楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第10回1月8日(1日目)その1

2011年01月29日 | 第10期楽健法セラピスト講座
始まる前のひと時



講義の前のお話
・伊勢神宮の遷宮の話。
・昨日作った短歌のプリント。
・誰か台所でお喋りしてる。パンこねてんのかな?種発酵しとったやろ?
・この眼鏡傷つけてしまってさっぱりわえや。この服に入れて庭掃除してたのよ、ポケットに入れて。そしたら、擦れて、これほら傷ついて。これを研磨する方法がないね。
(幸子先生)ない。
(琴美ちゃん)今のは無理ですね。プラスチックのやつはね。
(宥厳先生)研磨したらますます。
(琴美ちゃん)換えた方がかなり安い。余計なことするより。



(宥厳先生)それではどうも。カチっ。どうも、あけましておめでとうございます。
(一同)あけましておめでとうございます。
(宥厳先生)今年もお手柔らかに(笑)。何か正月、あっという間に終わりましたけれども、みなさん、お元気でしたか?あの~、インドへ行って来られた人もいるみたいで。

(宥厳先生)Trrrrrr…あ、ぼくの電話や。ちょっと待ってね。運送屋や。
(幸子先生)あ、パンやパンや。下へ置いといて。


(宥厳先生)もしもし?あ、切れた。
(幸子先生)下へ置いて下さいって言うて。
(宥厳先生)切れた。

(宥厳先生)今年の正月は僕が年末からちょっと風邪をひいて、一週間くらい寝込んだと言うほどでもないんですけど、半分以上寝てましたね。27日くらいから風邪ひいて、調子がおかしくなって、それで、まあ、あっ!ちょっと荷物もらってきて。

(田中さん)はい!

※ゆっこ先生が合宿用に楽健寺から送ったパンが配達されて来た様子。

(宥厳先生)パン送って来たん?二つも送ったん?
(幸子先生)残ったやつ全部。
(宥厳先生)どうも、すいません、お手数かけました。今電話掛けて来たの、あの人やね。うん。どうも、ありがとうございました。

え~っと、あの~年賀状もたくさん頂いて、その中に力武さんがインドへ行ってマザーテレサの家で活動してきた写真が入ってましたので、ちょっと報告してください。





(力武さん)12月の19日から27日まで行って来ました。向こうでマザーテレサのボランティアができたのは5日間で、行って来まして、あの、まあ、登録とか済ました後、面接があってどこに行くかっていう希望とか、シスター方がここに行ってくださいって言うのを決めるっていうのがあって、私の方はもう全然どこって言うのは決めずに行ったんですけども、私がホームステイしてるとこからの近くは、「死を待つ人々の家」って言うのが一番近くて、そこに行くつもりだったんですけど、今工事中ということで、孤児院の方にボランティアすることに決まって、してきたんです。歩いて5分くらいの所に、マザーハウスと言うところがあって、シスターらが生活しててマザーテレサのお墓とかそういう風なところがあるところなんですけど、まあ毎日8:30~12:30までがボランティアの活動です。で、孤児院なので、生まれてすぐ捨てられた子供たちと、あと父親に性的虐待を受けた子供たちが生活している。あと、生まれ持っての身体障害者が100人ほど生活しています。

私は本当にちいさい、1歳、2歳、3歳とかの子供たちのお世話をするということだったんですけど、まあ日本で言うところの保母さんみたいなお仕事でしたけど、日本の環境とは違って、何て言うかおトイレとかとも、普通にこう子供たちがおトイレするのを見てたんですけど、木の板があって、それに丸くお尻を置くように切り抜いてあるんですね。20個ほど。そこにお尻を置いておしっことかうんことかするんですけど、向こうは拭かない習慣なので、おしっことかうんことかしてもすぐパンツをはいたりとかするので、えっ!?とかって思いながら、排泄のお世話をしたりとか、子供二人くらいにご飯を食べさす介助とか、服を着せ替える介助とか、子供たちのベッドのリネン交換とかいうのが毎日毎日毎日あって。

で、12月24日はまあ向こうでいうクリスマスなので、結構盛大にクリスマスがあって、その日は500人か600人くらいの貧乏な人たちにシスターらが作ったものを配るって言う恒例のイベントがあって、その日は貧乏な人が500人も600人もダーッとこう並んで、シスターらから受け取ったりしてるというような状況で、確かに貧富の差がすごく激しいんやなっていうのも感じましたし、インドは中絶を認めている国の一つなんですね。インドはあんだけの人口で中絶を認めているので、一年間にかなりの命が葬り去られるっていうことで、シスターとからはそういう中絶をしなくてもいいようにって言う形で、子供を産ませた後自分たちが引き取って育てているって言うことなんですが、だからインド人と外国人との間にできた子供が多いのでびっくりしました。アメリカ人の顔だったり、中国人の顔だったり、日本人の顔だったり、ネパール人やったり、もう各国の子供がいるんですね。っていうのはやっぱりインドがそれだけ海外から外国人が入ってそこでまあ自由な恋愛をして、で身ごもって捨てる、というか、生んでももう育てへんっていうような状態があるということで、たくさんの外国人の顔の子供がいっぱいいてましたね。

