戴冑。字は玄胤。相州安陽人也。
隋大業末,法令や吏治に長けて門下錄事。
東都政権では給事郎。
王世充政権では鄭州長史に出される。
世充敗北後、秦王に降り秦府士曹參軍。
太宗即位後兵部郎中・武昌縣男となる。
貞觀元年大理少卿として法令を厳守。
其年尚書右丞に、ついで左丞となる。
また諫議大夫を兼ねて諫奏することが多い。
三年民部尚書兼檢校太子左庶子。
学術はないが公正であったので攝吏部尚書を兼ねる。
四年煙たがられて吏部尚書を免ぜられる。
しかし本官參預朝政・郡公として宰相となる。
能吏で有り清廉であった。
七年相として卒する。
贈尚書右僕射,追封道國公。
子がなく兄の子至が嗣ぐ。
[宰相履歴]
貞観4年2月検校吏部尙書参豫朝政~7年6月薨。
隋大業末,法令や吏治に長けて門下錄事。
東都政権では給事郎。
王世充政権では鄭州長史に出される。
世充敗北後、秦王に降り秦府士曹參軍。
太宗即位後兵部郎中・武昌縣男となる。
貞觀元年大理少卿として法令を厳守。
其年尚書右丞に、ついで左丞となる。
また諫議大夫を兼ねて諫奏することが多い。
三年民部尚書兼檢校太子左庶子。
学術はないが公正であったので攝吏部尚書を兼ねる。
四年煙たがられて吏部尚書を免ぜられる。
しかし本官參預朝政・郡公として宰相となる。
能吏で有り清廉であった。
七年相として卒する。
贈尚書右僕射,追封道國公。
子がなく兄の子至が嗣ぐ。
[宰相履歴]
貞観4年2月検校吏部尙書参豫朝政~7年6月薨。