫婦関係であります(一同笑い)。家内はこんな中途半端にしないって。噛みちぎっちゃうっていってます。(笑)まあそんなことがあって、昨夜はズキンズキン。朝方までズキンズキンしてたんですけど、今朝になったら怪我のことはもうすっかり忘れて、で、またちょっとお昼前に護摩で焚く木がなくなったもんですから、護摩に使う木を切っていたんです。

 ここに1本持ってきましたけど、まあ、この程度の太さの樫の木。これよりももっと細いのもいっぱい切ったんですけど、これだとこう4つくらいに割るとね、即、護摩木ができるので、こういう木を切っていたわけです。この木で何年くらいだと思いますか?この太さになるまで。下からまっすぐ伸びてきた木の途中くらいですけどね。途中も上もまあ、一緒なんですけど。何年ぐらい経ってると思います?この木が生まれてから。
(受講生)10年?
(宥厳先生)ええ勘やね。この木は年輪数えたら9年やね。
(一同)へ~
(宥厳先生)さっきちょっと数えてみたんですけど。こんな木があっちこっちに生えてくるんですね。
木と言うのは一本で立ってたら、色んなところから枝が出てくるんですけど、群生してる森の中だと枝をはらないでシューっと上にまっすぐ伸びて天辺に葉を茂らせるのですね。そのまっすぐ伸びてる木が割りやすいので、三保君に三月分くらいの護摩木を作ってもらったりしたんです。三保君どうもありがとうございました。



 ま、そんなことで、木と言うのは色々面白いもんです。私は子供の時からずっと木と付き合って生きてきたんです。家具を作ってましたから、北海道のナラ材とかシオジとか色んな木が入ってくるんですけど、そういう木が私が10代のときは、北海道も木がいっぱいあって、いい材料がどんどん大阪あたりにも入って来て、そういう木材で家具を作ってたわけです。で、たくさんの木を家具にしてきました。随分本当に長年の間に、どれくらいの木を家具にしたかわからないんですけど、長い間、木を相手に生きてきました。
 家具に使った木は、たぶんまあ20種類くらいかな、色んな木を使ってきたと思います。

 机の引き出しの前に使う木と、横に使う木と、底に使う木と、ま、底にはたいてい何十年か前からベニヤ板を使うんですけど、昔は底板もベニヤでなく、丸板でやってたんですね。僕が家具を作った頃は、引き出しの底板を丸板で作ったって経験は一度くらいしかないです。ほとんど、ベニヤ板になってました。大量のベニヤ板が作られるのは、南洋材のラワンって言う木です。ラワンベニヤといいますが、安物の家具や建築にも使われます。ちょっと高級な家具には、シナの木があるんですけど、それは北海道辺りで取れる材木なんですね。北海道辺りの材木は使いやすいです。寒い所の材木は非常にナイーブで、素直で、細工しやすい大木が取れるんですね。

 北海道のナラ材、ここにテーブルがありますが、あれも北海道材ですね。僕には木を見たら大体どこの産地かわかるんです。大体ですよ。詳しいことは分らないんですけれども。それで、北海道で取れた材木は、本当に素直で綺麗で、仕事もしやすくて、と言うようないい料材が、良材が入っていました。今も北海道の山の中では、やっぱり家具用のナラガシ、ナラ材なんかは、伐採されてね、材木として作られているんですけど、今はもう日本の国内にはそれはほとんど回って来ない。ヨーロッパに輸出されるんですね。で、「F1」なんていう名前がついててね。F1ってどう、「ファイン1」かもしれないんですけど、F1なんて言ってます。それで、そういう材料はほとんど外国へ売られて…もう大阪なんかでは北海道の良いナラ材なんてまわってこない。

業者に聞くと、東京くらいまでは入ってくるそうです。だからいいものを作りたければ東京の木場に行って買わないとね。もう大阪の材木屋どこ回ったっていい材料なんか入って来ないですね。ま、そういうようなことがあるんです。

 私がそうやって子供の時から家具を作りながら、色んな木を触って来て、それである時あることにふっと気がついたんです。長野県に毒沢温泉・神の湯っていう温泉がありましてね。毒沢温泉って言うのは、温泉に使ってる湯、それは沸かし湯なんですけれども温泉の宿の横に谷川が流れてて、その谷川の水がね、舐めると舌がしびれるような味がします。
(受講生)冷泉ですよね、あそこ。
(宥厳先生)そう、それで、その水は日本で薬として販売が認められている唯一の水なんです。売薬として売られています。そこの温泉に入ると、そうですね、お湯の中に頭突っ込んで目をパチパチっとすると本当に目がパチっとしてくるし、薬湯としても優れたお湯だと思います。で、昔、プロ野球に国鉄って言うチームがあった時代に、金田正一っていう名ピッチャーがおりましたけれども、彼はいつもあそこに行ってたそうです。金田正一の隠し湯だったとか言われてるような、ま、そういうお湯なんです。ぼくの話は温泉のことには直接、関係はないんですが、そこの温泉に何度か行ったんですが、あるとき温泉の経営者の小口さんって言う人がまあひょうきんな人で、その人と丸山博先生なんかも知っていられる、有害食品研究会の会員にもなっていられた方で、親しくしてたもんです。あるときそこの温泉に行ったときに宿のまん前に大きな木があるんです。それで、その大木を見上げたんだけど、僕には何の木かわからない。それで、小口さんに、「小口さんこれは何の木ですか」て言ったら、「アデランス!」って言うんですよ。「アデランス!」分りましたか?何の木か。それで、アデランスの木だって言うから、えっと思って。ところが僕は、製材にしたアデランスの木はすぐにわかるんです。ところが生えてる木を見た時にそれが桂の木だと言うことが分からない、と言うことにね、僕は大変ショックを受けたのですね。あ、今わかった?(一同笑い)

だからね、杉の木とか松の木とか檜とか〜生えてるのを見たら何の木か当てられます。柳も当てられるでしょう。柿の木も当てられる。柿の木なんかは逆に製材したら、「これ何の木ですか」って言われたらわからない人のほうが多い、僕は柿の木は良く知ってますから、分りますけれども、柿の木なんていうたら黒檀か柿の木か素人にはわからないね。そういう職業的な知識っていうのはだから、製材したら何の木かわかるのに、生えてる木見たらそれが何か分からないというのは、何と言うことだろうと、ま、自分で思ったことがあって、そういうことを詩に書いたことがあります。何か非常に悲しいことのような気がするんですね。そういうことって。
こんな詩です。
  引用詩 

  *** 初  秋 ***     
樹立を眼にするといつも心をよぎるかなしみのようなものがある。    
あれら鬱蒼と繁った落葉樹の樹々が、何という樹なのか、その一本    
一本について、私はその名を知らない。     
樹木の自然の形ではなく、根元から切り倒され製材されて材木と    
なったならば、私はそれが何という樹であるのか、正確にいいあて    
ることができる。指物師である私は、その時、その樹の有つあらゆ    
る性質をすら、人の心を読みとるより確かに見抜くだろう。     
それは強いられて、いつしか私の身にそなわった過誤の如きものな
のかも知れない。     
名人気質の指物師だった父は、日毎酔いどれて酒くさい息をはき    
ながら、少年だった私に、指物細工のきびしさを、時には容赦のな    
い拳骨でもって教えたが、思案をとおして人生を凝視め始めた私は、    
いつも遠い声に耳を傾け、瞳を光らせて、必ずや他に在るであろう    
自己の未来を窺ってやまなかった。併し二十年にちかい刻の流れも    
私の星は私をして異なった世界へと導きはしなかった。     
いまは病床にあって、月に二三度病院を訪ずれる以外には、絶え    
て外出したことのない父が、母が居なくなった独りきりの留守居に    
堪えなくてか、いま不意に郊外の工房へやって来て、言葉すくなく、    
私の材木を扱う仕事を見遣りながら、何事かに想いを馳せている。    
今日台風がおとずれるというニュースがあって、涼しい風が、ちい    
さな私の工房を吹きぬけてゆく。それは、いま淋しい眼差しで、私    
の手つきをながめている父の心のなかをも吹き抜けているように私    
には思われるのだった。



 だから、山に暮らしてる人は、この木は何の木っていうこと良く知ってるかもしれないけれど、製材した木を見せたらよう当てないだろうと思う、多分ね。まあ、人はそれぞれに立場立場によってね、違うもんだと思うんですね。それで、北海道のそういう柔らかい素晴らしい木を、私が仕事をしていた頃は、まだトラックもそう多くなかったですから、大阪の街を馬車引きが馬車に一杯材木積んでね、工場まで運搬してくる。運送屋さんが馬で運送してるような時代だったですけどね。

 そういう時代にたくさんの木を切って使って家具を作って生きて来たわけですね。それが、木が入らなくなってくるにつれて、いわゆるデコラだとか、新建材としてそんなドアに使っているようなね、デコラのものが増えてくるようになって、それで段々張りぼての家具を作るのが嫌になって来て、それで、まあ額縁屋に転向してしまったと言うような経緯があるわけです。

 昨日指を怪我した時の木は名前を知らないですね。割と大きな葉がついてて、山によく自然に生えてるんですけどとても柔らかい木で、太くても鋸でシャーっと切れる、草みたいな感じですね。ラワンの木はあんなじゃないかなと思うんですよ。今は南洋でもラワン材と言うものがもうほとんど枯渇してきて、この頃はあんまりラワンのベニヤ板に昔使っていたような柔らかい材質の木はなくなって来ましたね。産地によって硬さが違いますね。

 日本人が東南アジアの木を買いあさって、ジャングルをダメにしてしまったというようなこともあるんですけど、その陰で日本の材木はお金にならなくて植林した山は放置されて荒廃してきてます。戦争が終わって日本には材木がなくて、建築もしないといけないし、その頃は山もかなり切られて、荒廃してましたからね。それで、植林をどんどん進めたわけですね。その植林を進めた時代は、山の、自然の灌木とかね、照葉樹林って言う風にいうんですけど。照葉樹林ってわかりますか?照葉樹っていうのは椿とか、葉っぱが落ちないで一年中葉がキラキラと輝くような木。で、こういうところに住んだらわかるんだけど、皆さんは秋になると木の歯がfallしてね、落ち葉が落ちて木が裸になるでしょ?ああいう木は落葉樹っていうんです。

だけど、冬になっても全然葉を落とさない木が色々あるんですね。そういうのが大体照葉樹に含まれるわけです。それで、例えばこの楠。この横に生えてる大きな木ですね。あれは葉っぱを落としてクヌギのように裸にはなりません。一年中葉っぱがついてるんですが、ところが葉っぱを落とす時期があるんですね。それが春なんですよね。5月とか。それで、その頃になると葉っぱがこの黒樫もそうなんですけど、葉っぱがついたままで大量の葉っぱを落としてその時にはもう次の葉っぱが出てるわけですね。だから、葉っぱそのものが全部落ちて枝になってしまうと言うことがないんです。

 だけど、裏山のクヌギとかコナラとか、そういう木は全部葉っぱを落としてですね、それで裸になって冬になったら寒々と立ってるわけです。ま、そういうような山の姿一つ見ててもね、非常に面白いです。それで、この裏山も十数年前に地主さんがねホダギをとるとかいって裸にしました。僕がここへ来た時に、この裏山の林の感じがとてもいいですねっていったら、じゃ、切らないことにしますっていってたのに切ったんです。無残な姿になって回復まで10年かかりましたね。