まだ歩けへんような状態とかで、お世話としてるともうすごくこう涙が出るというか、こんなに小さいのにすごい頑張ってるなとか思うと、すごい何か泣いてしまって、泣くとボランティアをするうえで、あんまり良くなかったりするので、ぐーっと我慢しようと思うと余計こう涙が出てきたりとかするので、ああちょっとやばいな、やばいあ、やばいなとかって思ってると、次の日シスターとからが、「今日はあなたWash!wash!」とかって言って洗濯に行けって言われて、でも、まあその方が今日はいいかもしれへんとかって言う感じで、シスターとの会話は毎日英語で、子供たちもやっぱりインドの子は小さい時から英語で教育されている。

孤児院の中でも1歳2歳くらいから英語の本を持たせてシスターらが英語を教えていく。だから、私らも、私も全然英語とかできないんですけど、子供とかには、立ってわーわーわーわーとか言ってたら、Sit down. Sit down.こう、座んなさい、座んなさい、みたいな感じでやってたんですけど、でも、子供はボランティアとか見ると抱きしめてほしいから、一人の子を抱きしめたら5人くらいがギャーッと来て、しがみついたりとかするんですけど、余り抱きしめたりとかはせんといてほしいっていう初めのルールであって、この子らは捨てられた子かもしれないけど、自立をさせて行って里親であるお父さん、お母さんとこにもらわれていく子やから、しっかりしつけて、甘やかしてはいけないからボランティアやからっていて、抱いて欲しいって言ってもそれを我慢することも、私ら自身も自立させるためにやらなくてはいけない役割なんやって言うことの説明とかがあったので、抱きしめてほしい言うてくるんですけどちょっとこう、ちょっとまああの抱きしめるんやけども、すぐに離すみたいな感じのことを意識してするようにとかはしてましたね。

でも子供の中にもこう育ってくる中で、私らとかを見るとものをねだったりとか、物を盗ろうというような気持ちがあるみたいで、ポケットの中とかに手を入れてきて私のものを盗ろうとしたり、そういう風に子供に襲われるんです。

孤児に襲われることも結構毎日とかあって、そういう時はやっぱり大人として、そういうことをしたらあかんということを教えていかなあかんので、ちょっとこう結構感情出して、そんなことしてはだめ、と表現したりとか、そういうことをしてました。

向こうは全然電化製品がないので、いまだに孤児の洗濯とかは足で踏んで、足でこうして踏んで前後ろとかこうリズミカルにこうやってはるんですね。それで、こういうものすごい大きい鉄の鍋で、薪とかを炊いて洗剤を入れて、ぶわーって沸騰させた中に入れて煮沸消毒をして、今度は水洗いとか、丁寧に洗って、こんな大きな桶に、頭にこんな大きな桶をもって洗濯場までいかはるんです。私が見たことのないような洗濯場の風景があって、「今日はwash!wash!」とか言われて洗濯場に入るとそういう光景とかがあって、すごくこう遅れてるし、みんなサリー着ながら、サリーをめくりあげて、この辺でこうグーッとサリーを結んで、足とかバーッと出してやってはるような状態で、でも何かどの人も一生懸命に自分の持ち場の仕事とかっていうのを一生懸命嫌な顔せんと、こなしてはるという感じでした。

日本でもボランティアすることはいくらだってできるんですけど、敢えて言葉も通じひんところで、外国人の中に入ってやってみるって言うことが日本ではまず体験できないなあと思ったんで、今回はインドでボランティアの体験をして帰ってきました。

でも、インドのホームステイとかで見聞きしてると、インド人が賢いのは教育システムにあるなっていうのはすごく感じました。もう小さい時からとにかくヒンディー語と英語とベンガルのこの3つは徹底的に教えられるし、寝るまで家庭教師が入ったりとか、母親が勉強を見たりとかして、かなり母親と子供とかが受験戦争ではないけど、いい学校に入って、いい教育を受けていい仕事に就けるためにもう本当に小さい時から、子供も親もすごい頑張ってお金もいっぱいかけてるし、だからインド人はみんな一人っ子で友達とかいないんですね。もう学校終わったらすぐに家庭教師とかが来たりとか、また塾に行ったりとかするので、寝るまで、朝起きてたら寝るまで勉強の缶詰め状態で、だから、自殺も多いって言ってます。

子供たちが。やっぱりそのシステムに乗ってけなくて、落ちこぼれたりとかすると自分で命を絶ったりとかする子供が結構ね、貧しい人いっぱいいはんのにぃ、いい教育を受けてはるお金持ちの子供が自殺をしていくという状況があるっていうこととかも聞いたりとかしてて、まだ日本の子供の方がゆっくりしてていいのかなあと思ったりとかしました。

(宥厳先生)そのホームステイは向こうが紹介してくれるんですか。
(力武さん)あの、そうですね、今回はまあ、旅の王国っていうところを使ってマザー・テレサのボランティアのプログラム組んでもらったんですけど、会社の方でホームステイ先とか全部手配してくれて、私の行ったところはもう日本語ペラペラなので、家にいる間は日本語で会話して、ただベンガル語のレッスンもしないとあれなので、個別に旅行費とは別にベンガル語を一日一時間入れてホームステイ先のお母さんと毎日ベンガル語のレッスンをして…。

