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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知のものの為に54・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-08-21 14:26:24 | 森の施設

 

   清き心の未知のものの為に54・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 仕事のうえの気がかりが絡むとき、こうして、光と熱と力との感覚が湧いてくる。外部

から・・・・。グライダ-の搭乗員を支える空気とか、泳いでいる人を支える水とかと同

じように、私を支えてくれる元素がなにかある。用心深い知性のはからいが、証拠だの論

理だのと要求して邪魔立てするものだから、おかげで私はそのことまでも「信ずる」こと

ができずにしまう。おかげで私は、認識の用語によってそれを究めて、ついにはそのなか

から実在を解読するすべを見出す、ということができずにしまう。しかし、こうして魂の

磁場が私の体験をつうじてほかに見え隠れする。これは、ことばと行為とによってたえず

祈り、そして聖なる意志にしたがって生きている、じつに多くの人たちによって、果断な

く続く現在のなかに作りあげられた磁場なのである。

 「聖者の通功」-----そして------そのなかに生きる------ある永遠の生命。

 

 「安らぎを得るため」に、自己の体験ないし確信のなにものも否認したりはせぬ------

 

 私に与えよ、死ぬに値する大儀を!-----

    ことばなく、また冷然と

    城壁は立ち、旗織は

    風にはためく。

 

 孤独が苦しくてならぬのは------

 だれひとり、重荷をともに担う者がいないからではなく、

 むしろ、わたしが

 自分の重荷しか担っていないからだ。

 

 欲望に盲(めしい)となることもなく、

 何びとの内面に立ち入る権利も、私にあろうとは感ぜられず、

 私の存在の裸形をさらすことを惧れ、

 ともに生きる条件として十全の諧和を求めてきたからには、

 どうして、別の成り行きがありえたろうか。

 

 おまえの孤独がおのれの生死にふさわしい目標を見いだす励ましの突き棒となるように、

祈れ。

 

 疲労に、苦痛は純摩し、死への慕わしき思いはつのる。このようにして、孤独に打ち勝て

そして、決定的に生から逃れよ------と、おまえは誘われるかもしれぬ。------いけない!死は

おまえから生に捧げる決定的な贈物たるべきであり、生にたいする裏切りであってはならぬ。

「わが心身を擦り減らす」------自分の仕事をしながら、しかもほかの人たちのために。-----

-----それはそれでよい! しかし、そうしてよいのは、自分の姿をあたりに見せつける(おそ

らくは、他人の称賛を得たいとさえねがいつつ)ためではないばあいに限ってのことである。 

 

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に53・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-08-13 09:03:28 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に53・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 何百年も経てきた生の流れ、何千、何万年も経てきた人類の潮。悪しき性、死と悲惨、

犠牲と愛。この展望のなかにおけば、私の(自我)などなにを意味しているのであろうか。

理性の語るところに従えば、私は自分の財宝、自分の快楽、自分の力、自分が人びとの

心のうちによびさます尊敬などをもとめなくてはなるまい。それでいて、いの述べた展

望のなかにおけば、そのようなことこそまさしくもっとも取るに足らぬものなのだとい

うことを、私は知っている------知らずして知っている。そこにこそ神のいましたもう認

識。

 内面の静寂を保つこと-----喧噪のただなかにあって。開かれたまま、穏かなままでいる

こと、雨の降り注ぎ、麦の芽ばえる、肥沃な時間に包まれた、しっとりした腐葉土のまま

でいるとこと-------白昼の不毛の光を浴びて、埃を巻き上げ乍ら広場をどしどし踏みしだ

いてゆく人たちが、どれほど大勢いようとも。

 

 土の感覚が肉体の感覚と出会うとき-------土のなかの土となり、草木の間の草木となり、

土から出て土に帰る動物となる。この自己合一のなかで、肉体の汎神論は確認せられる。

 

 自分の敵に親切であるのは容易である-------根性のなさゆえであれば!

