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エドサ革命への道

2024-07-12 | フィリピンの歴史

エドサ革命

概略

1986年、フィリピン大統領選挙でコラソン・アキノを当選させ、

同時に民衆が蜂起してマルコス独裁を倒し民主化を実現した。

 1986年2月、フィリピンのマルコス独裁政権に反対する民衆運動から始まった。

マルコスを退陣させ民主化を実現させた革命。

市民が結集したエドサ通りにちなみエドサ革命、あるいはフィリピン2月革命とも言われる。

 エドサ大通りとはマニラ郊外の北東、ケソンシティの国会に通じる大通りで、

国防省(アギナルド陸軍基地)に面している。正式には Epifanio de los Santos Avenue

通称、頭文字をとって EDSA と言われている首都圏の基幹道路である。

このできごとは、フィリピンではピープルパワー革命かエドサ革命と言われる。

 

 1983年8月に起こったマニラ空港でのベニグノ・アキノ暗殺事件以後、

マルコス独裁に対する反発が急速に強まり、1986年2月7日の大統領選挙に

アキノ未亡人のコラソン・アキノが立候補すると民衆の支持を受けて当選した。

それを認めないマルコスは戒厳令を敷いて軍を動かそうとしたが、軍内部からの反発、

カトリック聖職者の離反などが相次ぎ、反マルコスの声が強まり、

2月22日、アキノ新大統領を支持する多数の市民がマニラ市のエドサ大通りに集まり

マルコス側の軍の動きを封じ、大衆運動は25日まで続いた。

25日に午前11時、コラソン・アキノが大統領就任式を実行、

マルコスもやむなくイメルダ夫人と米軍のヘリコプターで午後9時にマニラ・マラカニアン宮殿を脱出し、

クラーク基地からハワイに亡命した。

この変革で、マルコス独裁を終わらせ、象徴的な出来事となった。

 

ピープルパワー革命の背景

 1986年2月の大統領選挙で勝利したコラソン・アキノは、83年に暗殺された

ベニグノ・アキノ婦人であり同情票が集まったともいえるが、

マルコス独裁体制が見放されていたこともある。

マルコス大統領が反財閥を掲げて取り上げた権益を一部の取り巻きに分け与えたり、

国家財政をイメルダ夫人の私的な浪費に充てたりしていることに旧財閥系の経済界が反発した。

またスペイン植民市支配に対する抵抗を精神面から支えた伝統もつカトリック教会も

独裁政治を苦々しく見ていた。

表面的にはマルコスを支持していたアメリカも、民主主義を標榜している手前もあって

秘かにマルコスを見限りつつマスコミも独裁政治批判を強めていた。

マルコス政権の下で対外債務が360億ドルに膨れ上がっていることを知った国民の多くは

国家崩壊の危機を感じ取っていた

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