(宥厳先生)ボランティアするためにホームステイするわけじゃない?ホームステイの先にはホームステイのお金を払うんですか?
(力武さん)えとね、私は一切払わないので、旅の王国からいくんでしょうね。
(宥厳先生)旅の王国にまとめてお金を払うんですか?
(力武さん)お金払います。
(宥厳先生)含まれているんですね。
(力武さん)含まれていますね。で、毎朝ボランティアに行くために、タクシーに乗るんですけど、タクシーも向こうで全部手配して、私専用にインド人が一人つくんですね。その人が迎えに、家にいたら迎えに来てくれて、私にタクシーをひらってくれて、私を乗せてくれて、で、また12時半になったらマザーテレサの施設の前で「みちよ、みちよっ!」とか言って手を振るんですよ。こっちやこっちやとかって言ってくれて。
(宥厳先生)ガイド付きなんだ。
(力武さん)そうなんですよ。家か自分のおりたいところまでタクシーに乗せてくれる、その後は。
(宥厳先生)その都度ひらうわけ?
(力武さん)そうなんですよ。向こうのタクシーのひろいかたは手とか上げへんので運転士いないんですよ。運転手、チャイ飲みに行ったりいろいろして、いーひんのに勝手に乗り込んで座っとくんです。

(一同)え~~(笑)

(力武さん)乗り込んで座っといたら遠くにいる運転手が、どうも自分の車に乗りよったと、チャイこんなん持ちながら戻ってくるんですよ。向こうはちょっと日本と違うんやなと思うのは、そんなん運転手もいーひんのに図々しく乗るなんて考えられへんなとか思ったんですけど、図々しく先に乗ってこうして待ってるんですよ。それを見たインド人が帰ってきて、どこまでいくん?っていう感じやったんですね。

で、リキシャとか乗りたかったんですけど、リキシャに乗り方教えてもらって自分の帰る家とかを言ったんですけど、ちょっとやっぱり通じひんかって、リキシャはノーって言われて、25ルピーで行ってって言ったら「NO!」って言われて、その辺の通行人の人がそんなんはタクシーで帰らなダメやとか言われてタクシーに乗ったんですよ。タクシー乗る前に25ルピーって出したら、「NO!NO!」って「そんなん25ルピーなんかで行けるか!」って言われて、「60ルピーやったら行ってやる」とか言うんですよ。だから、私にしたらその距離とお金がそのわからへんから、とにかく帰らなあかんから、「じゃ60ルピーでOK」とか言って乗ったんですね。そしたらメーター倒さないんですよね。日本でいうメーター!メーター倒さへんしね、これほんまに60ルピーなんかわからへんなと思って、乗ったら案外近くて、すぐ着いたんですよ。10分くらいで。

で、毎日タクシーに乗ってマザーテレサまでの距離とお金を自分が知ってるので、60ルピーはこれはぼったくりやな、と思ったんで、自分が下りるときに、財布の中見て絶対60ルピーは騙されたなあと思って、50ルピーしか出さへんと、50ルピー出したんですよ。そしたら10ルピー足らん言うんですよ。「No money!」とか言って、もうお金持ってないって言って、ぼったくりや!言うて日本語で、取りすぎやで~!言うて。自分取りすぎや。そんな60なんてこんな近いのにおかしいやんか!って日本語で一生懸命「No!No!No!」とかって言ってドドドドドドドドドっとか言って、私ももう払う気せえへんから、叩いてインド人を。「No money! No money!」とか言って、そしたら下してくれないんですよ。やっぱり10ルピー出すまで下ろさへんって言うのがあって下ろさへんのですよ。でも、絶対私は「No money!」って、金払わんって言ったら、向こうも「ヘン!!」って言って、もう出て行けって言う感じで下ろしてもらって、まあそういう、ちょっと一回だけちょっとお金を高めにこう言われて払わへんかったりとかして、怖い、怖い思いと言うか、そういうのは一回だけありましたけどねえ。

(宥厳先生)ホームレスはたくさんいましたか。そこらじゅうに。
(力武さん)カルカッタ…初めて着いた時は見るもの見るもの刺激的でね、もう日本と違うから見てもね、と思ったけどね、毎日生活するとね、貧乏いっぱい見るでしょう…
(宥厳先生)貧乏だけど、僕が聞いてるのは道路や歩道の上に、
(力武さん)いはるんです、いはるんです!いるんやけどね、それも景色の中の一つになってきてね、別にそのいはるっていうのがこう初めはびっくりしたんですけど、後はもうだんだんぜんぜんこう、いはるもんやなってもんで、ま、もともとカーストがあるぅ言うのも聞いてたし、なくなったそうやけど未だにそういう…

(宥厳先生)そこそこ減ったかなあと思ってたんですけど、減ってないんやね。
(力武さん)いはります、もう犬とかでも、もう犬も人間も生きることに一生懸命やから、犬とかでも何やろ、あの手とか動かへんで、震えながらこうしてもう死ぬのを待ってるような状態で、
(宥厳先生)食べるものがないからだね。