 

 空虚への嘔吐感(おうとかん)のほかには、おまえが空虚のなかに詰めこむための生命

あるものはないのか。

 

 いままで、おまえはそこにいた。------それだけのことであって、たいしたことではな

かった。おまえは生涯をつうじて、なんと多くの歩数、なんと多くの時間を費やして、追

い求め、聞き、見たことか------だが、なにものをか。

 

        虚無のなかにいて

        しじまのなかで泣き、

        夜の闇のなかで嘆いている------

        ちびの悪魔めが、

        いつ、いつなの、と。

 

 

 

 

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清き心の未知のものの為に52・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-08-09 12:51:29 | 森の施設

 

   清き心の未知のものの為に52・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 「夜は近きにあり。」道のなんとはるけきことよ。しかし、この道を辿るために要した時間

は道がどんなところを通っているかを知るのに、私にとって一瞬ごとにいかに必要であったこ

とか。

 

 「さらに遠く、私は連れ去られてゆく。」よし、よし、しかし、おまえは差し出された数か

ずの機会にたいして盲目だったわけではない!

 

 「御心を行なわしめたまえ-------」おまえは利害心から、運命を指先でいくら突っついて動

かそうとした。それはそれでよい。おまえは、他人の心のなかに、その運命をこのうえなく気

高いことばで刻み込みこもうとねがった。これもまた、それでよい。せめて、運命の結果がお

まえの頭脳を越えたところで、信仰のうちに決定せられるよう、さかしらな手だしをせずにお

まかせしてくれればよいが!

 「御心を行なわしめたまえ------」内面を外面に、魂を現世に先んぜしめること-------そのた

めに、どこへ導かれることになろうと。また内的な価値を外的な価値がかぶる仮面に成りさが

らせぬこと。しかもそうかといって、内的なことがらが外的な事柄に付与しうる価値にかんし

て盲目であってはならなぬ。

 

 孤独から身を守る麻薬剤としての仕事------交わるべき人々の代用品としての書物! 自分は

持っているのだ、戸口は明けてある、とおまえは言う。しかし、それは人びとを迎えるためか。

エンペドクレスが待っていたエト山は、人びとのかなたに超えてでた宿命ではないのか。

 

 もっとも困難なこと-------潔く死ぬこと。なんびとも免れぬ試練である。-------どれだけの人

が、この試験に堪える力を授かるように------さらにまた、試験官が寛大であるように-----折れ。

 

 生誕と死、愛の恍惚と苦悩-----社会的責任という「白昼の光」を放つ燈火のもとでの舞踏の背

後には、実在が隠れているのである。

 コクト---の「オルフェ」における鏡の象徴が、私にはなんとよくわかることか。すなわち、私

が実在に出合うとき、私が私自身に出合うことを妨げるものがあるから、その障害を貫いて行く

べき道を斬りひらいてゆくこと・・・・たとえそのために死の王国へ入らなくてはならなぬとし

ても、行くべき道を切り開いてゆくこと! それにしても、まさしくそのこと以上に強く願って

いることが、私にはなにかあるであろうか。いつ、またどのようにして、私はそうする可能性に

出合うのであろうか。

 私と人びととの接触は、もはや鏡に映った影との接触でしかないのであろうか。だれが、ある

いはなにごとが、鏡を戸口に転化させる機会を私に与えてくれるのか。-------機会を、それとも

義務を。つまり、私はあまりに(賢明で均衡がとれている)ために、すなわち社交的にいって、あま

りに自分のなかに閉じこもっているために、義務に屈する以外には、なにものかに組することが

ありえないのではなかろうか。説明のつくことである。!

 「未聞の領域の境界線に立つ------。」深海への潜水が極点であることを自覚し、しかも、本

能、経験、教育、(つつしみ)などのゆえに、首を水のなかに突っ込むことが恐ろしい。仕方さえ

わかってはいないからである。!

