ボチボチ行こうや

ある家族の毎日 

あわてず、さわがず、のんびりと・・・。

旅_続行中_4(エッもう帰ってくるの)

2005-12-31 13:12:23 | 
昨日一日で200キロ近く走り、一旦寝てから、
夜中の2時に起き、マイナス5℃の中、ひたすら走ったそうです。
ジャリっという音がするので、タイヤのところを見てみると、
草が凍っていた。

今福岡の大宰府。

あまりの寒さと初詣の人の多さを勘案して、昨日予約した下関のユースホステルをキャンセルし、フェリーに乗って元日の朝に大阪に到着。
家に帰ってきます。

正月の両家への年始も間に合いそう。

またにぎやかな生活に戻ります。
嬉しいやら、ゾッとするやら・・・・。


旅_続行中_3(心が折れそう)

2005-12-30 23:08:23 | 
長男は、開聞岳を頂上まで登り、それから友達と別れて、一人北へ向かっています。
今日は熊本の竜北。
このまま福岡・山口・広島を目指して、走りきるのでしょうか?
最初は、阿蘇まで行き、阿蘇ライダーハウスで宿泊して、カウントダウンを体験するつもりだったようです。
なんと900円で泊まれるらしい。
でも、急に一人になり、雲行きを怪しく不安だし、寒さもより一層身にしみて、
家に電話かかってきました。
これからの天気予報を聞きながら、妻に相談しつつ、
『やっぱり阿蘇は寒いなぁ。雨だったら最悪だし。』
ということで、阿蘇はあきらめ、(屋久島は予算の都合であきらめました)
とりあえず、福岡目指して北上!!

なんかすぐにでも家に帰ってきそうです。



旅_続行中_2

2005-12-28 19:10:47 | 
今日は、桜島へ。

桜島の溶岩道路を快走。まったくその名の通り溶岩が固まってできた岩だらけの別世界だったようです。

溶岩展望台のぼって山見たり、途中海沿いにあった集落におりてみたり、道の駅で桜島の芋焼酎試飲して、結構楽しんでいるみたい。

道沿いや集落には待避壕が沢山あり、活火山なんて身近にないし、リアルさが増したと言っていました。

桜島フェリー、鹿児島まで13分で渡り、鹿児島で食購して南下し道の駅で泊まるみたいです。

大自然に囲まれることが、どんなに癒しになるか、人をリセットしてくれるか、長男を見ていると良く分かります。
私たち親にとっても重要なことなのでしょうね。

旅_続行中_1

2005-12-27 23:56:03 | 
サンフラワーで、南港から18時出発。志布志港に8時40分無事に到着したようです。途中フェリーは、『寝る場所も狭いし…狭いっていうか無いし…。』少ししんどそう。

コースは、南大隈。右を見れば開聞岳、後ろを振り返れば桜島が見え、佐田岬まで到着。
近くの小学校で軒下を借り、差し入れまで頂いたそうです
(教頭先生ありがとうございました)


今日はそこでキャンプ。
食事(カルビ丼を作って)の後、真っ暗な中、本州最南端へ。

漆黒の闇の怖さを体験しながら、それを乗り越え、最南端の実感に喜びを感じているようです。
流れ星3つ見えたらしいです。


漆黒の闇といえば、私たちは、知り合いの安否を尋ねて、阪神大震災の廃墟を歩いたことを思い出します。電気も無く、懐中電灯だけを頼りに・・・・。

子どもには出来るだけすばらしい体験をさせてやりたいものです。

旅立ち

2005-12-25 22:49:23 | 
明日から長男は、九州へ。
就職も決まり、卒業論文も終わり、自動車免許も後はペーパーテストに合格するだけとなった今、開放された気分なのでしょう 、マウンテンバイクでツアーに出発します。今回は、最初の何日かは高校時代の友人と二人で、そのあと、単独行だそうです。

この写真は、長男の愛車。テントや銀マット・シュラフは勿論、炊事道具、携帯コンロ、最低の持ち物をつんでいます。お米は一升・その他おかずなどなど。
大学ではサイクリング部の主将だったので、慣れたものです。

南港からフェリーで志布志へ、それから南九州を走り回るのでしょうか?
なんでも、九州を出て尾道まで行くと、札幌から日本縦断になるそうです。
屋久島にも行けるかなとも。
それから四国を回って、日があえば妻の兄のところで泊まってくると言っています。今日妻が自分の兄に電話で話をしていました。
1月6日頃に帰ってくるようです。

