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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㊾・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-13 09:23:28 | 森の施設

 

   清き心の未知のものの為に㊾・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 もはや応答を予期しえぬところに至りついてこそ、おまえはようやく、与えることができ

るようになるであろう。--------それも、相手がその供与を受け入れて、そして嬉しく思うよ

うな仕方で、愛が成熟して、自我が光明のなかに溶け去るところまで行きつくとともに、愛

する者は自分の愛の向かってゆく者への従属から解放せられるのであるが、愛を受け入れる

者もまた自分を愛してくれる者から解放されることによって自己を完成するであろう。

 いかなる次元にひろがる時間のなかで、この愛情は永遠に生き続けるのであろうか。それ

はたしかに在った者もまた自分を愛してくれる者から解放されることによって自己を完成す

るであろう。

 

 こうして、空は安らかに大地にかぶさっている。池の暗い安らぎのなかで、森林がその乳

房をはだけている。男が妻のからだをあくまでも優しく抱きしめるように、むきだしの大地

と樹木とが、朝の清郎で澄み切った光に包まれている。

 私はというと、ある灼けつくような思いを感じている。それは、この出会いに合一し、没

入し、参与したいという欲求である。ある灼けつくような思いが、地上の愛への欲求とまざ

りあっている。-------ただしそれは、大地と水と空とに向けられたものであり、樹木のざわめ

き、大地の香り、風の愛撫、光と水との抱擁による応答を求めるものである。満ち足りたか。

否、否! しかし、爽快になり、安らいではいる------待ちながら。

 

 彼はなにを得たのか。-------なにも。しかし彼はそのために、ほかの人たちが富を求める

ために支払った以上のものを支払ったのである。

 

 革命家といえども、反抗するときにさえ、彼が外見的には排斥しているかにみえるものへの

愛情を保ちつづけ、また、それゆえに自己の環境に根をおろしたままでいる。、といったふう

であってほしい。それができないような革命家にとってはね自己の環境からわが身を解き放つ

ということは、生ではなくして詩に通ずることなのである。

 

 悪魔のシランプでは、呪いと破壊とのカ-ドが成就のカ-ドと隣あって番を待っている。欠

けているのは愛のカ-ドのみである。このカ-ドがないばかりに、自分が多くの人々の運命を

支配するようになるのだということわ、悪魔は自分でもすでにわかっているのであろうか。あ

る人にとっては、彼は神の代用品であった。ほかのある人にとっては、彼は拘束を加える-----

切って捨つべき-----絆を意味していた。

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きよきここの未知なるものの為に㊽・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-11 09:24:49 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊽・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 源の見えない光、朝日の淡い黄金色をした光。小さな灌木のむれには、絹ような、柔ら

かい灰色の葉がしげり、露で銀色にきらめいている。丘には花ざかりの父子草の爽やかな

赤み、地平線の青さ。小川にかぶさる葉むらでできた小暗いトンネルから抜け出て、私は

広々した斜面に立つ。水滴が手を濡らしてきらめく。しないかかる枝から、しずくが私の

額にひんやりふりかかり、そして、朝のなごやかな風を受けて蒸発してゆくる

 

 いま。私が恐怖を、他人に対し、私自身にたいし、かしこの脚下にひろがる闇にたいす

る恐怖を克服してからは------

 未聞の領域の境界線に立つ。

 ここで、私の知っていることは終りを告げる。しかし、境界線のかなたに、私の存在は

始源となりうべきものを予感する。

 ここで、欲望は浄化せられ、自由無碍となる。-------一々行為が道のものへの準備であ

り、一々の選択が未知のへの諾(うべな)いである。

 皮相な生活に伴う要件ゆえに、私はまだ深淵に身をかがめることができずにいるが、そ

れでもこれらのかがめることができずにいるが、それでも、これらの要件のうちにありな

がら、混沌のなかへ降りてゆき、それを組織だてるための武装を私はだんだんと整えてゆ

く。そのあいだにも混沌のなかから、森林に白く輝く星り香りが漂いきたり、新しい合一

の約束をもたらすのである。

 境界線に立つ。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊼・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-08 13:00:39 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊼・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 境界線はどこを通っているのであろうか。これらの夢------美に溢れ、意味に満ち、しかも