(力武さん)人間も寝た状態でいるから、もうほんまにこう犬も人間も生きるのがやっとという一生懸命頑張ってはるって言う感じがあったし、犬とか食べるものないから他の犬のフン食べてるもんね。う~ん。






(幸子先生)フ~ン。(一同大爆笑)

(力武さん)フン食べてるし、あ~もう食べるもんないんやなーって思ってみたりとか。
(宥厳先生)どうもありがとうございました。

(宥厳先生)割と冬はね、カルカッタあたりでも凍死するくらい寒かったりするんですね。だけど、まああの本当に裸に近いような状態でまさに歩道の上にそのままそこで暮らしてるって人がたくさん。私が初めて行ったのは76年くらいだったと思うんですけど、その頃ものすごい、ひどい状態で、それで歩道の上ずーっと行けども行けどもホームレスがおるんですね、元気のない状態で。日本のホームレスが増えてきたといってもあんなところまではなかなかならならないですね。

まあ、しかし、そういうホームレスの人たちが路上で今にも死にそうになって間もなく死ぬなっていうところをマザーテレサの「死を待つ家」ですか?そういうところへ連れて行ってそこで二日か三日か何日か知らないけど、息を引き取るまでケアしてあげるっていうようなことで、まあ僕はザーテレサの行為そのものはとても貴いことだという気もしながら、同時に死ぬ間際のあと二日か三日のところ大事にしてもらってね、それで人生が何か満足するものだろうかというような納得できない気持ちもあって、、

もっとボランティアって言うのは、そこへ行くまでに何か仕事を見つけてあげるとか作ってあげるとかって言う風なところにもっと力を入れて働くことができないのかなって言うような、マザーテレサの行為そのものを否定するわけでは決してないんだけれども、ちょっとそこまで、最後の、この世の終わりのその日の夜明けが見えてからね、二、三日してあげるのも貴いことには違いなんだけれども、しかし、それでいいのかなということをね、思いながら見ています。

まあ、ボランティアと言うことの難しさ、それから社会に奉仕するということの難しさみたいなことをね、いつも思うんですね。だからと言って、そういう行政が力がなくて何もできないところを、まあ一介のボランティアがね、世の中を変えるほどの事業を起こせるものでもないし、とても難しい問題だなと思うんですね。それで、カルカッタの貧しい人全部を救えるわけだったら、それはそれでまたいいんだけど、そうじゃなくて何かピックアップされて、たまたまうまく見つけられた人はそこへ連れていかれるけれども、本当にそこへ連れて行かれて寿命まっとう、わずかな期間にしろね、そうやってケアしてくれる幸運な人って言うには本当に「九牛の一毛」だからね。まあ、そういう意味でボランティアと言うのは非常に難しいことだなあと思うんですね。

だけど、世界中の人にボランティアするわけにはいかないのよね。だから、自分が何か思い立ったところで何かするって言うぐらいのことしかできないんで、それは楽健法をする相手を見つけるだけでもなかなか大変なんだからね(笑)。だから、そういう意味では僕はああいう活動のね、難しさって言うか、それを生涯を貫けば、一生の間にそれはマザーテレサは何万人の人を連れてきて救ったか知りませんけどね、まあ、しかしそういう行為に感激して、まあそうやって日本からもねボランティアに行こかって言う人もいるし、またそれをボランティアしたいだろうと言って、それでその旅行の企画をして飯を食ってるやつもおるというようなことになってね、まあ、世の中っていうのはそういうもんだと思うんですね。

ちょうど昨日メールが届いて、さっきまでちょっと原稿の訂正してたんですけど、ペテロ神父さんが真言密教とキリスト教の比較をしながら、宗教の本質を探る本を書いてるんですね。ヨーロッパ人に真言密教を紹介するための本を数年前に英語で書いて出版しているんですが、それの日本語訳をやってるわけですけど、その日本語の翻訳を僕にリライトしてくれと言って去年から、去年100ページくらいやったかな。リライトしてきたんですけど、その三章と四章が昨日届いて、またそれを見始めて、まあ一日かかって2ページくらいしか進まないような、難しいところもあるんですけど、まあそうやって今リライトしてるところにちょうどマザー・テレサの行為みたいなことに関連する省察の問題が出てくるんです。

その問題って言うのは真言密教の即身成仏って言うことと、それとキリスト教の(サクラメント)秘蹟と言う風に言うんですけど、要するに、子丑寅卯…ってお加持しましょうってやるでしょ、その、いわゆるお加持の意味ですね。真言宗のお坊さんは三密加持をすることによって、大日如来とつまり宇宙を作った佛と一体となって自分が佛そのものになる。即身成仏って言うのはそういう意味なんですね。即身成仏をすることによって他人を救済するために働く。それがお坊さんの目的だと言いうようなこと、今ちょうどそういう部分をリライトしてたんです。