 

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清き心の未知のものの為に51・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-23 14:46:03 | 森の施設

 

   清き心の未知のものの為に51・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 より高い任務に身を捧げることができると思って心を灼かれる。なぜかといえば、生は

いまなおすべてを要求しつくしてはいないからである。しかし、もし生が利用しうるかぎ

りのものをすでに取り上げてしまったあとだとすれば、どうであろうか。私の存在の織り

地を豊かにすることができたとすれば、その場合にのみ、もし、そうでなければ・・・。

では、なぜ緊張しているのか。私の人間としての努力のなかを、いかなる野心の流れが還

流していることであろうか。

 荒涼たる簸野の秋。------個体が滅びるばあいにさえ、それ自体目的となりうる生。見晴

らしは明らけく、そして高遠である。消滅の寸前にあって、近辺は静まりかえっている。

今宵、死刑執行班の面前に立っているのだとすれば、私は「よし」と言うことであろう。

------疲労や挑戦のゆえにではなくて、連帯性が付与する充全の信頼をもってである。私が

人びとのあいだで生活してゆくにあたっても、このような信頼を保てるようにすること。

 

 ラブランドの秋のあたたかな東風が、水の涸れた川に沿って、雨をふきつけながら過ぎ

てゆく。岸辺では、黄ばんだ楓の木立たちが暴風雨に曝されて揺れ動いている。

 消滅の大賛歌の冒頭の数少節。消滅なのである。

 

 「未開の領域の境界線に立つ」未開の領域------おそらくは、ジム翁が自己への絶対的忠

実を通じて絶対的勇気と絶対的謙虚とに到達したときの、ドラミンとのあの最後の出会い

からうかがえよう。執拗につきまとう己の罪悪感を抱きつつ、しかも同時に、この世での

生涯になしうるかぎりにおいては自分の過失を償ったのだ------すでに生命をよこせと詰め

寄ってくる人たちのために、すでに自分がなしおおせた行為によってね------と自覚しつつ。

幸せで、そして穏かである。あたかも、ただひとり海辺を散歩している途中ででもあるかの

ように。

 

 

 

 

 

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清き心の未知のものの為に㊿・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-16 13:29:06 | 森の施設

 

  清き心の未知のものの為に㊿・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 未知の、そして気がかりな事柄にレッテルを貼って、ありきたりな異常の仲間として分類

してしまい、そのようにしてこれを厄介払いしてしまううえで、心理学はわれわれのために

なんと便宜を図ってくれることか!

 

 ふたりの人のあいだで、双方とも黙っているうちに起ってしまったことは、あとでたがいに

なにを口にだして言おうとも、けっして取り返しのつけることができないのである。-----たと

え、ふたりがともに起ったことを自覚して、取り返しをつけようとして力をあわせようとも。

 

 われわれが(自然)を体験するにあたっての、人性を逸脱したもの。-----(自然)は、われ

われが人間の五官の反応をつうじて表現しようとしても、そのなかにおとなしく収まってくれ

ない。われわれのほうでも、そうして表現しようとしても、なかなか(自然)に順応しきれるも

のではない。われわれが、全体のなかの有機的な一部分として(自然)と共鳴する手段を見出さぬ

かぎりは、われわれに観察できるものとしては、実在しているある諧調------われわれがそれを

諧調して認めまいと------の無数の構成要素の相互作用のありさまを観察しつつあるわれわれ自

身の姿にすぎないであろう。

 

 極地の夜の薄明り。氷の、また、綻(ほころ)びかける木の芽の香り。------裸木(はだかき)の幹

に映る錆色(さびいろ)の反射、樹脂のにじみでる若葉のきらめき。------氷の割れ目に打ち当る波

浪の響き、鶯の囀り。------逆光のうちに氷山が放つ純色の光輝。海辺の荒地に波打って花咲く

石楠花の紫色。------枯れ尽くして茶色になった灌木の茂みのまんなかに、ムシトリスミレの白

い花が点々と咲いて、まるで日光を浴びて燦く清水の滴りのようである。------勝利!

 

 樹木の限界線に咲いている花の前で謙虚な気持ちになるとき、山峯に向かう道がおまえのため

に開かれる。

 

 

 

 

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