 木が大きくなると山や森はバランスが取れてきますね。要するにある程度木が大きくなってくると、そうすると一定のバランスがとれて、他のものがいっぱい生えてきたりしないで、こうバランスがとれて来る時期があるんですね。それで、山の木でもそうなんですけど、例えばブナの原生林なんて言って有名でしょ。日本にも何箇所かあるんですけれども、このブナの原生林なんかもね、ずっと最初の頃はそのブナが原生して、それが安定した林の層を作るまでには色んな樹木の戦いがあるわけです。

だから、山を裸にすると最初に大体生えてくる木はをパイオニアって言うんですけど、これは赤松なんかが多いんですね。だから、赤松が生えて、それで、赤松が生えてくるとその下にちいちゃな木が色々生えてきて、それが少しずつ育ちながら、成長してくるのを待つんですね。そういう木が生存競争をして、それで生存競争に打ち勝って大きくなったらまた、その下には次はそれを狙って倒そうと思って育ってくる木があるわけですね。で、そういうことを繰り返して行って最終的に勝ち残って、もうこれ以上森の姿が変わりませんと言う風な形になったのを極相林と言う風に言うんですけども、それがブナの林なんですね。

だいたい極相林ができるまで一万五千年くらいかかると言われています。ところがそういう極相林を国有林…国が持ってて、ブナの原生林を切って、道路を作るとか、その木を売ってしまうとかするもんだから、自然を守ろうとする人たちの反対運動が起こるわけですね。だから、自然と言うのは非常に時間をかけて作られる。ところが、そういうことを何か考えもしないで平気で木を切る人間が多いんです。で、まあそうやって木を切っていると怪我もするというような(一同笑い)。仕返しを受けるんじゃないかと思ったりするんですね(笑)。

 僕は子供の頃からたくさんの木の恩恵を受けてきて、飯の種にしてきたわけですけれども、木の扱われ方を見ていても大変面白いことに気づきますね。昭和20年代に日本中に行政が植林を進めて、競って木を植えたのが、今頃かなり大きくなってきてるわけですけれども、植林のやり方として、国の方針として皆伐をして植林することをさせた。つまり山のてっぺんまで丸裸にして木を植えたら補助金を出すと言うことをやったんですね。七合目から上は残しておいて、下に植林するとかって言うようなことをすれば、そんなに山は荒れないんでしょうが、皆伐しないと金は出さないっていう行政をやったもんだから、皆伐して木を植えたわけです。そうすると要するに杉とか桧って言うのは、あの根の浅い木ですので、それで雨が降った時に保水能力がない。それで大雨が降ると山が崩れて行く。それで、この紀伊半島だけでなく日本中で山がよく崩れるのはそういう政策で皆伐してきた影響も大きいんですね。

 人間と言うのは自然の成り立ちを考えないで、均衡を崩してきたわけですね。林業を維持していこうと思ったら、京都の北山の杉とか桧とか吉野杉だとかそういうところは、畑として木を植えて何百年も丁寧に常時手入れしながらやってきたわけです。だから、やみくもに皆伐をして飢えて補助金もらったらもう後はほったらかし、と言うようなことをするのは本当の林業家ではなかったんですね。補助金が欲しいからというような林業では山は守れないです。

紀伊半島は70%が植林されてます。台風で十津川だとか色んなところで山が崩れたりしたのは皆伐の植林のせいかも知れないですね。自然の山の極相林のままほっとけば、そんなに山が崩れたりしないわけです。それを、補助金欲しさに皆伐して、植林してそれで木が生えて、最初は密植、ある程度密植しますからね、ある程度大きくなって来たらそれを間の木を刈って大きな木に育てるように森の育て方があるわけですけれども、そういう手入れもしない。だから、龍神村なんかでは昔は村の人が山を持っていて、で自分の山に木を植えて皆伐をやったものの、あとの山仕事の手間賃も出ないし、それで、龍神村の人なんかはほとんど都会の人に山を安い値段で売ってしまって、それで、逆にその買ってくれた、山を買ってくれた人に雇われて、それで山仕事するというようなことをやったりしてると聞いたことがあります。

 桜井の周辺もこの国道筋、八木の辺りに行く間、この国道筋は全部木場でした、昔は。よくここ昭和40年ごろ、車でしょっちゅう走ってたんですけど、ほとんど木場て言って山から切り出してきて、で、そこで木のオークションやったりね、材木を積み上げて取引する場所だったんです。今はもうそういう木場がほとんどなくなってしまってる。

 例えば今、楽健法の講習会をやってる奈良イオンハウスなんていう酵素風呂にも影響してるわけです。と、言うのは酵素風呂はオガクズを発酵させてやるんだけれども、酵素風呂のおがくずがない。製材所が減って手に入らないんですね。あそこの酵素風呂をそっくり入れ替えようと思ったら、袋が500いるんだそうですね。けれども、持って帰ったオガクズは製材のオガクズばっかりじゃないんですよ。プレナーで削った鉋くずも入ってる。

 昨日、イオンハウスで、ちょっと袋が破れとったから、オガクズをすこし引っ張り出してみてみたら、チップみたいなものがいっぱい入っててオガクズとはいえない、そういうものまでも持って帰らなければならない。全部引き取ると言う風にしてるからでしょうね。それを全部ふるいにかけて、それでちょうどいいオガクズを取りだして、そうすると500袋持って帰っても半分以下に減っちゃうそうです。だから、なかなかね、酵素風呂をやって行くのも大変なんですね。そういうことも見えてきます。

僕らは車で田舎へ行って山を眺めて、自然はいいなとか思ったりしてても、いろいろな問題が隠れているんですね。紀伊半島を走ってね、僕はああいい自然だななんて思ったことはないです。何と暗いところだと思って、「黒い森」なんて言うて有名なのはドイツの「黒い森」なんて有名ですね。植林がされていても、人為的なことで、酸性雨を降らせたりして、環境を破壊している。人間が自然を破壊してそういう風にしてしまったのですね。

ネパールへ10回くらい行ってますけど、ネパールは細長い国土で長い方が2400km、幅が200kmくらいの土地なんですね。だけど、ヒマラヤが山系が幅があって、平野は少ない、タライって言うインドに接しているところは平原、ジャングルになってるんですね。

 ネパールは世界で一番森林の破壊が激しいと言われてる国なんですね。それで、ある時期から森林破壊は一切だめと言うので、木を切ってはいけないという法律ができたんです。実際。それで、木を切らないようにしてて、薪も町ではほとんど売ってませんけどね。僕らが最初行き出した頃は、まだ薪もいっぱい売ってました。それで、ご飯炊いたりしてしてたんですね。ところが、そのタライのジャングルを走ったときに、ある場所に通りかかると、ジャングルに木が生えてるんですけど、密集してるんじゃなくて、切り株がたくさんあって、間隔を大きくとって生えてるところがありました。木を切った人たちは適当に残して切ったつもりなんだろうと思うんですよ。これくらい残しておけば、多分ジャングルは維持できると思ってやったんだろうと思うんです。ところが木を間引いて切ってしまって、葉っぱに隙間ができると太陽が落ちてくる、そうしたら、地面の水分が蒸発して、ジャングルの水分が保持できなくなって、残した木が皆枯れてしまってる。人間と言うのは浅知恵でものをするとそういうことになる。
 健康管理も一緒ですね。そういうの見てるとね、本当に賢く、賢明な生活をすることがいかに難しいかと言うことを痛感します。そういうところを通ってタクシーを雇って、お釈迦様が生まれたルンビニまで何度も行きました。

 今回は行きませんでしたけれども、車でまあ7,8時間かかるような道です。タライのジャングルを横切る何十キロか続いてる国道をタクシーで走ってると、地元の人はカトマンドゥかどっかへ行くんでしょうね。肩に荷物を背負って、背の高い男がさっささっさと歩いてるのとすれ違う、バスにも乗らずに都会まで歩いて行くんだなとこう見送って思いながら僕はルンビニに行くわけですよね。で、ルンビニで何時間か過ごして、それでまた夕方にその道を戻ってくると、その男が相変わらず歩いてるんです。行きしなと帰りに、行きしなはすれ違って、帰りは追い越していく。ああ、あれからここまで歩いてきたんかって、何キロ歩いたか分りませんけどね。ま、そういうことも経験しました。だから、まあ歩くと言うのは大変なことだけれども、この間管直人が四国八十八か所歩いたみたいですけど。ニュースにもならないね。元首相がお遍路に行ってるのに。
(受講生)首相辞めてから行ったからね。

(宥厳先生)四国八十八か所を車でお参りしようと持ったら1週間ですむんです。それで、車で何も考えずに走ってる人はね、何か歩いて回ってる人がバカみたいに見えるだろうと思うんですよ。ある意味。ところが実際は一番贅沢なのはああやって歩いてることでしょうね。たぶんね。悔しかったら歩いてみろって言うんだ(笑)。悔しかったらベンツに乗ってみろって思ってるかもしれないですけどね。

 まあ、そういうことね。それでまあ、こういうやまをそうやって森林を破壊すると、この暗い杉やら桧の森は木の実もなりませんし、日差しも悪いし、それで、昆虫があまりいないから小鳥もほとんどいない。そういう山の間を谷川が流れてますけどね、昆虫がいないもんですから、川にも虫が減って、それで魚もあまり暮らせなくなるような環境になって来るんですね。

 何かを変えるていうことは大変なことなんですね。僕らがたまに車で走って、緑がいっぱいあってと思うかもしれないけど、あんな山は自然ではないんですね。

 龍神村ていうところの林業組合に講演を頼まれて話をしに行ったことがあるんですね。1980年代のことですけどね。それで、何故頼まれたかと言うと、東京の農大を出た青年がいて、で、その人は龍神村の生まれで、お父さんは製材所をやったり林業をやってたんです。彼は農大で勉強して林業にアイデアがあった。杉やら桧だけうえとって、手入れしたとしてもそれが金になるのは40年、50年先のことです。太く木を育てないけませんからね。そうすると木が育つまでの間食うすべがないわけじゃないですか。

 それで彼が考えたのが立体果樹園って言う構想なんですね。山を立体果樹園にする。で、下の方に梅の木を植える。山椒を植える。それから銀杏を植える。銀杏を植えたら「ぎんなん」が取れますからね。そうやってこうずっと山の上まで色んな木を計画的に植林していけば、そうすると立体果樹園として毎年お金も取れるじゃないか。これを何とか実現したい、といって親やら、色んな人に話をするんだけど、そんな考えにだれも見向きもしてくれない。それで、宥厳先生応援してくれって言うわけですね。私はその頃ユリノキに関心があって育てていました。東光寺にもいま一本ユリノキがあります。桜井の駅前の街路樹もユリノキです。

 当時楽健法の本を出版してくれたアボック社というのが鎌倉にあったんですけど、そこに本を出す過程でよく打ち合わせに鎌倉に行ってたんです。そのアボック者の社長のお父さん毛藤勤治さんが農学博士で、ユリノキの研究家だったんですね。日本にユリノキがいっぱい街路樹にまで使えるようになったのはその毛藤勤治先生のおかげなんです。

 ユリノキというのは明治の始めごろに北米から150本かのユリノキの苗木を日本に持って来たそうです。で、それをあちらこちらに植えてみたんですけれども、ほとんど根付かなかった。ところが、新宿御苑に三角形に3本のユリノキを植えたのが大きく育ってそれが花をつけ、種を落とすと言う風になって行ったそうなんですね。先生の話ではユリノキの種って言うのは600粒に1粒くらいしか発芽しないというような傾向があるらしいですね。

 種があっても必ず発芽するとは限らないと言う話なんですね。まあ、僕が1掴み植えておいたら鉢の中で発芽したことがありましたけどね(笑)。なかなか発芽しない種の育て方を毛藤勤治先生が研究して沢山の苗木がとれるようになり、あちらこちらに少しずつユリノキが増えていったんです。ユリノキは絶対に挿し木ができない。それから移植が難しい。移植すると大抵枯れてしまうそうです。

