ジャスミンのひとりごと

甘い香りにつつまれて、気のむくままに

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増上寺御霊屋

2008-10-07 18:17:28 | 雑学

  漸く涼しくなり 出歩く気になったので 
   NHK大河ドラマ 「篤姫」 に現在 登場している  
    第十四代将軍家茂と 和宮の お墓にお参りしてきた。

  増上寺は 徳川家の菩提寺として 二代将軍秀忠、 
   六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、  
    十四代家茂の 6人の将軍と その御台所   
     側室、子女多数が埋葬されている。

  最高の技術を 駆使して造営された 壮麗な霊廟の 
   本殿・拝殿は 昭和20年 2度にわたる 空襲により 
    総て焼失してしまった。
     (その豪華さは頂いたモノクロ写真でも充分伺える)

  戦後 跡地には 西武の手により 東京プリンスホテル 
   が建てられ その正面に建つ 僅かにやけ残った   
    二天門が その面影を 残すのみである。

  昭和33年から 学術調査が行われた後 荼毘に付されて  
   現在、安国殿裏手の 小さな敷地に 8基の宝塔にして  
    改葬されている。

●昭徳院殿家茂公の墓● ■静寛院宮親子内親王の墓■
 
 因みに、篤姫と 十三代家定公は もう一つの菩提寺である
  上野寛永寺に葬られている。
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番町皿屋敷

2007-04-19 17:39:48 | 雑学
と言えば、夜な夜な「一枚・・・、二枚・・・」と皿を数える
 女の恨めしげな声が聞こえてくると言う
  お菊の怪談で有名である。

家宝の皿を割った女中のお菊が折檻されて
 井戸に身を投げた「皿屋敷」は本当にあったのか。
   
その所在については牛込門(現在の飯田橋駅西口)内の
 富士見、番町、麹町の三箇所が上げられているが
  いづれも江戸城の内濠と外濠に挟まれた
   麹町台地にある。

麹町は元は番町の一部であり、番衆を勤める
 旗本屋敷の小道が入り組んでいて「小路町」と
  呼ばれていたのが町名の由来だそうだ。

そして此処には家康の孫、千姫が住む
 「吉田御殿」があったとされている。
  千姫は寵愛していた若侍と腰元の仲を嫉妬し
   二人を惨殺して古井戸に投げ込んだという。

千姫の死後、御殿は取り壊され「更屋敷」にされた。
 小雨の降る夜は井戸から青い火がチロチロ燃えるので
  人々は気味悪がって誰も近付かなかったという。

その後井戸は埋められ、家も建てられていったが、
 井戸の周辺七百坪はいつまでも残っていた。
  千五百石取りの旗本、青山主膳が豪胆にも
   これを拝領して屋敷を建て井戸を掘った。

これらの事実と「更屋敷」から「皿屋敷」を連想して
 「番町皿屋敷」なる怪談話が作られたと言うから面白い。



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紫草続き

2007-04-08 14:52:35 | 雑学
前回 病に臥す殿様が紫草の根からとった染料で
 染めた江戸紫の縮緬で鉢巻をしていることを
  ご紹介しました。

これは「病鉢巻(ヤマイハチマキ)」と言って、
 額の左側で結んで端をだらりとたらしたり、
  箱結びにするのが決まりらしい。

歌舞伎の「保名」の安倍保名や、「廓文章」の遊女、
 夕霧など、いずれも額の左側で結んでおり、
  いかにも憂いと色気を帯びた風情をしています。

一方で、助六の鉢巻は写真の羽子板のように
 額の右側で結んでいます。
  (羽子板は大分古いので
   鉢巻の紫色が褪せています)

勿論助六のそれは病鉢巻ではなく、
 反対側に結ぶことで
  伊達を競った「傾き者(カブキモノ)」の
   粋(イキ)を表現したものとされています。

また、紫色は高貴の色とされ
 「お留め色」と言って一般庶民は
  使用を禁止されていたそうです。


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紫草

2007-01-30 14:43:45 | 雑学
という名をご存知だろうか?
今は絶滅に瀕しているが、昔は武蔵野に咲き誇り
古今集や万葉集にも詠まれているという。

