レイオフしない会社の業績と功績
2006年5月17日 水曜日 神谷 秀樹
先頃、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙を開くと、2ページ見開きの大きな広告が目に飛び込んできた。会社名を見ると「ヌーコア」とある。全米最大の電炉系製鉄会社であるが、私にはそれよりもジム・コリンズ著の経営書『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』に取り上げられた優良会社としての記憶があった。
「あの地味な製鉄会社が一体何を張り切って2ページ広告など出すのだろう」と思いつつ活字を追い始めた。「我々が従業員を1人もレイオフせずに、どうやってウォール街に印象づけたか」という趣旨の表題に続く8行ほどの説明文には、「大量の解雇といった安易な方法で業績向上を図るのではなく、自分たちは従業員を大事にし、一生懸命働くことによって業績を上げ、株主に評価される会社を作ってきた。単なる経営方針ではなく、事実として創業以来レイオフをしたことがない」という内容の文章が書かれていた。
ヌーコアは1950年代にその前身の会社が自動車会社の部品製造子会社として設立されたが、64年には破産を経験している。そして72年にヌーコアという社名になった。やがて電炉系メーカーとしては、米国で最も製造コストの低い製鉄会社として知られるようになった。2005年の売上高は127億ドルと全米最大で、原料となる鉄の使用料は年間1700万トンと、これまた鉄のリサイクルでは全米最大の規模になる。
1ドル増やすより削る方が容易の罠
米国でレイオフは当たり前だ。特に同業種同地域の会社の合併や、ファンドによる買収(LBO)が起きると、最初の合理化は大量解雇から始まる。売り上げを1ドル増やすことに比べて、経費を1ドル削る方がはるかに容易に利益を増やせる。そのコストカットの手段の中で、最も安易な手段が従業員解雇だからだ。
人を減らせば利益が増えて株価は上がる。経営者はインセンティブ・ボーナスをもらい、ファンドは高値で会社を売却できる。こうして大量の人が職を失い、一部の人がしこたま儲けるシステムができている。一家の働き手が職を失えば、その子供たちが大学に行くお金も失われる。これに対し、ヌーコアは従業員の師弟を大学に入れることを奨励する雇用システムを採っているという。同社の株価は2002年以降大幅に上昇したが、こうした人を大事にする経営が有能かつ勤勉な従業員を獲得した理由だろう。
同社は官僚制を排したフラットな組織を導入し、最先端の技術革新を採用することを心がけてきた。加えて2002年に米バーミンガム製鉄を買収して規模を拡大し、その後、株価は大幅に上昇した。人の尊重が技術革新を容易にし、技術革新が競争力を高め、競争力の向上が優秀な人材の育成や採用につながるという好循環を作り上げた。
会社閉鎖の説明会で喝采を浴びた
とはいえ、人員整理を一切しないのは極めて難しいことだ。どうしても従業員を解雇しなければならない場合でも、やり方次第で結果は変わってくる。私の大学時代の友人が日本の電機メーカーのプエルトリコ工場でスピーカーの製造に携わっていた。アジア製との価格競争にどうしても勝てなくなり、会社の蓄えは乏しくなる一方という状況に陥った。どうにか従業員に十分な退職金を出せるところまできた時、彼は会社を閉じる決心をした。
従業員全員を集め自分の経営者としての力不足を詫びたうえで、これ以上、生産を続ければ退職金を支払えなくなると、会社を閉鎖する理解を求めた。「お通夜になると思っていた」説明会で、彼は拍手喝采を浴びた。「涙が止まらなかった」と彼はその時のことを振り返った。
すべての従業員の再就職先を世話して、彼はプエルトリコを後にした。その話を聞いて私は言った。「会社を閉じたとしても、永遠に君の会社のブランドを愛する熱狂的なファンを多数、プエルトリコに残したんだね」と。この会社の名前はパナソニックという。
「どんな時も『公正さ』を忘れない」が根幹
よく、米国はレイオフ社会で、日本は従業員を簡単には解雇しない社会と言われる。しかし、日本企業もひとたび海外に出れば、現地ではレイオフを実施していることが多い。レイオフに対する考え方の日米の違いをあまりステレオタイプに捉えると、事実を見誤る。要するに、日本にも米国にも人を大切にする企業は存在し、そうした企業ほど長期的に成功しているのだ。
業績不振の時には、ぜひ両社の姿勢に学んでいただきたい。また会社を安易にファンドに売り飛ばす前に、自分たちの手による再建を真剣に考えることは経営者や取締役の責任である。一部の人が濡れ手で粟で、多くの勤勉な働き手が職を失うというのが当たり前の世界になれば、そこには「公正」は存在せず、資本主義経済社会の根幹が崩壊してしまう。
