なんでずっと、前田慶次郎が出る、と思い込んでいたのかわかりましたよ・・・。
INTERVIEW 阿部寛(上杉謙信)
これから、徳川家康、伊達政宗、前田慶次郎と、名だたる武将が出てくる。
(大河ドラマ 天地人公式サイトより)
お屋形さまぁぁ、出てこなかったっすよぉぉ。
登場人物 お涼(木村佳乃)
都に出て来て初めて中央の文化に触れた兼続や政宗にとっては、まさに京文化を体現しているような女性として映り、あこがれの対象となる。
たぶん、直江兼続(妻夫木聡)、涼、伊達政宗(松田龍平)の△関係をやろうとしたんじゃないのかな。でも↑なシーン、なかったぞ。
これだけじゃなくて、どうも放映前後で脚本が改竄されてずたずたになっている気がします。「小松江里子」は複数の脚本家で構成されるユニットなのでしょうか。だからドラマに統合性がなく、長期的な伏線を張ることも回収することもないとか。あるいは即興でストーリーを作ってその場で撮影してきたとか。んなアホな。
一応、第41回『上杉の生きる道』まで観てるんですが、ドラマ自体が、もういっか、という流れなのでまとめちゃいます。この先、これこそ真(まこと)の言葉、と感じられるせりふが飛び出さないかぎり、『天地人』の感想は〆です。
兼続が本当に人を動かす言葉を持っているのなら、なぜ関ヶ原の前に、もっとも苦手とし、反りの合わない徳川家康(松方弘樹)と腹を割って話をしない?
いつかのアバンタイトルは「あいつが悪い」。そこで諦めてどうする。逃げるなよ。
思ったことをまんま口にする、というのはあくまでもコミュニケーションの「グレート初心者講座」であって、そうやって言葉に癒されたり傷ついたりするうちに、その先が視えてくる。言葉にしなくても情報が伝わる超高速の世界が。
なんの根拠もないのに、そこまでハードルを勝手に上げた管理人がパ″カだった。子供向け“大河”とは思わなんだ。
(秀吉)「わしはもう、片手には確かな力を持っておる。理の三成よ。じゃが・・・もうひとつの力、天下を治めるためのもうひとつの力が欲しい。情(左手)と、理(右手)。このふたつが揃えば、磐石よ」(第26回『関白を叱る』)
石田三成(小栗旬)はえらかったですよ。「理」の人でありながら、兼続の「情」に接して、そうか、こういうものもこの世には必要なんだ、俺は偏ってるんだ、と受け容れた。美濃大垣城に10万の軍勢を集め、
(三成)「それがしのごとき、微力な者の声によくぞお応えくだされた。亡き太閤殿下もお喜びでございましょう。このご恩は・・・終生忘れませぬ!」(第38回『ふたつの関ヶ原』)
西軍の諸将に礼を尽くしてすごい努力です。そしてそれは、人は「情」で動くこともある、その方が話が早いこともある、ものごとが動く、と「理」で了解したからに違いない。兼続は彼の「理」になにか学んだのかな。
そんなこんなで120万石から30万石の極貧に転落した上杉家ですが、刀とカネを背景にした「ラブ・アンド・ピース」はこれで終わり。佐渡“平定”、小田原攻め、力があったからこそ通すことのできた「義と愛」は終わりです。後は・・・がんばってね。
あ。家康に謝らなかったのはよかったと思います。
(景勝)「謝罪は無用と存じまする」(第40回『上杉転落』)
前田利家(宇津井健)が遺した家康の言質を兼続は確かに聞いた。関ヶ原のいくさは「世を乱さず、秀頼を守る」ためでなければなりません。主筋の豊臣家まで減封ではそれこそ筋が通らない。この点で上杉が徳川に対して非を認めることはないでしょう。認めれば真(まこと)が曲がる。世の中には他人に謝らせることが好きな人がいますが、こういうツッパリくらい、いいんじゃないでしょうか。
まあ、いろいろな意味で「びっくり大河」でした。
Kジロー(お、かっこええ)については、NHKは7月ごろまで「出ますヨ~」と公言してたらしんですよ。
アレコレ噂があるようですが、一視聴者には計り知れませんよね;
「義を貫く」というより「我を通してる」だけのようだった直江状。
その場限りの詭弁の連続で、エピソードが心に残らないです。
あの三成でさえ、今や「誰それ」状態になっているような気がします。
いい話や面白い出来事はたくさんあったはずなんですが。
... まさか、「坂の上の雲」を面白く思わせるための伏線、てことないですよね?>「天地人」
ここまで来てイチャモンつけるのもオトナ気ないので。
最終回でナイフさまのタンコブの謎が明かされれば、それでヨシと思うことにします。うむ。
こんばんはー。
そうですか、NHKはKジロー(これ、カッコいいっスね)を出すつもりだったらしいのですか。しかし、出たら出たで残念なことになったかもしれません。なにがあったんでしょうね。
>「義を貫く」というより「我を通してる」だけのようだった直江状
不発の原因は、ナイフさまが豊臣政権に異を唱えた動機をはっきりと描かなかったからですね。というか、主人公とその周辺を嫌われかねないキャラに仕立てた時点でアウトです。手柄ドロボーは嫌いです。
>その場限りの詭弁の連続
スタッフが訴えたかったものと、上杉家、直江兼続の間にあるギャップのせいだと思います。このドラマの主役が上杉であり直江である必要はありませんでした。どこかにある『天地人』本編のサイドストーリー×47回、みたいなノリでした。
>まさか、「坂の上の雲」を面白く思わせるための伏線
そんな長大な伏線を1年弱かけて張られても困りますがな( ̄□ ̄;)。『天地人』にかまっていられないほど『坂の上の雲』に集中しました、というアピールでしょうか。ひぃ。
とにかく、人名、地名、一次史料で確認できる事実の明らかな誤謬はマズいです。スタッフは小説や漫画や過去の時代劇を“一次史料”だと勘違いしてやしませんかね。
どうやら三成も過去の人になってしまったようですし(そのうちに回想で出ますかな。1回くらいは思い出してやってくれ)、タンコブの謎については・・・むむ・・・ナイフさまの気分次第でしょう(^^;)。