唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

鄂岳都団練観察使 武昌軍節度使 その2

2012-10-08 21:20:09 | Weblog
・元和5年[810年]節度使韓皐が去り、郗士美が都団練観察使として赴任した。士美は安州に拠る伊宥を母親
の喪を理由として送還し回収することに成功した。
・その後文官観察使が続いたが、寶暦元年[825年]宰相牛僧孺は敬宗皇帝の無能に辟易し、外鎭に出ることを
求めた。帝の寵遇は得ていた僧孺であるので、鄂岳観察使を武昌軍節度使として昇格させ赴任させてもらった。
・僧孺は沔州を廃止するなど行政の簡素化に取り組んだ。節度使は僧孺が大和4年[830年]に宰相に復帰し、
次の元稹まで続いたが、大和5年崔郾から観察使にもどった。
・その後大中元年[847年]宰相盧商とともに節度使に戻り、2年に観察使、4年に節度使、6年に観察使と頻繁
に制度変更されたが、これは赴任者の格式によるもので、必要性があったわけではない。
・乾符年間[874~880年]は弱小な兵力しか持たない鄂岳地域は王仙芝・黄巣の荒略するところとなった。