1962年
加茂川の流れを横目にトレーニングに励むその顔に汗がじっとにじんでいる。京都の風は冷たいのに・・・。天気もすぐに変わる。いままで日がさしていたかと思うともうしぐれてくる。そうした中の川原を突っ走る渡辺投手の顔は無表情である。「先輩のみなさんがいっているようにぶつかってみなくてはわかりませんよ。自分の力なんか・・・とにかくやるときはやっておかなくては・・・」と黙々と毎日三十分の練習を欠かさない。十一月末に立命館大の合宿を出て下宿住まいをしているがやはり寂しそう。ひとりぼっちで走っているとよけいに社会のきびしさを感じるそうだ。これまでの倉敷工ー立命館大とエースの座を歩んできた彼にとって、こんどの阪急入りは、その人生における最大の難問だろう。「一年間やってみて、ダメならばそれから考えますよ」とドライに割り切ってはいるが・・・。彼と同じ左投手、岩本(豊浦高)浜崎(鹿児島商)が入団しているので、うかうかしておられない。大いにがん張らなくちゃあ・・・と決意はかたかった。渡辺のピッチングの持ち味は、コントロールの良さと打者のふところに食い込む切れのいいカーブだ。「プロに入ったからといって特別な工夫は考えていません。ただこれまでよりもいっそうコントロールをよくしようと思っています」これは藤井(関大ー阪神)など関西六大学の先輩にきいたのちの意見である。もちろん自分の特徴を自覚したうえのもので堅実な性格をにじませている。倉敷工から立命館大の二年までスイフトとカーブだけだったが、三年からシュートをマスターしてピッチングに幅をました。そして第二の人生であるプロ入りした以上は、投手としてコントロールにいっそうのみがきをかけて、投球の充実を計ろうとしている。これまで野球一筋に打ちこんできたので大した趣味もないので、シーズン・オフほど退屈なことはないという。「ひとりで練習していてもなんだかハリがない。正月には実家の岡山に帰りますが、早くトレーニングを始めてもらいたいです」とあまり太くない左腕をさすって笑っている。上背もなく貫禄がないようだが「十九貫のからだが春を待ちわびているんですよ」と冗談口も飛び出す。快活な青年である。明るく、おっとりした態度は、二男坊のせいだろうか。とにかく二男坊が思い起こす喜びも苦しみも野球を離れては何もないという。最高に惜しかったのは今秋の対関学一回戦で延長戦になったために完全試合を逃したこと。「関六初の記録でもあるし、自分の野球生活の上においても、まだ忘れることができない気持ちです」と青白い紅潮させ答辞のもようを語ってくれる。それにシーズンに10勝をマークしたのも見事な成績だ。とりたててハデなタイプではないが、倉敷工時代二、三年生のときに室山(一年先輩、阪神)三宅博(先輩、阪神)らとセンバツ大会へ連続出場。関六で昨秋、今秋の二度も立命館大を優勝させるバック・ボーンとなった実力と豊富な経験は、彼のピッチングのチ密さとなってあらわれている。持ち前の強さは実戦向きの男である。「西宮のマウンドは経験もあるし、できるだけ早く出て投げたいこと、そして左投手ということで案外早く登板のチャンスがくると思うのだが、岩本、浜崎両君のような強敵がいるのでね、負けたくありません」とすでに勝負意欲のさかんなところをのぞかせていた。昭和十五年七月四日生まれ、岡山市出身、現住所、京都市北区鞍馬口通り寺町西入、身長1・74㍍71㌔、左投げ左打ち
立命館大太田監督話 特徴のないようなタイプだが、倉敷工で二年も甲子園に出ているし、今秋、昨秋と立命大優勝の立て役者になったのだから実力はある。そうした豊富な経験をつんでいるのも彼のいいところだしマウンドではほんとに根性のあるピッチングを見せてくれる。少しスピードの点にくい足りないものはあるが、センスもいいし早くプロの水になじんでくれると彼の根性は高く買えると思う。バッティングもアベレージは悪いが、勝負強いし、打者としてもいい素質を持っている。