 ユリノキの苗木の床
年末ごろに風が吹くと舟のかたちをしたちっちゃな種がバラバラバラバラといっぱい道路に落ちてくるんですね。それを学生たちと一緒にたくさんかきあつめて苗床に分厚く敷き詰めるそうです。そこに土をかぶせてほっとくとそっからボコボコボコボコと苗が何年間にもわたって出てくると言うことが分かったそうですね。そういう栽培方法がわかってから、ユリノキがたくさんあちらこちらで栽培されるようになったので、それで全国にユリノキが広がったわけです。ユリノキって言うのはチューチップそっくりの形をした花をつけて、それにたくさんの美味しい蜜ができるんです。この間ここで、まだちょっと残ってると思いますけど、ユリノキの蜜って言うのを、買うことができました。蜂蜜屋さんが皇居の周りで、蜜蜂を持って行ってユリノキの蜜を集めて、それをビンに詰めてある。とても美味しい蜜です。で、アメリカでもユリノキの蜜はもう予約した人にしか配れないほどわずかしか手に入らないような蜜だそうですけど。先日買ったのは1キロもありませんが1本6,000円くらいしました。ちっちゃなビンで。

龍神村に、ユリノキを植えてそれで、そのユリノキとモクゲンジ、それから、ハナキササゲと言う木が、これは毛藤先生の受け売りなんですが。僕はハナキササゲて言う木は詳しく知らない。モクゲンジもどんな木かはっきりわからないんですけど。そういう木をこう植えて行くことによって、花が時期がずれてうまく開くので、長期にわたってそれらの蜜が採集できるそうです。

そういう木を植えて、蜜が取れるようになったら龍神村で養蜂業ができるではないか(笑)。そういうことで叱咤激励しにいったんです、はっぱかけに行った。で、そういう講演をしたんです。その青年に頼まれましてね。そしたら、その年にね、どっかから1,500本ほどユリノキの苗木を買って試験植樹したそうなんですけど、その結果は見にいってないんです。龍神村のどこかでで1,500本くらいユリノキが育ってるだろうと思うんですけど。

 それで、そういう木を育てたらユリノキと言うのは、イエローポプラって言う名前があるくらいで、その黄色い紅葉がものすごく美しいんですね。こんな空気の悪い所ではそんな綺麗な色にならないかもしれないけれども、とってもその黄葉がきれい。そうするとその龍神村の美しい黄葉を見に行こうという観光の名所にもなるではないか。で、杉やら森のね、あんな常緑樹見たって何にも楽しくありませんからね。ま、そういうようなことを言って、色々鼓吹して来たわけです。

しかし、やっぱり立体果樹園は実現しないままでしたね。その内にその青年もだんだん大人になって、理想が消えてった、年とって。この間、家内と一緒に龍神村に行ったときに、彼がおるかなっと思って家に寄ってみたら、ちょうど留守でした。もうそういう理想に燃えた青年ではなくなっちゃったのかな。理想を追いかけるんだったらね、一生追っかけて行かないと嘘ですね。途中でやめてしまって、ただの人になってしまったらどうするんだと思うんですけど。

 若い時の夢を実現したいと思って、それをやり続けてそうなっていくのは大変難しいことですね、と思うんです。私はだから何かこうずっとそういうどっかで夢を追い続けているので天然酵母パンとか楽健法を色んな人に伝える仕事がずっと継続していけるわけです。だから、人間は自分が見つめた星に向かってずーっといつも死ぬまで歩いて行かないといかんと思うんです。
 自分を導いてくれる星があるということを忘れてしまったらダメですね。
 だけど大抵の人はそういうこと忘れて行く。そうすると、まあ仏教で悟りを開くなんて言いますけど、じゃあ悟りを開くって何かと言ったらやっぱりこう自分が、これ!と思ったことをずーっと追及して行って、そして、生涯を他人にとってusefulな人間としてね。有用な人間として人生を全うするということであってほしい。
 そういうことができる人が僕は人間と呼ぶにふさわしい生き方ではないかと思うんですね。

 人間になると言うのは哲学的な宗教的な意味で言うととても難しいことで、簡単に人間にはなれないんですね。  学校を出て、就職して、それで、稼いで結婚して子供生まれて、で定年退職になって子供はどっか行ってしまって、それでやがて老夫婦二人、老々介護もできなくなって、専門の介護に自分の体を任せていく、それが普通みたいに思って、車いすに乗ったり、寝たきりなって生涯を終わって行く。そういう生き方をする人たち。僕は、まあそれは一度も人間にならない内に死んでいくように思えるんですね。そういうことであってはいけない。ただし、人間であるということがどういうことか、そういう何か自分自身に対する、何か課題みたいなものを持ち続けてそれをやっぱり、どこまででもやっていこうと言うような意欲を持っていたら、病気する暇もないし病気の方も向こうからやって来ないんじゃないか、と言うように思うんですね。

 で、ぼくはそれでここの山に、東光寺山で暮らすようになって、まあこういう木と…木を切って怪我をすることもあるけれども、ムカデに刺されたりもしますけれども、ま、そういう中で生活しながら、猫と20年以上も一緒に暮らせたり、それから庭の火鉢池にやってきたカエルと仲良しになったりね。

 あのカエルがいなくなって多分クロサギに食われたのだろうか、と心にそれがひっかっかっとったら、どういうわけか昨日、僕がパソコンやってたら目の前にカエルがピョンと(一同笑い)。大きなカエルが。今フェイスブックにアップしていますが。入って来られるはずがないんです、座敷にカエルなんか。ところが多分僕が指を怪我したことと、それとあのカエルを心配してたことと。それとマニスが僕を慰めようと思ってあのカエルをよこしたんじゃないかな、と思うんですよね。マニスはよくそういうことするんです。一度はマニスが死んで1週間目に、マニスの墓に、いつもうちに来ている高峰靖子さんとペテロ・バーケルマン神父さんがやって来て、マニスの墓の前で般若心経を上げたんですよね。

 お経をあげている間、高峰さんはマニスを思い出して涙を流したりして、部屋に入ったんです。居間のとなりにあまり開けない二畳の部屋があるんですが、その2畳の部屋で何かバタバタって音がするんです。おかしいなと思って、ふすま開けたら小鳥が飛び出してきたの、バーっと。小鳥が飛びだしてきて、それでパソコンを僕がいつもやってる部屋に飛びこんで、台所の隅から本堂の入り口の廊下の所まで鳥がピューっと飛んで行って、またピューっと戻ってくる。マニスがよく、僕が帰ると喜んで座敷を行ったり来たりすることがあったのですが、それとおんなじことを小鳥がするんですよ。さらに今度はパソコン部屋に入っていったた、トイレの前を通って。それで、パソコン部屋の中をくるくる回ってるんです。
小鳥を三人で追いかけていったんです、そうしたらいつもマニスがパソコン部屋で座ってた椅子の上のスタンドの上にポンっと止まったんですね。よく見たらそれウグイスなんです。
(一同)え~~~~



 それで、これはもう、逃がしてやらなあかんと思って窓を開けて、まあ出て行ってもらったんですけどね。これってね、もうマニスの霊魂がね、乗り移ってやったとしか思えないようなことですね。

 僕が本堂の三輪山のほうの障子を開けて掃除してたら、白いモンシロチョウが入って来て、マニスが走ってたように護摩壇の周りをくるくるくると何回か回ってから僕の頭にぴょんと止まるんです。そんなことって蝶々はまずしないですよね普通。

 昨夜は座敷にカエルが出てきて座ってるんですよ。はじめはちょっと目がピントが合わないもんだから何かな、と思って。ネズミが歩いているにしてはおかしいぞと思って、眼鏡を換えて見たらこんな大きなトノサマガエルがノソノソ。何度か火鉢池で眺めていたカエルですね。冬眠する前に、宥厳さんはクロサキに食われたと思ってるかもしれないが私は元気よ、という姿を見せに来たように思うんですね。

 それで、琴美ちゃんに電話をかけて大事件が起きたから来てくれって言って(笑)。それで、保護してもらって火鉢池に入れたんです。まあ、それも写真撮ってみましたけどね。すぐ飛びだしてどっかへ行きましたけどね。まあ、もうすぐ冬眠ですからね。やっぱり何か通じるものがあってカエルさんもやって来たんかなっと思ったりするんですね。だから、まあカエルでもそのくらい心が通じるんですから、人間はね、お互いに何か、関係のある人をやっぱり思いやって気にかけて何かしてあげてたら、心のまっとくない人も、まっとくなったりしますから、皆さんも楽健法を多くの人に役立てられるように、頑張って行ってほしいと思います。

 楽健法は非常に自然な療法だと思うんですね。楽健法なんていうのはね。60歳を過ぎたらガンになりやすいといってた人がいたけど、厚生省のデータ見てたりして、40代半ばから50の坂をこえるのが人間とっても難しいと言うことが、死亡した人の数で分ります。他の年代よりも3倍くらい死ぬひとが多いんですね。他の年代が1年間1万数千人しか死んでないとしても、50代60代になったら四万人も五万人も死んでるんですよ。で、そこだけが数字が多い。それでまたそれ超えたらまた一万数千件に落ちて行くんですね。その年代が死亡者数が突出してる。

それで、50歳前後で何故突出するのか。それはそれまでの食生活、食習慣とかが結構乱暴でそれで自分の体にドンドンダメージ与えて行ってるのに気がつかないで、それでも何十年かは人間と言うのは元気で働けるんだと思うんですね。それがその年代になって発病した時にもう体の中にほとんど自然治癒力が残されていないからだと推測がつきます。病気になって治癒力がなくても、そこで気がついて玄米菜食をして楽健法しっかりやれば蘇るかもしれないんだけれど、そういうこともしないで、医者に行って色んな治療をしてもダメになってしまうということではないかなと推測できるんですね。統計の数字からそう思うわけです。

 長生きするって言うのは、健康になる原因を積み重ねているひとと、病気になる原因を積み重ねてる人との差ですね。人間は毎日ね、昨日も生きとったから今日も生きとるわけで、で、明日のことはもちろん分らないわけですけれども、多分明日も生きてるだろうと思って、生きられるわけですけれどもね。年月の経過につれて体が悪くなってくる、ボロボロになって言うこときかなくて、もう足は言うこときかないし、あちらも痛いし、こちらも悪いしって言うような状況になってきて、それで医療を受けて、健康保険の金を使い、人の世話になりながら生きて行くと言うのは大変辛いことです。
 日々良い原因を積み重ねることが長生き健康の最短距離の秘訣です。




楽健法(23)



Dinner
●むかごごはん●にもの三種(こんにゃく、ごぼう、いも)●なすとししとうのいためもの新生姜添え●きのこ、わかめ、とうふ、おあげの吸い物●自家製ふりかけ●えだまめ




東光寺の阿修羅姫










暗い本堂でいったい何が…!? →ここをクリック


楽健法(1)







第7回10月14日(2日目)その2

2012年12月02日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~




朝のお勤め










Breakfast
●天然酵母パン●かぼちゃスープ●フルーツ野菜サラダ(玉ねぎ、キュウリ、トマト、セロリ、柿、みかん、グレープフルーツ、アボカド)












Lunch「天ぷら御膳」
●天ぷら(こんにゃく、さつまいも、なすび、おくら、みそしる(空心菜、とうふ、しめじ)●ごぼうの煮物●枝豆



楽健法(2)






