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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松本忍

2017-04-29 11:29:18 | 日記
1967年

養成選手ー中日・松本忍投手(19)にやっと五年目の春が訪れた。長崎県諫早市の北諫早中を卒業と同時に、三十八年、中日入りした松本は当時まだ十五歳。そのころ、急騰する契約金対策として中日が最小限の費用で将来性のある選手をとり、じっくり育て上げようというねらいで勧誘したものだ。一緒に入団した森田選手は昨年さびしく退団したが、松本は名古屋・中央高の定時制に通いながら、黙々とファームではげんだ。そして今春、卒業を迎え養成選手も卒業、晴れて一投手として契約をかわした。「シノブ(松本)、おめでとう」真っ先にかけ寄った新宅捕手につづいて飛びだしたナインがソッと手を握る。いつものヒーローを祝福するようすとはがらりとちがう。過去四年間、練習と勉学を両立させた松本の人知れぬ努力と精進をナインは知りつくしているからだ。小さく「ハア、ありがとうございます」という松本の目ガシラに自然と涙がにじんでくる。「新宅さんのサイン通り投げました。苦しかったのははじめてロバーツ、ジャクソンにあたったとき・・・」と声をつまらせる。松本にとって外人選手と対戦するのは生まれてはじめての経験だった。だが、九回はみごとな攻めで連続凡退させた。四回から最後まで投げ切って失点1。自在に得意のカーブをあやつり、三位の座をひとりで守り切った。プロ入り初登板は、昨年九月十八日の巨人戦でのリリーフ。この試合で松本は一死一、三塁のピンチにホームラン男の王を二ゴロにとり、無形の自信をつけた。「セ・リーグ最高の打者を打ちとったことは、大きなプラスになりました」思いだすように話す松本。緊迫したシーズンでもまったく動じないあたり、もともとなみはずれた度胸の持ち主なのだろう。入団当時より体重は6㌔、上背も3㌢のびている。だが、まだどこか童顔が残っている。大友ピッチングコーチは「からだがまだまだおとなになりきっていない。骨組みががっちりすれば、もっと球威はでるはず。性格はおとなしいが、頭がいいし、なかなか根性もある」と将来性を高く買っている。養成選手大先輩である西沢監督も手ばなしでホメた。「左の松本があれだけ投げだことは、大きな収穫だ。マウンドの態度なんか、まるで常時出場しているピッチャーみたいだったナ」プロ入り四試合目ではじめて勝利投手の栄誉を手にした松本ー。養成選手の同期生杉内野手、おなじく後輩の金富投手らと喜びをわかちあおうといそいでバスに飛びのった。とたんにドッとすごい拍手がわきあがった。

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