だけど、そういう、例えば浄土宗だとか曹洞宗だとか禅宗のことなんかもそこで触れてるわけですけれども、例えば浄土宗なんかの思想で言えば、成仏するって言うたら往生する、成仏するって言うのは死んだら佛になって、死んだら仏様になるわけで生きている間は仏様じゃなくてただのの俗人なんですね。真言宗の考え方は生きている間に自分が三蜜加持のいわゆる修行をして、それで瞑想して、それで心をぐっと高めて他人のためにサクリファイスできる、そういう人間になることによって他人を救う。それが、具体的な行動の課題とされているわけですね。

だから、自分が瞑想して悟り開いたらそれでいいという世界ではなくて、真言密教と言うのはまさしくこうやって楽健法みたいなことを掲げて、これをみんなに教えてみんなでやていってお互いに救われなくてはいけないという活動するのが真言宗の目的であるというようなことなんですね、それをペテロさんは論文の中で書いているわけですね。だから、まあちょっとちょうどそんなことを考えながらね、力武さんの話を聞かせてもらったんです。

人間の社会には、インドの目に見えるような混沌とした、要するに悲惨な0のような人間の存在から、無限大といっていいほどの富を持つ、頂上まで一切合切があるわけですね。インドの社会の中には。それは日本でも一緒なんですけどね。最底辺の生活をする人生から、知能も生活もすべて保証されて素晴らしい仕事をする優秀な人たちもいれば、もう本当に底辺でのたうちまわって何か暇あれば人のものかすめ取ってやろうとかいう泥棒から人殺しのレベルまでね、つまりあらゆるものが混沌としてこの世の中にはあるわけで、それでそういうもの全部をひっくるめて一つの世界です。

セレクトされた立派なものだけが佛の世界ではなくて、大日如来の世界にはもう混沌とした最低の、もうどうにも箸にも棒にもかからないようなレベルのものまで、これも佛なんだというね、そういう考え方が密教の考え方の中にはあるんですね。だから、そういう中で真言密教をというものを考えて行こうというのが、ペテロさんの論文の主旨なんですけどね、その本が近く、4月とか言うてるけど4月には出ないと思うけれどもまた出たら皆さんに紹介したいと思います。昨年末から今年にかけてそんなことをやっています。



第10回1月8日(1日目)その2

2011年01月29日 | 第10期楽健法セラピスト講座
それで、まあ、例によってちょっと短歌を書いてきましたので、これも例によって我らが朗読者に朗読してもらおうと思います。お願いします。2回ずつゆっくり読んでください。




[早坂さん、どうだん2月号朗読]










どうだん 2月号
○年の暮れ積もる落ち葉を掻き寄せる寒気(さむけ)はじまり数日寝込む
○夢のなかにありあり見える父親があちらへ行けと我を追いやる
○殿中(でんちゅう)といえばいやがり裃(かみしも)よといわれば羽織った母の綿入れ
○熱もなくひたすら眠い風邪のわれあごに枕で史書をひもとく
○七草の粥めしあがればと東からメールがきたが粥思うのみ
○切り捨てて拭いもやらず鞘にする時代劇見つつ正月終わる
○真夜中のジェット機音かと目覚めたり冷え込む部屋にエアコン唸りて
○欲しがってなお欲しがって生きてきた世代がリタイア山歩きする
○美術館混んでいましたと話す友悠々時間の持ち主増えて
○平日は空いてるはずと思うのはむかしの話芋の子洗う












はい、どうもありがとうございました。

別に説明する必要もないような歌ばっかりですけど、二首目の「父親があちらへ行けと我を追いやる」というのは夢を見ましてね。父親がいて、僕がいて。僕はカンナで何かを削って仕上げようと思ってるのに、横に弟がいて、こいつがするからお前はいい、僕にはしなくていい、親父にそう言われた夢を見たんです。これはあの世に行こうとしてるのにまだ来なくていいと言われたわけではないんで(笑)。そういう言う風に読めるようにも、思うでしょ?そういう意味だという風に歌にはしてみたんですけど。

次の「殿中」というのはわかりますか?殿中って綿入れのこうここだけの手ですやつあるじゃないの、あれ何て言うの、この辺では。チャンチャコ!チャンチャンコ!綿入れ!あれを殿中ともいうんですね。

(幸子先生)ドテラ!
(宥厳先生)ドテラみたいな。うん。前でこうくくるやつ。金太郎が来てるやつかな。チャンチャンコ。あれをね、母親が、子供の時に私にいつも冬になると寒いから「殿中着なさい!」って言われるんですよ。だから、僕は殿中と言われると嫌いで、3つくらいの時から時代劇が大好きで、それで裃っていうのは、ここ肩がピンっと立ってるじゃない、あの、侍が殿様に会う時に着ていく、あれを裃って言うんですけど、「裃(かみしも)よ。」って母に言われたら殿中を喜んで着るっていうのをね、思い出して、冬になれば、それで「殿中といえばいやがり裃よといわれば羽織った母の綿入れ」。まあ、同じ服なんですけど殿中って言ったら絶対着ないんですね。まあ、そんな幼い3歳ごろのことを思い出して書いたんです。