2006年5月17日 水曜日 神谷 秀樹
先頃、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙を開くと、2ページ見開きの大きな広告が目に飛び込んできた。会社名を見ると「ヌーコア」とある。全米最大の電炉系製鉄会社であるが、私にはそれよりもジム・コリンズ著の経営書『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』に取り上げられた優良会社としての記憶があった。
「あの地味な製鉄会社が一体何を張り切って2ページ広告など出すのだろう」と思いつつ活字を追い始めた。「我々が従業員を1人もレイオフせずに、どうやってウォール街に印象づけたか」という趣旨の表題に続く8行ほどの説明文には、「大量の解雇といった安易な方法で業績向上を図るのではなく、自分たちは従業員を大事にし、一生懸命働くことによって業績を上げ、株主に評価される会社を作ってきた。単なる経営方針ではなく、事実として創業以来レイオフをしたことがない」という内容の文章が書かれていた。
ヌーコアは1950年代にその前身の会社が自動車会社の部品製造子会社として設立されたが、64年には破産を経験している。そして72年にヌーコアという社名になった。やがて電炉系メーカーとしては、米国で最も製造コストの低い製鉄会社として知られるようになった。2005年の売上高は127億ドルと全米最大で、原料となる鉄の使用料は年間1700万トンと、これまた鉄のリサイクルでは全米最大の規模になる。
1ドル増やすより削る方が容易の罠
米国でレイオフは当たり前だ。特に同業種同地域の会社の合併や、ファンドによる買収(LBO)が起きると、最初の合理化は大量解雇から始まる。売り上げを1ドル増やすことに比べて、経費を1ドル削る方がはるかに容易に利益を増やせる。そのコストカットの手段の中で、最も安易な手段が従業員解雇だからだ。
人を減らせば利益が増えて株価は上がる。経営者はインセンティブ・ボーナスをもらい、ファンドは高値で会社を売却できる。こうして大量の人が職を失い、一部の人がしこたま儲けるシステムができている。一家の働き手が職を失えば、その子供たちが大学に行くお金も失われる。これに対し、ヌーコアは従業員の師弟を大学に入れることを奨励する雇用システムを採っているという。同社の株価は2002年以降大幅に上昇したが、こうした人を大事にする経営が有能かつ勤勉な従業員を獲得した理由だろう。
同社は官僚制を排したフラットな組織を導入し、最先端の技術革新を採用することを心がけてきた。加えて2002年に米バーミンガム製鉄を買収して規模を拡大し、その後、株価は大幅に上昇した。人の尊重が技術革新を容易にし、技術革新が競争力を高め、競争力の向上が優秀な人材の育成や採用につながるという好循環を作り上げた。
会社閉鎖の説明会で喝采を浴びた
とはいえ、人員整理を一切しないのは極めて難しいことだ。どうしても従業員を解雇しなければならない場合でも、やり方次第で結果は変わってくる。私の大学時代の友人が日本の電機メーカーのプエルトリコ工場でスピーカーの製造に携わっていた。アジア製との価格競争にどうしても勝てなくなり、会社の蓄えは乏しくなる一方という状況に陥った。どうにか従業員に十分な退職金を出せるところまできた時、彼は会社を閉じる決心をした。
従業員全員を集め自分の経営者としての力不足を詫びたうえで、これ以上、生産を続ければ退職金を支払えなくなると、会社を閉鎖する理解を求めた。「お通夜になると思っていた」説明会で、彼は拍手喝采を浴びた。「涙が止まらなかった」と彼はその時のことを振り返った。
すべての従業員の再就職先を世話して、彼はプエルトリコを後にした。その話を聞いて私は言った。「会社を閉じたとしても、永遠に君の会社のブランドを愛する熱狂的なファンを多数、プエルトリコに残したんだね」と。この会社の名前はパナソニックという。
「どんな時も『公正さ』を忘れない」が根幹
よく、米国はレイオフ社会で、日本は従業員を簡単には解雇しない社会と言われる。しかし、日本企業もひとたび海外に出れば、現地ではレイオフを実施していることが多い。レイオフに対する考え方の日米の違いをあまりステレオタイプに捉えると、事実を見誤る。要するに、日本にも米国にも人を大切にする企業は存在し、そうした企業ほど長期的に成功しているのだ。
業績不振の時には、ぜひ両社の姿勢に学んでいただきたい。また会社を安易にファンドに売り飛ばす前に、自分たちの手による再建を真剣に考えることは経営者や取締役の責任である。一部の人が濡れ手で粟で、多くの勤勉な働き手が職を失うというのが当たり前の世界になれば、そこには「公正」は存在せず、資本主義経済社会の根幹が崩壊してしまう。