耳かきが好きで歴史を調べた人がいます。
物が物だけになかなか資料が無いが、
室町中期の貴族、三條西実隆の日記の
1520年代の部分に
「耳掻進之」(耳かきを進呈した)
と書いてあるそうで貴族社会では耳かきが
使われていたことがわかります。
耳かきを贈り物にした事を日記に
書くほどですから希少品だったと想像されます。
江戸時代中期から後期には
「耳のあか、とろうとろう」と呼ばわりながら
町内を歩きお客の耳を掻く職人がでてきたり
女性の簪に小さな耳かきをつけるのが流行して
この頃から急速に広まったようです。
1911年に京都市内にある稲荷山経塚から出土した
銅製の簪の下部が耳かきの形をしており
製作された時期は平安末期から鎌倉初期と
推定され、現存する最も古い耳かきのようです。
現在東京国立博物館に所蔵ざれているそうです。
前回アメリカ人と日本人の耳あかの違いを
お話しましたが,dream様からコメントを頂きました。
ありがとうございます。
耳あかの種類には、コナミミ(粉状・カザブタ状)と
アメミミ(湿り気・粘着質)とがあり、いずれも
遺伝によるそうです。
因みに,dreamさまはコナミミでご主人様はアメミミ
だそうです。
うちの主人はコナミミだと言っております。
最後まで読んでいただいて有難うございます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
物が物だけになかなか資料が無いが、
室町中期の貴族、三條西実隆の日記の
1520年代の部分に
「耳掻進之」(耳かきを進呈した)
と書いてあるそうで貴族社会では耳かきが
使われていたことがわかります。
耳かきを贈り物にした事を日記に
書くほどですから希少品だったと想像されます。
江戸時代中期から後期には
「耳のあか、とろうとろう」と呼ばわりながら
町内を歩きお客の耳を掻く職人がでてきたり
女性の簪に小さな耳かきをつけるのが流行して
この頃から急速に広まったようです。
1911年に京都市内にある稲荷山経塚から出土した
銅製の簪の下部が耳かきの形をしており
製作された時期は平安末期から鎌倉初期と
推定され、現存する最も古い耳かきのようです。
現在東京国立博物館に所蔵ざれているそうです。
前回アメリカ人と日本人の耳あかの違いを
お話しましたが,dream様からコメントを頂きました。
ありがとうございます。
耳あかの種類には、コナミミ(粉状・カザブタ状)と
アメミミ(湿り気・粘着質)とがあり、いずれも
遺伝によるそうです。
因みに,dreamさまはコナミミでご主人様はアメミミ
だそうです。
うちの主人はコナミミだと言っております。
最後まで読んでいただいて有難うございます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
さて、他の方々のブログで知ったのですが・・・今、博多座で行われている中村勘三郎襲名興行に出演している勘太郎さんが、6月23日から靭帯損傷で休演したらしいのです。それらの記事によれば、夜の部の『雨乞狐』を踊っている際に傷めたようなのです。『雨乞狐』は昨年の納涼歌舞伎で激しい動きと五変化の早替りで、観る者を驚嘆させたことはまだ記憶に新しいところです。ゆっくりと休養し、じっくり時間をかけてでも、治して欲しいものです。
(※7月2日の鎌倉芸術館での公演では、お顔も拝見できないかしら?なんて思っています。)
あせらず養生してほしいものです。
鎌倉芸術館の公演は残念ながら
とれませんでした。