1センチほどの小さな白い花を咲かせる紫草は
根が濃い紫色で「紫根」とよばれる染色の材料になる。

これで染められた[青みがかった紫色」は
「江戸紫」と呼ばれる。
歌舞伎の「助六」で助六が頭に巻いている
伊達鉢巻の色がこれだという。

同じ紫草でも使う水によって色が異なり
京の水を使うと赤みがかった紫になり
「京紫」と呼ばれる。
東北の水だと小豆色に近い色で「南部紫」という。

紫草は染色だけではなく鎮痛剤としても使われ
華岡青洲により「紫根」を使った軟膏「紫雲膏」
が作られている。

昔の時代劇で病に臥す殿様が頭に紫色の鉢巻を
まいた姿をしていたことを覚えている方も
多いのではないでしょうか。
私も子供心に不思議に感じていた謎が
漸く解明された思いです。






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暗殺

2006-09-10 15:19:38 | 雑学

なんとも物騒なタイトルですみません。

明治11年5月内務卿大久保利通が数名の不平士族によって
暗殺された場所が現在の清水谷公園の近くです。

清水谷公園と言ってもご存じない方が多いと思いますが、
前に写真をご紹介した赤坂見附の『弁慶橋』を渡って
紀尾井坂の方へ150米ほどいった右側にあります。

この辺は紀州徳川家井伊家の屋敷の境にあり
清水が湧き出していたことから
清水谷と呼ばれていたそうです。

公園の向かい側の台地にあるホテルニュー大谷、
上智大学の一帯は尾張徳川家の麹町屋敷跡地だったので
この辺の町名をとしたそうです。

公園の中央に『大久保公哀悼碑』が建っています。
高さ6米余の立派なものです。

 

綺麗な花が咲いていました

道路側に池があります

外人さんの子供たちが遊んでいました


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紫陽花ツてどんな花?

2006-06-28 19:02:00 | 雑学
「紫陽花はアジサイのことにきまってるジャン!」
こんな答えが返ってきそうです。

このところ、色とりどりの綺麗なアジサイの花が
ブログに登場して目を楽しませてくれました。

実は、アジサイは梅や菊などと違って、
古くから日本に存在した花で、古くは
「味狭藍」とか「安治佐為」と書いていました。

紫陽花と書くようになったのは、
平安時代の学者「源順」が『和名類聚抄』のなかで
「白居易」の詩にあった『紫陽花』を漢名に
選んだからです。

「白居易」が杭州の長官の頃に、
郊外の招賢寺と言う山寺を訪れると
そこに名も知らぬ花がひっそりと
咲いているのを見つけました。
彼は大変に心を引かれてこの花を『紫陽花』と
名ずけて詩をつくったのです。

彼はこの花を色は紫にして気香ると表現しています。
香りの高い紫の花というと
私たちが眼にしているアジサイとは
別の種類の花ということになります。

因みに中国語ではアジサイを
「綉球花」又は「八仙花」といいます。
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耳かきはいつから使われていたか?

2006-06-25 18:37:22 | 雑学
耳かきが好きで歴史を調べた人がいます。

物が物だけになかなか資料が無いが、
室町中期の貴族、三條西実隆の日記の
1520年代の部分に
「耳掻進之」(耳かきを進呈した)
と書いてあるそうで貴族社会では耳かきが
使われていたことがわかります。
耳かきを贈り物にした事を日記に
書くほどですから希少品だったと想像されます。

江戸時代中期から後期には
「耳のあか、とろうとろう」と呼ばわりながら
町内を歩きお客の耳を掻く職人がでてきたり
女性の簪に小さな耳かきをつけるのが流行して
この頃から急速に広まったようです。

1911年に京都市内にある稲荷山経塚から出土した
銅製の簪の下部が耳かきの形をしており
製作された時期は平安末期から鎌倉初期と
推定され、現存する最も古い耳かきのようです。
現在東京国立博物館に所蔵ざれているそうです。

前回アメリカ人と日本人の耳あかの違いを
お話しましたが,dream様からコメントを頂きました。
ありがとうございます。

耳あかの種類には、コナミミ(粉状・カザブタ状)と
アメミミ(湿り気・粘着質)とがあり、いずれも
遺伝によるそうです。
因みに,dreamさまはコナミミでご主人様はアメミミ
だそうです。
うちの主人はコナミミだと言っております。

最後まで読んでいただいて有難うございます。













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