○熱もなくひたすら眠い風邪のわれあごに枕で史書をひもとく
この、史書をひもとく、なんて言ったらかっこよすぎますけど、今、あの色川大吉の「明治精神史」とか色川大吉の著作集をひとまとめに買って、この間から面白くて読んでるんですけど、読みだしたらやめられないような面白さがあって。

色川大吉って知ってますか?色川大吉さんは東京経済大学の教授をしていた歴史家でね、明治初期時代のちょうど維新前後の常民の精神史みたいなことを掘りおこしたりして、秩父事件だとか、要するに日本の自由民権運動のころに日本の若者がすごくラジカルな考えを持っていて、それで東京を制圧しようなんて言って秩父事件なんてことが起きてるんですが、神奈川県の山奥の方から一揆じゃないけれども、東京を制圧しようなんて勢いで政府と戦って、たくさんの人が殺されたりしたことがあるんですね。普通なら歴史の表面に現れない庶民の精神の働き、そういう史実を掘り起こして、蔵の中にしまい込まれていた書き物を調査したんですね。当時の若い人たちはどのくらい勉強したかというようなことがわかる書類をいっぱい発掘してそれを世に出して行ったのが色川大吉先生だったんですね。

最初に「燎原のこえ」という色川大吉の一冊の本を読んだのですが、最近すごく感動した本ですね。勉強になったなと思って。それで色川大吉の本を通読してみようと思って著作集を買いました。この人はNHKの「インドわが心の旅」という番組に出てます。今YouTubeでそれが観られます。昔60年代にインドに行って歩いたところをまた再び旅をするというNHKの45分くらいのドキュメンタリーに。それが今YouTubeで全部見れますけれども、その色川大吉の風貌を見てたら、優男で今80過ぎてると思うんだけど、昔、いくつか芝居をしたなかで、音楽を担当していただいた宝塚の作曲家で高井良純と言う人がいるんですけど、色川大吉さんはこの高井さんに非常によく似た風貌の方で、優しい顔をしたね。その風貌にも、ええっと言うような好感を持つ感じもして、本を読んでみようという気になったんです。先日新聞の取材記事にもでてましたが、今でもまだ若い感じが残ってますね。80過ぎても。まあ、そういう人の本を読んでいて明治の頃の若い人たちの話をずっと読んでるとすごい奴がいっぱいいた、と思ったりしながら読んでるわけです。当分勉強が続きそうですけどね。







この、
○七草の粥めしあがればと東からメールがきたが粥思うのみ

と、言うのは堀江真美さんが今日は七日ですね、とか言って、年始の短いメールが来てたんですけど、今日は七草の七日ですので七草粥でも、食べられましたか、というような短いメールが来てたんですけど、七草粥は食べなかったけど、昨日は七草餅に(笑)。
(幸子先生)七草うどんです。
(宥厳先生)七草うどんになっちゃった(笑)。琴美ちゃんと梓ちゃんが伊勢から伊勢うどんを買ってきてくれて、七草うどんを食べました。そういう、まだちょっと体の調子がおかしかった時にまぁこういう歌を書きました。

○切り捨てて拭いもやらず鞘にする時代劇見つつ正月終わる




これは、あの時代劇、ちゃんばら見てるとね、「いやぁ~!!!」っと切ったかと思ったらバーンと刀を鞘に入れるじゃない。あんな血のりのついた刀を鞘に入れる。差し込んだら二度と抜けなくなりますよね。それで、やっぱり、こうやってきゅーっと拭いて、丁寧な時代劇だったらね、必ず懐から懐紙を出して血をぬぐってからでないと入れないはずなのに、バンバン!って10人くらい切ってからバチャンって入れて、丹波哲郎がね(笑)、そんな映画やってましたから。それで、切り捨てて拭いもやらず鞘にする、って言うのはつまり切ってないってことが丸見え。そういうウソの時代劇です。あれは舞台の時代劇だったらあれでもいいんですけれど、正月だから許せるかな。この頃の映画はリアルになってきてね、切るところも生々しいですよね。西洋の映画でもそうですけど、戦争映画、この間何かたまたま見てたたらBSで、上陸作戦で銃で撃たれて落ちた自分の腕を拾ってまた歩いていくシーンがありました。あの映画は、非常にリアルな描写があって、





(幸子先生)あれ、ひっつくねんな。
(宥厳先生)戦場では無理やと思うけど(笑)。まあ、そんなことです。
○真夜中のジェット機音かと目覚めたり冷え込む部屋にエアコン唸りて
それから、ジェット機が飛んでるのかと思ってふっと目が覚めると、エアコンがうなってたって言うのがこの歌ですが、風邪の体調なのでどこか平常と感覚がちがうんです。

