牡丹に蝶のブログ

政治・経営・宗教的な話に興味があります。過去から現在までの出来事とかを綴ってみたいなと思います。

日本のメディアでは 絶対に語られないニュース!!

2014-07-31 21:27:23 | 国際


ヤフーニュース
Record China


皇姑屯歴史博物館を建設、関東軍による張作霖暗殺について展示-遼寧省瀋陽市

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140731-00000034-rcdc-cn



2014年7月29日、91年の歴史を持つ奉天皇姑屯病院旧跡が皇姑屯歴史博物館に全面的に改築される。新華社が伝えた。

【その他の写真】

日本の関東軍による張作霖(ジャン・ ズオリン)暗殺の「皇姑屯事件」の原因や歴史的情景、皇姑屯駅周辺の歴史的風貌を展示する。同館は年末までに竣工し、無料で一般公開される。(提供/人民網日本語版・翻訳/YH・編集/武藤)




私見……



張作霖列車爆殺?事件を
知っている 日本の政治家や官僚は 果たして どれくらいいるのでしょうか?


関東軍が この後も 何をしてきたのか?など…
どれくらいの人達が
知っていると言えるで
しょうか?



一般公開はいつからなのでしょうか?



日本のメディアでは 語られない話しである以上


日本の政治家や官僚は
一般公開された時 絶対に見に行くべきですよね…

中国で 張作霖暗殺についての展示に 驚きを隠せません


キーワードは【関東軍】ですから…



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とうの総理は のんきに外遊中!!

2014-07-30 23:20:59 | 政治


ヤフーニュース
時事通信



追加制裁「国益に資する」=菅官房長官



 菅義偉官房長官は29日午後の記者会見で、ロシア外務省が日本の対ロ追加制裁を非難する声明を発表したことに関し、「日ロ関係について、わが国の国益に資するように進めてきているのは当然のことだ」と述べた。




私見……


マレーシア航空機 撃墜は撃墜事件だと言えるのではないでしょうか?


阿倍政権の調査の乏しさ…

まだ 真相が解明していない中での制裁には 疑問を持ちます…


ただ闇雲に制裁を加えれば済むというわけではありません…


制裁を加えるのではなく
日本は日本なりの調査をした上で 対策を考えるべきではないでしょうか?


日本が 今 調査しなければならないことは…


撃墜された マレーシア航空機が 以前に行方不明になった MH-370だった
可能性があるのか?ないのか?ということから
始めなければならないのではないでしょうか?


MH-370に関しては イスラエルのテルアビブ
もしくは ディエゴ ガルシアにいたなど様々な説がありました…


この事件の時でさえ…


情報収集出来なかった
阿倍政権でしたよね…


何れにせよ…


阿倍内閣の情報収集の乏しさに…
この先 阿倍政権で
本当に大丈夫だと言えるでしょうか?


不安だらけです!!




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副作用の原因が解明されていない中での再開要請の声明には疑問を抱きます!!

2014-07-30 19:58:25 | 政治




何故 子宮頸がんワクチンの接種を強要するのでしょうか?
本来は 子宮頸がんワクチンの予防接種をするか?
しないか?は 個人が決めることであって 国が強制すべきことではありません


ましてや…
ワクチンを接種したからと
言って 子宮頸がんには
ならないとは 誰にも言えないことじゃないでしょうか?


子宮頸がんワクチン接種後に起きた副作用問題は
まだ 原因が解明されてはおりません!!


そういう中でのワクチン接種再開の声明には疑問を
感じざる終えません!!


子宮頸がん予防も
大事かもしれませんが
性犯罪に巻き込まれる
未成年者が多い以上


エイズ予防の対策の方が
大事なのではないでしょうか?


未成年者が性犯罪で
エイズにならないために…
エイズ予防の対策が
先決だと思われます……


ヤフーニュース
医療介護CBニュース


子宮頸がんワクチン「再開は一刻も早く」-日産婦など4団体が声明


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000001-cbn-soci


 接種後に原因不明の慢性的な痛みなどの症状が報告されている子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)をめぐり、日本産科婦人科学会(日産婦)など4団体は30日までに、1年以上中止されているワクチンの接種勧奨が「一刻も早く再開されることを強く希望する」との声明を発表した。「このままでは10数年後に日本だけが子宮頸がん罹患率の高い国になる」との懸念を改めて示している。【烏美紀子】

 声明は、日産婦と日本産婦人科医会、日本婦人科腫瘍学会、子宮頸がん征圧をめざす専門家会議の連名で、今月4日に厚生科学審議会の副反応検討部会が開かれたことを踏まえたもの。

 副反応として報告されている慢性的な痛みや運動障害を「心身の反応」だとする見解に関して、4団体の声明では、この日の部会で「心身の相関を十分に理解した治療体制が必要」「身体症状だけに焦点を当てた検査や治療では改善は困難」などの指摘があったことを重視。こうした症状に対応するため、専門家や日本医師会、日本小児科学会、日本小児科医会などと連携し、医療ネットワークづくりを進めているとした上で、接種勧奨の早期再開を求めている。

 また、「心身の反応」という言葉が「さらなる誤解を引き起こした面があった」などとして、医療従事者も含めて正しく理解されるよう強調している。「心身の反応」については4日の検討部会でも、精神疾患や心因性疾患などといった誤解が医療者の間にも少なくないとして、「機能性身体症状」との表現の併記が検討された経緯がある。


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1928年に不戦条約に署名した大日本帝国!!(その3)

