なんとも物騒なタイトルですみません。
明治11年5月内務卿大久保利通が数名の不平士族によって
暗殺された場所が現在の清水谷公園の近くです。
清水谷公園と言ってもご存じない方が多いと思いますが、
前に写真をご紹介した赤坂見附の『弁慶橋』を渡って
紀尾井坂の方へ150米ほどいった右側にあります。
この辺は紀州徳川家と井伊家の屋敷の境にあり
清水が湧き出していたことから
清水谷と呼ばれていたそうです。
公園の向かい側の台地にあるホテルニュー大谷、
上智大学の一帯は尾張徳川家の麹町屋敷跡地だったので
この辺の町名を紀尾井町としたそうです。
公園の中央に『大久保公哀悼碑』が建っています。
高さ6米余の立派なものです。
綺麗な花が咲いていました
道路側に池があります
外人さんの子供たちが遊んでいました
記事を読んでホッとひと安心
「紀尾井町」の町名の由来はそういうことだった
のですね。なるほど~~。
今夜の我家の話題になりそーです。
東京は歩いてみるとどこまででも歩けてしまう
不思議な街ですね。
数年前、子どもの学校の保護者会行事で「江戸を歩
こう」という企画にお付き合いで参加してみたら、
歴史の先生がいろいろと説明しながら案内して
下さり、とてもおもしろく過ごしました。
その時には田町から麻布、最後は広尾の有栖川記念公園で解散でした。
娘に「皇居に行こう」と誘われた時にも意外な発見がいっぱい。
歴史上の人物としてしか認識のなかった名前があち
こちに登場して結構楽しめました。
ジャスミンさんの記事を読んでいると、今度は赤坂
界隈を歩いてみたくなりました。
紀尾井町の由来は、私も今度初めて知りました。
”私、生まれも育ちも東京は牛込です”が清水谷公園に行ったのも、じつは初めてです。赤坂見附までは行っても、弁慶橋を渡った奥まで入ったことはありませんでしたから。
井伊大老がここから桜田門に向かって駕籠に揺られていったのかなどと、ちょっと昔に思いを馳せたりしました。
それにしても行動範囲のお広いこと!その積極性がお元気の元なんですね。