清き心の未知のものの為に54・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
仕事のうえの気がかりが絡むとき、こうして、光と熱と力との感覚が湧いてくる。外部
から・・・・。グライダ-の搭乗員を支える空気とか、泳いでいる人を支える水とかと同
じように、私を支えてくれる元素がなにかある。用心深い知性のはからいが、証拠だの論
理だのと要求して邪魔立てするものだから、おかげで私はそのことまでも「信ずる」こと
ができずにしまう。おかげで私は、認識の用語によってそれを究めて、ついにはそのなか
から実在を解読するすべを見出す、ということができずにしまう。しかし、こうして魂の
磁場が私の体験をつうじてほかに見え隠れする。これは、ことばと行為とによってたえず
祈り、そして聖なる意志にしたがって生きている、じつに多くの人たちによって、果断な
く続く現在のなかに作りあげられた磁場なのである。
「聖者の通功」-----そして------そのなかに生きる------ある永遠の生命。
「安らぎを得るため」に、自己の体験ないし確信のなにものも否認したりはせぬ------
私に与えよ、死ぬに値する大儀を!-----
ことばなく、また冷然と
城壁は立ち、旗織は
風にはためく。
孤独が苦しくてならぬのは------
だれひとり、重荷をともに担う者がいないからではなく、
むしろ、わたしが
自分の重荷しか担っていないからだ。
欲望に盲(めしい)となることもなく、
何びとの内面に立ち入る権利も、私にあろうとは感ぜられず、
私の存在の裸形をさらすことを惧れ、
ともに生きる条件として十全の諧和を求めてきたからには、
どうして、別の成り行きがありえたろうか。
おまえの孤独がおのれの生死にふさわしい目標を見いだす励ましの突き棒となるように、
祈れ。
疲労に、苦痛は純摩し、死への慕わしき思いはつのる。このようにして、孤独に打ち勝て
そして、決定的に生から逃れよ------と、おまえは誘われるかもしれぬ。------いけない!死は
おまえから生に捧げる決定的な贈物たるべきであり、生にたいする裏切りであってはならぬ。
「わが心身を擦り減らす」------自分の仕事をしながら、しかもほかの人たちのために。-----
-----それはそれでよい! しかし、そうしてよいのは、自分の姿をあたりに見せつける(おそ
らくは、他人の称賛を得たいとさえねがいつつ)ためではないばあいに限ってのことである。