2014-07-28 22:26:40 | 政治

第一次世界大戦から100年 どんな戦争だった?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140325-00000012-wordleaf-int&p=3



第一次大戦から新しい「世界史」が始まった?
 大戦中は、両グループとも中立国を味方につけようと躍起でした。植民地に対しては、戦後の独立・自治という「利」をほのめかし、自陣営への協力を求めたのです。なかでもイギリスは、アラブ人に対しては「フサイン・マクマホン書簡」でトルコからの独立を約束する一方、ユダヤ人に対しては「バルフォア宣言」でユダヤ国家建設の支援を約束するという「二枚舌」で、双方から協力を取りつけようとしました。この後、中東のパレスチナは、アラブ人とユダヤ人の争いの舞台となります。今日までつづく新しい「世界史」の始まりです。

 もう一つの大きな影響。大戦末期、ドイツは皇帝が退位し、共和制に移行しました。戦勝国のロシアも、大戦中の17年に皇帝が追い出され、帝政が崩壊しています。レーニン主導によるロシア革命で、5年後には史上初の社会主義国ソビエト連邦が誕生しました。「あと出しじゃんけん」で戦勝国となったアメリカも、体力を消耗することなく、日本以上の経済的な「利」と、国際社会での強い「影響力」を獲得しました。大戦後の世界は、この米ソ両大国の「利」と「害」を軸に回るようになります。これも、第二次大戦後の冷戦につながる新しい「世界史」の始まりです。

 なお、ある歴史学者によると、第一次大戦をはじめて「世界戦争」「世界大戦」と名づけたのは日本人とのことです。この戦争の向かう先や本質を見抜いていたのかもしれません。ただし一般には、30年代まで「欧州戦争」「欧州大乱」などと呼ばれていたようです。どちらにしても、まだ「第一次」はついていませんでした。

(教材編集者・大迫秀樹)(動画制作:TOMOニュース)(http://jp.tomonews.net/116582)



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1928年 不戦条約に署名した大日本帝国!!(その2)

2014-07-28 22:25:29 | 政治

第一次世界大戦から100年 どんな戦争だった?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140325-00000012-wordleaf-int&p=2



「三国同盟」と「三国協商」
 同盟国は、「三国同盟」を結んだドイツ、オーストリア、イタリアが中心。北アフリカの植民地争奪戦で、フランスに対抗するという「利」で一致していました。ドイツは皇帝が新航路開拓・軍備拡張に積極的で、他国の脅威になりつつあり、現在は小国のオーストリアも中央~東ヨーロッパ一帯を支配する強国でした。このうちイタリアは、オーストリアと領土問題の対立で「害」が表面化したため、たもとを分かちます。後にこの空席に加わるのがトルコです。かつて栄華を誇ったトルコ(オスマン帝国)は国力の低下がいちじるしく、南下してきたロシアに対抗する「利」から、ドイツに接近したのでした。

 連合国は、「三国協商」を結んだイギリス、フランス、ロシアが中心。植民地の再配分を求めるドイツを包囲する、という「利」で一致していました。イギリスはどの国とも同盟を結ばない「光栄ある孤立」の道を歩んでいましたが、日英同盟を皮切りに、フランスと協商を成立させ、日露戦争後はロシアとも手を結びました。露仏も同盟関係にあったことから、「三国協商」へと発展していったのです。

 この2グループの対立に火をつけたのが、前述の「サラエボ事件」です。バルカン半島は、スラブ系を主とする多民族、イスラム・正教系・カトリックという多宗教が入り混ざり、争いが絶えなかったことから、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。ここにゲルマンの親玉ドイツとオーストリアが進出してきたため、セルビア民族主義の青年がその「害」の象徴であるオーストリアの皇位継承者を襲撃したのです。セルビア人は、ロシアと同じく正教系のスラブ民族です。オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、ロシアものろしを上げたのでした。

予想以上に長引いた戦争
 日本も日英同盟を口実に、ドイツに宣戦しています。中国や南洋諸島にあったドイツ権益がねらいでした。しかし、いっぱんの国民には切迫感が欠けていたようです。反露感情の高まりで起こった日露戦争とちがい、ドイツに対する悪感情は希薄で、「害」も「大義」も見出せなかったのでしょう。結果的には戦争特需という「利」に浴したものの、主戦場はヨーロッパであり、「遠い海の向こうの戦争」でした。

 日本の特需の背景には、大戦が予想をうわまわる物量戦・長期戦になったことがあります。徴兵制によって数千万の兵士が戦場にかり出され、戦車・航空機・潜水艦(Uボートが代表)や毒ガスまで使われました。大量の兵器・物資を供給できる工業力が問われたことから、史上初の「経済戦争」という見方もあります。その舞台裏で「利」を得た日本は、世界3位の海運国へと躍進し、大戦前にあった約11億円の債務も完済しました。

 戦況は、短期決戦を想定していたドイツのもくろみが外れ、フランスとの西部戦線、ロシアとの東部戦線とも持久戦に入りました。海上戦でも一進一退の攻防がつづきましたが、17年4月にアメリカがドイツに宣戦すると、連合国が圧倒するようになります。18年になると、総力戦で疲弊したトルコ、オーストリアが降伏し、11月にはドイツも連合国と休戦協定を結びました。そして翌19年6月、講和条約(ベルサイユ条約)の締結によって、犠牲者1500万人以上ともいわれる 未曾有の大戦が終わったのです。


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