後の3つはね、これは下から2つ目の、
○美術館混んでいましたと話す友悠々時間の持ち主増えて
っていうのは、高峰さんっていう方が毎週楽健法に水曜日に来られてますが、今85歳くらいですけど、よく美術館巡りしてるんですね。で、どこへ行ってもこの頃は混んでて、それで、ウィークデーって言うのがなくなっちゃったって言う話です。この辺もウィークデーとか日曜に関わらず、ちょうどうちの妹の世代もそうですけど、60過ぎて退職したような人たちがリュックサック担いでね、ゾロゾロゾロゾロと引きも切らず、この前を3万人くらい歩いて行ったような気がするくらい、三時間くらいリュックの人がこの前をザーッと歩いてるの見たことがあるね。下りてきた電車が一時間くらい全部その人たちが乗ってるんじゃないかと思うくらい歩いていったりするんですね。そう言う情景が、欲しがって尚欲しがって生きてきた世代がリタイアして、僕は別にその世代を非難するわけでも誹謗するわけでも決してないんですけど、まあそういう時代になってきたな、と思うんですね。で、私ももう美術館に行くのは怖いから行かないですね。人混みは拒否していますから、まあ、そういう風になってきたんです。だから、

○平日は空いてるはずと思うのはむかしの話芋の子洗う

皮肉ったような歌みたいですが、別に彼らに恨みも何もないんですけれども、なぜ右へならへみたいに群れるのか?つい何か言いたくなるようなね、感じがするんですね。この間その高峰さんが桜井、まあここへ来ようと思って、三週間か四週間前の水曜日に駅が近づいたので立ちあがった途端にひょろひょろっとよろけてこけて、ここを骨折して、手をね、だから年をとるともっと慎重に行動しないとね。何かよろけたらすぐ骨が折れるというような。それにしても、うちの横におる人はだいぶ転ぶんですけれど、骨折したことないね。
(受講生)すごいですよね~ひっくりこけても何にもならないですもんね。
(宥厳先生)(大笑い)こけても骨の折れない人なんて言うので。
(幸子先生)傘の骨が折れた…。(一同大爆笑)
(宥厳先生)この間、そない言うて怒られたね。傘の心配して私の心配しなかった、言うて文句言うてた(一同大爆笑)。

では、もう一枚のテキストの方ちょっと駆け足で、見てみましょう。これは楽健法に関係あるお経なんですけれど、東大阪の楽健寺のご本尊はお地蔵さんなんですね。それで、そのお地蔵さんをいつも朝、お経を般若心経のお経をあげたりしながらよく思ったことは、観音様には短いお経があるんですね。









延命十句観音経

観世音 南無佛
与佛有因 与佛有縁
佛法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心








っていう、延命十句観音っていうお経があって、ありがたい観音経って言われてお唱えする人はおおいですね。これは1分もかからずに20秒くらいでお経が読めるんです。ところが、お地蔵様は日本でもっとも数の多い仏様であるにも関わらず、短くさっと唱えられるお地蔵さんのお経がないな、と言うことを思い始めて、それで、ある日お経をあげていてあっと、何となくピカッと頭が光ったもんだから、その場で書いたのがこれなんです。それで、









楽健八句地蔵経
 
楽健八句地蔵経  らっけんはっくじぞうきょう
南無地蔵尊    なむじぞうそん
足裏抜業     そくりばつごう
心身佛界     しんしんぶっかい
一心同佛     いっしんどうぶつ
現世楽健     げんぜーらっけん
華開楽土     かーかいらくど
楽々楽々     らくらくらくらく
萬民笑顔     ばんみんしょうがん
 
http://www.asahi-net.or.jp/~be5y-ymnu/tkjd37.html東光寺だより37号









って、読むんですけど、まああのこれだとお地蔵さんの前で拝むときに覚えておれば一気呵成に読めますから、と思って書いてみたわけです。漢文的に言うと少々おかしいような感じもしないではないですけれども、しかし、四句ずつで、足裏抜業、心身佛界、一心同佛、現世楽健、華開楽土、楽々楽々、萬民笑顔って。

意味は、足裏抜業ですから、皆さん楽健法やってると一発でわかるわけですけれども、足の裏で業を抜いてあげる、足裏抜業というで、心身佛界って心も体も佛の世界に自分がいるような、つまり即身成仏の世界ですね。それで、一心同佛、佛の心に佛の世界に心も体も置いてると、仏様と心とは一つになってしまいます。一心同佛。それで、この世は非常に楽しくて健やかな、現世が楽健世界になりますと、それで、楽土に華が開きます、華開楽土。で、楽々楽々、萬民笑顔。楽しいな楽しいな、みんなニコニコ、とそういうことですね。

まあ、面白がって私が作ったお経で、自作の3つ目のお経です。もう一つは楽健法経ですね。意味は後に書いてありますので、そんなつもりで書いたお経だと思って読んでください。







地蔵尊菩薩に帰依したてまつり
身もこころも御仏に託し
御仏と一体となって
楽健法を行ずれば
足からの光にみたされて
たちまち因縁深き病気やカルマの苦しみから解放され
この世はすこやかで楽しい花開く極楽浄土となり
ゆうゆうらくらくと生きられて
みんなにこにこ毎日を過ごせるようになります。