詩の展覧会 →ここをクリック














































おわりのかい









第8回11月10日(1日目)その1

2012年12月02日 | 第12期楽健法セラピスト講座
始まる前のランチ~




11/10 13:12 「どうだん 12月号」

(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。

(宥厳先生)何かいつもよりえらい人数が多いような気がします。
(琴美ちゃん)全員そろっただけですけどね。
(宥厳先生)二人休むとえらい寂しい感じやねぇ。人間のかさって大きいもんだね。
(受講生)ほら、かさがある人とない人が(笑)
(宥厳先生)みんなが何となくその辺に立ってるとね、重苦しいもんね(一同笑い)それで、立ってるとみんな座れって言われるの。子供の時はよく言われたしね。家の中で立ってったらね。座れ、座れって。重苦しいもんです。

 だいぶ寒くなってきましたので、ちょっと体調を崩される人も出てくるかもしれませんけれども、だいたい、冬の方が人間は体調のいい人が多いんですね。冬はあんまり病気にならない。夏になると病気になります。太陽が強くなってくると、体の熱を奪われるんですね。太陽に、逆にね。それで、病気が増えてくる。アーユルヴェーダではそういう風に説明されていて、それで、インドのアーユルヴェーダの病院なんかは冬に訪れるとほとんど患者がいないですね。で、温かくなてくると、患者がだーっと増えて来るんですね。だから、気候は寒い時は、まあ辛いのは確かに、暑い時よりは、寒さが厳しいと辛いかもしれないけれども、逆に言うと暑さというのは逃れようがない。それで、まあクーラーつけたり色々、エアコンで調整したりするんですけれども、ま寒い時はむしろ逆に物を着こむとか、ご馳走食べるとか言うね、ぬくめようがあるんですけど。冷やしようって言うのがなかなかないんですね。だから、まあそういう意味で体のコントロールは冬の方がしやすいかもしれないですね。ま、そんなことで。

 今回この「どうだん」の短歌は編集長の方から電話をもらって、「まだ原稿頂いてませんけど」とか言われて「すぐ送ります」と。それで火曜日にあわてと書いたんです。バタバタっと書いたような歌でしかないんですけど。ちょっとまあ、最初にやってみましょう。



どうだん 2012年 12月号…




「どうだん」  二〇一二年十二月号 山内宥厳* 

●ながいこと続けてきたる麺麭作り後何回かと思いつつ焼く

●香りたつ麺麭を軽四に積み込んで配達に出る眠気払いつ

●はるばるとアラスカのひと麺麭焼きの日に現れてパンを丸める

●美味しいね顔見合わせて焼きたての麺麭をちぎってほうばる笑顔

●翌日の香りたつ麺麭しんなりと縦にひきさき口にほうばる

●にんじんとリンゴ長いもごはんまでミキサーにかけパン種作る

●干しぶどう胡桃を入れて焼くパンのはみ出し焦げたる胡桃のうまさ

●胡桃とかブドウがいまにも落ちそうにくっついたパン袋に入れる

●一日に百キロの粉パンにして日暮れの前に宅配集荷

●楽健法を広めて生きんとこころざしネパールまでも旅をするなり



これは12月号にでるんですね。「どうだん」っていう雑誌は、歴史の随分長い同人雑誌のようですが、参加してる人がみんなだんだん高齢になってきて、ぼつぼつと同人が消えて行くんですね。それで、雑誌の維持が少し難しくなって、月刊を維持できなくて、今年はずっと隔月刊だったんですね。だけど、また少し、月間に近いような形に来年から戻すようなこと言ってました。まあ予算次第なんでしょうけどね。うすっぺら~い雑誌なんですが、結構お金がかかるんだろうと思います。 今月はパンのことを書いてみようかなと思って書いたのがこれです。

●ながいこと続けてきたる麺麭作り後何回かと思いつつ焼く

まぁ年をとって来るとこんなことも思いながら生きてるところがあります。仕事をするっていうのは、若い時にはいつまででもそれができるような気がして、何でもまだまだできるような気がしてる内に、残り時間が少なくなってくるんですね。人間ってそういうもんです。若い時にはそういうことは分らない。

 それで、丸山先生が私が初めて出会ったころにちょうど今の私くらいの年だったんでしょうかね。もうちょっと若かったかもしれないけれども、大学を退官したのが六十代半ばくらいですかね。それで数年後くらいだから、やっぱり七十歳前後くらいだったと思いますね。

 それで先生はよく、「年寄りの時間って言うのは君、貴重なんだよ」なんて言ってましたけどね。まあ、本当に貴重かどうかはひとによってかも分りませんけどね。若い時の時間も貴重なんです、同じように。だけど、まあ時間を貴重だと思って一生懸命に自分の仕事に邁進できて、何かを成し遂げていける人は幸せですね。何となく、ぼんやりと過ごした時間の方が多くて、気がついたら年とってしまって、いまさら後悔しても始まらないと言うような人生の人が多いかと思いますね。

 ま、そういう意味では僕は随分欲張って色んなことやって、未だにやり続けてるので、ま、お幸さんと宥厳さんのコンビって言うのはなかなかすごいことやってるのかもしれないです。この間もここで講習会のときに、後千回はパン焼けませんなぁって言ったら、そりゃそうでしょうとか言われて(笑)。千回言うたらね、週一回で千回言うたらだいぶ長いこと生きてやなあかん。お幸さんが150くらいになって(一同笑い)。







(幸子先生)125(歳)までです。(一同笑い)
(宥厳先生)それで、まあ、どこまでやれるかっていうこともあるんですけど、いい加減なところでけりをつけると言うことも大事かもしれない。後継者がいて続けるということも必要ないかもしれないし、現状のような仕事を引き継いでやっていくっていうのは大変なことですね。この仕事はきちんとした問題意識もないとできないですね。ただ単に商売として考えたらとてもじゃないけど成り立たないので、まあ夢のようなことを考えて、パンを文明批評だとして位置付けてね、文明批評として存在させるとか、楽健寺の天然酵母パンの普及をはかるためとか、僕はいろんな格好のいいことも言いながらやってきたんですけど、惰性でやって来たと言えなくもないんですが、こんなことも考えながらいまもパンを焼いているということですね。

●香りたつ麺麭を軽四に積み込んで配達に出る眠気払いつ

 パンの日は一軒だけ配達行くところがありましてね、大阪の上本町のキャロットって言う自然食品の店に配達に行くんです。片道 20分くらい。軽四に乗るのは週の内1回だけ。それだけなんですけど(笑)往復20キロ足らずの配達で、それで、ちょうど2時前後くらいの時間に配達に行くんですけど、一番眠い時間で、それで、最近までは眠気覚ましに琴美ちゃんに教えてもらったガムを噛みながら走ってたんですけど、眠いと思ってはガムを口にほり込んで噛んでたら、だんだんお腹がルーズになりましてね(笑)。この頃はやめてます。それでもまあ、何とか無事に元気に仕事ができてますので、この「香り立つパンを」から「軽四に」まで五七、パンを軽四に、で五七と言うような感じで、まああの、言葉の切れ目がおかしいですが、一応五七五七七にして書いてみたんですね。



次は、
●はるばるとアラスカのひと麺麭焼きの日に現れてパンを丸める
(宥厳先生)舟津さんと言う人がアラスカに住んでられるんですけど、最近は、厳しい時はマイナス40度くらいだそうですね。長野県の人なんかは寒い言うたって…
(柳田さん)マイナス10度が、去年。寒かった。

(宥厳先生)だから、マイナス20度から40度なんて言ったらちょっと想像がつかないような…。でも、10度も40度もあんまり変わらないんじゃない?(一同笑い)全然違う?もうただ…同じようなもんでしょう。しびれると言う意味では。ちがう?まあ、寒いそこから、アラスカの人が来て、舟津さんって言う方がパンを手伝いに来てくれるんです。

 舟津さんにも何度か話したんですけど、ここのパンの機械が壊れたらやめようと思って、壊れるの待ってるんだって言ったらそんなこと言わんでいつまでもやってくださいって言われましたけれども、まあ、あのもう一昨年になるのかな。一度パンの機械が故障して、窯がね。それで、もうこれでやめられるのかなと思ってたんですけど、まあ、やっぱりいっぺん修理を頼んだ方がいいかなと思って、メーカーに電話。メーカーも本社が移住して電話番号が変わってて、わからなくて。取り引き先の胡桃なんか仕入れてる店に聞いたら、そこが知ってて教えてくれて、メカニックの人が来てくれたんですね。

 そしたら今は日本に2台しかあの機械が残ってなくて、フジ製パンって言う会社。フジやったかな?なんか言う会社なんですけど、そこの会社が創業して最初に作った機械だそうです。すごく初期の窯ですね。今はみんなコンピューターで制御されますからね、温度も。私とこのはコンピューターなんかないんです。温度計がついてるだけで。で、温度は上火が1~8まで
、下火も1~8までって調整できるようになってます。それを自分でこうヤマカンで入れて、それでまあ温度計はついてますから、それを見ながらヤマカンで焼いてるわけですね。だから、その都度、温度をちょっと見たりしては、温度調整しながら焼いてるわけですけれども、まあ、あのこんなに長いこと使ってくれてるのは修理する人にとっても嬉しいことだと言って、えらい熱心にやってくれて、新品同様になりましたって言われて、喜んでいいのやら、がっかりいしていいのやら。もう直りませんって言ってくれたら、あれで終わってたのに。ま、そんな感じでやってます。

●美味しいね顔見合わせて焼きたての麺麭をちぎってほうばる笑顔
これはこの舟津さんがパンがめっぽう好きでね。それで、焼きたてのパンを食べていいよって言ったら食パン1個くらいケロッと食べてしまうんですね。まだ更にぶどうパンも1個。それでまあほおばる笑顔って書いたわけです。

●翌日の香りたつ麺麭しんなりと縦にひきさき口にほうばる
これは「しんなりと」と言うのは、食パンなんかは醗酵がいいと縦にシャーっと引き裂けていくんですね。ああいう風に醗酵しないといけない。醗酵がうまくいかないと大きな穴がいっぱいになって、ぶつぶつでブすっとちぎれちゃうのね。シューっと縦に。ま、そういうパンがしんなりして美味しいんですね。

それで、今日メールが入ってたんですけど、福島の飯館村から伊賀の方に逃げて来たご家族、子供さんが今4人、この間子供が九月に生まれて、4人の子供さんで6人家族ですね。その方がこの間伊賀で楽健法の受講に来られて、その人がパンが欲しいと言うので送ったんですけど、その人からこんなメールが届いてます。

 この方は一番上の子供さんが小学校三年生で、この間フェイスブック見てる方にはお知らせしましたけど、本当に幼稚園児かと思うようなちっちゃな女の子がお母さんに一生懸命楽健法をしてる。私のやる通りきちんと見てやるんですね。すごく姿勢がよくて、ちっちゃいけれどあれはよく効くだろうと思うような楽健法をやっています。8月の講習会に楽健法を学んで、それからえらい熱心にお母さんを踏み出して、ご主人も勉強したんですけど、御主人は全然奥さんを踏んでくれてなくて、それでその子供がお母さんを出産まで毎日、足の付け根を一生懸命踏んだら、そしたら本当に何かあっという間に、陣痛が起こってからじきに生まれたとかいってましたね。もうビックリされてました。今まで四人産んだ中で一番軽かったて言ってましたね。

 この間、11月の初めに来られた時は、三番目の娘が喘息を起こしてて、ひどい喘息で、それで、そのことを心配して、また僕らが行ってる時にも目の前で喘息を起こしたんですね。それで、まあちょっと触ってあげたりして、ファイテンも貼ってあげたりしたら、その場はおさまったんですけど、まあ急にそういうことが起こりだしたっていうのでね、私が、その前にこんなメールを送ったんです。パンの注文下さったものですから。






