プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

河西宏和

2017-11-26 21:29:33 | 日記
1955年

この一、二年甲子園大会で東京代表が活躍している。二十八年ビッグ・フォアに残った明治高もそうだったが、昨年の沿う実は都会チームの特色を身につけて大いにあばれまわった。その原動力となったのが河西投手である。河西投手は大会前の予選では好投手の話題に入っていなかった。むしろ早実の投手陣は非力とさえ伝えられていたほどである。優勝候補の小倉を破りもっとも注目を浴びている痩実は都会チームの特色を十分生かしている。下馬評では非力といわれた河西投手は、カーブの球道、球質をかえた味のあるピッチングで、二試合17イニング無失点。とくに米子東戦に見せた走者を出せば低目に投げて必ず併殺させるあたりのコツは、高校生ばなれしている。河西は中山(中京商・中日)のように、速球投手でもなければ大きなカーブも持っていない。にもかかわらず安定したピッチングを示すのは、コントロールがよいからである。とくにカーブを、あるいはゆるく、あるいは鋭く内外角に投げわけ、それにシュートをまじえて打者のヒザもとをえぐる。このコンビネーションは走者が出れば、しつこいくらいゆうゆうとけん制して打者の打気をそらすプレート度胸とともに、全く心にくいほどであった。その彼が準々決勝戦で高知商に別人のごとく打たれて(安打9、四球5、得点5)敗戦投手となったのは意外だった。その原因は彼のような技巧派投手の常として球にスピードがのりすぎたためである。折から関西地方を襲った台風5号のため、二日間休養をとったので、当日の肩の調子は非常によさそうだった。私は試合前の彼のウォームアップを見て「いつもよりスピードがありすぎる、過信しなければよいが・・」と案じていた。不幸にも私の予感が当り彼はストレートで外角を攻め、カウントがよくなってはじめてカーブかシュートという単調なコンビネーションで対したので、百戦錬磨の高知勢に外角のストレートを完全にねらわれ、前半早くも四点を奪われた。私も経験があるが、技巧派投手はゲーム前のピッチングで、今月は肩の調子がいい、ホーム・プレートが近く見えると思ったときは、必ずノックアウトされるか、また相当打たれるかしている。これは持前の技巧に頼らず、スピードという魔力にかかり、一つひねってやろうと無造作に投込むからである。技巧派投手がスピードのあるときは、球が軽く高目にいくものだ。そしてこれをねらわれたときほどみじめなことはない。こんごの彼に望むことは、技巧派投手として大成してもらいたいことだ。欲をいえばもう少し球にスピードがほしい水準以上のスピードボールを持たないと、技巧が生きてこない。上背がなく、体格的にハンデがあるので、多くを望むのはむりかも知れないが、フォームとしては右足のけりいわゆるバネが弱いように思う。このバネが強くなりスナップが利けば、もっとスピードが出ると思う。それとシュート、とくに落ちる球を研究しなければならぬ。彼のいまのシュートはプロではストレートと同じだ。大映には投手育成の第一人者の藤本監督、チェンジ・オブ・ペースの名人林投手と、すぐれた指導者がいることは河西にとってこのうえもない幸せといえよう。

プロ入りの動機 私は早大に進みたかった。しかし家庭の事情があり、どうしようか考えているとき題詠からすすめられたので決心した。大学でもプロでも同じ野球をやるのだから・・・。それに自分を求めてくれるところに入った方がよいと思ったので・・・。

身体がないのでせめて腰のバネを強くすること。そのため毎日右足だけのナワとびをしている。技術的には「きめ球」を持つこと。高校時代はドロップをウイニング・ショットにしていたが、だれもドロップとは見てくれず、カーブだといわれていたシロモノですからね。一目みてドロップといわれるようにブレーキを鋭くしたい。

大映の林投手。巧味のあるピッチングを教えてもらいたい。
レコード(長唄・民謡)

五尺六寸五分、十七貫、右投右打、十九歳、背番31。

東京都台東区谷中初菅町1の8

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高田耕作 | トップ | 渡辺信義 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事