と、まあこういう意味で翻訳したらこうなります。まあ、こんなことでこのお経は楽健法の本には載せてなかったね。あれのあとで作ったと思うんですね。それが、まあ、ときどきこのお経をプリントしたものをあげたら、そしたらこれを写経して、こんなにたくさん毎日書いて持っていた人がいましたね(笑)。まあ、写経するのも、般若心経のように長いよりは短い方が楽でいいですし、それを写経してるだけでも、功徳がございますのでやってみてください。皆さんも楽健法とセットで、手帳にでも書いておいてときどきお地蔵様を見つけたらお唱えくださいね。これをここカットして貼り付けといて下さい。それで、お地蔵さまと出会ったら唱えしてあげた後で、お地蔵様の真言は「オンカカカビサンマエイソワカ」。オンカカカビ、あの時々「オンカーカーカー」って引っ張る人がいるんですけど引っ張らない方がいいんですね。「オンカカカビサンマエイソワカ、オンカカカビサンマエイソワカ」。覚えましたか?お地蔵様の真言をお唱えください。

ちなみにここの仏様の真言知ってますか。この後ろの。覚えている人いる?この、千手観音。「オンバザラタラマキリク」。タラマっていうのはダルマのことですね。ダルマ。「オンバザラタラマキリク」「キリク」「オンカカカビサンマエイソワカ」

それで、朝に本堂で僕と勤行した人は、僕が真言を唱えるとき最後の方に「オンカカカビサンマエイソワカ」って唱えてるのに気が付いたと思いますが、あれを唱えてる時は楽健寺のお地蔵様を僕はこちらから拝んでるわけです。そういう意味ですね。オンカカカビサンマエイソワカ。

じゃあ、今から楽健法をやりましょうね。楽健法が終わったらお餅をつきますのでね。一臼ですけどお餅つきやります。それで、年末に餅つきをして臼をバーンと二回たたきましてね、それで杵がうにゃあっと割れたりしたので杵をカットして短くしましたから、今度振りやすくなりました(一同大爆笑)。それで臼の用意するとき、上のヨーガマットを持ってきてあれを下にひいて、それの上でつこうと思っています。覚えておいてくださいね。ヨーガマット引くと、滑らないからね。

まあ、じゃあ、楽健法今からやりますので、片づけましょう。

第10回1月8日(1日目)その3

2011年01月29日 | 第10期楽健法セラピスト講座
おやつタイム



市野さんの手作り…


せんべぇい、せんべぇい、いぇい!


楽健法(11)




年初め餅つき大会











息ピッタリ!










早く食べろ~






お茶で、きな粉を洗い流した!




ぜんざい♪




おいしいなぁ。



夕食
●カレー(玉ねぎ、紀州のにんにく、馬鈴薯、ニンジン、しめじ、しいたけ、まいたけ、エリンギ、トマト、リンゴ、こんにゃく、ピーマン、しょうが、チョコ、チーズ、ゴマ油)●餅



楽健法(12)



食パン焼き比べ




背中が痛いんですぅ。すっかり治りました!






第10回1月9日(2日目)その4

2011年01月29日 | 第10期楽健法セラピスト講座
二日目の朝~


朝のお勤め








今日も太陽の恵み




朝食







●かぼちゃスープ●野菜サラダ(マーマレード、リンゴ、水菜、バナナ)●黒豆


山田さんのお招きで、天理参考館見学

















まあ、素敵な夫婦






飛びすぎやろ!
















記念撮影!



昼食
丸亀製麺で讃岐うどんをいただきました!宥厳先生、幸子先生、ご馳走様でした!


楽健法(13)




帰りのおやつのぜんざい






1/9 15:39 お開きでーす!


(宥厳先生)はい、みんな集まれって言って。
(受講生)ちょっと和室に集まってください。
(受講生)先生、56分の電車に乗りたいんですけど。
(宥厳先生)え、56分?!じゃあ、走って行け!!
(受講生)失礼しま~す!
(宥厳先生)早よ、走っていかな間に合わんよ!
(琴美ちゃん)かっちゃんは上行っちゃいました。
(宥厳先生)ああ、ええよ。もう、こんだけやね?
(受講生)中島さ~ん!
(宥厳先生)ヨイショ!どうも、初めまして(一同大爆笑)。



今日はちょっと参考館なんか行きましたので、楽健法の回数は減りましたけど、ま、それなりに意義があったかなと思います。それから、後2回で終り?あっという間に、ねえ。2回になっちゃいましたけども、後しばらく頑張って、それで、次に来られる方もいらっしゃるんですけど、これで一応卒業される方もおりますので、あと2回、しっかりと頑張って勉強しましょう。お幸先生、ちょっと、はい。一言、年頭のご挨拶をお願いします。




(幸子先生)えっ?私ですか?あの、あけましておめでとうございます。(一同大爆笑)。後わずかですけれど、またあと三か月、早く来てしまって、何か、ね、びっくりしておりますけど、上達しておられてびっくりしてます。また、頑張って後の勉強していきたいと思います。今日は何か久しぶりに私もゆっくりさせていただいて、うれしかったです。皆さんもよろしくぅ。





(宥厳先生)じゃあ、まあ。えーっと谷川さんはあと2回、ね、この会に岩谷さんの代役で参加してくれます。代役を新田さんにもお願いしています。ありがとうございました。まあ、あの残り少しですけれども、よろしくお願いいたします。じゃあ、まあ急がない人はゆっくりしていただいていいですけど、電車の都合のある方は急いで乗り遅れないようにお帰り下さい。ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。


終了です!