今日は講習会に参加いただきありがとうございました。
パンは明日早速送らせていただきます。
お嬢さんの喘息は弟が生まれたことが原因ですね。
医者や薬に頼らないで、しっかりハグして愛情をそそいであげればじきに治ります。
山内宥厳拝





って、返事書いておいたんですね。そしたら、今日届いたメールですけど、





山内宥厳様

お世話になっております。
パンが届き、おいしくいただいております。いままで出会ったことのないパンに出会えてとても、うれしいです。日がたっても、やわらかく、熟成されていき、そしてなにより、自分の体が喜ぶパンでした。お振込み、今日させていただきました。よろしくお願いします。




娘の喘息は、弟が生まれたことが原因とのこと、とてもなっとくしました。喘息は今まで1度もなったことがなく、弟が生まれてくる2週間前くらいから突然なりました。出産予定日のころあまりにも喘息がひどくなり、心配で、助産院でのお産をやめ、自宅の出産にしました。今はだっこをたくさんしてあげるようにして、娘のことに意識をむけるようにしましたら、おかげさまで、少し喘息が、かるくなってきています。

ありがとうございます。






こんな返事をいただいてますね。喘息と言うのは心の氷壁だと言う風に言う人もいるんですね。何かに絶望する。多分この子は弟が生まれる前から自分が排除されるような予感があるんでしょうね、そのお母さんも忙しくなるから、娘にかまってられない。で、後が生まれてくる、そしたら、そっちにかかりきりなんで、まだ2歳になったかならないかの子供の心がなにかを失う。ひがむんでしょうね。それで喘息が起こったんだと思うんです。まあ、こうやって愛情を、意識を向けてあげてたら、軽くなって治っちゃうんだろうと思うんですね。

この村上さんっておっしゃる、この三年生の女の子は将来、楽健法とパンを実践して指導者になるっていって頑張ってます。それで、玄米菜食をお母さんがずっとやってたら、玄米菜食が娘の方がもっと好きになってしまって、将来玄米菜食をしている旦那さんが見つかるだろうか言うて心配しているそうです(一同笑い)。なかなか早手回しの用心って言う感じですね。そんな子供さんも出てきてます。

11月23日に滋賀県でヘレナ・ノーバーク=ホッジさんって言うローカリゼーションを提唱してる世界的に有名な学者の講演会があります。鎌田陽司さんって言う人が「懐かしい未来」というNPOを作っていられ、チベット、ネパールでヒマラヤの伝統医療などの研究活動して来られた方ですが、その活動を通じてヘレナさんとも出会って共にローカリーゼ-ションに取り組んでこられたんです。 
ヘレナさんと言う人はオーストラリアの方ですがドイツ人かな。

インドの奥地にラダックて言うところがあるんですど、そのラダックって言うのはちょうどヒマラヤを境にしてチベットのインド側なんですね。それは、チベット圏なんですね。だけどラダックは独特のラダッキーって言う風に言われてるチベット語を使ってて、本国のチベットとはだいぶ言葉も違うらしいんですけれども、まあ、そこへ、ヘレナさんと言う人が、20年ほど前から入ってずっとフィールドワークやってるんですね。

私も一度ラダックに行って「ムーンランドへの旅」というちっちゃな本を出してますけれども、そのラダックがグローバリゼーションで、要するに近代化の波に飲み込まれて共同体だった村が崩壊していくんですね。つまり、人と人がもうみんな金儲けのことしか考えなくなってきて地に着いた暮らしを捨てていく、そういう実情をずーっとヘレナさんは観察してきて、それは世界中の近代化がグローバリゼーションで変化してきた、それと同じひな形が目の前のラダックで行われていると言うようなことから、人と人とが連帯してやっていくようにとローカリゼーションというものを提唱してこられた有名な学者ですね。この人が滋賀県で23日に講演会、それで、24日に嘉田 ( かだ ) 由紀子知事と対談をする予定で、二日間の日程が組まれています。私は23日だけちょっとヘレナさんに紹介したいと言うので、それで、そこに楽健法もね、是非取り入れて行きたいと言うようなと言うような動きがあるので、ヘレナさんあたりとジョイントできて、そういう地域にも楽健法を広めて行こうと言うような動きが出てきたらですね、もう少し楽健法が面白い形で広がっていくんじゃないかなと言う風に期待しているわけです。ま、そんなことで。

その次は
●にんじんとリンゴ長いもごはんまでミキサーにかけパン種作る
なんかこれはパンのレシピみたいな短歌ですけど(笑)

●干しぶどう胡桃を入れて焼くパンのはみ出し焦げたる胡桃のうまさ
ちょっと分からないかもしれませんけれども、パンを成形した時にね、胡桃とかぶどうとか硬いものが生地を丸めて行くとギュッとはみ出して来るんです。それが、外の皮にひっついて、焼けるんですけど、それが今にも落ちそうなやつを袋に入れる前にちぎって口にほおばると言う、これがまたとても美味しいんですね。特に胡桃が焦げたところ、焼きたての胡桃をパンの外にちょっとちぎって食べると、家内に時々怒られるんですけど、ちぎったら目立つようなのはもちろんちぎらないんですけど、わずかにくっついてるやつ。そうそう袋の中で落ちちゃう。それが正解です。

●胡桃とかブドウがいまにも落ちそうにくっついたパン袋に入れる
…んですけど、落ちそうな。まあ、そういうことで。

●一日に百キロの粉パンにして日暮れの前に宅配集荷
って言う風な夕方の終わり。

●楽健法を広めて生きんとこころざしネパールまでも旅をするなり
ちょっと今月の歌を、余りいい歌はないですけどね。何と言う軽い歌だろうと思いながら書いているわけです。



それから先月もちょっと、「たいまつ通信」の、このまあ少し、説明すると長くなりそうなんですけれども、京都府立医科大学教授で棚次正和先生と言う人に取材をした取材記事があるんですね。この人は、医科大学の教授ですけれどもどうも哲学をそこで教えてるみたいで、医者ではないんですね。宗教学をやってる人ですね。研究テーマは「祈り、医学哲学、人体論、スピリチュアルケアなどやってるひとです。祈りについてここで今、説いてるわけですけれども。ちょっとサーっと読んでみますので。分らないところ説明ほど私もよくわかっていないところもありますけれども。







―宗教と医療の接点を考える上での問題は、「霊性」と訳されたりする「スピリチュアリティ」の扱いではないですか。
 スピリチュアリティやスピリットは、訳語が定まっていません。仕方がないので、カタカナで書かれたりしますが、それぞれの単語に対対応する言葉があるはずです。私自身は、スピリットを日本語に訳すなら、ひらがなの「いのち」が一番良いのではないかと思っています。スピリットはラテン語のスピリトゥスに由来し、もとの意味は「呼吸」です。ヘブライ語のルーアハ、ギリシア語のプネウマやプシュケー、サンスクリット語のアートマンやプラーナ、フランス語のエスプリ、ドイツ語のガイストなど、「霊魂」や「精神」を意味する言葉の多くは「気息」や「呼吸]や「風」を原義とします。日本語の「いのち」も「い(息)+の+ち(ちから・威力)」に由来する言葉です。「生きる」ことの具体的な基礎が「息をする」ことにあるからだと思います。

―日本語の重層性がスピリチュアリティを読み解く鍵になるのですね。
そのあたりから考察していかないと、何か上っ面なものになってしまいます。学者の間でスピリチュアルブームは終わりかけだとか言われたりしますが、一つの局面に過ぎません。自分にとってスピリチュアリィティとは何か、そういう問いを出さないまま、単に表面的な広がりとしての社会現象を分析するだけでは、深みや高みを捉える垂直方向への眼差しが欠落する恐れがあります。

スピリチュアリティを体現する言葉・・・「いのち」

―一方で、今のスピリチュアルブームには、自己を見直し高めていくような垂直軸が欠けている面も見受けられますが。
 「自分探し」と言ったりしますけど、表に現れた人格的な自我を自分だと思い込んで、それを追いかけているのではないでしょうか。パーソナルは人格ですが、同時に仮面(ペルソナ)を意味します。その裏、あるいは奥に本当の素顔、真我というものがあると思います。自我のレベルの祈り・は、単なる願望に過ぎず、本来の祈りではありません。

 ―祈りの本来の意味は、どのようにお考えですか。
 「いのり」の「い」は、「いのち」や「いき」などの「い」と同じく、「息(生命)」あるいは「斎(神聖)」を意味し、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)からも分かるように、「のり(宣り)すなわち宣言を表します。ですから、「いのり」は「息・斎)」+「のり(宣り)」で、「生命の盲言」が本来の意味です。祈りとは「生命の宣言」であり、神聖な生命カにあふれる言葉によって、生命をこの根源から生きることなのです。

 ―祈りと願望(願い)の違いは何ですか。
 「祈り」は「願い」と混同されがちですが、全く次元が違います。「願い」とは自我や欲望が中核をなす願望成就のためのものです。願望を実現して下さいと神様に言うだけでは一方通行なので、神様の心を慰める代わりにお願いも聞いて下さい、それが「願い」なんだと岩波古語辞典からは読み取れます。一種の物々交換、取り引きなんです。一方で、「祈り」は願望を超えたもので、たいてい「願い」とは反対に自我欲望が解消されたところで現われます。自分では何も求めず、祈る対象に身を預ける行為を「無の祈り」と呼ぶことができますが、「無の祈り」により自我を超えたところから神聖な生命力があふれてきて、結果的に望みが叶う(自己実現)ということです。
 自己解消の「無の祈り」と自己実現の「有の祈り」は表裏一体をなしています。ヨーガや仏教や道教をはじめ、行法を重視する東洋の宗教伝統の瞑想や禅定や鎮魂などは、自我欲望が捨てられ無になることに応じて真我が開顕していくという意味で、「無の祈り」の要素が強いと言えます。




ちょっとこれ難しいんですけれども、大事なところですね。だから、護摩を焚くときにも僕らお坊さんは要するに「これを叶えてください」と言う風に拝んではダメなんだというんですね。あの、過去完了形で拝まないといけないということを言うんですけど、それがここに書かれていることなんですね。つまり目先の欲望だけ叶えてくださいって言うんでなく、だから過去完了形で願い事がかないました、ありがとうございましたって言う風に心から言えるようになったときは、向こうから幸せが勝手にやってくるという風な人生になっていくというような意味ですね。だから、いつとはしれず実現していくと言う風な人生のサイクルに入ってくるようになるんですね、そうすると。で、それがないうちは要するにお賽銭あげて「どうぞ、願いを叶えて下さい」と言う風なレベルでとどまってしまう。で、そのレベルではまだやはり自分と言うものに気が付いていないというような意味ですね。




 ―世界的な遺伝子学者として知られる村上和雄先生(筑波大学名誉教授)と一緒に「心と遺伝子研究会」で、祈りと遺伝子についての共同研究も進めておられるとか。
 村上先生からお誘いをいただき研究会に参加するようになりました。心の働きが病気や健康に及ぼす効果についてはいろいろな研究がありますが、純粋に祈りの働きだけを検証するのは簡単ではありません。先行研究として、心臓病の患者を被験者に選んで、キリスト教系の団体が協力して祈る人を募集し、医師も患者も分からない二重盲検法で祈るという実験がなされ、合併症の発症率が低かったり、いくつかの項目で有意な結果が出たことが一九八八年に米国で報告されています。