この寒いのに『チャリダー』は、常人の域を超えて、疾走していきます。


クリスマス・ソング

2005-12-24 02:17:49 | 
『Nat King Cole』の『Merry Christmas』です。古きよき時代の歌ですね。ものすごく落ち着いた感じが心地よい気分です。人の声が楽器以上のものであるんだなぁって思ってしまいます。

世間が凄いスピードで動いて、人の心もそれに追いつくので精一杯になり、どんどん荒んだ気持ちになっていく自分を、『まぁまぁ落ち着いて』って言ってくれるような気持ちにさせてくれます。

今年のクリスマス・ソングはこれで決まり。

後ろに写っているのは、妻と私のコレクションの一部です。
ほとんどがクラシック。
CDとレコードをあわせると200枚はあるかな?
でもまだまだ新しい曲との出会いが一杯あります。
来年も新しい出会いがあるかな?

当たりました。

2005-12-23 20:55:58 | 
『おいしい熊本産キャンペーン』に当選しました。

メロン・人参・ジャガイモ・ピーマン・ブロッコリー・エリンギ・プチトマト
が箱でやってきました。

新聞か何かの応募で、はがきを送ったら
何とあ・た・りました。

忘れた頃にやってきたので、ビックリしました。
でも嬉しかった。

そういえば数年前は、ソウル旅行が当たりました。
久々のヒットです。

我が家の太鼓の達人たち

2005-12-21 23:12:05 | 
PSⅡの太鼓の達人です。バージョンは6。今日次男が買ってきました。
長女も半分出したそうです。
夜から、太鼓たたきまくり
テレビの音も聞こえない

PSⅡはCDのゲームの読み込みが出来ずに、しばらくドラゴンボールなどのDVDゲームしか、次男は使っていませんでしたが、
インターネットでCDクリーナーでクリーニングすると動くかも知れないということで、
なんと百円均一
で買ったDVDクリーナーで何とか動くようになりました。
でも5回位クリーニングしてやっと読み込めましたが、それから何回もクリーニングしまがら、なんとかゲームしています。

あとから長男も加わってバトルを繰り広げています。

今日は外は冬の嵐。

でも我が家は
ゲームの嵐です。

静御前

2005-12-20 19:07:38 | 
NHK大河ドラマ義経は終りました。
少しタイミングが遅かったですが、今回は内容はともかく、知り合いの実家のお宮さんが紹介されたり、静御前の母親が現在の大和高田市に住んでいたこととか、割と身近な話題があって、最後まで見ることができました。
また、吉野山の奥千本にある『義経堂』には高校のとき家族で行ったことを覚えています。

今日の紹介は、大和高田市の大中公園にある『静御前記念碑』。
『しずやしず・・・』という有名な言葉が見えるでしょうか?

ホームページを見ると、
『大和高田市の中央を南から北へ流れる「高田川」に至ると、「大中橋」を渡った右(北)に「大中池」があり、池の東側に「静御前記念碑」が建っています。この辺り、大和高田市磯野(いその)は、静御前の母磯野禅尼(ぜんに)が住んでいた所で、源義経との悲恋に打ちひしがれた静御前が、鎌倉から京都に帰されてから、母のいた磯野を慕ってこの地に来て、・・・・・。』

私も以前は礒野付近にすんでいましたので、この大中公園はよく子どもを連れて遊んだものです。その頃はあまり話題にもなっていなかった記念碑ですが、
いまも、人から隠れるように建っています。
まるで静御前みたいに。

あぁ寒Ⅱ

2005-12-18 12:32:52 | 
やっぱり天気予報の通りです。
今日はさむ~い。
こんな日に、また長男・長女は昨日と同じバイトです。

写真の山は、岩橋山。まだ登ったことはありませんが、
山頂からの眺めはどんなでしょうか?

昨日の二上山は右手にあります。
写真には写っていませんが、左に行くと葛城山・金剛山になります。
ホームページで調べると、
 『金剛山地において、金剛山と並ぶ主峰格が大和葛城山である。
 金剛山を歴史・信仰の山とすれば、葛城山は行楽の山であろう。
 春のヤマツツジ、秋のススキで知られる高原状の山上台地は、
 葛城高原とも呼ばれている。』
でした。

二上山は、長女・次男が小さいころ二人を連れて登りました。
そのとき私のおなかに異変が・・・。
雄岳と雌岳の間のトイレに急行。

葛城山は、子どもたちのスポーツクラブの遠足で登りました。
ただしロープウェイで。

金剛山は、結婚前に妻と、二人で登りました。
そのときの妻の足元はサンダル。
登山している中高年からは、『足元は邪道だ』と言われたのを覚えています。