明白にわかる意義は認められず、肉眼が眺めたものよりもずっと深く精神の奥底に刻みこまれ

る夢の奥底に刻みこまれる夢------のなかほ旅して、われわれはどこに行きつくのか、恐れも

なく、欲望もなく、どこにいるのか。

 現実------肉体とっての現実------の思い出はどこへ消えてゆくのか。それに反して、これら

の夢の世界の映像は古びない。それは思い出のなかの思い出のように生きている。

 たとえば夢に見た鳥たち。さらに、夢に見た朝も、夢に見た夜も。

 疲れはてた鳥たち、疲れはてた大きな鳥たち、彼らは、夜陰の迫る黒々した水辺にそそり立

つ、巨大な壁のような断崖の上に憩っている。疲れはてた鳥たちが、赤く燃え盛る西空に首を

傾けている。火が血となり、血が煤(すす)がまざる。ひろがる水のかなたの西方を見つめ、無

限に高く、峻急にそびえる円天井を見上げる。安らかに。この広々した遥かな世界が夜の闇に

沈んでゆく瞬間を生きる。口に出したのか、出さなかったのか、ただこんなことばだけが、(

私のことばなのかね彼のことばなのか)消えてゆくのである。-----こう暗くては、返り道を見

つけだすことができない。

 

 夜。私の前には道がのびている。うしろには、弓なりに曲った小径が家のほうにのぼってゆく。

公園のずっしりした木立のかげになった夜の闇のなかで、その家だけが闇の途切れた隙間のよう

になっている。木の下陰を暗闇に包まれて人びとが通っているのを、私は知っている。闇に隠れ

て私のまわりで生命が怯えているのを、私は知っている。家のなかでなにかにかが私を待ってい

るのを、私は知っている。公園の闇のほうから、ただ一羽きりの鳥の叫び声が聞こえてくる。そ

して、私は行く-----むこうの高みへ。

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊻・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-02 10:17:20 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊻・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 Xのばあい、不安げなうわべ、内面にひそんだ禁欲、そして女嫌いという特徴が、同一の

根源的に魂の音色から発する等価的な------しかし、それぞれが独立した-----側面をなして

いる。より(正常な)型の人びとは、自分の事務室や寝室の空気をどこへ行くにもいっしよに

引きずり歩き、外にでるときにさえそうする。これにたいして彼はというと、厚い壁と低い

天井とに囲まれた室内にいるときにさえ、相手のために確固として存在する。それでいて、

ほかの人たちの触れ方よりも、強さや直接性が高いのである。結びあわせることのできるま

なざしで見る。

 卑俗な心理学者である私の友人には、出来あいの診断を下す用意ができている。それでい

て、彼はなにも、なにも理解してはいない。

 

 精神的解放には官能的要素が含まれている。それは、魂の閉所恐怖症が象徴的な事物と生

理学的な根源とを有しているのと同様である。

 

 自分のうちにあるもっとも純粋なことがらに関して妥協を受けいれまいとする勇気は、ご

く好意的に視られたばあいにすら傲慢として受け取られる。そしてその判断を下す者は、か

ような勇気の結果を見る時に、自分の意見が強められたように思うのである。彼らから見れ

ば、それらの結果はさぞかし死にいたる罪にたいする懲罰に酷似したもののように映ずるの

にちがいない。

 

 力の充満した存在のなかにある、固く結ばれているいるもの。そして逆に-----結び目のほど

けた者の力強さ。

 

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清き心の未知なるものの為に㊺・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-06-28 14:29:46 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊺・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 絶えず卑怯であり、裏切りばかり繰り返していると、そのような振舞いをいつか裁かれるで

あろう。その日、おまえの気弱さがおそらくはとるにたらぬ仕方で表に出たために、おまえは

正しく選ぶ可能性を永久に取り上げられることになるであろう。

 おまえがことばどおり受け取られなかったがゆえに、情けなくもふたたび試練にあわされる

ことになったのを、せめてありがいと感じてはいないのか。

 

 出世主義者としてのおまえには、ひとたび目標に達してからでも、なすべきことはたくさん

ある。おまえはまだ、ほかの連中が梯子段を攀じ登ってくるのを邪魔することができよう。

 

 ふと、こんな想念がおまえの心をよぎることがある。-----おまえはいてもいなくてもよかった

のかもしれぬ、と。それでも世間の人は、おまえが固定給をもらい、銀行預金を小脇にかかえて

いるのを見て、おまえが自分自身を自明の存在とみなししているものと思い込んでいるのである。

おまえが所有しているものは人の興味をよびさますことができる。だが、おまえが実在している

という事実にはそれができぬ。

(光あるうちに)考えるべきこととされているのは、退職のこと------死のことではなくして-------

なのである。

 

 「これは大げさすぎる。私はごくささやかなことしかしてほしくはないのに------。」

 死ぬという事実が、これはまた社会的機能という側面を帯びねばならないのであれば、それな

らば、邪魔にならないように忍び足で出てゆくのを見逃してくださいませんか。

 

 

 

 

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