potaz

気ままに、、、

岡部六弥太を『四部合戦状』に探す

2014-09-27 19:10:18 | 日記
2014/9/27
今日は晴れましたが大きな雲が流れていました。
気温もさほど上がる事は無く気持ち良く過ごせました。風邪を引かなければ、、、。

先日(7月17日)記録した「岡部六弥太」を『四部合戦状』の中に探してみました。
当然の事ですが、potazにも読める現代語訳のざっと見ですので怪しい所もあるかと。

★保元物語
 ・保元元年(1156年)に起こった保元の乱を中心に書いた軍記物語
 ・対立の模様
  ・崇徳院と後白河天皇の皇位継承争い ・藤原忠通と藤原頼長の摂関家の対立
  ・源義朝と源為義の源氏の対立    ・平清盛と平忠正の平家の対立
 ・岡部六弥太は、上巻第十三章に源義朝に従う武士として登場

★平治物語
 ・平治元年(1159年)に起こった平治の乱を中心に書いた軍記物語
 ・対立の模様
  ・藤原通憲と藤原信頼の対立     ・平清盛と源義朝と対立
 ・岡部六弥太は、上巻第十四章・中巻第一章に義朝に従う武士として登場

★平家物語
 ・平家の栄華と没落を描いた軍記物語
 ・保元の乱、平治の乱後の源平の戦いから平家の滅亡と人間模様
 ・岡部六弥太は第九巻「忠度最期」に登場(一の谷合戦:1184年)、以下に要約。
   薩摩の守・平忠度は一の谷の西の手の大将軍
   兵は100騎程で源氏に囲まれ、騒がず・防ぎ・防ぎながら退却する所に、
   岡部六弥太がよき敵と目をかけ、馬を駆け追いかけ声をかける。
   「あれはよき大将軍と見える。敵に後ろを見せるものかな。返せ、返せ」
   忠度は振り返って「味方ぞ」と声を掛けるも
   岡部六弥太は「味方にお歯黒をした者はいない。平家の公達に間違いない」
   と馬をおし並べて組み合い。
   (忠度の兵は借りものの武士なので1騎も戦おうとせず皆逃げた)

   忠度は熊野育ちの怪力で、屈指の早業の持ち主。
   岡部六弥太をつかみ「味方といっているので、味方にしておけばよいものを」
   と、引き寄せ馬の上で2太刀、落ちていく時に一太刀、合計で3太刀、突く。
   2刀は鎧の上なので通らづ、1刀は内甲へ突き入れるも浅傷。
   そこに岡部六弥太の童が遅ればせながらやってきて、
   馬から飛び降り、太刀を抜き、忠度の右ひじを根元から切り落とした。

   忠度は「しばしのけ。最後の念仏を十回唱えさせろ」と、
   岡部六弥太をつかんで弓の長さ程(約2メートル)投げ飛ばす。
   西へ向かい「光明遍照十万世界、念仏衆生摂取不拾」と唱えているときに、
   岡部忠純が後ろから忠度の首を取った。

   その後、箙(えびら)に結び付けられた文から忠度と知る。

 ・薩摩守平忠度は上記の様に武に優れると共に文才(歌人)にも秀でていたと。
  「千載和歌集」に“詠み人知らず”として掲載され、
  以降の「勅撰和歌集」には11首が入集しているということです。

★承久記
 ・承久3年(1221年)、後鳥羽上皇の挙兵に因る「承久の乱」を描いた軍記物語
 ・岡部六弥太の没年は1197年なので、この乱は六弥太の死後
 ・幾つか「岡部」の名が出てきます。子孫でしょうか?

※もう少し読み込んでみようか、、、。