まあ、だからそんなことで祈りそのものが効力を持つものかどうかということをね、医学的なエビデンス、実験も行われたりしてるということですね。

 ―祈りと遺伝子の研究において、先生はどのような役割を担うのですか。
 実験の手法については素人ですから専門家に任せて、出てきた結果を分析します。学術誌に発表ずるときは踏み込んだところまではできないでしょうが、別の場面でその結果に基づいていろいろな提案をしたいと思っています。それをスピリチュアルケアなど医療現場とも、何らかの形で反映させていくつもりです。
 現在日本で八十くらいの医学部や医科大学がありますが、スピリチュアリティを医学教育の中で教えているのは私ぐらいで、二年生に一般教養と専門の橋渡しの授業科目「医療倫理学」として教えており、種まきをしている状態ですけど、彼らが五年後や十年後に死の現場に立ち会ったとき、ふっと「あのときに言われた、いのちやスピリチュアリティというのはこれかなあ」と思ってくれればいいのです。 

 ―スピリチュアルケアの中に、祈りが直接的な形で導入されていく可能性はありますか。
 スピリチュアルケアは欧米で起こったので、キリスト教系のチャプレンによる活動が背景にあります。日本ではそれだけだと不十分で、いろいろな信仰を持った人がいますし、無言仰の人も、唯物論者だっています。死の痛みを感じるどんな人もケアできる体制が、本来のスピリチュアルケアで、キリスト教の祈りや仏教の祈りだけでは限界があります。そうした特定の祈りや宗教の枠を超えて、普遍的なところから祈りの形を示したいと思っています。

 ―普遍的な祈りとは、どのような方向から考えていくべきでしょうか。
 鳥が大空を飛び、魚が水中を泳ぐのが自然本性であるように、人間は自然本性によって祈るのです。祈らない人間は、まるで歌を忘れたカナリアのように、自然本性を忘却した人間と言えます。
 「祈る」とは「生きる」ことであり、「いきいきと生きる」ことです。「生きる」ことは何よりも「息をする」ことですから、自然に呼吸するように、私たち人間は自然に祈ることになってます。祈りを「生命の宣言」と捉えるとき、祈りは特殊な人たちの特殊な行為などでなく、むしろ逆に人間の自然本性に基づく普遍的な行為であるという見方が出てきます。

 ―「生命の宣言」としての祈りは、いのちの現場である医療にも新たな視点を与えそうですね。
 死は誰もが例外なく自然に迎えるものですから、たとえばターミナルケア(終末期医療)の現場でも祈りは重要になるはずです。死によってすべてが終わるのではなく、本当は永遠のいのちというものを自分たちは持っている。それに気づいてもらうのが、真のケアだと思っています。呼吸や心拍はある種のリズムで、一日のリズムや一カ月のリズムや一年のリズムもあり、サイクルの大小の違いだけですべてのリズムが生命の根源とつながっています。私たちの一生もまたリズムとするなら、誕生前と死後も併せた大きないのちのサイクルかあるはずで、私は輪廻転生をまともに視野に入れるべきだと思っています。グリーフケアでは残された生者・遺族のことばかり論じられますが、生者と死者の両方のスピリチュアルケアが大事です。近代以降の心身二元論を見直し、霊の次元を中心に据えた霊心身三元論の復権によって、本来の人間観の奥行きを取り戻せるのではないでしょうか。

 ―祈りと医療・科学の橋渡しについての今後の方向性を教えて下さい。
 基本的にはすごく簡単なことで、私たちがどうやって気づくかだけです。難しく考えて新しいものを見つけるのではなく、本来持っているものに気づく。プラトンが言ったアナムネーシス、つまり「想起」が大切です。心の奥にあるものを想い出しさえすればいい。ちょっと天を見上げれば、すぐに天とのつながりに気づく。それが祈りの世界です。霊の次元にしても、それは外から客観的に分析把握されるものでなく、内から直観されるものです。祈りや直観や霊を、人間存在の核心をなすものであるというところから見直していく必要があると思います。





と、まあこういう。だから、この祈りって言うのは、時々ここで言いますが観想が大事だということをね。観想。観音様の観に想うという字ですね、観想するということ。この、観想をきちんと持てるかどうかが祈りができるかどうかということになるんですね。単に、マントラ唱えて
千回唱えたら、それが祈ったことにはならないので、その中にちゃんと正しい想念というか、観想ですね、持っていないと本当はダメなんですね。その観想が実践、プラクティスと結びついていった行為として僕はいつも楽健法を考えているわけですね。だから、楽健法というのは単に何かこう腰痛を治すためのテクニックではなくてですね、これがやはり深い楽健法行う人の祈り、それから観想ですね。悪意を持って人を踏んでも余り効かないかもしれないので、それはいい想念でもって人に接していくって言うことがとっても大事で、だから、人は違った考えを持ってる人がパッと前に来たら気配と言うか、気をパッと読みとって感じるもんですよね。そういう祈りをいつも持ってる人、まあ、分りやすく言うと、よい、善なる意志を持って生きることをやってる人はそういうものが体に表れて、それがオーラのようなものになって人に感じられるんですね。だから、ずっとこうそういう精神的な営み、祈りみたいなことをずっとやってきた人は、病気をしていても何か雰囲気が全く違うもんですね。そういうものを全く持たないで、何か要するに、グローバリゼーションみたいな自分の本能やら欲望だけでずっと人生を送ってきた人と、それと一方に精神生活、祈りとか何か持ちながら生きて来た人っていうのははっきり違います。

この間も仙台に行ったときにね、井上さんなんかのグループは早起きやってる、早起き倫理の会とか言うのをやってられて、その中の1人は体が震える病気かな?
(受講生)パーキンソン。
(宥厳先生)パーキンソンで、体の震えが止まらなくて、まあ座敷に座って話を聞いてられても、手がぱ~~~と、こう震えてるんですね。それで、膝の下の手を突っ込んで震えとめたりしながら、ま、その人楽健法やってあげたら、寝てる間も楽健法やられてる間も震えて、口も休みなく動いてるんです。何かこう雰囲気はずっと倫理を勉強して、そういう中で何か培ってきた精神性みたいなものが、すごく感じられるんですね。非常に感じのいい人で、それで、ま、楽健法をやってあげて、ちょうど腕の辺り、胸から腕に掛って踏んだ時には、震えが全く止まってしまって、口はまだちょっとけいれんしてましたけど、止まっているんですけれども、終わるとまた震えはじめました。

過去にも福山で一人パーキンソンの女の方が来られてて、工藤先生が週に2回ぐらいかな…毎日のようにはなかなか来ないんですけど、楽健法をしてあげてて、その方はもうほとんど震えが止まってしまっていました。パーキンソンの会みたいなの病人会みたいなのあるみたいなんですけど、その中へ行っても誰もその人がパーキンソンと思わないくらいよくなった人もいます。

だから、体を緩めて行くことで、バランスが取れてくると体が変わって来るので、この間仙台で会ったその人にもできるだけ頻繁に、できたら奥さんに毎日踏んでもらうときっとよくなると話してきました。

まあ、楽健法が難病の体を変えていく可能性は大いにあるのですが、どのくらいの頻度で、楽健法やってあげられるかということとかかわってくると思いますね。そこまで自分を持って行きたいかどうかですね。自分の人生のあり方としてどのくらい自分がそれを実行して維持していこうという努力をできるかどうか。だから、まあそういう意味では、人にやってもらうにしても、だれか楽健法やってる人に毎日踏んでもらいに行ってね、交通費やお金をかけるのがいやだと思ったら、やっぱり自分は週に一回でいいとか思ったりするわけですけれども、なかなかそういうレベルでもの考えてると病気はスカッと抜けないですね。だから、困難から抜けようと思ったらとにかく集中しなさいとその人にも話してきたんです。とりあえず三月はもうぶっ続けで出来るだけ継続するということが大事ですね。そうしたら、必ず体は変わって来ます。

 そういう風におすすめしても、そういう努力をする人はそういなんです。しかし本当に自分がその病気から抜けたいと思ったら、やっぱりそこまでかけてみる必要があると思うんですね。
 その小学生三年生の女の子だって楽健法することが、面白くてしょうがないみたいです、。僕が横で踏んでたら、手の動作まで同じことをする(一同笑)、ここのこう手を当てると、背中が伸びますからね。だから、楽健法を上手になるコツって言うのは踏む姿勢が良くなることに尽きるんですね。姿勢を治して、姿勢がすっと、綺麗な姿勢で踏めるようになったらよく効く楽健法に勝手になっていくのです。今から皆さんも少し姿勢を、自分でよく出来てるかって言うこともお互いにチェックしながらね、お尻が突っ張ってこなして踏んでたら注意して、背筋伸ばすようにしてあげていただきたいと思います。
じゃ、今からやりましょう。護身法からいきましょうかね。











楽健法(4)



Dinner
●おでん(こんにゃく、大根、じゃがいも、おあげ、ちくわ)●きのことうまい菜の味噌汁●ごぼうのにもの●りんご




11/10 18:40 「みっこ倶楽部」



(宥厳先生)もうそろったのかな。今ちょっとここに持ってるのは、えーっとね。みやこシティ?
(琴美ちゃん)田老町?
(宥厳先生)田老町って言うところで、楽健法のボランティアで行ってます。田老町って言うのは、あの、日本で一番、絶対に崩れないというようなすごい、万里の長城みたいな堤防作って安心してた町ですね。それが20mくらいの高さのもの作ってあって、もうこれで絶対に大丈夫、と思ってたらその堤防がつぶれて、それで町が全滅したというね、だから、地震の大きさと何度もそれまでに体験してきたので、もうこれだったら絶対大丈夫というのを作ってあったのがダメだったんですね。世界中から見学に来るような有名な防波堤作ってあったんですけど、それがだめだったっていう。それで、そこへ東京の増野真理子さんとそれといとこの佐藤充子っていういとこの方で、声楽何かやってられる方がいらっしゃるんですけど、その人が楽健法を教えにボランティアに行って、応援に行って、最近…もう一年ほどたって、毎月一回くらい行ってられるらしいんですけども、消防関係の人とか病院の先生も踏んでくれとか言って率先して寝るとかね、いうようになってきたらしいです。それで、「楽健法でリラックス」っていうこの増野さんのいとこの佐藤充子さんと言う人はそういうマスコミとか動かすのがたぶん巧みな人だという話でした。それでテレビが取材に来たり、新聞が取材に来たりとかで、これちょっと読んでみますけど。



「楽健法でリラックス」
盛岡市などを拠点とするケアボランティア団体「みっこ倶楽部」は9日、宮古市田老のグリーンピア三陸みやこの仮設住宅集会所で健康教室とお茶会を始めた。仮設住宅の住民と一緒に、2人一組になって互いに体を踏み合う健康法「楽健法」(2人ヨガ)を実践し、お茶を飲みながらゆったりとした時間を過ごした。

「体軽くなる」と好評

 「相手の表情を見て」「力を入れ過ぎず優しく」―――。同団体事務局を務める佐藤充子さん(64)、会員の佐々木由紀子さん(64)、下川恵子さん(54)=いずれも盛岡市=が訪れ楽健法を伝授した。
 楽健法は硬くなった筋肉を踏むことで、血液やリンパ液の流れを促進。女性などの力の弱い人にも容易にできる。楽健法体験者からは「腰痛が楽になった」「寝付きが良くなった」などの声が寄せられているという。
 仮設住宅で暮らす佐々木康子さん(72)は体験後「飛ぶように軽くなります」と冗談を交えて笑い、鳥居美枝子さん(59)は「気楽にできる」と充実の表情を見せた。
 同団体は本県や東京都、仙台市のセラピストらが協力して9月に設立。自立と支え合いのサポートなどを目的に、田老地区や大船渡市を中心に長期的に活動している。
 佐藤さんはみんなが集まって気持ちを出し合う場を提供したい。(被災者を)ケアする人もケアしたい」と熱心に指導した。
 10日は午前9時半から午後1時までグリーンピアの体育館脇の仮設集会所で開催する。参加者は毛布またはバスタオルを持参する。







