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いろはに笛ッセイ⑰~れ~レコーディング

2012-03-21 19:26:17 | いろはに笛ッセイ
始めるんじゃなかった、と必ず思うハメになるもの、それがレコーディングというやつなのです。たかだか3分の1曲さえも完璧に仕上げられない、何度も録り直ししているうちにどつぼにはまっていく自分に気が付きいやになり、そんな事を繰り返し、こんなものかと最後は諦めて一番マシなテイクで手を打つのです。基本のABもできていないうちにCD録音したってこうなるのは目に見えてるさ、こんなCD作っても資源の無駄使いか?とおもいながら。さて録音したばかりの演奏は、実は聴くに耐えないのです、がさがさな音で。そこにリバーブという残響効果のお化粧をかけるとあら不思議、とたんに名演奏に聞こえるのです。がさがさでも厚化粧を施せば美しくなる。とここまでで書いたら、カミさんが画面を覗きながら、「どうせ私もそうなんでしょ」と。いやあ美しくなるかはどうかなあ?、なんて言おうものなら恐ろしい目に遭うのでひたすら沈黙。始めたのを公開しつつも、絶大な“お化粧効果”で自らを自己満足させながら半年くらいかけて何とかレコーディングを終えるのです。出来上がったCDには2500円と言う法外(?)な値段をつけたものの、うーん、この間ディーリアス作品集18枚組4500円で買ったけれど、1枚あたり250円か。今触手が動いている「カラヤンEMIレコーディングス」は71枚組9600円、1枚当たりたったの135円じゃないか。そんなCD激安時代に2500円で売って良いのだろうか???ま、いいか。
今までCDを2枚作ったのですが、さらにもう1枚と言う構想もあります。やめておけばいいものを、とは思うものの、次は全部あるみかんの作品集、ある素敵な写真集を見ながらの作曲、今のところ5曲、編曲、味付け、録音、先は長~いのです。レコーディングと言うものはある意味「身の程を知る」良い機会なのですがまだ懲りていないのですな。


いろはに笛ッセイ⑯~た~大道芸

2012-03-13 18:46:29 | いろはに笛ッセイ
大道芸は、難しいのです。なぜかと申しますと、客を集めるところからが芸の内だからです。やる機会があるのはたいてい大道芸大会などの場でお客さんはそれを見にやってくるのではありますが、向こうで猿回しなどやっていると、こちらにお客さんを引き寄せるのは至難のわざなのです。下手をすると犬猫しか寄ってきてくれない、いや寄ってきてくれればまだマシなほうで。客が集まってくれればもうこちらのもの、一気呵成に芸をやって、投げ銭集めて・・・となるのですが。「投げ銭はこの箱に、ぜひ折りたたんで入れてください」「投げ銭は千円札に500円玉を包んで投げるとご利益があるのですよ」「5千円の紙ヒコーキを投げていただけるとさらにご利益があります」などという決まり文句を言いながら、後で1円玉と5円玉、10円玉とわずかな100円玉を数え、その中に500円玉が入っていないか掻き分けて探すのです。(以前酔っ払いのおじさんが間違えてしまったのか1万円入れてくれたこともありましたが)
中学のときに使っていた国語辞書が出てきたので、大道芸を引いてみたのです。すると、なんと驚くなかれ、そこにはこんな事が書かれていたのです。「大道芸・・・道端などで行う下等な芸」金田一さん、それはないよ。でも私もチンドンセットを始めた頃はよく言われたものです。「そりゃあダイドーゲーかい?」そんな事を言うのはもっぱら中年のオジさんたちですが、まあそんな意識だったのでしょうね、下等な芸という。今では大道芸もしっかり市民権を得ていますので堂々とできるのですが、今年は出番があるかどうか??


いろはに笛ッセイ⑮~よ~良い音とは

2012-03-10 13:27:37 | いろはに笛ッセイ
良い音とは・・・雑音が少なく純粋な音、太く広がる音、細く鋭い音、丸くやさしい音などなど、どれも正解なのではないでしょうか。つまり良い音というのは明快な概念があるわけではなく、良いと思うか思わないか、それだけの違いなのです。体系の整っている楽器(歴史、伝統、メソードなど)に関してはそうばかりとは言えないのでしょうが、創作楽器、民族楽器といわれるものなどはかなり幅が広くなると思うのです。たとえばケーナというアンデス地方の笛は吹き方、音色、奏でる音楽は百人百様、ピュアな音を出す人もいればかすれ気味の味のある音の人もいますし、元気百倍オロナミンCの人、寄らば斬るぞ式、静かにしびれますゾの人等々、十人十色、良し悪しはほとんど好みによるのでしょう。同様に観客に対する感銘度の捉え方もそれぞれです。100人の小学生の観客がいるとします。公演が終わって99人が熱狂、でもひとりだけは心がまったく動かず。それに対して99人がつまらなそう、でも一人だけが人生が変わったかのような感銘を受ける。どちらがいいでしょう。もちろん前者に決まってるさ、となりそうですが、いやいや後者もなかなかかっこいいじゃないか、と思えるのです。(公演がうまくいかなかった時期はこれを心の中でイイワケにしていたのですが)一人対大勢ではあるのですが観客一人にとっては1対1なのですね。一人だけでいいから感銘を受けるような演奏を、と思っているのですが・・・難しいもんです。
いろはに笛ッセイ始めたはいいのですがなかなかネタ探しに苦労、「よ」はなかなか無くてまじめな内容、オヤジギャク絵なしになってしまいました。

いろはに笛ッセイ⑭~か~隗より始めよ

2012-03-03 18:57:28 | いろはに笛ッセイ

 やっとこのブログの表題らしい内容です。楽器を始めるには手近なことから始めるのがよいのかもしれません。身の回りには音が出るものがたくさんあります。台所用品、空き缶、空きパック、ペットボトル、紙コップ、自分の体などなど挙げればきりがありません。その中から赤貝を使ったカエルの合唱を紹介します。赤貝を2つ手に持ち背中をすりすり、するとゲコゲコと音がするのです。なんだ、それだけかと思われる向きもありましょうが私の楽器入門なんてこんな物なのです。単純なお遊びから入るのがいいのです。

いろはに笛ッセイ⑬~わ~「ワルツ」

2012-03-02 13:33:14 | いろはに笛ッセイ

ルンバはどうにも苦手なのと同様、ワルツも信濃原人の私にとっては敬遠したいものなのです。ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートの中継を見ていると、時折画面に出てくる鶴が踊るがごとく(ちょっと違うか?)優雅なワルツにあこがれる一瞬もあるのですが、踊っている美男美女の足の長さを見ると一瞬にして憧れがさめるのです。次元が違うのです。踊りより畑で鍬を振るっているほうがはるかに似合う(ほめているのですぞ、自分を)のです。ルンバの裏拍子のような難しさは無いのですが、優雅にできないのですよ。やはりワルツは優雅でなくては、という思い込みがあるです。日本には3拍子の音楽は古来からあまりなかったようで、やはり生活の中に無いような拍子は音楽としては残らなかったのでしょう。レパの中にワルツが1曲も無いのでそれも寂しいと思い、やったこともあるのです。花のワルツを鼻で吹く「鼻のワルツ」。でも難しかったので他の曲にしましたが。