加茂川の流れを横目にトレーニングに励むその顔に汗がじっとにじんでいる。京都の風は冷たいのに・・・。天気もすぐに変わる。いままで日がさしていたかと思うともうしぐれてくる。そうした中の川原を突っ走る渡辺投手の顔は無表情である。「先輩のみなさんがいっているようにぶつかってみなくてはわかりませんよ。自分の力なんか・・・とにかくやるときはやっておかなくては・・・」と黙々と毎日三十分の練習を欠かさない。十一月末に立命館大の合宿を出て下宿住まいをしているがやはり寂しそう。ひとりぼっちで走っているとよけいに社会のきびしさを感じるそうだ。これまでの倉敷工ー立命館大とエースの座を歩んできた彼にとって、こんどの阪急入りは、その人生における最大の難問だろう。「一年間やってみて、ダメならばそれから考えますよ」とドライに割り切ってはいるが・・・。彼と同じ左投手、岩本(豊浦高)浜崎(鹿児島商)が入団しているので、うかうかしておられない。大いにがん張らなくちゃあ・・・と決意はかたかった。渡辺のピッチングの持ち味は、コントロールの良さと打者のふところに食い込む切れのいいカーブだ。「プロに入ったからといって特別な工夫は考えていません。ただこれまでよりもいっそうコントロールをよくしようと思っています」これは藤井(関大ー阪神)など関西六大学の先輩にきいたのちの意見である。もちろん自分の特徴を自覚したうえのもので堅実な性格をにじませている。倉敷工から立命館大の二年までスイフトとカーブだけだったが、三年からシュートをマスターしてピッチングに幅をました。そして第二の人生であるプロ入りした以上は、投手としてコントロールにいっそうのみがきをかけて、投球の充実を計ろうとしている。これまで野球一筋に打ちこんできたので大した趣味もないので、シーズン・オフほど退屈なことはないという。「ひとりで練習していてもなんだかハリがない。正月には実家の岡山に帰りますが、早くトレーニングを始めてもらいたいです」とあまり太くない左腕をさすって笑っている。上背もなく貫禄がないようだが「十九貫のからだが春を待ちわびているんですよ」と冗談口も飛び出す。快活な青年である。明るく、おっとりした態度は、二男坊のせいだろうか。とにかく二男坊が思い起こす喜びも苦しみも野球を離れては何もないという。最高に惜しかったのは今秋の対関学一回戦で延長戦になったために完全試合を逃したこと。「関六初の記録でもあるし、自分の野球生活の上においても、まだ忘れることができない気持ちです」と青白い紅潮させ答辞のもようを語ってくれる。それにシーズンに10勝をマークしたのも見事な成績だ。とりたててハデなタイプではないが、倉敷工時代二、三年生のときに室山(一年先輩、阪神)三宅博(先輩、阪神)らとセンバツ大会へ連続出場。関六で昨秋、今秋の二度も立命館大を優勝させるバック・ボーンとなった実力と豊富な経験は、彼のピッチングのチ密さとなってあらわれている。持ち前の強さは実戦向きの男である。「西宮のマウンドは経験もあるし、できるだけ早く出て投げたいこと、そして左投手ということで案外早く登板のチャンスがくると思うのだが、岩本、浜崎両君のような強敵がいるのでね、負けたくありません」とすでに勝負意欲のさかんなところをのぞかせていた。昭和十五年七月四日生まれ、岡山市出身、現住所、京都市北区鞍馬口通り寺町西入、身長1・74㍍71㌔、左投げ左打ち
立命館大太田監督話 特徴のないようなタイプだが、倉敷工で二年も甲子園に出ているし、今秋、昨秋と立命大優勝の立て役者になったのだから実力はある。そうした豊富な経験をつんでいるのも彼のいいところだしマウンドではほんとに根性のあるピッチングを見せてくれる。少しスピードの点にくい足りないものはあるが、センスもいいし早くプロの水になじんでくれると彼の根性は高く買えると思う。バッティングもアベレージは悪いが、勝負強いし、打者としてもいい素質を持っている。
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