と言う風にこんな紹介されています。何かあのかなり現地の人が楽健法指導できるようにと言うような趣旨でずっとやってこられて、だいぶ踏める人が出てきているようですね。もうしばらく続きそうですね。

 それで、これはコンサートの案内なんですが、その佐藤充子さんがこちらの方ですけれども、声楽を音大でやられたんですね。それで、プロの歌手ではないそうですけど、ここでコンサートであれを歌うんだ。オペラを歌うんですね。こんなことを言うてました。ま、こういう動きもあると言うことですね。それで、こういう「みっこ倶楽部」って言う新聞みたいな通信を出してて。それから、これが田老町の被害の写真とか、ちっちゃな写真ですけど、色々写真が集まってますので、これ置いときますから、また時間のある時のぞいてください。

まあ、この被災地っていうのは私もこの間初めて仙台の…何地区って言うたかな。門に水やったかな。ちょうど仙台市の高速道路の外側ですね。そこへ行ってきましたけど、本当に一望千里と言うのは、ずーっと向こうまで家が一軒もなくて、それでそこの地区で、昔は漁師町みたいなところで、よく栄えた町だったらしいんですけれども、一軒も家がなくなって、大きなお寺の本堂が一見ポーンと真ん中に残ったりしてましたけどね。そこは800人亡くなったそうです。それで、何かちょっと高台の神社があってこんもりした。高さ5mくらいの山の上に神社があったらしいんですけど、それも流されてしまって、その上に立ってぐるーっとぐるり見たら本当にほとんどなくなって、ま、若干ぽつぽつと人が暮らしてるような家も見えてましたけれども、大変な状態ですね。まったく、もう草がボーっと生えてるだけで。それで、そう状態が何か向こうの青森の方まで続いてるみたいですね。海岸沿いはね。怖いですね、あんなん見たら。そこの土地なんか地域によってはいち早く、話がまとまって後あとね再建をどうするか決まってまあ土をバーンと持っていって埋め立てて高くして暮らすというようなこと進めているところもあるらしいんですけど、この間見た所は意見が合わなくて、まだ行政も方針が決まってない。そうすると、あちらこちらを不動産屋さんが土地を買って、そうすると今度何かしようかって言うときに、そういうところはおいそれとは売らないから、かえって色んなことがしにくくなるんでしょうね。まあ、先を見越してそうやって買ってる人たちも、業者もだいぶおるというような話を聞きましたけどね。まあ、なかなか救い難いもんですね、人間というのは。

ま、そんなことで。こういう動きが出てきてるということもでてきているということで。しかしながら、ごく一部ですね。この田老町の一部の人がこうやってボランティア…。しかし、消防の人もだいぶ熱心に勉強にこの頃取り組んでるって言ってましたから、この地区では楽健法が役に立っていくんだろうと思います。

じゃあ、まあこれくらいにして今から楽健法。あの、さっきの私が朗読したプリント持ってきたので、また読んでみてください。それで、分かりにくいようなところがあったら、まあ私にも十分には理解できていないかもわかりませんけれども、ま、ここに書かれている趣旨は飲み込める、理解できてるように思いますので、まあ、分かりにくい所があったら質問していただけたらと思います。

それじゃあ護身法やって始めましょう





楽健法(5)


第8回11月11日(2日目)その2

2012年12月02日 | 第12期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~

暗い~

朝のお勤め


ニューフェイス!










Breakfast
●天然酵母パン●かぼちゃスープ●フルーツサラダ(柿、キュウリ、リンゴ、玉ねぎ、プチトマト、トマト、セロリ、リンゴジャム)




「岡目八目」



(宥厳先生)じゃあ、まあ今から楽健法やりましょうかね。おはようございます。えとね、本堂の天井が抜けてましてね。
(一同)え~~~。
(琴美ちゃん)みんなやっぱり気が付かないんだね。
(宥厳先生)あの、この間、何か猫が入って、何かあの果物立ててある棚みたいなのがガチャっとひっくり返って、下に分解して落ちてたので、それだけは気が付いて組み立てたんですけど、天井まで抜けてるのには気が付かなかった。上見なかったから。そしたら、天井板が抜けてましたので、たぶん今それで源ちゃんって言って大工さんが来て、屋根の上見てもらったら瓦が割れてるわけじゃなくて落ち葉がもういっぱい積もってそれでこう水が天井のベニヤ板に浸み込んでそこへ多分猫が入って来て、それで踏み抜いたんだと思うんですね。それで、ドスンと真下に落ちて、それで慌てふためいて、パニックになって、慌ててそれで、そこら中のものをちょっと壊したりして。正面ちょっと開けてましたから、そっから逃げて行ったんだと思うんですけど。まあ、あれ最近よく正閉めてあるので閉めてあったら中でパニックになって暴れまわってると思います。もとへは戻れないわね、あの天井。そんなことで色んなことがありますね。

まあ、ときどき座敷にカエルが出てきたりね。先月ですね。座敷にカエルが歩いてきましてね。それで、いつも火鉢の中におったカエルなんですけれども、挨拶に来たみたいで、僕が鳥に食われたんだろうと思って心配しとったもんですから、姿見せに来たみたいですね。不思議なことですね。座敷にカエルがほうてくるというのは。あの何かびっくりしました。生まれて初めての経験ですね。

あのウグイスが座敷に入ってきて飛び回るって言う経験もしたんですけどね。マニスが死んだひと月くらい後ですけどね。本当に何かこう猫の霊魂が乗り移ってこう悪さ…いたずらしてるみたいな感じがしましたけどね。不思議なことが起こるもんです。まあ、あのそういう摩訶不思議なこと。摩訶不思議って「摩訶」ってわかりますか。「摩訶」っていうのは「とても大きい」て言う意味ですね。マハトマ・ガンジーって言うでしょ。あの「マハ」もそれ、「摩訶」のことですね。マハトマ・ガンジー。サンスクリットでマハって言う。マーハーとか言ういい方しますけど。「摩訶不思議」とは「とっても不思議」なことですね。そんなことが起こります。

それで、昨日も火鉢にカエルが1匹おったんですよ。色が違うんですね、ちょうどあなたの服のようなそんな色のカエルだったね。今頃になって蛙がひょこっと姿現すのもまあ気候がおかしいんでしょうね。それで、紅葉も少し天気がおかしいせいか、サーッとこう色がきれいにならないで、ユリノキなんか何か枯れてしまった感じになってしまって、葉っぱがね。本当はイエローポプラといってとっても黄色い色が鮮やかに紅葉する木らしいんですけど、寒いところではね。なかなかうまいこといかんですね。

まあ、そんなこんなで、いつの間にやら今年もあと1か月になりましたから。あっという間です。あの、ここでは特に忘年会とかそんなこともしないんですけども、まあ、お正月にはここに何人かの人が来られたりして、それで、正月30日くらいに餅ついて、まあもし時間のある方はよかったら正月遊びに来てもらったら結構だと思いますけれども。

このところずっと、来週はまあ私東京…福山・東京と回りますし、それで、月の最初はまあこれが第二土日にあって、翌週、福山・東京行って、その次、大抵帰ってきたら、第四日曜日の講習会で。今回も七人ほど前泊の人が。さっき電話あったの前泊の申し込みですね。石川県と富山から来られます。それと松江って言うところからも来られます。西山さんの大好きな方が来られるんです。え?西山さんの大好きな人が四人来られるということ。その内の一人が大好きなんやね。

まあ、あの。いつも頭が痛いのは、その、この間、奈良のイオンハウスの岸本節子さんが来られて、それで、あ、そうそう、岸本さんにちょっと楽健法の先導を号令かけてくれって言うたら、

Trrrrr...

(宥厳先生)あれ…?こっちの電話ほうきの下。…もう切れたやろ?…また後で、じゃ。

(宥厳先生)この間は岸本さんが来られた時に、彼女にまあ、あのいつも教室やってられるので初めての人も多かったので、少し号令掛けてもらったら、独特のヨガ式の号令かけられるもんだから(笑)、皆さんが少し戸惑ったみたいで。で、まあ割と私のここのやり方はいつもざっくばらんでいい加減なものですから、あんまり号令かけてうまいことやっていこうと思ったら…。ヨーガの先生方って独特のものの言いかたされてね。「はい、そこで息を吸って~、はい、こうして~」って言うやるもんだから、その伝で楽健法をやるとね、結構皆さんが戸惑ったりしたみたいですね。まあ、あの私も色んなやり方をするんですけれども、あまり初心者向きには、きちっとしたフォーマットがあって教えてないところがありますね、いつもね。それで、その時の思いつきで、思い付きって言うか直感でいつもやってることがあって、それは一人ひとりに同じことを、形を教えて行ってできるかと言ったらそういうもんではなくて、やはり一人一人が自分で体解していくもんですね。体解って言うのは体で理解するという意味ですけど、まあ体で覚える。で、そのためにはある程度体が慣れてきて、自由自在に色んな姿勢で人が踏めるようになってくるまでやっぱり時間かかるんですね。割とちゃんとこう立ってられると思ってても本当は立ってなかったり、歩いていると思ってても本当は歩けてなかったりしてる人が多いわけですね。だから、ちゃんと歩けるようになって来るのは、ちょうど今頃ですね。四月に入って、この時期くらいからちょっとこちらが言ったことが理解できるようになってくるって言うような経験を今までしています。だから、初めの内からあんまりやかましく言ったってできないので、まあそれはそのうち慣れてくるので、まあ、回数踏んでいってと言う風なつもりでいつも見てますので。

それと、まあ私が注意いしたことと、お幸さんが言ってることがちょっとずれたりすることもあって。それは、お幸さんの指導法と私の指導法と、別に違いはあるわけではないんだけれども、初めての人は戸惑うこともあるかもしれないね。だけど、まあ、だいたい自分で肝ところを掴んで会得して、慣れて行くという風になっていかないとしょうがないことで。これが一番正しい踏み方なんてのは世の中にはないという風に、私は思っていますのでね。まあ、きつければ効くと言うものでないし、そういうことをいつも思いながら、私も未だに迷いながら踏んだり、それから皆さんが教えてくれるを何か感じながらやってるわけですね。決して私自身の踏み方が完成されてるわけでもないし、たぶんそういう完成って言うものはないだろうと思うんですけど。まあ、たくさん踏んでるうちに相手を見て、その場で臨機応変にやっていくという、判断ができるようになった時に、まあそれが割と自由にできるということだろうと思うんですね。とりあえず、基本は基本できちっと覚えてしまって、その上での応用編になってきますから、まあ、あのここで勉強しているのは、ほんの応用編で、皆さんが自分で家族やら友人やらいろんなところで、やって行くうちにだんだん自由自在になってきて、そうするとまあ、初心者の人にも指導がしやすくなってくると思いますので、それは目がよく見えるようになるということでしょうね。この間ここで碁の大会があったんですけどね。息子が碁を打ってるもんですから、息子の関係でここで何か「雅の会」とか言う碁会所が14人ほど来られて、やったんですけど。昼飯を食ってそれから、私の最初に…一番最初に私の話を聞いたんやったかな?あ、最初にご飯食べたんかな?ね。ご飯を食べて、それから本堂に上がって、それで本堂で40分くらい話をして、それからまあ、碁の会をやったわけですね。私は碁の会には参加しないんですけれども、それで、碁を勉強、ここで碁会をするのと合わせて、和尚の説法を聞きたいとおっしゃるので、それで、まあ私も昔、少しは碁の勉強もしましたので、それで、その碁にひっかけていろいろ話をしようと思って、それで、岡目八目というところから話を始めたんですね。岡目八目って言う言葉ご存知ですか?あんた知ってる?しらない?岡目八目の意味しってる人ちょっと手を挙げてみて。あ、ほとんど知らないね。そうか。岡目八目も聞いたこともないんですもんねぇ。やっぱりもう昔の言葉なのかねぇ。

(宥厳先生)須田さんは岡目八目はよく?
(須田さん)言葉以前に将棋とか囲碁をやってきたから。
(宥厳先生)ああ、やってたから(笑)。
(受講生)ふ~ん。

(宥厳先生)岡目って言うのはね、あのここでもときどき私話してることで、メタ認識なんていう難しい言葉を心理学では「メタ」。「メタ」って言うのはちょっとこうウルトラな意味ですね。認識がメタになる。メタファーなメタでもあるし、ちょっと「超」と言うような意味もあると思うんですけど。岡目八目と言うのはね、自分のことは自分でようわかってないんだけれども、他人のことはよく見えますよね、誰でも。他人の欠点は良く見える。それで、いつも他人の目で見ることを岡目八目って言うんですって。八目っていうのは碁は白と黒の石を置くんですけれども、例えば、対等の人が最初に石を8つ置いといて碁を打つとね、とても対等の人は白を握って勝てるわけはないです。8つもハンデおかれたらね。それで、碁では9つ置くのを星目と言うんですけど。星目を先において、それで上手の人が白い石を持ってこう碁を仕掛けていくわけですね。それを、9つ半で置いてあるので、何とかこう強い人と全く初心者が、何とか碁になるというような形でやるんですけれども、そういう8つの石を先に置いたぐらい人のやってることがよく見えるという意味なんですね。つまり、ハンディもらったようなものですね。岡目八目と言うのは、人のことは非常によく見える。だから、対局してる同士の横から覗いててね、「あ、その手間違うてる」って言うことをね、横の人は良くわかるわけです。本人にはそれが見えないんです。夢中になって、無我夢中になると、そういう自分を客観的に見るゆとりがなくなってくるんですね。で、それを、プロと言うには自分が打ってるのもいつも岡目八目で見てるんじゃないといけない。つまり、自分のことを客観化して離れたところからこうものをじっくり自分を見てる。そういう目を持った時に初めてこう自分のやってることを客観的に見ながら、碁が打てるわけですね。

それで、まあプロと言うのはお互いにそういう自分を相対化して、見る、そういう見方を訓練していくわけですね。だから、無我夢中になってはやらない、絶対にね。いつも冷めてる。どっかねで。そういうことをちょっと碁の人たちに話させてもらったんですけれども、まあいろんなたとえ話を出して話したら、そしたら一人、年配のおじちゃんが、七十くらいの人だと思うんですけど、「いつも嫁はんにいろいろ言われてるんだけれど、そういえばうちの嫁はんも岡目八目ですね」とか言ってましたね。で、それがいいことなんだということに気が付きましたって。今までうるさい、うるさいと思ってたのに。十二、歳が下ですって言ってましたけどね。何かそれを言いたかったんだろうと思います(一同笑)。まあ、そんなことで、何か客観的に自分自身も他人も、いつも見てるって言うそういうまあ、もう一人の自分みたいなもんですね。そういうものがいつもあって、だから、どんなことをやっててもやっぱり自分自身を客観的に見るというそういう目がなければね、人間というのは自分をコントロールできないわけです。だから、一番大事なのは自分をコントロールするって言うことが大事なんで、みんな自分をコントロールできないから喧嘩をしたり、まあ戦争になったりもするわけですよね、ひいては。だから、コントロールできるということは自分のやってることを客観的に見る眼(まなこ)を持ってるということです。それが岡目八目だという風に思ってもらったらいいですね。

何か、そんなこととか、ま、碁では例えば、石をこう、一つの石を囲まれて、それで、それを逃げ出していく方法が一つ打ったら相手も来る、一つ打ったら相手も一つ打つって言うので、逃げられない場所に、石が囲まれて、それを逃げていくと必ず長くなって全部取られてしまうということがはっきり分かってるわけで、そういうことを四丁なんて言うんですね。だから、「四丁知らずの碁打ちかな」なんて言って、まず四丁を知らないと碁なんて打てないわけですよ。そこにあった石は絶対に逃げてはいけない。もう逃げたら傷を大きくするだけなのに、弱い人はそれ逃げていくわけですね。それで、例えばガンになったりするとそれはもう四丁あたりになってる…四丁になってるようなもので、逃げてもやっぱりこう、抗がん剤打たれて、最終的にはポチって死んでしまうってことがはっきりしてるのに、やっぱりこう逃げてみるというのが今の現代医学なんかもね。碁に例えて言うとそういう話も僕はできるように思うんです。だから、まあいろんな話をたのまれたときに、その世界の人たちに分かるような言葉でそれを例にとって喋ってみるというようなことを、まあこの間やってみて、碁の言葉を四つくらい使って人生について話をさせてもらったんですね。ま、そんなことを経験しました。

ま、あの、皆さんは楽健法をやって、それで自然な生き方。自然な食べ物、そういうことの大切さも知って要られるはずなんだけれども、ついこう病気になると検査をしてもらって、それで、つい医者の言うことの方に耳を傾けて、それでずるずるっとこう、四丁知らずの碁打ちみたいにして、ついに死んでしまうことになる人が非常に、まあ多いわけですね。そういうところ、ことに気が付いた人が自分を岡目八目に見ることが出来て、それで、まあ医者とはやっぱりこう縁を切った方がよいのかなっと言う風に思ってまあ、こちらの食事療法とかね。健康法にたどり着く人もいると思うんですけれども、まあ一般的にはどうしても西洋医学に依存するという形で人生を送りがちなんですね。ま、楽健法に来てる人でもそういう人が多かったです。今までもね。このままいくと必ず何か月かしたら殺されるからやめたほうがいいよって直接に注意しに行ってあげた人も何人もおるんですけれども結局その通りになっちゃうんですね。それで、それが義理のからみで、義理がらみで、つまり誰かが紹介してくれたから、そっちの医者をやめるわけにはいかないとかね、それから、まあ自分の息子が一生懸命いろんな人脈をたどって医者を探してきてそのために、それが京大の有名な先生だったりして、ここへもいつも来られていた、あの出雲から来られた堀さんって言う人ね。あの人が堀弘子さんが秘書をしていた会長さんがいるんですけど、その会長さんがいつもね、ここへもよく連れて、京大の帰りにここへ寄られんですね。で、楽健法やってくれって。

で、元気そうなんだけれども、ガンでもう毎日堀さんが楽健法するし、玄米菜食もやってるのに、なおかつ京大にも行って抗がん剤ももらって、それで、それはもうやめたほうがいいですよっていうんだけれども、どうしてもようやめなくて結局はある日元気そうな、見かけは元気そうなんだけど、突然電池が切れたみたいにね、アルカリ電池みたいにポトンと切れてしまうんですね。だから、非常に怖いものがあります。だから、私たちのスタミナは一体何がこうもたしてくれてるのか、というとやっぱり自然な生活をしていかないと体の中にどんどんポイズンを入れて行ったら、毒を入れていったらですね、その毒が自然治癒力みたいなものをみんな断ち切ってしまって、それで、何か元気そうに動いてるように見えて、なぜこんな状態なのに死ななあかんのかというような、昨日まで歩いてたのに突然プツッと切れて死んでしまった人もいますね。とても怖いものがあります。

だから、私たちはいつも、ま中年すぎてからだけではなくて、ポイズンフリーな人生を目指して、生きていかないといけない。ポイズンフリーと言うのは薬を飲まないということですね。毒から解放される。あの薬ほど毒なものはないという認識も持たないといけない。だけど、何か薬が病気を治すんだと思って医者は与えてるとしたら、よほど愚かな医者で、本当は薬と言うのはダメージを与える方が強くて、とてもその病気を治すような根本から病気を治すような薬ってのはほとんどありえないんですね。で、まあそれがアーユルヴェーダとか漢方の薬だと病気を根本から治すって言うきちっと薬が体に合えばね、本当に非常によく効きます。それで、例えば私はアーユルヴェーダの薬ではリブ52って言うのとゼルフォルテって言うの、いつもインドから取り寄せて持ってるんですけれども、そのリブ52なんかは、リブっていうのはあの、この肝臓のLYVから取ってる名前なんですけどね。いわゆるレバーですね。リブ52.これなんかは肝臓の特効薬として力を持ってますね。それ今まで何人も試してきて、いつも置いてあるんですけれども、だけど、西洋医学には肝臓に効くような薬は全くないわけですね。

だけど、まあそういう生薬を元に作られたものではそういうものもあるわけですけれども、まあ、だいたいはそのリブも、私はこの頃ほとんど薬を飲まなくなってきましたですね。まあ、あの風邪ひいたときくらいはちょっと葛根湯くらいはいつも用意しておいてありますけども、まあ、リブと葛根湯くらい。で、リブなんかを、たまにちょっと便秘気味になった時に飲んだりしますけども、何か非常に便が軽く出て、それでみんな水にぽかんと浮くようなうんこが出てきますね、あれ飲んだりすると。ま、そんなことで時々は使ったりしますけれども、まあほとんどこの頃は食事だけで、体をコントロールするように努力…努力って言うか、そういう風にやってますね。

それで、ここの東光寺で暮らし始めたのが1990年なのでもう23年目に入るのかな。だけど、あの私はここへ来るまではよく、元気ではあったんだけれども、何かこうとかく体調が乱れがちだったんですけれども、ここで暮らし始めて樹木に囲まれて暮らしてるといつとはなしにそういうトラブルが減ってきていることに気が付いていますね、今ね。だから、あの緑と暮らすというのはとても大事なことだろうと思いますし、ここの石段を駆け上がらなあかんと言うのも、僕の健康には非常に役に立ってると思いますね。それとまあ普段、ウォーキング。モーニング・ウォーキングとかいってやりませんけれども、それは楽健法が補ってくれるというようなことで、ま元気でやっていけるのは有難いことで。まあ、どこ行っても今私の年齢聞かれて、昭和11年1月生まれですなんて言ったらたいていびっくりされる。で、まあお世辞だろうと思いますけれど、50代に見えるなんて言う人もおったりして、そりゃあないあろうと思いながらまあそれでもまんざらでもないような気分でつい聞いたりしますけど。

まあ、そんなことで、やっぱりこうやって40年近く天然酵母パンを食べ続けたことと、それから楽健法やり続けてきたことっていうのは非常に大きい、健康には大きい意味を持っているだろうと思いますね。今少し、頑張れるだろうと思ってやっとりますので、よろしくお願いします。

じゃ、今から楽健法やりましょう。何か変な話ばかりしましたけど…。護身法やって。








楽健法(6)



Lunch「味噌つくし」
取り急ぎ、お昼ご飯はすいとんです。

●すいとん(しいたけ、こいも、なすび、人参、じゃがいも、ごぼう、こんにゃく、ねぎ、みそ)●味噌ジャムにぎり


11/11 15:14 終わりの会



(宥厳先生)じゃあ、まあご苦労様でございました。
(一同)ありがとうございました。
(宥厳先生)また来月よろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いいたします。
(宥厳先生)何かご希望とか要望とかありませんか。今のところ。ない?来月はみんな休まずに来れそうですかね?
(受講生)今んとこ大丈夫そう。
(宥厳先生)じゃあ、まあ風邪ひかないように、寒くなりますので。
(幸子先生)すみません。来月になったらいい声になってると思いますので(一同笑)
(宥厳先生)どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。